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2012年の振り返り

今年も残す所わずかとなりましたが、最後に毎年恒例の1年の振り返りをしてみたいと思います。今年はフェルメールの展示をはじめ非常に驚くべき作品を観ることができました。今年も日本美術、西洋美術 個展、西洋美術テーマ展示、それ以外 の4つの部門で振り返ろうと思います。今振り返ってみて良かったと思う順にしていますので、観た当時の評価と若干変わっている部分もありますが、ご容赦ください。まあ、毎年恒例のミーハーランキングですがw

参考記事:
 2011年の振り返り
 2010年の振り返り
 2009年の振り返り


<日本美術ベスト10>
  1位:来て、見て、感じて、驚いちゃって! おもしろびじゅつワンダーランド (サントリー美術館)
  2位:ボストン美術館 日本美術の至宝(東京国立博物館 平成館)
  3位:蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち(千葉市美術館)
  4位:没後120年記念 月岡芳年(太田記念美術館)
  5位:没後70年 竹内栖鳳 (山種美術館)
  6位:江戸の判じ絵 ~再び これを判じてごろうじろ~ (たばこと塩の博物館)
  7位:馬込時代の川瀬巴水 (大田区立郷土博物館)
  8位:浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- (太田記念美術館)
  9位:KORIN展 国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」 (根津美術館)
  10位:上村松園と鏑木清方展 (平塚市美術館)

まず日本美術ですが、今回はサントリー美術館の異色の展示を1位にしてみました。普段 美術展を多く回っていると紋切り型の展示が多いですが、この展示は素人にも分かりやすく日本美術の楽しさを体感でき、かと言ってエンターテインメントに偏っているわけでもなく、良い企画でした。それ以外は元々好きな画家の展示が多いですが、去年に引き続き歌川国芳の一門の展示を多くランクインさせました。やはり日本の美術は世界に誇るべきものだと思わせる品々が多い1年でした。


<西洋美術 個展ベスト10>
  1位:バーン=ジョーンズ展-装飾と象徴 (三菱一号館美術館)
  2位:ポール・デルヴォー 夢をめぐる旅(府中市美術館)
  3位:セザンヌ―パリとプロヴァンス (国立新美術館)
  4位:国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展 (Bunkamuraザ・ミュージアム)
  5位:シャルダン展-静寂の巨匠 (三菱一号館美術館)
  6位:生誕100年 ジャクソン・ポロック展 (東京国立近代美術館)
  7位:生誕100年松本竣介展 (世田谷美術館)
  8位:ユベール・ロベール-時間の庭 (国立西洋美術館)
  9位:マックス・エルンスト-フィギュア×スケープ 時代を超える像景 (横浜美術館)
  10位:ジェームズ・アンソール ―写実と幻想の系譜― (損保ジャパン東郷青児美術館)

今年は大型個展というのはそんなに多くは無かったのですが、ジャクソン・ポロックやセザンヌやなど注目の展示が続きました。そんな中で、個性派の展示も面白いものがあり、1位と2位はどちらにしようか最後まで迷いましたw デルヴォーは2013年も埼玉に巡回してくるので、バーン=ジョーンズを上にしましたが、本当にどちらも良かったです。


<西洋美術 テーマ展示ベスト10>
  1位:マウリッツハイス美術館展 (東京都美術館)
  2位:メトロポリタン美術館展 大地、海、空-4000年の美への旅  (東京都美術館)
  3位:リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝 (国立新美術館)
  4位:ルドンとその周辺-夢見る世紀末展 (三菱一号館美術館)
  5位:ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年 (国立西洋美術館)
  6位:大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年 (国立新美術館)
  7位:巨匠たちの英国水彩画展 (Bunkamuraザ・ミュージアム)
  8位:ドビュッシー 、音楽と美術ー印象派と象徴派のあいだで (ブリヂストン美術館)
  9位:レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想 (Bunkamuraザ・ミュージアム)
  10位:ストラスブール美術館展 世紀末からフランス現代美術へ (横須賀美術館)

西洋美術のテーマ展示も今年はそんなに多くなかったのですが、やはり今年一番の話題だったのはマウリッツハイス美術館展のフェルメール「真珠の耳飾りの少女」だったと思います。それ以外の品も見所が多く、これは一生記憶に残る展示となりそうです。また、東京都美術館はその後にメットの展示もあり、2013年にはエル・グレコの展示も予定されています。リニューアルしてからの充実度が半端じゃないw 2013年も楽しみです。


<総合満足 その他(現代アート/工芸など) ベスト10>
  1位:尊厳の芸術展 The Art of Gaman (東京藝術大学大学美術館)
  2位:館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技 エヴァの原点は、ウルトラマンと巨神兵。 (東京都現代美術館)
  3位:草間彌生 永遠の永遠の永遠 (埼玉県立近代美術館)
  4位:アラブ・エクスプレス展 アラブ美術の今を知る (森美術館)
  5位:ジョジョの奇妙な冒険25周年記念「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」 (森アーツセンターギャラリー)
  6位:奈良美智 君や 僕に ちょっと似ている (横浜美術館)
  7位:チョコレート展 (国立科学博物館)
  8位:森と湖の国 フィンランド・デザイン (サントリー美術館)
  9位:日本の70年代 1968-1982 (埼玉県立近代美術館)
  10位:ウルトラマン・アート! 時代と創造-ウルトラマン&ウルトラセブン- (埼玉県立近代美術館)

さて、今年一番 候補数が多くて選ぶのに難儀したのがこの部門でした。しかしその中で忘れられない展示となったのは「尊厳の芸術展 The Art of Gaman」でした。日本人が失くしつつある崇高な精神を感じさせる品々に心底感動させられました。それ以外については今年はマンガや特撮に関する展示が多く開催され、ものづくりの楽しさなどを再認識させられました。こうしたジャンルは人気があるだけに今後も盛り上がるのではないかと思います。また、今年はエジプトに関する展示も盛り上がりを見せていましたが、他の展示が良すぎたのでランキング入りは叶いませんでした…。


ということで、今年も沢山の美術品を観ることが出来ました。何よりも2011年と違い平穏無事に終わったことが何よりです。来年も面白そうな展示がありそうですので、また足繁く通ってレポートしていきたいと思います。

皆様よいお年を…


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はじまりは国芳 ~江戸スピリットのゆくえ~ 【横浜美術館】

年末で忙しくてちょっと間が空きました。この前の祝日に、横浜美術館に行って「はじまりは国芳 ~江戸スピリットのゆくえ~」を観てきました。この展示は前期・後期に分かれていて、私が観たのは後期の内容でした。

P1070628.jpg

【展覧名】
 はじまりは国芳 ~江戸スピリットのゆくえ~

【公式サイト】
 http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/kuniyoshi/index.html

【会場】横浜美術館
【最寄】JR桜木町駅/みなとみらい線みなとみらい駅


【会期】
  前期:2012年11月03日(土)~2012年12月05日(水)
  後期:2012年12月07日(金)~2013年01月14日(月)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(祝日17時頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
クリスマスイヴということもあってか結構多くのお客さんがいましたが、混んでいるというわけでもなく自分のペースで鑑賞することができました。

さて、今回の展示は歌川国芳とその系譜に関しての展示です。ここ数年、没後150年記念などで国芳一門に関する展示は結構多いように思いますが、こうした形で時代の流れを追うのをテーマにしたのは他には無かったと思います。時代によって章が分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。


<第1章 歌川国芳と幕末・明治の絵師たち>
まずは歌川国芳とその直弟子のコーナーです。親分肌の国芳には70人を超える直弟子がいたそうで、ここにはそうした絵師の作品が並んでいました。(解説などは以前観た展示の方が詳細だったので、詳しく知りたい方は参考記事をご参照ください。)

 参考記事
  歌川国芳-奇と笑いの木版画 (府中市美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 前期:豪傑なる武者と妖怪 (太田記念美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想前編(太田記念美術館)
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想後編(太田記念美術館)
  奇想の絵師歌川国芳の門下展 (礫川浮世絵美術館)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想後編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想後編(太田記念美術館)

10 歌川国芳 「鬼若丸の鯉退治」
鬼若丸というのは幼い頃の弁慶の名前で、これは比叡山の巨大な鯉を倒す場面を描いた3枚続きの作品です。シャチやイルカのような大きさの鯉が泳いでいる上で、鬼若丸が刀を持ってじっと様子を伺っている様子が描かれ、その背後には膝をついて見守る乳母の飛鳥や、驚いて逃げる寺の子供たちの姿もあります。水面は縞模様に色が塗られていて、水の流れが感じられ、迫力がありました。

この近くには13「大物浦平家の亡霊」や12「宮本武蔵の鯉退治」(★こちらで観られます)といった人気作や、国芳の出世作となった水滸伝のシリーズもありました。

31 月岡芳年 「義経記五條橋之図」 ★こちらで観られます
3枚続きの作品で、弁慶と牛若丸の五条大橋での戦いを描いた作品です。ひらりと飛んでいる義経と、薙刀を構えて前かがみになり足を踏ん張る弁慶が描かれていて、中央上空には丸い月が浮かんでいます。非常に動きと勢いを感じるとともに、月は芳年らしいモチーフに思いました。
 参考記事:
  月岡芳年「月百姿」展 後期 (礫川浮世絵美術館)
  没後120年記念 月岡芳年 感想前編(太田記念美術館)
  没後120年記念 月岡芳年 感想後編(太田記念美術館)

この辺は国芳と弟子の作品が混じって並んでいました。四谷怪談を描いた歌川国芳の「お岩のぼうこん」や少し先には月岡芳年の洋風の「一魁随筆 山姥 怪童丸」などもあります。

月岡芳年 タイトル失念…
これは肉筆画で、豪華なかんざしをしている花魁を描いた作品です。大津絵を散らした面白い着物を着ていて、塗木履という厚底の履物を履いています。上体を反らすような姿勢で、実際にこのような歩き方をしていたそうです。艷やかな雰囲気のある作品でした。

この隣にも遊女を描いた肉筆画がありました。また、芳年の「全盛四季冬 根津花屋敷 大松楼」も並んでいます。

69 月岡芳年 「風俗三十二相 けむさう 享和年間 女郎の風俗」 ★こちらで観られます
団扇をもって身をかがめる女性が描かれた作品で、右の方には煙が立ち込めています。煙は線や色面で表現され流れを感じるのですが、その動きが煙っぽさを出していました。タイトルの通り、女性の煙たそうな顔も面白かったです。

ここには風俗三十二相が6枚展示されていました。どれもユーモアを感じで好きな作品です。

83 落合芳幾 「勧進大相撲土俵入之図」
3枚続きの作品で、中央に屋根のある土俵が描かれ、2人の力士が目をあわせて対峙しているような感じです。その周りにも沢山の力士が列を組んで並んでいて、周りは二階建ての観客席となっています。パノラマで凄い数の見物人が描かれていて、活況と迫力が伝わって来ました。

