Category | 過去の美術展 (2013年)
今日は前回に続き、横浜美術館の下村観山展についてです。前編では初期の作品からご紹介していますので、前編を読んでいない方はそちらからお読み頂けると嬉しいです。なお、この展示は既に終了していて私が観たのは後期の展示でした。
前編はこちら

【展覧名】
生誕140年記念 下村観山展
【公式サイト】
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2013/kanzan/
http://www.yaf.or.jp/yma/archive/2014/4032.php
【会場】横浜美術館
【最寄】JR桜木町駅/みなとみらい線みなとみらい駅
【会期】2013年12月7日(土)~2014年2月11日(祝・火)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では3章のヨーロッパへの留学までご紹介しましたが、後編は文展の審査員となった頃から晩年にかけてのコーナーです。
<第3章 ヨーロッパ留学と文展>
48 下村観山 「木の間の秋」 ★こちらで観られます
これは2曲1双の金地の屏風で、左右ともに直立する木々と緑の草が描かれ、手前は濃く奥は薄い空気遠近法を使っています。木には蔓や苔のようなものが付き風格を感じさせ、葉っぱの葉脈を金で描くなど装飾的な表現が見られます。これは五浦の研究所で西洋の顔料を使ったそうで、緻密な写実性と装飾性があるのは英国の美術と日本美術の両方からの影響があるのかも?? 神秘的ですらある作品でした。
下村観山 「小倉山」 ★こちらで観られます
これは横浜美術館が誇るコレクションで、6曲1双の金屏風に赤く紅葉した木々の中に烏帽子の男性が座っている様子が描かれています。これは小倉百人一首の藤原忠心(貞信公)が詠った歌の歌意を描いているそうで、金地に緑や赤が映えて大和絵的な色合いと琳派的な雰囲気があります。左右の隻は上部では繋がっているのに下部では繋がりがないのが不思議で、確かあの世とこの世の境であるという説があったと記憶しています。(1つの解釈なので正しいかは分かりませんが) いずれにせよ、観山の傑作であるのは間違いないと思います。
この近くには東博の「弱法師」の下絵などもありました。前期には本図が出ていたようです。
参考記事:博物館に初もうで (東京国立博物館 本館)
また、その先には下村観山の絵画用具やロンドンで親交のあったアーサー・モリスンとの書簡、アーサーから貰ったトマス・ゲインズボローの素描、日記帳、大観からの手紙、西洋美術の図版、留学中の絵葉書などもありました。
53 下村観山 「美人と舎利」
これは2幅対の掛け軸で、右幅は左向きの着物の美女、左幅は直立した右向き骸骨が描かれています。その組み合わせが実に奇妙で、美人は膝から上のやや枠の下の方に描かれているのに対して、骸骨は全身が描かれているのも不思議でした。骸骨はやけにリアルで解剖したものを観たのかも? 特に解説はありませんでしたが、ちょっと気になる作品でした。
65 下村観山 「虎渓三笑」
これは掛け軸で、3人の中国風の男性が並んで立ち、笑いながら会話している様子が描かれています。これは廬山に隠棲していた慧遠法師が来訪した詩人の陶淵明ち道士の陸修静を見送りに行く際、話に夢中になり二度と越えないと誓っていた橋を渡ってしまい、3人で大笑いしたという伝統的な画題で、この作品でも表情豊かに楽しげに表現されています。輪郭の太い所や濃い所があるなど、筆使いの強弱も巧みで、色数は少ないのに生き生きした雰囲気がありました。
59 下村観山 「唐茄子畑」
これは6曲1双の金屏風で、右隻にはカラスと大きな葉っぱの唐茄子の木?とピンクの花の木が描かれ、左隻には竹組したところにカボチャがなっている様子と、樹の下にうずくまる黒い猫が描かれています。どちらも金地に緑の葉っぱが見事で、左隻の葉は一部が黄色く変色した感じまで表現されています。右隻は垂直に線が多いのに対して、左隻は水平や斜めの線が多いなど、構図の対比も面白かったです。
<第4章 再興日本美術院>
最後は晩年までのコーナーです。大正2年に観山は岡倉天心を通じて原三渓に知遇を得て、招きに応じて横浜に移り住みました。原三渓の支援の元で制作を行い、観山が亡くなるまでその交流は続きます。 また、この頃ボストン美術館で活動していた天心が健康の悪化で帰国すると、療養中に赤倉の山荘で亡くなってしまいました。その臨終に際し、観山は大観と共に日本美術院の再興を計画し、その翌年に大観、木村武山、安田靫彦、今村紫紅、小杉未醒らと共に日本美術院を再興しました。そして観山はそれまでの古典研究や西洋画研究の成果を結実させたそうで、この頃の作風としては場面を大きく占める漠然とした空間が特徴で、静けさと高い精神性を湛えているようです。 それ以降の観山は次第に宋元画の枯淡な画風に傾倒していったそうで、今後の方向を予見させる作品を残したようですが、57歳でその生涯を閉じました。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
87 下村観山 「四眠」
これは椅子に座って寝ている老僧のような羅漢と、その膝の上で寝る龍、脇で机に向かってうつ伏せる童子、その上に樹の枝で寝ている鳥 といった4者の眠りが描かれた作品です。普通、四眠は寒山、拾得、豊干禅師、虎の4者が描かれますが、ここには前述の4者に置き換わっています。淡い色彩で優美な曲線で描かれ、安らかな雰囲気でやや異国情緒がありました。
この隣にも寝ている李白を描いた作品があり、中国の高士や故事を描いた作品が並んでいました。
71 下村観山 「弱法師」
これは謡曲「弱法師(よろぼし)」を題材にした2幅対の掛け軸で、夕日に向かって盲目の俊徳丸が手を合わせ極楽浄土を観想している場面となっています。右幅には手を合わせ杖を持つ盲目の男、左幅にはかなり下の方に赤い夕日が描かれ、独特の余白の使い方となっています。これは東博の屏風の同名作品を掛け軸にしたような作品で、空間表現で言えば東博のほうが大胆かも?? これはこれで面白い作品でした。
77 下村観山 「竹林七賢」
これは中国の魏晋時代に俗世を避けて竹林に集まり、老荘思想にふけった7人の隠士を描いた6曲1双の金屏風の作品で、堀塗りという色面と色面の間を堀のように残して線にする技法が使われています。竹林の中で3人が話し合い、左の方でも座っている3人の姿があり、中央に1人が下を指さして何か呼びかけているように見えます。いずれも表情豊かに微笑みを浮かべていて、所々の竹はにじみを使ったたらし込みのような技法が使われるなど、表現や技法の巧みさも伺えました。
121 下村観山 「游魚」
これは水中の木と戯れている魚を描いた作品で、色数は少なく水墨のようにも見えます。解説によるとこの作品を描いた頃、観山は宋元画風の様式に新たな活路を見出し、枯淡な作風を示していたようです。そしてそれは次第に大型化/濃彩化していく同時代の帝展へのアンチテーゼでもあったそうです。その為か詫びた雰囲気の作品となっていました。
118 下村観山 「維摩黙然」
これは2本の指を突き出して遠くを見つめるような老僧と、その脇で蓮の花を盆に入れて差し出す裸婦が描かれています。解説によると、これは釈迦の在家信者で富豪であった維摩を描いたもので、指は「不二法門」(現象的に対立する2つの事象が根本的には一体であることを悟る道)を説いているようです。柔らかいピンクや緑、肌色などの色合いと、背景のソファ(のようなもの)の草花文など、優美な雰囲気がありつつ威厳が感じられました。上から花びらが舞っているのもそう感じさせるのかも。
132 下村観山 「魚籃観音」 ★こちらで観られます
これは中国の故事を題材にした3幅対の作品で、赤い衣の魚商の女性が中央に立ち。その周りに褐色の肌の半裸の男が3人、右側には犬の姿もあります。女性を中心に光輪が広がっているのですが、実はこの女性の正体は魚藍観音で言い寄ってくる男たちに仏経典をよく読むものに嫁ぐと言っているところだそうです。その顔は非常に西洋画的で、ダビンチのモナ・リザを土台にしているらしく、確かにそっくりな顔となっていました。その為かこの作品を出品した時は賛否両論となったそうです。ちょっと日本人の感覚としてはバタ臭いかもw
ということで、見どころの多い展示となっていました。リストを観る限り前期のほうが面白かったのかもしれませんが、十分満足できる内容でした。下村観山はよく観る画家だけに今後の参考にもなるそうです。
参照記事:★この記事を参照している記事
前編はこちら

