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《フランシスコ・デ・ゴヤ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀末から19世紀始めにかけてスペインの首席宮廷画家として活躍したフランシスコ・デ・ゴヤ(フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス)について取り上げます。ゴヤは宮廷画家として肖像画や「裸のマハ」「着衣のマハ」といった傑作を産み スペイン最大の画家と謳われる一方、「我が子を食らうサトゥルヌス」のように狂気を感じさせる作品も残しています。また、版画を数多く制作していて、世相への皮肉や無知を揶揄する作品や、戦争を描いた残酷で悪夢的な作品なども存在します。時代はやがてナポレオンによるスペイン侵攻やスペイン独立戦争を迎え、ゴヤ自身もそれに巻き込まれ波乱の人生を送ることとなり、確実に作風に影響を及ぼしました。今日もそんなゴヤについて過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。(後半はグロい絵も出るのでご注意ください)

最初にゴヤの生涯を簡単に説明すると、ゴヤはスペインの寒村の鍍金師の家の生まれで、最初は地元で絵を学びました。17歳でマドリードへ出てアカデミーに2回落選しているなど若い頃はそんなに順風満帆というわけではなかったようですが、24歳で自力でローマに留学し、ルネサンス期の傑作に出会いフレスコ画などを学んだ後、25歳で帰国して王家のタピストリーの原画制作に携わり本格的な画業がスタートします。壁画なども手がけ、40代で宮廷画家に抜擢されると首席宮廷画家にまで登りつめ、画家としての絶頂を極めました。しかし、病気で聴覚を失い、その後ナポレオン率いるフランス軍がスペインに侵攻してきた頃など苦難も味わいます。78歳でフランスのボルドーに亡命するなど晩年まで波乱があったようですが、ゴヤはそうした状況でも82年の生涯を終えるまで学ぶ姿勢をみせていたようで、当時の世相を反映したような恐ろしい絵も残しています。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[ロス・カプリーチョス] 1番 画家フランシスコ・ゴヤ・イ。ルシエンテス」
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こちらは1799年(53歳頃)の版画集の中の自画像。ゴヤは自信家で皮肉屋で啓蒙主義的な人物ではないかと思います。この顔を見てもちょっと斜に構えた知性を感じる気がします。

ゴヤは生涯に渡って自画像を描いていたそうで中には戯画的なものも残されています。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「ベラスケスの模写 バルタサール・カルロス王子」
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こちらは1778年の作品で、30代前半頃にスペイン王室コレクションにあったベラスケスの油彩を模写版画に起こしたものです。以前にご紹介したベラスケスの絵と比べるとかなり正確な模写に思えますが、単に模写しているだけでなく輪郭線で形態を写し取ることを避けて エッチングによる細かい破線を用いているなどの工夫があるようです。これはベラスケスの光の表現に興味を持ち、輝きや空気感をグラデーションで表現するのが目的だったのだとか。まだ宮廷画家になる前なのにこれだけの腕があったのは流石ですね。
 参考記事:《ディエゴ・ベラスケス》 作者別紹介

残念ながら20代のタペストリーの写真はありませんでした。20代後半は王宮のためにタピスリー原画を製作した頃で、ゴヤは首席宮廷画家のメングスと義理の兄の元で働いていました。メングスの意向でタピスリーには市民の日常生活を取り入れていたそうで、理想化された共存したイメージだったようです。それに対してゴヤは現実に即して庶民の側に描いていたのだとか。この辺のエピソードは後の版画と通じるものを感じます。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「ベラスケスの模写 メニッポ」
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こちらも1778年のベラスケスの模写版画。顔の印象が若干オリジナルと違っているようにも思えますが、黒衣で分かりづらい部分を丁寧に陰影をつけて表現しています。

ゴヤは後に「ベラスケスとレンブラントと自然」が自分の芸術の師であったと語っていたようです。ベラスケスは少し前のスペインの宮廷画家なので、残した作品を目にする機会も多かったのかも知れませんね。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「デル・カルピオ伯爵夫人、ラ・ソラナ侯爵夫人」
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こちらは既に宮廷画家として活躍していた1795年(50歳頃)の作品。モデルは貴族階級の戯曲作家の夫人で、亡くなる直前に描かれています。その為、やつれた雰囲気も感じますが、ピンクの花飾りや伝統的な衣装などを身にまとい可憐な印象を受けます。半透明のスカーフが軽やかな印象を受け、凛々しい顔つきをしているかな。ゴヤとこの夫人は親しかったらしく、死を覚悟していた夫人を尊厳の眼差しを持って描いていたのだとか。

ゴヤは1780年にアカデミー会員となり、各界の著名人を描いて最も優れた肖像画家と評されたそうです。この頃にはゴヤは独自の様式を築いていて、その形成までにはベラスケスだけでなくゲインズバラやレノルズからの影響もあったようですが 人間的な本質を捉えた肖像画によって頂点を極めていきました。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「着衣のマハ」のポスター
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こちらは1797~1803年頃のゴヤの代表作で、実物は等身大くらいで描かれています。ふわっとした透明感のある表現や、暗闇の中で浮かび上がるような感じが見事で、こちらをじっと見つめる意味深な目が魅力的です。この絵は数年前に描かれた「裸のマハ」という作品と同じ構図なのですが、何故2点作られたかについては諸説紛々です。マハとは下町の娘のことで、当時は一般女性の裸を描くのは禁止されていたため 元々はビーナス(神話の絵の裸はOK)とされていたようです。しかし、異端審問によってマハであると決めつけられ、ゴヤは上手く言い逃れたものの、1901年頃までアカデミーの小部屋の中に隠されてしまったというエピソードがあります。また、2つの作品のモデルは美女として名高い上に絶大な権力を持っていたアルバ公爵夫人ではないかとされています。アルバ公爵夫人はゴヤを寵愛したパトロンでもあり、確実なことは分かりませんが2人の仲を勘ぐる説も存在します。まあこれだけ親密な雰囲気の絵を見たらそうではないかと思うのも分かりますね。憶測が憶測を呼ぶ名画です。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「スペイン皇子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像」のポスター
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こちらは1800年の作品で、まるで女の子のように可愛らしい子供時代の王子の肖像です。頭と上半身だけ細かく描かれ、それより下はまだ描かれていないので習作のような感じかな? 全体的に明るく楽しげな雰囲気です。

ちょっと年代が前後しますが、ゴヤは1799年に版画集『ロス・カプリーチョス』を作っています。この作品の構想は1796年~97年頃に描かれた「夢」というタイトルの26点の素描から始まったらしく、最初は版画集も夢という題にしようと考えていたそうです。冒頭でご紹介したこの版画集の自画像には「卑俗なる因習を放逐し、気まぐれによるこの作品によって真理の確かな証しを永遠にする」との目的が書いてあり、これはこの頃の啓蒙主義の考えと一致したようで、特に聖職者の堕落を痛烈に批判しています。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[ロス・カプリーチョス] 5番 類は友を呼ぶ」
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こちらは1799年の版画集の5番で、下町女性のマハの格好の女性とフランス風にめかしこんだ男性が描かれていて、背後の2人の老婆は手にロザリオを持ち、女性を斡旋する取り持ち女を意味しているようです。つまり売春婦とその客を描いてるってことですね。悪しき本性は性別を問わずに誰でも同様に備わっているという考え方を表しているのだとか。

