Archive | 2018年10月
前回ご紹介した世田谷美術館の常設を観る前に、特別展の「民家の画家 向井潤吉 人物交流記」を観てきました。

【展覧名】
民家の画家 向井潤吉 人物交流記
【公式サイト】
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00190
【会場】世田谷美術館
【最寄】用賀駅
【会期】2018年9月8日(土)~11月4日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_4_⑤_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は向井潤吉という日本の草屋根の民家を40年に渡って描き続けた画家と、その交友関係に関する内容となっています。世田谷美術館は向井潤吉アトリエ館という分館もあるくらい推している地元ゆかりの画家ですが、一般的にはそれほど知られていないのではないかと思います。今回の展示では初期の作品から代表的なモチーフである草屋根に至るまで幅広い品があり、向井潤吉について多面的に紹介していました。展示構成は4つの章に分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
参考リンク:世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館
<冒頭>
まずは冒頭に代表的なモチーフである民家の作品がハイライト的に展示されていました。
82 向井潤吉 「六月の田園(岩手県岩手郡滝沢村)」

こちらは記念撮影場所で撮ったコピーです。実物は濃密な色彩としっかりした描写で岩手の農家を描いています。繊細な濃淡や素早い筆致も観られ、写実的なだけでなく叙情性を高めるような表現になっているように思います。明るく澄んだ雰囲気が初夏の爽やかさを感じさせました。
<I.1901-1936「出生から渡欧まで」>
1章は出生からヨーロッパへ留学した頃までのコーナーです。向井潤吉は1901年に宮大工の家に生まれ、15歳で浅井忠が設立した関西美術院に入学しました。そこで徹底したデッサンを学び、1919年には初の二科展で入選しています。その後、一時上京して川端画学校で学び、大阪の高島屋呉服店で図案制作の仕事に就きつつ絵画の勉強を続けて渡欧を目指してたようです。そして1927年にシベリア鉄道でパリへ向かい、午前中はルーヴル美術館で模写、午後は画塾で裸婦のクロッキーに励むという日々を送っていたようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
10 向井潤吉 「自画像」 ★こちらで観られます
こちらは二科展で初入選した頃の自画像で、18歳くらいの若い姿でこちらに視線を向けています。重厚な厚塗りでざらついたマチエールでぼこぼこして観えるかな。背景のムラとか既に素人ではなくプロの仕上がりに観えます。結構素朴な青年といった感じの自画像でした。
この辺は初期の人物像が並んでいました。
1 浅井忠 「藁屋根」
こちらは関西美術院の創設者で日本洋画の先駆者でもある浅井忠の作品で、藁葺き屋根の家を描いています。家から出てくる親子らしき農婦の姿もあり、牧歌的な光景です。写実的でありながら素早い線で描かれている所もあって、向井潤吉は浅井忠に強く影響を受けていたのが感じられました。題材も含めて向井潤吉のルーツが分かるような作品です。
この辺には安井曾太郎の裸婦や、恩師格の黒田重太郎、須田国太郎などの作品もありました。当時の二科展に入選した作品もあります。特に都鳥英喜の「諸寄村」という作品が色彩豊かで素晴らしかったです。
34 向井潤吉 「模写/老人の頭(デューラーの模写)」 ★こちらで観られます
こちらは細密で写真のような写実性のある赤い頭巾のようなものを被った老人の肖像です。観た瞬間にデューラーの模写だと分かるような完コピぶりで、質感まで似ています。微妙な反射による顔のテカリや、丹念に描かれた髭などに確かなデッサン力と観察眼が伺えました。
22 向井潤吉 「模写/泉(アングルの模写)」
こちらはアングルの有名作の模写で、本物に比べるとやや影が強いようにも思えますが見事な出来栄えです。等身大の大きさで見栄えもするので、会場でも特に目を引く作品でした。なお、向井潤吉は帰国後も生活はギリギリだったようで、こうした模写を売って生計を立てていた時期もあるようです。
この他にもルーベンス、ルノワール、コロー、ミレー、ドーミエなどの模写もありました。ちょっと向井潤吉のテイストが出ているのもありますが、概ね精巧な模写となっていました。一方で、物凄く荒いタッチで描いたオリジナル作品の「街の力士」などは、モンティセリのようなちょっとやり過ぎな位の描写となっていて驚きました。
1章の最後の辺りにはシベリア鉄道の下関~モスコー(モスクワ)の切符などもありました。(しかも一番切符w)
<II.1937-1959「戦争の時代、そして民家との出会い」>
続けて戦中・戦後の時代のコーナーです。パリから帰国した頃には日本は戦争に向かいつつあり、1937年に日中戦争が勃発すると向井潤吉は従軍を志願して中国東北部へと赴きました。その後、軍の嘱託で中国・フィリピン・ビルマで作戦記録画の制作に従事し、何と悪名高いインパール作戦にも従軍して極限的な状況も体験したようです。
終戦間際になると、自邸の防空壕に持ち込んだ蔵書の中から『民家図集』を手に取り、戦災で失われる家々を描き残したいと考えたようで、終戦直後の1945年には長女の疎開先だった新潟県北魚沼郡川口村で「雨」を描き、それ以降 全国各地の民家を描き始めるようになったようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
56 古家新 「日の出」
こちらは一時解散していた二科展に代わって向井潤吉らが終戦後に結成した行動美術協会の創立メンバーの作品です。海から観る山越しに昇る日の出を描いていて、非常に厚塗りで強い色彩となっています。特に海面の光の反射は3mmくらい盛り上がってるんじゃないかなw シンプルな構図ですが、ダイナミックな筆使いと対比的な色彩で力強さを感じました。
この辺は終戦当時の仲間の作品もありました。
39 向井潤吉 「影(中国・蘇州上空にて)」
こちらは運河が流れ、沢山の家が密集している中国の街を空から見下ろす構図で描いた作品です。街には巨大な飛行機の機影が落ちていて、構図の大胆さと影の異常なまでの大きさに圧倒されます。ちょっと時代の不穏さも感じますが、絵としては面白い作品でした。
この辺には炭鉱で働く人の作品などもあって時代を感じます。
43 向井潤吉 「ロクタク湖白雨」
こちらは山と湖の周辺を見渡すような構図の作品で、左半分に雲から凄い勢いで雨が降っている様子、右半分は無数の戦闘機が戦い 黒煙を上げて落ちてくる飛行機の姿もあり、手前には兵士の進軍も描かれています。美しい風景であるのに、激しい戦闘が行われていて対比的な恐ろしさを感じます。この戦いはインパール作戦の一部みたいなので、実際は地獄だったでしょうね…。
この辺にはインパール作戦の資料もありました。無能の極みとも言える牟田口廉也の根性論で補給を疎かにし無駄に犠牲を強いた最悪の作戦です。
44 向井潤吉 「雨(新潟県北魚沼郡川口村)」
こちらが民家を描くきっかけとなった作品のようで、雨降る民家の間の道を描いています。傘をさしていたり箕を被っている人の姿などもあり、雨の情景が漂います。民家は普通の屋根ですが、洗濯物を干していたり生活感があって当時の様子が伝わってきました。さらっと描いているけど情感豊かな作品です。
47 向井潤吉 「漂人」 ★こちらで観られます
こちらはチューリップ帽みたいなのを被った浮浪者風の男性を描いたもので、復員してきた人かな?? 怪訝そうにこちらを伺っていて、全体的に茶色く薄汚れてかなり貧しそうです。不安な世の中の情勢も表れているように思えました。
この近くには たいめいけんのシェフを描いた作品などもありました。また、寂しく貧しい村を描いた作品などもありました。
<III.1960-1989「民家遍旅」>
続いては高度成長期の頃のコーナーです。向井潤吉は1961年に不審火でアトリエと応接間を消失したようで、多くの資料や作品を失っているようです。それでも9日後には活動を再開し、精力的に取材を続けました(この辺のガッツは戦争帰りだけあります) この時代の日本は高度成長によって各地の風景が失われて行った頃で、向井潤吉は失われる前に描こうと焦燥感を持って全国各地に赴いていたようです。ここには代名詞的な民家の作品が並んでいました。
64 向井潤吉 「山間草炎」
こちらは山の斜面に藁葺き屋根の家が連なる様子が描かれた作品です。曲がりくねった坂道沿いの家の配置がリズムカルに思え、強い色彩で精密なデッサンとなっています。山形の雪に耐えるための独特の家の形も面白く、風土を感じさせました。向井潤吉の民家の絵はそれぞれの地方の特性もつぶさに描かれているのが素晴らしい点ではないかと思います。屋根の形などに特徴がよく表れているように思いました。
参考記事:
川崎市立日本民家園の写真 (2017年05月)
二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年 (パナソニック 汐留ミュージアム)
76 向井潤吉 「岳麓好日」
こちらは手前に枯れた木が並び、奥に3軒の民家が並ぶ様子が描かれています。背景には雪の積もった山が連なり、青空とのコントラストが爽やかな雰囲気となっています。雲が間近で低い位置で早く動いている様子もしっかり描かれていて、山の天気もしっかりと観察しているのが伺えました。家だけでなく自然もじっくり観察しているようで、家と自然が1つの光景として一体化したような感じで描かれているのも魅力です。
この辺は風情ある民家の絵ばかりでかなりテンションがあがりましたw 元々私は民家好きなのでここで一気に満足度が上がった感じですw
61 向井潤吉 「トレド新春」
こちらはスペインのトレドの街角を描いた縦長の作品で、坂道に立つ石造りの建物を見上げるような感じとなっています。中央には木があり、その下で3人の女性が集まって何か話しているのかな? ざらついた質感で厚塗りされていて、空の色は日本より濃くなっています。日本との風土の違いも見事に表現している一方、どこか郷愁を誘うような雰囲気は変わらず、温かみも感じられました。
続いては向井潤吉の本と雑誌の仕事のコーナーでした。
153 向井潤吉 「『悪名』挿絵原画 第63回/東京新聞連載小説」
こちらは『悪名』という連載の挿絵で、居酒屋が並ぶ繁華街の真ん中で店前に立つ着物の女性が描かれています。簡素ながら細かいタッチで写実的に描かれていて、墨で陰影も付けられて明暗を感じました。やはりデッサン力の高さがこうした仕事で活きているのではないかと思います。
挿絵は結構な数があったのですが、火事を出してからはあまりこうした仕事は行わなくなったのだとか。本なども展示されています。また、他にも木版なんかもあるのですが、何を作っても一流ですw 優れた描写力と色彩感覚に裏打ちされているのを感じます。
<IV.世田谷の地で巡り合った人々>
最後は世田谷の地で巡り合った芸術家との交流のコーナーです。ここには様々な芸術家の作品が並んでいました。
103 白と黒の会 「白と黒の会(寄せ書き)」
こちらは総勢20数名と言われる世田谷の白と黒の会という交流会の寄せ書きです。洋画家、彫刻家、日本画家、文学家などが集まっていたそうで、寄せ絵や寄せ書きをみんな好き放題描いていてちょっとカオスw 難波田龍起の名前とかあったりして、結構ビッグネームも名を連ねていたようです。 芸術作品という感じではないですが、和気あいあいとした会合だったのが伺えるような寄せ書きでした。
この辺りには牛島憲之、舟越保武などの作品もあって、思った以上に有名作家との交流があったようでした。
98 向井潤吉 「遅れる春の丘より」
こちらは3章の内容ですが、最後の部屋にありました。大型作品で藁葺き屋根の家を描いていて、手前には枯れ木とススキが生え、薄っすらとピンク色の紅梅らしき木も見えるかな。奥には山々があり、遠くの山は白く雪が積もっていてまだ早春といった所でしょうか。家には赤い洗濯物が干してあって、一際目を引くアクセントとなっていました。日本の原風景を思わせる美しい光景です。
ということで、建物好きの私には非常に刺さる内容だったので図録も買いました。向井潤吉について興味が深まったので、いずれ世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館にも足を運んでみたくなりました。画風自体も写実的かつ叙情的なので幅広い層が楽しめるのではないかと思います。今期は豪華な展示が多いですが、この展示も負けないくらいの満足度でした。

【展覧名】
民家の画家 向井潤吉 人物交流記
【公式サイト】
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00190
【会場】世田谷美術館
【最寄】用賀駅
【会期】2018年9月8日(土)~11月4日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
2時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_4_⑤_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は向井潤吉という日本の草屋根の民家を40年に渡って描き続けた画家と、その交友関係に関する内容となっています。世田谷美術館は向井潤吉アトリエ館という分館もあるくらい推している地元ゆかりの画家ですが、一般的にはそれほど知られていないのではないかと思います。今回の展示では初期の作品から代表的なモチーフである草屋根に至るまで幅広い品があり、向井潤吉について多面的に紹介していました。展示構成は4つの章に分かれていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
参考リンク:世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館
<冒頭>
まずは冒頭に代表的なモチーフである民家の作品がハイライト的に展示されていました。
82 向井潤吉 「六月の田園(岩手県岩手郡滝沢村)」

