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川瀬巴水 旅と郷愁の風景 【SOMPO美術館】

前回ご紹介したリニューアルされたSOMPO美術館で「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」を観てきました。この展示は2期に分かれていて、私が観たのは前期の内容となっています(この記事を書いた時点で後期となっています)

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【展覧名】
 川瀬巴水 旅と郷愁の風景

【公式サイト】
 https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2020/kawasehasui/

【会場】SOMPO美術館
【最寄】新宿駅

【会期】
 前期:2021年10月02日(土)~11月14日(日)
 後期:2021年11月17日(水)~12月26日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_4_⑤_満足

【感想】
日時指定入場制の展示であったので、混雑感はそれほどなく概ね自分のペースで観ることができました。後半は撮影可能なところがあったので、そこだけ若干混んでる感があったかな。

さて、この展示は大正から昭和にかけて活躍した版画家の川瀬巴水の大規模な回顧展となっています。前期・後期合わせて270点程度というボリュームで、時系列順に主要な作品が並ぶという決定版のような内容です。今回はあまりメモを取らずじっくりと楽しんできたのですが、定番の作品から観たことがないものまで幅広く、巴水が好きな私も大満足で楽しみにしていた甲斐がありました。解説のメモはありませんが、川瀬巴水については以前にもご紹介したので詳しくは下記の記事を参照頂ければと思います。展示は5階から3階へと下っていくようになっていて、3階だけ撮影可能となっていました。今回はその写真を中心にご紹介していこうと思います。
 参考記事:
  《川瀬巴水》 作者別紹介
  馬込時代の川瀬巴水 (大田区立郷土博物館)


<第1章 版画家・巴水、ふるさと東京と旅みやげ(関東大震災前)>
まずは巴水が版画家になることのコーナーです。ここには初期の「塩原三部作」や「旅みやげ第一集」「東京十二題」「東京十二ヶ月」「三菱深川別邸の図(前期のみ)」といった1918~1922年頃の作品が並びます。後期には「旅みやげ第二集」「日本風景選集」が出品されているので、前期後期の2回行っても楽しめそうです。 1918年(大正7年)に鏑木清方の弟子で同門の伊東深水の連作版画「近江八景」を観て感激して版画制作の道に入ったので、版画時代からは初期から揃っている感じかな。特に「東京十二題」は何度観ても素晴らしい作品ばかりで、いきなり見どころとなっています。(先述の記事に写真を載せております)


<第2章 「旅情詩人」巴水、名声の確立とスランプ(関東大震災後~戦中)>
続いての2章は1923年の関東大震災の後の時代の作品が並ぶコーナーです。関東大震災で家が全焼して写生帖も失ってしまいますが、版元の渡邊庄三郎は巴水を新しい作品のために旅へと送り出し、その旅行で描いた写生帖をもとに「旅みやげ第三集」が作られます。また、1926年に現在の大田区に引っ越しました。ここで震災後の傑作「東京二十景」を描き、人気を不動のものにするのですがマンネリが指摘されてスランプに陥ります。
ここには先述の「旅みやげ第三集」「東京二十景」の他に「東海道風景選集(前期のみ)」「日本風景集 東日本篇(前期のみ)」「日本風景集Ⅱ 関西篇」「新東京百景」「元箱根見南山荘風景集」などのシリーズがが並びます。確かに月夜や水面を描いた作品が多くてマンネリと言われる部分があるかもしれませんが、叙情的で面白い構図が多いので飽きるってことはないような…。この章の最後の辺りから撮影可能だったのでここから写真を使ってまいります。

川瀬巴水 「築地本願寺之夕月『新東京百景』より」
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こちらは現存する築地本願寺を描いたもの。写真が隣にあって比べるとかなり写実的ではあるものの、写真よりも静かで神秘的な感じに見えます。巴水は月夜が大好きなのは否めないw

川瀬巴水 「つつじ庭に遊ぶ二美人 『元箱根見南山荘風景集』より」
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こちらは岩崎小彌太に依頼されて描いた箱根の岩崎小彌太男爵別邸(現在は「山のホテル」)です。満開のツツジや富士山など華やかなモチーフが多く、気品が感じられます。これはちょっと巴水の中でも毛色が違うように思えるんですけどね。
 参考記事:山のホテルと箱根神社の写真 (箱根編)


<第3章 巴水、新境地を開拓、円熟期へ(戦中~戦後)>
最後は1930年代半ばから亡くなる1957年までのコーナーです。スランプを打破すべく朝鮮旅行した頃からの作品が並びます。

川瀬巴水 「白羊寺雙渓楼 『『朝鮮八景』より」
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日本と似ているようでちょっと違う異国情緒があるシリーズとなっています。夕日の当たる感じが特に美しい。

巴水は山川秀峰から朝鮮鉄道局の招きで旅行するので同行しないかと持ちかけられ、行き詰まりを感じていた1939年6月から1ヶ月程度の朝鮮旅行をしました。このシリーズがきっかけで震災後の精緻と描写に震災前の大胆な構図が合わさって円熟期へと入っていきます。

川瀬巴水 「京城慶会楼 『朝鮮八景』より」
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雪景色も巴水が大好きなテーマですw 朝鮮の光景だけど、どこか郷愁を感じるのは巴水の感性の賜物でしょうか。

川瀬巴水 「平壌之春(牡丹台浮碧楼) 『朝鮮八景』より」
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現在の北朝鮮の風景かな。のんびりと風景を楽しんでいる人たちが長閑な印象です。華やかで温かみがあって好み。

こちらは戦後の1952年の「野火止平林寺」の完成までの工程を紹介するために摺りの過程を10回に分けて記録したセット。
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10回も摺るの?って感じですが、実際には30回も摺りますw 工程が見て取れるので非常に分かりやすくて参考になります。これを作ったのは文部省による文化財保存の一環として伝統的な木版画の技術を記録するためで、美人画は伊東深水、風景画は川瀬巴水が選ばれました。

川瀬巴水 「野火止平林寺」
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こちらが完成品。版画とは思えないほどの巧みな色彩表現となっています。確かにこれは30回摺ってるのも納得かなw

こちらは同じく1952年に摺りあがりを確認する巴水(右)と摺師の斧銀太郎
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厳しい表情で観てるんで問い詰めてるみたいに見えるw 摺り上がりはクオリティに大きく影響するだけに作者のチェックも重要なんでしょうね。

こちらは巴水が使っていた印章
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中央の「川瀬印」はほとんどの巴水作品に押印されたそうです。確かに小さく入っている印に見覚えがありました。

川瀬巴水 「江の島 (1953・昭和28年カレンダーの8月)」
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こちらはパシフィック・トランスポート・ライン社注目制作作品のカレンダーからの1枚。夜の静かな海に灯りが反射して旅情を誘われます。左側の障子越しに見えるのが旅館からの光景っぽいですね。

川瀬巴水 「十和田湖の秋 (1953・昭和28年カレンダーの11月)」
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こちらもカレンダーからの1枚。以前に比べると色が明るくなったようにも思えますが、水面を行く帆船というのも巴水が愛した光景ですね。

川瀬巴水 「増上寺之雪」
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こちらは先述の文部省の依頼で作った製作工程の記録に使われた作品。モデルは巴水、奥さん、養女の3人なんだとか。これは42回も摺りを重ねているという恐るべき超絶技巧です。

川瀬巴水 「吉田の雪晴」
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こちらは終戦間際の1944年の作品。堂々たる富士山と雪景色が冬の寒さと清らかさを感じさせます。澄んだ空気まで伝わってきますね。

川瀬巴水 「上州法師温泉」
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こちらは1933年の作品(この辺は時系列がおかしい) 湯船に浸かってるのは巴水自身で、大きな風呂を真っ昼間から独占して手を広げて非常にリラックスした感じが出てますw これも旅情をかきたてますねえ。

川瀬巴水 「写生帖第40号 法師温泉寿の湯」
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こちらは先程の作品の元になったと思われるスケッチ。比べて観られるのが面白い。入浴の図解までしっかり描かれているのがさすがだけど、ちょっと微笑ましいw

今回はスティーブ・ジョブズが巴水を愛したということも取り上げていました。ってこれは新版画ではあるけど橋口五葉やないかw
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左の真ん中のモニタに写ってるのが橋口五葉の作品です。ジョブズは10代の頃に親友の家で巴水の作品を目にしていたようで、80年代から実際に新版画(特に巴水)を集めるようになりました。新版画の話をしているときに吉田博も良いよねって言ったら、ジョブズは巴水がナンバーワンだと言っていたほど心酔していたのだとか。それなら↑で巴水の絵を使ってほしかったようなw 

