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【江戸東京博物館】の案内 (2012年09月)

前回ご紹介した江戸東京博物館の特別展を観た後、常設展も観てきました。今回の常設はいつも通りの部分が大半ですが、いつもとはちょっと違った所がいくつかあり、企画展のほかにも特集展示がありました。
ここの常設はルールを守れば写真を撮ることが出来る(企画展はNGの時もあります)ので、今回も撮ってきた写真と共にご紹介しようと思います。

 参考記事:
 江戸東京博物館の案内 (2011年10月)
 江戸東京博物館の案内 (2011年06月)
 江戸東京博物館の案内 (2010年03月)
 江戸東京博物館の案内 (東京編 2009年12月)
 江戸東京博物館の案内 (絵画編 2009年12月)
 江戸東京博物館の案内 (江戸編 2009年12月)


<「市民からのおくりもの2012」展>
まずは企画展を観ました。この展示は平成23年度(2011年度)に新たに寄贈・購入された3000点を超える資料の中から約200点を公開するという内容で、寄贈者してくれた市民の方は22名にのぼるそうです。

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【展覧名】
 「市民からのおくりもの2012」展

【公式サイト】
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/project/index.html

【会期】
 2012年8月7日(火)~9月23日(日)

歌川国貞 「東海道五十三駅の内 岡崎 八ツ橋村」
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これは歌舞伎の宣伝のための錦絵です。歌川国芳の作品にも似たのがあります。化け猫の目が怖い!

 参考記事:
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想後編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想後編(太田記念美術館)

歌川国芳 「里すずめ ねぐらの仮宿」
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これは吉原の遊郭の仮宅(火事で消失したので仮移転した)を描いたもので、人々がすずめ人間になっているのは天保の改革で遊女を描くのが禁止されていたためです。国芳の反骨精神と洒落っ気を感じます。

この日はこの展示も常設も国芳が結構ありました。いい機会なのでこの記事でも国芳を多めにご紹介していきます。
 参考記事:
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)

歌川国芳 「東都名所 浅草今戸」
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国芳の作品には1682年ニューホフ著「東西海陸紀行」の挿絵を真似た構図がいくつかありますが、これもその1つ
↓この構図と見比べるとよく似ています。
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絵画以外も色々あって、様々な江戸時代の本もありました。

「鯛百珍料理秘密箱」
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これは全96種類(上下2巻)の鯛料理を紹介する本です。江戸時代のこうした「百珍物」シリーズは結構あるようで何度か目にしたことがあります。どんなレシピが乗っているのかちょっと気になるw

「本志らべ 江戸大火」
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これは慶応4年(1868年)に起きた彰義隊と新政府間の戦争で被災した場所を示す地図。上野、本郷、小石川など結構広い範囲に及んでいるようです。

この先も明治・大正・昭和あたりまで様々な品があったのですが、紹介しすぎるのもあれなので割愛。

佐藤翠陽 「渋谷駅」
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これは1954年頃の渋谷の様子。東横(今の東急)以外はショボイ…w 今のヒカリエあたりはバラックの闇市だったようです。


<常設>
ここからはいつもの常設です。浮世絵を中心にご紹介します。

歌川豊国(三代) 「夜商内六夏撰(麦湯売り)」
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昔から夏の夜には麦湯(麦茶)を飲んでいたようです。今のように冷たいものでは無かったそうですが、麦湯売りの女性は何とも涼しげな美人です。

歌川広重 「東都名所年中行事 八月 向じま花屋敷秋の花ぞの」
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こちらも今の時期にぴったりな秋の七草が咲く庭園と、それを眺める美人が描かれています。今の百花園かな??

この辺には以前も撮った歌川国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」などもありました。

歌川国芳 「浮世又平名画奇特」
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浮世絵の祖・又平(岩佐又兵衛)が描く絵の中から出てきた人や妖怪たちです。こちらの作品では鷹匠の袖に将軍の家定を表す文字があると言われたり、藤娘が大奥を表すと評判になったそうで、国芳は版元と共に過料に処せられたそうです。私には文字というか記号に見えますが…w 厳しい処分ですね。
余談ですが、これと同じように左甚五郎を描いた作品を最近観た記憶があります。


<特集展示 日本映画の青春時代-日活映画100年の歩みから>
常設の戦後のコーナーのあたりでは「特集展示 日本映画の青春時代-日活映画100年の歩みから」という展示をやっていました。

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私は1つも観たことはないのですが、昭和ならではのポスターが面白いです。

これは観たことはないけど名前は知っている「狂った果実」のポスター。右は劇中で石原裕次郎が着用していたアロハシャツ
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これは1956年の映画だそうで、アロハシャツにサングラスというファッションは「太陽族」と呼ばれ当時の若者に流行ったのだとか。


ということで、閉館間際だったので全部回ることは出来ませんでしたが、今回も面白い品々が並んでいました。ここの常設は体験型の展示もあるので、1度は観ておいて損はないと思います。もうすぐ内容も少し変わるとは思いますが、特別展に行く際には常設も観ることをお勧めします。



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二条城展 【江戸東京博物館】

先週の日曜日に両国の江戸東京博物館で「江戸東京博物館開館20周年記念特別展 二条城展」を観てきました。

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【展覧名】
 江戸東京博物館開館20周年記念特別展 二条城展

【公式サイト】
 http://nijo-castle2012.jp/
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/index.html

【会場】江戸東京博物館
【最寄】JR両国駅/大江戸線両国駅


【会期】2012/07/28(土) ~ 09/23(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
結構混んでいて、場所によっては人だかりができる感じでした。

さて、今回の展示は京都にある二条城についての展示です。二条城は慶長8年(1603年)に徳川家康に築造され、幕府と朝廷の交渉の場として数多くの歴史の舞台となってきた場所で、1994年に「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産にも登録されたそうです。今回の展示はその成り立ちから現在に至るまでを紹介していて、5つの章で構成されていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介しようと思います。
 参考記事:【番外編】 京都旅行 二条城


<第1章 二条城創建-京に響く徳川の天下->
まずは二条城が創建された頃のコーナーです。1600年の関が原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年から京の城館の築造に取り掛かかり、1603年に竣工しました。そして完成したばかりの二条城では家康の征夷大将軍の拝命を祝う宴が催されたそうです。創建した頃の二条城は後の時代とは異なり方形で一重の堀に囲まれた構造だったらしく、まさに徳川将軍家の京での邸宅のようだったそうです。
その後、二条城は豊臣家との争いの舞台にも巻き込まれ、慶長16年(1611年)には豊臣秀頼と対面の場となりました。一説によると、この二条城での会談で豊臣家を滅ぼす決意をしたとも言われるそうです。また、豊臣家が滅びた大坂の陣では二条城は家康の本陣となりました。
まずこの章ではそうした創建間もない頃に関する品が並んでいました。

3 「唐門欄間彫刻 松竹梅に鶴と亀」
入り口付近にあった立体的な彫刻で、これは二の丸御殿の唐門の欄間だそうです。中央に蓬莱山を載せた亀、左右には松竹梅と鶴など長寿に関するモチーフが彫られていて、ダイナミックな彫りで荘厳さを感じさせました。
解説によると、家康の時代には本丸はまだなく、二の丸御殿が二条城の御殿だったそうです。また、堀と石垣に囲まれていたようですが内堀はなかったのだとか。

この近くには神格化された家康を描いた5「東照宮御影 四月十七日拝礼」や、今村正長への大坂夏の陣での褒美の6「萌葱地葵紋付小紋染羽織」、当時の京を描いた13「洛中洛外図屏風」(★こちらで観られます)などもありました。

9 狩野永納 「中井正清像」
京都大工頭を務め二条城を建てた中井家初代の中井正清を描いた肖像です。黒い狩衣で冠をかぶり笏を持って座っていて、立派な身なりのため身分も高そうに見えます。解説によると、この人物は24歳の時に召し抱えられ中井姓を名乗り、将軍から絶大な信頼を集めたそうで、二条城を始め江戸城天守、駿府城天守、日光東照宮など幕府の主要な造営や朝廷の建築にも関わったそうです。その経歴と姿だけでも実力と幕府からの信頼が伺えるようでした。


<第2章 二条城大改築-東福門院和子の入内と寛永の行幸->
続いて2章は二条城の大改築についてのコーナーです。家康、秀忠、家光は将軍宣下を伏見城で受けていたらしく、二条城はその拝賀の礼を行うために参内する際の拠点となったそうです。 また、家康は政権を確固たるものにするために朝廷との関係に心を砕いていたそうで、1620年に2代将軍秀忠の娘の和子が後水尾天皇に入内しました。その際の豪華な婚礼調度を携えた入内の行列は天皇家と外戚となった徳川の威光を示したそうです。
さらに、大御所となった秀忠と将軍の家光は後水尾天皇を二条城に招くため1624年に大改築に着手したそうで、西に拡張し新たに本丸を造営し、家康創建の御殿は二の丸御殿とすると共に天皇一家の為の御殿も作ったそうです。そして1626年9月に新しい二条城は行幸を迎え、5日間に渡って舞楽、雅楽、馬術、蹴鞠の鑑賞、和歌の会、猿楽の鑑賞と続き、徳川が天下を支配したことを示す一大事業となったようです。その時の様子は様々な絵画に記録されたらしく、ここにはそうした作品なども並んでいました。

23 「東福門院入内図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは4曲1双の屏風で、右隻右下の二条城から左隻左上の禁裏まで、入内の行列が4段に渡って描かれています。かなり細かく描かれ、様々な格好の人々の上には文字で、人名や役割などが書かれているようでした。行列の長さや豪華さがよく伝わる作品でした。

この辺には徳川秀忠と家光の肖像、後水尾天皇の肖像、二条城の庭園を作庭した小堀遠州の肖像、二の丸御殿・本丸御殿の地図の「御城内御本丸二之御丸御殿向絵図」(障壁画の画題とか書かれている)などもありました。

16 「東福門院像」
秀忠とお江の娘の和子(まさこ)の像で、人形のような感じです。笏を持って正座した姿で、頭に冠を被り飾りをつけ、着物には徳川の葵の御紋があります。その顔は切れ目で穏やかな表情で、理知的で優しそうな雰囲気がありました。
解説によると、和子は8歳で後水尾天皇に嫁ぐことが決まり、13歳で結婚して2男5女をもうけたそうです。(しかし2人の皇子は若くして亡くなりました)そして、後水尾天皇が娘の明正天皇に位を譲った際に和子に東福門院の称号が与えられたそうで、72歳まで生きたとのことです。8歳で将軍家と天皇家の橋渡しになることが決まっていたなんてちょっと気の毒な気もしますが、こうして平和な時代を迎えることができたのですね…。