こちらは記念撮影場所で撮ったコピーです。実物は濃密な色彩としっかりした描写で岩手の農家を描いています。繊細な濃淡や素早い筆致も観られ、写実的なだけでなく叙情性を高めるような表現になっているように思います。明るく澄んだ雰囲気が初夏の爽やかさを感じさせました。
<I.1901-1936「出生から渡欧まで」>
1章は出生からヨーロッパへ留学した頃までのコーナーです。向井潤吉は1901年に宮大工の家に生まれ、15歳で浅井忠が設立した関西美術院に入学しました。そこで徹底したデッサンを学び、1919年には初の二科展で入選しています。その後、一時上京して川端画学校で学び、大阪の高島屋呉服店で図案制作の仕事に就きつつ絵画の勉強を続けて渡欧を目指してたようです。そして1927年にシベリア鉄道でパリへ向かい、午前中はルーヴル美術館で模写、午後は画塾で裸婦のクロッキーに励むという日々を送っていたようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
10 向井潤吉 「自画像」 ★こちらで観られます
こちらは二科展で初入選した頃の自画像で、18歳くらいの若い姿でこちらに視線を向けています。重厚な厚塗りでざらついたマチエールでぼこぼこして観えるかな。背景のムラとか既に素人ではなくプロの仕上がりに観えます。結構素朴な青年といった感じの自画像でした。
この辺は初期の人物像が並んでいました。
1 浅井忠 「藁屋根」
こちらは関西美術院の創設者で日本洋画の先駆者でもある浅井忠の作品で、藁葺き屋根の家を描いています。家から出てくる親子らしき農婦の姿もあり、牧歌的な光景です。写実的でありながら素早い線で描かれている所もあって、向井潤吉は浅井忠に強く影響を受けていたのが感じられました。題材も含めて向井潤吉のルーツが分かるような作品です。
この辺には安井曾太郎の裸婦や、恩師格の黒田重太郎、須田国太郎などの作品もありました。当時の二科展に入選した作品もあります。特に都鳥英喜の「諸寄村」という作品が色彩豊かで素晴らしかったです。
34 向井潤吉 「模写/老人の頭(デューラーの模写)」 ★こちらで観られます
こちらは細密で写真のような写実性のある赤い頭巾のようなものを被った老人の肖像です。観た瞬間にデューラーの模写だと分かるような完コピぶりで、質感まで似ています。微妙な反射による顔のテカリや、丹念に描かれた髭などに確かなデッサン力と観察眼が伺えました。
22 向井潤吉 「模写/泉(アングルの模写)」
こちらはアングルの有名作の模写で、本物に比べるとやや影が強いようにも思えますが見事な出来栄えです。等身大の大きさで見栄えもするので、会場でも特に目を引く作品でした。なお、向井潤吉は帰国後も生活はギリギリだったようで、こうした模写を売って生計を立てていた時期もあるようです。
この他にもルーベンス、ルノワール、コロー、ミレー、ドーミエなどの模写もありました。ちょっと向井潤吉のテイストが出ているのもありますが、概ね精巧な模写となっていました。一方で、物凄く荒いタッチで描いたオリジナル作品の「街の力士」などは、モンティセリのようなちょっとやり過ぎな位の描写となっていて驚きました。
1章の最後の辺りにはシベリア鉄道の下関~モスコー(モスクワ)の切符などもありました。(しかも一番切符w)
<II.1937-1959「戦争の時代、そして民家との出会い」>
続けて戦中・戦後の時代のコーナーです。パリから帰国した頃には日本は戦争に向かいつつあり、1937年に日中戦争が勃発すると向井潤吉は従軍を志願して中国東北部へと赴きました。その後、軍の嘱託で中国・フィリピン・ビルマで作戦記録画の制作に従事し、何と悪名高いインパール作戦にも従軍して極限的な状況も体験したようです。
終戦間際になると、自邸の防空壕に持ち込んだ蔵書の中から『民家図集』を手に取り、戦災で失われる家々を描き残したいと考えたようで、終戦直後の1945年には長女の疎開先だった新潟県北魚沼郡川口村で「雨」を描き、それ以降 全国各地の民家を描き始めるようになったようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
56 古家新 「日の出」
こちらは一時解散していた二科展に代わって向井潤吉らが終戦後に結成した行動美術協会の創立メンバーの作品です。海から観る山越しに昇る日の出を描いていて、非常に厚塗りで強い色彩となっています。特に海面の光の反射は3mmくらい盛り上がってるんじゃないかなw シンプルな構図ですが、ダイナミックな筆使いと対比的な色彩で力強さを感じました。
この辺は終戦当時の仲間の作品もありました。
39 向井潤吉 「影(中国・蘇州上空にて)」
こちらは運河が流れ、沢山の家が密集している中国の街を空から見下ろす構図で描いた作品です。街には巨大な飛行機の機影が落ちていて、構図の大胆さと影の異常なまでの大きさに圧倒されます。ちょっと時代の不穏さも感じますが、絵としては面白い作品でした。
この辺には炭鉱で働く人の作品などもあって時代を感じます。
43 向井潤吉 「ロクタク湖白雨」
こちらは山と湖の周辺を見渡すような構図の作品で、左半分に雲から凄い勢いで雨が降っている様子、右半分は無数の戦闘機が戦い 黒煙を上げて落ちてくる飛行機の姿もあり、手前には兵士の進軍も描かれています。美しい風景であるのに、激しい戦闘が行われていて対比的な恐ろしさを感じます。この戦いはインパール作戦の一部みたいなので、実際は地獄だったでしょうね…。
この辺にはインパール作戦の資料もありました。無能の極みとも言える牟田口廉也の根性論で補給を疎かにし無駄に犠牲を強いた最悪の作戦です。
44 向井潤吉 「雨(新潟県北魚沼郡川口村)」
こちらが民家を描くきっかけとなった作品のようで、雨降る民家の間の道を描いています。傘をさしていたり箕を被っている人の姿などもあり、雨の情景が漂います。民家は普通の屋根ですが、洗濯物を干していたり生活感があって当時の様子が伝わってきました。さらっと描いているけど情感豊かな作品です。
47 向井潤吉 「漂人」 ★こちらで観られます
こちらはチューリップ帽みたいなのを被った浮浪者風の男性を描いたもので、復員してきた人かな?? 怪訝そうにこちらを伺っていて、全体的に茶色く薄汚れてかなり貧しそうです。不安な世の中の情勢も表れているように思えました。
この近くには たいめいけんのシェフを描いた作品などもありました。また、寂しく貧しい村を描いた作品などもありました。
<III.1960-1989「民家遍旅」>
続いては高度成長期の頃のコーナーです。向井潤吉は1961年に不審火でアトリエと応接間を消失したようで、多くの資料や作品を失っているようです。それでも9日後には活動を再開し、精力的に取材を続けました(この辺のガッツは戦争帰りだけあります) この時代の日本は高度成長によって各地の風景が失われて行った頃で、向井潤吉は失われる前に描こうと焦燥感を持って全国各地に赴いていたようです。ここには代名詞的な民家の作品が並んでいました。
64 向井潤吉 「山間草炎」
こちらは山の斜面に藁葺き屋根の家が連なる様子が描かれた作品です。曲がりくねった坂道沿いの家の配置がリズムカルに思え、強い色彩で精密なデッサンとなっています。山形の雪に耐えるための独特の家の形も面白く、風土を感じさせました。向井潤吉の民家の絵はそれぞれの地方の特性もつぶさに描かれているのが素晴らしい点ではないかと思います。屋根の形などに特徴がよく表れているように思いました。
参考記事:
川崎市立日本民家園の写真 (2017年05月)
二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年 (パナソニック 汐留ミュージアム)
76 向井潤吉 「岳麓好日」
こちらは手前に枯れた木が並び、奥に3軒の民家が並ぶ様子が描かれています。背景には雪の積もった山が連なり、青空とのコントラストが爽やかな雰囲気となっています。雲が間近で低い位置で早く動いている様子もしっかり描かれていて、山の天気もしっかりと観察しているのが伺えました。家だけでなく自然もじっくり観察しているようで、家と自然が1つの光景として一体化したような感じで描かれているのも魅力です。
この辺は風情ある民家の絵ばかりでかなりテンションがあがりましたw 元々私は民家好きなのでここで一気に満足度が上がった感じですw
61 向井潤吉 「トレド新春」
こちらはスペインのトレドの街角を描いた縦長の作品で、坂道に立つ石造りの建物を見上げるような感じとなっています。中央には木があり、その下で3人の女性が集まって何か話しているのかな? ざらついた質感で厚塗りされていて、空の色は日本より濃くなっています。日本との風土の違いも見事に表現している一方、どこか郷愁を誘うような雰囲気は変わらず、温かみも感じられました。
続いては向井潤吉の本と雑誌の仕事のコーナーでした。
153 向井潤吉 「『悪名』挿絵原画 第63回/東京新聞連載小説」
こちらは『悪名』という連載の挿絵で、居酒屋が並ぶ繁華街の真ん中で店前に立つ着物の女性が描かれています。簡素ながら細かいタッチで写実的に描かれていて、墨で陰影も付けられて明暗を感じました。やはりデッサン力の高さがこうした仕事で活きているのではないかと思います。
挿絵は結構な数があったのですが、火事を出してからはあまりこうした仕事は行わなくなったのだとか。本なども展示されています。また、他にも木版なんかもあるのですが、何を作っても一流ですw 優れた描写力と色彩感覚に裏打ちされているのを感じます。
<IV.世田谷の地で巡り合った人々>
最後は世田谷の地で巡り合った芸術家との交流のコーナーです。ここには様々な芸術家の作品が並んでいました。
103 白と黒の会 「白と黒の会(寄せ書き)」
こちらは総勢20数名と言われる世田谷の白と黒の会という交流会の寄せ書きです。洋画家、彫刻家、日本画家、文学家などが集まっていたそうで、寄せ絵や寄せ書きをみんな好き放題描いていてちょっとカオスw 難波田龍起の名前とかあったりして、結構ビッグネームも名を連ねていたようです。 芸術作品という感じではないですが、和気あいあいとした会合だったのが伺えるような寄せ書きでした。
この辺りには牛島憲之、舟越保武などの作品もあって、思った以上に有名作家との交流があったようでした。
98 向井潤吉 「遅れる春の丘より」
こちらは3章の内容ですが、最後の部屋にありました。大型作品で藁葺き屋根の家を描いていて、手前には枯れ木とススキが生え、薄っすらとピンク色の紅梅らしき木も見えるかな。奥には山々があり、遠くの山は白く雪が積もっていてまだ早春といった所でしょうか。家には赤い洗濯物が干してあって、一際目を引くアクセントとなっていました。日本の原風景を思わせる美しい光景です。
ということで、建物好きの私には非常に刺さる内容だったので図録も買いました。向井潤吉について興味が深まったので、いずれ世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館にも足を運んでみたくなりました。画風自体も写実的かつ叙情的なので幅広い層が楽しめるのではないかと思います。今期は豪華な展示が多いですが、この展示も負けないくらいの満足度でした。
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前回ご紹介した世田谷美術館のレストランで食事を摂った後、特別展とミュージアムコレクション展を観てきました。まずは会期末が迫っている「ミュージアム コレクションⅡ 東京スケイプ Into the City」を先にご紹介していこうと思います。