戦後、進駐軍が来たときにアメリカ人に川瀬巴水の作品は特に好まれたようで、その辺は吉田博と似た状況ですね。

川瀬巴水 「冨士之雪晴(忍野附近)」
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最後の辺りは富士山多めとなっていました。写真のように正確でありつつ、心に響く郷愁があるのが巴水の魅力です。

川瀬巴水 「法隆寺西里」
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こちらは資料として並んでいた最晩年の頃(1956)の作品。割と平坦で色の対比が巴水にしては強く感じられます。こういう作品もあったのは意外でした。


ということで、巴水の魅力を十二分に楽しめる内容で非常に満足できました。おかげで また巴水の図録を買ってしまった…w 会期が残り少なく、予約制となっていますので気になる方はすぐにでもどうぞ。今期オススメの展示です。


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小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌 【東京ステーションギャラリー】

2週間ほど前に東京ステーションギャラリーで「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」を観てきました。この展示は既に終了しておりますが、鳥取に巡回予定なので記事にしておこうと思います。

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【展覧名】
 小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌

【公式サイト】
 https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202110_kobayakawa.html

【会場】東京ステーションギャラリー
【最寄】東京駅

【会期】2021年10月9日(土) ~ 11月28日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
この展示は日時指定予約制だったこともあり混むこともなく自分のペースで観ることができました。

さて、この展示は小早川秋聲[こばやかわしゅうせい/本名・盈麿(みつまろ)/1885-1974]という京都を中心に活躍した画家の初めての大規模な回顧展となります。

小早川秋聲は1885年に鳥取日野町の光徳寺の住職の長男として生まれました。母親の里である神戸の九鬼子爵邸内で育ち、9歳の時に東本願寺の衆徒として僧籍に入ります。その後、画家になることを志すようになり、京都の日本画家 谷口香嶠に入門し、1909年には京都市立絵画専門学校に入学しています。しかし、間もなく退学して中国に渡り、東洋美術を研究するようになりました。師の没後は京都画壇の巨匠である山元春挙に師事して画技を磨き、文展・帝展で入選を重ねていきます。小早川秋聲は旅をよくした画家で、青年期からしばしば中国に渡り1920年からは西洋美術を学ぶために欧州も巡っています。1926年には北米を訪問し、反日機運の高まりを抑える為に日本美術の紹介に尽力するなど海外でも活動しました。やがて1931年に満州事変が勃発すると、それ以降は従軍画家として度々戦地に派遣され、戦争画を多く描いています。その内の1枚の「國之楯」は軍に受け取りを拒否され、長く秘匿されていましたが戦後に自らの手で改作され、現代では代表作となっています。
こんな感じで戦前・戦中・戦後と活躍していたものの、従軍画家として軍に協力していたということもあってか、ちょっと忘れられた存在となっていたわけですが、今回はその代表作の「國之楯」などを含めてその全容を知ることの出来る内容となっていました。時代ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。

ちなみに公式サイトの漫画が非常に参考になるので、先に読んでおくと理解しやすいと思います。
 参考リンク:公式の漫画


<1 はじまり 京都での修業時代>
まずは修行時代のコーナーです。先述の通り鳥取のお寺で生まれたのですが、母は摂津国三田藩の藩主である九鬼隆義の義妹で、母の里で育つことになります。幼少から絵を好み、中学の時には博物館に通い模写などをしていたようです。1901年に谷口香嶠に師事し自邇会に入り、歴史画を多く描きました。日露戦争では1905年に見習い士官として従軍し、陸軍騎兵少尉にまでなっています(そのため、馬に詳しい) 1909年に京都市立絵画学校が開校すると師が教授だったので一旦は入学したものの間もなく退学し、中国へ東洋美術を学びに行きました。1913年にまた1年半ほど中国に渡り 名勝古跡などを巡って、その翌年に記念画会を開催されると そこに春挙塾の画家が出席したのが縁で後の師の山元春挙と出会っています。ここにはそうした時期の作品が並んでいました。

1 小早川秋聲 「山中鹿介三日月を拝する之図」
こちらは鎧姿の烏帽子の武士が手を合わせて祈る様子が描かれています。かなりボロボロで古い絵に見えますが、10代後半頃の作品のようです。モチーフは三日月に「七難八苦を与え給え」と祈った山中鹿介の逸話で、月岡芳年が同じ人物を描いた作品を参照しつつ自分のものとして描いたようです。10代にして渋い題材ですが、早くも才能が垣間見える作品でした。

2 小早川秋聲 「露営之図」
こちらは恐らく日露戦争に従軍したときの作品。テントと木を背にして焚き火をしている兵士が3人描かれ、火にあたった顔がぼんやりと浮かんでいます。白い煙が立つものの辺りは真っ暗で、タバコを吸って後ろ向きの兵士などは闇に紛れています。静かではあるもののどこか緊張感があるように思えました。

4 小早川秋聲 「するめといわし」
こちらは京都市立絵画学校に入った頃の課題制作で、その名の通りスルメとイワシが忠実に写生されています。質感を出そうとしてかなり細かく描き込まれ、吸盤までリアルな描写となっていました。

この後に中国に旅行し、小早川は「旅行狂人」と呼ばれるほど旅する画家となっていきます。

6 小早川秋聲 「譽之的」 ★こちらで観られます
こちらは那須与一が的を射る話がモチーフになった作品です。白い馬に乗って海に入り、弓矢を構えて的を見る鎧姿に烏帽子の若者で、鋭い目つきとポーズに緊張感が漲っていました。波の白い飛沫の表現などまで精緻で、高い技術が伺えました。

この辺は歴史的人物などが並びます。たまに南画っぽい画風など若干緩めの作品もありました。


<2 旅する画家 異文化との出会い>
1916年に山元春挙に師事し、画塾 早苗会に入会すると、写生旅行なども盛んな早苗会の影響でますます旅の意欲が旺盛となりました。1918~20年には山陰、南紀、北海道を旅して画文集を刊行しています。1920年末からは西洋に向かい、まず中国へ渡ります。そこで体調を崩して大連で過ごした後、中国国内を巡り 上海を発って インド、イタリア、ドイツ、オーストリア、チェコスロヴァキア、ハンガリー、スイス、フランス、イギリス、ギリシャ、グリーンランド、オランダ、エジプト等、17カ国の美術館・博物館・寺院などを周り、色彩感覚を磨いたようで 画風は明るく瑞々しくなっていきます。1926年に日本美術の紹介を通してアメリカの対日感情を好転するように要請されてアメリカに渡ると、日本画について講演や展覧会を行ったりしたようです。この間にも帝展に大作を出品して発表していて、第11回から永久無審査となっています。この時期は脂が乗っていて、評論家からは「抒情ロマンチシズム」と言われているようです。

13 小早川秋聲 「裏日本所見畫譜」
こちらは色紙サイズの写生スケッチ集で、山陰などで観た風景が描かれています。余部の橋は夜の光景で、蒸気機関車が向かってくる様子が叙情的に描かれていて特に好み。全体的に淡い色彩と素朴な描写となっていて郷愁を誘うものばかりでした。全48図あったのが今は23図だけ現存しているようです。

18 小早川秋聲 「恋知り初めて」
こちらは竹久夢二風の女性を描いたもので、エメラルドグリーンの壁を背景に白いブラウスと黒いスカートの姿で座っています。右上には北斎の山下白雨が忠実に描かれた画中画があり、ブラウスには白いレースがかかなり細かく浮くように描かれているなど、これまでとだいぶ雰囲気が違って見えます。気だるく色っぽい表情で、全体的にぼんやりした色彩と相まってミステリアスな雰囲気となっていました。

この辺には仙人や釈迦を描いた作品もあり、画風も結構色々ありました。

19 小早川秋聲 「旧山河(フルサト)」
こちらは六曲一双の屏風で、右隻には木の元で地べたに座り込んで景色を見下ろす黒い帽子の老人が描かれ、その左側には広々とした山野が広がっています。山に雲や霧がかかり雄大な光景となっていて、集落や花咲く様子などもあって牧歌的な雰囲気でした。

近くにはシルクロードの砂漠のラクダのキャラバン隊を描いた作品もありました。一方で様々な子供の玩具を描いたゆるキャラ的な可愛らしい絵柄(禅画みたな)の作品もあったり、多彩な作風となっていました。