この近くには東福門院が所持していた仏舎利宝塔もありました。菊の御紋と葵の御紋が入っている所にその運命を感じさせます。

40-2 「大広間 花熨斗形釘隠」
桐の木をついばむ鳳凰が彫られ 中央にのし紙、その両脇に牡丹の花が象られた彫刻作品で、これは大広間の釘隠しに使われたそうです。しかしかなりの大きさで、釘隠しってレベルじゃない!w 金色で精巧な彫刻と共に三葉葵の紋も入っていて、豪華さと権威を感じました。のし紙や牡丹の花束を包むような意匠も面白かったです。

釘隠しはこの他にも3つありました、また、この近くには二条城の地図、瓦の破片などもあり、その次の部屋には後水尾天皇の行幸の際の絵巻や、二の丸と本丸を繋いだ二階建の廊下に使われた巨大な梁なども展示されていました。

53 「葵紋銚子」
提子(ひさげ)と長柄の銚子のセットで、金色に輝き側面には大きく三葉葵の紋が入っています。これらはいずれも酒を注ぐ儀礼に欠かせない道具で、鶴や亀、松竹梅?なども精密に彫られています。こうした道具まで手が込んだ品が使われ、行幸の備えに相当力を入れていたのが伺えるようでした。

この近くには行幸の様子を描いた6曲1双の屏風や、行幸の際の献立などもありました。献立は身分によってメニューが違うようで、膨大な量がありました。また、盛り付けを絵に描いた作品もあります。


<第3章 寛永障壁画の輝き-日本絵画史最大の画派、狩野派の粋->
寛政の大改修に際して二の丸御殿の障壁画を新調したのは、狩野探幽 率いる狩野派でした。二の丸御殿は6つの棟から成り、障壁画もそれぞれの棟や部屋に応じて描き分けられているそうで、当時恐らく1万を超える面数を足掛け3年で描ききったというのだから驚きです。
狩野探幽は狩野永徳の孫にあたり、幼少から才能を発揮し20代前半で二条城障壁画制作という一大プロジェクトを率いました。それを支えたのは狩野派に蓄積された障壁画制作の伝統と、永徳やその後継者の光信に学んだ一派の長老たちだったようです。ここには二条城の障壁画が並び、探幽を導いた先駆者の作品も展示されていました。

66 狩野甚之丞 「二の丸御殿 遠侍二の間 竹林群虎図」
金地の2面の襖絵で、左上に竹の葉が描かれ、右下には大きな虎が川の水を水を飲んでいる姿が描かれています。虎の傍らには2頭の子供?も描かれているのですが、こちらはむしろ豹のように見えます(当時、豹は虎の雌と考えられていたそうです) 身を低くして水を飲む様子は力強い印象を受けました。解説によると、この襖絵は来訪者が最初に通された遠侍の間に置かれたそうです。ちょっとした威嚇みたいなものかな?w

この後には朝廷の使者が通される部屋の襖絵がありました。大名たちの部屋と違い優美な雰囲気らしく朝廷を尊ぶ姿勢が表されているようです。
次の部屋に入るとどど~んと沢山の障壁画・襖絵が並んでいて壮観な光景でした。

72 狩野尚信 「二の丸御殿 黒書院四の間 菊図」
襖絵で、秋をテーマに竹垣に咲く白い菊がたくさん描かれています。菊は胡粉が塗り重ねられているようで立体的に見え、竹垣は斜めに描かれ幾何学的なリズムを感じました。豪華かつ可憐な雰囲気の襖絵です。
こちらは黒書院の為の襖絵で、黒書院は将軍の応接室とも言える部屋らしく身分の高い公家や僧侶、御三家などとの対話に使われたとのことでした。

この奥にはバーチャル映像があり、二条城の各部屋の役割や絵の趣向などを説明していました。これは分かりやすくて参考になりました。

この近くには62 狩野晴川院養信「江戸城障壁画 下絵 本丸大広間二の間」や60 狩野探幽「探幽縮図 鷹図巻」などもあります。また、63 狩野探幽他「諸家寄合書 帝鑑図押絵貼屏風」は探幽も参加した押絵貼りの屏風で、他に長谷川派や海北派なども参加しているようでした。(内容は中国の善政・悪政をテーマにしたものです)

70 狩野山楽または狩野探幽 「二の丸御殿 大広間四の間 松鷹図」 ★こちらで観られます
今回のポスターにもなっている作品で、二の丸御殿でも一番重要な大広間の襖絵です。画面を埋め尽くすような大きな松と、そこに止まる鷹が描かれ、非常に太い幹やモクモクとした感じの葉っぱがダイナミックな印象です。鷹は下を向いて鋭い眼光をしていて、徳川将軍の武勇を示しているとのことでした。また、解説によると、大広間の中でもこれだけが桃山盛期の様式が踏襲されているらしく、そのため永徳の高弟である山楽が筆者との説もあるようです。 どちらが描いたかは見分けがつきませんが、この日観た作品の中でも一際豪放な作品でした。

73 狩野長信または狩野興以 「二の丸御殿 白書院二の間 西湖図」
これは水墨画で、切り立つ山の上の楼閣、滝、川にかかる橋などが描かれています。西湖は水墨画にもよく描かれる中国の景勝地ですが、これはあまり西湖には見えないかな。しかし、カクカクした感じの画風は伝統的な水墨に思えました。
ここまで観てきた襖絵とだいぶ趣が違っていますが、白書院は将軍の居間や寝室に使われたそうで、こうした落ち着いた水墨が置かれたようです。

この近くには白書院の天井画などもありました。こちらは結構ごてごてしているように見えますが…w


<第4章 激動の幕末-大政奉還の舞台として->
続いては一気に幕末のコーナーです。というのも、3代家光以降、10代の将軍は二条城に滞在することはなく「二条在番」という武士たちが派遣され、警備・管理を行なっていたそうです。行幸御殿や中宮御殿は移築され、二の丸御殿も主要な建物を残して解体され、1750年には落雷で天守が消失、さらに天明の大火で本丸御殿も消失したそうです。こうして様変わりした二条城は幕末まで歴史の表舞台に出ることは無かったのですが、討幕運動の波が押し寄せてきていた1863年3月に14代将軍 家茂が孝明天皇の賀茂行幸にお供するため上洛し、将軍としては230年ぶちに二条城に入りました。家茂は幕府の権威回復の為に京、大坂、江戸を奔走していたのですが20歳の若さで急逝してしまいます。そして次の15代将軍 慶喜は1867年に二条城二の丸御殿で大政奉還の意志を発表し、幕藩体制に終止符が打たれました。ここにはそうした幕末や大政奉還にまつわる品々が並んでいます。

84 川村清雄 「徳川慶喜像」
正面を向き笏を持つ正装の慶喜の肖像です。油彩で写実的に描かれ、西洋からの影響を感じさせます。解説によると、慶喜は写真が趣味で、自分も撮ってもらっていたようで、この作品に似た構図の写真があるようです。それを参考に描かれたのではないかと推測されますが、いずれにせよ精悍な雰囲気の人物のようでした。

この近くには慶喜の陣羽織や「二条城古写真(徳川慶喜旧蔵)」、二の丸御殿の地図、家茂の肖像、羽織、上洛を描いた錦絵もありました。錦絵に将軍や大名を描くのは禁止されていたのですが、そこまで規制が行き届くなっていたのが伺えるようです。
また、この辺には慶喜の警備も行っていた江戸火消しの新門辰五郎のコーナーもあります。新門辰五郎の肖像、日記、胸当て、火消しの半纏などが並んでいました。将軍と懇意の火消しなんて暴れん坊将軍だけの話かと思っていましたが本当にいたんですねw

93 邨田丹陵 「大政奉還 下図」 ★こちらで観られます
明治神宮の絵画館に奉納された作品の下絵で、大政奉還の時の様子が描かれています。桜や松が描かれた襖絵に囲まれた黒書院で大政奉還を伝えようとしているのですが、実際の大政奉還は松と孔雀が描かれた大広間で行われたそうです。その画中画のためかちょっと華やかに見えました。
この作品の下には大政奉還の意志を伝え意見を尋ねた書もありました。読むと慶喜は自分の家のことよりも日本のことを考えていたように思えます。
 参考記事:重要文化財指定へ わが国初期の美術館建設の軌跡 (聖徳記念絵画館)


<第5章 離宮時代-可憐なる宮廷文化の移植->
続いては明治維新の後のコーナーです。二条城は維新後には太政官代、京都府庁と所属を変えた後、1884年に宮内省の所管となり、二条離宮と称されるようになりました。1885年に障壁画は貼り直され、1894年には御所近くの宮家の邸宅 旧桂宮御殿が改築され新たな本丸御殿となります。御殿の内装も葵紋を打ち直すなど離宮に相応しい宮廷風意匠になったそうです。そして1915年の大正天皇の即位大典に際しては南門が築かれ、大饗宴場が
建設され、白書院は天皇の休憩所となり、遠侍や大広間は各国要人や両院議員らの待機所となりました。
ここにはそうした二条離宮の時代の品々が並んでいました。

98 「唐門 菊紋飾金具」
菊紋の大きな金具で、二条離宮になった時に唐門に付けられたそうです。この裏面にはかつての葵紋の痕跡があるらしく、確かに線が残っていました。二条城の歴史を感じさせる品でした。

96 狩野永岳 「本丸御殿 御常御殿一の間 松鶴図」
4面の襖絵で、松の下で3羽の鶴と小さな2羽の雛がくつろいでいます。緑や水辺の青が鮮やかで、全体的に優美な雰囲気がありました。解説によると、これは御常御殿の最も格式が高い部屋の襖絵のようで、狩野派の伝統を踏まえた上で新しい写生的な描き方を取り込んでいるようでした。特に鶴の羽根などにその特徴が感じられます。


<第6章 世界遺産二条城-文化財を守る・伝える->
最後の6章は現代までのコーナーです。二条城は1939年に京都市に下賜され、史跡元離宮二条城として管理されることになりました。戦時中は戦災を逃れるために障壁画や彫刻、飾り金具は一時的に公害に移動されたそうです。そして戦後になると1952年に国宝に指定され、1972年から二の丸御殿内の障壁画を模写とはめ替える「模写事業」が始まります。(これは現在も進められているようです) さらに1994年には世界遺産に登録され、現在も本格修理事業が進行中とのことでした。

ここには二条城の各建物の紹介や地図、模写制作用の画材や道具、模写された天井画などがありました。人類の文化遺産として次の世代へと守り伝える様子が伺えます。


ということで、二条城について一気に知ることができる展示でした。その数奇な運命も面白いですが、やはり美術好きとしては特に障壁画のコーナーが見応えありました。もうすぐ終わってしまいますので、気になる方はお早めにどうぞ。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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ビストロ シロ. 【恵比寿界隈のお店】

前回ご紹介した山種美術館の展示を観る前に、駅から山種美術館に向かう途中の坂道にある「ビストロ シロ」というお店でランチを摂ってきました。

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【店名】
 ビストロ シロ.