ちなみにロス・カプリーチョスは気まぐれという意味となります。全80点あるので結構なボリュームです

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[ロス・カプリーチョス] 43番 理性の眠りは怪物を生む」
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こちらは1799年の版画集の43番で、理性を失う危険性を説いています。周りの動物たちはコウモリやミミズクなど夜行性で、悪徳の隠喩のようです。一方、寝ているのは芸術家でフクロウは筆記具を渡していることから理性を超越することで初めて想像力が自由に羽ばたく という眠りの世界に対するロマン主義的な憧憬も込められていると考えられるようです。いずれが正しいか分かりませんが、眠りは別の面を表すと考えていたのでしょうね。

ロス・カプリーチョスはこんな感じで風刺的な内容となっていて、あまりの過激さから僅か2日で販売中止になったようです。それも仕方ないくらい全方位を風刺していますw

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[ロス・カプリーチョス] 53番 何て有難いお説教」
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こちらは1799年の版画集の53番で、フクロウを崇めるカリカチュア(戯画)的な表現となっています。まあタイトルからして皮肉たっぷりと言ったところでしょうか。聖職者の腐敗や偽善を批判すると同時に、嘘や迷信に簡単に騙される民衆の無知への批判も込められているようです。

ゴヤは宗教画についても生涯を通じて取り組んだようですが、啓蒙主義的立場から人間性豊かな表現で描いていたそうです。この作品も含め、批判的な雰囲気の作品が残されています。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[ロス・カプリーチョス] 68番 美しき女教師」
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こちらは1799年の版画集の68番で、見習いの若い魔女がベテラン教師の魔女に従って箒にまたがり飛行法を学んでいる様子が描かれています。これは売春の隠喩であると解釈されるようで、女教師は取り持ち女、箒は男性、飛行は性行為を表し、空飛ぶフクロウは当時のスペインで売春婦を指す隠語だったのだとか。ちょっと色々と倒錯した感じで皮肉が効いてますねw

ゴヤは魔女を何度も描いていて関心があったようですが、その存在を信じているわけではなく非合理と悪徳の象徴として描いていたようです。また、フクロウなどの動物たちもよく出てきますが、動物も非理性的なものの象徴として古き因習に惑わされる人々を批判的に描いていると考えられています

1804年に帝政を樹立したフランスのナポレオンは、その野望によってスペインも戦争と混乱に巻き込みました。ゴヤは1808年に戦争で荒廃した故郷を訪れ、そこで目にしたものを版画集「戦争の惨禍」として着手します。(しかし、この版画集が日の目を見たのは死後のことだそうです)

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[戦争の惨禍] 15番 もう助かる道はない」
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こちらは1810~20年頃の版画集の15番で、対仏独立戦争(1808~14年)の様子と思われます。タイトルからして希望が無いですが、暴力に対する絶望や無力感が伝わってくるようです。背景では同じように縛られた人達が銃殺され 手前では血を流して倒れている人もいて、地獄絵図の様相です。

ゴヤはスペインの市民の偉業を描くようにと召集されたようですが、故郷で見た光景の本質として英雄や具体的な戦いではなく、犠牲になった市民を描いたそうです。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[戦争の惨禍] 30番 戦争の惨害」
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こちらは1810~20年頃の版画集の30番で、砲撃で崩れ落ちた瓦礫による犠牲者を表しています。戦争の痛ましさが目の前に広がるような残酷な光景ですね…。

ゴヤは自らの目と耳で見聞した経験に基づいて制作していますが、特定の事件の記録を意図したわけではないようです。また、フランス軍の蛮行を多数描いていますが、暴力への糾弾や愛国心の鼓舞を意図したわけではなく、いずれも敵味方問わず戦争が引き起こす非人間的な暴力のおぞましさ、不条理、人間の愚行などを暴くのが目的だったようです。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[戦争の惨禍] 33番 何をなすべきか?」
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こちらは1810~20年頃の版画集の33番で、フランス軍によって裸の男性が剣で切り裂かれています。こういう残虐シーンを描くのが他の画家にはないゴヤの特徴の1つではないかと思います。また、ゴヤの版画の大きな特徴は油彩と比較して一個人としての芸術家が見たものを、より自由に より私的に表現した所にあるようです。

スペインでは独立戦争の後、フランスに加担した者は異端審問で取り締まられたそうです。ゴヤは英雄を描きたいといって首席宮廷画家の地位を保ったようですが、一方で当時の世相に批判的な作品を生んでいたようです。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[闘牛技] 20番 マドリード闘牛場でファニート・アピニャーニが見せた敏捷さと大胆さ」
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こちらは1816年の版画集の20番目で、闘牛士の戦いの様子が描かれています。「闘牛技」は「戦争の惨禍」に続いて1816年に出された3番目の版画集で、名前から連想するような闘牛の華やかさや魅力ではなく、人間が理性に背いて他者を挑発して無意味な死の報いを受けるという、暴力と不条理をテーマにしています。この作品なんかは空中で静止するような場面で華麗な技術を感じますが、他の作品では事故の様子などもあり「戦争の惨禍」にも通じる表現となっています。それ故に闘牛好きには受け入れられなかったようで商業的には失敗したのだとか。

ゴヤは版画の他に40代終わりから晩年まで8冊の素描集を作りました。ゴヤにとっては素描は重要な位置にあったようですが、素描集には名前が無かったので、A~Hの名称が便宜的につけられています。

フランシスコ・デ・ゴヤ 「[妄] 17番 忠誠」
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こちらは1816~19年の版画集の17番で、やはり世相を皮肉った内容となっています。直接的に教会を描いたわけではないですが、既存の制度や価値観への盲目的な従順に対する批判が込められているようです。この版画集「妄」は恐怖、愚行、男女などをテーマに描いているようですが、これまでの批判で社会の改良を促す姿勢は無くなり、人間の愚かさと不条理を救いがたいと提示しているかのような作品郡となっています。(一方で闇と対比された光の表現もあるので、かすかな希望を見ることもできるのではないかとも考えられています。) 私には救いがなく愚かさを感じる作品が多いように思え、ゴヤは人間が嫌いだったのでは?と疑ってしまいますw