少し先には88 歌川国芳の「猫の当て字 たこ」や90 「きん魚づくし ぼんぼん」、「ほおづき尽くし」シリーズ、93「里すずめねぐらの仮宿」、96「荷宝蔵壁のむだ書き」(落書き風の絵)など、楽しげな作品が並んでいました。この章の最後には草子も展示されています。


<第2章 歌川国芳と近代絵画の系譜>
続いては国芳の少し後(直弟子や孫弟子)のコーナーです。狩野派も学んだ河鍋暁斎、国芳の師風を最もよく受け継いだ月岡芳年、芳年の弟子で挿絵や口絵で人気を博した水野年方、年方に入門した鏑木清方と、清方を含む年方門下の画家で結成された烏合会 などの作品が並んでいました。

118 河鍋暁斎 「群猫釣鯰図」
これは掛け軸で、身を捻って泳ぐ鯰と、その上方に群がっている猫たちが描かれています。猫の目は鋭く、鯰を狙っているようで、ちょっと悪そうな感じw 1匹の猫が采配のようなものを振って指揮している姿もあり、戯画的な要素が国芳との共通点に思えました。 簡素に描かれているものの、墨の強弱もあって面白い作品です。

116 河鍋暁斎 「開化放屁合戦絵巻」
裸の男達がジャンプしたり身を捻った姿勢で描かれ、その尻からは凄い勢いで屁が出ている様子が描かれています。右のほうには洋服を着た人物が鼻をつまんだりしながら取り締まっているようで、これは文明開化の頃の作品のようです。解説によると、こうした小役人たちが権威を振りかざす様子を批判しているそうで、その反骨精神も師匠譲りのように思いました。それにしても滑稽でシュールな作品です。

122 月岡芳年 「松竹梅湯嶋掛軸」
縦2枚続きの作品で、ハシゴに昇る着物の女性が、振り返る姿勢で何かを探している様子が描かれています。背景には火事の様子が描かれていて、解説によるとこれは「八百屋お七」という歌舞伎などでも取り上げられた話を題材にしているようです。お七は以前に火事に遭った際、その避難所で出会った男に恋したそうで、もう一度会いたいと想うあまりに自宅に放火したらしく、ハシゴに昇っているのは男を探しているためのようです。火の粉が舞い、華やかな着物を翻す様子は異様な華やかさで、恍惚のような表情は妖しさがありました。
 参考リンク:八百屋お七のwikipedia 

140 水野年方 「御殿女中図」
これは肉筆の掛け軸で、紅葉したモミジの木の側で傘をさす着物の女性の後姿と、立派な輿の脇に立つ女性が描かれています。全体的に緻密かつ写実的で、身分の高そうな気品があり、淡い色合いが可憐な印象でした。

この辺には肉筆が何点かありました。

162 鏑木清方 「大蘇芳年」
袖に手を入れて腕を組んでいる月岡芳年(大蘇は芳年が病気から回復した頃の画号)の姿を孫弟子の鏑木清方が描いた作品です。すっきりした画風で遠くを見るような表情をしているのですが、これは噺家の噺を聴いている時の様子を、記憶をたよりに描いているそうです。一門の繋がりを感じさせます。

149 池田蕉園 「秋苑」
池田蕉園は水野年方の門下の女性浮世絵師で烏合会のメンバーです。白い猫を肩に乗せたピンクの着物の女性が足元の花?を見ているようで、背景には草木がぼんやり描かれています。全体的に色が淡く、儚げな感じを受けました。猫も一緒に下を見ているのも可愛らしいです。

この辺には烏合会の作品が並んでいました。この頃、世の中が急激に西洋化していったことへの反動から歴史画が流行ったそうで、そうした作品もありました。

158 鏑木清方 「妖魚」
これは6曲1隻の屏風で、海の岩の上に伏せている下半身が魚の人魚が描かれています。長い黒髪と白い肌で、上目遣いが妖しい色気を漂わせ、退廃的な雰囲気です。岩は緑、背景は黄色のためか幻想性を増しているように思えました。解説によると、これは泉鏡花の小説に想を得たそうで、帝展出品作のようです。また、この頃の西洋の世紀末の退廃絵画の影響を受けているとのことでした。
 参考記事:
  清方/Kiyokata ノスタルジア (サントリー美術館)
  清方/Kiyokata ノスタルジア 2回目(サントリー美術館)


<第3章 歌川国芳と洋風表現:五姓田芳柳とその一派>
続いては国芳とその系譜に連なる五姓田芳柳らのコーナーです。国芳は熱心に西洋画を研究していたそうで、国芳に弟子入りした五姓田芳柳は狩野派も学び、その後 横浜で「横浜絵」と呼ばれる和洋折衷の絵を描くようになったそうです。五姓田芳柳も多くの門弟を養っていたそうで、ここにはそうした作品が並んでいました。

167 伝 初代五姓田芳柳 「外国人男性和装像」
これは掛け軸で、立派なヒゲの西洋人が扇子と刀を持って、紋付袴の和装をしています。超細密かつ写実的で、西洋画そのものといった感じを受けました。題材的にもお土産みたいな感じなのかな?

この辺には外国の本を参考に描かれた歌川国芳の「忠臣蔵十一段目夜討之図」もありました。

183 山本芳翠 「眠れる女」
山本芳翠は芳柳の弟子で、後に渡仏しパリでアカデミズムの画家にも師事した画家です。これは腕を組んで顔を伏せて寝ている女性が描かれた作品で、油彩で描かれています。気持ちよさそうに安らかな表情をしていて、こちらも西洋画と見まごう作風でした。

この辺は油彩画が並んでいました。


<第4章 郷土会の画家たちと新版画運動>
最後は鏑木清方の門下の郷土会に関するコーナーです。郷土会は清方門下の画塾での研究成果を世に問うために組織されたそうで、1915年から1931年まで16回に渡って展示会が開催されたようです。また、浮世絵商の渡邊庄三郎は伝統的な版画の技法や製作工程を後世に残し、時代に即した新たな木版画を生み出すべく、「新版画」を構想していました。そして渡邊庄三郎は郷土会の場で伊東深水の絵を目にとめ、それがきっかけで深水の最初の木版画「対鏡」が渡邊庄三郎の版元で刊行されました。鏑木清方も弟子たちに新版画運動を薦めたようで、興味を持った川瀬巴水を筆頭に、他の弟子たちも新版画を取り組んでいったそうです。ここにはそうした作品が並んでいました。

196 鏑木清方 「水汲」
これは掛け軸で、2つの桶を天秤にして水汲みして運ぶ女性が描かれています。頭に布を巻いた横向きの姿で、桶をおいて休んでいるのかな。背景には草木の淡い緑が描かれ、全体的に爽やかな雰囲気がありました。

近くには清方の「にごりえ」(樋口一葉の作品の挿絵?)などもありました。

204 伊東深水 「暮方」 ★こちらで観られます
2枚の襖のようなもの(額)に描かれた大きな作品で、窓辺の鏡に向かって、髪にかんざしを刺そうとしている湯上りの芸者が描かれています。窓には風鈴や朝顔、畳には団扇などがあり涼し気な雰囲気です。芸者の顔が見えませんでしたが、凛とした雰囲気がありました。

この辺には清方の風景画などもありました。

215 伊東深水 「対鏡」
赤い着物の横向きの女性を描いた作品で、黒髪に白い肌をしています。この作品が新版画最初の作品のようで、背景はザラ摺りと呼ばれるざらついた質感をしています。この摺りは伝統的な摺師が嫌っていたようですがあえて使ったようです。色の取り合わせも強く、色鮮やかで色っぽい雰囲気がありました。

この辺は深水や巴水、山川秀峰などの木版が並んでいました。また、3歳の頃に日本に来て絵を学んだポール・ジャクレーという人の作品もあり、日本だけでなく朝鮮やミクロネシアの風俗が描かれていました。
 参考記事:
  伊東深水-時代の目撃者 (平塚市美術館)
  東京国立近代美術館の案内 (2011年12月)

242 川瀬巴水 「雪に暮るる寺島村」(東京十二題より)
巴水の代表作「東京十二題」も6点展示されていました。これは小さな用水路とその脇の家々を描いた作品で、道には傘をさした人の姿があり、周りは雪景色となっています。家々からは黄色い明かりが漏れていて、寒々しい風景の中にほっとするような温かみを感じました。
 参考記事:馬込時代の川瀬巴水 (大田区立郷土博物館)

この近くにあった247 笠松紫浪「春の夜-銀座」も好みでした。また、巴水の弟子で横浜で絵を描いていた石渡江逸などの作品もありました。


ということで、国芳一門のダイジェスト版またはベスト版と言えそうな内容となっていました。見た目の美しさだけでなく洒落や遊び心、探究心などが脈々と受け継がれていることが分かるのも面白かったです。


おまけ:
年末で仕事が忙しくて更新がちょっと間が空いてしまいました。冬休みになったので、年末年始は特別企画を考えています。最近、大型展示も終わってアクセスが激減し、モチベーションも低下しているので変わったネタで心機一転しようと思います。


 参照記事:★この記事を参照している記事




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生誕100年松本竣介展 (感想後編)【世田谷美術館】

今日は前回の記事に引き続き、世田谷美術館の「生誕100年松本竣介展」の後編をご紹介いたします。前編には初期の作風なども記載しておりますので、前編を読まれていない方は前編から先にお読み頂けると嬉しいです。


 前編はこちら


P1070620.jpg

まずは概要のおさらいです。

【展覧名】
 生誕100年松本竣介展

【公式サイト】
 http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120925_155300.html
 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

【会場】世田谷美術館
【最寄】東急田園都市線 用賀駅

【会期】2012年11月23日(金)~2013年1月14日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日15時半頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
前編では1940年~41年頃に作風が変わったことについて触れましたが、後編の3章からはそれ以降の晩年(36歳)までのコーナーです。


<第3章 後期:風景>
画風を大きくさせた竣介は、風景画も精力的に描いたそうで、抑制された静謐な画面は後に「無音の風景」と呼ばれたそうです。ここでは題材ごとに節に分かれて展示されていました。

[3-1 市街風景]
竣介は東京各所を歩きまわって風景を採取したそうで、ここには市街の風景画が並んでいました。

P078 松本竣介 「丸内風景」
丸いドームのある建物と鉄塔、中央辺りには黒い人影が描かれた作品です。全体的に褐色がかっていて暗く、幾何学的な感じを受けます。静かでどこかシュールさすら感じるかな。たまにアンリ・ルソーを彷彿とする作風です。


[3-2 建物]
続いては建物のコーナーです。画風の変遷のいかんに関わらず竣介にとって建物は最大の関心事であり続けたそうで、ここには建物を描いた作品が並んでいました。(とは言え、その解説通り建物の作品は全編に渡って展示されていますが…)

P084 松本竣介 「市内風景」
塀に囲まれた三角屋根の建物が描かれた作品で、右端の塀際には3人の人影が描かれています。これは竹橋付近を描いた作品だそうですが、ガランとした印象を受けて、色も土気色で寂寞とした雰囲気でした。