【展覧名】
生誕140年記念 下村観山展
【公式サイト】
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2013/kanzan/
http://www.yaf.or.jp/yma/archive/2014/4032.php
【会場】横浜美術館
【最寄】JR桜木町駅/みなとみらい線みなとみらい駅
【会期】2013年12月7日(土)~2014年2月11日(祝・火)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では3章のヨーロッパへの留学までご紹介しましたが、後編は文展の審査員となった頃から晩年にかけてのコーナーです。
<第3章 ヨーロッパ留学と文展>
48 下村観山 「木の間の秋」 ★こちらで観られます
これは2曲1双の金地の屏風で、左右ともに直立する木々と緑の草が描かれ、手前は濃く奥は薄い空気遠近法を使っています。木には蔓や苔のようなものが付き風格を感じさせ、葉っぱの葉脈を金で描くなど装飾的な表現が見られます。これは五浦の研究所で西洋の顔料を使ったそうで、緻密な写実性と装飾性があるのは英国の美術と日本美術の両方からの影響があるのかも?? 神秘的ですらある作品でした。
下村観山 「小倉山」 ★こちらで観られます
これは横浜美術館が誇るコレクションで、6曲1双の金屏風に赤く紅葉した木々の中に烏帽子の男性が座っている様子が描かれています。これは小倉百人一首の藤原忠心(貞信公)が詠った歌の歌意を描いているそうで、金地に緑や赤が映えて大和絵的な色合いと琳派的な雰囲気があります。左右の隻は上部では繋がっているのに下部では繋がりがないのが不思議で、確かあの世とこの世の境であるという説があったと記憶しています。(1つの解釈なので正しいかは分かりませんが) いずれにせよ、観山の傑作であるのは間違いないと思います。
この近くには東博の「弱法師」の下絵などもありました。前期には本図が出ていたようです。
参考記事:博物館に初もうで (東京国立博物館 本館)
また、その先には下村観山の絵画用具やロンドンで親交のあったアーサー・モリスンとの書簡、アーサーから貰ったトマス・ゲインズボローの素描、日記帳、大観からの手紙、西洋美術の図版、留学中の絵葉書などもありました。
53 下村観山 「美人と舎利」
これは2幅対の掛け軸で、右幅は左向きの着物の美女、左幅は直立した右向き骸骨が描かれています。その組み合わせが実に奇妙で、美人は膝から上のやや枠の下の方に描かれているのに対して、骸骨は全身が描かれているのも不思議でした。骸骨はやけにリアルで解剖したものを観たのかも? 特に解説はありませんでしたが、ちょっと気になる作品でした。
65 下村観山 「虎渓三笑」
これは掛け軸で、3人の中国風の男性が並んで立ち、笑いながら会話している様子が描かれています。これは廬山に隠棲していた慧遠法師が来訪した詩人の陶淵明ち道士の陸修静を見送りに行く際、話に夢中になり二度と越えないと誓っていた橋を渡ってしまい、3人で大笑いしたという伝統的な画題で、この作品でも表情豊かに楽しげに表現されています。輪郭の太い所や濃い所があるなど、筆使いの強弱も巧みで、色数は少ないのに生き生きした雰囲気がありました。
59 下村観山 「唐茄子畑」
これは6曲1双の金屏風で、右隻にはカラスと大きな葉っぱの唐茄子の木?とピンクの花の木が描かれ、左隻には竹組したところにカボチャがなっている様子と、樹の下にうずくまる黒い猫が描かれています。どちらも金地に緑の葉っぱが見事で、左隻の葉は一部が黄色く変色した感じまで表現されています。右隻は垂直に線が多いのに対して、左隻は水平や斜めの線が多いなど、構図の対比も面白かったです。
<第4章 再興日本美術院>
最後は晩年までのコーナーです。大正2年に観山は岡倉天心を通じて原三渓に知遇を得て、招きに応じて横浜に移り住みました。原三渓の支援の元で制作を行い、観山が亡くなるまでその交流は続きます。 また、この頃ボストン美術館で活動していた天心が健康の悪化で帰国すると、療養中に赤倉の山荘で亡くなってしまいました。その臨終に際し、観山は大観と共に日本美術院の再興を計画し、その翌年に大観、木村武山、安田靫彦、今村紫紅、小杉未醒らと共に日本美術院を再興しました。そして観山はそれまでの古典研究や西洋画研究の成果を結実させたそうで、この頃の作風としては場面を大きく占める漠然とした空間が特徴で、静けさと高い精神性を湛えているようです。 それ以降の観山は次第に宋元画の枯淡な画風に傾倒していったそうで、今後の方向を予見させる作品を残したようですが、57歳でその生涯を閉じました。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
87 下村観山 「四眠」
これは椅子に座って寝ている老僧のような羅漢と、その膝の上で寝る龍、脇で机に向かってうつ伏せる童子、その上に樹の枝で寝ている鳥 といった4者の眠りが描かれた作品です。普通、四眠は寒山、拾得、豊干禅師、虎の4者が描かれますが、ここには前述の4者に置き換わっています。淡い色彩で優美な曲線で描かれ、安らかな雰囲気でやや異国情緒がありました。
この隣にも寝ている李白を描いた作品があり、中国の高士や故事を描いた作品が並んでいました。
71 下村観山 「弱法師」
これは謡曲「弱法師(よろぼし)」を題材にした2幅対の掛け軸で、夕日に向かって盲目の俊徳丸が手を合わせ極楽浄土を観想している場面となっています。右幅には手を合わせ杖を持つ盲目の男、左幅にはかなり下の方に赤い夕日が描かれ、独特の余白の使い方となっています。これは東博の屏風の同名作品を掛け軸にしたような作品で、空間表現で言えば東博のほうが大胆かも?? これはこれで面白い作品でした。
77 下村観山 「竹林七賢」
これは中国の魏晋時代に俗世を避けて竹林に集まり、老荘思想にふけった7人の隠士を描いた6曲1双の金屏風の作品で、堀塗りという色面と色面の間を堀のように残して線にする技法が使われています。竹林の中で3人が話し合い、左の方でも座っている3人の姿があり、中央に1人が下を指さして何か呼びかけているように見えます。いずれも表情豊かに微笑みを浮かべていて、所々の竹はにじみを使ったたらし込みのような技法が使われるなど、表現や技法の巧みさも伺えました。
121 下村観山 「游魚」
これは水中の木と戯れている魚を描いた作品で、色数は少なく水墨のようにも見えます。解説によるとこの作品を描いた頃、観山は宋元画風の様式に新たな活路を見出し、枯淡な作風を示していたようです。そしてそれは次第に大型化/濃彩化していく同時代の帝展へのアンチテーゼでもあったそうです。その為か詫びた雰囲気の作品となっていました。
118 下村観山 「維摩黙然」
これは2本の指を突き出して遠くを見つめるような老僧と、その脇で蓮の花を盆に入れて差し出す裸婦が描かれています。解説によると、これは釈迦の在家信者で富豪であった維摩を描いたもので、指は「不二法門」(現象的に対立する2つの事象が根本的には一体であることを悟る道)を説いているようです。柔らかいピンクや緑、肌色などの色合いと、背景のソファ(のようなもの)の草花文など、優美な雰囲気がありつつ威厳が感じられました。上から花びらが舞っているのもそう感じさせるのかも。
132 下村観山 「魚籃観音」 ★こちらで観られます
これは中国の故事を題材にした3幅対の作品で、赤い衣の魚商の女性が中央に立ち。その周りに褐色の肌の半裸の男が3人、右側には犬の姿もあります。女性を中心に光輪が広がっているのですが、実はこの女性の正体は魚藍観音で言い寄ってくる男たちに仏経典をよく読むものに嫁ぐと言っているところだそうです。その顔は非常に西洋画的で、ダビンチのモナ・リザを土台にしているらしく、確かにそっくりな顔となっていました。その為かこの作品を出品した時は賛否両論となったそうです。ちょっと日本人の感覚としてはバタ臭いかもw
ということで、見どころの多い展示となっていました。リストを観る限り前期のほうが面白かったのかもしれませんが、十分満足できる内容でした。下村観山はよく観る画家だけに今後の参考にもなるそうです。
参照記事:★この記事を参照している記事
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前回ご紹介したお店に行く前に、桜木町の横浜美術館で「生誕140年記念 下村観山展」を観てきました。この展示は既に終了していますが、参考になる展示だったので前編・後編に分けてご紹介しようと思います。なお、この展示は前期・後期に期間が分かれていて、私が観たのは後期の内容でした。