この妄を完成させた1819年頃から1823年頃にかけて晩年の代表作「我が子を食らうサトゥルヌス」を描いています。マドリード郊外のゴヤの別荘の壁に直接描かれた「黒い絵」のシリーズの1枚で非常に狂気を感じさせる恐ろしい絵です。やはり当時の内乱や戦争の惨禍を寓意的に表現しているんでしょうね。
独立戦争後も首席宮廷画家だったゴヤですが、1824年に休職してマドリードを離れパリへ移りました。その後、ボルドーに居を構え、たまに一時帰国するくらいでボルドーに住んでいたようです。1826年に一時帰国して宮廷画家の辞職を認められ、1828年に亡命先のボルドーで亡くなりました。ちなみにゴヤが亡くなった12年後にボルドーでルドンが生まれています。ルドンはゴヤに影響を受けて夢想的かつ悪夢的な版画を残していて、ゴヤの生まれ変わりじゃないかと思ってみたりw

ということで、華麗な宮廷での絵画と陰鬱な絵画の両面が特徴となっています。ゴヤはドラクロワやマネなどにも影響を与え大きな足跡を残しました。日本で観る機会は少ないですが、美術史上で重要な人物ですので覚えておきたい画家だと思います。


 参考記事:
  プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影 感想前編(国立西洋美術館)
  プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影 感想後編(国立西洋美術館)



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《酒井抱一》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍し「江戸琳派」と呼ばれるようになった酒井抱一を取り上げます。酒井抱一は大名家の次男で、若い頃は狂歌や浮世絵を描いていましたが37歳で出家した頃から尾形光琳を私淑するようになり、光琳百図の編纂や百回忌の法要を行うなど尾形光琳の継承者として名を高めました。晩年にかけて洒脱な様式を確立し、工房の弟子たちによって江戸琳派の系譜を築いています(琳派という呼び方は後世のものです) 今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

酒井抱一は1761年に譜代大名の酒井雅楽頭家(さかいうたのかみ)の次男として生まれました。若くから俳諧や書画を嗜んでいたようで、20代には狂歌や浮世絵といった江戸市井の文化にも手を染めました。20代は「杜綾(とりょう)」「杜陵(とりょう」「屠龍(とりょう」といった俳号を通称として吉原を拠点に名を馳せたそうです。また、「尻焼猿人(しりやきのさるんど)」の狂号で洒落本、狂歌本でも活躍しました。天明期には歌川豊春に倣った浮世絵も手がけ、師弟関係は明らかにされていないものの、豊春に忠実な強い影響を受けたようです。こうした抱一の自由きままな創作活動はこの兄の存在があったようで、後に酒井家当主となる兄の宗雅は温かい目で抱一を見守っていたようです。しかし、宗雅は36歳で亡くなり、代わって甥の忠道が酒井家を継ぎました。兄に庇護されていた抱一は酒井家の居場所を失い、さらに寛政の改革で風紀が取り締まれるなど、悩み多き30代となったようです。そして、37歳の時に西本願寺から来ていた文如上人によって得度し出家しました。きっかけは不明ですがこの頃から尾形光琳の様式に目覚め、最初は苦労したものの やがて習得していきます。55歳の時には尾形光琳の百回忌の法要と展覧会を行い、自他ともに光琳の継承者として認められる存在となっていました。60歳の頃から抱一は洗練された花鳥画を描くようになったようで、従来の琳派様式とは一線を画した、後に「江戸琳派」と呼ばれる様式を確立していきます。抱一は68歳で亡くなりますが、その系譜は工房を支える弟子を中心に受け継がれて行きました。

酒井抱一の作品は制作年代が記載されていないものが多いので、順不同でご紹介してまいります。残念ながら琳派以前の作品の写真はありませんでした。

酒井抱一 「夏秋草図屏風」
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こちらは酒井抱一の代表作で、元々は尾形光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれていた作品です。酒井抱一は尾形光琳から100年程度後の時代の絵師ですが、私淑(直接教えを受けず模範にして自主学習すること)という形で琳派を継承しました。表面の風神雷神に呼応するように揺れる夏秋の草花が描かれ、背景も表の金地に対して酒井抱一ならではの銀地となっています。

こちらは右隻のアップ
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右隻は夏草が中心になっていて、ヒルガオやユリが描かれています。葉っぱや花が下向きなのは夕立に打たれている為で、表面の雷神に呼応して夕立が降っている様子を表しています。と言っても雨粒を描かない所が何とも洒落た演出です。金に対しての銀、天に対しての地、色々と対になっています。

左隻のアップ
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こちらは風神に呼応する隻で、秋草が中心となって風になびいている様子となっています。風神雷神図屏風は俵屋宗達がオリジナルで、それをリスペクトした尾形光琳が模したわけですが 酒井抱一はそうした先人たちの作品に敬意を払いつつオリジナルな作風を作ったのが凄い所です。尾形光琳の大傑作の裏に描くなんてよほどの自負がなければ出来ませんねw

ちなみに酒井抱一よりも前に尾形光琳に憧れて研究した中村芳中という京都生まれ・大坂暮らしの絵師がいました。中村芳中は「光琳画譜」という本を出したのですが、この中身は中村芳中の作品ばかりだったそうで、この絵師も自分が光琳の画風を受け継いでいるという自負があったようです。これによって光琳の名前は江戸に広まったものの、後に酒井抱一が本当の光琳の画業を伝えたいと考え「光琳百図」を出版するに至りました。

酒井抱一 「風神雷神図」のポスター
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こちらは「風神雷神図屏風」を2幅対の掛け軸にアレンジした作品。右幅には絵の下部に上を見上げるような風神、左幅には上部に下を見下ろすような雷神が描かれています。展示の仕方によっては互いに目を合わせるような感じにもなります。酒井抱一も俵屋宗達~尾形光琳の「風神雷神図屏風」を模した屏風を残していますが、そちらではお互いに視線を合わせていないので、同じ抱一の風神雷神でも趣向が色々違っているように思います。手本にした光琳の風神雷神図屏風と比べても題材以外はオリジナルな所が多く、右幅は上から下に向かう風、左幅は下から上に吹き上がる風が吹いているように感じられるのも面白い点です。
 参考記事:《尾形光琳》  作者別紹介

酒井抱一は他にも尾形光琳の「八ツ橋図屏風」なども模しています。お互いの作品を比較してみると似ている部分とオリジナル要素が分かったりしますが、展覧会で並ぶのは滅多にない機会です。

酒井抱一 「布引の滝、旭鶏、月兎」
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こちらは3幅対の作品。本体の並び方は左に月兎、中央に布引の滝、右に旭鶏という順となります。この時の展示では季節感を出す為にこの並びとなっていました。

せっかくなので3幅ともソロでご紹介

酒井抱一 「布引の滝」
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こちらは伊勢物語で在原業平が現在の新神戸駅の近くにある布引の滝を訪れた際の滝見の様子が描かれています。優美な王朝文化を感じさせるのは琳派の系譜ならではと言った感じかな。

酒井抱一は狩野派や円山派、南画、浮世絵なども学び、ちょっと変わったところでは鳥獣戯画の写しも描いていたほど幅広く学んでいました。余白を生かした感じとか狩野派っぽい所もあるように思います。