15 小早川秋聲 「追分物語」
こちらは源義経がアイヌの娘が共に大陸に逃げ延びたという民間伝承を題材にした自分の随筆『追分物語』を題材にした作品です。船の上に赤い和服のような着物の上にアイヌの装束を重ねて着ている女性が描かれ、周りは雨が降り波が飛沫をあげて暗い雰囲気です。何か不吉な予感すら感じるような色彩となっていました。

この辺には旅先からのハガキや、ヨーロッパに向かう途中のスケッチなどがあり、タージマハルやエジプトの神殿、ピラミッド、ナポリのベスビオ山などが描かれています。夕景・夜景が多く神秘的な作品ばかりで、好みでした。アルプスで遭難しかけたりロンドン~パリの間で初めて飛行機に乗ったりと盛り沢山な経験をしてきたようです。

41 小早川秋聲 「伊太利所見」
こちらは掛け軸で、海と空と砂浜が一体化したような明るく爽やかな画面で、真ん中に石の門が唐突に建っていてシュルレアリスム的なものを感じます。波の上を鳥らしきものが白い飛沫を挙げていて、長閑で幻想的な美しさがありました。

48 小早川秋聲 「未来」 ★こちらで観られます
こちらは米国に行っていた頃に帝展に出品した作品で、打ち掛けのようなものを掛けて横向きに寝ている少女が描かれています。周りには沢山のおもちゃがあり、金砂子でぼんやりと覆われて夢の中に浮かんでいる情景のように見えます。あどけなくて無垢な雰囲気が出ていて可愛らしい寝顔でした。

近くには雪舟が子供時代に柱に縛られてもネズミを描いたという伝説を題材にした作品がありました。

63 小早川秋聲 「長崎へ航く」 ★こちらで観られます
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こちらはオランダの港から江戸時代の日本へ向けて出発するオランダ人たちの船を描いた作品です。3人の女性と幼い子供の後ろ姿が大きく描かれ、腰に手を当てたりしながら見送っているようです。女の子は日本人形を持っているなど、行き先を暗示しているかな。小早川秋聲はこの絵のためにオランダの更紗を集め、時代考証もしたようです。また、この作品とよく似た構図のポスターがベルギーのデザイナーにかかれていて、渡欧の際に観たと考えられるようです。背中で感情が伝わってくるような面白い構図でした。

この辺には帝展や文展に出した大型作品が並んでいました、

小早川秋聲 「愷陣」 ★こちらで観られます
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帝展の出品作で、戦場から帰った兵士は讃えられ歓待されるのに、戦火を共にした軍馬は埃まみれであるのを、村人が労をねぎらい花で飾ったという漢詩に着想を得ています。白い花が華やいでいて、ややくすんだ馬と比べて強い色彩に感じられます。馬具や馬をよく知っていただけあり、堂々たる雰囲気ですね。


<3 従軍画家として 《國之楯》へと至る道>
続いては従軍画家時代のコーナーです。小早川秋聲は1931年の満州事変の直後に北満州を訪れています。やがて1937年の盧溝橋事件で日中戦争が始まると、10月には東本願寺より従軍慰問使として嘱託されて戦地へと赴き 従軍画家となります。1940年には九段国防館銃後室への献納壁画を制作し、翌年に聖戦美術講演会で藤田嗣治と共に講演を行っています。1943年には陸軍によりビルマに派遣され、その後に代表作となる「國之楯」を手掛け、1944年2月に完成しました。ここにはそうした戦時中の作品が多く並んでいました。

72 小早川秋聲 「細雨蕭々」
こちらは暗い草原の中にぼんやりと光る1つだけのホタルの光を描いた作品。静かで消え入りそうなくらい儚い感じとなっていて、雲母が使われ雨や水滴も表現しようとしているようです。ほぼ真っ暗ですが、繊細な表現となっていました。

67 小早川秋聲 「護国」
こちらは真っ暗な中で」焚き火を囲う兵士たちが描かれた作品。ぼんやりと馬や犬の姿もあり、立ち上る炎が赤々としています。細かい点々が火の粉のように見えて、焚き火の雰囲気がよく出ています。兵士たちは疲れが出ていて休んでいる姿がちょっと悲しくも見えました。
解説によると、この作品は帝展出品の際にはこの周りに小さい絵を14面並べ、行軍仲間を葬る様子なども描かれていたようです。従軍の頃の記憶を元に描いたようですが、どこか儚く物悲しい印象でした。

81 小早川秋聲 「虫の音」
こちらは戦地で地べたに横たわったり うずくまって寝ている兵士が描かれています。空には三日月が浮かび、割と安らかな顔で寝ているように見えるかな。日の丸の扇子を持った者などもいて、祖国を夢で見ているのかもしれません。戦地なのに穏やかな印象で、離れていても家族との結びつきを感じさせるような作品だったのではないかと思います。解説によると九段の壁画にも寝ている姿を描いたそうで、小早川秋聲は戦争に協力的で従軍しつつも、戦争の悲惨さには悲しんでいたようです。

76 小早川秋聲 「護国の英霊」
こちらは1937年当時の教科書に載った作品で、半月の下で土に埋められる兵士が描かれています。3人がスコップで埋めて、7人が敬礼のポーズをしています。全体的に暗く静けさが漂い、沈痛の思いと月光の美しさが妙にマッチしていました。

この辺には家族を失った女性を描いた作品もありました。悲しくも逞しい姿となっています。

92 小早川秋聲 「國之楯」 ★こちらで観られます
こちらが今回の見どころとなる代表作で、亡くなった兵士が仰向けになり、胸の上に手を組んで頭の上には寄せ書きされた日章旗が掛けられています。日章旗の赤い部分がちょうど顔の上になって、顔の形が薄っすらと分かるような感じです。そして顔の周りには仏の光輪のように金の輪があり、亡くなった兵士の尊厳が感じられます。解説によると、周りには元々は桜が降り積もっていたようで、よく観ると塗り潰している痕跡が残っています(厚塗りでひび割れてる) 桜のようにパッと咲いてパッと散るのを美徳とした戦前の価値観を戦後に深く反省してこのような修正をしたようで、タイトルも「軍神」から現在の「國之楯」に変わりました。当時、この絵は英霊を讃える絵とも、死を悲しむ絵とも受け取られ、この絵を観て敬礼する軍人もいれば 泣き崩れた女性もいたようです。その相反する反応もあってか陸軍からは受け取りを拒否されました。観ていると、まるでその場に遺体があるようで、そうした多様な反応も頷けるかな。無言で多くを語ってくるような圧倒的な作品でした。

この隣には下絵がありました。過去にエジプトの棺を似た構図で描いているのも影響しているのかもしれません。戦争への思いや反省も込められた傑作です。


<4 戦後を生きる 静寂の日々>
最後は戦後の晩年のコーナーです。小早川秋聲は戦犯として捕まることも覚悟していたようですが、そうはならなかったようで、戦後間もなく日展の審査員選考委員を務めています。体調を崩し大規模な展覧会にはほどんど出品しなくなり、戦後は仏画や仙人を描いた作品や、干支を書いた作品など小品が多くなっています。また、戦後の作品は表装へのこだわりが特徴で、インドの更紗や西陣織、古代裂などの表装を用いました。1974年に88歳で老衰でなくなり、その後20年ほど忘れられた存在となりましたが1995年に『芸術新潮』に「國之楯」などが掲載され再評価が始まりました。地道な研究の結果が今回の展示へと繋がっています。ここにはそうした戦後の作品が並んでいました。

96 小早川秋聲 「聖火は走る」
こちらは日の丸のシャツを着た聖火ランナーがトーチを持って走る様子が描かれた作品。火は金色で後ろに向かって金砂子が尾を引いて、周りは空に包まれたような感じにかかれています。輪郭が太く、筋肉隆々な感じで厳しい表情が凛々しい雰囲気となっていました。

この地殻には仏画や三猿を描いた作品などもありました。

95 小早川秋聲 「天下和順」 ★こちらで観られます
こちらは上部中央に丸い月輪があり、その下に数え切れないほどの白い服の人たちが踊っている様子が描かれています。踊りの列がうねるようで、所々に金色の瓶が置かれています。ちょっと意図は分かりませんでしたが、大勢いても騒がしいという感じではなく神秘的で、平和を謳歌しているようにも思えました。

最後の辺りには釈迦の出山のシーンを描いた作品などもありました。


ということで、戦争協力によって一種のタブーになってた感じの画家ですが、「國之楯」は特に心を打つ作品となっていました。図録も買って満足度の高い内容でした。もう終わってしまいましたが長く心に残る展示になりそうです。