【展覧名】
生誕140年記念 下村観山展
【公式サイト】
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2013/kanzan/
http://www.yaf.or.jp/yma/archive/2014/4032.php
【会場】横浜美術館
【最寄】JR桜木町駅/みなとみらい線みなとみらい駅
【会期】2013年12月7日(土)~2014年2月11日(祝・火)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
混んでいて、あちこちで人だかりができるような感じでした。
さて、今回の展示は近代の日本画草創期を牽引した日本美術院を代表する画家 下村観山の生誕140年を記念したものとなっていました。下村観山は代々 紀州藩徳川家に仕えた能楽師の名門の出身で、幼くして狩野芳崖や橋本雅邦の元で研鑽を積み、13歳で描いた絵が注目され早くから将来を嘱望されていたようです。明治22年(1889年)に16歳で東京美術学校の第1期生となり、横山大観らと共に岡倉天心の薫陶を受けることになりました。古典に通じ優れた描写力を持っていた観山は天心から期待され、天心の指導に最も応えたのが観山と言われているそうです。その後、文部省から2年の英国留学を命ぜられた観山は明治36年(1903年)にロンドンへ旅立ち、西洋画の描法や色彩論の研究に力を注ぎました。そしてその研究の成果も踏まえ、大和絵の伝統と巧みな描写を駆使しながら気品ある日本画を発表していき、後進達の目標となるような画家となっていきました。観山は岡倉天心の紹介で原三渓に知遇を得て、1912年に横浜に居を移し、そこを終の棲家としています。原三渓は古美術に造詣が深く、観山の創作を支援していたそうで、横浜は観山ゆかりの地と言えそうです。展覧会は時代ごとに4つの章に分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品をご紹介していこうと思います。
参考記事:
再興院展100年記念 速水御舟-日本美術院の精鋭たち- (山種美術館)
横山大観展:良き師、良き友-師:岡倉天心、そして紫紅、未醒、芋銭、溪仙らとの出会い感想前編(横浜美術館)
横山大観展:良き師、良き友-師:岡倉天心、そして紫紅、未醒、芋銭、溪仙らとの出会い感想後編(横浜美術館)
三渓園の写真 (2013年6月 外苑編)
<第1章 狩野派の修行>
まずは修行時代の作品です。下村観山(本名 清三郎)は紀州藩 小鼓方幸流の能楽師の家系である下村家に養子に入った父と、小鼓方幸清流の家に生まれた母の3男として和歌山で生まれました。幕藩体制の崩壊によって8歳の時に上京し、祖父の友人であった藤島常興に絵の手ほどきを受けるようになり(絵画修業は明治15年9歳の頃から始まった)、この頃謡曲も始めたようです。常興はほどなく狩野派の狩野芳崖に清三郎を託し、芳崖はその画才を認め、北心斉東秀の号を与えました。この頃の作品はすでに懸腕直筆(筆を垂直に持って肘を机から離し、さらに腕を脇から話して構える筆法)による狩野派特有の線描を忠実に示しているようです。また、明治19年になると制作に多忙を極めた芳崖は同門の盟友である橋本雅邦に北心斉東秀(観山)を紹介し、師事させました。そしてこの年、フェノロサが主催し橋本雅邦が所属していた鑑画会に「雪景山水図」を出品すると、わずか13歳にして老練した画家の筆を思わせる才能が話題となり絶賛されたそうです。ここにはそうした若い頃(というか子供の頃)の作品から並んでいました。
6 下村観山 「許由」
これは北心斉の号が入っている作品で、許由が滝で耳を洗っている場面が描かれています。これは狩野派の粉本模写らしく、輪郭の表現などからは狩野派らしさが感じられます。製作年からして11歳の時かな? これを小学生くらいの時に描いたとは信じられないほどの描写力で濃淡も見事でした。
16 下村観山 「森狙仙 画[猿図]模写」
こちらも模写で、江戸時代に猿の絵で名を馳せた森狙仙の作品を写しています。森狙仙は猿の毛並みを精緻に描いて評価されていたのですが、この絵でも毛並みを絶妙な濃淡と細かい線で表現し、フワフワとした感じを出していました。これは17歳の頃の模写ですが、恐ろしく非凡なのがよく分かります。
この近くには羅漢を描いた作品などもありました。
<第2章 東京美術学校から初期日本美術院>
東京美術学校が開校すると、観山は横山大観らと共に第1期生として入学し、天心の薫陶を受けることとなりました。観山の画号はこの時から使い始めたらしく、天心から与えられたと考えられるようです。美校では再び狩野派の筆法の修練から始めることとなったそうですが、既に一角の画家であった観山は大和絵の研究にも励み、独自の画風を創り出していきます。卒業後はすぐに助教授となって後進の指導にあたりながら作画に励んだそうで、明治29年に天心が組織した日本絵画教会に参加しました。その後、明治31年に天心が東京美術学校の校長の職を追われてしまうと、観山は天心に順じて橋本雅邦、横山大観、菱田春草らと共に学校を去り日本美術院を立ち上げました。第1回展では大観と共に最高賞の銀杯を受賞したそうで、初期の日本美術院は輪郭を用いずにぼかしを伴う「朦朧体」と揶揄された技法が使われていたようです。その中で観山は古典的な傾向と朦朧体に寄った傾向に同時に取り組み、堅実な歩みを進めていったようです。ここにはそうした学生時代から日本美術院設立頃までの作品が並んでいました。
24 下村観山 「熊野観花」 ★こちらで観られます
これは卒業制作の作品で、平宗盛の妾が病気の母に会いに行くことを許してもらえず、清水寺に花見に赴く途中に重い足取りで牛車を降りる場面が描かれています。茶色っぽい背景に薄い色合いで牛車から降りる十二単の女性が描かれ、周りには大勢の人の姿があり賑わっているようです。大勢の人がいるにも関わらず1人1人の動きや表情が豊かに描かれ、モノトーンな背景に対して明るい色合いなこともあってか人々に目が行きました。高い構成力・描写力が伺える作品でした。
30 下村観山 「蒙古調伏曼荼羅授与之図」
これは掛け軸で、龍が描かれた絵を背景に数珠を持った僧が、座った烏帽子の若い武士と向き合っている様子が描かれています。その脇には2人の弟子らしき人物もいて、周りには大勢の聴衆の姿もあります。解説によると、これは蒙古調伏のための大旗曼荼羅を作った日蓮が説法して激励している様子らしく、背後の人々は薄い色なのに対して手前の武士は濃い色彩で存在感があります。また、左下の表装部分にはみ出しているような表現となっているのが、立体感を増しているように思いました。
38 下村観山 「春秋鹿図」
これは6曲1双の屏風で、右隻は藤の垂れ下がる木の下にいる鹿、左隻は白い菊?がたくさん並ぶ花畑に立つ2頭の鹿が描かれています。右の春の鹿は穏やかそうで、濃淡や線で表された毛並みは柔らかそうに見えます。木々も細部が描かれていないなどぼんやりとした感じを受けました。一方、左隻は左から右に向かって風が吹いているように花がしなっていて、2頭の鹿の目がキリッとしているなど、動的かつ威厳を感じる画面となっていました。季節も表現も対になる面白い作品です。
<第3章 ヨーロッパ留学と文展>
続いてはヨーロッパ留学と文展についてのコーナーです。観山は明治34年に教授として東京美術学校に復帰し、その2年後に文部省から2年間のイギリス留学を命ぜられました。観山はそのほとんどの期間をロンドンで過ごし、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡遊した後、明治38年に帰国しました。滞欧中は色彩の研究を目的として西洋画の研究や模写を行ったそうです。その一方で日本美術院の活動は次第に停滞し、明治36年には立ち行かなくなり、観山帰国後の明治39年に天心の別荘のある茨木の五浦に拠点を移し、観山も転居することとなりました。 その後、明治40年になると文部省美術展覧会(文展)が設立されると、観山は審査員として出品し、琳派を思わせる装飾性を見せ高い評価を得ました。やがて文展の中で新派・旧派の対立が起きると、天心を会長とする新派の国画玉成会が設立され、観山はそちらにも参加し古典研究の成果を発揮したそうです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
参考記事:五浦六角堂再建記念 五浦と岡倉天心の遺産展 (日本橋タカシマヤ)
45 下村観山 「ナイト・エラント(ミレイの模写)」
これはラファエル前派のミレイの作品の模写で、木に縛られた裸婦を甲冑の騎士が剣で縄を切って助けている様子が描かれています。これはオリジナルと見まごうほどのクオリティで、水彩なのに甲冑の質感や裸婦の肉感などが見事に表現されていました。
47 下村観山 「まひわの聖母(ラファエロの模写)」
これはルネサンス期の巨匠ラファエロの模写で、掛け軸仕立てになっています。本を持った赤と青の服のマリアが赤ん坊のキリストと洗礼者ヨハネの肩を抱き寄せているような姿で、これも油彩のような強い色彩に驚きます。ひと目でラファエロと分かるほどに画風が似ていて、緻密描く優美な雰囲気が特に見事でした。
ということで、3章の途中ですがこの辺で半分くらいなので今日はここまでにしておこうと思います。今年は日本美術院に関する展示の当たり年となっていて、各地で開催されますので、その中でも有力な観山を知っておくと、それらの展示もより有意義なものになると思います。後半も見どころになる作品がありましたので、次回はそれについて書いていこうと思います。
参照記事:★この記事を参照している記事