酒井抱一 「月兎」
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こちらは満月とススキが背景に描かれたウサギ。つまり秋の光景となっています。薄い色彩の中、赤い目がアクセントになっているのが面白い。酒井抱一と尾形光琳で違いを感じるのはこうした叙情性じゃないかと思います。尾形光琳を一言で表すならば「典雅」だとすると、酒井抱一は「洒脱」と評されます。

酒井抱一 「旭鶏」
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こちらは春草とつがいの鶏が描かれた作品。うっすらと旭も登っています。先程の月兎とは春秋で対、旭と月で対といった関係になっているので、この2幅を抜き出して対にしても様になりますね。

ちなみに20代の頃に共に活動していた山東京伝の狂歌本などの中に抱一の肖像が描かれていて、良家の才子だけあって優男だったようです。また、兄の宗雅(そうが)の書いた書本の中には栄八(抱一)について書かれたところも度々出てきます。

酒井抱一 「富士見業平図屏風」のポスター
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こちらも伊勢物語の在原業平をモチーフにした作品。黒い馬に乗る在原業平と、後ろを振り返る従者がかかれ、業平は少し上を見上げています。これはどうやら富士を見ているようですが、画面には富士はありません。その視線のおかげで画面外の外を想像させられますね。(むしろ従者は何を見ているのか気になるところですw)

伊勢物語は尾形光琳もよくモチーフにしていて、「燕子花図屏風」や「八橋図屏風」などは東下りのシーンを描いています。琳派で頻出の題材ですね。

酒井抱一 「紅白梅図屏風」のポスター
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こちらは六曲一双の銀屏風の一部で、右にはジグザグの幹の紅梅が描かれ、左には弧を描くような幹の白梅が描かれています。お互いが向き合って対になるような感じで、銀地のためか落ち着いた雰囲気でどこか神秘的な感じです。特に白梅は優美な印象を受けます。顔料付着の劣化具合などから元は裏絵だったのではないかと考えられているようです。

酒井抱一の美意識で面白いのが、銀をよく使う点です。金とは違った静寂を感じさせるのも特徴と言えると思います。

酒井抱一 「流水四季草花図屏風」
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こちらは金地の作品。弟子の鈴木其一ほどではないですが、色鮮やかで緻密な印象を受けます。この中に四季の花々が描かれていて、色や造形の配置がリズミカルに感じられます。

先述の通り酒井抱一は様々な画風を学んでいましたが、兄の宗雅も中国から伝わった南蘋派風の写実的な作品を描いたり、自分で打った脇差なども残っています。さらに抱一の父親が絵を描き母親が和歌を詠んだという作品や、叔父の絵(これも南蘋派風)も残っています。家族揃って相当に書画に長けていたのが凄い。(ちなみに南蘋派は伊藤若冲のルーツでもあります)

酒井抱一 「四季花木図屏風」のポスター
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こちらも四季の草花を描いた四曲の屏風で、右上に桜、下には百合や朝顔、杜若、ススキなど、様々な季節の草花が一堂に会した不思議な光景となっています。色自体は淡いように思えますが目に鮮やかで、雅な雰囲気です。いずれも生き生きとしているけど どこか静かで儚げにも思えるかな。

酒井抱一 「月波草花図」のポスター
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こちらは3幅対の掛け軸で、右から「野原蟷螂図」 「波上明月図」 「水草蜻蛉図」となっています。まず野原蟷螂図は桔梗とススキ、その上に乗ったカマキリが描かれています。秋の風情が出てるかな。 真ん中の 「波上明月図」には激しくうねる波と、その上に浮かぶ大きな月が描かれ、静と動が同居しているように思えます。「水草蜻蛉図」は杜若とその上に止まるトンボが描かれ、色合いと軽やかな葉っぱが優美な雰囲気です。1幅ずつでも素晴らしいと思いますが、3幅並んでいると壮観な作品です。

出家後の抱一は吉原を拠点に活動していたようで、遊女を身請けして内縁の妻としています。(小鸞女史) この妻との合作なども残っているので、才女だったんでしょうね。しかし出家したのに自由過ぎるw

酒井抱一 「白梅雪松小禽図」
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この写真だとわかりづらいですが、左の松には雀がとまっています。冬と春の光景が対となるように向き合っていて右は硬め、左は柔らかめの印象を受けます。特に梅は凛とした緊張感があって好みです。

ここまでご紹介した作品でも季節感を全面に出したものが多いのが分かると思います。酒井抱一は四季を詩情豊かに表現する天才ですね。

酒井抱一 「秋草鶉図」
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金地なのに何処か静けさを感じる作品。ススキの下で休む4羽の鶉と、飛んでいる1羽の鶉が描かれています。赤い花や楓が色鮮やかな一方、空にはアーモンド型の月が黒っぽく浮かんでいます。この月は銀が黒っぽく変色したのかと思ってしまいますが、そうではなく元々こういう色で描いていたようです。非常に目を引き、それが返って秋の情趣漂う雰囲気を出しているように思えます。

残念ながら写真が見つかりませんでしたが抱一は琳派の絵師の多くと同じく、多様な工芸意匠も手がけました。特に蒔絵師の羊遊斎との合作はブランドとして重宝されたようです。

酒井抱一 「四季花鳥図巻 (下巻)」
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こちらは四季の花鳥が並ぶ巻物で、右から左へと春夏秋冬が移ろう様子が描かれています。この単純化が優美で、色の使い方も可憐な雰囲気となっています。よく観ると葉っぱなどに滲みを使った「たらしこみ」の技法も見られます。(たらしこみは琳派でよく使われる表現方法です)

順番がバラバラかもしれませんが、各場面をご紹介。
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これは夏かな。丸っこく鮮やかな群青の朝顔は酒井抱一の特徴かも。

色彩は穏やかながらも鮮やかに見えるのが優美です。
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枝や蔓が流麗で、軽やかな印象を受けます。このセンスが随一ですね。

カマキリや花の雄蕊はかなり細かく描かれています。葉脈が金色なのも面白い。
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この図巻には昆虫もよく出てきますが、花鳥画に虫が描かれるようになったのは江戸時代後半からなのだとか。

鳥がキャラクターみたいな可愛さw
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木のたらしこみは控えめでしみじみとした味わいになっています。

最後は雪の積もる白梅と水仙
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清く純んだ白に緑が映えて、寒さよりも春に向かう生命感を感じます。

これで酒井抱一の写真は終わりです。意外と少なかったw ここからはオマケで弟子や江戸琳派の系譜の画家の作品です。有名な弟子に鈴木其一や酒井鶯蒲がいますが、ソロで改めてご紹介するかもしれないので他の弟子を取り上げます。

山田抱玉 「紅白梅図屏風」
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こちらはパッと見ると酒井抱一の作品かと思えますが弟子の作品です。やや緊張感が無いようにも思えるけど良い作品ですね。