この頃の作品は1人から数人の人物が描かれていて寂しい感じの作品が多いように思えました。


[3-3 街路]
竣介は道のある風景も好んで選んでいたのが見て取れるそうで、建物と合わせて主要な構成要素だったそうです。ここにはそうした道を描いた作品が並んでいました。

P086 松本竣介 「議事堂のある風景」
右下あたりに大きくカーブしている道があり、その背景にはそびえるような国会議事堂が描かれた作品です。左には煙突や建物、手前にはリアカーを引く人影も描かれていて、深く暗い青色で覆われているためか、寂しげな印象を受けました。解説ではカーブしていく道が国会に吸い込まれるようだとのことでしたが、確かにそう感じられる構図が面白かったです。


[3-4 運河]
この頃の東京には運河が多かったそうで、竣介は運河にかかる橋も好んでモチーフにしていたそうです。

P089 松本竣介 「橋(東京駅裏)」
川にかかる橋を描いた作品で、周りには街灯かなにかの柱が立ち並んでいます。その垂直の線がリズムを生んでいるのですが、橋は冷たく重い印象を受けました。東京駅の裏なのに、人っ子一人いない静寂の雰囲気です。これは以前何処かで観た覚えがあるのですが、何処だったか思い出せず…。


[3-5 鉄橋付近]
竣介には鉄橋付近を描いた作品がいくつかあるようで、これは五反田駅へつながる鉄橋と目黒川が交差する辺りの風景と考えられているそうです。ここには同じような風景の作品が並んでいました。

P092、P091 松本竣介 「鉄橋付近」「鉄橋近く」
92は鉄橋近くの建物を描いた作品で、排水口や電柱など幾何学的な要素も多い画面となっています。全体的に褐色がかっていて、ちょっとどんより重苦しい感じをうけるかな。その隣の91は92と同じ下絵をもとに描かれている作品ですが、こちらは空が大きく取られ全体的に青みがかった色合いとなっていました。その為、こちらは幻想的というか、ちょっと寂しげながらも惹かれるものがありました。

ここにはスケッチなどもありました。似た風景画が並んでいます。


[3-6 工場]
竣介の視線は都会の裏側に向かっていったと考えられるそうで、無機的な工場を描いた作品もそういった傾向の一端を担っているそうです。ここには工場を描いた作品が並んでいました。

P093 松本竣介 「工場」
沢山のビルのような建物が密集している工場を描いた作品です。この辺りに展示されている作品は青や褐色で統一された色合いとなっていますが、この作品は建物のそれぞれに色がついている感じで、一見してちょっと他と違って観えました。ざらついた質感があり、以前の作風も想起するかな。まだ画風が変わっているようにも思いました。


[3-7 Y市の橋]
「Y市の橋」とは横浜駅近くの新田間川にかかる月見橋のことで、竣介は横浜まで足を運んでスケッチしていたらしく、とりわけこの橋を気に入っていたようです。また、竣介は生活のために1944年ころから理研化学映画に入社したそうで、東京大空襲の後には勤務地が大船に移り、落合から数時間かけて通っていたそうです。しかしその間にも横浜も大空襲を受け、この橋の辺りも被害が出たそうです。このコーナーには変わり果てた橋を描いた戦後の作品もあり、様々な角度・時期に描かれた「Y市の橋」が並んでいました。
 参考記事:
  東京国立近代美術館の案内 (2010年12月)
  岩手県立美術館の案内 (番外編 岩手)

P097 松本竣介 「Y市の橋」
これは東京国立近代美術館の常設にある作品で、倉庫か工場のような大きな建物を背景に川にかかる橋が描かれています。橋の上には黒い人影があり、深い青色が静かな雰囲気です。細い線で描かれた欄干など写実的な感じがありつつもちょっとシュールな感じも受けました。
この近くには褐色のY市の橋もありました。また、100「Y市の橋」(戦後の1946年作)には、ぼろぼろになって鉄がへし曲がっている無残な様子が描かれていて、空襲の被害を感じさせました。


[3-8 ニコライ堂]
竣介はニコライ堂も気に入って何度も描いていたらしく、ここにはニコライ堂をモチーフにした作品が並んでいました。
 参考記事:ニコライ堂と神田明神の写真

P103 松本竣介 「ニコライ堂と聖橋」
手前にアーチ状の橋があり、奥にニコライ堂が見えている風景を描いた作品です。全体的に青く落ち着いた色使いで、若干沈んだ雰囲気に思います。また、ざらついた質感があり、堅牢な印象を受けました。解説によると、これは実景にはない角度のようで、配置を変えて描いているようでした。

この辺には様々な角度から描いたニコライ堂の作品が並んでいました。全体的に赤っぽい色合いの作品もあります。


[3-9 焼け跡]
東京大空襲の後、竣介は家族を疎開させたようですが、自分自身は東京に残りました。20歳の頃に耳の障害を理由に兵役は免除されていたものの、多くの知人・友人が戦地へと送られていく中で、東京に留まることを自身の姿勢として選択していたそうです。その後、自宅の周辺だけは奇跡的に助かったものの、落合も焼け野原になり生活は困窮していったようですが、それでも絵を描いていたようで ここには空襲の焼け跡を描いた作品が並んでいました。

P110 松本竣介 「神田付近」
高いところから見下ろすように描かれた神田付近の風景画です。地平線が低く全体的に赤みがかっていて、所々に建物が残っているものの廃墟そのものといった感じで、寂しく不穏な雰囲気があります。人の姿が無いのが逆に怖いような…。

この近くには兵隊風の人物の肖像などもありました。また、その次の部屋には資料が並んでいて、絵入りの手紙や、前編でご紹介した「雑記帳」の原稿、たくさんのスケッチ帳、美術雑誌の「みずゑ」(美術は時局に関係なく自律的普遍的 意味があると訴えた記事)、麻生三郎ら仲間に宛てた手紙などがありました。スケッチにはY市の橋やニコライ堂の様子も描かれていて参考になります。


[2-6 童画]
このコーナーは小部屋で、ここだけ2章の内容となっていました。ここには童画と呼ばれる作品があり、これは幼い次男が描いた絵を元に制作されたものらしく、次男はよくアトリエに来て絵を描いて遊んでいたそうです。

P074 松本竣介 「汽車」
辛うじて線路と汽車の形を見て取れるものの、抽象的な感じの作品です。暗い背景に白で描かれていて、素朴で力強い印象を受けるかな。いかにも子供の絵のように見えますが色合いなどは竣介らしい感じに思いました。

この辺には象、牛、セミなどを描いた作品もありました。


<第4章 転換期>
最後の章は終戦前後の晩年のコーナーです。竣介は家族を疎開させた後も東京に残ったのですが、物資困窮の生活を余儀なくされ、生活のために仕事に忙殺され続けたようです、しかしそんな状況でも新たな文芸誌創刊の計画に奔走し、美術家組合の結成を呼びかけ、絵を描いていたそうです。
戦後の1947年には近しい新人画会の画友と共に自由美術協会の再建に参入し、それを機に新たな主題と画法の作品を発表して周囲を驚かせたそうです。それらは戦中に庭の土中に埋められていた赤褐色の絵の具を地色としたもので、大胆な黒の線描をもって人体を抽象的に描いたようです。しかし、再び新しい画風の端緒を見せ始めた36歳で病死してしまったようで、ここには最晩年までの作品が並んでいました(巡回によっては絶筆も展示されたそうです)

[4-1 人物像:褐色に黒]
新たな画風は赤褐色の背景にキュビスム的で大胆なデフォルメで描かれた力強い黒の線が特徴らしく、ここにはそうした作品が並んでいました。

P112 松本竣介 「人」
赤褐色の画面に人らしき姿が描かれた作品です。黒く太い輪郭線で描かれているのですが、人はどこがどの部分か何となく分かる程度で抽象的な感じを受けます。燃えるような赤の色が強く、色の持つ力強さが印象的でした。

この辺は似た雰囲気の作品が並んでいました。


[4-2 新たな造形へ]
晩年の竣介は、持病の気管支喘息に加え結核にも蝕まれていて、さらに過労が重なり病臥していたそうですが、それでも弛まず未来を展望し続け、新しい絵画を模索していたようです。荒々しい筆致で性急に抽象化を推し進めた後、西欧の古典芸術への憧憬を模索し始めていたようです。ここにはそうした晩年の作品が並んでいました。

P122 松本竣介 「彫刻と女」 ★こちらで観られます
高い台に乗った人物の頭部の彫刻と、それを撫でるような女性の立ち姿を描いた作品です。やはり背景は赤黒い感じですが、彫刻と女性は具象的で、表情も読み取れるような感じでした。独特の力強さと静けさを湛えた作品でした。


ということで、1階2階をフルに使った本格的な個展となっていました。時系列で初期から晩年まで俯瞰でき、さらに代表作も観ることができたので満足できました。今まで以上に松本竣介を好きになれる展示でした。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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生誕100年松本竣介展 (感想前編)【世田谷美術館】

この前の土曜日に、用賀の世田谷美術館に行って「生誕100年松本竣介展」を観てきました。かなりの点数でメモも多めに取ってきましたので、前編・後編に分けてご紹介しようと思います。

P1070618.jpg P1070622.jpg

【展覧名】
 生誕100年松本竣介展

【公式サイト】
 http://www.nhk-p.co.jp/tenran/20120925_155300.html
 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

【会場】世田谷美術館
【最寄】東急田園都市線 用賀駅


【会期】2012年11月23日(金)~2013年1月14日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日15時半頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
予想以上にお客さんは多かったですが、混んでいるというほどでもなく自分のペースで観ることができました。

さて、今回の展示は昭和に活躍した洋画家 松本竣介の個展です。この展示には去年他界された妻の松本禎子(まつもとていこ)氏の協力もあったそうで、学生時代の初期から最晩年に至るまでかなりの充実度で、まさに松本竣介の決定版と言える展覧会となっていました。時系列・主題によって4つの章22の節に分かれていましたので、詳しくはそれぞれのコーナーで気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。なお、同じタイトルの作品も多いので、作品番号も記載しておきます。また、この展示は12/18以降は後期展示の内容となっているそうで、素描などが入れ替わっているようです。私が観たのは後期でした。


<第1章 前期>
1章は2階の第1会場です。松本竣介(本名:佐藤俊介 結婚後に松本姓にした。1944年から竣介を名乗る)は1912年に東京に生まれ、父の都合で2歳の頃に岩手の盛岡に移り少年時代を過ごしました。小学校の頃は成績優秀で首席で卒業したそうですが、旧制中学の入学式当日に突然病(脳脊髄膜炎)に倒れ、生死の淵をさまよった後に一命は取り留めたものの聴力を失ってしまいました。しかしその1年後には復学したそうで、その頃 東京にいた兄から油彩道具を送ってもらったことがきっかけで、絵に夢中になったようです。17歳になると兄のいる生地 東京に上京し、すぐに太平洋画会研究所選科に通い始め、制作や勉学に励み画との出会いを重ねたようです。ここにはそうした若き頃の初期の作品から決定的な画風の変化を見せ始める1940年~1941年頃までの作品が並んでいました。