【展覧名】
生誕140年記念 下村観山展
【公式サイト】
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2013/kanzan/
http://www.yaf.or.jp/yma/archive/2014/4032.php
【会場】横浜美術館
【最寄】JR桜木町駅/みなとみらい線みなとみらい駅
【会期】2013年12月7日(土)~2014年2月11日(祝・火)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
混んでいて、あちこちで人だかりができるような感じでした。
さて、今回の展示は近代の日本画草創期を牽引した日本美術院を代表する画家 下村観山の生誕140年を記念したものとなっていました。下村観山は代々 紀州藩徳川家に仕えた能楽師の名門の出身で、幼くして狩野芳崖や橋本雅邦の元で研鑽を積み、13歳で描いた絵が注目され早くから将来を嘱望されていたようです。明治22年(1889年)に16歳で東京美術学校の第1期生となり、横山大観らと共に岡倉天心の薫陶を受けることになりました。古典に通じ優れた描写力を持っていた観山は天心から期待され、天心の指導に最も応えたのが観山と言われているそうです。その後、文部省から2年の英国留学を命ぜられた観山は明治36年(1903年)にロンドンへ旅立ち、西洋画の描法や色彩論の研究に力を注ぎました。そしてその研究の成果も踏まえ、大和絵の伝統と巧みな描写を駆使しながら気品ある日本画を発表していき、後進達の目標となるような画家となっていきました。観山は岡倉天心の紹介で原三渓に知遇を得て、1912年に横浜に居を移し、そこを終の棲家としています。原三渓は古美術に造詣が深く、観山の創作を支援していたそうで、横浜は観山ゆかりの地と言えそうです。展覧会は時代ごとに4つの章に分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品をご紹介していこうと思います。
参考記事:
再興院展100年記念 速水御舟-日本美術院の精鋭たち- (山種美術館)
横山大観展:良き師、良き友-師:岡倉天心、そして紫紅、未醒、芋銭、溪仙らとの出会い感想前編(横浜美術館)
横山大観展:良き師、良き友-師:岡倉天心、そして紫紅、未醒、芋銭、溪仙らとの出会い感想後編(横浜美術館)
三渓園の写真 (2013年6月 外苑編)
<第1章 狩野派の修行>
まずは修行時代の作品です。下村観山(本名 清三郎)は紀州藩 小鼓方幸流の能楽師の家系である下村家に養子に入った父と、小鼓方幸清流の家に生まれた母の3男として和歌山で生まれました。幕藩体制の崩壊によって8歳の時に上京し、祖父の友人であった藤島常興に絵の手ほどきを受けるようになり(絵画修業は明治15年9歳の頃から始まった)、この頃謡曲も始めたようです。常興はほどなく狩野派の狩野芳崖に清三郎を託し、芳崖はその画才を認め、北心斉東秀の号を与えました。この頃の作品はすでに懸腕直筆(筆を垂直に持って肘を机から離し、さらに腕を脇から話して構える筆法)による狩野派特有の線描を忠実に示しているようです。また、明治19年になると制作に多忙を極めた芳崖は同門の盟友である橋本雅邦に北心斉東秀(観山)を紹介し、師事させました。そしてこの年、フェノロサが主催し橋本雅邦が所属していた鑑画会に「雪景山水図」を出品すると、わずか13歳にして老練した画家の筆を思わせる才能が話題となり絶賛されたそうです。ここにはそうした若い頃(というか子供の頃)の作品から並んでいました。
6 下村観山 「許由」
これは北心斉の号が入っている作品で、許由が滝で耳を洗っている場面が描かれています。これは狩野派の粉本模写らしく、輪郭の表現などからは狩野派らしさが感じられます。製作年からして11歳の時かな? これを小学生くらいの時に描いたとは信じられないほどの描写力で濃淡も見事でした。
16 下村観山 「森狙仙 画[猿図]模写」
こちらも模写で、江戸時代に猿の絵で名を馳せた森狙仙の作品を写しています。森狙仙は猿の毛並みを精緻に描いて評価されていたのですが、この絵でも毛並みを絶妙な濃淡と細かい線で表現し、フワフワとした感じを出していました。これは17歳の頃の模写ですが、恐ろしく非凡なのがよく分かります。
この近くには羅漢を描いた作品などもありました。
<第2章 東京美術学校から初期日本美術院>
東京美術学校が開校すると、観山は横山大観らと共に第1期生として入学し、天心の薫陶を受けることとなりました。観山の画号はこの時から使い始めたらしく、天心から与えられたと考えられるようです。美校では再び狩野派の筆法の修練から始めることとなったそうですが、既に一角の画家であった観山は大和絵の研究にも励み、独自の画風を創り出していきます。卒業後はすぐに助教授となって後進の指導にあたりながら作画に励んだそうで、明治29年に天心が組織した日本絵画教会に参加しました。その後、明治31年に天心が東京美術学校の校長の職を追われてしまうと、観山は天心に順じて橋本雅邦、横山大観、菱田春草らと共に学校を去り日本美術院を立ち上げました。第1回展では大観と共に最高賞の銀杯を受賞したそうで、初期の日本美術院は輪郭を用いずにぼかしを伴う「朦朧体」と揶揄された技法が使われていたようです。その中で観山は古典的な傾向と朦朧体に寄った傾向に同時に取り組み、堅実な歩みを進めていったようです。ここにはそうした学生時代から日本美術院設立頃までの作品が並んでいました。
24 下村観山 「熊野観花」 ★こちらで観られます
これは卒業制作の作品で、平宗盛の妾が病気の母に会いに行くことを許してもらえず、清水寺に花見に赴く途中に重い足取りで牛車を降りる場面が描かれています。茶色っぽい背景に薄い色合いで牛車から降りる十二単の女性が描かれ、周りには大勢の人の姿があり賑わっているようです。大勢の人がいるにも関わらず1人1人の動きや表情が豊かに描かれ、モノトーンな背景に対して明るい色合いなこともあってか人々に目が行きました。高い構成力・描写力が伺える作品でした。
30 下村観山 「蒙古調伏曼荼羅授与之図」
これは掛け軸で、龍が描かれた絵を背景に数珠を持った僧が、座った烏帽子の若い武士と向き合っている様子が描かれています。その脇には2人の弟子らしき人物もいて、周りには大勢の聴衆の姿もあります。解説によると、これは蒙古調伏のための大旗曼荼羅を作った日蓮が説法して激励している様子らしく、背後の人々は薄い色なのに対して手前の武士は濃い色彩で存在感があります。また、左下の表装部分にはみ出しているような表現となっているのが、立体感を増しているように思いました。
38 下村観山 「春秋鹿図」
これは6曲1双の屏風で、右隻は藤の垂れ下がる木の下にいる鹿、左隻は白い菊?がたくさん並ぶ花畑に立つ2頭の鹿が描かれています。右の春の鹿は穏やかそうで、濃淡や線で表された毛並みは柔らかそうに見えます。木々も細部が描かれていないなどぼんやりとした感じを受けました。一方、左隻は左から右に向かって風が吹いているように花がしなっていて、2頭の鹿の目がキリッとしているなど、動的かつ威厳を感じる画面となっていました。季節も表現も対になる面白い作品です。
<第3章 ヨーロッパ留学と文展>
続いてはヨーロッパ留学と文展についてのコーナーです。観山は明治34年に教授として東京美術学校に復帰し、その2年後に文部省から2年間のイギリス留学を命ぜられました。観山はそのほとんどの期間をロンドンで過ごし、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡遊した後、明治38年に帰国しました。滞欧中は色彩の研究を目的として西洋画の研究や模写を行ったそうです。その一方で日本美術院の活動は次第に停滞し、明治36年には立ち行かなくなり、観山帰国後の明治39年に天心の別荘のある茨木の五浦に拠点を移し、観山も転居することとなりました。 その後、明治40年になると文部省美術展覧会(文展)が設立されると、観山は審査員として出品し、琳派を思わせる装飾性を見せ高い評価を得ました。やがて文展の中で新派・旧派の対立が起きると、天心を会長とする新派の国画玉成会が設立され、観山はそちらにも参加し古典研究の成果を発揮したそうです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
参考記事:五浦六角堂再建記念 五浦と岡倉天心の遺産展 (日本橋タカシマヤ)
45 下村観山 「ナイト・エラント(ミレイの模写)」
これはラファエル前派のミレイの作品の模写で、木に縛られた裸婦を甲冑の騎士が剣で縄を切って助けている様子が描かれています。これはオリジナルと見まごうほどのクオリティで、水彩なのに甲冑の質感や裸婦の肉感などが見事に表現されていました。
47 下村観山 「まひわの聖母(ラファエロの模写)」
これはルネサンス期の巨匠ラファエロの模写で、掛け軸仕立てになっています。本を持った赤と青の服のマリアが赤ん坊のキリストと洗礼者ヨハネの肩を抱き寄せているような姿で、これも油彩のような強い色彩に驚きます。ひと目でラファエロと分かるほどに画風が似ていて、緻密描く優美な雰囲気が特に見事でした。
ということで、3章の途中ですがこの辺で半分くらいなので今日はここまでにしておこうと思います。今年は日本美術院に関する展示の当たり年となっていて、各地で開催されますので、その中でも有力な観山を知っておくと、それらの展示もより有意義なものになると思います。後半も見どころになる作品がありましたので、次回はそれについて書いていこうと思います。
参照記事:★この記事を参照している記事
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今日は前回に引き続き東京国立近代美術館の「ジョセフ・クーデルカ展」についてです。(この展示は既に終了しています) 前編は初期からご紹介しておりますので、前編をお読み頂いていない方は前編から読んで頂けると嬉しいです。
前編はこちら

