Archive | 2012年12月
今日は前回の記事に引き続き、東京国立博物館の日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」の後編をご紹介いたします。前編には混み具合なども記載しておりますので、前編を読まれていない方は前編から先にお読み頂けると嬉しいです。
前編はこちら

まずは概要のおさらいです。
【展覧名】
日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」
【公式サイト】
http://china-ocho.jp/
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1495
【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【会期】2012年10月10日(水) ~2012年12月24日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
3時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_4_⑤_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では漢の時代までご紹介しましたが、後半の第二会場は唐から宋までの時代のコーナーとなっていました。こちらも前編同様に同時代の2つの地域や国を比較するような感じで構成されています。
参考記事:
北京故宮博物院200選 感想前編(東京国立博物館 平成館)
北京故宮博物院200選 感想後編(東京国立博物館 平成館)
誕生!中国文明 (東京国立博物館 平成館)
<第四章 南北の拮抗 北朝vs南朝>
漢の後、三国志で有名な魏・蜀・呉の三国時代となり、それを統一して晋が生まれましたが、また分裂して五胡十六国時代という乱世が訪れました。さらにそれを北魏という国が統一したそうで、その後に続く北方民族の諸国を総称して北朝と呼ぶそうです。また、漢民族の王朝は南に逃れて宋(劉宋)・斉・梁・陳といった南朝と呼ばれる国が続いたらしく、ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
[清新な北方文化 北朝]
北方民族の政権が興亡を繰り返した五胡十六国の乱世を収束し、439年に華北を統一した北魏は、平城を中心に従来の中国に見られなかった清新な文化を築いたそうです。しかし、その後半期には洛陽へと遷都し急速に漢化の道を歩んでいったようです。
参考3 「石造如来及両脇侍立像」 北朝 東魏時代・6世紀
これは石で出来た仏像で、三尊像形式となっていて左右対称で正面性が強く意識されているそうです。北魏は雲崗石窟などが作られたように仏教が強かったらしく、この品からもそれを伺わせました。
この辺には杯や俑などもありました。
[爛熟の伝統文化 南朝]
華北に北方民族政権が打ち立てられると、漢民族の政権は江南に逃れ建康を拠点に王朝を維持したそうです。先に挙げた宋(劉宋)・斉・梁・陳に加え呉から数えると6つの王朝が続いたことから、六朝とも呼ばれるようです。仏教や外来文化などの要素を取り入れ、漢文化からの脱却の機運も高まっていったそうです。
90 「仙人仏像文盤口壺」 南朝 三国(呉)時代・3世紀
これは三国時代の品で、中央に仏の彫像がついた壺です。壺の側面には羽人や仙草などの中国ならではの文様があり、外来と中国の思想が既に混ざっているようでした。ちょっと変わった意匠も面白いです。
少し先に進むと84「王建之墓誌」という亡くなった人の功績を書いた碑文などもありました。また、ここにも俑や壺が並びます。
91 「楼閣人物神亭壺」 南朝 三国(呉)時代・鳳凰元年(272)
壺の上にミニチュアの楼閣が乗っている品で、側面には蟹や人物を象ったものが彫刻されています。これは墓に埋葬されたものらしく、面白い形で見栄えがしました。
この近くには指輪などの細かい金細工の品も並んでいました。
<第五章 世界帝国の出現 長安vs洛陽>
南北朝の対立は隋によって300年ぶりに再び統一されましたが、僅か40年程度で滅亡し、代わりに唐が支配するようになりました。唐は都を長安に定めて繁栄したのですが、同時期に洛陽も副都として同様の繁栄を見せていたようです。この章ではその2都市についての品が並んでいました。
どうでも良い思いつきですが、戦国→秦→漢と、戦国→隋→唐のパターンは似ているような…w
[絢爛の国際都市 長安]
唐の都である長安は最盛期には100万人もの人口を擁していたそうで、外国人も常時1万人が暮らしているほどの国際色豊かな都市だったそうです。その為、進取の気風に富み、華麗な文化が花開きました。
116 「金剛神坐像」 長安 唐時代・8世紀 ★こちらで観られます
大理石で作られた密教の神仏である金剛神像です。金剛杵を振り上げあぐらをかいた姿で、髪は逆立ち勢いを感じさせます。唐時代は密教が隆盛した様子が伝わってくるようでした。唐の時代に空海らが中国に渡って日本に密教を伝えたので、今でも日本には密教が息づいていることを考えると唐の文化は凄い影響力です。
115 「女性俑」 長安 唐時代・8世紀
緑、青、黄色の3色に彩られた女性の俑で、着物の中で組んだ手の上に盆を載せた姿をしています。解説によると、この藍色の釉薬は唐三彩では珍しいとのことで、確かに青を観る割合は低いように思いました。(唐三彩では緑、赤、黄色をよく見ます)ふっくらした顔立ちで穏やかそうな雰囲気がある俑です。
[聖なる宗教都市 洛陽]
唐王朝の副都に位置づけられた洛陽は、長安の東330kmにあり、長安よりは若干規模が小さいものの、長安と同様の賑わいを見せていました。仏教や道教の信仰熱も大いに高まって、造寺造仏が興隆したそうです。
123 「天王俑」 洛陽 唐時代・8世紀
邪鬼を踏みつけている陶製の3体の仏像(4体対うちの3体)の俑で、この俑は墓を守護する役割をしているそうです。若干作りは大らかですが、強さを誇示するようなポーズに観えて迫力がありました。
洛陽のコーナーにも唐三彩の壺や俑などもありました。この時代に300km程度の距離なら、今までの王朝に比べれば2つの都市の文化は大差ないのかも??
122 「仏坐像」 洛陽 唐時代・8世紀 ★こちらで観られます
これは座っている仏像で、龍門石窟で見つかったものだそうです。解説によると、両肩が張り、胸が分厚く上体はがっしりしているけれど腹は引き締まっているそうで、手足は伸びやかに表現されているようです。唐時代盛期の生動感に富むとのことで、どっしりとした風格がありました。
<第六章 近世の胎動 遼vs宋>
唐が滅びた後、五代十国時代という小国が興亡する時代となり、それを統一したのは宋でした。同じ頃、北方では契丹族の遼が興り宋と対峙したそうです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
[奔放な北方民族文化 遼]
中国北部の契丹族の遼では北方文化を下敷きとしながら、初めは唐 後に宋から多く吸収すると共に仏教文化の影響も強く受けたそうです。民族的な情感を漂わせつつ、奔放で力強さに溢れる文化を作ったらしく、そう感じさせる品が並んでいます。
参考記事:
草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― 感想前編(東京藝術大学大学美術館)
草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― 感想後編(東京藝術大学大学美術館)
チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 (江戸東京博物館)
134 「銀製仮面」 遼 遼時代・10~11世紀 ★こちらで観られます
金で出来た仮面で、埋葬時に使者の顔に被せられたもののようです。つり上がった目をしていますが安らかな表情に見えるかな。眉まで細かく彫られているのが驚きでした。解説によると、地位によって仮面の素材が違ったそうで、金・銀・銅などが用いられていたようです。独自の文化性を感じる品でした。
137-3 「銀板経」 遼 遼時代・11世紀
銀板に書かれたお経で、漢字がぎっしりと書かれています。何となく読めるところもあるのが面白く、唐などの漢民族の文化からの影響を感じました。近くにはこれを収めた容器もあります。
147 「皮袋形壺」 遼 遼時代・10世紀
遊牧民の使う革袋をモチーフにした白磁の壺です。革袋の縫い目のようなものまであり、ユニークな形をしています。先端が尖った把手が鶏のトサカに見えることから鶏冠壺と呼ばれることもあるとのことでした。
132 「龍唐草文冠」 遼 遼時代・10~11世紀
鍍金された冠で、龍や火焔宝珠、唐草などの文様が打ち出されています。かなり緻密で仏教的な雰囲気があり、仏教信者が使用していたのではないかとのことでした。契丹の仏教への信仰が伝わってきます。
[精神性の漢民族文化 宋]
唐王朝の滅亡後、五代十国の乱世を納め中国内地を統一した宋は「べんけい」に都を定めました。君主の独裁制の元で、士大夫という官僚・知識層が台頭したそうで、各方面で指導的な役割を果たしたようです。また、後半期には北方の女真族の侵略を受けて臨安に都を移して王朝を復興したようです。宋は漢民族の伝統文化を深化させながら深い精神性を備えた新しい境地を切り開いたとのことでした。
151 「阿育王塔」 宋 北宋時代・大中祥符4年(1011) ★こちらで観られます
これは金色の巨大な塔の置物で、高さ120cmもあるそうです。側面には釈迦にまつわる説話がびっしりと彫られていて、水晶や瑪瑙などの丸い玉がふんだんに納められています。塔の王様とも呼ばれるそうで、圧倒的な存在感がありつつ緻密で華麗な雰囲気がありました。これは今回の展示の中で間違いなく一番の見所だと思います。
この辺には仏塔や舎利容器、小さな仏像、お経、青磁などが並んでいました。
ということで、最後の最後で凄い品が待っていました。今回はあまり興味の無い品も多かったですが、これは観ておいて良かったかな。 中国の歴史や文化もよく分かったので参考になりました。 …とは言え、まだまだ来年も中国関連の展示が続くのでもういい加減にしてほしいですがw
参照記事:★この記事を参照している記事
前編はこちら

まずは概要のおさらいです。
【展覧名】
日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」
【公式サイト】
http://china-ocho.jp/
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1495
【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【会期】2012年10月10日(水) ~2012年12月24日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
3時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_4_⑤_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編では漢の時代までご紹介しましたが、後半の第二会場は唐から宋までの時代のコーナーとなっていました。こちらも前編同様に同時代の2つの地域や国を比較するような感じで構成されています。
参考記事:
北京故宮博物院200選 感想前編(東京国立博物館 平成館)
北京故宮博物院200選 感想後編(東京国立博物館 平成館)
誕生!中国文明 (東京国立博物館 平成館)
<第四章 南北の拮抗 北朝vs南朝>
漢の後、三国志で有名な魏・蜀・呉の三国時代となり、それを統一して晋が生まれましたが、また分裂して五胡十六国時代という乱世が訪れました。さらにそれを北魏という国が統一したそうで、その後に続く北方民族の諸国を総称して北朝と呼ぶそうです。また、漢民族の王朝は南に逃れて宋(劉宋)・斉・梁・陳といった南朝と呼ばれる国が続いたらしく、ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
[清新な北方文化 北朝]
北方民族の政権が興亡を繰り返した五胡十六国の乱世を収束し、439年に華北を統一した北魏は、平城を中心に従来の中国に見られなかった清新な文化を築いたそうです。しかし、その後半期には洛陽へと遷都し急速に漢化の道を歩んでいったようです。
参考3 「石造如来及両脇侍立像」 北朝 東魏時代・6世紀
これは石で出来た仏像で、三尊像形式となっていて左右対称で正面性が強く意識されているそうです。北魏は雲崗石窟などが作られたように仏教が強かったらしく、この品からもそれを伺わせました。
この辺には杯や俑などもありました。
[爛熟の伝統文化 南朝]
華北に北方民族政権が打ち立てられると、漢民族の政権は江南に逃れ建康を拠点に王朝を維持したそうです。先に挙げた宋(劉宋)・斉・梁・陳に加え呉から数えると6つの王朝が続いたことから、六朝とも呼ばれるようです。仏教や外来文化などの要素を取り入れ、漢文化からの脱却の機運も高まっていったそうです。
90 「仙人仏像文盤口壺」 南朝 三国(呉)時代・3世紀
これは三国時代の品で、中央に仏の彫像がついた壺です。壺の側面には羽人や仙草などの中国ならではの文様があり、外来と中国の思想が既に混ざっているようでした。ちょっと変わった意匠も面白いです。
少し先に進むと84「王建之墓誌」という亡くなった人の功績を書いた碑文などもありました。また、ここにも俑や壺が並びます。
91 「楼閣人物神亭壺」 南朝 三国(呉)時代・鳳凰元年(272)
壺の上にミニチュアの楼閣が乗っている品で、側面には蟹や人物を象ったものが彫刻されています。これは墓に埋葬されたものらしく、面白い形で見栄えがしました。
この近くには指輪などの細かい金細工の品も並んでいました。
<第五章 世界帝国の出現 長安vs洛陽>
南北朝の対立は隋によって300年ぶりに再び統一されましたが、僅か40年程度で滅亡し、代わりに唐が支配するようになりました。唐は都を長安に定めて繁栄したのですが、同時期に洛陽も副都として同様の繁栄を見せていたようです。この章ではその2都市についての品が並んでいました。
どうでも良い思いつきですが、戦国→秦→漢と、戦国→隋→唐のパターンは似ているような…w
[絢爛の国際都市 長安]
唐の都である長安は最盛期には100万人もの人口を擁していたそうで、外国人も常時1万人が暮らしているほどの国際色豊かな都市だったそうです。その為、進取の気風に富み、華麗な文化が花開きました。
116 「金剛神坐像」 長安 唐時代・8世紀 ★こちらで観られます
大理石で作られた密教の神仏である金剛神像です。金剛杵を振り上げあぐらをかいた姿で、髪は逆立ち勢いを感じさせます。唐時代は密教が隆盛した様子が伝わってくるようでした。唐の時代に空海らが中国に渡って日本に密教を伝えたので、今でも日本には密教が息づいていることを考えると唐の文化は凄い影響力です。
115 「女性俑」 長安 唐時代・8世紀
緑、青、黄色の3色に彩られた女性の俑で、着物の中で組んだ手の上に盆を載せた姿をしています。解説によると、この藍色の釉薬は唐三彩では珍しいとのことで、確かに青を観る割合は低いように思いました。(唐三彩では緑、赤、黄色をよく見ます)ふっくらした顔立ちで穏やかそうな雰囲気がある俑です。
[聖なる宗教都市 洛陽]
唐王朝の副都に位置づけられた洛陽は、長安の東330kmにあり、長安よりは若干規模が小さいものの、長安と同様の賑わいを見せていました。仏教や道教の信仰熱も大いに高まって、造寺造仏が興隆したそうです。
123 「天王俑」 洛陽 唐時代・8世紀
邪鬼を踏みつけている陶製の3体の仏像(4体対うちの3体)の俑で、この俑は墓を守護する役割をしているそうです。若干作りは大らかですが、強さを誇示するようなポーズに観えて迫力がありました。
洛陽のコーナーにも唐三彩の壺や俑などもありました。この時代に300km程度の距離なら、今までの王朝に比べれば2つの都市の文化は大差ないのかも??
122 「仏坐像」 洛陽 唐時代・8世紀 ★こちらで観られます
これは座っている仏像で、龍門石窟で見つかったものだそうです。解説によると、両肩が張り、胸が分厚く上体はがっしりしているけれど腹は引き締まっているそうで、手足は伸びやかに表現されているようです。唐時代盛期の生動感に富むとのことで、どっしりとした風格がありました。
<第六章 近世の胎動 遼vs宋>
唐が滅びた後、五代十国時代という小国が興亡する時代となり、それを統一したのは宋でした。同じ頃、北方では契丹族の遼が興り宋と対峙したそうです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
[奔放な北方民族文化 遼]
中国北部の契丹族の遼では北方文化を下敷きとしながら、初めは唐 後に宋から多く吸収すると共に仏教文化の影響も強く受けたそうです。民族的な情感を漂わせつつ、奔放で力強さに溢れる文化を作ったらしく、そう感じさせる品が並んでいます。
参考記事:
草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― 感想前編(東京藝術大学大学美術館)
草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス― 感想後編(東京藝術大学大学美術館)
チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展 (江戸東京博物館)
134 「銀製仮面」 遼 遼時代・10~11世紀 ★こちらで観られます
金で出来た仮面で、埋葬時に使者の顔に被せられたもののようです。つり上がった目をしていますが安らかな表情に見えるかな。眉まで細かく彫られているのが驚きでした。解説によると、地位によって仮面の素材が違ったそうで、金・銀・銅などが用いられていたようです。独自の文化性を感じる品でした。
137-3 「銀板経」 遼 遼時代・11世紀
銀板に書かれたお経で、漢字がぎっしりと書かれています。何となく読めるところもあるのが面白く、唐などの漢民族の文化からの影響を感じました。近くにはこれを収めた容器もあります。
147 「皮袋形壺」 遼 遼時代・10世紀
遊牧民の使う革袋をモチーフにした白磁の壺です。革袋の縫い目のようなものまであり、ユニークな形をしています。先端が尖った把手が鶏のトサカに見えることから鶏冠壺と呼ばれることもあるとのことでした。
132 「龍唐草文冠」 遼 遼時代・10~11世紀
鍍金された冠で、龍や火焔宝珠、唐草などの文様が打ち出されています。かなり緻密で仏教的な雰囲気があり、仏教信者が使用していたのではないかとのことでした。契丹の仏教への信仰が伝わってきます。
[精神性の漢民族文化 宋]
唐王朝の滅亡後、五代十国の乱世を納め中国内地を統一した宋は「べんけい」に都を定めました。君主の独裁制の元で、士大夫という官僚・知識層が台頭したそうで、各方面で指導的な役割を果たしたようです。また、後半期には北方の女真族の侵略を受けて臨安に都を移して王朝を復興したようです。宋は漢民族の伝統文化を深化させながら深い精神性を備えた新しい境地を切り開いたとのことでした。
151 「阿育王塔」 宋 北宋時代・大中祥符4年(1011) ★こちらで観られます
これは金色の巨大な塔の置物で、高さ120cmもあるそうです。側面には釈迦にまつわる説話がびっしりと彫られていて、水晶や瑪瑙などの丸い玉がふんだんに納められています。塔の王様とも呼ばれるそうで、圧倒的な存在感がありつつ緻密で華麗な雰囲気がありました。これは今回の展示の中で間違いなく一番の見所だと思います。
この辺には仏塔や舎利容器、小さな仏像、お経、青磁などが並んでいました。
ということで、最後の最後で凄い品が待っていました。今回はあまり興味の無い品も多かったですが、これは観ておいて良かったかな。 中国の歴史や文化もよく分かったので参考になりました。 …とは言え、まだまだ来年も中国関連の展示が続くのでもういい加減にしてほしいですがw
参照記事:★この記事を参照している記事
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前回ご紹介したお店でお昼を済ませた後に、上野の東京国立博物館で日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」を観てきました。かなりの情報量となっていましたので、前編・後編に分けてご紹介しようと思います。