[1-1 初期作品]
まずは学生時代の作品が並んでいました。中学時代は絵を学ぼうとする素朴で真摯な態度が伺えるそうで、竣介自身は「個性が出ていない。風景の模写に過ぎぬ」と自己評価するなど当時から早熟の才能を見せていたようです。また、盛岡の自宅近くのモダンな建物に特別な関心を持っていたようで、建物についてはこの先ずっとモチーフとして描かれているようでした。

P001 松本竣介 「自画像」
学ラン姿で学帽を被り、キャンバスに向かう自画像です。こちらを見ていて鏡を観て描いているのかな? 背景は茶色と焦げ茶の市松模様となっていて、全体的に落ち着いた色合いとなっていました。結構写実的な画風です。

P003 松本竣介 「初秋の頃」
周りに畑や木々が立ち並ぶ田舎道を描いた作品で、奥には家が並んでいます。背景には青空が広がっていて、全体的に明るめの色調に感じます。対角線上に木や家の屋根が描かれている構図が面白く思いました。穏やかな雰囲気の作品です。

この辺は風景画と肖像画が並んでいました。セザンヌやマティス、印象派などを彷彿とすることもありますが、まだちょっと硬い印象を受けるかな。たまにP006「春のスケッチ」のように抽象的な作品もありました。画風がよく変わります。


[1-2 都会:黒い線]
上京から6年経った頃には既に太平洋画会研究所選科を離れ独自の道を歩み始めていたらしく、1935年に「建物」という作品が二科展で初入選し、「何よりも建物のたっているということが僕にとって最も大きな魅惑なのだ」と語っていたそうです。また、兄が創刊した雑誌「生命の藝術」の編集の手伝いをしながら文章や挿画を数多く手がけたようです。
この時期の作品の骨太の線にはルオーやモディリアーニの影響があったと言われているそうで、構図は独特のものがあるようです。(この頃に自分で撮った写真も絵画と似たアングルらしく、写真についてはこの章の最後の方に展示されていました)

P010 松本竣介 「建物」
手前にアパートのような家や商店のような建物があり、奥には低層のビルが立ち並んでいる様子が描かれた作品です。これが二科展で初入選した作品で、画面を圧迫するような感じで太い輪郭線を使って描かれています。また、くすんだような色合いをしていて、迫力と重厚感があるように思いました。水平・垂直の線も多く、この隣にあった作品も同様の作風となっていました。

この先は小さめの肖像画やスケッチなどが並んでいました。暗めで抑えられた色合いをしていて、確かにルオーを思い起こす太い輪郭線やざらついた感じが特徴のようでした。


[1-3 郊外:蒼い面]
二科展入選の後、画家として本格的な活動をスタートさせた竣介は、1936年(入選の翌年)に松本禎子と結婚し、これを機に佐藤姓を松本姓に改め、下落合に新居を構えました。そしてそのアトリエを「綜合工房」と名付け、夫婦協働によって月刊誌「雑記帳」を創刊したそうです。また、1937年の二科展には「郊外」という作品を出品し、青や緑の色面を基調とした新たな画風を打ち出したようで、これは新居周辺の環境から啓発されたものだそうです。(近隣にはモダンな洋風住宅が立ち並ぶ目白文化村というエリアもあったそうです) ここにはそうした新たな画風の作品が並んでいました。

P020 松本竣介 「郊外」 ★こちらで観られます
全体的に深い緑や青で覆われた作品で、中央付近に白い壁の建物が描かれ、明るく見えます。その周りには3人の人影があり、遊んでいるのかな? 背景は丘のようになっていて、その中腹には家々が点在していました。かなり簡略化された作風で、深い色合いが印象的でした。この辺には似た構図の作品や、同じ色調の作品が並んでいて幻想的な雰囲気がありました。


[1-4 街と人:モンタージュ]
妻と制作していた雑記帳が財政的な理由で第14号で終刊になると、竣介は絵画制作に専念したそうで、1938年の第25回二科展には「街」という作品を出品しました。これは風景画と人物画を融合させた「モンタージュ」と形容された作風で、前期を代表する画風となったようです。

P035 松本竣介 「N駅近く」
全体的に褐色の風景画で、色の上に黒の輪郭線で建物や人物を描くような感じです。簡略化が進み、ハシゴのような線路を走る汽車らしきものや、抽象的な人物像、幾何学的な建物などが描かれ、リズム感がありました。確かに人物像と風景が混ざったような作風です。

P038 松本竣介 「都会」 ★こちらで観られます
絵の中央下あたりに1人の婦人像があり、その周りに婦人より小さなビルなどが描かれています。背景にも橋や建物が描かれ、全体的に青や緑で覆われた感じです。色合いは前の節で観たのと似ていますが、構図はだいぶ変化していて、より幻想的な雰囲気となっていました。


[1-5 構図]
続いては「構図」と題された一連の作品のコーナーです。この作品群からは様々なモチーフを色や線を用いて自由に無心に描く楽しさが伝わるそうで、子供の落書きのようにも見え、後に描かれる童画にも繋がっていくそうです。また、パウル・クレーやジョアン・ミロの作品を彷彿させるところもあるそうで、ここにはそうした作品が並んでいました。
 参考記事:
  パウル・クレー おわらないアトリエ (東京国立近代美術館)
  ジョアン・ミロ展

P045 松本竣介 「構図」
鮮やかな緑を背景に、ハシゴや棒人間などが描かれた作品です。白や緑などで謎の幾何学模様も表されていて、何を描いているかはわかりませんが、色合いなどから確かにミロを彷彿させました。
この近くにはクレーのような色合いの作品もあり、いずれの作品にもハシゴ状(線路?)が描かれていました。お気に入りのモチーフだったのかな?

この先には竣介が撮った写真が並んでいました。新宿や高田馬場、青山一丁目など都内の建物や線路を撮った作品が多く、トリミングされたような構図が面白いです。そしてその先には出版関連の仕事が並んでいて、「新岩手人」や「岩手文芸」、「生命の藝術」「雑記帳」の14刊全て、小説の挿絵などがありました。雑記帳をちょっと読んでみたのですが、味噌汁について自分の考えを書いたりしていましたw

その次の部屋には素描やKOZUと描かれた手帳の作品集、モディリアーニ、ルオー、ピカソ、マティス、ゴッホ、ルソーなどの画集、綜合工房の看板、自宅アトリエの平面図などがありました。そして第1会場の最後の部屋にも資料が並び、個展の目録やグループ展の目録が展示されていました。日動画廊で個展や舟越保武・麻生三郎などとのグループ展を行なっていたようです。 また、壁には年表と写真もありました。


<第2章 後期:人物>
続いての2章からは1階の第2会場です。竣介は1940年に東京の日動画廊で個展を開いたそうで、出品作は30点でわずか3日だったそうですが、この個展の頃から画風は変わっていったようです。この章では個展以降に制作された人物像が並んでいました。

[2-1 自画像]
竣介は個展以降、にわかに古典的なリアリズムの作品を描いたようで、東西の個展より写実の系譜を参照しつつ、謎めいた静けさを湛える人物画や風景画を描いたようです。ここにはそうした時期の自画像が何点か並んでいました。

P048 松本竣介 「顔(自画像)」
やや横向きでこちらをちらっと見る若い姿の自画像です。優しそうな顔で、色は落ち着いて結構写実的に描かれていました。前章ではかなり単純化が進んでいただけに、具象に戻ってきた感じを受けました。

この辺には自画像が並んでいるのですが、叫んでいるような素描もありました。また、油彩はちょっとずつ作風が違っているように思えました。


[2-2 画家の像]
竣介は戦争色の濃くなった1941年~1943年の二科展に、3回連続で自身が中央に立つ100号大の大作を発表したそうです。戦時統制で画材の調達も困難になるなど、美術を取り巻く状況も逼迫していたようですが、この作品からはその中でどう生き抜くべきか、覚悟のほどを受け取ることができるそうです。また、1941年の美術雑誌「みづゑ」で「芸術は時局のいかんにかかわらず、自律的普遍的な意味がある」と訴えたそうです。(これが反体制的と捉えられたのか、一時はマークされていたようです) ここにはそうした時期の作品が並んでいました。

P053 松本竣介 「立てる像」 ★こちらで観られます
これは今回のポスターにもなっている大きな作品で、丸いボタンのついた服を着た画家自身が立っている様子が描かれています。背景の地平線がやけに低くく建物が小さいためか、画家が巨人のように見えて、この世田谷美術館にあるアンリ・ルソーの「フリュマンス・ビッシュの肖像」を思い起こしました。腕をだらりとさせて遠くを見るような顔は、これからどうするのか考えているようにも観えました。
 参考記事:世田谷美術館の常設 (2010年08月)

この近くには同じくらいのサイズの人物像(自画像?)があり、褐色がかった画面に家族らしき人たちと共に描かれていました。


[2-3 女性像]
続いては女性像のコーナーです。竣介の描く女性像は妻を想起させるようですが、実際に彼女がモデルとしてポーズをとったのは「画家の像」という作品の素描の時だけだそうです。竣介の女性像は謎めいて無表情で、口を閉じて虚空を見つめている という特徴の作品が多いらしく、ここにもそうした作品が並んでいました。

P057 松本竣介 「黒いコート」 ★こちらで観られます
赤黒い背景に、黒いコートと白い手袋の女性が描かれた作品です。胸元に手を当てて座っていて、目は若干虚ろに見えるかな。手の辺りは細い線描となっていて、藤田嗣治との類似を指摘する向きもあるそうです。(確かにそう見える) 深い色で芯のありそうな不思議な雰囲気の作品に思いました。

この辺には素描もありました。どちらかと言うと、素描のほうが藤田と似ている気がしました。また、その後には戦後の時代の作品もあり、また抽象っぽくなっていました。


[2-4 顔習作]
こちらは点数が少なめのコーナーで、顔を描いた習作が並んでいました。

D043 松本竣介 「踏切番の顔」
横を向いた老人の顔の素描で、皺の凹凸が深く、髪はないのですが骨太な印象を受けます。解説によると、この老人は踏切番らしく、耳の聞こえない竣介が自宅付近の中井駅で警報が聞こえず、危うく事故になりかけた時に親しくなったそうです。

この隣には羅漢を描いた異様な雰囲気の作品もありました。


[2-5 少年像]
竣介は1942年頃から盛んに子供の絵を描くようになったそうで、その背景には次男の存在があったようです。結婚直後に長男が亡くなったこともあり、この頃3歳になった次男は夫妻の愛情を一心に受けていたそうです。しかし、描かれているのは匿名的な少年のイメージらしく、ここには素朴な画風の少年像が並び、まだ画風が変わっているような印象を受けました。