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白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル 【渋谷区立松濤美術館】

先日ご紹介したbunkamuraに行く前に渋谷区立松濤美術館で「白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル」を観てきました。

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【展覧名】
 白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル

【公式サイト】
 https://shoto-museum.jp/exhibitions/194sirai/

【会場】渋谷区立松濤美術館
【最寄】神泉駅/渋谷駅

【会期】2021年10月23日(土)~12月12日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
この展示は事前予約制となっていて、そのせいもあって、それほど混むこともなく自分のペースで観ることができました。

さて、この展示はこの渋谷区立松濤美術館を設計した白井晟一(しらいせいいち)を紹介するもので、2部構成となっています。1部は今期で生い立ちから晩年までをざっくり紹介するもので、2部は次期の2022年に渋谷区立松濤美術館の建物にスポットを当てて紹介するという内容になるようです。白井晟一は他の建築家と違い、建築ではなく哲学や美術史を学び一級建築士の資格を取りませんでした。しかし、設計のできるスタッフらと共に高い評価を受ける建物をいくつも手掛けました。そうした変わった経歴なども含め、展示は年代ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとにご紹介していこうと思います。
 参考記事:建築家 白井晟一 精神と空間 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)


<序章 建築家となるまで>
まずは2階からで、最初は建築家になる前の時代についてです。白井晟一は1905年2月に京都に生まれ、戸籍上の本名は成一となります。銅を商う豪商の家でしたが、既に斜陽となり 複雑な家族環境の中で父が早く没してしまいます。その為、12歳の少年期から青年期にかけては20才年上の義兄(姉の夫)で著名な日本画家である近藤浩一路の元に身を寄せました。近藤浩一路の家には多くの画家や文学者が出入りしていたようで、それに刺激を受けていたようですが、転居を繰り返しました。やがて白井晟一は中学を卒業すると受験に失敗し、1924年に19歳で京都高等工芸学校図案科に入学します。白井がいつの頃から建築に興味を持ったのかは不明のようで、むしろ哲学に傾倒していたようです。しかし図案科の教授は建築家の本野精吾で、当時のカリキュラムには建築装飾があったので、建築家の素地となった可能性はあります。1928年に卒業するとドイツのハイデルベルク大学に留学し、そこでの第一志望は哲学科美術史でした。4年間でゴシック建築を観たり、義兄の展覧会でパリを訪れたり、多くの文化人などと出会っています。やがてベルリン大学に移ると、左派の新聞『伯林週報(べるりんしゅうほう)』の編集に携わり、社会主義運動への関心を深めていきます。その流れでモスクワを訪れたこともあるようですが、1933年にシベリア経由で帰国しています。この滞欧期の経験とネットワークが建築家の道に進む際の核心になっていきました。

ここにはまず学生時代のノートが展示されていました。部屋の内部を描いたもので、綺麗にまとまっていて几帳面な感じを受けるかな。図案教育の椅子のデザイン画もあり、当時の学生はミュシャのトレースなどをしていたらしくアール・ヌーヴォー的な装飾に見えました。その先には留学時代の写真があり、義兄の近藤浩一路の展覧会の際に一緒に撮られた写真がパリの新聞に載っていました。精悍な雰囲気がするかな。ベルリン時代の日記なんかもあったのですが、この時代に共産主義思想って、日本人にはかなり危うい活動だったのでは…。


<第1章 戦前期 渡欧をへて独学で建築家へ>
続いては建築家になった頃のコーナーです。近藤夫妻は子どもたちを自由学園に通わせていたので、近隣の南沢学園町に自宅兼アトリエを新築することにしました。設計は建築家の平尾敏也に依頼したのですが、近藤の代わりに白井が建築に関する決定を取り仕切った為、後に平尾は近藤邸について「私ではなく白井が建てた」と語っています。そのため、1936年に完成したこの近藤邸が実質的なデビュー作となります。白井は木造の参考書や建築家の堀口捨己の著書などを読んで独学していたようです。完成した年の『婦人之友』の6月号で早くも取り上げられ、モダニズム風の自邸が高い評価を得て白井の元に設計の依頼が舞い込むようになりました。(近藤の文化人の人脈からの依頼が多い)

「河村邸(旧近藤浩一路邸)」 1935~36年 現存せず  ★こちらで観られます
ここにはその『婦人之友』の記事があり、ハーフティンバー様式に本瓦のモダンな家の外観と内部が載っていました。山小屋っぽさがあって洒落た雰囲気なので、人気になったのも頷けます。その隣には近藤の絵画もあり、当時の人気ぶりが紹介されていました。

「歓帰荘」 1935~37年
第2次世界大戦前の白井の現存唯一の建物の写真で、こちらもハーフティンバー様式となっています。内装だけみると北方ヨーロッパの家(特にドイツっぽいかな)のように見えます。

「嶋中山荘(夕顔の家)」 1941年 現存せず
こちらは中央公論社(ドイツの頃から懇意な出版社)の社長の軽井沢の別荘で、茅葺き屋根で中は和室となっています。しかし横から見ると白壁で洋館っぽい趣きもあってスッキリした印象を受けました。この仕事が気に入られたようで、この社長の別荘の設計を次々と手掛けています。


<第2章 1950~60年代 人々のただなかで空間をつくる>
続いては敗戦直後の頃のコーナーです。ここでは戦後の3つの特徴について取り上げていました。
 1:地域主義的な側面があり、役場や会議所などの仕事が多い
 2:知識人との密接な交流。芸術家や文筆家の家
 3:白井の傍らで仕事を支えた人たち(右腕として精密な図面やスケッチを残した大村健策、初期の白井を助けた広瀬鎌二や笹原貞彦、大工の棟梁の岡野福松など)

「浮雲」 1949~52年
こちらは秋田県の稲住温泉の別棟で、当主は近藤と交流があって戦時中に荷物を疎開させる際に預かってくれていたようです。2階建てで2階のベランダがぐるっと囲っているのが目につきます。斜め格子の窓など北ヨーロッパの山荘を思わせる作りとなっていて、白井はこの建物について「温泉は都会の人は郷土的特性、地域の人は都会的な要素を求める。この2つの要素を兼ね備える意図があった」と語っていたのだとか。確かに山ならではの雰囲気がありつつ洒落ています。

ここには浮雲の離れも含めて細かい図面や、旅館の写真なども並んでいました、内部は和風でスッキリした印象です。

「秋ノ宮村役場」 1950~51年  ★こちらで観られます
こちらは1/50の模型があり、広くて角度の緩やかな切妻屋根が広がっているのが特徴となっています。「翼を広げ、今にも飛び立とうとする鳥」と評されたそうで、それも納得の美しさです。しかし、当時の住民たちは心配したようで、雪の重みに耐えられるか、暖房効率は悪くないか等、実用面について折衝を行っていたそうです。
この建物は設計図もあり、その大胆なデザインと共に精密な作図に驚きます。これは先述の広瀬鎌二が描いたもので、一級建築士の資格を取得しなかった白井を専門的・技術的にサポートしていたようです。広瀬鎌二からも白井に重要な示唆をしていたのではないかと考えられています。また、秋田の仕事の頃から白井の建築を手掛けるようになった大工の岡野福松のエピソードが紹介されていて、白井は金にはならないけど面白いと弟子に語っていたのだとかw 

「四同舎(湯沢酒造会館)」 1957~59年
こちらは美酒爛漫で有名な秋田の酒造会社の工場近くにある市民ホール的な建物です。白タイルの壁に黒塗りの銅板を張った柱があり、モダニズム風の2階建てとなっています。どっしりした四角い建物といった趣きで、堂々たる風格となっていました。

2階奥の展示室には装丁の仕事が並んでいました。懇意だった中央公論社の仕事が多いかな。デザイン画などもあります(★こちらで観られます)。華やかと言うよりは実直で厳格な印象の装丁(本の中身もw)でした。

「煥乎堂」 1953~54年 現存せず
こちらは明治初期創業の書店で、社長は著名な詩人でもあります。白井の最初のRC工法の建物で、吹き抜けのある2階建てとなっています。螺旋階段があったり、ラテン語で「汝の求むものはここにあり」という意味の言葉を玄関の上に飾るなど、洗練された雰囲気がありました。

「松井田町役場」 1955~56年
こちらは妙義山にパルテノンと言われた町役場で、写真を観ると円柱が並ぶベランダとなっていて言い得て妙だなと思わせます。実際、これだけ神殿ぽいと町役場って感じではない気がしますがw