【展覧名】
ミュージアム コレクションⅡ
東京スケイプ Into the City
【公式サイト】
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101
【会場】世田谷美術館 2階展示室
【最寄】用賀駅
【会期】2018年7月21日(土)~10月21日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間40分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は世田谷美術館のコレクションの中から「東京の街」をテーマにした写真を紹介するものとなっています。110点近くも並んでいて、一口に東京と言っても時代も違えば視点も異なる様々な作品となっていました。1930年代から2000年代まで年代ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
<I:1930s~>
まずは戦前・戦中のコーナーです。ここには時代の影を感じさせるような作品もありました。
7 濱谷浩 「芸者を乗せた人力車」 1938年
こちらは人力車を引く帽子の男性を撮った写真です。足元がボケていて、前傾姿勢と相まってスピード感が感じられます。まだこの時代には人力車が普通に使われていたんですね。乗っている芸者の表情は分かりませんでしたが、当時のありふれた光景を上手く切り取ったような作品でした。
10 濱谷浩 「切り絵師」 1939年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは建物の柱にもたれ掛かって切り絵を作る帽子に丸メガネの男性を撮った写真です。手前には人物を象った切り絵が並んでいて、パフォーマンスしながら売るスタイルかな? 白黒の陰影が深く、スラリとした出で立ちがダンディな一方、一人ぼっちの哀愁漂う雰囲気もあって都会の孤独や当時の社会の様子まで思わせる作品でした。
14 桑原甲子雄 「麹町区馬場先門2.26事件当時(千代田区)[東京昭和十一年]より」 1936年
こちらは2.26事件当時の写真で、手前に鉄条網が張られ、奥には雪の積もった皇居の馬場先門辺りの光景が広がっています。そして中央には一際大きな太陽があり、画面右側には帽子を被った2人の人物のシルエットが強い陰影となっています。この太陽と2人の影が何とも象徴的で不穏さを感じさせ、寒々とした光景と鉄条網が事件当時の緊迫感を伝えているように思いました。ドラマティックで歴史的にも興味深い写真です。
この近くには戦前・戦中の風景写真もありました。ゴミゴミしていたり、整然としていたり 同じ東京でもえらく雰囲気が違って観えます。世田谷のボロ市の写真なんかもあって、流石は地元の美術館ですねw
<II.1940s~1950s>
続いては戦争色が濃い1940年代と戦後間もない1950年代のコーナーです。
37 師岡宏次 「強制疎開」 1945年
こちらはバラバラに壊れた建物の残骸のある街角を撮った写真で、近くの銅像の手が折れているなど 恐らく爆撃を受けた後だと思われます。その脇をモンペ姿の女性たちが荷物を持って疎開していく様子となっていて、街自体はモダンな雰囲気なのに戦争の影響が強く感じられました。
33 師岡宏次 「銀座爆撃のあと(2)」 1945年
こちらは銀座和光の向かいの建物の上から撮った銀座の様子で、あちこちが歯抜けのように爆撃されて瓦礫の山となっています。それでも多くの人が行き交い、市電が走っているなど割と活気があるのが驚きです。制作年だけだと終戦間際か終戦後か分かりませんが、当時の日本人の逞しさを感じる写真となっていました。
この辺には銀座の焼け跡を撮った写真が並んでいました。これらも歴史的資料としても貴重だと思われます。
42 師岡宏次 「深大寺そば [想い出の武蔵野]より」 1955年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは深大寺のお蕎麦屋さんの店先でお蕎麦を食べている女性を撮った白黒写真です。その横で、鶏が女性の方を向いて立っていて まるでお蕎麦を食べるのを観ているような光景となっていますw 1955年にもなると戦争の時代から徐々に遠ざかって平和でのんびりした雰囲気が漂っていました。ちょっとほっこりする写真です。
<III.1960s~1970s>
続いては高度成長期のコーナーです。ここには現在以上に猛烈だった時代を感じさせる作品が並んでいました。
52 桑原甲子雄 「渋谷駅 [東京戦後]より」 1965年 ★こちらで観られます(pdf)
今回のポスターになっている白黒写真で、渋谷駅の東口辺りを2階くらいから見渡す光景となっています。すぐ手前には都電が何本もいて、奥にはバスが4~5台止まっているなど大量輸送の時代を感じさせます。奥にはちょっと前に無くなった東急のホームもあって懐かしさもあるかなw 沢山の人がいて賑わっているようですが、どこか寂しい風景のようにも思えました。 それにしても、何故か画面の左上辺りに窓枠みたいな黒い線があるのが非常に目を引いて、窓から外を覗いているようなアクセントになっていました。
58 桑原甲子雄 「池袋駅前 [東京戦後]より」 1966年
こちらは池袋駅前の都電の駅から通りを撮った白黒写真で、車が渋滞している様子となっています。そして背景の建物は様々な広告や看板がぎっしりと詰まっていて、文字で看板が埋まりそうなほど中々の密度と圧迫感ですw 構図も面白くて、都市の過密ぶりを感じさせました。
<IV.1980s~>
続いてはバブル時代に向かっていく1980年代のコーナーです。ここはまたこれまでとは違った雰囲気の都市風景となっていました。
69 宮本隆司 「日比谷映画劇場 [建築の黙示録]より」1984年
こちらは劇場の取り壊し現場の白黒写真で、ショベルカーが劇場内に入り込んで、周りは瓦礫だらけとなっています。劇場という楽しい空間が破壊されていくのは哀愁を感じると共に 組み合わせが非日常的なせいかシュールさも感じられました。
この作品はシリーズのようで何点かあり、古い建物をぶっ壊す様子が写っていました。建物好きとしては古い建物はなるべく大事にして欲しいものですが…。
87 平嶋彰彦 「住吉一丁目・同潤会猿江裏町アパート」 1986年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは螺旋階段の上から下を見下ろすような構図の白黒写真です。あちこちがボロボロになっているのも分かるのですが、手すりと遠近感によって目の形のように見えるのが面白く、視点と着想が素晴らしい作品でした。
<V.Toward 1990s>
続いてはバブル絶頂から崩壊後の1990年代のコーナーです。(と言っても1988年の作品もこのコーナーにあります)
108 荒木経惟 「[東京物語] より」 1988年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは白黒のスナップショットのような作品です。人のいない寂しげな公園や、みんな横を向いていて無関心な感じの人々を撮った作品があり、都会の空虚さが表れているように思いました。
荒木経惟 氏は他にも奥さんが死に向かっている頃の「冬へ」などもありました。
参考記事:
荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017- (東京都写真美術館)
荒木経惟 写狂老人A (東京オペラシティアートギャラリー)
<VI.2000s and then>
最後は2000年代のコーナーです。ここは割と現在に近い光景ですが、もう2000年代も結構遠ざかって来てますね…。
111 勝又公仁彦 「Dwelling」 2008年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは住宅街の行き止まりの道を撮ったカラー写真が16枚並んだ作品です。1枚1枚はよくある風景なのですが、同じような風景が16枚もセットになると風景に個性が無くなってテンプレートのように思えてきますw いずれも人が1人もいないこともあって、生活感溢れるはずの住宅街が無機質なもののように観えてくるのも面白かったです。
参考記事:写真都市展 -ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち- (21_21 DESIGN SIGHT)
ということで、予想以上に面白い内容でした。当時の情景を伝えるだけでなく各写真家の視点や構図も素晴らしく、個性が感じられました。もうすぐ会期末となりますので、気になる方はすぐにでもどうぞ。
おまけ:
写真の展示の後に小コーナーで同時開催で「濱田窯の系譜-濱田晋作 濱田友緒展」も開催していました。
<濱田窯の系譜-濱田晋作 濱田友緒展>
【会期】2018年7月21日(土)~10月21日(日)
こちらは濱田晋作4点・濱田友緒16点の陶磁器が並んでいました。色・形ともに伝統と革新の両面が感じられて、少数ながらも見応えがありました。

【展覧名】
ミュージアム コレクションⅡ
東京スケイプ Into the City
【公式サイト】
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection/detail.php?id=col00101
【会場】世田谷美術館 2階展示室
【最寄】用賀駅
【会期】2018年7月21日(土)~10月21日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間40分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は世田谷美術館のコレクションの中から「東京の街」をテーマにした写真を紹介するものとなっています。110点近くも並んでいて、一口に東京と言っても時代も違えば視点も異なる様々な作品となっていました。1930年代から2000年代まで年代ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
<I:1930s~>
まずは戦前・戦中のコーナーです。ここには時代の影を感じさせるような作品もありました。
7 濱谷浩 「芸者を乗せた人力車」 1938年
こちらは人力車を引く帽子の男性を撮った写真です。足元がボケていて、前傾姿勢と相まってスピード感が感じられます。まだこの時代には人力車が普通に使われていたんですね。乗っている芸者の表情は分かりませんでしたが、当時のありふれた光景を上手く切り取ったような作品でした。
10 濱谷浩 「切り絵師」 1939年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは建物の柱にもたれ掛かって切り絵を作る帽子に丸メガネの男性を撮った写真です。手前には人物を象った切り絵が並んでいて、パフォーマンスしながら売るスタイルかな? 白黒の陰影が深く、スラリとした出で立ちがダンディな一方、一人ぼっちの哀愁漂う雰囲気もあって都会の孤独や当時の社会の様子まで思わせる作品でした。
14 桑原甲子雄 「麹町区馬場先門2.26事件当時(千代田区)[東京昭和十一年]より」 1936年
こちらは2.26事件当時の写真で、手前に鉄条網が張られ、奥には雪の積もった皇居の馬場先門辺りの光景が広がっています。そして中央には一際大きな太陽があり、画面右側には帽子を被った2人の人物のシルエットが強い陰影となっています。この太陽と2人の影が何とも象徴的で不穏さを感じさせ、寒々とした光景と鉄条網が事件当時の緊迫感を伝えているように思いました。ドラマティックで歴史的にも興味深い写真です。
この近くには戦前・戦中の風景写真もありました。ゴミゴミしていたり、整然としていたり 同じ東京でもえらく雰囲気が違って観えます。世田谷のボロ市の写真なんかもあって、流石は地元の美術館ですねw
<II.1940s~1950s>
続いては戦争色が濃い1940年代と戦後間もない1950年代のコーナーです。
37 師岡宏次 「強制疎開」 1945年
こちらはバラバラに壊れた建物の残骸のある街角を撮った写真で、近くの銅像の手が折れているなど 恐らく爆撃を受けた後だと思われます。その脇をモンペ姿の女性たちが荷物を持って疎開していく様子となっていて、街自体はモダンな雰囲気なのに戦争の影響が強く感じられました。
33 師岡宏次 「銀座爆撃のあと(2)」 1945年
こちらは銀座和光の向かいの建物の上から撮った銀座の様子で、あちこちが歯抜けのように爆撃されて瓦礫の山となっています。それでも多くの人が行き交い、市電が走っているなど割と活気があるのが驚きです。制作年だけだと終戦間際か終戦後か分かりませんが、当時の日本人の逞しさを感じる写真となっていました。
この辺には銀座の焼け跡を撮った写真が並んでいました。これらも歴史的資料としても貴重だと思われます。
42 師岡宏次 「深大寺そば [想い出の武蔵野]より」 1955年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは深大寺のお蕎麦屋さんの店先でお蕎麦を食べている女性を撮った白黒写真です。その横で、鶏が女性の方を向いて立っていて まるでお蕎麦を食べるのを観ているような光景となっていますw 1955年にもなると戦争の時代から徐々に遠ざかって平和でのんびりした雰囲気が漂っていました。ちょっとほっこりする写真です。
<III.1960s~1970s>
続いては高度成長期のコーナーです。ここには現在以上に猛烈だった時代を感じさせる作品が並んでいました。
52 桑原甲子雄 「渋谷駅 [東京戦後]より」 1965年 ★こちらで観られます(pdf)
今回のポスターになっている白黒写真で、渋谷駅の東口辺りを2階くらいから見渡す光景となっています。すぐ手前には都電が何本もいて、奥にはバスが4~5台止まっているなど大量輸送の時代を感じさせます。奥にはちょっと前に無くなった東急のホームもあって懐かしさもあるかなw 沢山の人がいて賑わっているようですが、どこか寂しい風景のようにも思えました。 それにしても、何故か画面の左上辺りに窓枠みたいな黒い線があるのが非常に目を引いて、窓から外を覗いているようなアクセントになっていました。
58 桑原甲子雄 「池袋駅前 [東京戦後]より」 1966年
こちらは池袋駅前の都電の駅から通りを撮った白黒写真で、車が渋滞している様子となっています。そして背景の建物は様々な広告や看板がぎっしりと詰まっていて、文字で看板が埋まりそうなほど中々の密度と圧迫感ですw 構図も面白くて、都市の過密ぶりを感じさせました。
<IV.1980s~>
続いてはバブル時代に向かっていく1980年代のコーナーです。ここはまたこれまでとは違った雰囲気の都市風景となっていました。
69 宮本隆司 「日比谷映画劇場 [建築の黙示録]より」1984年
こちらは劇場の取り壊し現場の白黒写真で、ショベルカーが劇場内に入り込んで、周りは瓦礫だらけとなっています。劇場という楽しい空間が破壊されていくのは哀愁を感じると共に 組み合わせが非日常的なせいかシュールさも感じられました。
この作品はシリーズのようで何点かあり、古い建物をぶっ壊す様子が写っていました。建物好きとしては古い建物はなるべく大事にして欲しいものですが…。
87 平嶋彰彦 「住吉一丁目・同潤会猿江裏町アパート」 1986年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは螺旋階段の上から下を見下ろすような構図の白黒写真です。あちこちがボロボロになっているのも分かるのですが、手すりと遠近感によって目の形のように見えるのが面白く、視点と着想が素晴らしい作品でした。
<V.Toward 1990s>
続いてはバブル絶頂から崩壊後の1990年代のコーナーです。(と言っても1988年の作品もこのコーナーにあります)
108 荒木経惟 「[東京物語] より」 1988年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは白黒のスナップショットのような作品です。人のいない寂しげな公園や、みんな横を向いていて無関心な感じの人々を撮った作品があり、都会の空虚さが表れているように思いました。
荒木経惟 氏は他にも奥さんが死に向かっている頃の「冬へ」などもありました。
参考記事:
荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017- (東京都写真美術館)
荒木経惟 写狂老人A (東京オペラシティアートギャラリー)
<VI.2000s and then>
最後は2000年代のコーナーです。ここは割と現在に近い光景ですが、もう2000年代も結構遠ざかって来てますね…。
111 勝又公仁彦 「Dwelling」 2008年 ★こちらで観られます(pdf)
こちらは住宅街の行き止まりの道を撮ったカラー写真が16枚並んだ作品です。1枚1枚はよくある風景なのですが、同じような風景が16枚もセットになると風景に個性が無くなってテンプレートのように思えてきますw いずれも人が1人もいないこともあって、生活感溢れるはずの住宅街が無機質なもののように観えてくるのも面白かったです。
参考記事:写真都市展 -ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち- (21_21 DESIGN SIGHT)
ということで、予想以上に面白い内容でした。当時の情景を伝えるだけでなく各写真家の視点や構図も素晴らしく、個性が感じられました。もうすぐ会期末となりますので、気になる方はすぐにでもどうぞ。
おまけ:
写真の展示の後に小コーナーで同時開催で「濱田窯の系譜-濱田晋作 濱田友緒展」も開催していました。
<濱田窯の系譜-濱田晋作 濱田友緒展>
【会期】2018年7月21日(土)~10月21日(日)
こちらは濱田晋作4点・濱田友緒16点の陶磁器が並んでいました。色・形ともに伝統と革新の両面が感じられて、少数ながらも見応えがありました。
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先週の日曜日に世田谷美術館に行ってきたのですが、その際にまずは併設のレストランでお昼を摂りました。このお店は以前もご紹介したことがありますが、だいぶ前なので改めて記事にしておこうと思います。