【ジャンル】
 フレンチ・魚料理

【公式サイト】
 http://www.bistro-siro.com/
 食べログ:http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13059960/
 ※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。

【最寄駅】
 JR・東京メトロ 恵比寿駅

【近くの美術館】
 山種美術館


【この日にかかった1人の費用】
 1500円程度

【味】
 不味_1_2_3_④_5_美味

【接客・雰囲気】
 不快_1_2_3_④_5_快適

【混み具合・混雑状況(土曜日13時頃です)】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【総合満足度】
 地雷_1_2_3_④_5_名店

【感想】
結構流行っているお店のようで、近くを通るといつも混んでいるイメージがありましたが、この日は席が空いていそうだったので足を運んでみました。3階まであるそうで、私が座ったのは1階の席でした。お店の場所としては九十九ラーメンの道路を挟んだ向かい辺りです。
 参考記事:九十九ラーメン (恵比寿界隈のお店)

お店は混んでいたので入口あたりの雰囲気はこんな感じ。
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この日はランチのセットを頼みました。まずは前菜スープ、サラダ、パン。
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前菜スープ。
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まったりして深みのある美味しさでした。これはメインに向けて期待が高まります。

パン。
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温かくてパリっとしていてこれも美味しいです。

サラダ。
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これはちょっと酢のにおいが苦手かなw まあ普通です。

メインディッシュはいくつか選べるのですが、「鮮魚のパン粉焼き からすみ風味 きのこのフリットとポムピューレ添え」というのを頼みました。この日の鮮魚はスズキでした。 ※多分、日によって内容は変わると思います。
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これはパン粉の食感や味付けも良いのですが、身が厚い魚自体も美味しくてかなり満足できました。何気にキノコも美味しかったです。

デザートは洋梨のクラフティというものでした。
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タルトみたいな感じで台座は硬めのプリンみたいな味です。洋梨の薄切り?も乗っていて、甘さ控えめで美味しかったです。

食後はコーヒー、紅茶が選べるのでコーヒーにしました。
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こちらは苦味があるけど、まろやかでした。あまりこくがないので食後に丁度良かったです。


ということで、魚が美味しくて満足できるお店でした。これで1500円というのも嬉しいです。山種美術館に行く途中にあるのも便利なので、是非また利用したいと思います。



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美術館で旅行!― 東海道からパリまで ― 【山種美術館】

日付が変わって昨日となりましたが、恵比寿の山種美術館で「美術館で旅行!― 東海道からパリまで ―」を観てきました。この展示は前期・後期に分かれていて、私が観てきたのは後期の展示でした。

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【展覧名】
 夏休み企画 美術館で旅行!― 東海道からパリまで ―

【公式サイト】
 http://www.yamatane-museum.jp/exh/current.html

【会場】山種美術館
【最寄】JR・東京メトロ 恵比寿駅

【会期】2012年7月28日(土)~9月23日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日14時頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
お客さんは結構いましたが、そんなに混んでいる感じはなく、快適に鑑賞することができました。

さて、今回の展示は旅や名所をテーマにした作品が集まったもので、江戸時代から現代にかけて様々な画家の作品が並んでいました。3つの章に分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介しようと思います。


<第1章 広重とと歩く東海道と名所>
まずは歌川広重の東海道五拾三次(保永堂版)のコーナーです。ここは前期・後期で入れ替わったようで、後期は袋井から西の作品が並んでいました。
 参考記事:
  殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次-保永堂版・隷書版を中心に- (サントリー美術館)
  浮世絵入門 -広重《東海道五拾三次》一挙公開- (山種美術館)
  広重と北斎の東海道五拾三次と浮世絵名品展 (うらわ美術館)

歌川広重 「岡崎・矢矧之橋」
左から右に向かって伸びる橋の上を大名行列が進んでいる様子を描いた作品です。橋は遠近感があり、その曲線が優美で橋桁にはリズムを感じました。東海道五拾三次は風俗や洒落があるのも面白いですが、構成に幾何学的なところがあって面白いです。

歌川広重 「宮・熱田神事」
馬に縄をつけて、その縄に沢山の人が掴まって走る神事の様子を描いた作品です。奥にももう1組同じような集団が描かれ、右端には左半分だけの鳥居が描かれています。人々には躍動感があり活気を感じます。また、画面に入りきらない鳥居には大胆さを感じました。

この少し先には東海道五拾三次の中でも特に傑作として名高い「庄野・白雨」もあります。

歌川広重 「大津・走井茶店」
牛に引かせた車(大八車みたいな)が3組坂道を下っていて、背景には3軒の家(そのうち1件は茶屋)が描かれた作品です。車輪の円や家の屋根の台形が3つずつ斜めに並んだ構図が面白く感じると共に、人々からはのんびりと和んだ雰囲気を感じました。

ここには東海道五拾三次以外にゴッホが模写したことでも有名な「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」もありました。


<第2章 日本を旅する ~北海道から沖縄へ~>
続いては日本の名所を描いた作品が並ぶコーナーです。北海道から沖縄まで各地の様子が描かれていました。

石本正 「飛騨の酒倉」
飛騨高山の宮川沿いに酒蔵が立ち並ぶ様子を描いた作品です。右手前から奥に向かって5~6軒並んでいて、水平・垂直の多い画面でどこか洋画のような雰囲気があります。建物の壁が風化したような質感なのも好みでした。

この辺には川合玉堂「鵜飼」や小茂田青樹「丘に沿える道」もありました。部屋の中央には吉田善彦の画帳や安井曾太郎の水彩、黒田清輝の「湘南の海水浴」などがありました。
 参考記事:日本美術院の画家たち (山種美術館)

今野忠一 「那須岳」
雪に覆われた白い山が白い噴煙を上げている様子が描かれた作品です。空は暗めで、堂々とした山は厳かで神秘的にすら見えました。ざらざらした質感で描かれているのも面白かったです。

横山大観 「飛瀑華厳」
縦長の水墨の掛け軸で、まっすぐに落ちる滝と手前の崖が描かれています。濃淡の違いで滝の流れの強さを感じさせるのは流石で、滝音まで聞こえてきそうなくらい見事でした。

この先には石井林響の大きめの掛け軸3点が並んでいました「総南の旅から」は最近観た覚えがあります。
 参考記事:ザ・ベスト・オブ・山種コレクション [前期] 江戸絵画から近代日本画へ (山種美術館)

奥村土牛 「那智」 ★こちらで観られます
かなり大きめの作品で、中央に那智の滝がまっすぐ落ちている様子が描かれています。滝幅が末広がりに描かれているので結構高いところから落ちてきている感じがするかな。 まわりのゴツゴツした岩と水の白さが対称的なのも面白かったです。
 参考記事:生誕120年 奥村土牛 (山種美術館)

岡信孝 「大和三山」
今の奈良県橿原市にある3つの山を描いた作品です。夜のモノクロの画面の中、手前に水辺、その奥に山が描かれ、霧が沸き立つような光景は神秘的な雰囲気です。また、水平線を低くとって大きく描かれた空には星が浮かび、星と星の間を線でひいて北斗七星などの星座を描いています。解説によると、この絵が描かれる前の年に高松塚古墳が発見され、その天井部分に星座が描かれていたことが、この作品のヒントになったとのことでした。

小林古径 「伊都岐島」
霧に包まれた厳島神社を描いた作品で、山を背景に社殿や塔が描かれ、鳥居は霧で島のようにポツンと描かれているのが面白いです。朝もやの空気感が伝わってくるような作品でした。

この近くには奥村土牛の「鳴門」などもありました。


<第3章 世界を旅する ~マンハッタンからパリへ~>
最後は海外を描いた作品が並ぶコーナーです。

横山操 「アメリカ五題のうち マンハッタン」
沢山のビルが並んだ風景を描いた作品です。銀色のビルがくっ付き合うような感じで画面を埋め尽くし、非常に幾何学的かつ先進的なモチーフです。しかし、それとは対称的に表現は日本画の岩絵の具を使っているようで、ちょっと暗めの色彩で都会の冷たさを表現しているそうです。モチーフと表現のギャップが面白く感じる作品でした。
 参考記事:日本画と洋画のはざまで (山種美術館)

この近くには横山大観の「楚水の巻」を始め、中国の風景を描いた作品が何点かありました。

平山郁夫 「阿育王石柱」
真っ青な空を背景に、中央に3頭のライオンのような動物の像が乗った茶色い柱が描かれています。実景かと思っていましたがこれは想像上の柱だそうで、超現実的な力強い雰囲気があります。背景の青の深さは流石で、平山郁夫らしさを感じました。

加倉井和夫 「ミコノスの磴」
真っ白な家の壁と階段が描かれた作品です。階段の脇には黄色い花などがあり、背景には三角屋根の風車小屋と深い青の空が広がっています。ミコノス島は「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と呼ばれるそうですが、それに相応しく白が美しく感じられました。青空なので日差しも強いのかな? 爽やかな雰囲気です。

続いては第二会場です。

結城素明 「巴里風俗 ルーブル美術館」 ★こちらで観られます
ルーブル美術館の中で大きな絵を鑑賞している人々を描いた作品です。画中画は簡略化されていて何か分かりませんでしたが、皆 熱心に観ているようです。着飾った女性たちが華やかで、右のほうで振り返る女性は洒落た雰囲気でした。

この結城素明の「巴里風俗」は他に4点ほど並んでいました。また、近くには佐伯祐三の「クラマール」と「レストラン(オ・レヴェイユ・マタン)」や、荻須高徳の「サン・ドニ風景」などもありました。
 参考記事:ザ・ベスト・オブ・山種コレクション [後期] 戦前から戦後へ (山種美術館)

児玉希望 「モンブラン」
雪の積もったモンブランを描いた作品で、モノクロな水墨で表現されています。手前の黒々した木々や、雲や霧の繊細な濃淡などが面白く、モンブランの雄大がよく伝わってくるように思いました。

最後は速水御舟のイタリア風景の写生が数点並んでいました。


ということで、それぞれの作風などはバラバラでしたが、旅情やその地の様子が伝わるような作品が多かったように思います。まだ観たことがないコレクションも結構観られたのも嬉しいです。もうすぐ終わってしまいますので、気になる方はすぐにでもどうぞ。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― (感想後編)【東京藝術大学大学美術館】

今日は前回の記事に引き続き、東京藝術大学大学美術館の「日中国交正常化40周年記念 特別展 草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―」の後編をご紹介いたします。前編には混み具合なども記載しておりますので、前編を読まれていない方は前編から先にお読み頂けると嬉しいです。


 前編はこちら


P1050323.jpg

まずは概要のおさらいです。

【展覧名】
 日中国交正常化40周年記念 特別展 草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―

【公式サイト】
 http://www.tbs.co.jp/kittantokyo/
 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2012/kittan/kittan_ja.htm