【展覧名】
日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」
【公式サイト】
http://china-ocho.jp/
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1495
【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【会期】2012年10月10日(水) ~2012年12月24日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
3時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_4_⑤_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
いつもどおり多くの人がいましたが、混んでいるというほどでもなく自分のペースで観ることができました。
さて、今回の展示は中国の歴代の王朝の宝を一気に紹介しつつ、同時期の王朝を比較することでその違いやお互いの影響を考察するという趣旨の内容となっていました。ここの所、中国関連の展示が多すぎていい加減に食傷気味のため中々足が向かなかったのですが、今後の参考にもなりそうな展示でしたので、いつも通り詳しくは各章で気になった作品と共にご紹介していこうと思います。
参考記事:
北京故宮博物院200選 感想前編(東京国立博物館 平成館)
北京故宮博物院200選 感想後編(東京国立博物館 平成館)
誕生!中国文明 (東京国立博物館 平成館)
<第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷>
まずは一番最初の王朝とされる黄河中流域(中原[ちゅうげん])の夏や殷と、長江上流域の四川盆地の蜀という地域の勢力とを比較するコーナーです。
[四川の金]
四川盆地の西端の成都平原を中心とする地域では新石器時代から人々の営みが認められるそうで、古来より「蜀」と呼ばれました。中原で殷や西周といった初期王朝が栄えていたのとほぼ同じ頃、この地域の三星堆(さんせいたい)や金沙(きんさ)に置かれた都城を核として、中原とは別の勢力が存在したそうです。金沙遺跡は1995年に一部の遺跡が発見された比較的最近研究が始まった遺跡のようですが、ここにはその蜀に関する品々が並んでいました。
4 「金製仮面」 蜀 殷~西周時代・前12~前10世紀 ★こちらで観られます
これは金の薄い板を加工した幅が5cmにも満たない小さな金の仮面で、神か人の顔を表しているようです。肥沃な蜀では人の姿をした神や動物が崇められていたそうで、金を使うことや人の形を造形化するのは中原にはない蜀の特徴とのことです。ちょっと大らかな作りですが、この時代にそれだけの技術を持った集団が夏や殷以外にいたことに驚きました。
1 「突目仮面」 蜀 殷時代・前13~前11世紀
かなり大きめの仮面で、つり上がった目が飛び出し 尖った耳と裂けた口の異形の顔をしています。これは王を表しているとも言われるそうで、鼻から額にも装飾があり実際につけるのは不可能なくらい重そうでした。何かの儀式用かな?
この辺には金製の円盤や漏斗のようなもの、金の仮面などがありました。
7 「人形器」 蜀 殷~西周時代・前12~前10世紀
頭がなく胸のあたりに丸い穴が開いている青銅製の人形です。…というよりは丸穴が顔を表しているようにも見えるかな。だらりとした感じの手で、ちょっと宇宙人チックw 何に使うかわかりませんが、古代特有のミステリアスな雰囲気がありました。
その先には虎や蛇や人物などの石像、玉(ぎょく)で出来た器や剣などが並んでいました。この時代から玉が珍重されていたというのも驚きです。
[中原の青銅 夏・殷]
黄河中流域の中原と呼ばれる地域に紀元前2000年頃から初期的な王朝が誕生していたようで、夏(か)や殷(いん)と呼ばれています。夏まだ証明されたわけではないそうですが二里頭遺跡では本格的な青銅器制作が始まったと考えられるようです。
続く殷では鄭州(ていしゅう)などに都を置きながら細密で強靭な造形を備えた玉や青銅器を作り、漢字の元となる文字を体系的に用いるなど中国文化の礎となったそうです。ここにはそうした王朝の品々が並んでいました。
21 「動物文飾板」 夏・殷 二里頭文化期(夏)時代・前17~前16世紀
青銅と綺麗なエメラルドグリーンのトルコ石で出来た動物?の飾り板です。モザイク模様のような感じで意匠が面白く、以前観た「誕生!中国文明」展にあった動物の飾り板を思い出しました。
この辺は青銅の器が並んでいました。3つ足の酒を注ぐ容器で、側面に文様があります。
24 「方鼎」 夏・殷 殷時代・前16~前15世紀
正方形の銅器で、4つの足がついています。神や先祖の霊に肉料理を備えるためのものらしく、側面には文様があって動物を表しているのかな? 解説によるとこれは崇めていた神の姿とのことで独特の雰囲気がありました。
この少し先には玉器や亀の甲羅で占った30「卜甲」などもありました。文字が書かれていて、漢字の元になっているのかも??
<第二章 群雄の輝き 楚vs斉・魯>
前章の殷の後に中原を支配したのは周で、その威光が薄れると各地で諸侯が並び立つ春秋戦国時代となりました。黄河の下流域では周の流れを組む斉や魯が栄え、一方の長江中流域では楚という国が隆盛したようです。ここにはそうした時代の品々が並んでいました。(ここは何故か順序がバラバラだったので、観た順ではなく構成に従った順にしています)
[中原の伝統 斉・魯]
斉・魯は殷を滅ぼした周の流れをくむ国で、周が王朝を開いた最初期に周の功臣への封地(領地)として始まりました。魯は周の遺風をよく伝え、文化の影響力を保っていたそうで、両国とも地域的な土壌に中原の伝統と新しい時代の要素を加味し、高度に洗練された文化を築いたようです。また、魯には諸子百家と言われる学者や学派が集い、文化の中心地として栄えたそうで、紀元前6世紀の終わりことには孔子が魯公に仕え、理想の政治を目指したそうです。
51 「犠尊」 斉・魯 戦国時代・前4~前3世紀 ★こちらで観られます
豚のような謎の動物の形の酒器で、背中に円形の蓋があり口から酒を注ぐそうです。重いので祭壇に備えたのではないかとのことで、側面にはぎっしりと文様がありました。細かな造形が技術の高さを感じさせました。
この近くには重厚な青銅器がありました。どちらの国も繁栄し拮抗していたようです。
52 「猿形帯鉤」 斉・魯 戦国時代・前3世紀
これはベルトのバックルのようなもので、猿が身体をひねってジャンプする姿をしています。伸ばした左手がベルトの穴に通す鉤になっているそうで、面白い意匠です。キョロっとした目がなんとも可愛らしいw
[南方の神秘 楚]
春秋戦国時代に長江中流域で頭角を現して王を称した楚は、広い範囲に勢力を及ぼしたそうで、「てい」(現在の慶州市)に都を起き、一時は覇者となり繁栄しました。黄河の中原諸国とは風俗や習慣がことなり、土着的な信仰を色濃く残し神秘的な姿の神や獣を崇め、古来の神話体系を残すなど独自の文化を持っていたようです。
32 「羽人」 楚 戦国時代・前4世紀 ★こちらで観られます
ガマの上に水鳥が乗り、その上に羽人という中国で古くから信じられてきた仙人が乗っている置物です。羽人はその名の通り羽がある人間で、くちばしもあって河童みたいな顔に見えました。変わった宗教観を感じさせます。
33 「虎座鳳凰架鼓」 楚 戦国時代・前4世紀
これは結構大きな品で、中央に丸い太鼓があり、両脇にはそれを支える背を向け合う2羽の鳥の彫刻があります。また、その台座の部分はお互いに背を向ける2頭の虎もあり、木と漆で出来ているようです。楚の宗教儀式に用いられたそうで、圧倒するような力強さがありました。
31 「鎮墓獣」 楚 戦国時代・前4世紀
方形の台座に鹿の角を生やした怪物が背中合わせに立っているもので怪物は舌を出しているように見えます。鹿の角にまで文様が施されていて、異様な迫力がありました。解説によると、これは悪霊を避け墓を守るために作られたそうで、楚に典型的な文物のようでした。
この辺には人物俑や青銅器、墓から出てきた小さな子供の服などもありました。
<第三章 初めての統一王朝 秦vs漢>
続いては初めて中国統一を成し遂げた秦と、その後の漢の時代のコーナーです。
[絶対権力が生んだ破格の美 秦]
西国の小国だった秦は春秋戦国時代に勢力を伸ばして咸陽に都を移し、一挙に東国への進出を図って蜀や楚に続いて周王朝を滅ぼし、他の列強国も次々と滅ぼしたそうです。そして紀元前221年に中国史上初めての統一王朝を開くと、始皇帝によって文字、度量衡、貨幣などが統一され長城や陵墓の建設などを行いました。しかし始皇帝の死後に滅びわずか15年で漢に取って代わられました。
58 「龍」 秦 戦国~秦時代・前3世紀
絡み合う巨大な龍の彫像で、龍というか怪物みたいな顔をしています。鱗もびっしり文様があり見事です。モニュメントの一部と考えられるようで、権力を感じさせる迫力がありました。
59 「跪射俑」 秦 秦時代・前3世紀 ★こちらで観られます
等身大の兵士の俑(墓に埋められた陶器などで出来た人形。あの世でのお世話係)で、片膝を付いて上を見上げ、弓を構える姿勢のようです。顔には金メッキが残っていて、当時の姿を想像させます。何とも生き生きとした造形で動きを感じました。
この隣にも俑があり、他には始皇帝の陵墓から出土した小さな弓と矢なども展示されていました。
[安定と洗練が育んだ様式の美 漢]
短命に終わった秦の後を受け、400年に渡って中国全土を統治したのが漢で、前半期には長安を都として国家体制を整備しました。儒教を国教とし、西域の経営にも乗り出すなど栄えたようです。また後半期には都を洛陽に移し、神仙思想や儒教の隆盛をみたようです。前後半通じて漢字や漢文、漢人、漢画、漢方というように漢が中国を意味するようになるほど広範囲に後代への規範となる文化が育まれて行きました。
66 「竹節博山炉」 漢 前漢時代・前2世紀
長い柱の上に花のつぼみのようなデザインのものがついている作品で、これは博山という山をかたどっているものだそうです。側面には龍も表され、青銅の上に金と銀でメッキされて金色に光っています。宮殿に用いられた品のようで、華やかで雅な雰囲気があり、これまでの作品とは違う洗練された印象を受けました。
この辺には陶器や小さめの俑などもありました。
72 「玉鋪首」 漢 前漢時代・前2~前1世紀
これは玉(きれいな石)でできた動物の面のような品です。中には四神の姿らしきものもあるようで、迫力がありました。青銅製が普通で玉製のものは珍しいのだとか。
この辺で第一会場は終わりなので今日はここまでにしようと思います。前半は貴重だとは思ってもちょっと地味な内容に思えたかな。時期や場所がどんどん変わるので、テーマの範囲が広すぎた感じもします。しかし、後半には目玉作品もありましたので、次回はそれについてご紹介しようと思います。
→ 後編はこちら
参照記事:★この記事を参照している記事