【店名】
ル・ジャルダン
【ジャンル】
レストラン・カフェ
【公式サイト】
http://www.setagaya.co.jp/le_jardin/
食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131707/13013764/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
用賀駅
【近くの美術館】
世田谷美術館(館内のレストランです)
【この日にかかった1人の費用】
2200円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_3_④_5_快適
【混み具合・混雑状況(土曜日15時頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
この日は美術館自体がそれほど混んでいなかったこともあって、すぐに入ることが出来ました。(人気の展示の時は結構混んでる時もあります。)
さて、このお店は世田谷美術館の奥の方にあるレストランで、14時以降はカフェとなります。(公式サイトでは14時半からと書いてあります) さらに夜はディナータイムもあるそうで、ディナーは予約制のようです。以前にご紹介した際はカフェタイムについてご紹介していたのですが、この日はレストランとして利用してみました。
参考記事:ル・ジャルダン (世田谷美術館のお店)
美術館から長い通路を抜けて行くことが多いけど、お店のすぐ横からも中に入ることができます。

美術館に併設されていることもあって2017年7月~2018年1月の改修の際には休業していたようです。
中はこんな感じ。全面ガラス張りで非常に開放感があります。

この日は日差しが強いということで、やや内側の席を勧めてくれました。心配りが素晴らしいお店です。
外の景色はこんな感じ。

公園を眺めながらランチを摂りました。
この日のランチは2200円のコースのみとなっていました。以前は違うのもあったように記憶しているので、時期によって変わるのかも。たまにコラボメニューとかやってるし。
こちらはコースのサラダ。

まあ、これは普通でしたw ちょっとドレッシングが多すぎて酸っぱいかなw
続いてこちらは前菜。多分、前菜の内容も固定ではないと思います。

赤いのはちょっと忘れましたがリンゴだったかな。真ん中にある木の葉みたいなのはイカスミのサブレです。
サブレの下にはイカが隠れていました。

黄色いのはカレー風味のソースです。イカは生臭さが一切なく、ソースに馴染んで美味しかったです。
付け合せのパン。

こちらもサクサクした食感で温かくて美味しかったです。ついでにカレーやココアを塗って楽しめました。
メインは魚か肉を選べたので肉にしました。ラムのハンバーグです。

こちらは濃厚なラムの味と香りが口に広がって非常に美味しかったです。ラム好きにはたまりません。結構、肉の食感も楽しめるしソースも肉の味を引き立てていました。
食後にはコーヒーもつきました。

コーヒーはスッキリして軽やかな感じです。苦味も少なめで、まろやかで飲みやすかったです。
ということで、ちょっと高めのランチでしたが それに見合った内容で今回もクオリティの高い料理と雰囲気を楽しんできました。この日は晴れて気持ちも良かったので、心地よく過ごすことができました。店員さんの心配りも細やかで素晴らしかったです。この後、世田谷美術館の特別展と常設展を観てきましたので、次回以降はそれらについてご紹介しようと思います。
おまけ:
レストランから美術館に向かう回廊がちょっと面白い光景なので、写真を撮ってみました。

一点透視図法の見本みたいな光景ですw
美術館からレストラン方向。

ここの椅子で外を眺めるのも良いかも。

【店名】
ル・ジャルダン
【ジャンル】
レストラン・カフェ
【公式サイト】
http://www.setagaya.co.jp/le_jardin/
食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131707/13013764/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
用賀駅
【近くの美術館】
世田谷美術館(館内のレストランです)
【この日にかかった1人の費用】
2200円程度
【味】
不味_1_2_3_④_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_3_④_5_快適
【混み具合・混雑状況(土曜日15時頃です)】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
この日は美術館自体がそれほど混んでいなかったこともあって、すぐに入ることが出来ました。(人気の展示の時は結構混んでる時もあります。)
さて、このお店は世田谷美術館の奥の方にあるレストランで、14時以降はカフェとなります。(公式サイトでは14時半からと書いてあります) さらに夜はディナータイムもあるそうで、ディナーは予約制のようです。以前にご紹介した際はカフェタイムについてご紹介していたのですが、この日はレストランとして利用してみました。
参考記事:ル・ジャルダン (世田谷美術館のお店)
美術館から長い通路を抜けて行くことが多いけど、お店のすぐ横からも中に入ることができます。

美術館に併設されていることもあって2017年7月~2018年1月の改修の際には休業していたようです。
中はこんな感じ。全面ガラス張りで非常に開放感があります。

この日は日差しが強いということで、やや内側の席を勧めてくれました。心配りが素晴らしいお店です。
外の景色はこんな感じ。

公園を眺めながらランチを摂りました。
この日のランチは2200円のコースのみとなっていました。以前は違うのもあったように記憶しているので、時期によって変わるのかも。たまにコラボメニューとかやってるし。
こちらはコースのサラダ。

まあ、これは普通でしたw ちょっとドレッシングが多すぎて酸っぱいかなw
続いてこちらは前菜。多分、前菜の内容も固定ではないと思います。

赤いのはちょっと忘れましたがリンゴだったかな。真ん中にある木の葉みたいなのはイカスミのサブレです。
サブレの下にはイカが隠れていました。

黄色いのはカレー風味のソースです。イカは生臭さが一切なく、ソースに馴染んで美味しかったです。
付け合せのパン。

こちらもサクサクした食感で温かくて美味しかったです。ついでにカレーやココアを塗って楽しめました。
メインは魚か肉を選べたので肉にしました。ラムのハンバーグです。

こちらは濃厚なラムの味と香りが口に広がって非常に美味しかったです。ラム好きにはたまりません。結構、肉の食感も楽しめるしソースも肉の味を引き立てていました。
食後にはコーヒーもつきました。

コーヒーはスッキリして軽やかな感じです。苦味も少なめで、まろやかで飲みやすかったです。
ということで、ちょっと高めのランチでしたが それに見合った内容で今回もクオリティの高い料理と雰囲気を楽しんできました。この日は晴れて気持ちも良かったので、心地よく過ごすことができました。店員さんの心配りも細やかで素晴らしかったです。この後、世田谷美術館の特別展と常設展を観てきましたので、次回以降はそれらについてご紹介しようと思います。
おまけ:
レストランから美術館に向かう回廊がちょっと面白い光景なので、写真を撮ってみました。

一点透視図法の見本みたいな光景ですw
美術館からレストラン方向。

ここの椅子で外を眺めるのも良いかも。
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10日ほど前の日曜日に三鷹市美術ギャラリーで「横山操展 ~アトリエより~」を観てきました。この展示は既に終了していますが、今後の参考になると思いますので記事にしておこうと思います。