他にも秋田県立美術館の計画などもあり、平べったく四角いシンプルな形となっていました。

「試作小住宅(渡部博士邸)」 1953年 ★こちらで観られます
こちらは1/30の模型があり、幅広の切妻屋根となっています。先程の秋ノ宮村役場に雰囲気が似てるかな。内部の写真は和風となっていて、幾何学的な美しい空間です。この切妻屋根は白井がよく使う屋根かも。

他にも蒐集したドイツの雑誌や、構想のための模型なども並んでいました。

「土筆居(近藤浩一路邸)」 1952~53年 現存せず
こちらは豊島区に建てられた2代目の近藤邸が戦災で消失したので、新たに作られた3代目です。大きく3つの棟に分けられ、母屋はレンガ造りの広い屋根が驚きのデザインとなっています。日本画家というよりは洋画家の家のような…w


<第3章 1960~70年代 人の在る空間の深化>
3章からは地下の展示となります。白井は1962年に親和銀行東京支店、大波止支店を手掛け、さらに本店も3期に渡って実現させました。そして1969年に親和銀行本店で建築年間賞、日本建築学会賞、毎日芸術賞などを受賞しています。白井は、人間生活の秩序のためには個我の妄執を打ち破る人間以上の力を持つ存在を畏敬する感情を欠くことは出来ないと語っていたようで、この時期から内省を促すような建築、どこか宗教的な雰囲気の建築となっているようです。ここにはそうした作品の写真や図面が並んでいました。 …2階に時間を掛けすぎてbunkamuraの予約時間まで残り40分を切ったので足早に観ることにw メモも少なめです。

「虚白庵」 1967~70年 現存せず
こちらは見覚えがありました。白井の自邸ですが現存していません。あまり窓がないというエピソードがあったと思うので、まさに内省する家かなw この家に使われた障子や外灯なども展示されていました。

「サンタ・キアラ館」 1973~74年
こちらはキリスト教の学園の礼拝堂で、石の壁が曲線になっているあたりが松濤美術館とよく似た雰囲気かな。重厚で、威厳が感じられます。

「親和銀行東京支店」 1962~63年 現存せず ★こちらで観られます
これは現像しませんが模型が展示されていて、黒い壁にスリットがあって銀行にしては威圧感があるんじゃないかなw やや冷たい感じもしますが厳かさすら漂う建物です。後で出てくるノアビルに似てるところもあります。

「親和銀行本店」 1966~67年、1968~70年、1973~75年
こちらは凄いインパクトがある建物なので記憶に残ってましたw 3期に渡って作られ、佐世保に現存しています。写真や図面が展示されていて、石造りの壁が銀行のビルというよりは中世の塔みたいな感じに見えます。 円形の中庭に枯山水の庭園があったり、和室などもあるようで、外見とのギャップにも驚きw 堅牢な雰囲気はやはり松濤美術館と似ているようにも思えました。

「ノアビル」 1972~74年
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こちらは1階に模型があり、撮影可能でした。真っ黒でツヤツヤした感じが今見るとプレイステーションみたいな近未来感があるような…w 下の方は石が使われてるのが白井っぽいかも

こちらは実際の建物の写真。
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15階建てで、上層部は在フィジー日本国大使館なども入っているそうです。施主の頭文字のNに由来して白井が名付けたようですが、堅牢さや神秘性がノアの方舟を連想させますね。

「原爆堂計画」 1954~55年 実現せず
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こちらは実現しなかった計画。1階に撮影可能な模型があり、地下ではCGで実現したらこうだったという映像を流していました。
円筒を中心に平たい四角の部屋が浮かんでいるような形の建物で、原爆をイメージしているようです。 

中央の建物のアップ
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核を保持した文明の悲劇そのものと対峙する意想で、敷地も施主も前提としていなかった計画です。

逆から見るとこんな感じ
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モニュメンタルで象徴的な意味がありそうに見えますね


<終章 1970~80年代 永続する空間をもとめて>
最後は晩年についてです。1980年代に松濤美術館と静岡市立芹沢銈介美術館を手掛け、計画を含めると複数の美術館を立案していたようです(実現は先述の2つ) しかし1983年に建設現場で倒れ、その3日後に亡くなってしまいました。ここでは2つの美術館と晩年の建物などが数点紹介されていました。

「静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)」 1979~81年
こちらは石組みで出来た建物で、アーチ状の扉があったりしてヨーロッパの古い城などを彷彿とします。全然形は違うものの、石組みや中のアールなどを観ると割と松濤美術館と似ているような気がしました。ここは現存するのでいつか訪れてみたいです。

松濤美術館についてはごく小規模でした。第2部は松濤美術館が主役なので今回は少なめって感じかなw 最後のドローイングがあり、建物を描いたものだけでなく絵画的なものもありました。


ということで、盛りだくさんな内容となっていました。白井晟一は哲学を学んでいたので、どこか観念的というか内省的というか、静かな知性が感じられるように思います。まさにクロニクルとしてその仕事ぶりを網羅しているので、これを機に白井の建築を知ることができる展示です。

おまけ:松濤美術館の外観。次回の展示は建物公開なので主役となります。
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ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス 【Bunkamura ザ・ミュージアム】

この週末に渋谷のBunkamuraで「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」を観てきました。既に会期末なので先にご紹介しておこうと思います。なお、今回の記事で使っている作品の写真は以前にポーラ美術館で撮影可能な時に撮ったものです。今回の展示では撮影禁止となっております。

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【展覧名】
 ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス

【公式サイト】
 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_pola/

【会場】Bunkamura ザ・ミュージアム
【最寄】渋谷駅

【会期】2021/9/18(土)~ 11/23(火・祝)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
終盤ということもあってかなり混んでいました。この展示は事前予約制の時間帯指定があり、17時の回しか空いてなかったので1時間でダッシュで観る羽目に…w 

さて、この展示は箱根にあるポーラ美術館が誇るコレクションの中から近代フランス絵画の巨匠たち28名74点も集まったもので、これさえ観ておけば印象派からキュビスムやエコール・ド・パリ辺りまでのメインストリームが分かるという内容となっています。ざっくりと時代や画家、テーマなどで章分けされていましたので、詳しくは各章ごとにご紹介してまいります。冒頭に書いたように、この記事で使ってる写真は主にこちら↓の展示の時に撮ったものです。
 参考記事:100点の名画でめぐる100年の度 (ポーラ美術館)箱根編

<第1章 都市と自然 ―モネ、ルノワールと印象派>
まずはコローから印象派にかけての時代のコーナーです。ここには同時代の風景や人物を描いた作品が並んでいました。

1 ジャン=バティスト=カミーユ・コロー 「森のなかの少女」
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じっと牛を見つめている少女。素朴で穏やかな田舎の暮らしを想像させます。全体的にぼんやりしていて神秘的ですらある。

7 クロード・モネ 「睡蓮」
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モネの代表作の連作からの1枚。優しい色彩で、近くで観ると縦方向に揺らめくようなタッチが確認できます。反射で木の存在や空の様子なども伝わってきますね。

4 クロード・モネ 「サン=ラザール駅の線路」
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こちらもポーラ美術館の誇る人気作。駅や線路というよりは漂う蒸気が主役になっていますね。移ろいゆく大気や光を捉えようとした印象派らしい題材。

3 クロード・モネ 「散歩」
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こちらは最初の妻と乳母と息子を描いたアルジャントゥイユにいた頃の作品。穏やかな光を感じ優雅な雰囲気。幸せな気持ちになります。

2 クロード・モネ 「セーヌ河の支流からみたアルジャントゥイユ」
ドービニーを真似してアトリエ船で川の上から描いた作品で、向こうから3人乗ったボートが近づいていきます。白いマストの小舟などもいて行楽のようですが、空は曇っていて木がしなるなど天気が荒れそうな風の強さを感じます。その場の雰囲気がよく伝わってくるようでした。
 参考記事:
  ポーラ美術館コレクション展 印象派とエコール・ド・パリ 感想前編(横浜美術館)
  モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新 感想前編(国立西洋美術館)

この展示は絵画だけでなく各所にガレやラリックの香水瓶なども置かれています。化粧品メーカーだけあって、その辺のコレクションも充実していますね

11 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「ムール貝採り」
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この美術館のコレクションの中でも特に好きな作品の1つです。印象派に回帰しつつロココ様式の要素が感じられます。それにしても何とも素朴で可愛らしいです