【会場】東京藝術大学大学美術館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)など

【会期】2012年7月12日(木)~9月17日(月・祝)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 3時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日14時頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
前編では3階の展示をご紹介しましたが、今日は残り半分の地下の展示をご紹介します。

<第3章 草原都市>
契丹は、首都である上京臨こう府を大草原に置き、領土の主要4地域に拠点となる都市を築いたそうで、それらは交通の要として使節の往来する所となり、東は高麗、南は北宋、西は西夏などの国々と交流し栄えたそうです。ウイグルなどを経て行われたイスラム地方との交易も活況を呈し、上京臨こう府にはウイグル商人の居留地が営まれるほどだったそうです。この章では陶器を中心にその交流が伺える品が並んでいました。

68 「白磁皮嚢壺」 ★こちらで観られます
白い壺で、皮袋を陶器にしたような面白いデザインをしています。丸々としていて皮袋を縫い合わせたような曲線もあり、優美な雰囲気です。解説によると、馬上で生活する契丹人は飲料水を携帯用の皮袋に入れていたそうで、こうしたデザインの「皮嚢壺」は契丹の焼き物の代表とのことでした。
この辺には他にも皮袋のような陶器がいくつかあり、隣にも茶色~黒の69「黒釉皮嚢壺」がありました。また、近くには三彩や扁壷などもありここでも中国からの影響を感じられました。

99 「白釉緑彩花文盤」
白地に緑の線で描かれた花文様の盤です。子供の絵のようなゆる~い感じで、この大らかさが契丹 独特の雰囲気だそうです。ちょっと脱力系の面白さのある作品でした。

86 「緑釉契丹文字長壺」
上部が太く下部が細い長い壺で、口の辺りに契丹の文字が書かれています。変わった形で観ても用途が分かりませんでしたが、解説によると、これは下部を地面に埋めたり台に刺して、ぶどう酒の貯蔵などに使ったそうです。契丹の文字も意味が知りたかったけど分からず。

88 「黄釉鳳首瓶」
輪花型に開いた口の下の首の部分が鳳凰の頭と首になっている壺です。オレンジがかっていてその意匠が面白いのですが、この形は西域で流行したものが唐時代に中国にもたらされたものだそうです。様々な文化からの影響が伺えるようでした。

この近くには白磁や黒釉の陶器などがあり、部屋の反対側には前編でご紹介した陳国公主の茶道具やガラス工芸品なども展示されています。中にはイスラム・エジプト・シリアで作られたものもあり、交易の広さが伝わってきます。解説によると、その交易の背景には西夏が北宋に背いて契丹に付いたという情勢があるようで、西夏経由で西アジアの品がもたらされたそうです。

98 「三彩鴛鴦形水注」
おしどりの形をした水注で、くちばしが注ぎ口になっています。毛は緑、白、オレンジの三彩となっていてその配色も面白いです。こうした三彩は10世紀後半から100年ほど流行ったそうで、この辺にも三彩は何点か並んでいます。また、この手の込んだ形は半身ずつ作って縦に2枚合わせて制作されているのだとか。

109 「板絵近侍像」
これは前編でご紹介したような木槨の埋葬施設に描れた板絵で、左右2枚あり 右は大きな鉢のようなものの中に水注を入れて持っている男性侍者の立像、左はお盆に杯を載せた女性侍者の立像が描かれています。黒い輪郭と鮮やかな色で描かれ、当時の服装や慣習が伝わってくるようです。解説によると、これは主人が死んでも困らないように描いたそうです。…こうした考えは古今東西の様々な文化で見聞きするように思いますが、偉い人の共通の思考なのかな?w ちなみに鉢のような(お椀)に水注を入れているのは酒を温めて熱いからとのことでした。熱燗?w
この近くには絵に描かれたものに似た108「白磁酒器」もあります。

107 「奏楽図・近侍図」
埋葬施設に用いた2つセットの絵で、沢山の人々が音楽を奏でたり食事の準備をしている様子が描かれています。活気があるとともにほのぼのした雰囲気の画風でした。


<第4章 蒼天の仏国土>
最後は契丹の仏教信仰についてのコーナーで、契丹は北魏以来の華北仏教の伝統を礎に、仏教大国へと成長したそうです。
契丹の建国間もない頃から仏寺の造営が行われていたようですが、その頃は主として領内の漢人の為だったそうです。その後、第2代皇帝の耶律徳光の時代になると契丹の大臣の墓誌(墓主の名前や業績を記したもの)に「心に仏法をとどめ…」と書かれたように契丹の皇族にも仏法を篤く敬うものが現れました。やがて11世紀になると仏教は契丹領内に広く深く浸透し、契丹皇室の信仰は最盛期を迎えたようです。経典の編纂や仏塔の造営が行われ、皇帝や皇后の勅願による仏塔が各地に登場したそうで、その1つが慶州の釈迦仏舎利塔です。これは亡き聖宗皇帝の供養として章聖皇太后(第二夫人)が建てたものらしく、白塔と呼ばれ73mもあるそうです。1980年代末の調査の際に白塔の天頂部から沢山の宝物が見つかったそうで、ここにも白塔関連の品が並んでいました。
なお、この展示の3人目のプリンセスは章聖皇太后のようです。

111 「釈迦涅槃像」 ★こちらで観られます
台に乗って横になっている釈迦の涅槃像です。大理石で出来ていて、白唐の各層(全7層)にあったものの1つだそうです。あまり大きなものではないですが、彩色された跡?があり、獅子の飾りが付けられるなど皇族らしい豪華さがあるようでした。

この辺では映像で白塔の様子を流していました。(★こちらで観られます) 草原にどど~んと巨大な塔が立っていて、ちょっとシュールな光景に見えますw 外壁には彫刻があり威厳がありました。

112 「鳳凰舎利塔」 ★こちらで観られます
鍍金された仏舎利塔で、塔の側面に男女の姿が彫られていて、これは章聖皇后とその息子の7代皇帝 興宗と考えられるそうです。(塔の脇に杖を持った人物像もあったのですが、この人物については分かりませんでした)  また、仏舎利塔の頂上には鳳凰がついていて、非常に豪華で華やかな雰囲気があります。解説によると、この鳳凰は宇治平等院鳳凰堂の鳳凰に似ているとのことで、単なる偶然か ルーツが同じなのか気になりました。

近くには金銀の板にお経を写した113「陀羅尼経板」や、仏達を彫った122「宮殿形仏龕」、沢山の舎利塔・仏塔、白塔についていた龍や鳳凰の瓦なども展示されていました。

127 「板絵門神像」
墓室の入口に取り付けられていた木製の扉で、外面を2体の鬼神、内面に鎧兜の2体の天王像が描かれています。鬼神は赤い肌で獣の皮をつけ、筋肉隆々でいかにも鬼という感じがします。しかしその表情はちょっと愛嬌があるように感じ面白いです。一方、天王像は気品があり、ちょっと笑顔に見えました。解説によると、こうした木製扉は朽ち果てることが多いので、残っているのは貴重なようでした。

この近くには弓部華厳経塔という塔の側面にあった菩薩像の頭部や釈迦如来坐像、白磁の十大弟子像などもありました。


ということで、あまり知らなかった民族の展示だったので、参考になりました。正直、3人のプリンセスという観点は要らなかった気がしますが、様々な面から契丹を紹介していたので興味深かったです。モンゴルの元みたいな国かと思っていましたが、また違った魅力がありました。
 参考記事:チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 (江戸東京博物館)


おまけ:
この日は丁度、東京藝術大学の「藝祭」が開催されていて、美術館の前も沢山の人で賑わっていました。
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 参考リンク:藝祭2012公式サイト

美術学科と音楽学科が共同でお神輿を作るようで非常に個性的なお神輿がありました。
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あまり長居はできなかったのですが、声楽の学生さんが歌っているのを聴いたりしました。 普通の大学の学祭とは格段にレベルが違っていて本当に驚かされました。 来年以降、ちゃんと本腰を入れて観に行きたいです。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― (感想前編)【東京藝術大学大学美術館】

先週の土曜日に上野の東京藝術大学大学美術館で「東京藝術大学大学美術館」を観てきました。情報量の多い展示でメモを多めに取ってきましたので、前編・後編に分けてご紹介しようと思います。

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【展覧名】
 日中国交正常化40周年記念 特別展 草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―

【公式サイト】
 http://www.tbs.co.jp/kittantokyo/
 http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2012/kittan/kittan_ja.htm

【会場】東京藝術大学大学美術館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)など


【会期】2012年7月12日(木)~9月17日(月・祝)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 3時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日14時頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
もう会期も残り少ないですが、意外と空いていて快適に観ることができました。

さて、今回の展示は「契丹(きったん)」という唐の時代の後に広大な領土を誇った国についての展示です。
今から1100年前の東アジアは、中国の唐王朝の滅亡を受けて各地に新たな国が登場した「変動の時代」と呼ばれるそうで、そうした中で国づくりにいち早く着手したのが遊牧の民である契丹の諸部族を統括した耶律阿保機(やりつあぽき)でした。10世紀初頭に国家の体制を整えた契丹(国の名前は遼)は、巧みな騎馬戦術や北宋・高麗・西夏・ウイグルなど周辺国との活発な交流によって富み栄え、現在の北京や内モンゴル自治区、モンゴル、ロシア、カザフスタンに至るまで広がったようです。その後、契丹は1125年に女真族の金に滅ぼされるのですが、現在でもロシア語の「キタイ」や英語の「Cathey(キャセイ)」のように中国大陸を示す言葉に残っているようです。
この展示ではその契丹の文化について、3人の皇族女性にまつわる品を中心に構成されていました。初公開の品も多いようでしたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介しようと思います。
 参考リンク:
  契丹のwikipedia
  遼(契丹の王朝)のwikipedia


<入口>
入口には契丹の文字についての解説がありました。契丹の言語は日本語や朝鮮語と同じアルタイ語系(wikipediaでは日本語・朝鮮語をアルタイ語系に入れるか微妙みたいな記載がありますが…)らしく、大文字・小文字があるそうです。大文字は初代皇帝の耶律阿保機が制定し、小文字はその数年後に弟の迭刺(ていら)が作ったらしく、朝鮮語のハングル文字のように複数の原字を組み合わせていたそうです。表意・表音の両方があるようですが未だに分からないものもあるようで、今も研究が進んでいるとのことでした。
 参考リンク:アルタイ諸語のwikipedia