【展覧名】
横山操展 ~アトリエより~
【公式サイト】
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/event/20180804/
【会場】三鷹市美術ギャラリー
【最寄】三鷹駅
【会期】2018年8月4日(土) ~ 10月14日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は現代の日本画家 横山操の個展となっていました。横山操は盟友の加山又造にも影響を与えた個性的かつ現代的な作風で、加山又造が特に好きな私としては是非観ておきたい展示でした。しかし完成作はそれほどなく、素描やスケッチ、製作中の作品などが多めで「~アトリエより~」というサブタイトルはそれを表していたのかも…。
まず簡単に横山操についてですが、1920年に新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に生まれ、14歳で上京し文京区の図案社などで働きながら画家を目指しはじめました。その後20歳で召集され、中国各地を転戦した後にシベリアで抑留されて復員したのは1950年の戦後だったようです。戦後は川端龍子の青龍社を中心に大画面の日本画を描くと共に、故郷の山並みや夕景を叙情的に表現したそうです。復員の翌年に結婚して1952年には娘を授かり、都内を移り住んでいたようで、1959年には三鷹に自宅・アトリエを建てました。何故かその際に過去の作品の大半を焼却してしまったようです…。何かの覚悟かもしれませんが、その後はますます活躍したそうで、1966年には多摩美術大学日本画科教授に就任し 後進の育成にも力を注ぎます。(今回の展示でも多摩美術大学の出品が結構あったのはその所縁だと思われます) しかし教授就任の5年後の1971年に脳卒中で倒れ、半身不随で利き腕の右手が使えなくなってしまいます。それでもリハビリをして左手で描くなど再び歩み始めましたが、1973年に再び脳卒中に倒れ、亡くなったそうです。
と、そんな波乱に満ちた人生を送られて画風も結構変わっていたりしますが 展覧会は特に章分けされる訳ではなく、概ね時代順となっているようでした(制作年不明も多数あります) 簡単に会場の様子と気に入った作品をご紹介していこうと思います。
1 横山操 「梅に鶯」 ★こちらで観られます
こちらは復員の翌年に描かれたもので、花咲く梅にとまる鶯が描かれています。鶯は写実的ですが、梅の枝はデフォルメされていて琳派風に思えます。所々に滲みを活かしたたらし込みのような技法も見受けられるかな。小品ながら春の温かみや期待を感じさせるような作品でした。
3 横山操 「舞妓」
こちらは金と銀の扇の間に白い顔の舞妓の顔が描かれた作品です。美人ですが強い目をしていて緊張感のある面持ちに思えるかな。金や銀の部分は盛り上がって ざらついた質感となっていて、舞妓も太めの輪郭を使って描かれるなど全体的に力強い表現となっていました。
この辺は舞妓をモチーフにした作品が並び、スケッチなどもありました。その少し先には「操と基子夫人による手作りの年譜」というスクラップブックのようなものがあり、横山操自身と奥さんがまとめた受賞や批評の新聞記事をまとめたような内容となっていました。
70 横山操 「未完 3」
こちらは富士山の山頂付近を描いた作品で、かなり太い黒で山の稜線を型どっています。細かい粒のようなものが見えるほどマチエールがざらついていて、かなりの重厚感があって もはや油彩にしか思えません。未完とのことですが、堂々たる風格を漂わせる作品でした。
同様の「未完 4」も赤い富士を描いていて見事でした。未完の富士は4点くらいあったかな。
この辺にはイーゼル、定規、パレットナイフ、筆、箔、硯、受賞メダルなど制作や受賞に関する品なども並んでいました。
21 横山操 「春夏秋冬屏風」
こちらは六曲一隻の屏風で、20cmくらいの太さの筆跡で「春夏秋冬」と左上から右下にかけて下がっていくように書かれています。かすれたり滲んだり飛び散ったり と かなり豪快な印象です。非常に勢いを感じさせる筆跡でした。
72 横山操 「小説「石版東京図絵(作:永井龍男)」挿絵原画」
こちらは1967年に毎日新聞で連載された小説の挿絵で、明治~大正の東京の街の暮らしや 大震災、戦後に街が変わっていく様子など主人公の関由太郎の成長と共に描くストーリーのようです。非常にシンプルなモノクロの挿絵ですが、当時の情感が漂い どこか郷愁を誘います。また、絵の端々には指示書きのようなものがあって、「中心より左の位置にする」といったことやサイズ等が書かれていました。 物語の最初の辺りは明治42年の国技館や落成当時の帝劇などの瀟洒な建物の絵があって、今とは違った豪華さがあります。一方で当時の子供たちの素朴な可愛さが伝わる絵もあったりします。また、大震災の火事や人々が逃げ惑う様子、焼け野原となったシーンなどは恐ろしさやその後の寂しさを見事に表現していました。その後はしばらく長閑な雰囲気が漂っていて、途中から女性キャラも加わって人間模様を感じさせるような挿絵となっていました。話を知らずに絵だけ観てると中身が気になってきますw
この近くには当時の小説の本や新聞なんかもありました。その後は外国の風景のスケッチのコーナーです。中国・イタリア・フランスなどの絵が並んでいました。
41 横山操 「北京天安門」
こちらは北京の天安門を描いたスケッチです。フリーハンドで描いていてやや右下下がりになっているように思えますが威圧的な構えの雰囲気がよく伝わってきます。画面には1人も人がいない静けさが漂っているのもそれを感じさせる要因かもしれません。
その先には日本の風景のスケッチもいくつかありました。
33,34 横山操 「紅梅図屏風」「白梅図屏風」 ★こちらで観られます
今回の展示の一番の見どころはこれかな。六曲一双の屏風で、左隻は銀地に白い花を咲かせる白梅図、右隻は金地に赤い花を咲かせる紅梅図となっています。何故か紅梅図の左から三番目の曲は欠けているのが残念。題材や滲みを使っている点などは琳派風ですが、紅梅図は色が強く花がかなり大きく感じられ、赤い花の中には無数の黄色い雄蕊が描かれているのが絢爛さを感じさせます。一方の白梅は黒々とした木と白い花が静けさを漂わせ、さらにその上からモヤのように白を塗り重ねていて、霞むような幻想性がありました。対比的で非常に面白い作品で見応えがありました。
その後は再びスケッチ作品が並んでいました。農家や町並み、木々などを描いていて輪郭の強さが目を引きました。
82 横山操 「夜の教会」
これもコンテによるスケッチで、縦の画面の下の方に明かりが灯る三角屋根の家のシルエットがあり、屋根に十字架が載っています。背景の空が大きく取られ、黒のグラデーションで夕暮れを表していて、シンプルだけど非常にしんみりとした雰囲気があり好みでした。力強い作品があったと思えばこういう繊細さもあるのが面白いです。
この近くにあった「月明河岸」も叙情的だったし、繊細な表現の作風もかなり良いです。
その先には顔料や朱肉、奥さんの墨跡や娘さんの水彩画なんかもありました。娘さんの絵も琳派的な雰囲気の題材で、趣味の範囲とは思えない出来でした。
92 横山操 「茜」
こちらは中央に川が流れる野原を描いたもので、枯れ木が立ち並び背景には夕暮れの山も描かれています。稜線と木以外はあまり輪郭が使われていない柔らかめの表現となっていて、これまでの作品とはちょっと趣が違うようにも感じたかな。特に夕日の色合いが寂しさと神々しさを感じさせて、また違った魅力となっていました。
この近くの「むさし乃」(★こちらで観られます)も赤い滲みを使っていて、幻想的な雰囲気でした。最晩年で画風が変わったのかも。
ということで、もうちょっと完成した作品を観てみたかったというのが正直なところですが、それでも風情ある絵が多かったのが良かったです。既に終わってしまいましたが記憶に留めておきたい画家です。

【展覧名】
横山操展 ~アトリエより~
【公式サイト】
http://mitaka-sportsandculture.or.jp/gallery/event/20180804/
【会場】三鷹市美術ギャラリー
【最寄】三鷹駅
【会期】2018年8月4日(土) ~ 10月14日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は現代の日本画家 横山操の個展となっていました。横山操は盟友の加山又造にも影響を与えた個性的かつ現代的な作風で、加山又造が特に好きな私としては是非観ておきたい展示でした。しかし完成作はそれほどなく、素描やスケッチ、製作中の作品などが多めで「~アトリエより~」というサブタイトルはそれを表していたのかも…。
まず簡単に横山操についてですが、1920年に新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に生まれ、14歳で上京し文京区の図案社などで働きながら画家を目指しはじめました。その後20歳で召集され、中国各地を転戦した後にシベリアで抑留されて復員したのは1950年の戦後だったようです。戦後は川端龍子の青龍社を中心に大画面の日本画を描くと共に、故郷の山並みや夕景を叙情的に表現したそうです。復員の翌年に結婚して1952年には娘を授かり、都内を移り住んでいたようで、1959年には三鷹に自宅・アトリエを建てました。何故かその際に過去の作品の大半を焼却してしまったようです…。何かの覚悟かもしれませんが、その後はますます活躍したそうで、1966年には多摩美術大学日本画科教授に就任し 後進の育成にも力を注ぎます。(今回の展示でも多摩美術大学の出品が結構あったのはその所縁だと思われます) しかし教授就任の5年後の1971年に脳卒中で倒れ、半身不随で利き腕の右手が使えなくなってしまいます。それでもリハビリをして左手で描くなど再び歩み始めましたが、1973年に再び脳卒中に倒れ、亡くなったそうです。
と、そんな波乱に満ちた人生を送られて画風も結構変わっていたりしますが 展覧会は特に章分けされる訳ではなく、概ね時代順となっているようでした(制作年不明も多数あります) 簡単に会場の様子と気に入った作品をご紹介していこうと思います。
1 横山操 「梅に鶯」 ★こちらで観られます
こちらは復員の翌年に描かれたもので、花咲く梅にとまる鶯が描かれています。鶯は写実的ですが、梅の枝はデフォルメされていて琳派風に思えます。所々に滲みを活かしたたらし込みのような技法も見受けられるかな。小品ながら春の温かみや期待を感じさせるような作品でした。
3 横山操 「舞妓」
こちらは金と銀の扇の間に白い顔の舞妓の顔が描かれた作品です。美人ですが強い目をしていて緊張感のある面持ちに思えるかな。金や銀の部分は盛り上がって ざらついた質感となっていて、舞妓も太めの輪郭を使って描かれるなど全体的に力強い表現となっていました。
この辺は舞妓をモチーフにした作品が並び、スケッチなどもありました。その少し先には「操と基子夫人による手作りの年譜」というスクラップブックのようなものがあり、横山操自身と奥さんがまとめた受賞や批評の新聞記事をまとめたような内容となっていました。
70 横山操 「未完 3」
こちらは富士山の山頂付近を描いた作品で、かなり太い黒で山の稜線を型どっています。細かい粒のようなものが見えるほどマチエールがざらついていて、かなりの重厚感があって もはや油彩にしか思えません。未完とのことですが、堂々たる風格を漂わせる作品でした。
同様の「未完 4」も赤い富士を描いていて見事でした。未完の富士は4点くらいあったかな。
この辺にはイーゼル、定規、パレットナイフ、筆、箔、硯、受賞メダルなど制作や受賞に関する品なども並んでいました。
21 横山操 「春夏秋冬屏風」
こちらは六曲一隻の屏風で、20cmくらいの太さの筆跡で「春夏秋冬」と左上から右下にかけて下がっていくように書かれています。かすれたり滲んだり飛び散ったり と かなり豪快な印象です。非常に勢いを感じさせる筆跡でした。
72 横山操 「小説「石版東京図絵(作:永井龍男)」挿絵原画」
こちらは1967年に毎日新聞で連載された小説の挿絵で、明治~大正の東京の街の暮らしや 大震災、戦後に街が変わっていく様子など主人公の関由太郎の成長と共に描くストーリーのようです。非常にシンプルなモノクロの挿絵ですが、当時の情感が漂い どこか郷愁を誘います。また、絵の端々には指示書きのようなものがあって、「中心より左の位置にする」といったことやサイズ等が書かれていました。 物語の最初の辺りは明治42年の国技館や落成当時の帝劇などの瀟洒な建物の絵があって、今とは違った豪華さがあります。一方で当時の子供たちの素朴な可愛さが伝わる絵もあったりします。また、大震災の火事や人々が逃げ惑う様子、焼け野原となったシーンなどは恐ろしさやその後の寂しさを見事に表現していました。その後はしばらく長閑な雰囲気が漂っていて、途中から女性キャラも加わって人間模様を感じさせるような挿絵となっていました。話を知らずに絵だけ観てると中身が気になってきますw
この近くには当時の小説の本や新聞なんかもありました。その後は外国の風景のスケッチのコーナーです。中国・イタリア・フランスなどの絵が並んでいました。
41 横山操 「北京天安門」
こちらは北京の天安門を描いたスケッチです。フリーハンドで描いていてやや右下下がりになっているように思えますが威圧的な構えの雰囲気がよく伝わってきます。画面には1人も人がいない静けさが漂っているのもそれを感じさせる要因かもしれません。
その先には日本の風景のスケッチもいくつかありました。
33,34 横山操 「紅梅図屏風」「白梅図屏風」 ★こちらで観られます
今回の展示の一番の見どころはこれかな。六曲一双の屏風で、左隻は銀地に白い花を咲かせる白梅図、右隻は金地に赤い花を咲かせる紅梅図となっています。何故か紅梅図の左から三番目の曲は欠けているのが残念。題材や滲みを使っている点などは琳派風ですが、紅梅図は色が強く花がかなり大きく感じられ、赤い花の中には無数の黄色い雄蕊が描かれているのが絢爛さを感じさせます。一方の白梅は黒々とした木と白い花が静けさを漂わせ、さらにその上からモヤのように白を塗り重ねていて、霞むような幻想性がありました。対比的で非常に面白い作品で見応えがありました。
その後は再びスケッチ作品が並んでいました。農家や町並み、木々などを描いていて輪郭の強さが目を引きました。
82 横山操 「夜の教会」
これもコンテによるスケッチで、縦の画面の下の方に明かりが灯る三角屋根の家のシルエットがあり、屋根に十字架が載っています。背景の空が大きく取られ、黒のグラデーションで夕暮れを表していて、シンプルだけど非常にしんみりとした雰囲気があり好みでした。力強い作品があったと思えばこういう繊細さもあるのが面白いです。
この近くにあった「月明河岸」も叙情的だったし、繊細な表現の作風もかなり良いです。
その先には顔料や朱肉、奥さんの墨跡や娘さんの水彩画なんかもありました。娘さんの絵も琳派的な雰囲気の題材で、趣味の範囲とは思えない出来でした。
92 横山操 「茜」
こちらは中央に川が流れる野原を描いたもので、枯れ木が立ち並び背景には夕暮れの山も描かれています。稜線と木以外はあまり輪郭が使われていない柔らかめの表現となっていて、これまでの作品とはちょっと趣が違うようにも感じたかな。特に夕日の色合いが寂しさと神々しさを感じさせて、また違った魅力となっていました。
この近くの「むさし乃」(★こちらで観られます)も赤い滲みを使っていて、幻想的な雰囲気でした。最晩年で画風が変わったのかも。
ということで、もうちょっと完成した作品を観てみたかったというのが正直なところですが、それでも風情ある絵が多かったのが良かったです。既に終わってしまいましたが記憶に留めておきたい画家です。
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前回ご紹介した展示を観る前に汐留にあるパナソニック 汐留ミュージアムで「ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ」を観てきました。