ということで、今日はここまでにしておこうと思います。松本竣介は後期の作風は結構観たことがあるのですが、今回はそれ以前の作風に触れることもできて参考になりました。特に緑や青を多用した作品はそれはそれで気に入ったので楽しめました。後半はさらに画風が変わり、有名な傑作もありましたので、次回はそれについてご紹介しようと思います。


   → 後編はこちら



 参照記事:★この記事を参照している記事



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映画「レ・ミゼラブル」(ネタバレなし)

この前の金曜日の夜に、レイトショーで公開初日だった映画「レ・ミゼラブル」を観てきました。

2012-12-21 21.24.08

【作品名】
 レ・ミゼラブル

【公式サイト】
 http://www.lesmiserables-movie.jp/
 (※公式サイトTOPのフラッシュはネタバレ要素満載です)

【時間】
 2時間40分程度

【ストーリー】
 退屈_1_2_3_4_⑤_面白

【映像・役者】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【総合満足度】
 駄作_1_2_3_4_⑤_名作

【感想】
公開初日ということもあって、レイトショーでも混んでいるような人気ぶりでした。

さて、この映画は有名なミュージカルを映画化したもので、監督は「英国王のスピーチ」でアカデミー賞監督賞も受賞しているトム・フーパーとなっています。主演もヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウなど実力派が揃い、否が応にも期待せざるを得なかったのですが、期待以上の感動的な映画となっていました。

まず、私はこの作品を観たり読んだりしたことがないのですが(子供の頃に部屋に「ああ無情」の本はありましたが理解できず…w)、1人の男の人生をめぐる壮大なストーリーで、19世紀初頭から中盤頃にかけてのフランス・パリを舞台に、当時の事件や環境を交えながらストーリーは進んでいきます。この辺はフランス関連の美術展などで得た知識で大体分かったのですが、知らなくても大筋は理解できるので問題ないと思います。

そして、ミュージカルなので最初から最後まで歌いっぱなしです。 私はミュージカルはあまり好きではなかったのですが、音楽の良さと歌の良さで圧倒されました。(たまに、そこは普通に話せば良いだろwと思うのは門外漢たる所以でしょうか。) 役者や映像も真に迫るもので、当時の様子を違和感なくリアルに伝えてきました。全編に渡って貧しい人々が出てくるのですが、その苦しみや葛藤もよく表現されています。 

肝心のストーリーはキリスト教の精神に基づいた奥深いもので、各人の信念や願望が名優たちによって強く打ち出されていました。たまにそんな都合よく展開するのかな?と思うところもありますが無粋かなw 流石に長年愛されているだけのことはあります。(観た後に色々調べてみたのですが、若干ストーリーが小説版とは異なっている点もあるかも知れません。)


と、これ以上は詳しく書かないようにしようと思いますが、大変に感動できる映画となっていました。これは是非、音響設備の良い劇場で観ておきたい作品です。私は正月休みにでももう一度観に行こうか考え中で、ミュージカルにも興味が湧きました。今年最後のお勧めの映画です。



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【大田区立郷土博物館】の常設(2012年12月)

前回ご紹介した展示を観た後、同じ大田区立郷土博物館の2階・3階にある常設展も観てきました。

【公式サイト】
 http://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/hakubutsukan/jyosetuten24.html

【会場】大田区立郷土博物館
【最寄】西馬込駅、馬込駅、大森駅など


【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間00分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日15時半頃です)】
 混雑_1_2_3_4_⑤_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_③_4_5_満足

【感想】
こちらは空いていてほぼ貸切状態で観ることが出来ました。

さて、この博物館はその名の通り、大田区の歴史や文化を伝える為の施設のようで、常設展は多岐にわたる品々が並んでいました。簡単にですがメモを取ってきましたので、観た順にご紹介しておこうと思います。


<馬込文士村>
まず3階から観て行きました。最初は馬込文士村というコーナーで、この博物館のある馬込には大正末期から昭和初め頃にかけて多くの芸術家が集まっていたようです。尾崎士郎(作家)、宇野千代(作家)、萩原朔太郎(詩人)、室生犀星(作家)、川端康成(作家)、北原白秋(作家)、小林古径(画家)、川端龍子(画家)、川瀬巴水(画家)など錚々たる面々の名前が挙がっていて、尾崎士郎が会う人ごとに馬込は良いぞと吹聴して誘ったのが文士村となったきっかけとなったようです。

ここには文士村の立体地図模型があり、ボタンを押すと電球が光ってどこに住んでいるのか分かるようになっていました。小林古径と川瀬巴水は結構ご近所で高台に住んでいるなど、ボタンを連打して調べてきましたw

その先は各芸術家についての資料が並ぶコーナーです。

尾崎士郎のコーナーには「人生劇場」という本や書、尾崎の書簡、雑誌などがありました。 その隣の宇野千代のコーナーには「スタイル」という婦人雑誌があり、尾崎との関係についても解説されていました。尾崎とは相思相愛の仲だったそうですが、やがて別居して宇野千代は東郷青児(画家)と暮らすようになり馬込を離れていったそうです。まさかここで東郷青児の名前まで出てくるとは…w 日本の芸術家も結構繋がりがあったんですねえ。

その後は吉田甲子太郎(よしだきねたろう 翻訳家)や室生犀星の本や生活用品、川瀬巴水と伊東深水の作品もあり、前回ご紹介した「東京二十景 馬込の月」も展示されていました。

少し先には川端龍子の書簡と双六がありました。何故 双六なんだろう…w 画風もあまり川端龍子っぽくない感じです。 その先には真野紀太郎(画家)の十和田湖の絵葉書、北原白秋の本や書簡、北原白秋邸の窓枠なんてものもありました。たまにチョイスが謎なものがありますw

少し折り返して部屋の逆側には佐多稲子(作家)や村岡花子(翻訳家)の本や原稿がありました。何故か大田区に赤毛のアンの記念館があるのは、この村岡花子が翻訳したからだと知ってちょっと納得。赤毛のアンの翻訳原稿などもありました。

その近くには佐藤惣之助(詩人)のコーナーがありました。佐藤惣之助はある意味この文士村で一番今でも親しまれている作品を残していて、大阪タイガースの歌(現:阪神タイガースの歌。六甲颪)の歌詞を作った人です。ここには書簡や本などが並んでいました。

次の部屋に進むと、小林古径のコーナーで、ここには画集と古径の家の模型がありました。母屋と同じくらい大きな画室がある結構大きな邸宅で、画室は25畳くらいあるかな?? これは参考になりました。


<昔の道具 大田の職人 海苔養殖>
その後は大田区についてのコーナーで、昭和頃のちゃぶだいと食事を展示したものや、馬込の職人について紹介されていました。馬込には鍛冶屋、紺屋などの職人がいたようです。 そして次の部屋は海苔づくりに関するコーナーで、小舟や海苔づくりの模型、東京湾の魚などが展示されていました。この辺はそんなに興味が有るわけではないですが、海苔づくりの方法は知らなかったので参考になりました。


<大田区のモノ作り>
続いては大田区の町工場や大森麦藁細工というものについてのコーナーでした。工場の方は特に面白くもなかったのですが、麦藁細工のほうは中々の見所で、大森では江戸時代から盛んに行われ、編細工と張り細工の2種類があるようです。動物を象ったものや押絵貼りのようなものをあわせて作った箱、木の箱かと思うような(寄木細工みたいな)もの、雛道具の箪笥など、これを藁で作っているのか!?と驚く品々が並んでいました。


<羽田空港>
麦藁細工と同じ部屋には羽田空港に関するコーナーもあり、飛行機の模型や解説などがありました。ここは展示物も少ないので割愛。

<戦争と暮らし>
3階の廊下には戦時中の品々が並ぶガラス棚があり、出征の際のお祝いの旗や、防空頭巾、配給切符、学童疎開に関する品などが並んでいました。

続いて2階に向かいました。階段には安西啓明・山下忠平という2名の画家の作品があり、昭和頃の馬込の風景が描かれていました。

<水をめぐる>
最後は大田区の水に関するコーナーです。六郷用水という用水路に関する資料が並び、床には用水の流路図があります。また、部屋の奥には大森厳正寺水止舞という獅子舞の衣装があり、最後は農業や電気・ガス・水道・多摩川について説明していました。この辺はちょっと詰め込みすぎで中途半端な気もしますが、地元の人の生活資源について知ることができるようでした。


ということで、そんなに規模は大きくないのですが、文士村に関してなど参考になる展示もありました。もしこちらに行く機会があったら、常設も覗いてみると良いかと思います。



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馬込時代の川瀬巴水 【大田区立郷土博物館】

この前の日曜日に、大田区の馬込にある大田区立郷土博物館で「馬込時代の川瀬巴水」を観てきました。

P1070613.jpg P1070610.jpg

【展覧名】
 馬込時代の川瀬巴水

【公式サイト】
 http://www.city.ota.tokyo.jp/event/event_bunka/kikakuten24_hasui.html

【会場】大田区立郷土博物館
【最寄】西馬込駅、馬込駅、大森駅など


【会期】2012年12月1日(土)~12月24日(月)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間00分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日14時半頃です)】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
無料ということもあってか結構ひっきりなしにお客さんが来ていて、会場は狭いのでたまに通りにくいことなどがありました。まあ、混んでいるというほどではありません。

さて、今回の展示は川瀬巴水という大正・昭和期に活躍した画家の個展となっています。私は東博などでこの画家の作品が気に入って前から個展を期待していたので、この展示を知って即座に観に行く事を決めましたw 冒頭に簡単な経歴があり、それによると川瀬巴水は1883年(明治16年)に現在の新橋に生まれ、1910年(明治43年)に鏑木清方に入門し、1918年(大正7年)に同門の伊東深水の連作版画「近江八景」を観て感激して、版画制作の道に入りました。それ以降、版元の渡邊庄三郎の元で版画絵師として活躍したそうで、1926年(大正15年)にこの博物館のある現在の大田区に引っ越してきました。川瀬巴水はそれから死ぬまで大田区で活躍した(疎開の時を除く)そうで、700点の作品を残し、その生涯を振り返って昭和5年から19年過ごした馬込での生活を「さほど豊かでは無かったが一番面白い時期でもあった」と回想していたそうです。この展示ではその馬込の時代の作品と共に、版元の渡邊庄三郎との関わりなどを中心に展示されていました。特に章分けなどはありませんでしたが、いつも通り気に入った作品と共に会場の様子をご紹介しようと思います。
なお、川瀬巴水の師匠を遡っていくと歌川国芳などがいます。(歌川国芳→月岡芳年→水野年方→鏑木清方→川瀬巴水・伊東深水です) その流れについては今回は説明を割愛しますので、気になる方は参考記事を御覧ください。

 参考記事:
  東京国立博物館の案内 (2009年12月)
  東京国立博物館の案内 (2011年11月)
  東京国立近代美術館の案内 (2012年02月)  

  清方/Kiyokata ノスタルジア (サントリー美術館)
  清方/Kiyokata ノスタルジア 2回目(サントリー美術館)
  上村松園と鏑木清方展 (平塚市美術館)
  伊東深水-時代の目撃者 (平塚市美術館)