10 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「髪かざり」
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こちらを観て微笑む女性が幸せそうな雰囲気です。「絵は楽しくて美しいものでなければならない」という考えを持っていたのがよく分かります。
 参考記事:《ピエール=オーギュスト・ルノワール》 作者別紹介

12 ピエール・オーギュスト・ルノワール 「レースの帽子の少女」
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こちらの人気作もありました。ルノワールは仕立て屋の息子なのでファッションへの力の入れようは他の印象派に比べても際立っています。

ルノワールは他にも裸婦が3点ほどありました。表現と色彩が違っていて、肌に青色が交じるような表現をしていたこともあれば晩年のように滑らかで温かみのある肌の時期もあります。

18 カミーユ・ピサロ 「エラニーの花咲く梨の木、朝」
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こちらは近くで観ると細かい点描で描かれていて、スーラやシニャックといった年下の新印象主義に影響を受けています。最後となる第8回印象派展の出品作なので、歴史的な1枚。(新印象主義の扱いで揉めたのも一因w)

21 アルフレッド・シスレー 「ロワン河畔、朝」
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こちらは通り沿いのショーウィンドウにあった絵葉書を撮ったものです。色が薄めで、青空が非常に爽やかです。最も印象派らしい画家と呼ばれたシスレーですが、特に水辺の光景が多いのが特徴です。


<第2章 日常の輝き―セザンヌ、ゴッホとポスト印象派>
続いては印象派の次の世代を担った画家たちのコーナーです。印象派の絵具を混ぜずにそのまま画面上に配置していき、明るい色彩を表現する「筆触分割」を更に発展させた大胆な作品などが並びます。

29 ポール・シニャック 「オーセールの橋」
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こちらは新印象主義の点描技法で描かれています。紫がかって見える大きめの点がシニャックらしさを感じるかな。手前がやや暗めとなっていて、奥は明るめになっているなど点描でも陰影の表現が巧みです。まるで奥の景色が輝いて見えますね。

24 ポール・セザンヌ 「4人の水浴の女たち」
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こちらは人物が三角形に配置されている作品。セザンヌはこうした構成を意識した作品が多いので、これはそれが特によく現れていると思います。近くで観ると細長いタッチが斜めになっているのが分かり、それもリズムを生んでいました。

25 ポール・セザンヌ 「プロヴァンスの風景」
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セザンヌといえば南フランスの風景で、赤い屋根とクリーム色の家をよく描きました。緑と赤の対比が目に鮮やかで、形態的な面白さもあります。

33 ピエール・ボナール 「地中海の庭」
これは初めて観ました。巨大な作品で、第一次世界大戦の間に描いた装飾画の1点です。そんな暗い世相は全く感じさせない明るい色彩で、黄色いミモザの花に埋め尽くされた画面となっています。右下にはオレンジが入った果物籠を画面左にいる2人の子に差し出す若い女性の姿があり、長閑な雰囲気です。奥には暗めの木々があり、手前の黄色を引き立てています。さらに奥にはヤシの木や青い海と空が広がり、爽やかで心温まる光景でした。

35 ピエール・ボナール 「ミモザのある階段」
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こちらも非常に明るい色彩の作品。ボナールの作品はオレンジや黄色が多いので温かみがありますね。近くで観るとかなり大胆なタッチとなっています。

32 ピエール・ボナール 「浴槽、ブルーのハーモニー」
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こちらはパートナー(後の奥さん)のマルトが水浴している姿。タイトルの通り青の多い画面でそれぞれ違っているのが面白い。神経の病気で1日に何度も風呂に入っていたのでボナールもよくマルトの水浴を題材にしました。ちなみにこのマルトは結婚したときにボナールに8歳も年をサバ読んで伝えていたことが発覚した上に、実はマリアという本名だったことも判明しましたw

26 ポール・ゴーガン 「ポン=タヴェンの木陰の母と子」
崖のような所?でブルターニュ地方の白黒の民族衣装を着た母親がしゃがんで何かしていて、その傍らに子供が立っています。画面の大半は緑が生い茂り、やや暗めの色調かな。見晴らすような構図となっていて、これは浮世絵からの影響があるようです。細長いタッチがリズミカルでした。

27 ポール・ゴーガン 「白いテーブルクロス」
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こちらはゴーギャンにしては優しい色使いに感じられます。ピサロやセザンヌからの影響も現れた1枚。

36 ピエール・ラプラード 「バラを持つ婦人」
こちらは初めて観ました。暗い背景に横向きの女性が描かれた肖像で、肩を出したドレスのような服を着て頭のバラの飾りを手で抑えています。目を閉じているのがメランコリー(憂鬱)の伝統的な表現ですが、ピンクがかった衣装が可憐な雰囲気を出しています。女性の前にはパンや花瓶のようなものもあり、食事しているのかも?? 輪郭線がなく背景に溶け込むようにぼんやりした画風も特徴的で、非常に気に入りました。


<第3章 新しさを求めて―マティス、ピカソと20世紀の画家たち>
続いてはフォーヴィスムやキュビスムの画家のコーナーです。

39 モーリス・ド・ヴラマンク 「シャトゥー」
中央に川向こうの建物が描かれ、それを覆うように手前の木々がアーチのように囲んでいます。色が強くやや平坦なタッチも大胆で、全体的にセザンヌからの影響が感じられます。どうやらこれを描いた場所もセザンヌの作品にあるようで、その敬愛ぶりも伺えました。

近くにはキュビスムになる前のジョルジュ・ブラックの作品などもありました。

43 ラウル・デュフィ 「パリ」
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今回のポスターにもなっている作品で、水彩のように透明感のある色彩ですが油彩です。昼から夜に移り変わるのを屏風のような形式で表現していて、色彩と共にサラサラッと描いた描線が軽やかでした。この流麗さにデュフィの魅力が詰まってます。

近くにフェルナン・レジェも1点ありました。

40 アンリ・マティス 「紫のハーモニー」
こちらは紫のバラ柄の壁紙?を背景にソファらしきものに肘をついて寝そべる薄い紫色の服の女性が描かれた作品です。ややぼんやりして考え事をしている顔に見えるかな。背景のバラと服の色は似ていて、タイトルの通りの調和を感じます。全体的には黄色と紫が多いですが、茎の緑、髪とスカートの黒、唇の赤などが目を引き、鮮やかさも感じられました。このモデルはニースにいた頃に主要なモデルを務めたアンリエット・ダリカレールとのこと。

42 アンリ・マティス 「襟巻の女」
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こちらも今回の目玉作品の1つ。かなり簡略化されていて、色がブロック分けされているように見えるのが面白い。格子もリズムを与えていますね。

この先にはピカソが並んでいました。初期のキュビスム作品、量感ある人物像の古典回帰時代の作品、ジャクリーヌを描いた80歳頃の作品、ゲルニカと同じ年に描いた作品などがあります。ジャクリーヌは近くで観ると筆跡がうねるような大胆さです。


<第4章 芸術の都―ユトリロ、シャガールとエコール・ド・パリ>
最後はエコール・ド・パリの画家たちについてです。

52 モーリス・ユトリロ 「シャップ通り」
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当時完成したばかりのモンマルトルのサクレ=クール寺院が見える坂道を描いた作品。曇天で全体に白っぽく、ユトリロの最も評価の高い「白の時代」に描かれました。構図もしっかりしていてパリの情緒が漂いますね。

54 モーリス・ユトリロ 「ラ・ベル・ガブリエル」
これはパリのモンマルトルのモン・スニ通りにある居酒屋を描いた作品で、周りに行き交う人が描かれている中、左の建物の壁に向かって何か文字を書いている人がいます。これはユトリロ本人らしく、「正面にあるのは私の人生の最良の思い出 モーリス・ユトリロ 1912年10月」と書いているようです。建物の壁や道は非常に厚塗で、引っかき傷のようなものなどもあり質感が見事でした。それにしても居酒屋が最良の思い出って、そりゃアル中になるわな…w

ユトリロは他にもラパン・アジルを描いた作品などもありました。

57 シャイム・スーティン 「青い服を着た子供の肖像」
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ちょっと不機嫌そうな顔をした少女像。この構図やポーズは過去のルーヴルで観たレンブラントなどの巨匠の作品から学んでいるそうです。口をひん曲げて子供っぽい怒り方が逆に可愛いかも?w

59 ジュール・パスキン 「果物をもつ少女」
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「真珠母色の時代」と呼ばれる時代の作品で、淡い独特の色彩で描かれた少女。どこか儚げで虚ろな感じがします。この人もアル中で、この絵の3年後に自殺しています…。その悲しい雰囲気は自身の気持ちかもしれませんね。