【展覧名】
日中国交正常化40周年 東京国立博物館140周年 特別展「中国 王朝の至宝」
【公式サイト】
http://china-ocho.jp/
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1495
【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【会期】2012年10月10日(水) ~2012年12月24日(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
3時間00分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_4_⑤_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
いつもどおり多くの人がいましたが、混んでいるというほどでもなく自分のペースで観ることができました。
さて、今回の展示は中国の歴代の王朝の宝を一気に紹介しつつ、同時期の王朝を比較することでその違いやお互いの影響を考察するという趣旨の内容となっていました。ここの所、中国関連の展示が多すぎていい加減に食傷気味のため中々足が向かなかったのですが、今後の参考にもなりそうな展示でしたので、いつも通り詳しくは各章で気になった作品と共にご紹介していこうと思います。
参考記事:
北京故宮博物院200選 感想前編(東京国立博物館 平成館)
北京故宮博物院200選 感想後編(東京国立博物館 平成館)
誕生!中国文明 (東京国立博物館 平成館)
<第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷>
まずは一番最初の王朝とされる黄河中流域(中原[ちゅうげん])の夏や殷と、長江上流域の四川盆地の蜀という地域の勢力とを比較するコーナーです。
[四川の金]
四川盆地の西端の成都平原を中心とする地域では新石器時代から人々の営みが認められるそうで、古来より「蜀」と呼ばれました。中原で殷や西周といった初期王朝が栄えていたのとほぼ同じ頃、この地域の三星堆(さんせいたい)や金沙(きんさ)に置かれた都城を核として、中原とは別の勢力が存在したそうです。金沙遺跡は1995年に一部の遺跡が発見された比較的最近研究が始まった遺跡のようですが、ここにはその蜀に関する品々が並んでいました。
4 「金製仮面」 蜀 殷~西周時代・前12~前10世紀 ★こちらで観られます
これは金の薄い板を加工した幅が5cmにも満たない小さな金の仮面で、神か人の顔を表しているようです。肥沃な蜀では人の姿をした神や動物が崇められていたそうで、金を使うことや人の形を造形化するのは中原にはない蜀の特徴とのことです。ちょっと大らかな作りですが、この時代にそれだけの技術を持った集団が夏や殷以外にいたことに驚きました。
1 「突目仮面」 蜀 殷時代・前13~前11世紀
かなり大きめの仮面で、つり上がった目が飛び出し 尖った耳と裂けた口の異形の顔をしています。これは王を表しているとも言われるそうで、鼻から額にも装飾があり実際につけるのは不可能なくらい重そうでした。何かの儀式用かな?
この辺には金製の円盤や漏斗のようなもの、金の仮面などがありました。
7 「人形器」 蜀 殷~西周時代・前12~前10世紀
頭がなく胸のあたりに丸い穴が開いている青銅製の人形です。…というよりは丸穴が顔を表しているようにも見えるかな。だらりとした感じの手で、ちょっと宇宙人チックw 何に使うかわかりませんが、古代特有のミステリアスな雰囲気がありました。
その先には虎や蛇や人物などの石像、玉(ぎょく)で出来た器や剣などが並んでいました。この時代から玉が珍重されていたというのも驚きです。
[中原の青銅 夏・殷]
黄河中流域の中原と呼ばれる地域に紀元前2000年頃から初期的な王朝が誕生していたようで、夏(か)や殷(いん)と呼ばれています。夏まだ証明されたわけではないそうですが二里頭遺跡では本格的な青銅器制作が始まったと考えられるようです。
続く殷では鄭州(ていしゅう)などに都を置きながら細密で強靭な造形を備えた玉や青銅器を作り、漢字の元となる文字を体系的に用いるなど中国文化の礎となったそうです。ここにはそうした王朝の品々が並んでいました。
21 「動物文飾板」 夏・殷 二里頭文化期(夏)時代・前17~前16世紀
青銅と綺麗なエメラルドグリーンのトルコ石で出来た動物?の飾り板です。モザイク模様のような感じで意匠が面白く、以前観た「誕生!中国文明」展にあった動物の飾り板を思い出しました。
この辺は青銅の器が並んでいました。3つ足の酒を注ぐ容器で、側面に文様があります。
24 「方鼎」 夏・殷 殷時代・前16~前15世紀
正方形の銅器で、4つの足がついています。神や先祖の霊に肉料理を備えるためのものらしく、側面には文様があって動物を表しているのかな? 解説によるとこれは崇めていた神の姿とのことで独特の雰囲気がありました。
この少し先には玉器や亀の甲羅で占った30「卜甲」などもありました。文字が書かれていて、漢字の元になっているのかも??
<第二章 群雄の輝き 楚vs斉・魯>
前章の殷の後に中原を支配したのは周で、その威光が薄れると各地で諸侯が並び立つ春秋戦国時代となりました。黄河の下流域では周の流れを組む斉や魯が栄え、一方の長江中流域では楚という国が隆盛したようです。ここにはそうした時代の品々が並んでいました。(ここは何故か順序がバラバラだったので、観た順ではなく構成に従った順にしています)
[中原の伝統 斉・魯]
斉・魯は殷を滅ぼした周の流れをくむ国で、周が王朝を開いた最初期に周の功臣への封地(領地)として始まりました。魯は周の遺風をよく伝え、文化の影響力を保っていたそうで、両国とも地域的な土壌に中原の伝統と新しい時代の要素を加味し、高度に洗練された文化を築いたようです。また、魯には諸子百家と言われる学者や学派が集い、文化の中心地として栄えたそうで、紀元前6世紀の終わりことには孔子が魯公に仕え、理想の政治を目指したそうです。
51 「犠尊」 斉・魯 戦国時代・前4~前3世紀 ★こちらで観られます
豚のような謎の動物の形の酒器で、背中に円形の蓋があり口から酒を注ぐそうです。重いので祭壇に備えたのではないかとのことで、側面にはぎっしりと文様がありました。細かな造形が技術の高さを感じさせました。
この近くには重厚な青銅器がありました。どちらの国も繁栄し拮抗していたようです。
52 「猿形帯鉤」 斉・魯 戦国時代・前3世紀
これはベルトのバックルのようなもので、猿が身体をひねってジャンプする姿をしています。伸ばした左手がベルトの穴に通す鉤になっているそうで、面白い意匠です。キョロっとした目がなんとも可愛らしいw
[南方の神秘 楚]
春秋戦国時代に長江中流域で頭角を現して王を称した楚は、広い範囲に勢力を及ぼしたそうで、「てい」(現在の慶州市)に都を起き、一時は覇者となり繁栄しました。黄河の中原諸国とは風俗や習慣がことなり、土着的な信仰を色濃く残し神秘的な姿の神や獣を崇め、古来の神話体系を残すなど独自の文化を持っていたようです。
32 「羽人」 楚 戦国時代・前4世紀 ★こちらで観られます
ガマの上に水鳥が乗り、その上に羽人という中国で古くから信じられてきた仙人が乗っている置物です。羽人はその名の通り羽がある人間で、くちばしもあって河童みたいな顔に見えました。変わった宗教観を感じさせます。
33 「虎座鳳凰架鼓」 楚 戦国時代・前4世紀
これは結構大きな品で、中央に丸い太鼓があり、両脇にはそれを支える背を向け合う2羽の鳥の彫刻があります。また、その台座の部分はお互いに背を向ける2頭の虎もあり、木と漆で出来ているようです。楚の宗教儀式に用いられたそうで、圧倒するような力強さがありました。
31 「鎮墓獣」 楚 戦国時代・前4世紀
方形の台座に鹿の角を生やした怪物が背中合わせに立っているもので怪物は舌を出しているように見えます。鹿の角にまで文様が施されていて、異様な迫力がありました。解説によると、これは悪霊を避け墓を守るために作られたそうで、楚に典型的な文物のようでした。
この辺には人物俑や青銅器、墓から出てきた小さな子供の服などもありました。
<第三章 初めての統一王朝 秦vs漢>
続いては初めて中国統一を成し遂げた秦と、その後の漢の時代のコーナーです。
[絶対権力が生んだ破格の美 秦]
西国の小国だった秦は春秋戦国時代に勢力を伸ばして咸陽に都を移し、一挙に東国への進出を図って蜀や楚に続いて周王朝を滅ぼし、他の列強国も次々と滅ぼしたそうです。そして紀元前221年に中国史上初めての統一王朝を開くと、始皇帝によって文字、度量衡、貨幣などが統一され長城や陵墓の建設などを行いました。しかし始皇帝の死後に滅びわずか15年で漢に取って代わられました。
58 「龍」 秦 戦国~秦時代・前3世紀
絡み合う巨大な龍の彫像で、龍というか怪物みたいな顔をしています。鱗もびっしり文様があり見事です。モニュメントの一部と考えられるようで、権力を感じさせる迫力がありました。
59 「跪射俑」 秦 秦時代・前3世紀 ★こちらで観られます
等身大の兵士の俑(墓に埋められた陶器などで出来た人形。あの世でのお世話係)で、片膝を付いて上を見上げ、弓を構える姿勢のようです。顔には金メッキが残っていて、当時の姿を想像させます。何とも生き生きとした造形で動きを感じました。
この隣にも俑があり、他には始皇帝の陵墓から出土した小さな弓と矢なども展示されていました。
[安定と洗練が育んだ様式の美 漢]
短命に終わった秦の後を受け、400年に渡って中国全土を統治したのが漢で、前半期には長安を都として国家体制を整備しました。儒教を国教とし、西域の経営にも乗り出すなど栄えたようです。また後半期には都を洛陽に移し、神仙思想や儒教の隆盛をみたようです。前後半通じて漢字や漢文、漢人、漢画、漢方というように漢が中国を意味するようになるほど広範囲に後代への規範となる文化が育まれて行きました。
66 「竹節博山炉」 漢 前漢時代・前2世紀
長い柱の上に花のつぼみのようなデザインのものがついている作品で、これは博山という山をかたどっているものだそうです。側面には龍も表され、青銅の上に金と銀でメッキされて金色に光っています。宮殿に用いられた品のようで、華やかで雅な雰囲気があり、これまでの作品とは違う洗練された印象を受けました。
この辺には陶器や小さめの俑などもありました。
72 「玉鋪首」 漢 前漢時代・前2~前1世紀
これは玉(きれいな石)でできた動物の面のような品です。中には四神の姿らしきものもあるようで、迫力がありました。青銅製が普通で玉製のものは珍しいのだとか。
この辺で第一会場は終わりなので今日はここまでにしようと思います。前半は貴重だとは思ってもちょっと地味な内容に思えたかな。時期や場所がどんどん変わるので、テーマの範囲が広すぎた感じもします。しかし、後半には目玉作品もありましたので、次回はそれについてご紹介しようと思います。
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この前の日曜日に、上野の展示を観に行ったのですがその前に京成上野駅の近くにある黒船亭というお店でランチをしてきました。

【店名】
黒船亭
【ジャンル】
洋食
【公式サイト】
http://www.kurofunetei.co.jp/
食べログ:http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13003640/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【近くの美術館】
国立西洋美術館
上野の森美術館
東京国立博物館
東京都美術館
国立科学博物館
東京文化会館
上野動物園
など
【この日にかかった1人の費用】
1520円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_③_4_5_快適
【混み具合・混雑状況(日曜日12時頃です)】
混雑_①_2_3_4_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
凄い行列で30~40分くらい待って入りました。それでもまだ良い方で、私より後に着た人は50分程度の待ちと言われていました。
さて、このお店は非常に有名で歴史も長いのでファンも多いお店です。(元々は明治35年(1902年)頃からこの辺りで商売をしていたようで、今のお店になったのは1986年頃のことのようです。) ビルの4階にあるので若干わかりづらいですが、京成上野駅の近くのマックの上と覚えると簡単です。
参考リンク:黒船亭の歴史

店内はこんな感じ。内装は普通です。

クリスマスが近かったのでツリーが飾ってありました。
このお店はビーフシチューやオムライス、ハヤシライスなどが有名で迷ったのですが、この日はハヤシライス(1520円)にしました。

ご飯にかけたところのアップ。

一週間以上かけてつくったデミグラスソースがベースだそうで、まろやかな味です。味が深くてちょっとずつ味わいながら食べたつもりがあっという間に食べてしまったw お店のお勧めの逸品だけのことはあります。
ということで、相応の時間とお金がかかりましたが久々に美味しい洋食を食べることができました。オムライスやハンバーグ、タンシチューなどにも未練があるのでまた行きたいと思います。ちょっと混むのが難点なので、興味がある方はピーク時を避けた方がいいかもしれません。

【店名】
黒船亭
【ジャンル】
洋食
【公式サイト】
http://www.kurofunetei.co.jp/
食べログ:http://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13003640/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
上野駅(JR・東京メトロ・京成)
【近くの美術館】
国立西洋美術館
上野の森美術館
東京国立博物館
東京都美術館
国立科学博物館
東京文化会館
上野動物園
など
【この日にかかった1人の費用】
1520円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_③_4_5_快適
【混み具合・混雑状況(日曜日12時頃です)】
混雑_①_2_3_4_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
凄い行列で30~40分くらい待って入りました。それでもまだ良い方で、私より後に着た人は50分程度の待ちと言われていました。
さて、このお店は非常に有名で歴史も長いのでファンも多いお店です。(元々は明治35年(1902年)頃からこの辺りで商売をしていたようで、今のお店になったのは1986年頃のことのようです。) ビルの4階にあるので若干わかりづらいですが、京成上野駅の近くのマックの上と覚えると簡単です。
参考リンク:黒船亭の歴史

店内はこんな感じ。内装は普通です。

クリスマスが近かったのでツリーが飾ってありました。
このお店はビーフシチューやオムライス、ハヤシライスなどが有名で迷ったのですが、この日はハヤシライス(1520円)にしました。

ご飯にかけたところのアップ。

一週間以上かけてつくったデミグラスソースがベースだそうで、まろやかな味です。味が深くてちょっとずつ味わいながら食べたつもりがあっという間に食べてしまったw お店のお勧めの逸品だけのことはあります。
ということで、相応の時間とお金がかかりましたが久々に美味しい洋食を食べることができました。オムライスやハンバーグ、タンシチューなどにも未練があるのでまた行きたいと思います。ちょっと混むのが難点なので、興味がある方はピーク時を避けた方がいいかもしれません。
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前回ご紹介したお店でお茶した後、新橋のパナソニック 汐留ミュージアムで「パリ・ルオー財団特別企画展 I LOVE CIRCUS」を観てきました。

【展覧名】
パリ・ルオー財団特別企画展 I LOVE CIRCUS
【公式サイト】
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/121006/
【会場】パナソニック 汐留ミュージアム
【最寄】JR/東京メトロ 新橋駅 都営大江戸線汐留駅
【会期】2012年10月6日(土)~2012年12月16日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間30分程度
【混み具合・混雑状況(土曜日16時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
夕方に行ったこともあってか空いていました。しかし閉館が迫っていたので若干早足での鑑賞となりました。
さて今回はジョルジュ・ルオーとサーカスについての展示です。このミュージアムではよくルオーの展示をやっている印象(というか数ヶ月前にやってたばかり)ですが、この展示では特にルオーがよく題材としたサーカスに焦点を当てた内容となっていました。3つの章に分かれた構成でしたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
参考記事:
ジョルジュ・ルオー 名画の謎 展 (パナソニック 汐留ミュージアム)
ルオーと風景 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
ユビュ 知られざるルオーの素顔 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
<第1幕◆悲哀─旅まわりのサーカス 1902-1910 年代>
まずは初期のサーカスについての作品のコーナーです。ルオーは幼少期からサーカスの世界に心奪われていたようで、道化師の姿がルオーの作品に初めて登場したのは1902年という極めて早い時期だそうです。それ以来ルオーは絶えずサーカスを描き続けたそうで、サーカスに通い、機会があれば移動サーカスも見て回ったようです。しかし、ルオーが描いたのは華やかなスペクタクルではなく、場末の貧民街に生きる人々の勇気・忍従・孤独・悲哀などだったようで、ここにはそうした作品が並んでいました。
まずはシルク・フェルナンド(シルク・メドラノ)のポスターなどがありました。これはルオーが好きだったモンマルトルのサーカスで、後のほうで詳しく説明されていました。
ジョルジュ・ルオー 「曲馬団の娘」
耳の辺りに手をあててサーカスの格好をしている曲馬師の娘を描いた作品です。控え室なのか、佇むような感じで顔はしかめっ面に見えます。水彩画ですが荒々しいタッチで重厚な印象を受けました。華やかな舞台とは裏腹の苦悩が感じられます。
この辺は道化師や客寄せの作品が並んでいました。
ジョルジュ・ルオー 「軽業師 VII」
うつむいて両手で頭を抱えるようポーズの軽業師を描いた作品です。かなり簡略化され、ぐにゃっと曲がった腕と虚ろな黒い顔が異様な感じで、顔は哀しみの表情のように見えます。黒く太い輪郭線が使われルオーらしい作風のように思いました。
ジョルジュ・ルオー 「タバランにて(シャユ踊り)」 ★こちらで観られます
右足を高く蹴り上げる「シャユ踊り」をしている踊り子を描いた作品で、これはモンマルトルのバルー・タバランという店の中のようです。反り返った足と見上げるような目線のせいか高々と上がった感じで、勢いあるタッチで動きがありました。全体的に深い青が使われているのも印象的な作品でした。
この章には他に自画像のコーナーもありました。ルオーは道化は自分自身であり人間の象徴であると考えていたようです。
<第2幕◆喝采─舞台を一巡り 1920-1930 年代>
ルオーは1917年にアンブロワーズ・ヴォラールと専属契約を結ぶと、当時 社交場となっていた華やかなサーカスに通うようになったそうです。(ヴォラールはサーカスのボックス席を所有していて、画家たちに提供していた) そしてルオーはそのスペクタクルから「色・形・ハーモニー」という自身の芸術の重要な要素を発見し、1920年以降の作品では「色・形・ハーモニー」がより一層強調されるようになりました。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
この章の最初あたりで絵画作品のある部屋と資料などの部屋に分かれていたので、資料から観ていきました。サーカス風の凝った部屋の中では映像が流され、当時の様子を説明していました。また、その奥の部屋は当時の写真や雑誌、プログラム、などが展示されていて、壁に開いた穴を覗きこむという変わった趣向となっていました(見世物小屋みたいな感じ?) ルオーがよく通った庶民的なシルク・フェルナンド(シルク・メドラノ)の他に、当時唯一の常設サーカスのシルク・ディヴェール(冬のサーカス)、シャンゼリゼ通りのエレガントなシルク・デデ(夏のサーカス)など様々なサーカスがパリにはあったようです。その先の部屋にも招待状やレコードなどが展示されていて当時の流行具合を伺わせました。
一通りサーカスの資料展示を観た後、再び絵画作品を見て回りました。
ジョルジュ・ルオー 「自分の顔をつくらぬ者があろうか?」(『ミセレーレ』第8図に基づく類作)
やや首を傾げた感じでうつろな顔をした人物が描かれた作品です。頬がこけていてボーっとしているような表情が絶望しているようにすら感じられ、悲哀が現れているようでした。中々印象深い表情です。
ジョルジュ・ルオー 「ピエロ」
窓辺に座るピエロの横向きの肖像で、その背景の窓の外にはルオーがよく描く塔があり、聖書の風景となっているようです。非常に厚塗りされていてざらついた質感で、横から見るとその凹凸がよく分かります。その色合いのせいか明るい印象を受けました。
解説によると、この作品は1937年のパリ万国博覧会の際にパリ市がルオーから直接購入したのだとか。
この辺はピエロの作品が多かったかな。「流れる星のサーカス」という本や「サーカスを描いた画家たち」という新進作家の展覧会のカタログなどもありました。
ジョルジュ・ルオー 「小さな女曲馬師」
真横を向く馬に乗った青いスカートの少女(曲馬師)を描いた作品です。こちらも厚塗されてざらついていて重厚さもあるのですが、少女の雰囲気のためかその表情はよく観えなくてもどこか可憐な印象を受けました。
この辺は女曲馬師の作品が並んでいました。横向きの似たような構図の作品が並びます。
ジョルジュ・ルオー 「曲芸師(『パリの情景』[エミール・ポール版])」
異常に長い手(足より長い)の男性が両手を挙げている様子を描いた作品です。これはジャグリングをしているそうですが、投げているものは描かれていません。また、このポーズはキリスト教美術の伝統的な「オラント(祈り)」のポーズらしく、劇的な印象を受けました。
この辺には似た構図の作品がいくつか展示されていました。
ジョルジュ・ルオー 「曲馬団の女王(サバの女王)」
冠にような飾りをつけた女性の肖像で、目を見開き歯を見せる表情をしています。それが威嚇するような顔に見えて凄い形相です。太い輪郭と力強い色合いで表現されていることもありインパクトがありましたw
ジョルジュ・ルオー 「傷ついた道化師」 ★こちらで観られます
ルオーにしては大きめの作品で、3人の帽子をかぶったサーカスのメンバーが描かれています。これは傷ついた道化師を2人が家まで連れて帰っているところのようで、頭上には月が浮かんでいます。強い色合いと荒々しいタッチで描かれているのですが、不思議と静かな雰囲気がありました。解説によると、これはキリスト教が主題の「エクソドゥス(故郷を追われる流浪の人々)」と同じ構図で描かれているそうで、ちょっと意味深な感じでした。
ジョルジュ・ルオー 「小さな家族」
こちらも大きめの作品で、部屋の中で三人のサーカスの男たちがくつろいでいる様子が描かれています。お互いに話しながら安らかな一時を過ごしているようで、穏やかな印象です。ここまで観た悲哀のある作品とは違った雰囲気の作品でした。
<第3幕◆記憶─光の道化師 1940-1950 年代>
最後は晩年のコーナーです。ルオーの晩年の道化師は、愛と犠牲を体現するキリスト的な人物像と一体化していったそうで、後年になるにつれ色彩は輝きを増し、最後は光のなかに融解していくような感じになったようです。特に1950年以降はオレンジや黄色など一層鮮やかな暖色系が登場し、色彩の交響曲と言われる一連の生命の賛歌へと到達したそうです。
それでもルオーはテーマを変えることなく、道化や踊り子を描き続けたそうで、やがて主題として特別な意味を持つ彼らの表現は顔だけに集約し、そのほとんどが正面向きに描かれたそうです。ここにはそうした時期の作品が並んでいました。
ジョルジュ・ルオー 「アルルカンの顔」
正面を向き歯を見せて笑っているピエロを描いた作品で、背景には月のようなものが描かれています。全体的に黄色っぽい画面で、かなり凹凸があり質感が独特です。その色合いの明るさや表情から、喜びが感じられるように思いました。
ジョルジュ・ルオー 「貴族的なピエロ」
腰に手を当てて正面を向くピエロを描いた作品で、青い服を着ていて、背景には太陽が描かれています。その色合いの鮮やかさと相まって、非常に堂々とした雰囲気の理知的な人物像で、確かに貴族的な気高さを感じます。解説によるとこのピエロには4つのボタンがあるそうで、一説では特別なピエロにだけ4つボタンが描かれたそうです。ルオーが道化師をキリストのように崇高なものとして描いていたのが伺えるような作品でした。
この隣にもよく似た表情のピエロの作品がありました。
ジョルジュ・ルオー 「うつろな夢」
やや横向きの男性の顔を描いた作品で、これは1920年代の自画像から構図を取ったそうです。やや抑えた色味で、ちょっと含みのある微笑みを浮かべていて、これは1940年代のルオーの道化師の特徴のようです。また、光と影の色彩の巧みさが後年のルオーらしいとも解説されていました。
ということで、ルオーがサーカスの絵に込めたもののみならず、この時代のサーカスについても詳しく知ることが出来ました。ルオー以外にもサーカスを題材にした作品を残した画家は多いので、これは貴重な機会でした。もう会期も残り少ないですが、ルオーが好きな方はチェックしてみて下さい。
おまけ:
このミュージアムの前で行われている毎年恒例のイルミネーション。飾り付けも毎年大体同じかな。