【展覧名】
ジョセフ・クーデルカ展
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/
【会場】東京国立近代美術館
【最寄】竹橋駅
【会期】2013年11月6日(水)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では亡命前の初期の作品をご紹介しましたが、後編はワルシャワ条約機構軍の侵攻の前後から現在に至るまでの時代についてです。
<4 ジプシーズ Gypsies 1962-1970>
「ジプシーズ」はジョセフ・クーデルカの最初の大きなテーマを持った連作で、ほとんどは1960年代に主としてスロバキアとルーマニアにあるロマ(ジプシー)の居留地で撮影されました。これには膨大な写真が含まれ、その中にはドキュメンタリーもあれば個々の独立した作品、複数の写真で構成されるフォトストーリーなど様々なものがあるようです。 そしてこのシリーズでは同時期の演劇写真と同様に現実を生き生きとした可塑的で可変的な素材として扱い、彼自身の作品として明確な形を与えていたようです。シリーズの初期に撮影された写真は1967年に「門のむこう」劇場のロビーで展示されたそうで、現在ではこの作品は写真史における古典の1つと位置づけられているようです。なお、この作品はジプシーについて正確かつ客観的に記録したものではないそうですが、写真家の個人的なヴィジョンとして提示されたものが並んでいました。
タイトル通りいずれもロマの人々を撮った作品で、家族と一緒にいたり楽器を演奏している姿が撮られ、意外と家の中を撮った写真が多く放浪している感じはしません(居留地だからかな) 特に子供の写真が多くて、生き生きとした感じが伝わってくるのですが、一方ではどこか寂しげで儚い印象も受けました。結構写真に向かってポーズをとっていたり、抱き合ったりしているので生活をそのまま撮ったというよりはカメラを向けて若干演出している感じもするかな。 また、このシリーズは実験的なものや劇場を撮ったものなどの抽象的な作風とは違い、くっきりと写実的な作風となっていました。
<5 侵攻 Invasion 1968>
続いてはジョセフ・クーデルカの運命を大きく変えたワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮った作品のコーナーです。(ここは点数少なめ) 「侵攻」はジョセフ・クーデルカの中でも最も写実性の高い作品で、プラハの春と呼ばれるチェコスロバキアにおける政治改革(自由改革)を抑えこむために1968年8月にソ連を主とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入した様子を捉えています。このシリーズの目的はその軍事介入を可能な限り正確に伝えるためにあり、プラハ侵攻1周年に際して初めて各国の雑誌に匿名で掲載されました。ジョセフ・クーデルカはジャーナリストではありませんが、このシリーズは第二次大戦以降のフォトジャーナリズムにおいて最高傑作の1つと評されるほどらしく、彼の写真はチェコスロバキアの悲劇に留まらずあらゆる地域の軍事介入のシンボルとなっていきました。 しかし一連の作品は本国チェコスロバキアでは1990年まで発表されることは無かったそうで、彼自身もこの作品を発表後に亡命するなど、当時は非常に苦しい立場だったことが伺えます。
参考記事:ジョセフ・クーデルカ 「プラハ1968」 (東京都写真美術館)
街中の戦車をじっとみているアパートの人たち、兵士に抗議をする人、旗を持って歩く英雄的な人、市民に銃を構える兵士など、劇的で憤りや不安が見事に表われた写真が並んでいました。とは言え、この章だけ点数が少なめだったのはちょっと残念。
<6 エグザイルズ Exiles 1970-1994>
続いては漂流者を意味する「エグザイル」のシリーズです。流浪という支店はクーデルカの作品世界を新たな段階へと導いたそうで、プラハ侵攻をきっかけに1970年にイギリスに亡命した亡命者の視点から捉えられた写真は、ノスタルジーや内省、疎外感に満ちていて、切り離され追放された立場の自らの感情を吐露しているようです。
このシリーズは写実性が高いものの たまに影絵のような作品もあり、かつての初期の作風を彷彿とさせるものもありました。 打ち捨てられた材木、ベンチで死んだように寝る人、暗闇に舞い散る雪、切り刻まれた人物のポスター、長い影の人々、誰もいない町の中のヤギ、片足がなく杖をつく人の後ろ姿、うらぶれた路地、逆さ吊りになった鳥、何もない草原 などとにかく寂しげなものが多く、漠然とした不安を覚えるモチーフが主となっています。構図の面白さはあるものの、内面的な部分が強調されているように思いました。
<7 カオス Chaos 1986-2012>
最後は現在に至るまでのコーナーです。ジョセフ・クーデルカは1986年からパノラマカメラを使い始めたそうで、それによって彼のスタイルは根本的な変化がもたらされました。 その成果の1つが破局にある自然の風景を捉えた黙示録的な写真シリーズで、それは永劫に消滅しつつある世界についての暗い前兆・警告というべきものを提示したようです。このシリーズはカオスという表題の元にゆるやかにまとめられ、人間と環境の間の関係のもろさを示すと同時に、破壊を恐れつつ魅了されもする人間の性向を表しているようです。
ここには大型の作品が多く、自然の雄大さを感じるものもあれば、廃墟や古代文明の遺跡などもあり、確かにテーマは多様に感じられました。ギリシアの倒れて分解した石柱や、イスラエルの靄に包まれた戦車、フランスの激しい波の海と堤防、イスラエルの壁の壊れた家と荒野、ドイツの尾根と谷が幾重にも並んだ山、イギリスの長い↑矢印(ポスターにもなった作品)、ごみだらけの川、レバノンの破壊されたマンションのような建物とその前の道を歩く人など その大半は荒涼として寒々しい感じを受けました。カオスというよりはまさに黙示録と言えるのではないかな。エグザイルと根底は同じようにも思えました。
ということで、以前観たプラハ侵攻関連の写真展以降 気になっていた写真家だっただけに今回はそれ以外の作品も多数観られて貴重な機会でした。てっきり報道写真がメインなのかと思っていましたが、ジプシーやエグザイルを観るとそれだけではないことがよく分かりました。もうこの展示は終わってしまいましたが、今後も注目したい写真家です。
参照記事:★この記事を参照している記事
前編はこちら