  月岡芳年「月百姿」展 後期 (礫川浮世絵美術館)
  没後120年記念 月岡芳年 感想前編(太田記念美術館)
  没後120年記念 月岡芳年 感想後編(太田記念美術館)

  歌川国芳-奇と笑いの木版画 (府中市美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 前期:豪傑なる武者と妖怪 (太田記念美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想前編(太田記念美術館)
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想後編(太田記念美術館)
  奇想の絵師歌川国芳の門下展 (礫川浮世絵美術館)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想後編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想後編(太田記念美術館)  


展示の最初は版元の渡邊庄三郎の店や摺師の仕事場の様子などの写真がありました。芸術性が高く、仕事も律儀な巴水は多くの版元と関わったそうですが、渡邊庄三郎 以外のところではお互いの思惑が中々一致することができず、苦労していたようです。この頃の巴水は「戦争で気が落ち着かず、写生にも行き詰って変わり映えのしない作品ばかりでき腐っていた」と回想していたそうで、これを打ち破るため心機一転の必要を感じて朝鮮旅行に出て、そのスケッチから制作をしたそうです。すると、それまでの矮小性から脱却し力強い画面構成を構築することができたそうですが、渡邊以外の版元では売れ行きの良い作品ばかりを選択して類似する絵柄ばかりとなり、巴水にとっては逆効果となり芳しい成果を得られなかったそうです。人気と需要があるだけにマンネリになっていくという状態かな。渡邊庄三郎は審美眼と理解のある版元だったようで、この先にもそうしたエピソードが添えられていました。

ちょっと前置きが長くなりましたがこの先には版画が並んでいました。

1-2 川瀬巴水 「東京二十景 馬込の月」 ★こちらで観られます
今回のポスターにもなっている作品で、背の高い木とその背景に浮かぶ満月、右下には明かりの灯る家が描かれています。深い青色が印象的で、月明かりの中の静かな雰囲気がよく出ていました。

この隣にあった1-1「大森海岸」(★こちらで観られます)という作品も夕闇を描いた作品で、かなり好みでした。どの作品を観ても叙情性があります。

この辺には絵と共に年表が展示されていました。かなりの量だったので掻い摘んでみると、川瀬巴水の実家は事業を営んでいたそうで、14歳の頃には川端玉章の門下の画塾に入っていたこともあったようですが、親戚の反対によって1年足らずでやめています。また、19歳ころには荒木十畝の親戚に師事していたようですが、22歳の時に父の事業が失敗して、25歳の頃から父の会社で営業担当の社員として働いていたようです(巴水は長男の跡取り息子)。しかし、巴水は商才に欠け妹婿が跡を継ぐことになり、巴水は面識のあった鏑木清方に入門しようとしましたが、歳をとりすぎていると言われて洋画を勧められたそうです。そして岡田三郎助に指導を受けて、白馬会にも通って日本画・洋画ともに習ったようです。
 参考記事:藤島武二・岡田三郎助展 ~女性美の競演~ (そごう美術館)

その後ようやく27歳の時に清方に入門を許されたそうで、最初は写し物(模写)をやれと言われて月岡芳年や歌川国芳をよく写していたそうです。また、この頃に清方から「巴水」という号を貰ったのですが、これは小学校が「巴小学校」なので、川瀬の川にちなんで巴水としたそうです。しかし清方は桜川小学校と思い違いをしていたと、後に巴水は語っていたそうですw

2-3 川瀬巴水 「日光 神橋」
川にかかる朱色の橋とその周りの雪景色を描いた作品です。画面全体に細い線が無数に入り、凄い勢いで雪が降っている感じを受けます。色鮮やかですが寒々とした感じがありました。

この辺には日光を描いた作品が並んでいました。

2-9 川瀬巴水 「相州七里ヶ浜」
満月の空の下、海に浮かぶ江ノ島と手前の砂浜が描かれています。砂浜には犬を連れて散歩する男女の姿がありロマンチックな雰囲気です。巴水の作品にはいつもちょこんと人が入っている特徴があるのかも?? 波の音まで聞こえてきそうな静かで情緒ある夜の風景でした。

この辺にはこうした月夜を描いた作品が結構な割合で展示されていました。巴水は子供の頃に月岡芳年の月百姿を見ているらしく、それに通ずるものも感じます。

2-19 川瀬巴水 「子供十二題 御人形」
おかっぱ頭に赤い着物の女の子が人形を抱いて座っているところを描いた作品です。こちらをちらっと見ていて、理知的な目をしているように思います。着物の色が鮮やかで華やいだ雰囲気がありました。解説によると、巴水は高城純子という女児を可愛がって写生を繰り返していたそうで、この女の子がその子のようでした。また、子供十二題とあるものの2図しか制作されなかったようで、この隣に残りもう1図が展示されていました。

3-5 川瀬巴水 「目黒不動堂」
目黒不動堂の脇からお堂に参拝に着た人を描いた作品です。着物の女性がお堂の中を観ていて、ちょっと変わった構図が面白いです。また、手前に落ちた木の影の表現が見事で、強い日差しを感じさせました。

この辺は好きな作品ばかりで、どれをメモするか迷いましたw

4-1~4-4 川瀬巴水 「二重橋の朝」
朝焼けに染まる空と横から観た二重橋を描いた作品で、ほぼ同じ作品が4枚セットで展示されていました。これは試し摺りと決定版で、初回の摺りでは水面近くに蝙蝠?が飛んでいるのですが、それ以降の版ではいなくなっています。また、2回目の摺りは背景の朝焼けが強く、やや赤みがかった感じを受け、水面の反射もくっきりした感じです。そして決定版は朝焼けが抑えられ、全体的にも色が落ち着いて見えます。 最後にもう1枚、戦時中に摺られた戦中摺というものもあり、こちらは2回目の摺りに近い赤みがかった色合いとなっていました。こうして4枚見ると試行錯誤が伺えて興味深かったです。
 参考記事:皇居周辺の写真 (二重橋~桜田門~国会議事堂)

この隣にも摺りの違う作品が並んでいました。

8-2 川瀬巴水 「The Miyajima Shrine in Snow」
雪の降り積もる宮島を描いた作品で、青い水面、朱色の神社、白い雪 といった感じで色彩の取り合わせが非常に綺麗です。これは鉄道省国際観光局の宣伝ポスターに使われたそうで、1万枚が世界中で配布されたようです。巴水が日本より海外で評価されているのはそういう事情があるからなのかな?? 日本の美を凝縮したような作品でした。

9-1 川瀬巴水 「京都 清水寺」
2つの星が浮かぶ夜空の下、清水寺の舞台で1人、京都の街を眺めている人物を描いた作品です。月は描かれていないのですが、月明かりが明るく感じられ、しんみりした雰囲気です。また、京都の街も描かれておらず、舞台が大きく取られた構図も面白く、むしろその光景がどうなっているのか想像を掻き立てられました。
解説によると、この男性は巴水自身と考えられるようで、この隣にも温泉に浸かっている巴水らしき人物が描かれた作品も展示されていました。
 参考記事:【番外編】 京都旅行 祇園~清水寺エリアその1

少し進むと、芝居の舞台の原画のようなものもありました。巴水は歌舞伎が好きで芝居の絵や舞台装置も制作していたようです。

11-4 川瀬巴水 「華盛頓 記念塔(ポトマック河畔)」
湾曲する川と、その岸に並ぶピンクの桜の木々が描かれた作品です。日本の景色のように見えますが、奥には大きなオベリスクが立っていて、これはワシントンDCのポトマック川の光景のようです。(この桜は東京市から日米友好の証として贈られたもの) 奥の方には2人の男女が寄り添うように歩いていて、桜は幻想的なまでに可憐な雰囲気でした。解説によると、この作品は塩田竹蔵という人に贈られたものだそうで、この人物はサンフランシスコで巴水の作品を紹介・販売していたそうです。その御礼でこれを贈ったらしく、この隣にも一緒に贈られた作品が展示されていました。

13-1 川瀬巴水 「新東京百景 佃住吉神社」
海の夕暮れを背景に、大きな鳥居と沢山の竿?などが描かれた作品です。鳥居はかなり右寄りで、端っこは見切れているのが面白く、歌川広重の東海道五十三次を思い出しました。地平線は低めで空は広々した感じで、沢山の棒がリズミカルに感じられました。

この辺は新東京百景の作品がいくつか並んでいました。

17-2 川瀬巴水 「平壌之春(牡丹台 浮碧楼)」
高い所から見下ろすような感じで、朱色の柱の建物(柱と瓦屋根しかない建物)とそこに集まる人々が描かれています。その下には川があり、人々は石垣にもたれてその川を見ているようです。桜が咲いて楽しげな雰囲気が伝わって来ました。

この辺にはこうした朝鮮の風景画が並んでいました。巴水は、山川秀峰から朝鮮鉄道局の招きで旅行するので同行しないかと持ちかけられ、行き詰まりを感じていた昭和14年6月から1ヶ月程度の朝鮮旅行をしたそうです。 そのスケッチからこのシリーズを描いているようで、大胆で広大な構図の魅力があり、それは戦後の作品へと引き継がれていったようです。

19-3 川瀬巴水 「ダリヤ」
赤やピンクの3つのダリアの花を描いた作品で、それほど写実的ではありませんが色鮮やかに描かれています。この作品の隣には試し摺りもあり、そちらは花弁の淵に黄色が入っていて趣きが違って観えました。試し摺りのほうは色が強烈すぎるので、決定版のほうが好みです。

21-2 川瀬巴水 「岩手縣鉛温泉」
苔むした藁葺き屋根の大きな旅館を描いた作品で、背景には富士山のような形の山が見えます。これは岩手県の鉛温泉を描いたものらしく、廊下には手ぬぐいや浴衣が干されていて、子供の服の面倒を見ている母親らしき人も描かれていました。また、この作品は戦中摺りのようで、隣にあった試し摺りと比べると試し摺りは空が青々して夏の空を思わせました。こっちはちょっとどんよりしてるかな。
 参考記事:鹿踊りと花巻周辺の写真 【番外編 岩手】

22 川瀬巴水 「野火止 平林寺」
これは寺の建物と石畳が描かれた作品の完成に至るまでの工程を表すもので、墨摺りから10の工程(実際には30の工程)に分けてセットにされています。徐々に色が重ねられてい木が染まり影が重なっていく様子がよく分かります。最後の方は細かい違いを見つけるのが大変なくらいかなw 参考になる作品でした。


ということで、元々好きな画家でもあるので満足することができました。結構点数も多いし無料で観られるので、お勧めです。パンフレットも300円と安かったので購入してきました。 もうすぐ終わってしまいますので、気になる方はすぐにでもどうぞ。

 参照記事:★この記事を参照している記事



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森と湖の国 フィンランド・デザイン (感想後編)【サントリー美術館】