参照記事:★この記事を参照している記事

【展覧名】
パリ・ルオー財団特別企画展 I LOVE CIRCUS
【公式サイト】
http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/121006/
【会場】パナソニック 汐留ミュージアム
【最寄】JR/東京メトロ 新橋駅 都営大江戸線汐留駅
【会期】2012年10月6日(土)~2012年12月16日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間30分程度
【混み具合・混雑状況(土曜日16時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
夕方に行ったこともあってか空いていました。しかし閉館が迫っていたので若干早足での鑑賞となりました。
さて今回はジョルジュ・ルオーとサーカスについての展示です。このミュージアムではよくルオーの展示をやっている印象(というか数ヶ月前にやってたばかり)ですが、この展示では特にルオーがよく題材としたサーカスに焦点を当てた内容となっていました。3つの章に分かれた構成でしたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
参考記事:
ジョルジュ・ルオー 名画の謎 展 (パナソニック 汐留ミュージアム)
ルオーと風景 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
ユビュ 知られざるルオーの素顔 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
<第1幕◆悲哀─旅まわりのサーカス 1902-1910 年代>
まずは初期のサーカスについての作品のコーナーです。ルオーは幼少期からサーカスの世界に心奪われていたようで、道化師の姿がルオーの作品に初めて登場したのは1902年という極めて早い時期だそうです。それ以来ルオーは絶えずサーカスを描き続けたそうで、サーカスに通い、機会があれば移動サーカスも見て回ったようです。しかし、ルオーが描いたのは華やかなスペクタクルではなく、場末の貧民街に生きる人々の勇気・忍従・孤独・悲哀などだったようで、ここにはそうした作品が並んでいました。
まずはシルク・フェルナンド(シルク・メドラノ)のポスターなどがありました。これはルオーが好きだったモンマルトルのサーカスで、後のほうで詳しく説明されていました。
ジョルジュ・ルオー 「曲馬団の娘」
耳の辺りに手をあててサーカスの格好をしている曲馬師の娘を描いた作品です。控え室なのか、佇むような感じで顔はしかめっ面に見えます。水彩画ですが荒々しいタッチで重厚な印象を受けました。華やかな舞台とは裏腹の苦悩が感じられます。
この辺は道化師や客寄せの作品が並んでいました。
ジョルジュ・ルオー 「軽業師 VII」
うつむいて両手で頭を抱えるようポーズの軽業師を描いた作品です。かなり簡略化され、ぐにゃっと曲がった腕と虚ろな黒い顔が異様な感じで、顔は哀しみの表情のように見えます。黒く太い輪郭線が使われルオーらしい作風のように思いました。
ジョルジュ・ルオー 「タバランにて(シャユ踊り)」 ★こちらで観られます
右足を高く蹴り上げる「シャユ踊り」をしている踊り子を描いた作品で、これはモンマルトルのバルー・タバランという店の中のようです。反り返った足と見上げるような目線のせいか高々と上がった感じで、勢いあるタッチで動きがありました。全体的に深い青が使われているのも印象的な作品でした。
この章には他に自画像のコーナーもありました。ルオーは道化は自分自身であり人間の象徴であると考えていたようです。
<第2幕◆喝采─舞台を一巡り 1920-1930 年代>
ルオーは1917年にアンブロワーズ・ヴォラールと専属契約を結ぶと、当時 社交場となっていた華やかなサーカスに通うようになったそうです。(ヴォラールはサーカスのボックス席を所有していて、画家たちに提供していた) そしてルオーはそのスペクタクルから「色・形・ハーモニー」という自身の芸術の重要な要素を発見し、1920年以降の作品では「色・形・ハーモニー」がより一層強調されるようになりました。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
この章の最初あたりで絵画作品のある部屋と資料などの部屋に分かれていたので、資料から観ていきました。サーカス風の凝った部屋の中では映像が流され、当時の様子を説明していました。また、その奥の部屋は当時の写真や雑誌、プログラム、などが展示されていて、壁に開いた穴を覗きこむという変わった趣向となっていました(見世物小屋みたいな感じ?) ルオーがよく通った庶民的なシルク・フェルナンド(シルク・メドラノ)の他に、当時唯一の常設サーカスのシルク・ディヴェール(冬のサーカス)、シャンゼリゼ通りのエレガントなシルク・デデ(夏のサーカス)など様々なサーカスがパリにはあったようです。その先の部屋にも招待状やレコードなどが展示されていて当時の流行具合を伺わせました。
一通りサーカスの資料展示を観た後、再び絵画作品を見て回りました。
ジョルジュ・ルオー 「自分の顔をつくらぬ者があろうか?」(『ミセレーレ』第8図に基づく類作)
やや首を傾げた感じでうつろな顔をした人物が描かれた作品です。頬がこけていてボーっとしているような表情が絶望しているようにすら感じられ、悲哀が現れているようでした。中々印象深い表情です。
ジョルジュ・ルオー 「ピエロ」
窓辺に座るピエロの横向きの肖像で、その背景の窓の外にはルオーがよく描く塔があり、聖書の風景となっているようです。非常に厚塗りされていてざらついた質感で、横から見るとその凹凸がよく分かります。その色合いのせいか明るい印象を受けました。
解説によると、この作品は1937年のパリ万国博覧会の際にパリ市がルオーから直接購入したのだとか。
この辺はピエロの作品が多かったかな。「流れる星のサーカス」という本や「サーカスを描いた画家たち」という新進作家の展覧会のカタログなどもありました。
ジョルジュ・ルオー 「小さな女曲馬師」
真横を向く馬に乗った青いスカートの少女(曲馬師)を描いた作品です。こちらも厚塗されてざらついていて重厚さもあるのですが、少女の雰囲気のためかその表情はよく観えなくてもどこか可憐な印象を受けました。
この辺は女曲馬師の作品が並んでいました。横向きの似たような構図の作品が並びます。
ジョルジュ・ルオー 「曲芸師(『パリの情景』[エミール・ポール版])」
異常に長い手(足より長い)の男性が両手を挙げている様子を描いた作品です。これはジャグリングをしているそうですが、投げているものは描かれていません。また、このポーズはキリスト教美術の伝統的な「オラント(祈り)」のポーズらしく、劇的な印象を受けました。
この辺には似た構図の作品がいくつか展示されていました。
ジョルジュ・ルオー 「曲馬団の女王(サバの女王)」
冠にような飾りをつけた女性の肖像で、目を見開き歯を見せる表情をしています。それが威嚇するような顔に見えて凄い形相です。太い輪郭と力強い色合いで表現されていることもありインパクトがありましたw
ジョルジュ・ルオー 「傷ついた道化師」 ★こちらで観られます
ルオーにしては大きめの作品で、3人の帽子をかぶったサーカスのメンバーが描かれています。これは傷ついた道化師を2人が家まで連れて帰っているところのようで、頭上には月が浮かんでいます。強い色合いと荒々しいタッチで描かれているのですが、不思議と静かな雰囲気がありました。解説によると、これはキリスト教が主題の「エクソドゥス(故郷を追われる流浪の人々)」と同じ構図で描かれているそうで、ちょっと意味深な感じでした。
ジョルジュ・ルオー 「小さな家族」
こちらも大きめの作品で、部屋の中で三人のサーカスの男たちがくつろいでいる様子が描かれています。お互いに話しながら安らかな一時を過ごしているようで、穏やかな印象です。ここまで観た悲哀のある作品とは違った雰囲気の作品でした。
<第3幕◆記憶─光の道化師 1940-1950 年代>
最後は晩年のコーナーです。ルオーの晩年の道化師は、愛と犠牲を体現するキリスト的な人物像と一体化していったそうで、後年になるにつれ色彩は輝きを増し、最後は光のなかに融解していくような感じになったようです。特に1950年以降はオレンジや黄色など一層鮮やかな暖色系が登場し、色彩の交響曲と言われる一連の生命の賛歌へと到達したそうです。
それでもルオーはテーマを変えることなく、道化や踊り子を描き続けたそうで、やがて主題として特別な意味を持つ彼らの表現は顔だけに集約し、そのほとんどが正面向きに描かれたそうです。ここにはそうした時期の作品が並んでいました。
ジョルジュ・ルオー 「アルルカンの顔」
正面を向き歯を見せて笑っているピエロを描いた作品で、背景には月のようなものが描かれています。全体的に黄色っぽい画面で、かなり凹凸があり質感が独特です。その色合いの明るさや表情から、喜びが感じられるように思いました。
ジョルジュ・ルオー 「貴族的なピエロ」
腰に手を当てて正面を向くピエロを描いた作品で、青い服を着ていて、背景には太陽が描かれています。その色合いの鮮やかさと相まって、非常に堂々とした雰囲気の理知的な人物像で、確かに貴族的な気高さを感じます。解説によるとこのピエロには4つのボタンがあるそうで、一説では特別なピエロにだけ4つボタンが描かれたそうです。ルオーが道化師をキリストのように崇高なものとして描いていたのが伺えるような作品でした。
この隣にもよく似た表情のピエロの作品がありました。
ジョルジュ・ルオー 「うつろな夢」
やや横向きの男性の顔を描いた作品で、これは1920年代の自画像から構図を取ったそうです。やや抑えた色味で、ちょっと含みのある微笑みを浮かべていて、これは1940年代のルオーの道化師の特徴のようです。また、光と影の色彩の巧みさが後年のルオーらしいとも解説されていました。
ということで、ルオーがサーカスの絵に込めたもののみならず、この時代のサーカスについても詳しく知ることが出来ました。ルオー以外にもサーカスを題材にした作品を残した画家は多いので、これは貴重な機会でした。もう会期も残り少ないですが、ルオーが好きな方はチェックしてみて下さい。
おまけ:
このミュージアムの前で行われている毎年恒例のイルミネーション。飾り付けも毎年大体同じかな。



参照記事:★この記事を参照している記事
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先週の土曜日に銀座で買い物をしてから新橋で展示を観てきたのですが、その際に銀座の松坂屋の4階にある ベノア ティールーム でお茶してきました。

【店名】
ベノア ティールーム
【ジャンル】
カフェ
【公式サイト】
http://benoist.co.jp/hpgen/HPB/entries/6.html
食べログ:http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13021414/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
銀座駅
東銀座駅
など
【近くの美術館】
ポーラミュージアム アネックス POLA MUSEUM ANNEX
警察博物館
INAXギャラリー
国立近代美術館フィルムセンター
など
【この日にかかった1人の費用】
1370円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_③_4_5_快適
【混み具合・混雑状況(土曜日16時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
結構お客さんが多かったですが、すんなり入ることができました。
さて、こちらのお店は英国王室やイギリスの貴族に愛されたというアフタヌーンティーで有名なベノアのカフェ(ティールーム)で、物販の直営店は日本にいくつかあるようですが、ティールームは今のところここだけのようです。店内もくつろげる雰囲気ですが、窓の外にデパートの店内が見えているような感じでした。
有名なアフタヌーンティーをするほどお腹が減っていなかったので、この日はケーキセットを頼みました。
私はチョコレートケーキにしました。

意外と硬めで、濃厚な味です。とろっとしたチョコがかかっているのが美味しいです。
連れはアップルパイ。

こちらも上品な甘さで美味しいとのことでした。
ケーキセットのお茶はセイロンのホットかアイスでした。ホットを頼みました。

普段はコーヒーばかり飲んでいるので、あまり他と比べれらないですが、まろやかで飲みやすく、流石に美味しかったです。2杯分くらいあったかな。
ということで、ちょっとだけ高めですが優雅な気分を味わうことができました。このお店は有名なので一度は行ってみたかったw まだアフタヌーンティーを試したことはないので、また別の機会にでも寄ってみようと思います。