【展覧名】
開館15周年特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ
【公式サイト】
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180929/
【会場】パナソニック 汐留ミュージアム
【最寄】新橋駅/汐留駅
【会期】2018年9月29日(土)~12月9日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間20分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんがいて賑わっていましたが、概ね自分のペースで観ることができました。
さて、この展示は非常に厚い画面が個性的なジョルジュ・ルオーに関する展示で、特にキリスト教の主題を集めた内容となっています。このパナソニック 汐留ミュージアムはルオーのコレクションを持っていることもあって、ちょくちょくルオーの展示が開催されますが、今回は聖なる芸術の意味とその現代性(モデルニテ)を問うということで、ヴァチカン美術館を始めとした国内外90点もの宗教画が集まっていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。なお、ルオーの画業全体については今回の展示では特に紹介されていませんでしたので、以前の記事などを参照して頂ければと思います。
参考記事:
パリ・ルオー財団特別企画展 I LOVE CIRCUS (パナソニック 汐留ミュージアム)
ジョルジュ・ルオー 名画の謎 展 (パナソニック 汐留ミュージアム)
ルオーと風景 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
ユビュ 知られざるルオーの素顔 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
<冒頭>
まず冒頭に白黒映画のダイジェストを流していました。これはルオーの友人で画家でもあった。モーリス・モレル神父が監修した映画で、ルオーの「ミセレーレ」について紹介するものでした。ミセレーレについては1章で取り上げています。
<第1章 ミセレーレ-甦ったイコン>
1章は41歳の1912年から15年を費やして作った版画集「ミセレーレ」についてのコーナーです。こちらは父の死がきっかけとなり第一次世界大戦の際に構想が深まった銅版画のシリーズで、慈悲と戦争をテーマにしています。1927年には58点がほぼ完成していたようですが1948年になって出版されたようで、ルオーのライフワーク的な作品と言えそうです。ここにはその中の作品や制作にまつわる関連作品などが並んでいました。
9 ジョルジュ・ルオー 「『ミセレーレ』33 そして柔らかな麻布を持ったヴェロニカは、今なお道を行く…」
こちらは目を閉じたキリストの顔が麻布に写った聖顔布(ゴルゴダの丘に向かうキリストの汗を聖女ヴェロニカが拭ったところ、顔が布に写ったという奇跡)を表した作品です。頭の茨の冠まで写っていて痛々しいですが、太くて濃い輪郭が力強い印象となっています。ルオー独特の荘厳さも感じるかな。この版画集にはルオーらしさが詰まっています。
16 ジョルジュ・ルオー 「『ミセレーレ』の本扉のための構想画(両面)」
こちらは水彩のようなミセレーレの構想の為の作品で、両面に絵があって両方とも観られるように展示されていました。表面は十字架の立ち並ぶ丘と、その上に浮かぶ骸骨のような人の顔が描かれています。裏面はそれを白黒にして丘ではなく十字の立ち並ぶ墓のような感じかな。構図自体はよく似ていて、構想の推敲が伺えるようでした。
この辺には銅版も3点ありました。
19 ジョルジュ・ルオー 「青い鳥は目を潰せばもっとよく歌うだろう」、通称「青い鳥」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは目を閉じて首を傾けて歌っているいる女性を描いた作品です。穏やかな顔で笑顔に見えるかな。油彩で顔や体は白っぽい色合いになっていて可憐な印象を受けます。解説によると、苦難の中でも愛溢れる存在でいられる人間の姿だそうで、清らかな雰囲気もありました。そう言われてみればタイトルがちょっと怖いですね…。 なお、この作品はミセレーレに組み込まれる予定だったようですが、未採用となったのだとか。
この辺には未採用になった作品や 試し摺りに着色した作品などもありました。
25 ジョルジュ・ルオー 「磔刑」
こちらはミセレーレを元に描いた磔刑のキリスト像です。磔刑の場面なのに真正面を向いていて顔は力強く感じられ、背景の太陽を始めオレンジ色が多く占める画面には生命力が感じられます。周りにはマグダラなマリアや聖母マリア、弟子の聖ヨハネなどの姿もありますが、キリストが特に目を引きました。ステンドグラスの為に描いたらしく、輝くような印象を受ける作品でした。
<第2章 聖顔と聖なる人物-物言わぬサバルタン>
続いては聖顔をテーマにしたコーナーです。聖顔の主題は1904年頃に登場し、1930年代に確固とした図像を確立して最晩年まで描かれたようで、モチーフは聖女ヴェロニカの聖顔布やトリノの聖骸布の顔写真に影響を受けたようです。また、章のサブタイトルの「サバルタン」とは従属的地位にある被抑圧者のことだそうで、鞭打たれ辱めを受けたキリストはサバルタンと重なるとのことで、キリスト以外の受難の聖人たちを主題にした作品もありました。
28 ジョルジュ・ルオー 「聖顔」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは大きな目を開いたキリストの顔で、顔全体は縦長で茨はほぼ無く、頭から黄色い光が出ています。こうした特徴は1930年代の聖顔の典型的作風だそうで、輪郭の黒の強さで一際キリストの顔に目が行き、特に眼に力を感じました。また、キリストの周りには幾重にも枠が囲うような構図となっていて、荘厳な雰囲気もあるように思えました。
32 ジョルジュ・ルオー 「聖顔」
こちらは1940年代の典型的な聖顔の様式だそうで、縦長の卵型の頭に目は大きなアーモンド型、鼻筋は非常に長くなっています。画面に占める顔の割合が大きくなっているのも先程の作品との違いに見えるかな。顔の周りは緑色の落ち着いた雰囲気となっていて、キリストは話しかけてくるようにじっと見つめる目が印象的でした。
この辺にはトリノの聖骸布に関する本もありました。ルオーはトリノの聖骸布の論文を描いた生物学者と知り合いだったそうで、大きな関心を持っていたようです。ここにあった聖骸布の写真を観ると、確かにルオーの聖顔の顔に似た輪郭となっていました。
37 ジョルジュ・ルオー 「キリスト」
こちらはミセレーレの「イエスは辱められ」を油彩にした作品で、横向きで俯いて祈っている様子が描かれています。青と緑の混ざった空には四角い朱色の雲が浮かんでいて不思議な光景です。この雲はキリストの受難を象徴しているのだとか。静かで深い精神性をたたえた雰囲気となっていました。
↓以前のポスターのこれです。

余談ですが、この雲を観ると萬鉄五郎がルオーから影響を受けているのを思い出しますw
参考記事:岩手県立美術館の案内 (番外編 岩手)
40 ジョルジュ・ルオー 「我らがジャンヌ」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは馬に乗ったジャンヌ・ダルクを描いたもので、点を見上げて旗を掲げる姿となっています。背後の空には月のようなものが浮かび、明るく光っています。馬の足元の背景には赤く燃える屋敷のようなものがあり、これはジャンヌ・ダルクの火刑かキリストの受難を暗示しているそうです。ルオーは1940年頃にこうしたジャンヌ・ダルクを描くようになったそうで、背景にはナチスの暗い影があったようです。抑圧者から国を救うジャンヌ・ダルクに世相を重ねたのかな? 色彩豊かで絵としても面白い作品でした。
39 ジョルジュ・ルオー 「ヴェロニカ」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは今回のポスターの作品で、先述の聖顔の奇跡の際に汗を拭った聖女です。面長の顔に大きな目で歯を出して微笑むような表情をしています。キリストに比べると色白となっていて、可憐な雰囲気かな。マチエールも比較的スッキリしていて、美しい顔で描かれていました。
この近くには1950年代の彫刻のように厚塗りされた作品もありました。
<第3章 パッション[受難]-受肉するマチエール>
続いての3章は版画集「受難」のコーナーで、「受難」は全24章からなる散文詩に色摺り銅版17点と木工版画82点を添えて画商のアンブロワーズ・ヴォラールによって1939年に出版されたシリーズです。この頃のルオーは版画と油彩を往復しながら新しいマチエールの追求に熱中し、乾いた絵の具を何度も削りとる方法から厚塗りへと変化していったそうで、晩年には分厚いマチエールになっていきます。ここには「受難」に関する作品などが並んでいました。
50 ジョルジュ・ルオー 「三本の十字架 (『受難』の木版画のための下絵)」
こちらは下絵で、ゴルゴダの丘に立つ3本の十字架と、その下に立つ2人の人物が描かれています。月光の中に立っているらしく、静かな雰囲気が漂っています。かなり小さくて細部はわかりづらいですが、ひと目でルオーと分かる筆致となっていました。
この辺には「受難」の本や油彩の下絵などもありました。
60 ジョルジュ・ルオー 「受難(エッケ・ホモ)」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは俯いている半裸のキリストの上半身を描いたもので、アーチ状の窓から外を見ているような感じの構図になっています。目を閉じて瞑想しているようで、やや悲しそうな表情に見えます。かなり凹凸がある画面で、凹んでいる場所もありました。ルオーの画風の変遷も観られる作品です。
<特別セクション 聖なる空間の装飾>
こちらのコーナーだけ撮影可能となっていました。4点だけ展示されています。
4点はこんな感じです。

油彩2点、ステンドグラス1点、十字架1点となります。
この十字架は17世紀バロック様式だそうで、この像を気に入ってルオーが入手して像に着色して毎日祈りを捧げていたそうです。

ルオーの死後に娘のイザベルによって清春芸術村のルオーに捧げた礼拝堂に寄贈されたのだとか。そう言えばこの十字架もステンドグラスも見覚えがありました。
参考記事:清春芸術村の写真 後編 (山梨 北杜編)
ステンドグラスと、その原画と思われる油彩画

2つを比べるとよく似ています。元々ルオーはステンドグラス職人の元で働いていたので、絵画もステンドグラスのような太い輪郭があるのはそのせいなのかも。
もう1点も花束でした。

こちらも生命力と力強さを感じる筆致です。
<第4章 聖書の風景-未完のユートピア>
最後はユートピア的な風景のコーナーです。1930年代(60歳頃)以降、ルオーの風景画は実在する風景と関連性が希薄になったそうで、宗教的な風景に変わっていったようです。そうした聖書から選んだ場面は「降誕」「エジプトへの逃避」「子供たちを我もとに来させよ」「マルタとマリアの家のキリスト」の4つが多いようで、ここにはそれを思わせるユートピア的作品が並んでいました。
71 ジョルジュ・ルオー 「古びた町外れにて または 台所」
こちらは台所に座るキリストと、その隣でキリストの話を聞くマリアを描いた作品です。これはマルタとマリアの家の話をテーマにしていて、マルタがちっとも働かないとマリアを咎めるも、キリストはマリアは良い方を選んだと言う話です(キリストの話が最も大切というエピソードです) しかしここでは何故か2人は顔を合わせず、画面の左端の方にいて台所が主役のように見えました。また、輪郭線は細めでキリストもスラッとした印象を受けるなど、ちょっと不思議な作品でした。
73 ジョルジュ・ルオー 「ステラ・ウェスぺルティーナ(夕の星)」
こちらは夜空と大きなアーチ状の窓を背景に揺りかごで寝ている赤ちゃんと、それにそっと手を近づけるキリストを描いた作品です。これは「子供たちを我もとに来させよ」をテーマにしているようで、第二次世界大戦以降に子供たちを見守るキリストを描くようになったようです。表情は細かく描いていませんが、落ち着いた雰囲気で慈愛に満ちた作品となっていました。
81 ジョルジュ・ルオー 「秋 または ナザレット」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらはキリストが幼少期を過ごしたナザレの地を描いたそうで、木々が立ち並び奥へと続く道や、ドーム状の屋根の建物が並ぶ様子が描かれています。空にはオレンジ色の太陽があり、全体的に暖色系の温かみのある画面となっていて、安らぎを感じます。木々の下では2組の母子らしき姿やキリストらしい姿もあり、まさにユートピア的な平和な光景となっていました。
77 ジョルジュ・ルオー 「エジプトへの逃避」
こちらは馬に乗る白い服の人と、後ろに立つ赤い服の人が描かれた作品です。その2人は何となく分かるのですが、めちゃくちゃ厚塗りで細部などはよく分からない程です。太陽の周りは彫ってあるような凹凸で、全体的に黄色~赤の色調となっているのと共に生命力が感じられました。
この近くの「キリスト教的夜景」もポンピドゥー所蔵の見応えのある作品でした。また、ルオーコレクションの部屋では聖書以外のテーマの作品も並んでいて新所蔵品などもありました。
ということで、ルオーの信心深さを感じさせる作品が並んでいました。重厚な作風が宗教画によく合っていて、慈愛から哀しみまで様々なテーマを見事に描いています。解説などは少なめで聖書の話を理解していないと分からない部分もあると思いますが、西洋画好きの方には面白い内容だと思います。