今日は前回の記事に引き続き、サントリー美術館の「森と湖の国 フィンランド・デザイン」の後編をご紹介いたします。前編には混み具合なども記載しておりますので、前編を読まれていない方は前編から先にお読み頂けると嬉しいです。


 前編はこちら



まずは概要のおさらいです。

【展覧名】
 森と湖の国 フィンランド・デザイン

【公式サイト】
 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_06/index.html

【会場】サントリー美術館
【最寄】六本木駅/乃木坂駅

【会期】2012年11月21日(水)~2013年1月20日(日) 
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日15時半頃です)】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
前回は黄金期を迎えた1950年代までご紹介しましたが、今日はそれ以降の現在に至るまでの内容についてです。


<第III章: 1960・70年代 転換期>
1961年にフィンランドが欧州自由貿易連合の準加盟国となると、輸出入の規制が緩和されガラス製品も広く普及するようになったそうです。そして1960年代はエレガントで繊細なデザインが主流だったフィンランドガラスに新たな造形が加わった時期でもあるようで、型吹きガラスの製法が普及すると、ティモ・サルヴァネヴァは氷のような表面のシリーズを発表し、それまでと異なる美意識の作風を示したようです。大型作品の製造も可能となったようで、卓上の美からオブジェに渡る彼の作品は国際巡回展を果たし人気を博しました。また、国際的にポップアートが流行すると、ヌータヤルヴィ社のオイヴァ・トイッカは生き生きと色彩センスを取り入れた作品などを作ったようです。
しかし、1970年代に入るとオイルショックでフィンランドのガラスも多大なる打撃を受けたようで、製造方針の転換を余儀なくされ、イッタラ社の色ガラスの製造中止などの影響が出ました。一方、そんな中でもヌータヤルヴィ社はプレスガラスの生産のオートメーション化や、新たに職人技を重視したオブジェシリーズ「アート」を導入するなどの動きも見せていたようです。 1972年にはオイヴァ・トイッカによるバードシリーズが誕生し、現在までに500種類以上も作られる人気作となっているそうで、この章にはそのバードシリーズを含め、そうした時代の作品が並んでいました。

82 ティモ・サルヴァネヴァ 「フィンランディア3356/3354」
側面に凹凸があり氷のような質感のガラス器です。これは焦げた木型にガラスを吹き込んで作っているそうで、それが独特のキメになっているようです。この作品の展示ケースは照明の色が変わっていく仕掛けとなっていて、様々な色合いで観られるのが面白い趣向でした。

83 オイヴァ・トイッカ 「霧のしずく5325/5125/5125」
円形のお皿?で、同心円状に無数の丸い粒が並んでいるデザインの作品です。まるで真珠飾りのようにも見えるのですが、これは朝露を見てインスピレーションを得たそうで、輝きが綺麗で清廉な印象を受けました。

この隣には竹の幹のような形の大きな花器もあり、名前を見たら「竹」となっていて納得しましたw フィンランドの自然が取り入れられた作風です。

96 カイ・フランク 「賞杯N540,973」
厚めのガラスの器で、台座がついた賞杯のようです。真っ赤な賞杯と緑の賞杯があり、台座は違う色をしています。いずれもかなり強めの色で、ここまでの作品とは違った鮮烈さを感じ、ちょっと驚きました。

この辺には上下でツートンカラーになっている作品が多いかな。ちょっとやりすぎな感じもしますw 近くには伝統的なヴェネツィアのガラス工房とのコラボ作品などもありました。この辺で上階は終わりです。

階段を下ると、撮影可能なフロアとなっていました。

ハッリ・コスキネン 「きわみの光」
2012-12-15 17.19.42
これは今年作られた作品なので、このコーナーの趣旨とは違うのですが、ランプらしきものが無数に釣られていて神秘的な雰囲気でした。この高さの違いにも何か意味があるのかな??

オイヴァ・トイッカ 「トナカイの集会」
2012-12-15 17.18.24
トナカイらしき形のガラスや、団扇状のガラス(これは木かな?)が並んでいて、何となくクリスマスっぽい感じを受けました。単純化された形が面白いです。ちょっとトナカイがべっ甲あめみたいな…w ポップで可愛らしい雰囲気です。

これがオイヴァ・トイッカの鳥シリーズ。
2012-12-15 17.20.24
ズラッと並んで群れみたいなw

横から見るとこんな感じ。
2012-12-15 17.20.31
目や尻尾のあたりの色が違うのが芸が細かいです。これも形は単純ですが、見事に鳥らしさが出ていました。

次の展示室からまた撮影禁止です。

107 オイヴァ・トイッカ 「ヒタキ 546」
これは鳥の形の置物で、赤紫の胴に緑のくちばし 水色の羽といった感じでカラフルな印象を受けます。デフォルメされた形が可愛らしく、これがバードシリーズの原型となったと考えられているようです。このシリーズは現在でも人気を博しているようなので、まさに時代を超えるデザインと言えそうです。

104 タピオ・ヴィルッカラ 「フィンランディア・ウォッカ瓶」
「FINLANDIA」というメーカーのウォッカの瓶で、側面に先ほどの氷を思わせる質感の技法が使われています。ウォッカが氷の中に入っているような感じが面白く、こんな洒落たものが売られていたのかと妙に感心しました。 …あまりこの作品には関係ないですが、フィンランド産のウォッカというのを初めて知りました。やはり良くも悪くもロシアとの付き合いが深いからかな??


<第IV章: フィンランド・ガラスの今 Art&Life>
最後は現在に至る時代についてです。1960年代後半にアメリカに端を発したスタジオ・ガラス・ムーブメント(個人作家の工房によるアートガラス制作の動向)は1980年代にフィンランドのガラス界にも波及したそうです。また、企業デザイナーも会社のバックアップを受けて個展を開催し、国内外にデザイン性を披露していたようですが、経済状況の悪化によってガラス業界は合併や閉鎖など厳しい環境へとなって行きました。そうした中、ヘルシンキ芸術デザイン大学をはじめ教育機関による職人とデザイナー育成が開始されたそうで、これによって企業の活性化が期待されたようですが、雇用問題や多くの卒業生が個人のデザイナーとして自由な表現の場を求めたこともあり、2000年になる頃には個人の作家の数が企業デザイナーの数を圧倒的に上回っていたようです。しかし企業とデザイナーが決別したわけではなく、企業と若手デザイナーのコラボの機会も見直されているようです。ここにはそうした最近の作品が並んでいました。

132 ティモ・サルヴァネヴァ 「海 547.01」
楕円形の青いお皿で、真ん中の方は緑がかった色をしています。その色合いが深い海を思わせ、力強くも神秘的な雰囲気を持っているように思いました。何とも美しい色をしています。

141 アルマ・ヤントゥネン 「盆栽」
これはその名の通り盆栽をガラスで表現したような作品で、マットな質感で木がデフォルメされた感じで作られています。しかし、そんなに堅苦しい雰囲気でもなく、遊び心が感じられました。

この辺には1980年代生まれの若手作家の作品などもあります。また、バードシリーズの最近の作品などもありました。

147 アンッティ=ユッシ・シルヴェンノイネン 「竹 206.060.45」
琥珀色、緑、透明などのお猪口のような形の器で、それを重ねて展示しています。その重なり方が竹の節のように見えるのが非常に面白く、色が重なると竹っぽい色合いになっているのも感心させられました。


出口付近にもバードシリーズがありました。こちらは緑の鳥。
2012-12-15 17.42.28
これは唯一見た目で何の鳥か分かりました!w トキですね。逆側には赤のトキもいました。

フクロウ(ミミズク?)だっています。
2012-12-15 17.42.50
これも特徴をよく捉えた単純化が面白いです。

この辺で展示は終わりです。ミュージアムショップでは以前ご紹介したヒンメリを売っていました。この展示に因んだものだったのかな?
 参考記事:MIDTOWN CHRISTMAS 2012 (ミッドタウンクリスマス2012)


ということで、フィンランドのガラスの歴史を詳しく知ることができました。そもそもフィンランドの歴史も知らなかったので、一挙両得といった感じです。難しいことを考えなくても綺麗なガラス器が並んでいるだけでも面白いと思いますので、気になる方は是非どうぞ。お勧めの展示です。


おまけ:
この展示を観た後、夕飯はイマカツで摂りました。最近は夜だけでなくお昼でもちょくちょく通っていますw
 参考記事:六本木 イマカツ (六本木界隈のお店)


 参照記事:★この記事を参照している記事



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森と湖の国 フィンランド・デザイン (感想前編)【サントリー美術館】

前回ご紹介した展示を観た後、同じミッドタウンの中にあるサントリー美術館で「森と湖の国 フィンランド・デザイン」を観てきました。メモを多めに取ってきましたので、前編・後編に分けてご紹介しようと思います。

P1070586.jpg

【展覧名】
 森と湖の国 フィンランド・デザイン

【公式サイト】
 http://www.suntory.co.jp/sma/exhibit/2012_06/index.html

【会場】サントリー美術館
【最寄】六本木駅/乃木坂駅


【会期】2012年11月21日(水)~2013年1月20日(日) 
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日15時半頃です)】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
結構お客さんは多かったですが、混んでいるというほどでもなく自分のペースで鑑賞することができました。

さて、今回の展示はフィンランドのデザインについてということで、とりわけガラスを中心とした内容となっています。フィンランドのデザインは機能性・合理性を重視し、使いやすさと美しさの双方を誇っているそうで、Timeless design product(時代を越えた製品)をコンセプトに作られているようです。また、フィンランドを代表するガラスメーカーの「イッタラ社」が「Lasting design against throwawayism(使い捨て主義に反する永遠のデザイン)」というメッセージを掲げているように、その姿勢は常に地球に優しく自然とともにあり続けるものらしく、今回の展示でも自然を感じさせる品々が並んでいました。展示は章ごとに時系列的に展示されていましたので、詳しくは各章で気に入った作品と共にご紹介しようと思います。


<プロローグ: 18世紀後半~1920年代 黎明期>
まずはフィンランドでガラスが作られ始めた頃の黎明期のコーナーです。フィンランドに最初のガラス工房が出来たのは1681年で、西フィンランドの海に面したウーシカウプンキという町でした。しかし、本格的にガラス製造が開始されたのは18世紀半ばになってからで、当時のフィンランドはスウェーデン王国の支配下にありボトルやボウル、窓ガラスなどの日常品がスウェーデン市場に出荷されていったようです。その後、1793年創立のヌータヤルヴィをはじめ 1809年のロシア帝国による併合の前後(特に1850年)にはイッタラ、カルフラ、リーヒマキなどフォンランドのガラス会社が設立されていったようですが、当時のフィンランドのガラスはヨーロッパの中でも遅れていたようで、ドイツやフランス、ベルギーなど中央ヨーロッパの製品を模したものが主流でした。
1920年代になるとスウェーデンのガラス会社オレフィスが優れたデザイナーを雇ったことでデザイン性が加わり、こうした造形はフィンランドのガラスにも大きな影響を与えたそうです。やがて1928年にはフィンランドのサーヒマキ社が「日常使いのシンプルなガラス器」と銘打ってデザインコンテストを実施し、ヘンリー・エリクソンの「H.E.セット」が優勝したそうで、それは翌年のバルセロナ万国博覧会でも見事にグランプリに輝いたそうです。(それでもその作品もスウェーデンの影響を受けていた) ここにはそうした歴史転換点といえる作品も並んでいました。