【展覧名】
ジョセフ・クーデルカ展
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/
【会場】東京国立近代美術館
【最寄】竹橋駅
【会期】2013年11月6日(水)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では亡命前の初期の作品をご紹介しましたが、後編はワルシャワ条約機構軍の侵攻の前後から現在に至るまでの時代についてです。
<4 ジプシーズ Gypsies 1962-1970>
「ジプシーズ」はジョセフ・クーデルカの最初の大きなテーマを持った連作で、ほとんどは1960年代に主としてスロバキアとルーマニアにあるロマ(ジプシー)の居留地で撮影されました。これには膨大な写真が含まれ、その中にはドキュメンタリーもあれば個々の独立した作品、複数の写真で構成されるフォトストーリーなど様々なものがあるようです。 そしてこのシリーズでは同時期の演劇写真と同様に現実を生き生きとした可塑的で可変的な素材として扱い、彼自身の作品として明確な形を与えていたようです。シリーズの初期に撮影された写真は1967年に「門のむこう」劇場のロビーで展示されたそうで、現在ではこの作品は写真史における古典の1つと位置づけられているようです。なお、この作品はジプシーについて正確かつ客観的に記録したものではないそうですが、写真家の個人的なヴィジョンとして提示されたものが並んでいました。
タイトル通りいずれもロマの人々を撮った作品で、家族と一緒にいたり楽器を演奏している姿が撮られ、意外と家の中を撮った写真が多く放浪している感じはしません(居留地だからかな) 特に子供の写真が多くて、生き生きとした感じが伝わってくるのですが、一方ではどこか寂しげで儚い印象も受けました。結構写真に向かってポーズをとっていたり、抱き合ったりしているので生活をそのまま撮ったというよりはカメラを向けて若干演出している感じもするかな。 また、このシリーズは実験的なものや劇場を撮ったものなどの抽象的な作風とは違い、くっきりと写実的な作風となっていました。
<5 侵攻 Invasion 1968>
続いてはジョセフ・クーデルカの運命を大きく変えたワルシャワ条約機構軍のプラハ侵攻を撮った作品のコーナーです。(ここは点数少なめ) 「侵攻」はジョセフ・クーデルカの中でも最も写実性の高い作品で、プラハの春と呼ばれるチェコスロバキアにおける政治改革(自由改革)を抑えこむために1968年8月にソ連を主とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入した様子を捉えています。このシリーズの目的はその軍事介入を可能な限り正確に伝えるためにあり、プラハ侵攻1周年に際して初めて各国の雑誌に匿名で掲載されました。ジョセフ・クーデルカはジャーナリストではありませんが、このシリーズは第二次大戦以降のフォトジャーナリズムにおいて最高傑作の1つと評されるほどらしく、彼の写真はチェコスロバキアの悲劇に留まらずあらゆる地域の軍事介入のシンボルとなっていきました。 しかし一連の作品は本国チェコスロバキアでは1990年まで発表されることは無かったそうで、彼自身もこの作品を発表後に亡命するなど、当時は非常に苦しい立場だったことが伺えます。
参考記事:ジョセフ・クーデルカ 「プラハ1968」 (東京都写真美術館)
街中の戦車をじっとみているアパートの人たち、兵士に抗議をする人、旗を持って歩く英雄的な人、市民に銃を構える兵士など、劇的で憤りや不安が見事に表われた写真が並んでいました。とは言え、この章だけ点数が少なめだったのはちょっと残念。
<6 エグザイルズ Exiles 1970-1994>
続いては漂流者を意味する「エグザイル」のシリーズです。流浪という支店はクーデルカの作品世界を新たな段階へと導いたそうで、プラハ侵攻をきっかけに1970年にイギリスに亡命した亡命者の視点から捉えられた写真は、ノスタルジーや内省、疎外感に満ちていて、切り離され追放された立場の自らの感情を吐露しているようです。
このシリーズは写実性が高いものの たまに影絵のような作品もあり、かつての初期の作風を彷彿とさせるものもありました。 打ち捨てられた材木、ベンチで死んだように寝る人、暗闇に舞い散る雪、切り刻まれた人物のポスター、長い影の人々、誰もいない町の中のヤギ、片足がなく杖をつく人の後ろ姿、うらぶれた路地、逆さ吊りになった鳥、何もない草原 などとにかく寂しげなものが多く、漠然とした不安を覚えるモチーフが主となっています。構図の面白さはあるものの、内面的な部分が強調されているように思いました。
<7 カオス Chaos 1986-2012>
最後は現在に至るまでのコーナーです。ジョセフ・クーデルカは1986年からパノラマカメラを使い始めたそうで、それによって彼のスタイルは根本的な変化がもたらされました。 その成果の1つが破局にある自然の風景を捉えた黙示録的な写真シリーズで、それは永劫に消滅しつつある世界についての暗い前兆・警告というべきものを提示したようです。このシリーズはカオスという表題の元にゆるやかにまとめられ、人間と環境の間の関係のもろさを示すと同時に、破壊を恐れつつ魅了されもする人間の性向を表しているようです。
ここには大型の作品が多く、自然の雄大さを感じるものもあれば、廃墟や古代文明の遺跡などもあり、確かにテーマは多様に感じられました。ギリシアの倒れて分解した石柱や、イスラエルの靄に包まれた戦車、フランスの激しい波の海と堤防、イスラエルの壁の壊れた家と荒野、ドイツの尾根と谷が幾重にも並んだ山、イギリスの長い↑矢印(ポスターにもなった作品)、ごみだらけの川、レバノンの破壊されたマンションのような建物とその前の道を歩く人など その大半は荒涼として寒々しい感じを受けました。カオスというよりはまさに黙示録と言えるのではないかな。エグザイルと根底は同じようにも思えました。
ということで、以前観たプラハ侵攻関連の写真展以降 気になっていた写真家だっただけに今回はそれ以外の作品も多数観られて貴重な機会でした。てっきり報道写真がメインなのかと思っていましたが、ジプシーやエグザイルを観るとそれだけではないことがよく分かりました。もうこの展示は終わってしまいましたが、今後も注目したい写真家です。
参照記事:★この記事を参照している記事
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前回ご紹介した東京国立近代美術館の常設を観る前に、企画展の「ジョセフ・クーデルカ展」も観てきました。こちらは既に終了した展示ですが、今後の参考になりそうな内容でしたので前編・後編に分けて記事にしておこうと思います。

【展覧名】
ジョセフ・クーデルカ展
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/
【会場】東京国立近代美術館
【最寄】竹橋駅
【会期】2013年11月6日(水)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
最終日に行ったこともあり、非常に混んでいてチケット購入に10分ほどかかりました。
さて、今回の展示は旧チェコスロヴァキア生まれで現在でも世界的に注目されている写真家ジョセフ・クーデルカの個展となっていました。ジョセフ・クーデルカは1938年に生まれ、航空技師として働きながら1960年代初頭に写真を発表しはじめました。そして知人の紹介で手がけるようになった演劇写真を通じてチェコスロバキアの写真界にその存在を知られることになり、1967年に技師の仕事を辞めて独立しました。しかし、その翌年の1968年にチェコスロバキアの自由改革路線「プラハの春」が推進されると、急速な自由化を危惧したワルシャワ条約機構軍によって首都プラハは侵攻を受けることとなりました。そしてその時にジョセフ・クーデルカが撮った写真は匿名のまま西側諸国に配信され大きな話題となり、それがきっかけで1970年に彼は祖国を去りました。当初イギリス、その後にフランスに亡命し、そこを拠点にチェコスロバキア時代から取り組んでいた「ジプシー」シリーズや、亡命後にヨーロッパ各地で撮影された「エグザイル」シリーズなどのシリーズを発表していきます。それらの作品は詩的でありながら独特の強さを持つイメージによって、ささやかな人生の陰影を捉えつつ、20世紀という時代を巡る文明論的な奥行きをも備えた作品として評価されたそうで、一躍欧米でその名が知られるようになりました。この展示では初期から現在に至るまでの作品が一堂に会する内容で、時代やシリーズごとに章分けされていました。 詳しくは各章ごとにご紹介していこうと思います。なお、今回は作品リストがなく、作品名が分からないものもありましたので作品単位ではなく章単位でご紹介していこうと思います。
参考記事:ジョセフ・クーデルカ 「プラハ1968」 (東京都写真美術館)
<1 初期作品 Beginnings 1958-1961>
まずは初期の作品です。1961年1月にプラハのセマフォル劇場のロビーで開催されたデビュー展は、当時無名の23歳の学生が並外れた感覚を備えた写真家であることを示していたそうで、全体を通したテーマは無かったものの記憶に刻み込まれるような美的な力があったそうです。初期作品はフォルムが際立っているものの、その後の特徴の萌芽が見て取れるそうで、ここにはその頃の作品が並んでいました。
横長の画面の写真が多く、確かにテーマがバラバラで、砂浜で佇んでいる黒い衣のシスター?の写真や、ぬかるみの道とその前を歩く2人の人影、砂浜に転がっている鉄条網が絡まったもの 等、どこか寂しげでぽつんとした印象を受ける作風のように思えました。23歳が撮ったとは思えないほど詩的で内面的な感じです。一度展覧会を観た後に見返してみると、後の作品とも繋がりがあるというのも何となく分かる気がしました。
<2 実験 Experiments 1962-1964>
ジョセフ・クーデルカ1962年から2年間、月刊誌「劇場」の表紙を担当していたそうで、ディレクターの示唆によって最初の年はグラフィックシンボルのシリーズ、翌年は顔をモティーフとするシリーズが制作されました。いずれも人物や風景の写真をもとに要素を切り詰め、フォルムを強調して極端なハイコントラストでプリントされているらしく この実験の成果は後の仕事に確実に受け継がれているそうです。
ここには人の顔や人の姿を撮った写真が並んでいたのですが、かなり単純化された抽象絵画のような作風で、真っ白な背景にシルエットがあったり、真っ黒な背景に白い顔が写っているなど、これは写真なのか?(レイヨグラフみたいなもの?)と驚きました。影絵のようでもあり、ちょっと奇妙な雰囲気の作品もあったかな。 まさに実験的な作品です。
<3 劇場 Theater 1962-1970>
1960年代、劇場はクーデルカの人生と仕事において重要な役割を果たしていたそうで、当時いくつかの劇場や月刊誌「劇場」の為の撮影に携わっていました。様式化への志向を発展させ、写真のグラフィック的な側面を打ち出すようになったのは「門のむこう」劇場との密接な共同作業を行っていた頃だそうで、当時の写真には抽象的なグラフィックの力が備わっており、演出家の創作意図や演劇の芸術的なメッセージを明瞭に伝えているようです。
ここには「ユビュ王」や「3人姉妹」などの劇中の写真が並んでいて、やはり単純化されたかのように写っています。何人かの人が一緒に写っている写真ではそのシーンを象徴しているような場面が写っていて、劇の内容が伝わってきそうな感じです。先ほどまでの作品と比べると表情が豊かで動きがあるかな。やはり白黒のハイライトの使い方は強めに感じました。
ということで、今日はここまでにしておこうと思います。前半は若い内から既に才能を持っていたことがわかると共に、抽象的な表現で報道のようなリアルを撮っていたわけではないというのが意外でした。後半はさらに代表作などが展示されていましたので、次回はそれについてご紹介していこうと思います。
参照記事:★この記事を参照している記事