【展覧名】
開館15周年特別展 ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ
【公式サイト】
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180929/
【会場】パナソニック 汐留ミュージアム
【最寄】新橋駅/汐留駅
【会期】2018年9月29日(土)~12月9日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間20分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんがいて賑わっていましたが、概ね自分のペースで観ることができました。
さて、この展示は非常に厚い画面が個性的なジョルジュ・ルオーに関する展示で、特にキリスト教の主題を集めた内容となっています。このパナソニック 汐留ミュージアムはルオーのコレクションを持っていることもあって、ちょくちょくルオーの展示が開催されますが、今回は聖なる芸術の意味とその現代性(モデルニテ)を問うということで、ヴァチカン美術館を始めとした国内外90点もの宗教画が集まっていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。なお、ルオーの画業全体については今回の展示では特に紹介されていませんでしたので、以前の記事などを参照して頂ければと思います。
参考記事:
パリ・ルオー財団特別企画展 I LOVE CIRCUS (パナソニック 汐留ミュージアム)
ジョルジュ・ルオー 名画の謎 展 (パナソニック 汐留ミュージアム)
ルオーと風景 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
ユビュ 知られざるルオーの素顔 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)
<冒頭>
まず冒頭に白黒映画のダイジェストを流していました。これはルオーの友人で画家でもあった。モーリス・モレル神父が監修した映画で、ルオーの「ミセレーレ」について紹介するものでした。ミセレーレについては1章で取り上げています。
<第1章 ミセレーレ-甦ったイコン>
1章は41歳の1912年から15年を費やして作った版画集「ミセレーレ」についてのコーナーです。こちらは父の死がきっかけとなり第一次世界大戦の際に構想が深まった銅版画のシリーズで、慈悲と戦争をテーマにしています。1927年には58点がほぼ完成していたようですが1948年になって出版されたようで、ルオーのライフワーク的な作品と言えそうです。ここにはその中の作品や制作にまつわる関連作品などが並んでいました。
9 ジョルジュ・ルオー 「『ミセレーレ』33 そして柔らかな麻布を持ったヴェロニカは、今なお道を行く…」
こちらは目を閉じたキリストの顔が麻布に写った聖顔布(ゴルゴダの丘に向かうキリストの汗を聖女ヴェロニカが拭ったところ、顔が布に写ったという奇跡)を表した作品です。頭の茨の冠まで写っていて痛々しいですが、太くて濃い輪郭が力強い印象となっています。ルオー独特の荘厳さも感じるかな。この版画集にはルオーらしさが詰まっています。
16 ジョルジュ・ルオー 「『ミセレーレ』の本扉のための構想画(両面)」
こちらは水彩のようなミセレーレの構想の為の作品で、両面に絵があって両方とも観られるように展示されていました。表面は十字架の立ち並ぶ丘と、その上に浮かぶ骸骨のような人の顔が描かれています。裏面はそれを白黒にして丘ではなく十字の立ち並ぶ墓のような感じかな。構図自体はよく似ていて、構想の推敲が伺えるようでした。
この辺には銅版も3点ありました。
19 ジョルジュ・ルオー 「青い鳥は目を潰せばもっとよく歌うだろう」、通称「青い鳥」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは目を閉じて首を傾けて歌っているいる女性を描いた作品です。穏やかな顔で笑顔に見えるかな。油彩で顔や体は白っぽい色合いになっていて可憐な印象を受けます。解説によると、苦難の中でも愛溢れる存在でいられる人間の姿だそうで、清らかな雰囲気もありました。そう言われてみればタイトルがちょっと怖いですね…。 なお、この作品はミセレーレに組み込まれる予定だったようですが、未採用となったのだとか。
この辺には未採用になった作品や 試し摺りに着色した作品などもありました。
25 ジョルジュ・ルオー 「磔刑」
こちらはミセレーレを元に描いた磔刑のキリスト像です。磔刑の場面なのに真正面を向いていて顔は力強く感じられ、背景の太陽を始めオレンジ色が多く占める画面には生命力が感じられます。周りにはマグダラなマリアや聖母マリア、弟子の聖ヨハネなどの姿もありますが、キリストが特に目を引きました。ステンドグラスの為に描いたらしく、輝くような印象を受ける作品でした。
<第2章 聖顔と聖なる人物-物言わぬサバルタン>
続いては聖顔をテーマにしたコーナーです。聖顔の主題は1904年頃に登場し、1930年代に確固とした図像を確立して最晩年まで描かれたようで、モチーフは聖女ヴェロニカの聖顔布やトリノの聖骸布の顔写真に影響を受けたようです。また、章のサブタイトルの「サバルタン」とは従属的地位にある被抑圧者のことだそうで、鞭打たれ辱めを受けたキリストはサバルタンと重なるとのことで、キリスト以外の受難の聖人たちを主題にした作品もありました。
28 ジョルジュ・ルオー 「聖顔」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは大きな目を開いたキリストの顔で、顔全体は縦長で茨はほぼ無く、頭から黄色い光が出ています。こうした特徴は1930年代の聖顔の典型的作風だそうで、輪郭の黒の強さで一際キリストの顔に目が行き、特に眼に力を感じました。また、キリストの周りには幾重にも枠が囲うような構図となっていて、荘厳な雰囲気もあるように思えました。
32 ジョルジュ・ルオー 「聖顔」
こちらは1940年代の典型的な聖顔の様式だそうで、縦長の卵型の頭に目は大きなアーモンド型、鼻筋は非常に長くなっています。画面に占める顔の割合が大きくなっているのも先程の作品との違いに見えるかな。顔の周りは緑色の落ち着いた雰囲気となっていて、キリストは話しかけてくるようにじっと見つめる目が印象的でした。
この辺にはトリノの聖骸布に関する本もありました。ルオーはトリノの聖骸布の論文を描いた生物学者と知り合いだったそうで、大きな関心を持っていたようです。ここにあった聖骸布の写真を観ると、確かにルオーの聖顔の顔に似た輪郭となっていました。
37 ジョルジュ・ルオー 「キリスト」
こちらはミセレーレの「イエスは辱められ」を油彩にした作品で、横向きで俯いて祈っている様子が描かれています。青と緑の混ざった空には四角い朱色の雲が浮かんでいて不思議な光景です。この雲はキリストの受難を象徴しているのだとか。静かで深い精神性をたたえた雰囲気となっていました。
↓以前のポスターのこれです。

余談ですが、この雲を観ると萬鉄五郎がルオーから影響を受けているのを思い出しますw
参考記事:岩手県立美術館の案内 (番外編 岩手)
40 ジョルジュ・ルオー 「我らがジャンヌ」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは馬に乗ったジャンヌ・ダルクを描いたもので、点を見上げて旗を掲げる姿となっています。背後の空には月のようなものが浮かび、明るく光っています。馬の足元の背景には赤く燃える屋敷のようなものがあり、これはジャンヌ・ダルクの火刑かキリストの受難を暗示しているそうです。ルオーは1940年頃にこうしたジャンヌ・ダルクを描くようになったそうで、背景にはナチスの暗い影があったようです。抑圧者から国を救うジャンヌ・ダルクに世相を重ねたのかな? 色彩豊かで絵としても面白い作品でした。
39 ジョルジュ・ルオー 「ヴェロニカ」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは今回のポスターの作品で、先述の聖顔の奇跡の際に汗を拭った聖女です。面長の顔に大きな目で歯を出して微笑むような表情をしています。キリストに比べると色白となっていて、可憐な雰囲気かな。マチエールも比較的スッキリしていて、美しい顔で描かれていました。
この近くには1950年代の彫刻のように厚塗りされた作品もありました。
<第3章 パッション[受難]-受肉するマチエール>
続いての3章は版画集「受難」のコーナーで、「受難」は全24章からなる散文詩に色摺り銅版17点と木工版画82点を添えて画商のアンブロワーズ・ヴォラールによって1939年に出版されたシリーズです。この頃のルオーは版画と油彩を往復しながら新しいマチエールの追求に熱中し、乾いた絵の具を何度も削りとる方法から厚塗りへと変化していったそうで、晩年には分厚いマチエールになっていきます。ここには「受難」に関する作品などが並んでいました。
50 ジョルジュ・ルオー 「三本の十字架 (『受難』の木版画のための下絵)」
こちらは下絵で、ゴルゴダの丘に立つ3本の十字架と、その下に立つ2人の人物が描かれています。月光の中に立っているらしく、静かな雰囲気が漂っています。かなり小さくて細部はわかりづらいですが、ひと目でルオーと分かる筆致となっていました。
この辺には「受難」の本や油彩の下絵などもありました。
60 ジョルジュ・ルオー 「受難(エッケ・ホモ)」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらは俯いている半裸のキリストの上半身を描いたもので、アーチ状の窓から外を見ているような感じの構図になっています。目を閉じて瞑想しているようで、やや悲しそうな表情に見えます。かなり凹凸がある画面で、凹んでいる場所もありました。ルオーの画風の変遷も観られる作品です。
<特別セクション 聖なる空間の装飾>
こちらのコーナーだけ撮影可能となっていました。4点だけ展示されています。
4点はこんな感じです。

油彩2点、ステンドグラス1点、十字架1点となります。
この十字架は17世紀バロック様式だそうで、この像を気に入ってルオーが入手して像に着色して毎日祈りを捧げていたそうです。

ルオーの死後に娘のイザベルによって清春芸術村のルオーに捧げた礼拝堂に寄贈されたのだとか。そう言えばこの十字架もステンドグラスも見覚えがありました。
参考記事:清春芸術村の写真 後編 (山梨 北杜編)
ステンドグラスと、その原画と思われる油彩画


2つを比べるとよく似ています。元々ルオーはステンドグラス職人の元で働いていたので、絵画もステンドグラスのような太い輪郭があるのはそのせいなのかも。
もう1点も花束でした。

こちらも生命力と力強さを感じる筆致です。
<第4章 聖書の風景-未完のユートピア>
最後はユートピア的な風景のコーナーです。1930年代(60歳頃)以降、ルオーの風景画は実在する風景と関連性が希薄になったそうで、宗教的な風景に変わっていったようです。そうした聖書から選んだ場面は「降誕」「エジプトへの逃避」「子供たちを我もとに来させよ」「マルタとマリアの家のキリスト」の4つが多いようで、ここにはそれを思わせるユートピア的作品が並んでいました。
71 ジョルジュ・ルオー 「古びた町外れにて または 台所」
こちらは台所に座るキリストと、その隣でキリストの話を聞くマリアを描いた作品です。これはマルタとマリアの家の話をテーマにしていて、マルタがちっとも働かないとマリアを咎めるも、キリストはマリアは良い方を選んだと言う話です(キリストの話が最も大切というエピソードです) しかしここでは何故か2人は顔を合わせず、画面の左端の方にいて台所が主役のように見えました。また、輪郭線は細めでキリストもスラッとした印象を受けるなど、ちょっと不思議な作品でした。
73 ジョルジュ・ルオー 「ステラ・ウェスぺルティーナ(夕の星)」
こちらは夜空と大きなアーチ状の窓を背景に揺りかごで寝ている赤ちゃんと、それにそっと手を近づけるキリストを描いた作品です。これは「子供たちを我もとに来させよ」をテーマにしているようで、第二次世界大戦以降に子供たちを見守るキリストを描くようになったようです。表情は細かく描いていませんが、落ち着いた雰囲気で慈愛に満ちた作品となっていました。
81 ジョルジュ・ルオー 「秋 または ナザレット」 ★こちらで観られます(PDF)
こちらはキリストが幼少期を過ごしたナザレの地を描いたそうで、木々が立ち並び奥へと続く道や、ドーム状の屋根の建物が並ぶ様子が描かれています。空にはオレンジ色の太陽があり、全体的に暖色系の温かみのある画面となっていて、安らぎを感じます。木々の下では2組の母子らしき姿やキリストらしい姿もあり、まさにユートピア的な平和な光景となっていました。
77 ジョルジュ・ルオー 「エジプトへの逃避」
こちらは馬に乗る白い服の人と、後ろに立つ赤い服の人が描かれた作品です。その2人は何となく分かるのですが、めちゃくちゃ厚塗りで細部などはよく分からない程です。太陽の周りは彫ってあるような凹凸で、全体的に黄色~赤の色調となっているのと共に生命力が感じられました。
この近くの「キリスト教的夜景」もポンピドゥー所蔵の見応えのある作品でした。また、ルオーコレクションの部屋では聖書以外のテーマの作品も並んでいて新所蔵品などもありました。
ということで、ルオーの信心深さを感じさせる作品が並んでいました。重厚な作風が宗教画によく合っていて、慈愛から哀しみまで様々なテーマを見事に描いています。解説などは少なめで聖書の話を理解していないと分からない部分もあると思いますが、西洋画好きの方には面白い内容だと思います。
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今日は写真多めです。先週の土曜日に銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)で「横尾忠則 幻花幻想幻画譚 1974-1975」を観てきました。この展示は撮影可能となっていましたので、写真を使ってご紹介していこうと思います。