【店名】
ベノア ティールーム
【ジャンル】
カフェ
【公式サイト】
http://benoist.co.jp/hpgen/HPB/entries/6.html
食べログ:http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13021414/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
銀座駅
東銀座駅
など
【近くの美術館】
ポーラミュージアム アネックス POLA MUSEUM ANNEX
警察博物館
INAXギャラリー
国立近代美術館フィルムセンター
など
【この日にかかった1人の費用】
1370円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_③_4_5_快適
【混み具合・混雑状況(土曜日16時頃です)】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
結構お客さんが多かったですが、すんなり入ることができました。
さて、こちらのお店は英国王室やイギリスの貴族に愛されたというアフタヌーンティーで有名なベノアのカフェ(ティールーム)で、物販の直営店は日本にいくつかあるようですが、ティールームは今のところここだけのようです。店内もくつろげる雰囲気ですが、窓の外にデパートの店内が見えているような感じでした。
有名なアフタヌーンティーをするほどお腹が減っていなかったので、この日はケーキセットを頼みました。
私はチョコレートケーキにしました。

意外と硬めで、濃厚な味です。とろっとしたチョコがかかっているのが美味しいです。
連れはアップルパイ。

こちらも上品な甘さで美味しいとのことでした。
ケーキセットのお茶はセイロンのホットかアイスでした。ホットを頼みました。

普段はコーヒーばかり飲んでいるので、あまり他と比べれらないですが、まろやかで飲みやすく、流石に美味しかったです。2杯分くらいあったかな。
ということで、ちょっとだけ高めですが優雅な気分を味わうことができました。このお店は有名なので一度は行ってみたかったw まだアフタヌーンティーを試したことはないので、また別の機会にでも寄ってみようと思います。
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まだ会期が長いのでご紹介するのが後回しになっていましたが、2週間くらい前の土曜日に六本木のミッドタウンの裏手にある21_21 DESIGN SIGHTで「田中一光とデザインの前後左右」を観てきました。

【展覧名】
田中一光とデザインの前後左右
【公式サイト】
http://www.2121designsight.jp/program/ikko_tanaka/
【会場】21_21 DESIGN SIGHT
【最寄】千代田線乃木坂駅/日比谷線・大江戸線 六本木駅
【会期】2012年9月21日(金)~2013年1月20日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(土曜日16時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
空いていてゆっくり観ることができました。
さて、今回の展示は日本を代表するグラフィックデザイナーの田中一光の個展となっています。田中一光は京都市立美術専門学校(現 京都市立芸術大学)を卒業後、鐘淵紡績(カネボウ)や産経新聞に務め、1951年に上京しライトパブリシティ社に入社しました。1960年には日本デザインセンターの創立に参加、1963年には田中一光デザイン室を主宰し、大阪万博を経て空間デザインなど仕事の幅を広げました。
1975年に西武流通グループのクリエイティブディレクターに就任し、その後店舗空間やグラフィック、無印良品のアートディレクションなどを手がけ、その他にもTOTOギャラリー間やギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)などの企業の文化推進にも功績を残しているようです。また、裏千家と懇意になり茶美会の企画・監修・アートディレクションを手がけるなど、茶人「宗一」としての茶の湯の現在の在り方を模索したようです。
様々な仕事を手がけた人だけに展示品も多岐にわたっていましたので、詳しくは観てきた順に各コーナーごとにご紹介しようと思います。
<プロローグ>
まず最初に「紫のあやめ」と「赤と白のつばき」という成田空港の陶板壁画の写真と「色彩流氷-A」「色彩流氷-B」という作品が展示されていました(★こちらで観られます) この色彩流氷は屏風を現代アートにしたような作品で、白地に黒の流水と、そこに黄色・青・赤・紫の棒やギザギザした図形が描かれていました。何処と無くカンディンスキーのような感じがしつつ音楽的なリズム感を感じます。
<ギャラリー1 田中一光 本の世界>
続いては沢山の本のコーナーです。まずは自宅の本棚にあった本が並び、中でも具体美術に関する本が充実しているようです。ここには尊敬していた吉原治良の「具体美術」や吉原治良監修の機関誌「具体」などが並んでいました。吉原治良にポスターを見初められて助手になった頃のエピソードも紹介されていて、その時は背筋が震えるほど怖く、神の引き合わせのような衝撃であったと語っていたそうです。結構難しそうな本で、具体と書いてあるけど載っているものは抽象的で、アンフォルメル等も取り上げているようでした。
他にも手がけた雑誌のグラフィックデザインが並び、「太陽」「流行通信」「話の特集」「たて組ヨコ組」「approach」など、現代的な雑誌が多いですが、「別冊太陽」の「琳派百図」(琳派=尾形光琳を中心とする江戸時代の画派)では構成執筆も担当し専門家の域だったそうです。そう聞くどことなく田中一光の意匠の面白さは琳派に通じるものがあるかも??
田中一光は装幀だけでなくアートディレクションも手がけると心からウキウキしたと言っていたそうで、本が好きだったようです。ここには手がけた様々な本があり、焼き物を撮ったものはかなりクローズアップした構図が使われたり、「日本の伝統」という本では絵付けや彫りを行う職人の手元を写し、写真から所作を感じさせるなど独特の感性が伝わってきます。
この近くには「江戸時代図誌」や「近江 木と石と水の国」(牧直視, 白洲正子)などもありました。
田中一光の周囲にはあらゆるジャンルの才能が集まって実りある交流が盛んに行われていたそうで、そうした中には美大時代の同級生の粟辻博への親愛や、八木一夫への前衛の心意気、三宅一生とアーヴィング・ペンへの感嘆と敬意などが込められているそうです。
参考記事:アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue (21_21 DESIGN SIGHT)
また、田中一光の仕事からは亀倉雄策や原弘らグラフィックデザイン界の先達への崇敬も伝わるそうで、中でも学生時代から私淑した早川良雄の作品集には深い思いで挑んだそうです。当時は深夜の駅で早川の手がけたポスターを盗んだこともあったほどの心酔ぶりだったのだとか。この辺にはそうした影響を受けた人に関する仕事が並び、1964年の東京オリンピックのポスターが載っている亀倉雄策の作品集や、三宅一生の服をアーヴィング・ペンが撮った写真の本など並んでいました。
この部屋の中央には歌舞伎や文楽、能など日本の伝統文化をテーマにした本が並んでいました。「日本の蔵」という渋い本もあり、格子状の壁が装幀され重厚な感じが非常に面白く感じました。 他にも日本画の画集の豪華本があり、速水御舟、福田平八郎、小林古径などビッグネームが並びます。金色で絵のモチーフを表紙に描いていて、落ち着きある感じでした。
<ギャラリー2 田中一光:グラフィック表現の多様性>
続いては様々な仕事に関してのコーナーです。まずは廊下にはズラッとポスターが並んでいて、草月会館や歌舞伎の催し、世界商業デザイン展、産経観世能など多岐に渡ります。モリサワのポスターは漢字を使って瀬戸内海を表現したり、英語と取り合わせた色とりどりな感じだったりするのが面白かったです。また、写楽200年のポスターでは9つの円形によって見事に写楽風のポスターとなっていて驚きました。
他にも無印良品やフロシキ展、第三回国際北斎会議といったポスターも面白かったです。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 1. 文字、タイポグラフィーの追求ーフォントの誕生へ]
ここからは1つの台ごとにテーマが分かれていました。まずここは田中一光の文字へのこだわりについてで、手書き風だったりちょっと滲んでいたりと様々な試みを見て取れます。「明石」や「リュウミン」など新しい書体をテーマにしているものもあり、特に田中一光の粋を示すような書体が「光明」で、これは縦線が肉厚で力強く、横線は細めで生き生きとしたハネが特徴のようです。この字体を観た時に田中一光のポスターの特徴はこれだ!と直感的に伝わってきましたw 力強さと繊細さを兼ね揃えた心地いい字体です。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 2. 立ち上がる文様ー古典に親しみ、つくる楽しみ]
田中一光は「絵画」と「デザイン」という枠を取り払うことで日本の美術の本質は明瞭に成るのではないかと言っていたそうで、ここには俵屋宗達の鹿の絵をさらに単純化した作品などが展示されていました。色紙を切ってあやめを表現したもの、NHKや石丸電気など様々な紋やシンボルマークなどもあり、その単純化などが楽しめます。
近くの壁には今はなき西武美術館の展示のポスターやパルコ西武劇場、銀座セゾン劇場のポスターなども展示されていました。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 3, 4. 日本の仕込み人ー海外への、日本からの発信]
こちらは海外に日本を紹介する雑誌などが展示されていて、「The rice cycle」という本などはipadで読めるようになっていました。日本の伝統美を凝縮したような静謐な美しさを感じる本が並んでいます。
[「アートとともに」 5. パフォーミング・アーツとー演劇、ダンスの表現のために]
田中一光は学生時代は劇団に入って演劇漬けだったそうで、芝居への並外れた情熱は修正収まるどころか燃え盛るばかりだったそうです。ここには観世能、西武劇場の雑誌、芝居のポスター、モディリアーニ風の椿姫のポスター(横尾忠則の作?)などが並んでいました。
[「ライフスタイルの基盤」 6. アートディレクションと社会ー市民、企業の活動とともに]
続いては企業での活動についてのコーナーで、沢山の紙袋が並んでいました。石丸電気、HANAE MORI、SEIYU、無印良品、モリサワ、TOTOなどなど、結構身近な企業の紙袋などもあります。こうして見ると親しみ深いデザインです。
[「アートとともに」 7. ミュージアム、グラフィックアートー芸術の表現を支える]
その次は西武美術館でのアートディレクションに関するコーナーで、紐のようなものが空に浮かぶ作品やポスターなどがありました。西武美術館のポスターは最近、70年代展で観た覚えのあるものもあったかな。
参考記事:日本の70年代 1968-1982 感想後編(埼玉県立近代美術館)
[「ライフスタイルの基盤」 8. 場づくりー人の出逢いがクリエーションにつながる]
こちらは場を作ることに関するコーナーで、田中一光はプロジェクトの最善のためには自分以外の才能を進んで起用したそうです。そして交流スペースを設けることにもエネルギーを注いだそうで、デザイナー同士の交流もあったようです。また、ギャラリー間やギンザ・グラフィック・ギャラリーの写真、展覧会のカタログ、裏千家の茶美会に関する本なども展示されていました。
[「アートとともに」 9. 墨戯ー筆と墨の自由に任せながら、つくる行為の展開]
続いては記号と墨の遊びについてのコーナーで、これを墨戯と呼んで1996年に個展を開催したそうです。ここには廊下で観た北斎のポスターの作品などもあり、自由奔放で生き生きとした雰囲気の作風でした。
[「ライフスタイルの基盤」 10. 生活美学:無印良品ー生活者の視点でものづくり]
この章の最後は無印良品の品々が並ぶコーナーでした。カップ、フォーク、ガラスの器、ハンガー、しゃもじ等など、見覚えのある品もありました。無印良品って田中一光のデザインだったんですね…。
<エピローグにかえておくる作品とメッセージ>
ここは少数ですが田中一光のデザイン思想の流れを汲んでインスピレーションを受けたデザイナーたちによる新作を展示しているようでした。三宅一生+Reality Lab.による幾何学的で斬新な服や、映像にドット絵で歌舞伎役者の顔を描いたような作品がありました。どれも先進的な感じがします。
出口には廣村正彰「His Colors」という作品もありました。こちらの作品だけは撮影可能です。

ということで、興味深いデザインの数々に出会えました。先進的な印象がありましたが、思っていた以上に伝統への造形が深く、それがデザインのインスピレーションになっているように見えたのも面白かったです。デザイン好きの方は是非どうぞ。
参照記事:★この記事を参照している記事


【展覧名】
田中一光とデザインの前後左右
【公式サイト】
http://www.2121designsight.jp/program/ikko_tanaka/
【会場】21_21 DESIGN SIGHT
【最寄】千代田線乃木坂駅/日比谷線・大江戸線 六本木駅
【会期】2012年9月21日(金)~2013年1月20日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(土曜日16時半頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
空いていてゆっくり観ることができました。
さて、今回の展示は日本を代表するグラフィックデザイナーの田中一光の個展となっています。田中一光は京都市立美術専門学校(現 京都市立芸術大学)を卒業後、鐘淵紡績(カネボウ)や産経新聞に務め、1951年に上京しライトパブリシティ社に入社しました。1960年には日本デザインセンターの創立に参加、1963年には田中一光デザイン室を主宰し、大阪万博を経て空間デザインなど仕事の幅を広げました。
1975年に西武流通グループのクリエイティブディレクターに就任し、その後店舗空間やグラフィック、無印良品のアートディレクションなどを手がけ、その他にもTOTOギャラリー間やギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)などの企業の文化推進にも功績を残しているようです。また、裏千家と懇意になり茶美会の企画・監修・アートディレクションを手がけるなど、茶人「宗一」としての茶の湯の現在の在り方を模索したようです。
様々な仕事を手がけた人だけに展示品も多岐にわたっていましたので、詳しくは観てきた順に各コーナーごとにご紹介しようと思います。
<プロローグ>
まず最初に「紫のあやめ」と「赤と白のつばき」という成田空港の陶板壁画の写真と「色彩流氷-A」「色彩流氷-B」という作品が展示されていました(★こちらで観られます) この色彩流氷は屏風を現代アートにしたような作品で、白地に黒の流水と、そこに黄色・青・赤・紫の棒やギザギザした図形が描かれていました。何処と無くカンディンスキーのような感じがしつつ音楽的なリズム感を感じます。
<ギャラリー1 田中一光 本の世界>
続いては沢山の本のコーナーです。まずは自宅の本棚にあった本が並び、中でも具体美術に関する本が充実しているようです。ここには尊敬していた吉原治良の「具体美術」や吉原治良監修の機関誌「具体」などが並んでいました。吉原治良にポスターを見初められて助手になった頃のエピソードも紹介されていて、その時は背筋が震えるほど怖く、神の引き合わせのような衝撃であったと語っていたそうです。結構難しそうな本で、具体と書いてあるけど載っているものは抽象的で、アンフォルメル等も取り上げているようでした。
他にも手がけた雑誌のグラフィックデザインが並び、「太陽」「流行通信」「話の特集」「たて組ヨコ組」「approach」など、現代的な雑誌が多いですが、「別冊太陽」の「琳派百図」(琳派=尾形光琳を中心とする江戸時代の画派)では構成執筆も担当し専門家の域だったそうです。そう聞くどことなく田中一光の意匠の面白さは琳派に通じるものがあるかも??
田中一光は装幀だけでなくアートディレクションも手がけると心からウキウキしたと言っていたそうで、本が好きだったようです。ここには手がけた様々な本があり、焼き物を撮ったものはかなりクローズアップした構図が使われたり、「日本の伝統」という本では絵付けや彫りを行う職人の手元を写し、写真から所作を感じさせるなど独特の感性が伝わってきます。
この近くには「江戸時代図誌」や「近江 木と石と水の国」(牧直視, 白洲正子)などもありました。
田中一光の周囲にはあらゆるジャンルの才能が集まって実りある交流が盛んに行われていたそうで、そうした中には美大時代の同級生の粟辻博への親愛や、八木一夫への前衛の心意気、三宅一生とアーヴィング・ペンへの感嘆と敬意などが込められているそうです。
参考記事:アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue (21_21 DESIGN SIGHT)
また、田中一光の仕事からは亀倉雄策や原弘らグラフィックデザイン界の先達への崇敬も伝わるそうで、中でも学生時代から私淑した早川良雄の作品集には深い思いで挑んだそうです。当時は深夜の駅で早川の手がけたポスターを盗んだこともあったほどの心酔ぶりだったのだとか。この辺にはそうした影響を受けた人に関する仕事が並び、1964年の東京オリンピックのポスターが載っている亀倉雄策の作品集や、三宅一生の服をアーヴィング・ペンが撮った写真の本など並んでいました。
この部屋の中央には歌舞伎や文楽、能など日本の伝統文化をテーマにした本が並んでいました。「日本の蔵」という渋い本もあり、格子状の壁が装幀され重厚な感じが非常に面白く感じました。 他にも日本画の画集の豪華本があり、速水御舟、福田平八郎、小林古径などビッグネームが並びます。金色で絵のモチーフを表紙に描いていて、落ち着きある感じでした。
<ギャラリー2 田中一光:グラフィック表現の多様性>
続いては様々な仕事に関してのコーナーです。まずは廊下にはズラッとポスターが並んでいて、草月会館や歌舞伎の催し、世界商業デザイン展、産経観世能など多岐に渡ります。モリサワのポスターは漢字を使って瀬戸内海を表現したり、英語と取り合わせた色とりどりな感じだったりするのが面白かったです。また、写楽200年のポスターでは9つの円形によって見事に写楽風のポスターとなっていて驚きました。
他にも無印良品やフロシキ展、第三回国際北斎会議といったポスターも面白かったです。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 1. 文字、タイポグラフィーの追求ーフォントの誕生へ]
ここからは1つの台ごとにテーマが分かれていました。まずここは田中一光の文字へのこだわりについてで、手書き風だったりちょっと滲んでいたりと様々な試みを見て取れます。「明石」や「リュウミン」など新しい書体をテーマにしているものもあり、特に田中一光の粋を示すような書体が「光明」で、これは縦線が肉厚で力強く、横線は細めで生き生きとしたハネが特徴のようです。この字体を観た時に田中一光のポスターの特徴はこれだ!と直感的に伝わってきましたw 力強さと繊細さを兼ね揃えた心地いい字体です。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 2. 立ち上がる文様ー古典に親しみ、つくる楽しみ]
田中一光は「絵画」と「デザイン」という枠を取り払うことで日本の美術の本質は明瞭に成るのではないかと言っていたそうで、ここには俵屋宗達の鹿の絵をさらに単純化した作品などが展示されていました。色紙を切ってあやめを表現したもの、NHKや石丸電気など様々な紋やシンボルマークなどもあり、その単純化などが楽しめます。
近くの壁には今はなき西武美術館の展示のポスターやパルコ西武劇場、銀座セゾン劇場のポスターなども展示されていました。
[「ヴィジュアル表現の発想と表現」 3, 4. 日本の仕込み人ー海外への、日本からの発信]
こちらは海外に日本を紹介する雑誌などが展示されていて、「The rice cycle」という本などはipadで読めるようになっていました。日本の伝統美を凝縮したような静謐な美しさを感じる本が並んでいます。
[「アートとともに」 5. パフォーミング・アーツとー演劇、ダンスの表現のために]
田中一光は学生時代は劇団に入って演劇漬けだったそうで、芝居への並外れた情熱は修正収まるどころか燃え盛るばかりだったそうです。ここには観世能、西武劇場の雑誌、芝居のポスター、モディリアーニ風の椿姫のポスター(横尾忠則の作?)などが並んでいました。
[「ライフスタイルの基盤」 6. アートディレクションと社会ー市民、企業の活動とともに]
続いては企業での活動についてのコーナーで、沢山の紙袋が並んでいました。石丸電気、HANAE MORI、SEIYU、無印良品、モリサワ、TOTOなどなど、結構身近な企業の紙袋などもあります。こうして見ると親しみ深いデザインです。
[「アートとともに」 7. ミュージアム、グラフィックアートー芸術の表現を支える]
その次は西武美術館でのアートディレクションに関するコーナーで、紐のようなものが空に浮かぶ作品やポスターなどがありました。西武美術館のポスターは最近、70年代展で観た覚えのあるものもあったかな。
参考記事:日本の70年代 1968-1982 感想後編(埼玉県立近代美術館)
[「ライフスタイルの基盤」 8. 場づくりー人の出逢いがクリエーションにつながる]
こちらは場を作ることに関するコーナーで、田中一光はプロジェクトの最善のためには自分以外の才能を進んで起用したそうです。そして交流スペースを設けることにもエネルギーを注いだそうで、デザイナー同士の交流もあったようです。また、ギャラリー間やギンザ・グラフィック・ギャラリーの写真、展覧会のカタログ、裏千家の茶美会に関する本なども展示されていました。
[「アートとともに」 9. 墨戯ー筆と墨の自由に任せながら、つくる行為の展開]
続いては記号と墨の遊びについてのコーナーで、これを墨戯と呼んで1996年に個展を開催したそうです。ここには廊下で観た北斎のポスターの作品などもあり、自由奔放で生き生きとした雰囲気の作風でした。
[「ライフスタイルの基盤」 10. 生活美学:無印良品ー生活者の視点でものづくり]
この章の最後は無印良品の品々が並ぶコーナーでした。カップ、フォーク、ガラスの器、ハンガー、しゃもじ等など、見覚えのある品もありました。無印良品って田中一光のデザインだったんですね…。
<エピローグにかえておくる作品とメッセージ>
ここは少数ですが田中一光のデザイン思想の流れを汲んでインスピレーションを受けたデザイナーたちによる新作を展示しているようでした。三宅一生+Reality Lab.による幾何学的で斬新な服や、映像にドット絵で歌舞伎役者の顔を描いたような作品がありました。どれも先進的な感じがします。
出口には廣村正彰「His Colors」という作品もありました。こちらの作品だけは撮影可能です。