また、この辺りには契丹の地図があり、その大きさに驚かされました。


<第1章 馬上の芸術>
契丹は馬にまたがり平地を求める遊牧の民で、5世紀頃に歴史の表舞台に姿を表しました。中華王朝に良馬を差し出す時もあれば反旗を翻す時もあったそうで、時局を睨みつつ立場を変えていったようです。そして10世紀始めの唐王朝の滅亡を好機と捉え、モンゴル草原を拠点として大帝国を作りました。
契丹は唐など中華世界の礼制に倣いながらも、遊牧民の習俗や死生観を保っていたそうで、契丹の皇族の墓には美しい馬具や狩猟道具が収められ、特に馬具は南に対峙した宋朝からも天下第一と評価されるほどだったようです。また、契丹人は死んだ人の魂は「黒山」と呼ばれる霊峰に向かうと考えていたそうで、生前と同じように馬と共にある暮らしを思い描いていたようです。この章ではそうした馬具を始め、装飾品・副葬品が並んでいました。

18 「琥珀首飾り」
今回のテーマである3人のプリンセスの1人目、陳国公主(ちんこくこうしゅ)がつけていた首飾りです。大きな琥珀を数珠つなぎにしたもので、結構重そうに見えるかな。自前のミュージアムスコープで拡大して観てみたところ、大きい玉には彫りがあるのが確認できました。これは分かりづらいですが中国の吉祥紋様である龍や蓮華、鳥、魚、動物などのようで、モチーフに中国からの影響も感じさせます。
契丹は琥珀を愛用していたようで、この展示には琥珀を使った品が何点かありました。琥珀好きに関しては中国の嗜好とは違いがありそうでした。

20 「龍文帯金具」
これも陳国公主の品で、8枚の金の板を繋げたような帯飾りです。それぞれに昇り龍が彫られ、背景には荒波と岩が彫られています。金ピカで彫りが細かく、モチーフに迫力があるので分かりやすいお宝っぽさですw ここでも中国からの影響が感じられ、この後もずっと中国っぽいな~という品々が続きます。

この辺には陳国公主の腕輪や皇帝の髪飾りなどもありました。確かに琥珀が多めかな。 中には西域から献上された真珠も使われた品もあり、交易があったことが伺えます。

02 「鍍金仮面」
金色の顔が彫られたマスクで、耳もついています。これは埋葬の際に死者にかぶせる仮面らしく、宋時代の文献にも契丹貴族の特異な埋葬習俗として記録が残っているそうです。また、これは鍍金(ときん。メッキ)されていますが、こうした仮面は身分によって材質が違うとのことでした。この辺は独特な文化を感じさせます。

この近くには10「鳳凰文冠」(★こちらで観られます)という立派な冠もありました。また、この辺りで1人目のプリンセスの陳国公主について解説されていました。それによると、陳国公主は5代皇帝 景宗の孫娘で、18歳の若さで亡くなり夫の墓に夫と共に埋葬されたそうです。1986年に発掘された際、契丹国最盛期に相応しい豪華な装飾をつけていたそうで、ここには当時の写真も展示されていました。(★こちらで観られます

11 「金製仮面」 ★こちらで観られます
陳国公主が埋葬された際につけていた金のマスクで、生きていた時の顔に似ていると考えられるそうです。丸顔で目が小さめで、耳が大きめに見えます。 解説によると、これは死んだ時に作ったものではないようで、結婚した時に用意されるとのことでした。

この隣には「銀糸葬衣」(★こちらで観られます)という亡骸を覆っていた網目状の服や、埋葬の時に履いていた鳳凰と唐草文様の「鳳凰文靴」(★こちらで観られます)もありました。

25-26 「龍文化粧箱」「合子・小かん」 ★こちらで観られます
金メッキが施された円筒形の化粧箱と、その中に入っていた銀の容器です。これは陳国公主の亡骸にあったものだそうで、上面に渦巻く龍、側面に鳳凰が彫られ、かなり細かく鱗も1つ1つ表現しているようでした。龍に鳳凰、やはり中華世界からの影響が色濃いように思えます。

この辺りには狩猟道具や飾り帯などがありました。そしてその後に馬具装飾のコーナーが続きます。クツワ、手綱、障泥(あおり)という泥よけ、鞍、胸帯、鐙(あぶみ)など様々な品が並びます。

06 「鞍飾・尻懸」
馬の形に彫られた白玉(はくぎょく)が並ぶ帯が10本くらい連なった飾りで、これは馬の腰と尻を飾るための帯だそうです。1つ1つの白玉への彫りは簡素ですが、これだけあると見応えがあります。玉(ぎょく)は中国人が珍重する綺麗な石ですが、この辺を観る限り契丹でも多く使われていたのかもしれません。白玉を使った装飾は何点かありました。
なお、解説によると平安時代の日本にもこれと同様の飾りがあったとのことでした。

27 「家形木槨・床・机・椅子」
木でできた小さな小屋で、その前に小さな机と椅子が置かれています。解説によると契丹の皇族は地下の墓室に寝台付きの木製の小屋や供物台になる机を置いたそうで、この小屋はその1つのようです。小屋の棟木の両端には龍の頭が彫られ、豪華さは感じないものの安らげる住まいのような佇まいがありました。

この近くには墓室に描かれた壁画の28「山岳群人図壁画」もありました。これは唐時代の画風や唐時代以降の水墨画的な画風が見られるようで、中国の文化を取り入れている様子がわかる品のようでした。


<第2章 大唐の威風>
続いては前時代の唐との関わりについてです。10世紀初頭に唐王朝が滅亡すると、それと共に大契丹国が産声をあげました。唐の滅亡の年を建国の年と位置づけることで、自らが唐の継承者であるとする気概があったと考えられるようです。その為、契丹は唐の文化を否定せずにむしろ積極的に取り込んでいきました。
唐時代の芸術(特に金属工芸)は緻密で深みのある技法と、対称性の強い意匠を得意としていましたが、契丹はそれを継承しつつも見た目も技法も大らかなものが主流を占めたようです。この大らかさを簡略化や粗悪化とする見方もあるようですが、10世紀の契丹工芸はそのことは当てはまらないらしく、唐時代に無いような伸びやかな表現となっているそうです。ここにはそうした唐からの継承や唐との違いを感じさせる作品が並んでいました。

29 「彩色木棺」 ★こちらで観られます
これは「トルキ山古墓」で2003年に発掘された2層構造の大きな木棺です。台座があって、そこに梯子のようなものと欄干があるので、小さな寺か神社のような感じに見えます。また、木棺の正面部分は屋根が少し高くなっていて、これは鮮卑貴族の棺と共通し、唐の仏伝図にみる釈迦の棺や舎利容器の形と一緒と考えられるようです。その為、契丹が鮮卑や唐の文化と繋がっていたことを示す品のようでした。
これは部屋の中央を占めるように置かれていて圧巻です。この部屋の映像ではこの棺の修復の様子も流していましたが、よくこれだけ綺麗に修復できたものだという驚きもありました。

なお、この中には30代前半の黒髪の女性が入っていたそうで、初代皇帝の耶律阿保機に近しい人物(妹かも??)と推定されるそうです。


37 「獅子文盒」
上蓋に2頭の獅子が渦巻くようにお互いを観ている様子が打ち出されています。周りには沢山の草花があり、よく観ると超細かく魚子模様(鱗みたいな模様)がついていて、獅子の鬣や尻尾も毛並みまで表現されています。また、解説によると伸びやかで躍動感に富む表現となっているとのことで、確かに獅子にはそうしたものを感じました。…契丹の文化が粗悪化だなんてとんでもない!w

この近くには先ほどのトルキ山古墓の女性が埋葬の時に履いていた35「鳳凰文錦スカート」や埋葬品の30「木製枕」、漆の机などもありました。

36 「鏡箱・鸚鵡牡丹文鏡」 ★こちらで観られます
鏡と輝石や玉を散りばめた箱で、トルキ山古墓の女性が生前に愛用していた品のようです。箱の内側には細かい文様がつけられ、鸚鵡や蝶が描かれたものと、中国風の楽人たちとその音楽を聴く夫婦(持ち主の夫婦?)の姿がありました。こうした図は唐で流行ったものだそうで、やはり唐からの影響を感じさせます。また、これだけの品が残っているということは、トルキ山古墓の女性はかなりの身分だったのだろうと素人でも感じられました。

この辺にはトルキ山古墓から出土した耳飾りや首飾り、指輪も展示されていました。

続いては52歳で亡くなった耶律羽之(やりつえし)という大臣職を務めた皇族のコーナーです。この人の墓は1992年に発掘されたそうで、硯、竹林七賢をモチーフにした七角杯、板絵などが並んでいました。

64 「四神」
北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎 の四神を象った木の彫刻で、棺の四周に取り付けられたものだそうです。結構その形が面白くて、カクカクしたようなデフォルメとなっていました。解説によると、青龍や白虎が胸を張って疾駆する様や、朱雀と玄武が正面を見据えた姿はこの時代の特徴とのことでした。

この辺りには西方の壺の形の55「孝子図壺」や、契丹らしい琥珀の首飾り、唐時代の銅鏡をコピーした品など。様々な文化からの影響を感じさせる品が並んでいました。


ということで、この辺で上階は終わりですので今日はここまでにしようと思います。何となくモンゴルっぽい展示なのかと思ったらかなり中国風で、唐の後継者(の1つ)としての側面が伝わってくるようでした。下階にも貴重な品が並んでいましたので、次回はそれをご紹介しようと思います。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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ル・ソレイユ・ルヴァン 【さいたま新都心界隈のお店】

前々回前回とご紹介した埼玉県立近代美術館の展示を観た後、北浦和駅から2駅先のさいたま新都心駅まで移動して「ル・ソレイユ・ルヴァン」というフレンチのお店でディナーを摂りました。

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【店名】
 ル・ソレイユ・ルヴァン

【ジャンル】
 フランス料理

【公式サイト】
 http://www.hotel-brillante.com/restaurant/french/index.html
 食べログ:http://tabelog.com/saitama/A1101/A110101/11000612/
 ※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。

【最寄駅】
 さいたま新都心駅
 北与野駅

【近くの美術館】
 特になし(埼玉県立近代美術館の北浦和駅から2駅)


【この日にかかった1人の費用】
 6000円程度

【味】
 不味_1_2_3_④_5_美味

【接客・雰囲気】
 不快_1_2_3_④_5_快適

【混み具合・混雑状況(土曜日18時頃です)】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【総合満足度】
 地雷_1_2_3_④_5_名店

【感想】
予約していったのですが、結構お客さんが多いようでした。

ホテルの1階にあるお店で、店内はこんな感じ。シンプルで落ち着いた雰囲気でした。
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この日はメニュー・スペシャルという5250円のコースにしました。飲み物は別料金だったので、それを入れれば6000円ちょっとくらいかな。
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お皿も洒落た感じ。
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食前酒。銘柄は忘れましたが香りと口当たりが良かったです。
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ひとくちアミューズ
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これはアボガドとマグロで出来ていて、馴染みやすい味でした。