忘れてしまいがちですが抱一は出家した身であり絵師の仕事の1つに仏画制作がありました。古い仏画の模写や谷文晁の作に共通する構図など周到な準備をして臨んでいたようです。また、1809年に移り住んだ下谷大塚の画室兼仏事を営む場は雨華庵(うげあん)と呼ばれ、後々の弟子に引き継がれていきました。

田中抱二 「梅鴛鴦若松春草図」
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こちらは晩年の弟子の田中抱二によるもの。たらしこみなどが使われているけどデフォルメが進んでいたり割と酒井抱一とは違った印象を受けます。

酒井道一 「夏草図屏風」
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こちらは酒井抱一の雨華庵の4代目であった酒井道一による酒井抱一の同名の作品の模写。先程の本物とそっくりでかなりの出来栄え

こんな感じで弟子たちが引き継いで行きましたが、雨華庵5世の唯一(酒井抱祝)で江戸琳派は途絶えたそうです。

ということで、酒井抱一は非常に洗練されたセンスの持ち主となっています。私は尾形光琳が日本画で最も好きですが それに劣らず酒井抱一も大好きです。 個展や琳派の展覧会もちょくちょく開かれるので、そうした機会は逃さないように通いたいと思います。

 参考記事:
  酒井抱一と江戸琳派の全貌 感想前編(千葉市美術館)
  酒井抱一と江戸琳派の全貌 感想後編(千葉市美術館)
  生誕250年 酒井抱一 -琳派の華- (畠山記念館)
  生誕250年 酒井抱一 -琳派の華- 2回目 (畠山記念館)
  琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派― 第1部 煌めく金の世界 (出光美術館)
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《ユベール・ロベール》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀半ばから19世紀初頭に活躍し「廃墟のロベール」や「庭園のロベール」と呼ばれたフランスの画家ユベール・ロベールを取り上げます。ユベール・ロベールは若い頃にイタリアで修行し、遺跡などを実際に目にして描いていました。折しもイタリアではポンペイやヘルクラネウムの遺跡発掘に沸いていたこともあり、古代遺跡への世間の関心も高かったようです。帰国してからもイタリアで観た遺跡を自在に組み合わせて描き 高い評価を得ていました。また、ルイ16世の命を受け庭園の制作に携わり、その方面でも功績を上げています。フランス革命の際には死刑判決を受けましたが、運良く釈放されその後はルーヴル美術館の設立に関わり委員会に参加しました。こうした功績のためかフランスではあちこちの美術館で観ることができることができる画家です。日本ではそれほど知名度は高くないとは思いますが、2012年の国立西洋美術館での大規模展示や廃墟をテーマにした展示で観る機会が増えてきたように感じます。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


ユベール・ロベールは1733年に公爵の侍従の息子としてパリで生まれました。最初は彫刻を学んだようですが画家に転向し、1754年に公爵の息子がイタリアに大使として赴任した際に随行して、ローマで11年間を過ごします。

ユベール・ロベール 「La Blanchisserie」
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こちらは1758~1759年頃のイタリア時代の作品。ちょっと何を題材にしているか分かりませんが、この後ご紹介する作品と比べるとだいぶ作風が異なって観えます。何かの物語だと思うけど身振りが大きくドラマチックな雰囲気で、明暗も強めに感じます。

ロベールはフランスの国費留学生たちとともに、フランス・アカデミーでの寄宿と勉強が許され、絵画を学びました。クロード・ロランやジョヴァンニ・パオロ・パニーニ、ピラネージなどから影響を受けているようです。

ユベール・ロベール 「Troupeau dans la grotte de pausilippe」
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こちらもイタリア時代の1760年の作品で、日本語にすると「ポジリッポの洞窟の中の群れ」でしょうか。ポジリッポはナポリの景勝地で、1760年代のナポリ周辺では重要な考古学的発見が続いていました。薄暗く神秘的で ちょっと象徴主義のような雰囲気すらあります。こうした神秘性はこの後のロベールのテーマになっていったように思えます。

イタリア時代のロベールは、古代遺跡や教会建築ばかりではなく、郊外で半ば打ち捨てられた16~17世紀のヴィラ(上流階級の邸宅)の庭園なども重要なモティーフだったようです。仲間たちとともにローマから足を伸ばしてイタリア各地でスケッチをしたそうで、ロココの巨匠のジャン=オノレ・フラゴナールと連れ立ってローマ近郊の景勝地でスケッチしたこともあったようです。2人は主題や様式も近くしばしば混同されることもあったのだとかw

ユベール・ロベール 「Ruines romaines,le Forum avec le Colisee et l'Obelisque」
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こちらは1765年の作品。ローマ遺跡のコロッセオとオベリスクを描いています。美しく理想化されたような世界で、人々がのんびりしている様子も観られます。ユベール・ロベールの特徴が詰まったような感じかな。ではこれは何処か?となると恐らく建物を組み合わせて描いているのだと思います。一見緻密で写実的に思えますが、実景には拘っていなかったようで、奇想画(カプリッチョ)などと呼ばれることもあります。

11年間のイタリア滞在の後、ロベールは1765年にフランスに帰国し、翌年には王立絵画彫刻アカデミーへの入会を許されました。イタリアでの修行の成果を発表してサロンでも成功を収めるなど順風満帆な画家生活だったようで、ルーブル宮の中で絵画コレクションの管理などをしながら人気画家の地位を確かにしていきました。

左:ユベール・ロベール 「古代遺物の発見者たち」
右:ユベール・ロベール 「アルカディアの牧人たち」
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左は1765年、右は1789年の作品です。左は暗いトンネル状の遺跡の中を描いていて、火を持った人が蛮族の王の像を照らし遺跡愛好家がそれを眺めています。奥にあるトンネルの入口あたりは明るく、遺跡を眺めている人もいます。外にはピラミッドのような建物も観えるかな。遺跡の中は暗く明暗が強めで神秘的な雰囲気があり、まだ下に続く階段があるようです。これはローマのコロッセオの回廊に着想を得て想像で描いたものなのだとか。
右は古代の理想郷アルカディアを想像して描いたもので、故郷とイタリアの風景を折衷していて奥には渓谷と神殿を描いています。手前には川辺で墓を指さしている子供や女性、羊などが描かれているのですが、この墓はロベールが手がけた哲学者のジャン=ジャック・ルソーの墓を思い起こさせるようです。全体的に明るく神話的な雰囲気の理想郷といった感じですが、墓は理想郷にも死はあるという意味が込められているのだとか。

ロベールはこうしたイタリア時代の思い出の古代遺跡を自在に組み合わせた想像の風景を作り上げ、「廃墟のロベール」と呼ばれました。そこに庶民の生活を描き込むことで風景とのコントラストを生み出すのも特徴となっています。