まず入口にオーロラを思わせるインスタレーションがありました。ここだけは撮影可能でした。(後のほうにもいくつか撮影可能な場所はあります)
2012-12-15 15.46.14
幻想的な雰囲気で、音楽も神秘的な感じでした。


1 「ボトル」
丸い胴と首のフラスコみたいなボトルです。これはオランダ風のシンプルなデザインだそうで、18世紀後半~19世紀初め頃の品のようです。特に芸術性を感じるわけではないですが、外国から影響を受けていた様子が伺えました。

この辺には他にもヴェネツィアのレースグラスを思わせる品などもあり、模倣が伺えます。若干素朴な感じの作品もあるかな。
 参考記事:あこがれのヴェネチアン・グラス ― 時を超え、海を越えて (サントリー美術館)

7 「フィンランドの紋章入りプレスガラス・プレート・タンブラー」
透明のプレートとタンブラーのセットで、プレートにはライオンが描かれた紋章が入っています。解説によると、フィンランドは1917年にロシア帝国から独立したそうで、このガラス器にも民族意識が反映されているらしく、これはフィンランドの紋章のようでした。フィンランドの歴史は知らなかったのですが、結構苦労の多い歴史ですね…。

この隣にはフィンランドの国民的詩人の肖像の入ったタンブラーもありました。

9 ヘンリー・エリクソン 「H.E.セット」
これがデザインコンテストで優勝しバルセロナでも評価された作品で、薄紫色で薄手のグラスやガラス瓶のセットです。グラスは口の方が広くなっているシンプルなデザインですがどこか優美に感じます。透明感と色が美しい作品でした。 


<第I章: 1930年代 躍進期>
続いてはフィンランドのガラスが躍進した時期のコーナーです。1917年の独立以降、1920年代も近隣ヨーロッパ諸国の影響を受けていたフィンランドのガラス製品は、1930年代には国内のコンペティションや国際的な展示会への出品の機会にも恵まれ、次第に機能美を兼ね備えた優れたデザインへと成長していったそうです。コンペティションは4部門(ドリンキング部門、プレスガラス部門、トイレタリーガラス部門、アートガラス部門)あり、この時期特にアートガラス部門を牽引したのはアルツ・ブルマーやグンネル・ニューマンといったデザイナーだったそうです。また、1930年代に誕生し現在も健在なガラス製品ではアイノ・アールトとアルヴァル・アールトの夫妻の作品などがあり、彼らの作品はミラノ・トリエンナーレやパリ万博などにも出品されたそうです。こうしてフィンランドの機能美は1930年代に築かれたようで、ここにはその頃の品が展示されていました。

20 アイノ&アルヴァル・アールト 「アールトフラワー」
ガラスで出来た器が4つ重なっている作品で、その様子が花のように見えます。これは今なお作られているようで、その曲線が非常に美しく面白い意匠でした。解説によると、これは1939年のニューヨーク世界博覧会のために夫妻で共同でデザインした品のようです。

12 アイノ・マルシオ=アールト 「プレスガラス4056/4052/4056/4644」 ★こちらで観られます
側面にしましま状に波紋ができているような(同心円状に輪が並んでいる)ピッチャーとグラスです。これもシンプルなデザインですが積み重ねできる機能美があるそうです。こちらは1936年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞したそうで、今なお作られているそうです。確かに時代を越えても古臭さは感じません。それって凄いことですね…。

この隣にもパリ万博で評価を受けた不定形の花器もありました。


<第II章: 1950年代 黄金期>
続いてはフィンランドガラスの黄金期のコーナーです。第二次世界大戦の際、フィンランドはロシアに対抗するためにドイツと手を組んでいたのですが、戦時中はガラス製造が中断し、さらに敗戦すると経済が困窮しガラス製造にも多大な影響を及ぼしました。当時のガラス産業では原料を輸入に頼っていたため、戦後の復興を取り巻く環境は非常に厳しい状況だったようです。しかし、この逆境がかえってフィンランド人のアイデンティティをかき立てたようで、共産主義国にはならないこと、質の高い製品を海外に示すこと を目指し努力したそうです。そして1946年以降のガラス製品は全てプロのデザイナーが手がけるようになりました。
当時は生活用品が不足し ガラスの価格も国に統制されていたようですが、アートガラスについては国内外の展示に活発に出品され、特に1950年代は国際的な名声を得たようです。1951年のミラノ・トリエンナーレに出品されたイッタラ社のタピオ・ヴィルッカラは展示デザイン・木彫り・ガラスの3部門でグランプリを受賞し、フィンランドに明るい未来への期待と、デザインの必要性・向上を促したそうです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。

28 タピオ・ヴィルッカラ 「カンタレッリ(アンズタケ)」 ★こちらで観られます
透明な「カンタレッリ」(アンズタケ)というキノコをモチーフにしたガラス器です。その形も面白いですが、曲線が美しく流れるような線が入っているのも優美に感じます。また、フィンランドではキノコ狩りがポピュラーなレジャーらしく、自然との関わりを感じさせました。解説によると、この作品ははミラノ・トリエンナーレにも出品されたとのことでした。

40 タピオ・ヴィルッカラ 「氷山3525/3825」
ギザギザした側面と分厚いガラスで出来たガラス器で、その名の通り大きな氷のかち割りを思わせる作品です。重厚で力強い印象を受けると共に、寒いフィンランドならではのモチーフに思いました。

33 グンネル・ニューマン 「吹き流しGN18」
縦長で口のほうが細くなっているガラス器です。ガラスなのに柔らかい印象で、中に螺旋状の白い線が入っています。どのように使うかは分かりませんでしたが、流麗な印象を受けました。

結構こうした不定形なものが多いので、日本人の美意識に通じるものがありそうです。

53 カイ・フランク 「ピッチャー5601(100cl)」「タンブラー5023(35cl、18cl、6cl)」 ★こちらで観られます
赤、薄い黄色、うぐいす色、紫など色とりどりの重ね置きできるカップのセットです。これはToive(希望)という名の紙製のパッケージに入れられてプレゼント用に考案されたものだそうで、気品のある色合いが魅力的です。こんなプレゼントを貰ったら嬉しいだろうな…。 解説によると、こちらの作品はニューヨーク近代美術館のコレクションにもなっているとのことでした。

この辺にはカイ・フランクのテーブルセットなどもありました。こちらはセットだけど揃い物ではないという面白い作品です。また、「プリズマ KF215」という作品では虹かオーロラを思わせるような幻想的な色使いとなっていました。

57 ティモ・サルヴァネヴァ 「蘭 3568」 ★こちらで観られます
これは今回のポスターにもなっている一輪挿しで、ミラノ・トリエンナーレで金賞を受けた作品です。縦長で先の方が細くなっていて氷や氷柱を連想するかな。中に空洞があるのですが、これは樹の枝を刺して、その水分を蒸発させて作っているとのことでした。どこか未来的なものすら感じる面白いデザインでした。

68 ティモ・サルヴァネヴァ 「iガラス i-103/i-401/i-104/i-102」
落ち着いた紫や青の徳利やお猪口を思わせる形のガラス器で、当時、日本の伝統的なデザインは高く評価されていたので、この作品にも影響を与えたと考えられているようです。解説によると、1950年代半ばから 1点ものではなく量産品の気運が高まっていたらしく、これはシンボル的な存在で、この作品がイッタラ社のロゴのきっかけになったとのことでした。量産できてデザインも良いとは、その理念にも驚かされます。


ということで、今日はここまでにしておこうと思います。フィンランドのデザインはシンプルながらも面白さを感じさせ、確かに普遍性を感じさせます。この後も素晴らしい作品が並んでいましたので、次回は最後までご紹介しようと思います。


   → 後編はこちら


 参照記事:★この記事を参照している記事



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日本の美 伊勢神宮-写真 渡辺義雄- 【FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)】

この間の土曜日に、六本木のFUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)で「日本の美 伊勢神宮」-写真 渡辺義雄-」を観てきました。

【展覧名】
 日本の美 伊勢神宮」-写真 渡辺義雄-

【公式サイト】
 http://fujifilmsquare.jp/detail/12120104.html

【会場】FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
【最寄】六本木駅/乃木坂駅


【会期】2012年12月1日(土)~2013年2月28日(木)まで 
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 0時間15分程度

【混み具合・混雑状況(土曜日15時頃です)】
 混雑_1_2_3_4_⑤_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_③_4_5_満足

【感想】
雨が降って寒かったこともあり、空いていて自分のペースで鑑賞することができました。

さて、今回の展示は渡辺義雄という写真家が撮った伊勢神宮の写真の展示です。この人は戦前は国際報道写真協会に所属し報道写真家の草分け的存在だったそうで、写真家になってからは建築写真の第一人者として活躍し、後に東京都写真美術館の初代館長も勤めています。
渡辺義雄は20年に1回行われる式年遷宮を3回(1953年,1973年,1993年)も撮ったのですが、戦前の伊勢神宮の御垣の中には神官など限られた人しか入ることができなかった為、これは歴史的な快挙と言えるそうです。1952年に国際文化振興会が海外に日本文化を紹介する写真集を作るために伊勢神宮の写真を渡辺に依頼したのがきっかけですが、伊勢神宮内部からは反対意見も多く当初は撮影許可は降りなかったようです。しかし、渡辺は遷宮の前に神様が入られる前に純粋な建築物として撮らせて欲しいと頼み、実現したそうです。
 参考記事:伊勢神宮と神々の美術 (東京国立博物館)

展覧会は白黒の写真が10数点程度並んでいて、上空から撮ったものや、鳥居から撮ったものなどがあり、社殿からは真新しい感じを受けます。また、「内宮西宝殿のひさしの下から正殿を仰ぎ見る」という作品では、ひさしと隣の本殿の屋根が平行に沿って、幾何学的な模様を作っているような構図が面白く感じられました。内宮正殿の屋根を撮った写真でも、ピンと張った屋根のみを大きくトリミングした構図で、独特の美意識を感じます。

その他にも階段と下柱を撮ったリズミカルな印象を受ける写真や、門を幾重にも入れ子状に撮った写真、紙垂(しめ縄につけるギザギザの紙)だけ撮った写真、じゃり?のひかれたところにポツンと小屋が建っているような写真など、いずれも建物をモチーフにしつつ近代的なセンスが伺える作品でした。


ということで、小展でしたが面白い作品を観ることができました。伝統的な神社をこういう角度から撮るのかと驚きました。ここは無料なので、近くに寄る機会があったらチェックしてみるのも良いかと思います。


 参照記事:★この記事を参照している記事



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