ちなみにパンはおかわり自由です。

フランス産鴨フォワグラのポワレ 蜂蜜のガストリックソース リンゴとレーズンのソテー シナモン風味
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フォワグラがまったりして美味しかったです。この上に乗っているのも食べられましたw

カリフラワーのクリームスープ カプチーノ仕立て チーズパイを添えて
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これは周りの部分を中に落として頂きました。結構胡椒が効いてたかな。

本日築地市場から入荷の鮮魚料理
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これはエビと白身の魚(何だったか失念)でした。ソースが美味しいですが、間違って周りの花まで一緒に食べたら苦かったw

8種類のハーブのグラニテ
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メインの前の口直し的な冷たいシャーベットのようなものです。ハーブの香りが口に広がって爽やかでした。

牛フィレ肉のポワレ フランス産キノコのソースと牛スネ肉のミジョテ 色々な野菜を添えて
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メインのお肉も柔らかくて美味しかったです。キノコも美味しい。

栗のガトーとコンデンスミルクのアイスクリーム 赤いフルーツのエチュベをかけて
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最後のデザート。ここまでで結構お腹いっぱいになっていたので、軽めのデザートで調度良かったです。


写真を忘れましたが最後にコーヒーもつきました。結構苦味が強めでした。


ということで、これで5250円のコースなの?と思うくらい割安感のある内容でした。料理も美味しいし満足できる内容です。料理の提供のペースがゆっくり(私が食べるのが早いだけかもしれませんがw)なので食べるのに2時間半~3時間くらい時間がかかったかな。 さいたま新都心の近くに出かけた際には是非また利用したいと思います。



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ウルトラマン・アート! 時代と創造-ウルトラマン&ウルトラセブン- 【埼玉県立近代美術館】

前回ご紹介した埼玉県立近代美術館の常設を観る前に、特別展の「ウルトラマン・アート! 時代と創造-ウルトラマン&ウルトラセブン-」を観てきました。こちらは会期末ギリギリに行ったので既に終了していますが、まだ巡回している展覧会なのでご紹介しておこうと思います。

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【展覧名】
 ウルトラマン・アート! 時代と創造-ウルトラマン&ウルトラセブン-

【公式サイト】
 http://m-78.jp/45th/art.php
 http://momas.jp/exhibitionguide/exhibition/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%81/

【会場】埼玉県立近代美術館
【最寄】北浦和駅


【会期】2012年7月7日(土)~9月2日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日15時頃です)】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
最終日1日前ということで、結構多くの人で賑わっていました。老若男女の客層でしたが特に子連れが多く、たまに人が並んでいる所もある程度でした。とは言え、特に鑑賞に支障は無い程度だったかな。

さて、この展示はその名の通り特撮ドラマとして国民的人気のウルトラマンとウルトラセブンを題材にした展覧会です。今年の夏はウルトラマン関連の展示を他に2つ観ましたが、こちらはウルトラマンとウルトラセブンに絞った内容となっていました。展覧会は4つの章に分かれていましたので、詳しくは章ごとにその様子を振り返ってみたいと思います。
 参考記事:
  【番外編】青森県立美術館の常設(2012年8月)と「没後10年特集展示:成田亨」 (青森県立美術館)
   館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技 エヴァの原点は、ウルトラマンと巨神兵。 (東京都現代美術館)


<プロローグ>
ウルトラマンは1966年(昭和41年)7月に放映が始まった円谷プロ・TBS制作の番組で、特撮を駆使したダイナミックな映像や、謎や不思議な事件から始まるスリリングなドラマ展開などが子供たちを釘付けにし、一大ブームを巻き起こしました。そしてその翌年にはより本格的なSFを目指したウルトラセブンが始まります。まず最初の章では、円谷英二、金城哲夫、テレビの時代、ウルトラQという4つの視点からウルトラマン誕生にいたるまでを紹介していました。
なお、最初の2部屋だけは写真撮影可能でしたので、撮ってきた写真を使ってご紹介しようと思います。

まず最初にバルタン星人がお出迎え。写っていませんが、この写真の右奥にはウルトラマンも立っていました。
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ウルトラマンとバルタン星人。
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今でこそ見慣れた姿ですが、よくよく考えると凄く個性的なデザインです。

この辺では円谷英二 氏とウルトラマン誕生までの説明がありました。
円谷英二は1901年に福島県で生まれ、本名は圓谷英一(つむらやえいいち)で、母方の祖先には江戸時代の洋風画家の亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)がいるそうです。不意に亜欧堂田善の名前が出てきて、これはちょっと驚きました。少年の頃から新しもの好きだったというのはその血筋でしょうか。 
円谷英二は18歳の頃から映画撮影の仕事に就いたそうで、32歳でアメリカ映画の「キングコング」を観て、いつか自分もこんな映画を作って観客をうならせてやろうと考えたそうです。そしてその後、次々と新しい特撮手法を考案し行き、特殊技術を担当した映画「ゴジラ」(1954年)でその名を日本中に広めました。
やがて円谷英二は1948年に始めた「特殊映画技術研究所」をもとに1963年に株式会社円谷特技プロダクション(1968年から円谷プロダクション)を設立、新たに普及しはじめたテレビの番組制作者との間で特撮を活かした新企画に取り組み始めたそうです。高価な最新の光学合成撮影機を東京放送(TBS)が購入したのをきっかけに円谷プロはTBSと企画を進め、初の国産特撮テレビ映画「ウルトラQが」誕生しました。このウルトラQとその後のウルトラマン、ウルトラセブンで円谷英二は監修の立場で携わり、子供たちに夢を与えたいと語っていたそうです。
しかしその数年後、1970年に長年の夢だった「ニッポン・ヒコーキ野郎」の企画半ばで世を去ったそうです。 ウルトラマンは1966年放送なので、結構晩年の作品だったというのも意外でした。

この辺には金城哲夫 氏のプロフィールもありました。円谷プロの企画文芸部部長としてウルトラQ・ウルトラマン・ウルトラセブンの企画立案に力を注ぎ、ウルトラQからウルトラセブンまで116話のうち41話(共同執筆12話)の脚本も手がけているそうです。沖縄出身で少年時代に沖縄戦を経験しているためか、ウルトラセブンの話の中には侵略者としての地球人をめぐって悩むウルトラセブンの描写もあるとのことでした。1969年に退職した後は沖縄で仕事をしていたようですが、わずか37歳で事故で亡くなったのだとか。

少し進むと当時のテレビを取り巻く環境や、1964年に撮影が始まった空想特撮テレビ映画「アンバランス」という作品が、東京オリンピックで使われたウルトラCに発想を受けて「ウルトラQ」へとタイトルが変えられたエピソードが紹介されていました。
また、ウルトラQは放映前にTBS社員の子弟に試写会を行い、その予想以上の手応えから次の企画「科学特捜隊ベムラー」が立てられ、これは同時期にフジテレビで企画して実現しなかった「WOO」の構想を引き継いだ企画だそうです。ベムラーは怪事件や宇宙人と戦う科学特捜隊を救う「神風のようなモンスター」だったようですが、検討を重ねていく上でベムラーに代わって「甲冑を思わせるような、真っ赤なコスチュームに身を包んだ男」である「レッドマン」になったようです。このレッドマンは仮題でしたがこの段階でウルトラマンの設定はほぼ完成したそうで、商標登録が済み正式タイトル「ウルトラマン」となったようです。ベムラーといえばウルトラマンの1話目の敵ですが、最初は正義の怪獣という設定だったのですね。

これはウルトラマン第8話に出てくるマグラー。
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第3話のネロンガという怪獣の着ぐるみを改造して作ったのだとか。

これはジェットビートルの模型。
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この部屋の壁にはウルトラマンの名シーンの写真が並んでいました。
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続いての2部屋目はウルトラセブンのコーナー。最初にビラ星人がお出迎え。
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ウルトラセブンも立っていました。ビラ星人と戦っているような配置です。
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そしてメトロン星人とちゃぶ台を囲む名シーンの再現もありましたw
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実際にこの畳の上で記念撮影している人もいました。

正面と背面から。
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子供の頃、この話もメトロン星人も異常に怖かった覚えが…w ウルトラマンのジャミラとか実相寺監督の話は私のトラウマになりやすかったw

これはウルトラホーク1号の模型。
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これはウルトラホーク3号の模型。
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ここにはウルトラセブンの説明もありました。制作日程の限界のためウルトラマンは全39話で終了し、その人気を受けて次の企画が立てられ、その上で宇宙を舞台とする「ウルトラ警備隊」という企画案がまとめられました。このスーパーメカで戦う設定は当時輸入されたサンダーバードや宇宙家族ロビンソンに影響を受けているようです。しかしこの企画に対してTBSからは怪獣路線の維持や、地上を舞台に宇宙の要素を加えること、ウルトラマンジュニアや、人類の味方としてウルトラマンに登場した人気怪獣を登場させることなどの要望が出されたそうで、さらに企画は検討され「ウルトラアイ」や「レッドマン」と変化していったようです。そして次第に設定が固まっていくのですが、同時期に円谷プロで企画していた原始時代を舞台とする特撮コメディ「ウルトラ・セブン」のタイトルを元に、新ヒーローはウルトラセブンに決まったそうです。次の章にはその痕跡を思わせるものも展示されています。


<第2章 ヒーローと怪獣 そのかたちの想像>
ウルトラマンの企画は1965年に始まり、この企画検討の中でビジュアルイメージの具体化に貢献したのがウルトラQの途中から特殊美術担当として参加した成田亨 氏でした。誰も観たことのない宇宙人のヒーローの姿を具現化するため、そのデザイン画では試行錯誤が繰り返されているらしく、次第に形がシンプルになっていったことや、マスクに特に苦心していることが伺えるようです。
最終的には成田亨 氏の指示の下、造形担当の佐々木明 氏が粘土で頭部の原型を作ってウルトラマンのマスクを完成させたそうで、カラータイマーは電飾を行う「機電」の倉方茂雄 氏が制作しました。成田亨 氏はウルトラセブンの途中まで防衛隊の基地セットやメカを始め、各話の怪獣のデザインを手がけていたそうで、その後は池谷仙克 氏が引き継いでいきました。
また、怪獣のデザイン画に基いて撮影用の着ぐるみを制作したのは画家の高山良策 氏で、人が入ってアクションするので安全性や動きやすさに心を配ったそうです。素材や内部の仕掛けにも工夫があるようで、ここには当時の着ぐるみ(の一部)を始め、資料や復元などが並んでいました。

まずはウルトラマンのデザイン画がありました。青を背景に立っている立っている姿で、いつも観るウルトラマンに近いですがカラータイマーがありませんでした。また、その近くにはウルトラマンの初稿があり、ゴツゴツした顔で青い模様をしていてむしろ敵みたいな風貌でちょっと怖いですw