【展覧名】
ジョセフ・クーデルカ展
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/koudelka2013/
【会場】東京国立近代美術館
【最寄】竹橋駅
【会期】2013年11月6日(水)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
最終日に行ったこともあり、非常に混んでいてチケット購入に10分ほどかかりました。
さて、今回の展示は旧チェコスロヴァキア生まれで現在でも世界的に注目されている写真家ジョセフ・クーデルカの個展となっていました。ジョセフ・クーデルカは1938年に生まれ、航空技師として働きながら1960年代初頭に写真を発表しはじめました。そして知人の紹介で手がけるようになった演劇写真を通じてチェコスロバキアの写真界にその存在を知られることになり、1967年に技師の仕事を辞めて独立しました。しかし、その翌年の1968年にチェコスロバキアの自由改革路線「プラハの春」が推進されると、急速な自由化を危惧したワルシャワ条約機構軍によって首都プラハは侵攻を受けることとなりました。そしてその時にジョセフ・クーデルカが撮った写真は匿名のまま西側諸国に配信され大きな話題となり、それがきっかけで1970年に彼は祖国を去りました。当初イギリス、その後にフランスに亡命し、そこを拠点にチェコスロバキア時代から取り組んでいた「ジプシー」シリーズや、亡命後にヨーロッパ各地で撮影された「エグザイル」シリーズなどのシリーズを発表していきます。それらの作品は詩的でありながら独特の強さを持つイメージによって、ささやかな人生の陰影を捉えつつ、20世紀という時代を巡る文明論的な奥行きをも備えた作品として評価されたそうで、一躍欧米でその名が知られるようになりました。この展示では初期から現在に至るまでの作品が一堂に会する内容で、時代やシリーズごとに章分けされていました。 詳しくは各章ごとにご紹介していこうと思います。なお、今回は作品リストがなく、作品名が分からないものもありましたので作品単位ではなく章単位でご紹介していこうと思います。
参考記事:ジョセフ・クーデルカ 「プラハ1968」 (東京都写真美術館)
<1 初期作品 Beginnings 1958-1961>
まずは初期の作品です。1961年1月にプラハのセマフォル劇場のロビーで開催されたデビュー展は、当時無名の23歳の学生が並外れた感覚を備えた写真家であることを示していたそうで、全体を通したテーマは無かったものの記憶に刻み込まれるような美的な力があったそうです。初期作品はフォルムが際立っているものの、その後の特徴の萌芽が見て取れるそうで、ここにはその頃の作品が並んでいました。
横長の画面の写真が多く、確かにテーマがバラバラで、砂浜で佇んでいる黒い衣のシスター?の写真や、ぬかるみの道とその前を歩く2人の人影、砂浜に転がっている鉄条網が絡まったもの 等、どこか寂しげでぽつんとした印象を受ける作風のように思えました。23歳が撮ったとは思えないほど詩的で内面的な感じです。一度展覧会を観た後に見返してみると、後の作品とも繋がりがあるというのも何となく分かる気がしました。
<2 実験 Experiments 1962-1964>
ジョセフ・クーデルカ1962年から2年間、月刊誌「劇場」の表紙を担当していたそうで、ディレクターの示唆によって最初の年はグラフィックシンボルのシリーズ、翌年は顔をモティーフとするシリーズが制作されました。いずれも人物や風景の写真をもとに要素を切り詰め、フォルムを強調して極端なハイコントラストでプリントされているらしく この実験の成果は後の仕事に確実に受け継がれているそうです。
ここには人の顔や人の姿を撮った写真が並んでいたのですが、かなり単純化された抽象絵画のような作風で、真っ白な背景にシルエットがあったり、真っ黒な背景に白い顔が写っているなど、これは写真なのか?(レイヨグラフみたいなもの?)と驚きました。影絵のようでもあり、ちょっと奇妙な雰囲気の作品もあったかな。 まさに実験的な作品です。
<3 劇場 Theater 1962-1970>
1960年代、劇場はクーデルカの人生と仕事において重要な役割を果たしていたそうで、当時いくつかの劇場や月刊誌「劇場」の為の撮影に携わっていました。様式化への志向を発展させ、写真のグラフィック的な側面を打ち出すようになったのは「門のむこう」劇場との密接な共同作業を行っていた頃だそうで、当時の写真には抽象的なグラフィックの力が備わっており、演出家の創作意図や演劇の芸術的なメッセージを明瞭に伝えているようです。
ここには「ユビュ王」や「3人姉妹」などの劇中の写真が並んでいて、やはり単純化されたかのように写っています。何人かの人が一緒に写っている写真ではそのシーンを象徴しているような場面が写っていて、劇の内容が伝わってきそうな感じです。先ほどまでの作品と比べると表情が豊かで動きがあるかな。やはり白黒のハイライトの使い方は強めに感じました。
ということで、今日はここまでにしておこうと思います。前半は若い内から既に才能を持っていたことがわかると共に、抽象的な表現で報道のようなリアルを撮っていたわけではないというのが意外でした。後半はさらに代表作などが展示されていましたので、次回はそれについてご紹介していこうと思います。
参照記事:★この記事を参照している記事
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もう2週間ほど前のことですが、竹橋の東京国立近代美術館で展示を観てきました。その際、常設を観てきましたので先にご紹介しておこうと思います。なおこの常設は期間があり既に終了しておりますが、写真を撮ってきましたのでそれを使ってご紹介していきます。
※ここの常設はルールさえ守れば写真が撮れます。(撮影禁止の作品もあります)
※当サイトからの転載は画像・文章ともに一切禁止させていただいております。
【展覧名】
所蔵作品展 MOMAT コレクション
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20131022.html
【会場】
東京国立近代美術館 本館所蔵品ギャラリー
【最寄】
東京メトロ東西線 竹橋駅
【会期】2013年10月22日(火)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間45分程度
【感想】
今回は特別展が最終日1日前だったこともあって非常に混んでいました。今回も観てきた順にご紹介していきます。
参考記事:
東京国立近代美術館の案内 (2013年09月)
東京国立近代美術館の案内 (2013年03月)
東京国立近代美術館の案内 (2012年02月)
東京国立近代美術館の案内 (2011年12月)
東京国立近代美術館の案内 (2011年06月)
東京国立近代美術館の案内 (2010年12月)
東京国立近代美術館の案内 (2010年09月)
東京国立近代美術館の案内 (2010年05月)
東京国立近代美術館の案内 (2010年04月)
東京国立近代美術館の案内 (2010年02月)
東京国立近代美術館の案内 (2009年12月)
平福百穂 「丹鶴青瀾」

これは大正天皇の結婚25周年の献上品として描かれた作品で、おめでたい鶴をモチーフに堂々たる雰囲気です。金の流れや翼を広げた鶴が動的な感じで、深い青にも目を奪われました。
この近くには同じく平福百穂の代表作「荒磯」もありました。
萬鉄五郎 「太陽の麦畑」

強烈な色彩が印象的で、いかにもゴッホから影響を受けた感じがします。しかし当時はモノクロの複製図しかなかったそうで、色彩の強さやマチエールまでも本家に近いものを感じるのには驚きます。力強い生命感が感じられました。
木村荘八 「虎の門付近」