左:ユベール・ロベール 「Passage d'un troupeau devant le Colisée et l'Arc de Constantin à Roma」
右:ユベール・ロベール 「L'Abereuvoir dans une galerie antique en ruines」
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両方とも1770年の作品。いずれもここまで挙げてきたユベール・ロベールの特徴が見事に詰まった感じかなw 左の絵で門の上に立っている像はタイトルから察するにコンスタンティヌス1世でしょうか。かつてのローマの繁栄と牛を連れた一行ののんびりとした光景が同居する面白い風景です。右の絵も神像の下の泉で休んで牛も水を飲もうとしている様子となっていて、一種の理想郷のような光景です。

大体は幸福な人生だったロベールですが、4人の子供が次々と死ぬという悲劇も味わったそうです。フランス革命もあったし苦労もしてそうですね。

ユベール・ロベール 「サン=ドニ教会の内部」
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こちらは1770~1774年頃の作品で、ゴシック様式の大きな教会の内部を描いています。大きな円柱を中心に、右は奥に続く階段がやや暗めに描かれ、左はガラスの窓から明るい光が差し込んでいる様子となっています。その手前の礼拝堂なども暗めに描かれているなど、陰影が劇的な雰囲気ですね。

ユベール・ロベール 「Le Temple antique」
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こちらは1783~1785年頃の作品で、古代の神殿の内部を描いています。こちらも陰影が強く、円柱の存在が目を引きます。こうした光の使い方もユベール・ロベールの特徴の1つと言えそうです。

ロベールは社交的でラテン語も理解するインテリだったそうです。宮廷で活躍した50代半ばのこの頃が画家として最も輝いていた時期となります。

左:ユベール・ロベール 「モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観」
右:ユベール・ロベール 「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観」
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こちらはいずれも1786年の作品で、国立西洋美術館の所蔵品です。よく新館に向かう通路に対になって展示されているので観たことがある方も多いかも。いずれも実際には別々の場所にある古代の有名なモニュメントが組み合わされていて、実景のようなリアリティを持ちつつ奇想の風景となっています。ユベール・ロベールの名声はロシアにも届いていたようで、1782年と1791年にロシアの女帝エカテリーナから招きを受けています。実際にはロシアには赴くことはなかったようですが、数多くの作品を送っていて この2枚もそうしたロシア貴族の旧蔵品の一部かもしれないと考えられています。

ユベール・ロベールはルイ16世の命で庭園制作も行っています。当時のフランスではそれまでの幾何学式庭園に代わって、「自然らしさ」を求める風景式庭園がイギリスから広まりつつありました。ユベール・ロベールはこの流れの庭園デザインの世界でも名を残していて、まさに絵のような眺めを作り上げ「国王の庭園デザイナー」という称号を得ました。そして1789年頃には画家としても庭園デザイナーとしても絶頂期を迎えます。

参考までにヴェルサイユ宮殿の庭の写真。
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ユベール・ロベールはヴェルサイユ宮殿の再整備計画で庭園の指揮を取っていて、人工の洞窟にアポロンなどの彫像などを置きました。
そんな絶頂期のユベール・ロベールでしたが、1789年にフランス革命が起きて投獄の憂き目にあっています。

ユベール・ロベール 「メレビル庭園の眺め」
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こちらは制作年不詳の作品。ここではメレヴィル庭園という庭園を描いていて、まるで神話の世界のようにも見えます。この庭はフランスで最初期の英国式庭園でロベールが造園を指揮しました。谷間のような岩場に2つの岩が置かれ、その奥には滝があります。そして両岸に渡る木の橋や小屋もあり、その脇には遊んでいる子供の姿も描かれています。奥には神殿風の乳製品加工所もあるそうで、自然と古代を賛美したような造園となっているようです。

なお、この庭園は10年かけて作られたそうです。先に想像で見本の絵を描いて、それを元に造園されると、またその光景を絵に描いていたそうです。しかし、この庭は革命後に廃墟にされて破壊が進んだのだとか


ユベール・ロベール 「Grande galerie en ruinens」
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こちらは1794年の作品。1793年11月に逮捕され10か月間収監されていたので、その直後あたりでしょうか?? 描かれているのは遺跡で、全くブレないw フランス革命の後でも己の芸術を貫いている様子が伺えますね。

ユベール・ロベールは獄中でも50点以上の絵画を描いたようです。中には皿に描いた作品もあり、格子のある通路をたくさんの囚人たち歩く様子を描いた皿を観たことがあります。(これは看守を通じて売り払われイギリスに売れたようです) また、ロベールは処刑寸前の危機的状況だったようですが、その際に別人のロベールが呼ばれて助かったというエピソードもあります。


ユベール・ロベール 「Vue imaginaire de la Grande Galerie du Louvre en ruines」
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こちらは1796年の作品でルーヴル美術館の所蔵品です。この絵もユベール・ロベールらしさが詰まった1枚じゃないかと思います。ユベール・ロベールはアーチの中から景色を覗く構図もよく見受けられますが、これはピラネージからの影響のようです。

釈放後もユベール・ロベールは活動を続け、ルーブル美術館の設立委員会の委員に任命され美術館の装飾の仕事をしています。

ユベール・ロベール 「Le Printemps」
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こちらは晩年の1803年の作品。これも神話の中の風景のように観えますね。若干、画風が変わったようにも思えますが最後までブレない画家でした。1808年75歳で亡くなっています。


ということで、遺跡を組み合わせた廃墟の絵が特徴となっています。廃墟好きの心をくすぐるような作風なので今後も人気が高まって行くんじゃないかな? 意外と観る機会もあるので覚えておきたい個性派だと思います。


 参考記事:
  ユベール・ロベール-時間の庭 感想前編(国立西洋美術館)
  ユベール・ロベール-時間の庭 感想後編(国立西洋美術館)


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《鈴木春信》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、1760年代に活躍し木版多色摺りの浮世絵(錦絵)の誕生に大きく寄与した鈴木春信について取り上げます。鈴木春信の人生はよく分かっていない部分が多く、浮世絵師としての活動はわずか10年しかないという謎の人物ですが、平賀源内と親交があり共に多色刷り版画の開発をしたと考えられています。初期は役者絵を制作していたものの鈴木春信といえば美人画が有名で、特に市井の暮らしを描いた作品が当時から人気を博していました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

鈴木春信は京都で西川祐信または西村重長に学んだと考えられ、その後江戸に出てきたようです。錦絵誕生には裕福な旗本や商人たちが行った1765年の絵暦(和暦の月の大小を表す一種のカレンダー)の交換会がきっかけとなり、鈴木春信の色鮮やかで故事・古典を題材とする作品はそうした趣味人に評価されたようです。そしてパトロンが付いて彫師・摺師と協力して制作していきました。

鈴木春信の作品は製作年が分かりませんので、順不同でご紹介してまいります。

鈴木春信 「見立半托迦(龍を出す美人)」
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こちらは瓶から龍を出す神通力を持つ半托迦(はんたか)という羅漢を美人に変えたもの。結構シュールな感じですが、こうした見立てが人気を博したようです。涼しげな美人だけどちょっと教養を見せる感じが粋なのかな。