ということで、興味深いデザインの数々に出会えました。先進的な印象がありましたが、思っていた以上に伝統への造形が深く、それがデザインのインスピレーションになっているように見えたのも面白かったです。デザイン好きの方は是非どうぞ。
参照記事:★この記事を参照している記事
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前回ご紹介したミッドタウンのイルミネーションを観た後、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで「スター・クルーズ・プラネタリウム」を観てきました。

【展覧名】
スター・クルーズ・プラネタリウム
【公式サイト】
http://www.roppongihills-scp.com/
http://www.roppongihills.com/art/macg/events/2012/11/macg_starcruise.html
【会場】森アーツセンターギャラリー
【最寄】六本木駅
【会期】2012年11月23日(金・祝)~ 2013年2月11日(月・祝)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(金曜日20時頃です)】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_②_3_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
金曜の夜に行ったのですが、空いていてのんびり観ることができました。この日の夕方にちょっと大きめの地震があったのも影響したのかも。
さて、この展示は毎年恒例となりつつあるプラネタリウムの展示で、今回はいつものスカイプラネタリウムからスター・クルーズ・プラネタリウムへと名前を変えて、若干変わった点もありました。中は暗くあまりメモも取れませんでしたが、簡単にどんな内容だったかご紹介しようと思います。
参考記事:
スカイ プラネタリウムⅡ ~星に、願いを~ (森アーツセンターギャラリー)
スカイ プラネタリウム~一千光年の宇宙を旅する~ (森アーツセンターギャラリー)
<土星ステーションへの旅>
まず最初に「土星ステーションへの旅」という映像のコーナーがあります。今回の展示では亜光速の宇宙船で宇宙を旅するというコンセプトがあるようで、ここでは5分程度ずつ入替制で映像を観ていきます。前のグループの映像が終わるまで待っているのですが、シアターの入口前には宇宙船の模型がありました。(これだけは撮影可能)

そして中に入ると180度のスクリーンがあり、宇宙船に乗って土星近くの宇宙ステーションに向かうというストーリーの映像が流れます。壮大な雰囲気で始まりますが、学術的に疑問な点があり、最初からエンターテイメント的な要素が強めです。
その後、太陽系の説明や銀河系の簡単な説明ボードがあるのですが、これもあまり大したことは書いてありませんでした。
<新 3D SKY WALK-太陽系から銀河系の果てまで->
続いては今回のメインとなる3Dのプラネタリウムのコーナーです。まずは天井付近に太陽系の模型があり、太陽を中心に惑星が回っている様子を機械で再現しています。公転スピードの違いなどを観るのは面白いかな。 そして、その後に3Dのプラネタリウムがあるのですが、これについてはネタバレすると魅力も減るので詳細は書きませんが、過去のスカイプラネタリウムと同様の仕掛けでした。しかし心なしか以前よりは3Dっぽさが増したような?? オリオン座や北斗七星を確認できるポイントなどもあり、星座は地球から観ればそう見えても、ちょっと横から見ると全く別物に見えるというのを再認識させてくれます。
さらにその先にはスクリーンが2層になっている映像があり、手前に銀河系が映されていました。これは意図がわからず。
<未知なる地球への帰還>
続いては再び映像のコーナーなのですが、ここも入替制なので次の回まで待つことになります。その間、ここには宇宙の大きさや星の一生などの説明を読んだりするのですが、説明が簡単過ぎてあまり面白いものではありません。また、亜光速の宇宙船に乗った場合、宇宙船の時間の流れは遅くなっていくといういわゆる「ウラシマ効果」(特殊相対性理論の時間の遅れ)についてアニメで説明していましたが、何故時間が遅れるのかは特に触れていませんでした。はっきり言って、展示内容はスッカスカです。
そして映像は亜光速で宇宙の果てまで言って戻ってくるというもので、戻ってくる頃までには地球の時間で300億年経っていて、太陽は爆発し銀河系はアンドロメダと衝突して1つになっています。(ほぼ光速で移動しているので、宇宙船の時間は非常に遅く進行している) しかし一度爆発した後に生まれ変わった別の地球が出来ていました。…というストーリーでした。どうやって戻るのかは置いておくとして、300億年後に物質や宇宙の密度・熱量はどうなっているのだろう??と興味が湧きましたが、そこは特に触れていませんでした。少なくともこんな都合よく新しい地球が出来てるはずはないと思いますが…。
<MEGASTAR(メガスター)-荘厳なる星空->
最後は恒例のメガスターのコーナーです。ここは部屋中に無数の星が映されるプラネタリウムで、自分の身体にも星が映しだされます。ただ、四角い部屋に投影しているので何だか不自然な感じですw しばらくボーっと眺めていましたが実際の星の配置なのかは分かりませんでした。
ということで、今回はストーリー仕立てになっていたけど、ほぼ今までのと同じ展示で、そうする意味がよくわからなかったかなw 宇宙に関する情報も減った感じで、特に好奇心を満足させてくれるわけでもなく、物足りないように思いました。ロマンチックで綺麗なものが観たい人には良いかもしれませんが、本格的なプラネタリウムを期待するのはちょっと方向性が違いそうです。
おまけ:
六本木ヒルズ周辺もクリスマスムードになっていました。

参照記事:★この記事を参照している記事

【展覧名】
スター・クルーズ・プラネタリウム
【公式サイト】
http://www.roppongihills-scp.com/
http://www.roppongihills.com/art/macg/events/2012/11/macg_starcruise.html
【会場】森アーツセンターギャラリー
【最寄】六本木駅
【会期】2012年11月23日(金・祝)~ 2013年2月11日(月・祝)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況(金曜日20時頃です)】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_②_3_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
金曜の夜に行ったのですが、空いていてのんびり観ることができました。この日の夕方にちょっと大きめの地震があったのも影響したのかも。
さて、この展示は毎年恒例となりつつあるプラネタリウムの展示で、今回はいつものスカイプラネタリウムからスター・クルーズ・プラネタリウムへと名前を変えて、若干変わった点もありました。中は暗くあまりメモも取れませんでしたが、簡単にどんな内容だったかご紹介しようと思います。
参考記事:
スカイ プラネタリウムⅡ ~星に、願いを~ (森アーツセンターギャラリー)
スカイ プラネタリウム~一千光年の宇宙を旅する~ (森アーツセンターギャラリー)
<土星ステーションへの旅>
まず最初に「土星ステーションへの旅」という映像のコーナーがあります。今回の展示では亜光速の宇宙船で宇宙を旅するというコンセプトがあるようで、ここでは5分程度ずつ入替制で映像を観ていきます。前のグループの映像が終わるまで待っているのですが、シアターの入口前には宇宙船の模型がありました。(これだけは撮影可能)

そして中に入ると180度のスクリーンがあり、宇宙船に乗って土星近くの宇宙ステーションに向かうというストーリーの映像が流れます。壮大な雰囲気で始まりますが、学術的に疑問な点があり、最初からエンターテイメント的な要素が強めです。
その後、太陽系の説明や銀河系の簡単な説明ボードがあるのですが、これもあまり大したことは書いてありませんでした。
<新 3D SKY WALK-太陽系から銀河系の果てまで->
続いては今回のメインとなる3Dのプラネタリウムのコーナーです。まずは天井付近に太陽系の模型があり、太陽を中心に惑星が回っている様子を機械で再現しています。公転スピードの違いなどを観るのは面白いかな。 そして、その後に3Dのプラネタリウムがあるのですが、これについてはネタバレすると魅力も減るので詳細は書きませんが、過去のスカイプラネタリウムと同様の仕掛けでした。しかし心なしか以前よりは3Dっぽさが増したような?? オリオン座や北斗七星を確認できるポイントなどもあり、星座は地球から観ればそう見えても、ちょっと横から見ると全く別物に見えるというのを再認識させてくれます。
さらにその先にはスクリーンが2層になっている映像があり、手前に銀河系が映されていました。これは意図がわからず。
<未知なる地球への帰還>
続いては再び映像のコーナーなのですが、ここも入替制なので次の回まで待つことになります。その間、ここには宇宙の大きさや星の一生などの説明を読んだりするのですが、説明が簡単過ぎてあまり面白いものではありません。また、亜光速の宇宙船に乗った場合、宇宙船の時間の流れは遅くなっていくといういわゆる「ウラシマ効果」(特殊相対性理論の時間の遅れ)についてアニメで説明していましたが、何故時間が遅れるのかは特に触れていませんでした。はっきり言って、展示内容はスッカスカです。
そして映像は亜光速で宇宙の果てまで言って戻ってくるというもので、戻ってくる頃までには地球の時間で300億年経っていて、太陽は爆発し銀河系はアンドロメダと衝突して1つになっています。(ほぼ光速で移動しているので、宇宙船の時間は非常に遅く進行している) しかし一度爆発した後に生まれ変わった別の地球が出来ていました。…というストーリーでした。どうやって戻るのかは置いておくとして、300億年後に物質や宇宙の密度・熱量はどうなっているのだろう??と興味が湧きましたが、そこは特に触れていませんでした。少なくともこんな都合よく新しい地球が出来てるはずはないと思いますが…。
<MEGASTAR(メガスター)-荘厳なる星空->
最後は恒例のメガスターのコーナーです。ここは部屋中に無数の星が映されるプラネタリウムで、自分の身体にも星が映しだされます。ただ、四角い部屋に投影しているので何だか不自然な感じですw しばらくボーっと眺めていましたが実際の星の配置なのかは分かりませんでした。
ということで、今回はストーリー仕立てになっていたけど、ほぼ今までのと同じ展示で、そうする意味がよくわからなかったかなw 宇宙に関する情報も減った感じで、特に好奇心を満足させてくれるわけでもなく、物足りないように思いました。ロマンチックで綺麗なものが観たい人には良いかもしれませんが、本格的なプラネタリウムを期待するのはちょっと方向性が違いそうです。
おまけ:
六本木ヒルズ周辺もクリスマスムードになっていました。


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今週の金曜の晩に、六本木~乃木坂のミッドタウンで、MIDTOWN CHRISTMAS 2012 (ミッドタウンクリスマス2012)のイルミネーションを観てきました。

このイルミネーションは毎年恒例のもので、少しずつ変わっているものの大体似た感じでこの時期に行われています。この日は直前に大きめの地震があったためか、例年より少なめの人出に思えました。
参考記事:
MIDTOWN CHRISTMAS 2009 (ミッドタウンクリスマス2009)
MIDTOWN CHRISTMAS 2010 (ミッドタウンクリスマス2010)
MIDTOWN CHRISTMAS 2011 (ミッドタウンクリスマス2011)
公式サイト:
http://www.tokyo-midtown.com/jp/xmas/2012/
期間:
2012/11/15~2012/12/25
今年は乃木坂方面から回って行きました。まずはツリーイルミネーションとシャンパンイルミネーション

ここは例年通りの装飾かな。
こんな感じで点滅しながら流れるような感じです。
続いて今回のお目当てのスターライトガーデン2012
宇宙をイメージするような点滅や音楽です。
高いところからの方が見やすいので、移動しました。
今年も似た趣向ですが、過去の記事と見比べるとちょっと違いますw
しばらく観た後、裏口からミッドタウンの中に入りました。
吹き抜けには大きなヒンメリの館内装飾がありました。

このヒンメリというのはフィンランドの伝統的な飾り付けのようです。館内には様々なヒンメリがあり、公式サイトを見るとかなりの種類が飾られているみたいです。
参考リンク:MIDTOWN CHRISTMAS 2012のヒンメリ
こちらは大通り側の入口付近にあるサンタツリー。