その後は怪獣のデザイン画が並び、ベムラー、ケムール人、カネゴン、ゴーガ、バルタン星人の初稿などがあります。バルタン星人の初稿は、よく知っている顔をしていますが右手は普通の手をしていて、名前はバルカン半島から着想を得ているようです。また、バルタン星人はウルトラQに登場したセミ人間の着ぐるみを再利用することを前提としてデザインされたそうですが、監督の飯島敏宏 氏の要望で大きなハサミが付けられたそうで、右手には普通の手の上にハサミを上書きしているのが分かりました。

この近くには他にもジャミラ、ゼットン(西洋の鎧をイメージ)、ブルトン、シーボーズ、ゴモラ決定稿、レッドキング、メトロン星人、ウルトラセブンの初稿と続きます。セブンの初稿では顔は全然違いますが目と肩の辺りに現在の姿に通じるものを感じられ、隣には「レッドマン」の文字がありました。名前はレッドマンですが、この絵では体は青いのでちっともレッドマンじゃない気もします…w

この先はウルトラセブン関連のデザイン画で、エレキング、キングジョー決定稿、ピッド星人、ゴドラ星人、ウルトラ警備隊のコスチュームなどが描かれていました。また、少し進むとウルトラマンのダダのイラストが3点あり、平たい形でどこかの部族の仮面のようでした。

その後は池谷仙克 氏のコーナーです。成田 氏(セブンの30話まで)の退社後に怪獣デザインを担当したそうで、色付きのデザイン画が並びます。ダリー、ペロリンガ星人、パンドン、ダンカン、フック星人などですが、私は何故かこの辺の記憶は薄いので何とも…。
この近くにはウルトラマンの雛形(2006年再作成)がありました。やはりカラータイマーはありません。また、ベムラーの尾の一部、アボラスの頭部、バニラ頭部など壊れているものもあります。

この部屋の中央辺りには科学特捜隊日本支部の1/33模型も展示されていました。斜めに建つビルで、台形を逆さにした部分に繋がる先進的な形をしています。また、この辺にはジェットビートルの模型(オリジナル木型からの再作成)がありました。戦闘機などは撮影が進むと破損や修理が相次いだそうです。

他にもゼットンやジャミラの円盤の残骸?、当時の映像の写真、ビートルや特殊潜航艇の破片、ゴモラの頭部などもありました。

次の部屋はセブン関連で、クール星人の円盤、アイスラッガーのレプリカ、クール星人の腕(撮影で使用)、プラチク星人の宇宙戦車、キングジョーの合体前(撮影で使用)、ウィンダムの頭部レプリカ、ウルトラホーク2号の検討用モデル、背中から電池と配線が出ているウルトラセブンの飛行シーン用模型などがありました。飛行シーン用模型は結構黒ずんで使い倒した感じがします。

その後は美術スタッフの造形担当の佐々木明 氏のコーナーでした。ここには2006年に作ったウルトラマンのマスクや下絵、ウルトラマンの製作過程、ブーツ、カラータイマー(撮影用)、ウルトラマンのマスク(再作成)、14~29話のBタイプマスク(再作成?)、30話以降のCタイプマスク(再作成?)などがありました。BタイプとCタイプは似ていますが、目の角度や口の幅、耳の形状に違いがあるようです。ちなみにAタイプは口が開閉できたのですが、そこだけ皺になったりしたので全面強化プラスチックのBマスクとなったようです。Aタイプは顔が明らかに違うので番組を観ればすぐ分かると思います。(ソースは忘れましたが、地球にきたばかりでストレスで痩せてた為というような解釈を聞いたことがあります。)
また、ここには登場シーン用の模型もあったのですが、遠近感が強調されているのが面白かったです。

この部屋の中央には1/100のウルトラマン警備隊の秘密基地の模型もありました。山の中に飛行機の格納庫やロケットがあるのが確かにサンダーバードみたいな…w 他にもウルトラホーク2号(撮影で使用)や、高山良策 氏がアントラーという怪獣を制作している写真、怪獣の石膏の型などもありました。
なお、高山良策 氏は池袋モンパルナスと呼ばれたアトリエ村で活動していた前衛画家で、日本アンデパンダン展にも出品していたらしく画風はシュルレアリスム風だったそうです。池袋モンパルナスがここで出てくるとはこれまた驚きでした。

その先もセブンや高山氏関連のコーナーで、マスクやブーツ、ミニチュア、ゴリーとシャドー星人のマスクのレプリカ、3体のポール星人、ゴース星人のコスチューム、プロテ星人の円盤(撮影で使用)、ラゴンとセミ人間の頭部、ウルトラQのマンモスフラワーを描いた油彩画、高山良策 氏の「アトリエ・メイ」の看板、アトリエ・メイ関連資料、高山良策 氏の怪獣造形道具、金網に紙を巻きつけた怪獣造形用の人型、怪獣造形の採寸図(どうやって人が入るか分かりやすい断面図)、ケムラーの図面、ビラ星人の図面、製作中の写真などもありました。

ここには高山良策 氏の「感謝状」という水彩画があり、賞状や食べ物、化粧品、ペン、工具などを釣餌として人々がそれに引っ掛けられている様子が描かれていました。シュールな場面であると共に、権威・名誉・物に群がる現代人を風刺しているようでした。

この章の最後には怪獣カードというソノシートのようなものも沢山ならんでいました。



<第3章 STUDIO>
当時の円谷プロ社屋は世田谷区砧にあり、特撮や基地の内部、メカのコクピットの撮影場所となったのは世田谷区大倉の東京美術センター(美セン)だったそうです。今ではCGで描き出せる場面も当時はここで全て時間と人の労力で作っていました。また、ウルトラQの放映前にはTBSの広報活動に力をそそぎ、続くウルトラマン・ウルトラセブンでは週刊少年マガジンをはじめ雑誌で盛んに紹介されたそうです。ここではそうした現場や広報に関する品が並んでいました。

まずは当時の雑誌や書籍、グッズがずらりと並んでいました。少年マガジンや絵本、カルタ、ソフトビニール人形など玩具があり、壁面には当時の撮影の様子の写真がならびます。
部屋の中央には科学特捜隊のユニフォーム(フジ隊員 撮影用)、ヘルメット(フジ隊員 撮影用)、スパイダーショットなどがあります。 そして次の部屋にはウルトラマンのシナリオ本が全39話分が並び、たまにサインもされていました。さらにセブンの全49話のシナリオ本もあり、最初の方は「レッドマン(仮)」のタイトルがついているのが分かります。

少し進むとセブンの撮影関連の品で、撮影の様子の写真、ウルトラ警備隊のヘルメット、ユニフォーム(キリヤマ隊員 撮影用)、ブーツ(ソガ隊員 撮影用)、出演者のサイン、円谷英二の年賀状、セブンの最終回のシナリオ(直筆原稿)、絵コンテなどがありました。この辺はマニアが喜びそうな品です。

<第4章 RE-CREATION>
最後はウルトラマンとウルトラセブンを題材としたガレージキットとインスタレーションのコーナーでした。まずは非常にリアルなソフトビニール人形(2005年制作)が並び、有名怪獣が勢揃いしています。そしてその次にバンダイのデスクトップジオラマ「ウルトラ怪獣名鑑」「ウルトラ怪獣戯画」シリーズが並び、小さい食玩のようでありながら躍動感があって、名シーンをよく再現していました。

最後の部屋は伊藤隆介 氏の2003年のインスタレーションで、ミニチュアのウルトラマン、背景で回る空、手前で回転する雲の3つが組み合わさって見事に飛行シーンとなってプロジェクターに映しだされていました。これは実に分かりやすくてスピード感や動きもよく分かりました。


会場を出るとグッズ販売も盛況でした。フィギュアやソフビ、ポスター、台本風自由帳、DVD、書籍、ブロマイドセットなどなど沢山あります。むしろお父さんたちの方が躍起になっている光景が面白かったw


ということで、大分長くなってしまいましたがウルトラマン好きの方も十分満足できそうなくらいぎっしり詰まった内容でした。若干、当時のものでなく複製品が多い気がしますが、使い込んで壊れている品などは逆に当時の様子を感じさせてくれました。もう関東では終わってしまいましたが、この後は高松に行くようですので、近くで気になる方は是非どうぞ。

おまけ:
吹き抜けにもウルトラマンが飛んでいました。
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 参照記事:★この記事を参照している記事



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MOMASコレクションⅡ 2012 【埼玉県立近代美術館】

1週間前の土曜日に、埼玉県立近代美術館に行ってきました。特別展を観てから常設展を観たのですが、特別展の記事は準備中なので、先に常設展をご紹介しておこうと思います。この美術館の常設展にはタイトルがつけられ期間が決まっていて、私が行った時は「MOMASコレクションⅡ」の後期の内容となっていました。

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【展覧名】
 MOMASコレクションⅡ 2012
(2012 MOMASコレクション 第2期 開館30周年記念特別展示1)

【公式サイト】
 http://momas.jp/exhibitionguide/momascollection/2012-momas%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E7%AC%AC2%E6%9C%9F/

【会場】埼玉県立近代美術館
【最寄】北浦和駅

【会期】2012年7月14日(土)~10月14日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 0時間30分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日17時頃です)】
 混雑_1_2_3_4_⑤_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
閉館時間が近いこともあり空いていて快適に鑑賞することができました。

さて、この美術館の常設については何度か紹介していますが、今回も洋画・日本画、現代アートなど幅広いコレクションが展示されていました。前期と後期に期間が分かれていて、会期によって2章の日本画が全面的に入れ替わったようです。(出品リストで確認できます) 詳しくは気に入った作品を通してご紹介しようと思います。

 参考記事:
  MOMASコレクションI 2012 (埼玉県立近代美術館)
  MOMASコレクションⅣ 2012 (埼玉県立近代美術館)
  MOMASコレクションIII 2011(埼玉県立近代美術館)
  MOMASコレクションIII (埼玉県立近代美術館)
  MOMASコレクションⅡ (埼玉県立近代美術館)
  MOMASコレクション3 (埼玉県立近代美術館)

 参考リンク:
  出品リスト


<1 西洋の近代美術>
まずは西洋近代美術のコーナーで、ここはモネやルノワール、ドニ、ピカソなど錚々たる面々の作品が並んでいます。以前ご紹介した作品が多いですが、せっかくなのでもう一度書いておこうと思います。

パブロ・ピカソ 「静物」
テーブルに置かれた、ロウソク、水差し、カップなどを描いた静物です。くっきりと分かれた色面と、単純化され幾何学的な形がキュビスム的に見えます。解説によると、これが描かれたのは1944年で、この頃のパリはナチス・ドイツの支配下で空爆も迫るような時代だったそうです。その為、この絵の強い色や太い輪郭は重苦しい感じがするそうで(私にはそうは見えませんが)、終戦後にピカソは、「わたしは戦争を描かなかった。…しかし当時のわたしの絵の中に戦争があることは疑いない」とも言っていたとのことです。