鈴木春信の作品の多くは中判と呼ばれる版型に柔らかな色調で表現されています。大体は縦長の作品のようです。

鈴木春信 「見立久米仙人」
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こちらは柱絵判と呼ばれるかなり縦長の作品。久米仙人というのは日本の仙人で、飛行している際に洗濯している若い女性のふくらはぎを見て興奮し、神通力を失い墜落したという何だか憎めないやつですw ここでは鍾馗?が墜落する鬼みたいなのを紐で吊るし、下では美しい脚を見せて洗濯している美女がいます。コミカルな感じとすらっとした女性の組み合わせが面白い。

鈴木春信の美女は色白で華奢な柔らかい雰囲気の女性が多いように思います。この時代の版画はまだ色は薄いですが肌に色気を感じますね。

鈴木春信 「鼠、猫と遊ぶ娘と子供」
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こちらは市井の女性を描いた作品。白鼠は幸運を招くとしてペットにもなっていたようですが、左下にいる猫がじ~~っと鼠を観ていますw 今も昔も鼠の天敵は猫ですね。

鈴木春信の作品の中には実在する茶屋の娘などを描いた作品もあります。市井の女性を描いたことで大衆にも受けて、描かれた美女のお店はお客さんが殺到したという逸話もあります。

鈴木春信 「舫い舟美人(もやいぶねびじん)」
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こちらは初夏の様子を描いた作品。この二人は芸者らしく、これから出かけるようでおはしょりの紐を締め直しています。こうした日常の何気ない瞬間を捉える主題も浮世絵ならではの魅力かな。何とも涼しげな雰囲気です。

鈴木春信 「火鉢を囲む二美人」
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こちらは冬の様子で、火鉢に向かった美女が描かれています。1人は人形遊びをしているのかな。緑と赤が対比的なので全体的に明るい色彩に思えます。

鈴木春信の女性の顔は割とみんな似てますw 美人の容姿は明時代の中国版画の仇英に影響を受けているのだとか。

鈴木春信 「臥龍梅」
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枝が地を這うような梅と3人の人物を描いた作品。真ん中の人物は刀を差しているのかな?? 2人でキセルを吸ってちょっと休憩といった感じでしょうか。立ち姿がすらりと凛々しく見える作品です。

鈴木春信はあまり肉筆は残っていないようですが、版画は900~1000点程度が現存しているようです。10年の活動で1000枚ってかなりのペースですね。

鈴木春信 「犬を戯らす母子」
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こちらは美人と子供が犬と遊んでいる様子。鈴木春信の作品には母子もよく登場し、こうした日常の幸せを感じさせる作品もあります。観ていてほっこりします。

鈴木春信の女性たちは妖艶さより可憐さを感じさせるように思います。主題的にも健康的で温和な印象を受けますね。

鈴木春信 「蚊帳から出る美人」
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こちらは夏の情景。この作品で面白いのが蚊帳の透ける感じで、蚊帳の中は薄っすらと緑がかっています。浮世絵の黎明期でこれだけの表現ができたとは驚きです。

鈴木春信は後世にも絶大な影響を与えていて、鳥居清長など江戸時代の浮世絵師のみならず河鍋暁斎や鏑木清方、小村雪岱といった明治以降に活躍した画家たちも学んでいます。さらに鈴木春信の作品の多くは海外に渡り、ルイ・カルティエ等が着想源にしたほどです。

鈴木春信 「寄山吹」
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こちらは2人の美女が寄り添って庭先を見つめる様子を描いた作品。視線の先は描かれていないので画面外への広がりを感じさせます。山吹を観てるのかな?? 上部の雲のように区切られた部分に歌も描かれていて、何かの物語かもしれませんね。

鈴木春信 「弾琴美人」
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こちらはカラフルな印象を受ける作品。幾何学的な背景も絵として面白い

鈴木春信 「追羽子」
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最後に鈴木春信らしさがよく出ている作品。日常や季節を感じさせる主題、流麗で柔らかい輪郭、涼し気な目元などに特徴が観られると思います。それにしても2人の視線が交差する場所には羽がないのが気になるw 中央上部に木の枝か羽か判別しづらいのがあるけど、これかな?w 


ということで、あまり詳しいことは分からない人物ですが浮世絵の発展に決定的な功績を残したことは明らかとなっています。親しみが持てる主題が多いので現代でもファンは多く、美人画の展示などでよく見かけると思います。たまに個展も開かれるので、そうした機会があったら足を運びたい画家です。



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《クロード=ジョセフ・ヴェルネ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀フランスを代表する風景画家のクロード=ジョセフ・ヴェルネ(ジョゼフ・ヴェルネ)について取り上げます。日本ではあまり有名ではないかもしれませんが、フランスを始め西洋絵画を集めている大きな美術館にはよくコレクションされていて、日本では海外の○○美術館展といった機会でよく目にします。イタリアで学び新古典主義を少し先取りした雰囲気もありつつ、海景画を得意とし 実際に戸外でスケッチをして描いたリアリティのある描写や、光や大気の時間による変化を捉えるといった後のバルビゾン派や印象派のような姿勢で、絵画の歴史においても革新的な存在です。当時のアカデミーでも高く評価されていて、国王から依頼された連作「フランスの港」で名声を確固たるものとしました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

ジョセフ・ヴェルネは1714年に装飾画家の息子として南フランスのアヴィニョンで生まれ、14~15歳まで父のアトリエで学び 父の勧めで地元の有力画家フィリップ・ソーバンにも学んでいます。そして近くのエクス=アン=プロヴァンスの装飾画家ジャック・ヴィアリのもとで仕事をするようになり、1731年に貴族の邸宅の扉口上部を飾る一連の風景画を描き、これが最初期の作品となっています。そして1734年には庇護者のコーモン侯爵の力添えを得てイタリアのローマへと旅立ち、20年ほど滞在することになります。ローマではアドリアン・マングラールに師事したそうで、さらに17世紀のローマで活躍したクロード・ロラン、サルヴァトール・ローザ、ガスパール・デュゲなどの作品も研究するようになり、ジョバンニ・パオロ・パンニーニやアンドレア・ロカテッリにも影響を受けたそうです。
ローマでは古代美術品を素描する仕事に従事していましたが、やがてローマ在住の各国の外交庁や教皇庁の人々の間でジョセフ・ヴェルネの描く風景画が評判を得るようになっていきます。特にイギリス人に人気だったらしく、この時代のイギリス人は「グランドツアー」と呼ばれる 裕福な貴族の子弟が学業の終了時に行った大規模な旅行が背景にあります。(お土産で当地の風景画とかをよく買ってた) カンパーニャ平野やナポリ湾の眺めを描いた作品、そして難破船の主題が評価が高く イタリア滞在中の1746年にはフランスの王立絵画・彫刻アカデミーの準会員にもなっています。1753年3月にフランスに帰国すると、アカデミーの正会員となりルイ15世からの注文で連作「フランスの港」という大規模かつ名誉な仕事に着手しています。しかし、これによって10年以上フランス各地を転々とする生活となり、旅行による身体的負担に悩むことになったようです。そのため、本当は20点を予定していましたが15点でこの連作は終了しています。それでもこの連作は版画化され名声を高めました。