これも例年通り。無数のサンタが飾られていました。
今度は中庭から外に出ていきました。
こちらは魔法の森のクリスマスツリーとスターライトロード

いかにもクリスマスといった雰囲気です。
竹の生えているあたりには、おねがいスノウマン という願い事を描いたスノウマンが飾られていました。

これは応募されたものが飾られているようです。
最後に大通り側にある。ミッドタウン・スノウマン

左は小さめで人の背丈くらいですが、右のはかなり大きく見上げるような大きさです。
ということで、今年も綺麗なイルミネーションを観ることができました。特にスターライトガーデンはこの季節のミッドタウンの名物と言えるものなので、まだ観たことが無い方は観てみることをお勧めします。

このイルミネーションは毎年恒例のもので、少しずつ変わっているものの大体似た感じでこの時期に行われています。この日は直前に大きめの地震があったためか、例年より少なめの人出に思えました。
参考記事:
MIDTOWN CHRISTMAS 2009 (ミッドタウンクリスマス2009)
MIDTOWN CHRISTMAS 2010 (ミッドタウンクリスマス2010)
MIDTOWN CHRISTMAS 2011 (ミッドタウンクリスマス2011)
公式サイト:
http://www.tokyo-midtown.com/jp/xmas/2012/
期間:
2012/11/15~2012/12/25
今年は乃木坂方面から回って行きました。まずはツリーイルミネーションとシャンパンイルミネーション


ここは例年通りの装飾かな。
こんな感じで点滅しながら流れるような感じです。
続いて今回のお目当てのスターライトガーデン2012
宇宙をイメージするような点滅や音楽です。
高いところからの方が見やすいので、移動しました。
今年も似た趣向ですが、過去の記事と見比べるとちょっと違いますw
しばらく観た後、裏口からミッドタウンの中に入りました。
吹き抜けには大きなヒンメリの館内装飾がありました。


このヒンメリというのはフィンランドの伝統的な飾り付けのようです。館内には様々なヒンメリがあり、公式サイトを見るとかなりの種類が飾られているみたいです。
参考リンク:MIDTOWN CHRISTMAS 2012のヒンメリ
こちらは大通り側の入口付近にあるサンタツリー。


これも例年通り。無数のサンタが飾られていました。
今度は中庭から外に出ていきました。
こちらは魔法の森のクリスマスツリーとスターライトロード


いかにもクリスマスといった雰囲気です。
竹の生えているあたりには、おねがいスノウマン という願い事を描いたスノウマンが飾られていました。

これは応募されたものが飾られているようです。
最後に大通り側にある。ミッドタウン・スノウマン


左は小さめで人の背丈くらいですが、右のはかなり大きく見上げるような大きさです。
ということで、今年も綺麗なイルミネーションを観ることができました。特にスターライトガーデンはこの季節のミッドタウンの名物と言えるものなので、まだ観たことが無い方は観てみることをお勧めします。
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前々回、前回とご紹介した江戸東京博物館の特別展を観た後、常設展も観てきました。ここの常設はルールを守れば写真を撮ることが出来ます(企画展はNGの時もあります)ので、今回も撮ってきた写真と共にいくつかご紹介しようと思います。
参考記事:
江戸東京博物館の案内 (2012年09月)
江戸東京博物館の案内 (2011年10月)
江戸東京博物館の案内 (2011年06月)
江戸東京博物館の案内 (2010年03月)
江戸東京博物館の案内 (東京編 2009年12月)
江戸東京博物館の案内 (絵画編 2009年12月)
江戸東京博物館の案内 (江戸編 2009年12月)
今回は江戸時代の食に関するコーナーが面白く感じられました。これは日常の御膳。

目刺し鰯、八杯豆腐、白飯、沢庵漬け と質素なメニューです。朝食ならちょうどいいかもしれないけど何時食べるメニューかは分かりませんでした。
「江戸前大蒲焼番付」

これは江戸で人気の鰻屋を番付にしたもの。今で言えばミシェランガイドみたいなものでしょうか。この隣には蕎麦屋の番付もあり、日本人のランキング好きは今も昔も変わらなそうです。
歌川広重 「びくにはし雪中」

タイトルの「びくに橋」は現在の有楽町付近にあった橋の名前で、画中の「山くじら」はイノシシの肉のことだそうです。その向かいの「十三里」というのはサツマイモ屋で、「栗より美味い」と「九里+四里」をかけて十三里としているのが面白いです。風情もあり洒落も効いている作品でした。
「大酒大食会絵巻」

これは大酒飲み大会・大食い大会を描いた作品で、酒組・菓子組・鰻組・飯組・蕎麦組にわかれて競われたそうです。ここに写っているのは酒組かな? 寝てる人とかいるけどw これまた今も昔も変わらず大食い競争は人気だったようです。
歌川国貞(三代豊国)「十二月之内 師走 餅つき」

新しい年を迎える準備のため餅をついたり丸めたりしていいる人々が描かれています。活気があって何だか楽しそうです。提灯やはっぴの模様は版元の蔦屋重三郎の印だそうです。
参考記事:歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 (サントリー美術館)
しばらく進むと江戸時代の海外との関わりのコーナーもありました
ヨンストン 「動物図譜」

ラテン語で書かれた動物や魚、鳥などの図鑑で、以前何度か観た覚えがあります。平賀源内もこの本を持っていたそうです。
参考記事:不滅のシンボル 鳳凰と獅子 (サントリー美術館)
更に進むと葛飾北斎のコーナーがありました。
葛飾北斎 「新板浮絵忠臣蔵 第十一段目」

仮名手本忠臣蔵の討ち入りの場面を描いた作品。由良之助らが高師直の屋敷に討ち入り戦っています。歌舞伎などで当時から人気があったようです。
参考リンク:仮名手本忠臣蔵のwikipedia
さらに進んで幕末から明治のコーナーです。
川村清雄 「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」の複製

これは今回観てきた特別展に展示されていた複製品。川村清雄が恩人の勝海舟を描いた作品で、江戸城無血開城の際のシーンを描いています。よく観ると勝海舟は後ろから命を狙われているのが分かります。
参考記事:維新の洋画家 川村清雄 感想前編(江戸東京博物館)
ニコライ堂の模型。

結構よくできています。かつては東京の至るところから見えたそうで、スカイツリーの先輩みたいなものかなw
参考記事:ニコライ堂と神田明神の写真
浅草六区の電気館の模型。

これは1903年(明治36年)にできた日本初の常設の活動写真館。「アントニーとクレオパトラ」と書かれたのぼりが見えるように海外の作品もやっていたようで、チャップリンのフィルムなど数々の名作が上映されたそうです。1976年に閉鎖。今は跡地に複合施設があるようです。
「松竹座ニュース 第1巻第1号」

これは1928年(昭和3年)に浅草にできた松竹座のパンフレット。このキュビスムを思わせる表紙が洒落ています。
原田三夫・子供の科学社 「ラジオ双六(『子供の化学』3巻1号付録)」

これは大正15年に作られた遊びながらラジオの知識を身につけるという双六。絵柄がなんともレトロで漫画っぽい感じ。電信の妨害で1回休み! 盗聴で1回休み! とかちょっとシュールです。
ということで、今回も常設も楽しむことができました。ここの常設はかなり広く、ご紹介したのはほんの一部です。外国の方にも人気のスポットですので、一度はここの常設を観ておくと参考になると思います。
参考記事:
江戸東京博物館の案内 (2012年09月)
江戸東京博物館の案内 (2011年10月)
江戸東京博物館の案内 (2011年06月)
江戸東京博物館の案内 (2010年03月)
江戸東京博物館の案内 (東京編 2009年12月)
江戸東京博物館の案内 (絵画編 2009年12月)
江戸東京博物館の案内 (江戸編 2009年12月)
今回は江戸時代の食に関するコーナーが面白く感じられました。これは日常の御膳。

目刺し鰯、八杯豆腐、白飯、沢庵漬け と質素なメニューです。朝食ならちょうどいいかもしれないけど何時食べるメニューかは分かりませんでした。
「江戸前大蒲焼番付」

これは江戸で人気の鰻屋を番付にしたもの。今で言えばミシェランガイドみたいなものでしょうか。この隣には蕎麦屋の番付もあり、日本人のランキング好きは今も昔も変わらなそうです。
歌川広重 「びくにはし雪中」

タイトルの「びくに橋」は現在の有楽町付近にあった橋の名前で、画中の「山くじら」はイノシシの肉のことだそうです。その向かいの「十三里」というのはサツマイモ屋で、「栗より美味い」と「九里+四里」をかけて十三里としているのが面白いです。風情もあり洒落も効いている作品でした。
「大酒大食会絵巻」

これは大酒飲み大会・大食い大会を描いた作品で、酒組・菓子組・鰻組・飯組・蕎麦組にわかれて競われたそうです。ここに写っているのは酒組かな? 寝てる人とかいるけどw これまた今も昔も変わらず大食い競争は人気だったようです。
歌川国貞(三代豊国)「十二月之内 師走 餅つき」

新しい年を迎える準備のため餅をついたり丸めたりしていいる人々が描かれています。活気があって何だか楽しそうです。提灯やはっぴの模様は版元の蔦屋重三郎の印だそうです。
参考記事:歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎 (サントリー美術館)
しばらく進むと江戸時代の海外との関わりのコーナーもありました
ヨンストン 「動物図譜」

ラテン語で書かれた動物や魚、鳥などの図鑑で、以前何度か観た覚えがあります。平賀源内もこの本を持っていたそうです。
参考記事:不滅のシンボル 鳳凰と獅子 (サントリー美術館)
更に進むと葛飾北斎のコーナーがありました。
葛飾北斎 「新板浮絵忠臣蔵 第十一段目」

仮名手本忠臣蔵の討ち入りの場面を描いた作品。由良之助らが高師直の屋敷に討ち入り戦っています。歌舞伎などで当時から人気があったようです。
参考リンク:仮名手本忠臣蔵のwikipedia
さらに進んで幕末から明治のコーナーです。
川村清雄 「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」の複製

これは今回観てきた特別展に展示されていた複製品。川村清雄が恩人の勝海舟を描いた作品で、江戸城無血開城の際のシーンを描いています。よく観ると勝海舟は後ろから命を狙われているのが分かります。
参考記事:維新の洋画家 川村清雄 感想前編(江戸東京博物館)
ニコライ堂の模型。

結構よくできています。かつては東京の至るところから見えたそうで、スカイツリーの先輩みたいなものかなw
参考記事:ニコライ堂と神田明神の写真
浅草六区の電気館の模型。

これは1903年(明治36年)にできた日本初の常設の活動写真館。「アントニーとクレオパトラ」と書かれたのぼりが見えるように海外の作品もやっていたようで、チャップリンのフィルムなど数々の名作が上映されたそうです。1976年に閉鎖。今は跡地に複合施設があるようです。
「松竹座ニュース 第1巻第1号」

これは1928年(昭和3年)に浅草にできた松竹座のパンフレット。このキュビスムを思わせる表紙が洒落ています。
原田三夫・子供の科学社 「ラジオ双六(『子供の化学』3巻1号付録)」

これは大正15年に作られた遊びながらラジオの知識を身につけるという双六。絵柄がなんともレトロで漫画っぽい感じ。電信の妨害で1回休み! 盗聴で1回休み! とかちょっとシュールです。
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今日は前回の記事に引き続き、江戸東京博物館の「維新の洋画家-川村清雄」の後編をご紹介いたします。前編には生い立ちや後に大きな影響を与えた留学についてなども書いておりますので、前編を読まれていない方は前編から先にお読み頂けると嬉しいです。
前編はこちら