ジョルジュ・ルオー 「横向きのピエロ」
横を向いたピエロを描いた作品で、目をつぶっている様子が描かれています。背景は暗い青で、どことなく瞑想しているようで哀愁が漂っていました。題材も画風もルオーらしさを感じる作品です。

アリスティド・マイヨール 「イル・ド・フランス」
これは彫刻作品で、両手を後ろにして手ぬぐいのような衣を持ち、胸を張って1歩踏み出す姿勢をしている裸婦の彫像です。肉感的で柔らかい感じがマイヨールらしく、官能的な雰囲気もあります。タイトルはフランスのパリを含む地域の名称ですが、何故この女性につけられているのかは分かりませんでした。

このコーナーには他にモネ、ルノワール、キスリング、ドラン、ドニ、ブーダン、ピサロ、デルヴォーなどもあります。デルヴォーはてっきり府中のデルヴォー展に出すのかと思っていましたが、出ないようですね…。


<2 埼玉の美術家たち>
続いては埼玉出身や埼玉に住んでいた美術家についてのコーナーです。ここは観たことがない作品が多かったです。

瑛九 「オペラグラス」
鳥のような頭の人物?が3体描かれたエッチング作品で、目玉や水玉、縞のような模様がついています。シュールな雰囲気でちょっと怖いw 解説によると、これは心に浮かんだイメージを描いたもののようで、目玉のイメージはオペラグラスという題名のように、覗くことへの欲望を連想させるとのことでした。

瑛九はこの他にも数点ありました。浦和で活動した画家だけに、この美術館には結構コレクションがあるようです。
 参考記事:
  生誕100年記念 瑛九展-夢に託して (うらわ美術館)
  生誕100年記念 瑛九展 (埼玉県立近代美術館)

秋山静 「BLUE HORIZON 82-A-S」
青いグラデーションを背景に、女性の裸体を思わせるものが描かれた作品です。その中にも色の違いがあり、海に沈んで光が当たっているような感じに見えました。実際のところは何を描いているのか分かりませんが、幻想的で色合いが美しい作風です。

寺井力三郎 「赤いソファー」
真横になった赤いソファの上で、肘で頭を支え背中を見せて寝る裸婦が描かれている作品です。細かい点描のような筆跡があるため、ざらついた質感に見えるかな。何処か静かで謎めいた雰囲気がある作品でした。

塗師祥一郎 「雪の大宮公園」
大宮公園の池と、その奥の建物、周りは雪が降り積もっている様子を描いた作品です。絵の具が厚塗りされていて、筆触が残っているため雪の積もった感じがよく出ているように思います。また、色がハッキリしていて題材が雪なので、ヴラマンクと共通点がありそうな気がしました。
 参考記事:大宮公園の写真

森田恒友 「会津風景」
木立の間から見える会津の家々を描いた作品です。三角や垂直線などを多用した画面はセザンヌからの影響を感じますが、若干色が淡目でセザンヌとはまた違った情緒があるように見えます。解説によると、この絵は第一次世界大戦の勃発によって帰国した作者が、滞欧中に学んだセザンヌの画風に取り組んだものとのことでした。

この辺にあった田中保の「裸婦」も良い作品でした。最後は日本画と工芸のコーナーです。

橋本雅邦 「花鳥図」
6曲1双の屏風で、右から順に春夏秋冬の花鳥が描かれています。穏やかな色使いで繊細さも感じました。解説によると、これは伝統的な狩野派の画法に則って描かれているようですが、リアルな描写などからは伝統的な様式から抜けだそうとする意欲が感じとれるそうです。

小村雪岱 「美人立姿」
これは掛け軸で、薄い緑の着物を着た女性が振り返る姿勢をしていて、その目線の先には蝶が描かれています。細い線とその画題から清涼感を感じ、微笑ましい光景でした。

ここには小村雪岱がデザインした着物と帯も展示されていました。
 参考記事:小村雪岱とその時代 (埼玉県立近代美術館)

増田三男 「金彩銅壺 山茱萸と鶯」 ★こちらで観られます
これは金属製の壺で側面にサンシュユ(山茱萸)にとまるうぐいすが象られています。デザイン化されたデフォルメが面白く、落ち着いた雰囲気がありました。質感も面白い壺です。


ということで、今回も様々なコレクションを楽しむことができました。埼玉の画家も面白い作品があって良かったです。もし埼玉県立近代美術館に行く機会があったら、常設も観ることをお勧めします。


 参照記事:★この記事を参照している記事




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アートアクアリウム展2012 & ナイトアクアリウム 【日本橋三井ホール】

※検索で来られた方へ。この記事は2012年の展覧会についてです。
 2013年はこちら→ アートアクアリウム展2013 & ナイトアクアリウム (日本橋三井ホール)



先週の金曜日の会社帰りに、三越前の日本橋三井ホールへ行って、「アートアクアリウム展2012 & ナイトアクアリウム」を、観てきました。時間帯でアートアクアリウムとナイトアクアリウムに分かれているようで、私が行ったのはナイトアクアリウムだったようです。(19時からはナイトアクアリウム。夜は中でお酒も売っていました。)

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【展覧名】
 ダイナースクラブ アートアクアリウム展2012 & ナイトアクアリウム

【公式サイト】
 http://h-i-d.co.jp/art/

【会場】日本橋三井ホール
【最寄】銀座線三越前/新日本橋駅/東京駅/神田駅


【会期】2012年8月17日(金)~9月24日(月)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間00分程度

【混み具合・混雑状況(金曜日19時頃です)】
 混雑_①_2_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_4_⑤_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_③_4_5_満足

【感想】
金曜の夜だったこともあってか非常に混んでいて、チケットを買うのに5分くらい並び、会場は満員電車並の混雑でした。特に最初の通路にある水槽は通路自体も狭い上、みんな写真を撮っているので中々進まない感じです。

さて、この展示は昨年 日本橋架橋100年を記念し開催されたものが再び開催されたものだそうです。私は昨年のは観ていないのですが、ここ数年 六本木でやっていたスカイアクアリウムと同じくアートアクアリウムプロデューサーの木村英智 氏が手がけたそうで、確かに見覚えのある演出もありました。

会場ではフラシュを使わなければ写真を撮れました(動画は駄目)ので、撮ってきた写真を使ってご紹介しようと思います。なお、今回は会社帰りなので、いつも水族館などで使っている一眼では無く、コンパクトデジカメで撮りました。暗い所で金魚の動きが早いのでちょっとボヤけています(ISO感度いじれって話ですがw) ご愛嬌ということですみません^^;

 参考記事:
  スカイ アクアリウム2011 (森アーツセンターギャラリー)
  スカイアクアリウムⅢ (TOKYO CITY VIEW)
  葛西臨海水族園の案内 前編
  葛西臨海水族園の案内 後編
  サンシャイン水族館の案内 (2011年11月)



「Zen Aquarium(禅アクアリウム)(壁掛け水槽)」
まずは日本画をイメージした水槽がありました。あまり日本画には見えませんが…。名前も謎です。
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この近くにはFlower2 Aquarium(フラワーフラワーアクアリウム)(花瓶水槽)[★こちらで観られます]という水槽もあり、こちらはこれも金魚なの?というくらい大きな魚もいました。


「Kingyo Collection (金魚コレクション)」
続いては沢山の水槽が並ぶ通路で、ここが一番混んでいました。各水槽に様々な金魚が泳いでいて、赤や青、紫、白など時間と共に照明の色が変わっていく演出となっています。

これはジャンボオランダという種類の金魚。変わった形をしています。
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これは丹頂。頭がリーゼントみたいに見える…w
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これはショートテール出目金。目が飛び出ているのと体色が面白い。
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この廊下には提灯のようなものが天井から吊るされていました。これも色が変わります。
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水槽が青くなるとこんな感じ。写真を撮るのが一番難しかった色ですが、神秘的な雰囲気です。
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こちらは日本オランダ。尾の形が非常に美しいです。
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こちらは東錦。斑があって華麗な尾をしています。
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これは花房頂天眼。目があってしまった(● 。_ 。●)
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続いて奥の大部屋はステージなどもあり、21時からはライブも行われるようでした。レーザー光線が行き交うクラブみたいな感じ。
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「Elegance Dance by gorgeous kingyo (華魚撩乱)」
これは見慣れた感じの金魚が沢山入った水槽。横から眺めると幻想的な感じです。
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「Oiran (花魁)(巨大金魚鉢)」
これも時間によって色が変わっていきます。水槽も洒落ていました。
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この近くにはAndonrium(アンドンリウム)(行燈水槽)[★こちらで観られます]という行灯みたいな水槽もありましたが、何故か数が少なかったです。ステージを使っていたからかな??

「Prisrium No.18 & No.12 ( プリズリウムNo.18 & No.12 )」
これは以前のスカイアクアリウムで見覚えがある多角形の水槽。中にはカラフルな金魚?がいて非常に綺麗です。
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これは大きな金魚が入っている方のプリズリウム。
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この近くでお酒を売っていて、普通にみんな立って飲んでました。

部屋の奥まった所には金魚鉢のような水槽もありました。
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「The Four Seasons Aquarium (水中四季絵巻)」
続いては数分程度のインスタレーションのような水槽。背景の映像が日本の四季を演出してくれるもので、これはスカイアクアリウムにあったのと同じじゃないかな。
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水中の魚の影と映像の影の見分けがつかないトリックアート的な感じも面白いです。
P1050250.jpg

これは秋の風景。綺麗ですが、この光と音で金魚はストレスを感じないのでしょうか…。(と、以前も同じような感想を書いてましたw)
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これは冬。冬が一番金魚が綺麗に観えました。
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「Kaleidorium(カレイドリウム)(万華鏡)」
続いては万華鏡の覗き窓がある水槽です。
P1050276.jpg

たまに金魚が通ったり光の色が変わると、万華鏡の色も変わります。
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「Byoburium(ビョウブリウム)(屏風水槽)」
最後は屏風型の水槽がありました。これも実際の影と映像の影が混ざっているのが面白いです。
P1050292.jpg P1050307.jpg

この近くには片岡鶴太郎の絵や浮世絵などもありましたが、混んでいたので特に写真は撮らず。


ということで、大混雑で大変でしたが綺麗な金魚を観ることが出来ました。ただ、夜はバーやイベント等もあってお祭り騒ぎなのが好みではない(江戸の情緒と言っている割にケバケバしくて安っぽいw)ので、以前のアクアリウムと比べると満足度はあまり高くは無かったです。しかし、まだ観たことが無い方には既存の水族館とはだいぶ違ったアートな演出に驚くのではないかと思います。行くなら時間帯次第といったところでしょうか…。

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