62 マリー・ローランサン 「黄色いスカーフ」
黄色いスカーフと白黒の髪飾りをつけた白い肌の女性が描かれた作品。赤い唇と大きな黒目で優美な雰囲気が漂います。ローランサンらしさを感じる画風で、色の明るい時代のものだと思います。

ローランサンは3点ありました。

64 キーズヴァン・ドンゲン 「灰色の服の女」
こちらは灰色のドレスと大きな帽子のベル・エポックの頃の流行のファッションを身にまとった貴婦人を描いた作品。大きな目で白い歯を見せて微笑んでいる表情が生き生きしていて魅力的です。可愛らしくて特に気に入った1枚。

69 キスリング 「ファルコネッティ嬢」
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こちらは通り沿いのショーウィンドウにあった絵葉書を撮ったものです。舞台女優をモデルにしていて、目は遠くを観るような感じですが、澄んだ色合いでやや憂いを帯びています。色が対比的で赤が引き立っていました。

最後はシャガールが並んでいました。

73 マルク・シャガール 「オペラ座の人々」
オペラ座を背景に男女が空を飛んでいる様子を描いた作品で、周りには弦楽器を持って舞い上がる音楽家や自分の頭部を放り投げる軽業師の姿もあります。また、幸福のシンボルの宿り木を男女に捧げる鳥や、左下隅には画家自身の微笑む姿もあり、幸せを祝福しているような雰囲気でした。モチーフなどもシャガールを象徴する感じ。


ということで、非常に充実した内容となっていました。ポーラ美術館はこんなに貸し出しして大丈夫なのか?と思ってしまいますが、出品されていない名作はまだまだ沢山ある素晴らしい美術館です。箱根という絶好の観光地にあり建物も綺麗なので、この展示を観て満足した方も見逃した方も一度はポーラ美術館に訪れてみることをオススメします。



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美男におわす 【埼玉県立近代美術館】

今日は写真多めです。前回ご紹介した埼玉県立近代美術館の常設を観る前に、特別展の「美男におわす」を観てきました。この展示は既に終了していますが、島根県立石見美術館に巡回するので記事にしておこうと思います。なお、この展示には前期後期の会期があり、私が観たのは後期の内容となります。

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【展覧名】
 美男におわす

【公式サイト】
 https://pref.spec.ed.jp/momas/handsome-men-they-are

【会場】埼玉県立近代美術館
【最寄】北浦和駅

【会期】2021年9月23日(木・祝) ~ 11月3日(水・祝)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
会期末に近かったこともあってか、思った以上に混んでいてチケットを買うのに10分くらいかかりました。とは言え、中はそれほどでもなくほぼ自分のペースで見て回れた感じです。

さて、この展示は「美男」をテーマにしたもので、与謝野晶子が鎌倉の大仏を観て「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな」と詠んだことにちなんだタイトルとなっています。美人をテーマにした展示に比べると非常に珍しい内容で、古今の日本の絵画を中心に、日本における美少年・美青年を取り上げた作品が並び、それぞれの時代背景や価値観なども反映されたものとなっていました。展示は5章構成で、1章と5章は撮影可能なスポットもありましたので写真も使いながらご紹介していこうと思います。


<第一章 伝説の美少年>
まずは宗教や伝説、歴史上の人物などから美少年を選んだコーナーです。時代も画風も様々なアーティストの作品が並んでいました。

102 入江明日香 「L'Alpha et l'Oméga」
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こちらは六曲一双の巨大な作品。撮影可能だったけどスペースがないので全景は撮れませんでしたw 最近よく見かける現代のアーティストによるものです。
 参考記事:
  巨匠たちのクレパス画展 (東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)
  寺田コレクションの若手作家たち (東京オペラシティ アートギャラリー)

こちらは右隻。タイトルは「始まりと終わり」や「永遠」を意味しているそうですが、具体的な人物名は不明。
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ファンタジックで普通の武者絵とは違った優美さと迫力を感じます。銅板で刷った薄い和紙を切り抜いてコラージュし、ドローイングを施すという独自の技法を用いているそうです。

こちらは左隻。男性とは思えないほど可憐な人物の立ち姿です。
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顔に花が咲いていたり風に溶け込むような感じが静かで、右隻と対照的な雰囲気です。どこか儚げで耽美。

103 入江明日香 「持国天」
104 入江明日香 「廣目天」
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こちらは四天王のうちから二天が並んでいました。普段は筋肉隆々の四天王も入江明日香 氏によると少年のような雰囲気に。2012年に1年間フランスに渡って版画を学んだ際、浮世絵の展覧会を観たのが日本的な表現を取り入れるきっかけになったそうです。ちなみに残りの増長天と多聞天は少女の姿で制作されたのだとか。

こちらは持国天の絵の右の方にいた猫っぽい生き物
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入江明日香 氏の作品をよく観るとマスコットみたいな可愛いキャラがいるのも面白かったです。

4 松元道夫 「制多迦童子」
こちらは不動明王の脇侍の制多迦童子がモチーフで、真っ赤な体と燃え盛る光背で描かれています。杖に肘をついてやや微笑むような表情をしていて、ふっくらした顔つきが可愛らしいようなミステリアスなような不思議な雰囲気でした。

11 菊池契月 「敦盛」
こちらは笛の名手であった平敦盛(能の演目などで有名。一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれるとされるけど史実では生き残っている)を描いたもので、小さな巻物をもって立ち平安貴族のような格好をしています。やや上目遣いで微笑み少女のように可憐で、背景には花が舞い散るなど儚げな印象を強調しているように思えました。


<第二章 愛しい男>
続いては美男の変遷をたどるようなコーナーです。中世は僧侶に使えた稚児や、江戸時代の若衆を愛でる衆道など男色の文化が存在しました。近代に入ると西洋流の写実的な表現を学んだ美術家たちによって瑞々しく健康的な肉体を描くようになり、大正に入るとデカダンスの時代で陰のある退廃的な男性像が生まれています。その後、軍国主義の時代には英雄的な表現となり、戦後になると幻想・異形・ナルシズム・官能などを備えていき、現代の耽美的な雰囲気の男性像に繋がっていきました。

47 金子國義 「メッセージ」
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こちらは1983年の作品で、キリスト教に関連した主題となっています。手に持ったザクロの実はキリスト教の中で復活や神の祝福、教会、殉教者の血などの意味があるのだとか。見た目は現代の人っぽいですが、題材やポーズなどにルネサンス期の巨匠などの影響があるのではないかと思えました。

46 金子國義 「殉教」
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こちらも殉教をテーマにした作品。タイトルの割にあまり怖さはないけど、若く美しい肉体で描かれているのが今回の展示のテーマに沿っているように思えました。

23 菱川派 「花下遊楽図屏風」
こちらは八曲一隻の屏風で、花見をしながら踊ったり琴を弾いたり、囲碁や昼寝をする人の姿などが描かれています。垂れ幕で画面を区切っていて、いくつか場面がある感じです。華やかな雰囲気の中、女性のようにも見える若衆3人が踊るのを愛でる主人らしき姿もあります。元禄の頃の華やかさとあっけらかんとした側面が垣間見られたような気がしますw

26 宮川一笑 「色子(大名と若衆)」
色子とは歌舞伎の舞台に上がった若衆が舞台の外で性を売っていた者たちのことで、絨毯みたいな所で寝そべって客?に手を伸ばしている様子が描かれています。肌が白く艶っぽい感じで、客とは親しげな雰囲気でした。江戸時代は割と男色が盛んだったらしいので、こういう作品も他にもありそうですね。

43 村山槐多 「二人の少年(二少年図)」
こちらは近代の油彩で、寄宿していた小杉未醒の息子と、未醒の妻の弟を描いた作品です。短い髪に着物姿で、丸っこい顔があどけない雰囲気かな。全体的にタッチが粗く赤みがかっているのが村山槐多の特徴に思います。解説によると、村山槐多は中学時代に1つ下の美少年に片思いして敗れた経験があるそうで、その憧れを込めているのではないかとのことでした。初めて聞いたエピソードでちょっと驚き。

この辺には高畠華宵による大正時代の『日本少年』の表紙や、現代の山本タカト 氏 による妖しい色気の「 天草四郎時貞、島原之乱合戦之図」、魔夜峰央 氏の漫画『パタリロ』や『翔んで埼玉』の原画などもありました。急にご当地ネタをぶっ込んできて笑ってしまったw