これは先ほどの萬鉄五郎も参加していたヒュウザン会で発表された作品で、やはりゴッホからの影響を元に制作されているそうです。私にはゴッホというよりはフォーブに見えるかな。太い輪郭や単純化が面白い作品でした。
川瀬巴水 「[日本風景集II 関西篇]より 紀州 瀞(とろ)」

大好きな川瀬巴水の風景画。木版とは思えないほどの色彩と、叙情的な光景に郷愁を誘われました。
参考記事:馬込時代の川瀬巴水 (大田区立郷土博物館)
杉浦非水 「帝都復興と東京地下鉄道」

広告デザインの草分けともいえる杉浦非水の作品。関東大震災は1923年、銀座線開通は1927年でこの作品は1929年なので、いずれからも少し経ってからの時期かな。当時最先端のアール・デコの雰囲気が何とも好み。強調された遠近感が面白い作品でした。
長谷川利行 「カフェ・パウリスタ」

パウリスタとはサンパウロっ子という意味で、1911年の開店の当時から人気で今でも銀座で続いているカフェを描いたものです。これは長らく行方不明だったのがテレビで鑑定に出されて再び世に出たそうで、なんでも鑑定団かな?w 下宿の家賃代わりにおいて行ったそうです。やや抽象的ですが色合いや単純化が好みで、どことなく佐伯に近いものを感じました。
津田青楓 「ブルジョワ議会と民衆生活 下絵」

そびえる国会と小さな民家が描かれた作品。タイトルからして反体制的なニュアンスが感じられるかな。小さな家はセザンヌ風にも見えます。国会の上の辺りの空が区切られているのが謎でした。
津田青楓 「犠牲者」

これは蟹工船で有名な小林多喜二が虐殺されたことに触発されて描かれた作品。キリストの磔刑に匹敵するものを目指したそうですが、何とも無残で痛々しい感じです。津田はこうした作品を描いていたこともあって家宅捜索され一時勾留されていたこともあるのだとか。メッセージ性が強い作品でした。
植田正治 「少女四態」

これは先日ご紹介した植田正治の代表作。現実の風景なのにどこかシュールに感じられるのが面白い作品です。
参考記事:生誕100年!植田正治のつくりかた 感想前編(東京ステーションギャラリー)
中西利雄 「夏の海岸」

色鮮やかな水彩が爽やかな雰囲気の作品。デュフィのような軽やかさが感じられました。
中西利雄 「婦人帽子店」

こちらも中西利雄の作品で、華やかな作品。帽子の配置が流れるようで、帽子掛けの垂直や水平線、帽子の曲線など構図も見ていて面白く感じました。
鈴木誠 「皇土防衛の軍民防空陣」

終戦の年に描かれた作品。棒を持つ女性や指揮する兵隊が英雄的に描かれているので、末期の戦争画かな? こんな状況でもプロパガンダ的な作品が作られているというのは現代の感覚からすると異様な感じを受けました。
小野竹喬 「雨の海」

画面の高い位置に描かれた島が船のようにも見えるかな。手前の潮の流れの描き分けや雨の表現などがしんみりとした雰囲気に思えました。
参考記事:生誕120年 小野竹喬展 (東京国立近代美術館)
落合朗風 「浴室」

日本画とは思えないほどモダンな作品。裸婦はゴーギャンを彷彿とさせる豊満な雰囲気で、画面には幾何学的な構成があるように思えました。
榎本千花俊 「銀嶺」

何気ない一瞬の表情が何とも美しい作品。1942年の作品なので戦時中だと思いますがそうとは感じない優美な印象を受けました。点描のような背景も気になります。
ということで、今回もまだ観たことがない作品がいくつもありました。この美術館の常設も行く度に発見があるので、特別展などで足を運ぶ際には常設も観ることをお勧めします。
この日は特別展も観たので、次回はそれについてご紹介の予定です。
※ここの常設はルールさえ守れば写真が撮れます。(撮影禁止の作品もあります)
※当サイトからの転載は画像・文章ともに一切禁止させていただいております。
【展覧名】
所蔵作品展 MOMAT コレクション
【公式サイト】
http://www.momat.go.jp/Honkan/permanent20131022.html
【会場】
東京国立近代美術館 本館所蔵品ギャラリー
【最寄】
東京メトロ東西線 竹橋駅
【会期】2013年10月22日(火)~2014年1月13日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間45分程度
【感想】
今回は特別展が最終日1日前だったこともあって非常に混んでいました。今回も観てきた順にご紹介していきます。
参考記事:
東京国立近代美術館の案内 (2013年09月)
東京国立近代美術館の案内 (2013年03月)
東京国立近代美術館の案内 (2012年02月)
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平福百穂 「丹鶴青瀾」

これは大正天皇の結婚25周年の献上品として描かれた作品で、おめでたい鶴をモチーフに堂々たる雰囲気です。金の流れや翼を広げた鶴が動的な感じで、深い青にも目を奪われました。
この近くには同じく平福百穂の代表作「荒磯」もありました。
萬鉄五郎 「太陽の麦畑」

強烈な色彩が印象的で、いかにもゴッホから影響を受けた感じがします。しかし当時はモノクロの複製図しかなかったそうで、色彩の強さやマチエールまでも本家に近いものを感じるのには驚きます。力強い生命感が感じられました。
木村荘八 「虎の門付近」

これは先ほどの萬鉄五郎も参加していたヒュウザン会で発表された作品で、やはりゴッホからの影響を元に制作されているそうです。私にはゴッホというよりはフォーブに見えるかな。太い輪郭や単純化が面白い作品でした。
川瀬巴水 「[日本風景集II 関西篇]より 紀州 瀞(とろ)」

大好きな川瀬巴水の風景画。木版とは思えないほどの色彩と、叙情的な光景に郷愁を誘われました。
参考記事:馬込時代の川瀬巴水 (大田区立郷土博物館)
杉浦非水 「帝都復興と東京地下鉄道」

広告デザインの草分けともいえる杉浦非水の作品。関東大震災は1923年、銀座線開通は1927年でこの作品は1929年なので、いずれからも少し経ってからの時期かな。当時最先端のアール・デコの雰囲気が何とも好み。強調された遠近感が面白い作品でした。
長谷川利行 「カフェ・パウリスタ」

パウリスタとはサンパウロっ子という意味で、1911年の開店の当時から人気で今でも銀座で続いているカフェを描いたものです。これは長らく行方不明だったのがテレビで鑑定に出されて再び世に出たそうで、なんでも鑑定団かな?w 下宿の家賃代わりにおいて行ったそうです。やや抽象的ですが色合いや単純化が好みで、どことなく佐伯に近いものを感じました。
津田青楓 「ブルジョワ議会と民衆生活 下絵」

そびえる国会と小さな民家が描かれた作品。タイトルからして反体制的なニュアンスが感じられるかな。小さな家はセザンヌ風にも見えます。国会の上の辺りの空が区切られているのが謎でした。
津田青楓 「犠牲者」

これは蟹工船で有名な小林多喜二が虐殺されたことに触発されて描かれた作品。キリストの磔刑に匹敵するものを目指したそうですが、何とも無残で痛々しい感じです。津田はこうした作品を描いていたこともあって家宅捜索され一時勾留されていたこともあるのだとか。メッセージ性が強い作品でした。
植田正治 「少女四態」

これは先日ご紹介した植田正治の代表作。現実の風景なのにどこかシュールに感じられるのが面白い作品です。
参考記事:生誕100年!植田正治のつくりかた 感想前編(東京ステーションギャラリー)
中西利雄 「夏の海岸」

色鮮やかな水彩が爽やかな雰囲気の作品。デュフィのような軽やかさが感じられました。
中西利雄 「婦人帽子店」

こちらも中西利雄の作品で、華やかな作品。帽子の配置が流れるようで、帽子掛けの垂直や水平線、帽子の曲線など構図も見ていて面白く感じました。
鈴木誠 「皇土防衛の軍民防空陣」

終戦の年に描かれた作品。棒を持つ女性や指揮する兵隊が英雄的に描かれているので、末期の戦争画かな? こんな状況でもプロパガンダ的な作品が作られているというのは現代の感覚からすると異様な感じを受けました。
小野竹喬 「雨の海」

画面の高い位置に描かれた島が船のようにも見えるかな。手前の潮の流れの描き分けや雨の表現などがしんみりとした雰囲気に思えました。
参考記事:生誕120年 小野竹喬展 (東京国立近代美術館)
落合朗風 「浴室」

日本画とは思えないほどモダンな作品。裸婦はゴーギャンを彷彿とさせる豊満な雰囲気で、画面には幾何学的な構成があるように思えました。
榎本千花俊 「銀嶺」

何気ない一瞬の表情が何とも美しい作品。1942年の作品なので戦時中だと思いますがそうとは感じない優美な印象を受けました。点描のような背景も気になります。
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