残念ながらイタリア時代や「フランスの港」の連作の写真はありませんでした…。50代から晩年にかけての作品をご紹介してまいります。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Le Matin à la mer, le départ pour la pêche」
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こちらは1765~1766年頃の作品で、タイトルを日本語にすると「朝の海、釣りへの出発」といった感じです。朝の清々しい空気感があり、柔らかい朝日の光の表現が見事です。水平線が低いので開放感もありますね。

この作品もそうですが、光に包まれた船の絵を観るとクロード・ロランの作品を思い起こします。(と言うか私はよく見間違いますw) 実際に、クロード・ロランを研究しているのでその影響は明らかですが、当時の批評家のドゥニ・ディドロはロランはただの風景画家だが、ヴェルネは歴史画家であると評したようです。ドゥニ・ディドロからは「絵画の魔術」とまで評されたらしいので、当時のジョセフ・ヴェルネがいかに評価されていたかが分かります。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Le Soir à la mer. L'entrée dons le port」
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こちらは1766年頃の作品で、タイトルを日本語にすると「夕方の海、港の入り口」かな。さっきと割と似た構図ですが、今度は夕日でさっきよりだいぶ赤味が増しています。人々も働いていたり ちょっとのんびりしていたりと生き生きしていて、夕方の雰囲気がよく出ているように思います。

ジョセフ・ヴェルネはよく港や海を描いていますが、時間を変えて同じ場所(ジョセフ・ヴェルネの場合は同じような場所ですが)を描くという手法は後のモネの連作を思わせるものがあります。光の微妙な変化を捉えるという点でも印象派の先駆けのようなことを試みていますね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「La nuit ; un port de mer au clair de luna」
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こちらは1771年の作品で、日本語にすると「夜、月明かりに照らされた港」です。月光が明るく神秘的で、手前の炎も面白い陰影を生んでいます。理想的な風景でありつつリアリティを感じさせるのがジョセフ・ヴェルネの魅力と言えるのではないでしょうか。

ジョセフ・ヴェルネは実際に画架を背に担いで戸外で制作していたようです。これも印象派と似た行動ですが、現地で描いた実景と空想を織り交ぜて描いた作品も多いようです。それがこうした理想性とリアリティを融合したような光景につながったんでしょうね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「夏の夕べ、イタリア風景」
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こちらは1773年の作品で、上野の国立西洋美術館の所蔵品です。これも恐らくいくつかの光景を組み合わせているようでイタリアの何処かは特定できないようですが、穏やかで神話のような光景に観えます。この頃になると新古典主義的な要素も出てきているようで、やや硬さを感じさせる仕上げとなっています。

この作品には対になる朝の光景の作品も確認されているそうです。一日の各時間を複数のタブローによって描き分けるのはイタリア時代からヴェルネが好んだ技法で、17世紀からの伝統に従っているのだとか。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Etude pour Le matin.Les baigneuses」「Etude pour Le midi」
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こちらは1771年の作品で、「朝、水浴」の習作と「昼」の習作となります。習作のせいか若干粗めの仕上がりですが、却って生々しい感じが出ていて好きです。廃墟のようなものもあり、自然の雄大さも感じられます。

この頃、イタリアのポンペイ遺跡などが発掘されたことをきっかけにヨーロッパでは廃墟ブームが起きています。同時代の画家にはユベール・ロベールやピラネージといった廃墟を得意とした画家もいて、こうした風景も好まれたのかもしれませんね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Entrée d'un port de mer par temps calme,au coucher de soleil」
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こちらは1777年の作品で、日本語にすると「穏やかな天気の中、夕暮れ時の海の港への入り口」と言った感じです。この絵、さっきも無かったか?と二度見してしまいそうになりますw 割と似た構図で似た色使いの作品が多いのも特徴かな。それ故に一度覚えるとすぐに認知できる画家だったりします。

実際、ジョセフ・ヴェルネ自身も多くの港を描いていて、独創性を失わずに制作し続けることに苦しんでいたそうです。海や港なんてどこも似てるのに独創性を出すとなると大変ですね…。そのためか各地方の独特の風俗を描いたりしていたようで、それも評価を高めた一因のようです。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Une tempête avec naufrage d'un vaisseau」
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こちらは1777年の作品で、日本語にすると「難破船と嵐」かな。波が高く真っ黒な雲や雷鳴が何ともドラマチックな光景となっています。船は明らかに座礁していて自然の驚異を感じます。一方で穏やかな空も観えているのが静と動の対比になっていて一層に神秘的に思えます。

難破船の主題はヴェルネの作品の中でも高い評価を受けたテーマで、特徴の1つとなっています。いつ頃から難破船を描いていたか分からないようですが、ローマにいた頃に影響を受けたパウル・ブリル、クロードロラン、ピーテル・ファン・ラールらはヴェルネより前にこの主題を描いていたそうです。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「le naufrage dans la tempête」
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こちらは晩年の1788年の作品で、日本語にすると「大波の中の難破船」となります。この絵でも雷鳴が轟き大波が岩に砕け散る様子が見事に描写されています。救助する人たちの姿も真に迫っていて緊張感がありますね。

ジョセフ・ヴェルネは嵐を描くために体を船のマストに縛りつけてスケッチしたという逸話があるそうです。何という画家根性!w それだけ体を張っていたから体力を消耗したんでしょうね。晩年には弟子のヴァランシエンヌの影響で歴史的風景画にも取り組んでいたそうですが、この絵を描いた翌年の1789年に亡くなっています。

ここからはオマケとなりますが、ジョセフ・ヴェルネは本人だけでなく息子のカルル・ヴェルネと孫のオラース・ヴェルネも画家となって活躍しています

オラース・ヴェルネ 「Joseph Vernet attaché à un mât étudie les effets de la tempête.」
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こちらはジョセフ・ヴェルネの孫の作品で、1822年のもの。ジョセフ・ヴェルネの嵐を模した作品のようで、祖父の作風によく似ているように思います。

オラース・ヴェルネ 「Mazeppa」
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こちらはオラース・ヴェルネの1826年の作品。オラース・ヴェルネはフランス復古王政時代に戦闘場面を描いて評価された画家で、この絵でも緊迫した雰囲気が感じられます。何故2枚似たような絵があるのかは解説がフランス語で読めず…w


ということで、当時から評価が高く革新的な取り組みをしていた画家です。日本で個展が開かれたことは無いようですが、現在開催中のロンドン・ナショナル・ギャラリー展など有名美術館のコレクション展などでお目にかかる機会があります。覚えやすい画風なので、これを機会に意識してみると見方も変わってくるのではないかと思います。



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