まずは概要のおさらいです。
【展覧名】
江戸東京博物館開館20周年記念特別展
「維新の洋画家-川村清雄」
【公式サイト】
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2012/10/index.html
【会場】江戸東京博物館
【最寄】JR両国駅/大江戸線両国駅
【会期】2012年10月8日(月・祝)~12月2日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間30分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_②_3_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編は資料多めで留学から帰ってきた頃までの内容をご紹介しましたが、後半は絵画中心で晩年までのコーナーです。
<第3章 江戸の心を描く油絵師>
3章は油彩画家でありながら日本画のような感性を持った作風に関するコーナーです。川村清雄は日本洋画界の振興のため明治美術会の設立に加わり、自身も画塾を開いて後進を育てると共に、あくまで油彩画としての構図やモチーフを徹底的に研究した上で、背景に金箔・銀箔を使用したり日本に古来から伝わる文様や伝統的な色彩を用いる試みを行ったそうです。キャンバスに描くことにも拘らなかったようで、絹本や紙本、漆塗りなど日本の伝統的な素地を使うこともあったそうです。
清雄はそうした洋画の技法に日本画の感覚を融合させた独特で気品溢れる作品を制作していったのですが、明治中頃になると黒田清輝の白馬会が勢力を強めて外光表現が支持を得るようになると、日本画、洋画、工芸といった理念区分も急速に進んでいったそうです。
参考記事:
近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展 (岩手県立美術館)
黒田記念館の案内 (2010年11月)
そうした中で日本的な油彩技法や故事を踏まえた特異な寓意表現は中々理解されなかったようで、1899年に日本美術院で開催した個展の評判は芳しくなく、清雄を落胆させたそうです。清雄自身も画家としての生き方は器用な方ではなかったらしく、完璧を期するために納期が送れることもしばしばで、依頼主を怒らせることもあったようです。 そうして次第に清雄は展覧会や美術教育から遠ざかって行ったようですが、旧幕府関係者や江戸の威風を慕う文化人には清雄の人物と絵は愛されたそうで、ここにはそうした時期の作品も並んでいました。
この章の最初の方には清雄の弟子たちの作品や個展会場のスケッチ、個展の日誌などが並んでいました。
115 川村清雄 「貴賤図(御所車)」 ★こちらで観られます
手前に川辺で佇む母子が描かれ、奥には道行く牛車と貴族風の人たちの一行が通りかかり、その遠い先には塔の姿も描かれています。淡い色合いで水に透明感があり、爽やかな印象を受けるのですが、当時これはコローの作風と比べられることもあったそうです。確かに緑と水のあたりはそう見えなくもないかな。解説によると、この作品は息子のように可愛がってくれた勝海舟の死後に庇護してくれた小笠原家で描かれたそうで、描いている時に日本画の大家の橋本雅邦がこれを観て大変褒めたそうです。それがきっかけで個展を開いたのですが世間の評価は芳しくなく、小笠原家に対して申し訳なくなり家を出ることになったそうです。
162 川村清雄 「ヴェニス図」
ヴェネツィアのゴンドラに乗った白い服の女性が遊び人風の男に声をかけている所を描いた作品で、背景には建物のシルエットがあり、手前では鳥が低空を滑空している様子が描かれています。瑞々しい色使いで柔らかい印象を受け、どこか夢の中のような幻想的な雰囲気がありました。美しい思い出の中の風景といった感じでしょうか。
この辺はヴェネツィア(ヴェニス)の風景画が並んでいました。弟子の話によるとヴェネツィアの話が始まると憧憬の念が禁じ得ないようで、夜中の1時2時までその生活を語っていたそうです。よほど留学時代が懐かしかったのかな…。
149 川村清雄 「福澤諭吉肖像」
椅子に座った晩年の福沢諭吉を描いた肖像画です。紋付袴姿で、顔はよく知るお札の顔そのものなので、観てすぐに福沢諭吉だ!と分かりますw 背景には植物文様の壁紙があり、そのせいか重厚な印象を受けました。
166 川村清雄 「水辺の楊柳」
横長の作品で、徳川宗家に伝わる清雄の代表作だそうです。水辺とその近くの木々、洗濯しているのか川辺にいる女性たちなどが描かれていて、特に水の透明感に目を奪われます。また、葉っぱの部分は厚塗りされていて葉が重なったような感じを出しているのが面白かったです。叙情性のある作品でした。
この辺にはコローとの関わりについての解説があり、清雄はパリ留学時代に晩年のコローを訪ねた事があったそうで、その影響を受けているようです。絵の具を薄く塗り重ねて水の透明感や煌めきを表現している辺りにそれが見て取れるようでした。
少し進むと家族に関するコーナーもありました。時代に翻弄され苦労した姉や従兄弟、清雄に代わって家を守っていた父についても紹介されていました。
193 川村清雄 「鶏図」
籠に入った卵を温める鶏と、5羽のひよこが描かれた作品で、周りには葉っぱヤカンなども描かれています。色鮮やかで日本画のような滲みの表現も使われていて、葉っぱやヤカンの質感が見事です。ひよこは可愛らしく、それを見守る母の視線が微笑ましく感じられました。解説によると、この作品は大晦日で借金に困っていた時に親しくしていた人に買って貰ったのですが、息子に持たせて行った時には親鳥しか描かれておらず、後でひよこも描きますと手紙に書いていたそうです。後日その家に出向いてひよこを苦労してスケッチしたとのことで、また大晦日の借金苦か!と ちょっと愉快な清雄の性格が伺えそうなエピソードでした。
171 川村清雄 「波」
岩にぶつかるに高い波と飛沫が描かれた作品で、今まさに飛沫が上がったかのような臨場感があります。一見するとシンプルな構図ですが、様々な技法が使われているそうで、清雄の技量が伺える作品のようでした。
この近くには一見すると抽象画のようにすら見える「浪に小禽」という作品もありました。大胆な厚塗りで表現されていて、今までの画風とちょっと違って見えました。
170 川村清雄 「滝」
これは流れ落ちる滝を描いた作品で、水煙が立つような柔らかい表現や、厚塗りされた表現が混在しています。その表現の違いによって勢いと滝周辺の空気感を見事に表現しているのが面白いです。清雄は滝の絵をよく描いていたそうで、「ざー、ざー」と言いながら描いていたので周りの人は驚いていたのだとか。
176 川村清雄 「梅と椿の静物」 ★こちらで観られます
梅の枝が活けられた古い釣瓶とその側に置かれた紅白の椿を描いた作品で、手前には小さな蒔絵の箱も置かれています。これは絹本に描かれた油彩で、背景は金箔でまるで日本画のような題材と色使いに見えます。西洋画が1つ上という価値観の中で日本の美を見直し大事に守りぬいていた清雄の姿勢を伺わせるような作品でした。また、この近くには板に描かれた作品もあり、確かにキャンバスだけではないことがよく分かります。
少し進むと明治大正期のコーナーです。清雄は明治30年頃から書籍の装幀や挿絵を数多く手がけたそうで、江戸趣味の作風が人気を得て表紙になると雑誌がよく売れたそうです。 また、出版界を通じて文士たちとの交流も広がったとのことでした。 ここにはいくつかの雑誌が並び152「新婦人」表紙(正月飾り)などが展示されていました。
156 川村清雄 「素戔鳴尊図屏風(左隻)」
六曲一双の屏風のうち左隻のみが展示されていて、スサノオが八岐の大蛇の首をはねるシーンが描かれています。血の付いた刀を両手で持っって振り下ろすスサノオと、口を開け龍のような恐ろしい顔をした八岐の大蛇が戦っています。お互いに勢いのあるポーズで、劇的な印象を受けました。こちらもいかにも日本の金地の屏風といった感じに見えますが、油彩というのが面白かったです。
194 川村清雄 「花鳥図」
布を敷したテーブルの上に置かれた 壺、花束、勾玉、銅鏡のようなもの、鉢とその淵にとまっている2羽の鳥などが描かれた作品です。色鮮やかな布が明るく、西洋的な静物画に見えますが、よくみると日本的なモチーフがあったりするのが面白いです。中々見栄えのする静物で好みでした。
この辺には魚や鳥などを描いた作品や、富士山や扇など日本的なモチーフの作品が並んでいました。
<終章 ≪建国≫そして≪振天府≫>
最後は晩年に関するコーナーです。清雄は晩年、世間の評判をよそに絵の世界に没頭していたそうですが、そんな折に聖徳記念絵画館の建設の議が起きたそうです。これは明治天皇の生涯を80の場面に分けて描くという壮大な計画で、その選定会議の際に会長を務める徳川家達(かつての主君)は自身が奉納する絵画として世に忘れ去られつつあった清雄の名を真っ先に指名したそうです。そして清雄は日清戦争を記念する皇居内の「振天府」という倉庫を画題として与えられ、緻密な取材と長い準備期間を経て1931年についに絵画館に奉納したそうです。
一方、振天府の製作中に上野で開かれた清雄の個展を訪れたフランスの東洋学者シルヴァン・レヴィは清雄の作品に感激し、パリのリュクサンブール美術館に清雄の作品を収めたいと希望したそうで、清雄はこれに応えて日本神話を題材にした「建国」を描き、贈呈しました。その模様はフランス・日本の両国の新聞で報じられ注目をあつめたようです。
清雄はその後も休むことなく絵を描いていたそうですが、天理教の中山みきの肖像を制作しに関西に赴いた際、病に倒れ現在の天理市で息子に看取られながら83歳で亡くなったそうです。ここには晩年の作品が並んでいました。
参考記事:重要文化財指定へ わが国初期の美術館建設の軌跡 (聖徳記念絵画館)
参考リンク:御府のwikipedia
203 川村清雄 「建国」 ★こちらで観られます
今回のポスターにもなっている作品で、これがフランスに贈られ今はオルセー美術館の所蔵となっているようです。これは天の岩戸の物語の一場面で、金地を背景に上向きの鶏が描かれ周りには勾玉をつけた祭礼の道具のようなものが描かれています。鶏の毛は厚塗されていて質感があり、日本画のような感じと洋画らしさが混在しているように思いました。解説によると、フランスではこの鶏をフランスのシンボルである「ガリアの雄鶏」と解釈したそうですが、清雄はそれを念頭に描いていたのではないか??と推定しているようでした。実に見事な作品です。
この辺には建国の受贈式典の演説の原稿や、210「《振天府》下絵」、振天府を制作している時の写真、振天府の完成を祝う詩、完成記念式の写真などもありました。最後には近代日本洋画の年譜や清雄の葬儀の際の諄辞まで展示されていました。
ということで、実は何度か作品を観ていた画家でしたがこの機に詳しく知ることができました。文化にも欧化政策の影響が観られる中で、日本の美を守りつつ西洋の画風を取り入れようとしたのは独特な試みだったのではないかと思います。こちらの展示はもう終わってしまいましたが、今後の鑑賞にも参考になる内容でした。
参照記事:★この記事を参照している記事
前編はこちら


まずは概要のおさらいです。
【展覧名】
江戸東京博物館開館20周年記念特別展
「維新の洋画家-川村清雄」
【公式サイト】
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2012/10/index.html
【会場】江戸東京博物館
【最寄】JR両国駅/大江戸線両国駅
【会期】2012年10月8日(月・祝)~12月2日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間30分程度
【混み具合・混雑状況(日曜日13時半頃です)】
混雑_1_②_3_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
前編は資料多めで留学から帰ってきた頃までの内容をご紹介しましたが、後半は絵画中心で晩年までのコーナーです。
<第3章 江戸の心を描く油絵師>
3章は油彩画家でありながら日本画のような感性を持った作風に関するコーナーです。川村清雄は日本洋画界の振興のため明治美術会の設立に加わり、自身も画塾を開いて後進を育てると共に、あくまで油彩画としての構図やモチーフを徹底的に研究した上で、背景に金箔・銀箔を使用したり日本に古来から伝わる文様や伝統的な色彩を用いる試みを行ったそうです。キャンバスに描くことにも拘らなかったようで、絹本や紙本、漆塗りなど日本の伝統的な素地を使うこともあったそうです。
清雄はそうした洋画の技法に日本画の感覚を融合させた独特で気品溢れる作品を制作していったのですが、明治中頃になると黒田清輝の白馬会が勢力を強めて外光表現が支持を得るようになると、日本画、洋画、工芸といった理念区分も急速に進んでいったそうです。
参考記事:
近代日本洋画の巨匠 黒田清輝展 (岩手県立美術館)
黒田記念館の案内 (2010年11月)
そうした中で日本的な油彩技法や故事を踏まえた特異な寓意表現は中々理解されなかったようで、1899年に日本美術院で開催した個展の評判は芳しくなく、清雄を落胆させたそうです。清雄自身も画家としての生き方は器用な方ではなかったらしく、完璧を期するために納期が送れることもしばしばで、依頼主を怒らせることもあったようです。 そうして次第に清雄は展覧会や美術教育から遠ざかって行ったようですが、旧幕府関係者や江戸の威風を慕う文化人には清雄の人物と絵は愛されたそうで、ここにはそうした時期の作品も並んでいました。
この章の最初の方には清雄の弟子たちの作品や個展会場のスケッチ、個展の日誌などが並んでいました。
115 川村清雄 「貴賤図(御所車)」 ★こちらで観られます
手前に川辺で佇む母子が描かれ、奥には道行く牛車と貴族風の人たちの一行が通りかかり、その遠い先には塔の姿も描かれています。淡い色合いで水に透明感があり、爽やかな印象を受けるのですが、当時これはコローの作風と比べられることもあったそうです。確かに緑と水のあたりはそう見えなくもないかな。解説によると、この作品は息子のように可愛がってくれた勝海舟の死後に庇護してくれた小笠原家で描かれたそうで、描いている時に日本画の大家の橋本雅邦がこれを観て大変褒めたそうです。それがきっかけで個展を開いたのですが世間の評価は芳しくなく、小笠原家に対して申し訳なくなり家を出ることになったそうです。
162 川村清雄 「ヴェニス図」
ヴェネツィアのゴンドラに乗った白い服の女性が遊び人風の男に声をかけている所を描いた作品で、背景には建物のシルエットがあり、手前では鳥が低空を滑空している様子が描かれています。瑞々しい色使いで柔らかい印象を受け、どこか夢の中のような幻想的な雰囲気がありました。美しい思い出の中の風景といった感じでしょうか。
この辺はヴェネツィア(ヴェニス)の風景画が並んでいました。弟子の話によるとヴェネツィアの話が始まると憧憬の念が禁じ得ないようで、夜中の1時2時までその生活を語っていたそうです。よほど留学時代が懐かしかったのかな…。
149 川村清雄 「福澤諭吉肖像」
椅子に座った晩年の福沢諭吉を描いた肖像画です。紋付袴姿で、顔はよく知るお札の顔そのものなので、観てすぐに福沢諭吉だ!と分かりますw 背景には植物文様の壁紙があり、そのせいか重厚な印象を受けました。
166 川村清雄 「水辺の楊柳」
横長の作品で、徳川宗家に伝わる清雄の代表作だそうです。水辺とその近くの木々、洗濯しているのか川辺にいる女性たちなどが描かれていて、特に水の透明感に目を奪われます。また、葉っぱの部分は厚塗りされていて葉が重なったような感じを出しているのが面白かったです。叙情性のある作品でした。
この辺にはコローとの関わりについての解説があり、清雄はパリ留学時代に晩年のコローを訪ねた事があったそうで、その影響を受けているようです。絵の具を薄く塗り重ねて水の透明感や煌めきを表現している辺りにそれが見て取れるようでした。
少し進むと家族に関するコーナーもありました。時代に翻弄され苦労した姉や従兄弟、清雄に代わって家を守っていた父についても紹介されていました。
193 川村清雄 「鶏図」
籠に入った卵を温める鶏と、5羽のひよこが描かれた作品で、周りには葉っぱヤカンなども描かれています。色鮮やかで日本画のような滲みの表現も使われていて、葉っぱやヤカンの質感が見事です。ひよこは可愛らしく、それを見守る母の視線が微笑ましく感じられました。解説によると、この作品は大晦日で借金に困っていた時に親しくしていた人に買って貰ったのですが、息子に持たせて行った時には親鳥しか描かれておらず、後でひよこも描きますと手紙に書いていたそうです。後日その家に出向いてひよこを苦労してスケッチしたとのことで、また大晦日の借金苦か!と ちょっと愉快な清雄の性格が伺えそうなエピソードでした。
171 川村清雄 「波」
岩にぶつかるに高い波と飛沫が描かれた作品で、今まさに飛沫が上がったかのような臨場感があります。一見するとシンプルな構図ですが、様々な技法が使われているそうで、清雄の技量が伺える作品のようでした。
この近くには一見すると抽象画のようにすら見える「浪に小禽」という作品もありました。大胆な厚塗りで表現されていて、今までの画風とちょっと違って見えました。
170 川村清雄 「滝」
これは流れ落ちる滝を描いた作品で、水煙が立つような柔らかい表現や、厚塗りされた表現が混在しています。その表現の違いによって勢いと滝周辺の空気感を見事に表現しているのが面白いです。清雄は滝の絵をよく描いていたそうで、「ざー、ざー」と言いながら描いていたので周りの人は驚いていたのだとか。
176 川村清雄 「梅と椿の静物」 ★こちらで観られます
梅の枝が活けられた古い釣瓶とその側に置かれた紅白の椿を描いた作品で、手前には小さな蒔絵の箱も置かれています。これは絹本に描かれた油彩で、背景は金箔でまるで日本画のような題材と色使いに見えます。西洋画が1つ上という価値観の中で日本の美を見直し大事に守りぬいていた清雄の姿勢を伺わせるような作品でした。また、この近くには板に描かれた作品もあり、確かにキャンバスだけではないことがよく分かります。
少し進むと明治大正期のコーナーです。清雄は明治30年頃から書籍の装幀や挿絵を数多く手がけたそうで、江戸趣味の作風が人気を得て表紙になると雑誌がよく売れたそうです。 また、出版界を通じて文士たちとの交流も広がったとのことでした。 ここにはいくつかの雑誌が並び152「新婦人」表紙(正月飾り)などが展示されていました。
156 川村清雄 「素戔鳴尊図屏風(左隻)」
六曲一双の屏風のうち左隻のみが展示されていて、スサノオが八岐の大蛇の首をはねるシーンが描かれています。血の付いた刀を両手で持っって振り下ろすスサノオと、口を開け龍のような恐ろしい顔をした八岐の大蛇が戦っています。お互いに勢いのあるポーズで、劇的な印象を受けました。こちらもいかにも日本の金地の屏風といった感じに見えますが、油彩というのが面白かったです。
194 川村清雄 「花鳥図」
布を敷したテーブルの上に置かれた 壺、花束、勾玉、銅鏡のようなもの、鉢とその淵にとまっている2羽の鳥などが描かれた作品です。色鮮やかな布が明るく、西洋的な静物画に見えますが、よくみると日本的なモチーフがあったりするのが面白いです。中々見栄えのする静物で好みでした。
この辺には魚や鳥などを描いた作品や、富士山や扇など日本的なモチーフの作品が並んでいました。
<終章 ≪建国≫そして≪振天府≫>
最後は晩年に関するコーナーです。清雄は晩年、世間の評判をよそに絵の世界に没頭していたそうですが、そんな折に聖徳記念絵画館の建設の議が起きたそうです。これは明治天皇の生涯を80の場面に分けて描くという壮大な計画で、その選定会議の際に会長を務める徳川家達(かつての主君)は自身が奉納する絵画として世に忘れ去られつつあった清雄の名を真っ先に指名したそうです。そして清雄は日清戦争を記念する皇居内の「振天府」という倉庫を画題として与えられ、緻密な取材と長い準備期間を経て1931年についに絵画館に奉納したそうです。
一方、振天府の製作中に上野で開かれた清雄の個展を訪れたフランスの東洋学者シルヴァン・レヴィは清雄の作品に感激し、パリのリュクサンブール美術館に清雄の作品を収めたいと希望したそうで、清雄はこれに応えて日本神話を題材にした「建国」を描き、贈呈しました。その模様はフランス・日本の両国の新聞で報じられ注目をあつめたようです。
清雄はその後も休むことなく絵を描いていたそうですが、天理教の中山みきの肖像を制作しに関西に赴いた際、病に倒れ現在の天理市で息子に看取られながら83歳で亡くなったそうです。ここには晩年の作品が並んでいました。
参考記事:重要文化財指定へ わが国初期の美術館建設の軌跡 (聖徳記念絵画館)
参考リンク:御府のwikipedia
203 川村清雄 「建国」 ★こちらで観られます
今回のポスターにもなっている作品で、これがフランスに贈られ今はオルセー美術館の所蔵となっているようです。これは天の岩戸の物語の一場面で、金地を背景に上向きの鶏が描かれ周りには勾玉をつけた祭礼の道具のようなものが描かれています。鶏の毛は厚塗されていて質感があり、日本画のような感じと洋画らしさが混在しているように思いました。解説によると、フランスではこの鶏をフランスのシンボルである「ガリアの雄鶏」と解釈したそうですが、清雄はそれを念頭に描いていたのではないか??と推定しているようでした。実に見事な作品です。
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