<第三章 魅せる男>
続いては才能や心意気で魅せる男のコーナーです。1661年~73年頃は男色の対象としての役者を単独で描く一種の美人画のようなものが生まれたそうです。しかしやがて男色の要素は切り離されて、役者絵へと変わっていきました。ここにはそうした役者や侠客などを描いた作品が並んでいました。

53 絵師不詳 「若衆歌舞伎図」
こちらは掛け軸で、扇子を持って舞台で踊る10人の男の歌舞伎衆が描かれています。整然と並ぶ 総踊りと呼ばれるもので、女歌舞伎が禁止されて少年が舞台に上がる若衆歌舞伎が盛んになった頃の光景だと思われます。しかしそれも風紀を乱すということで禁止になるわけですが、ここに描かれた観客は男だけでなく女性や子供までいて、それほど いかがわしい雰囲気は無いように思えました。並んで踊るとか今の少年アイドルみたいw

68 山村耕花 「梨園の華 初世中村鴈治郎の茜半七」 ★こちらで観られます
こちらは艶姿女舞衣の茜半七を演じている大正期の上方歌舞伎を代表する初世中村鴈治郎を描いた作品です。横向きで肌が白く、細い目と赤い唇に色気が漂います。まさに華があって山村耕花の作品の中でも傑作だと思います。

この隣も梨園の華シリーズが並んでいました。山村耕花が好きな私には嬉しいw


<第四章 戦う男>
続いては戦う男を描いた作品のコーナーで、強さや逞しさを感じさせる武士などがモチーフになっていました。

90 安田靫彦 「源氏挙兵(頼朝)」
こちらは門の前で長刀を手に持って立つ源頼朝を描いた作品です。全体的に輪郭で描かれ、強い表情に硬い決意を感じさせます。肩の緑と鎧の赤、烏帽子の黒 以外は白っぽく色彩にアクセントが効いていました。

86 伊藤彦造 「杜鵑一声」
こちらは橋本関雪の弟子の作品で、長い刀を振りかざす男が描かれ その上には月が浮かび 足元には笠のようなものがあります。タイトルはホトトギスのことらしいですが、凛々しく気勢を上げているようで、翻った袴がギリシャ彫刻のような躍動感でした。

この近くには歌川国芳の忠臣蔵(誠忠義士傳)のシリーズなどもありました。国芳の武士たちはポーズもカッコいいw

75-6 月岡芳年 「和漢百物語 小野川喜三郎」
こちらは妖怪退治のエピソードが語られる力士を描いたもので、座り込んでタバコを吸い3つ目のろくろ首の顔に煙を吹き当てています。筋肉隆々ってほどでもないけど肝の座った雰囲気で強そうでした。

和漢百物語は他にも数点ありました。

76-4 月岡芳年 「魁題百撰相 滋野左ヱ門佐幸村」
こちらは真田幸村が傷ついた配下の兵を抱いて薬を飲ませている様子が描かれた作品です。額と肩から鮮やかな血を流していて、血みどろ絵を代表するシリーズとなっています。幸村は慈愛に満ちた表情で、血みどろとのアンバランスさが奇妙な美しさでした。

この近くには益田市のプロジェクトのキャラクターなども並んでいました。

93 テレビアニメシリーズ「聖闘士星矢」
こちらは少年ジャンプで掲載されていた漫画を原作としたアニメシリーズで、オープニングとエンディングの映像が流れていました。子供の頃に楽しみにしていたアニメなので非常に懐かしかったのですが、美少年アニメの先駆けになったとの解説にちょっと衝撃w 確かに美形キャラ多いけどそういう需要があったんですねw

この近くには聖闘士星矢の聖衣の設定資料(アニメ版と漫画版)がありました。アニメ版は玩具を売る為にヘルメットになっててダサいんですよね。。。w

少し先には(5章の内容ですが)『June』という少女向けの男性同士の性愛をテーマにした1980年代の雑誌などもありました。BLってこんな前からあったんですね。お耽美な雰囲気です。


<第五章 わたしの「美男」、あなたの「美男」>
最後は現代アーティストによる多彩な表現となっていて、多くの作品が撮影可能となっていました。舟越桂の妖しく気だるい人物像が撮影出来なかったのはちょっと残念w

99 唐仁原希 「もういいかい」
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この独特の表情に見覚えがありました。この絵ではファンタジックで王子に救出されるのを待つ少女と、神秘的な少女の力で癒やされる傷ついた少年を描いているそうです。棺がちょっと怖いけど、優しい雰囲気があるように思えます。
 参考記事:絵画のゆくえ2019 (東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)
 
101 唐仁原希 「旅に出る虹の子ども」
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こちらはなにか訴えるような目をした少年。中世のような格好をして、虹が出るグラスを持っているなど こちらもファンタジーな印象です。

109 吉田芙希子 「風がきこえる」
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こちらはポリエステル樹脂などを使ったレリーフ作品。まるで女性のような整った顔立ちと、吹き渡る風を感じる髪の動きが涼しげです。やや憂いを帯びた顔が儚い感じ。

105 木村了子 「男子楽園図屏風 − EAST & WEST」
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こちらは女性目線のエロスを標榜する画家によるイケメンたち。明るく爽やかな光景にも見えるけど私には少女漫画とかに出てきそうな感じに見えますw 右隻は肉食系男子、左隻は草食系男子なのだとかw

107 木村了子 「月下美人図」
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こちらは描表装となっている掛け軸。美人ってオッサンの後ろ姿やないか!wと思ってしまいあまり見たいものではないですが、確かに女性から見た美人画ってこんな印象を持つのかもしれませんね。。。

106 木村了子 「夢のハワイ− Aloha 'Oe Ukulele」
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こちらはハワイで寛ぐ男性。男性中心だった絵画界を女性目線にそのまま置き換えると、かつての美人画などはこういう感じでしょうね。ジェンダーの問題なども想起させます。

113-1 市川真也 「Lucky star」
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やけに爽やかな笑顔を魅せる人物を描いた作品。私はこういうキラキラした感じの男子は苦手ですが、これも固定観念から来るものかもしれませんね。

112-1 金巻芳俊 「空刻メメント・モリ」
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メメント・モリは「死を忘れることなかれ」という意味で古い西洋美術では頻出のテーマです。美しい肉体もやがては死んで骸骨になるというのを割とストレートに表現しているように思います。

96 川井徳寛 「共生関係~自動幸福~」
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こちらは今回のポスターにもなっている作品。白馬の王子が女の子に手を差し伸べて助けているように見えるけど、実は戦っているのは天使たちなので自動幸福ということのようです。一方で、天使たちは王子から美しさを吸ってエネルギーを得ているようでもあるので、それが共生関係ということのようでした。コテコテの白馬の王子様像のように見えて皮肉が効いてますねw

98 川井徳寛 「相利共生/Mutualism~automatic ogre exterminator」
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こちらは犬、猿、キジを引き連れて鬼を踏みつける桃太郎と思われる人物。こいつも何もしないでお供が頑張ってますねw 

118 井原信次 「Afterimage」
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こちらは作家自身をモデルにした作品。暗い中に裸で立ち尽くす様子が象徴主義的に思えました。現実的な光景なのに神秘的で面白い

114-1 森栄喜 「"Untitled" from the Family Regained series」
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こちらはセルフタイマーで撮影した架空の家族写真のシリーズの1枚。赤くなっているのは血を思わせ、大事な人との血の繋がりを連想させるようです。身近な人はそれだけで愛しい存在かもしれませんね。

117-2 ヨーガン・アクセルバル 「untitled/1:38AM" from the Go To Become series」
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こちらはスウェーデン出身で東京で活動している写真家の作品。外国人として暮らす孤独や疎外感を自然で癒やしていたそうで、木に抱きついているのが象徴的です。まるで神話の世界のような幻想的な雰囲気を感じます。

116 海老原靖 「colors」
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こちらは32枚の絵から成る作品。友人や映画俳優をモデルに描いているそうで、綺羅びやかな俳優たちは消費される美の象徴であるとのことです。美形でも虚ろな感じの表情が多くてちょっと怖いw ちなみにネクタイの人物は作者本人なのだとか。


ということで、様々な美男を観ることができました。私はその種類の豊富さに感心していたのですが、女性は割とテンション高めに観ていて(特に現代のコーナー)、その温度差も面白かったです。島根に巡回するので、現地に近い方はチェックしてみてください。
 会場:島根県立石見美術館
 会期:2021年11月27日(土)~2022年1月24日(月)


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