【展覧名】
横尾忠則 幻花幻想幻画譚 1974-1975
【公式サイト】
http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000728
【会場】ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
【最寄】銀座駅
【会期】2018年09月05日(水)~10月20日(土)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間20分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんが多く、作品が小さめなこともあってやや混雑感もありましたが概ね快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は現代の日本を代表するアーティストの1人である横尾忠則 氏の展示で、1974~75年にかけて東京新聞で連載された『幻花』の挿絵の原画が371点も並ぶ内容となっています。この『幻花』は瀬戸内晴美 氏(現在の・瀬戸内寂聴 氏)の小説で、室町幕府の8代将軍 足利義政の時代の正室 日野富子と愛妾の今参局との人間関係や幕府の衰退を書いているそうです。その挿絵なので さぞかし古風な人たちが出てくるのだろうなあと予想してしまいますが、予想外の挿絵を繰り出す奔放ぶりに目を見張ります。当時40歳を前に時代の寵児として若者文化を牽引していた横尾忠則 氏ですが、この原画は2015年に横尾忠則現代美術館で一般公開されるまでその存在を知られることが無かったようです。 オカルトブームやサイケデリックな文化が隆盛していた70年代半ばの空気も取り込んだような作品が並んでいましたので、詳しくは写真でご紹介していこうと思います。
私は『幻花』を読んだことが無いのですが、どうやらキンドル版とかもあるようです。横尾氏の作品集もあるんですね。




展覧会はこんな感じで、小説の話の順に章ごとに30章くらいまでブロックに分けて展示しています。

粗筋も横に書いてあるのですが、これだけ読んでもよく分からないので、今回の記事では話は端折ります。解説も特にないので、これ以降はほぼ私のテキトーな感想のみです。
最初の辺りにシュルレアリスム的な挿絵があって、いきなり戸惑いました。

えーっと、確か室町幕府の話だったはずですよね?w ダリみたいな作品もあったり、いきなりかっ飛ばしてます。
時代小説の挿絵を観に来たと思ったら、いつのまにかUFOを観ていた…。何を言っているのか わからねーと思うが(略

完全にムー的な要素満載ですが、前回の記事の続きではありませんw どうやら瀬戸内 氏の遅筆さに業を煮やして、中身を知らないうちに描き貯めて海外に行った際の挿絵のようです。とは言え、もっと無難な絵が描けたはずだろうにUFOにピラミッドとは驚きです。 しかもこの後も何度もUFOは出てきますw 挿絵の概念がぶっ飛びますね。
こちらは蹴鞠のシーンで、ようやく時代に即した感じですが…

陰影が強くて何やら不穏な雰囲気となっていました。
こちらは指紋でしょうか??

何のシーンだか分かりませんが、これも不吉な予感しかしないw 斬新な手法です。
こちらは恐らく登場人物の顔かな。

緻密で強い目をしていますが、何処と無く女の執念のようなものを感じる…。画面いっぱいに顔を描く大胆な構図も面白い。
再びSF的なものが出現しましたw

当時の読者は読んでて不思議に思ったりしなかったんでしょうか?? 挿絵だけ観ると完全にSFです。
こちらはポスターにもなってた作品。

これは蕪かな? 何だかちょっとエロティックな感じに見えるのは私だけでしょうかw
謎のピラミッド再び。ちょいちょい出てきます。

もはや何の話だか忘れてきましたw 日野富子が火星にピラミッドを見つけた話だなきっと(大嘘)
たまに西洋の伝統美術からの引用のような作品もあります

死神でしょうか。これは象徴的な感じを受けます。
こちらはキリストかと思いました。後光も差して聖者らしき雰囲気。

とは言え、キリスト教はこの時代には伝わって来てません。話のどういう部分で使われたのか気になります。
こちらもポスターに使われていた作品。

象徴的で挿絵として色々な場面に当てはまりそう。これもどういう話で使ったのかな。
こちらは一休さん。大人の一休さんのイメージ通りに描いています。

この幻花でも一休さんが出てくるようです。久々に挿絵らしい挿絵が!w
と思ったらUFOが飛び立っていく挿絵がまた出てきたりw

室町幕府はどこを目指していたんだろうか…。
地下にも展示は続いています。
こちらは具象だけどコラージュ的な作品。

こちらも愛欲を表現しているように思えました。
こちらは当時の東京新聞。先程のキリストらしき人物の回が載っていました。

各記事には「幻花」のロゴが付いているのですが、結構色々な種類があるようでした。
そしてこちらは「幻花」のロゴのコーナー。

40種類くらいあるようでした。妖しい雰囲気が漂うロゴが多かったかな。
こちらは仁王像を彷彿とさせる挿絵。

円の窓からのぞいているような表現が面白い。
地獄の鬼のようなキャラクター。人を振りかぶっているように見えます

動きと迫力があり、口から花を出すのがシュールに思えました。
こちらは特に面白さを感じた作品。

一筋の稲妻が黒く表現されているところがカッコいい。光なら白と思ってしまいますが。
こちらは鳥獣戯画のような作品。

ウサギやカエルの周りに線で動きを付けていて、コミカルかつ軽やかな雰囲気となっていました。
こちらも意味するところは分かりませんが、ちょっと意味深な感じ。

泣いているのでしょうか。 目からウロコが落ちた訳では無いと思いますがw
般若心経の一部で「ぎゃーてーぎゃーてー」のフレーズ

彼岸の世界に往生しなさいという意味なので、死を感じさせるかな。カエルの鳴き声がそう聞こえるのでしょうか…
ということで、挿絵だけ観てると内容が全く分からないだけに、逆に小説本編が気になってくる作品となっていましたw 自由奔放でどこかサブカルチャーの要素を感じるのは横尾忠則 氏の魅力ではないかと思います。この展示は無料な上に撮影も出来るので、ファンの方は是非どうぞ。
おまけ:
つい最近、西脇市岡之山美術館の職員が横尾忠則 氏との待ち合わせに遅刻して、横尾氏が制作意欲を削がれてしまった為に展覧会が延期するという事件がありました。
参考リンク:横尾忠則さん、美術館職員遅刻に立腹、作品できず…特別展延期
物議を醸しましたが、無事開催されることを祈ります。


【展覧名】
横尾忠則 幻花幻想幻画譚 1974-1975
【公式サイト】
http://www.dnp.co.jp/CGI/gallery/schedule/detail.cgi?l=1&t=1&seq=00000728
【会場】ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)
【最寄】銀座駅
【会期】2018年09月05日(水)~10月20日(土)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間20分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_③_4_5_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんが多く、作品が小さめなこともあってやや混雑感もありましたが概ね快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は現代の日本を代表するアーティストの1人である横尾忠則 氏の展示で、1974~75年にかけて東京新聞で連載された『幻花』の挿絵の原画が371点も並ぶ内容となっています。この『幻花』は瀬戸内晴美 氏(現在の・瀬戸内寂聴 氏)の小説で、室町幕府の8代将軍 足利義政の時代の正室 日野富子と愛妾の今参局との人間関係や幕府の衰退を書いているそうです。その挿絵なので さぞかし古風な人たちが出てくるのだろうなあと予想してしまいますが、予想外の挿絵を繰り出す奔放ぶりに目を見張ります。当時40歳を前に時代の寵児として若者文化を牽引していた横尾忠則 氏ですが、この原画は2015年に横尾忠則現代美術館で一般公開されるまでその存在を知られることが無かったようです。 オカルトブームやサイケデリックな文化が隆盛していた70年代半ばの空気も取り込んだような作品が並んでいましたので、詳しくは写真でご紹介していこうと思います。
私は『幻花』を読んだことが無いのですが、どうやらキンドル版とかもあるようです。横尾氏の作品集もあるんですね。
展覧会はこんな感じで、小説の話の順に章ごとに30章くらいまでブロックに分けて展示しています。

粗筋も横に書いてあるのですが、これだけ読んでもよく分からないので、今回の記事では話は端折ります。解説も特にないので、これ以降はほぼ私のテキトーな感想のみです。
最初の辺りにシュルレアリスム的な挿絵があって、いきなり戸惑いました。

えーっと、確か室町幕府の話だったはずですよね?w ダリみたいな作品もあったり、いきなりかっ飛ばしてます。
時代小説の挿絵を観に来たと思ったら、いつのまにかUFOを観ていた…。何を言っているのか わからねーと思うが(略

完全にムー的な要素満載ですが、前回の記事の続きではありませんw どうやら瀬戸内 氏の遅筆さに業を煮やして、中身を知らないうちに描き貯めて海外に行った際の挿絵のようです。とは言え、もっと無難な絵が描けたはずだろうにUFOにピラミッドとは驚きです。 しかもこの後も何度もUFOは出てきますw 挿絵の概念がぶっ飛びますね。
こちらは蹴鞠のシーンで、ようやく時代に即した感じですが…

陰影が強くて何やら不穏な雰囲気となっていました。
こちらは指紋でしょうか??

何のシーンだか分かりませんが、これも不吉な予感しかしないw 斬新な手法です。
こちらは恐らく登場人物の顔かな。

緻密で強い目をしていますが、何処と無く女の執念のようなものを感じる…。画面いっぱいに顔を描く大胆な構図も面白い。
再びSF的なものが出現しましたw

当時の読者は読んでて不思議に思ったりしなかったんでしょうか?? 挿絵だけ観ると完全にSFです。
こちらはポスターにもなってた作品。

これは蕪かな? 何だかちょっとエロティックな感じに見えるのは私だけでしょうかw
謎のピラミッド再び。ちょいちょい出てきます。

もはや何の話だか忘れてきましたw 日野富子が火星にピラミッドを見つけた話だなきっと(大嘘)
たまに西洋の伝統美術からの引用のような作品もあります

死神でしょうか。これは象徴的な感じを受けます。
こちらはキリストかと思いました。後光も差して聖者らしき雰囲気。

とは言え、キリスト教はこの時代には伝わって来てません。話のどういう部分で使われたのか気になります。
こちらもポスターに使われていた作品。

象徴的で挿絵として色々な場面に当てはまりそう。これもどういう話で使ったのかな。
こちらは一休さん。大人の一休さんのイメージ通りに描いています。

この幻花でも一休さんが出てくるようです。久々に挿絵らしい挿絵が!w
と思ったらUFOが飛び立っていく挿絵がまた出てきたりw

室町幕府はどこを目指していたんだろうか…。
地下にも展示は続いています。
こちらは具象だけどコラージュ的な作品。

こちらも愛欲を表現しているように思えました。
こちらは当時の東京新聞。先程のキリストらしき人物の回が載っていました。

各記事には「幻花」のロゴが付いているのですが、結構色々な種類があるようでした。
そしてこちらは「幻花」のロゴのコーナー。

40種類くらいあるようでした。妖しい雰囲気が漂うロゴが多かったかな。
こちらは仁王像を彷彿とさせる挿絵。

円の窓からのぞいているような表現が面白い。
地獄の鬼のようなキャラクター。人を振りかぶっているように見えます

動きと迫力があり、口から花を出すのがシュールに思えました。
こちらは特に面白さを感じた作品。

一筋の稲妻が黒く表現されているところがカッコいい。光なら白と思ってしまいますが。
こちらは鳥獣戯画のような作品。

ウサギやカエルの周りに線で動きを付けていて、コミカルかつ軽やかな雰囲気となっていました。
こちらも意味するところは分かりませんが、ちょっと意味深な感じ。

泣いているのでしょうか。 目からウロコが落ちた訳では無いと思いますがw
般若心経の一部で「ぎゃーてーぎゃーてー」のフレーズ

彼岸の世界に往生しなさいという意味なので、死を感じさせるかな。カエルの鳴き声がそう聞こえるのでしょうか…
ということで、挿絵だけ観てると内容が全く分からないだけに、逆に小説本編が気になってくる作品となっていましたw 自由奔放でどこかサブカルチャーの要素を感じるのは横尾忠則 氏の魅力ではないかと思います。この展示は無料な上に撮影も出来るので、ファンの方は是非どうぞ。
おまけ:
つい最近、西脇市岡之山美術館の職員が横尾忠則 氏との待ち合わせに遅刻して、横尾氏が制作意欲を削がれてしまった為に展覧会が延期するという事件がありました。
参考リンク:横尾忠則さん、美術館職員遅刻に立腹、作品できず…特別展延期
物議を醸しましたが、無事開催されることを祈ります。
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今日は写真多めです。日付が変わって昨日となりましたが、金曜日の会社帰りに池袋パルコ7Fにあるパルコミュージアムで「創刊40周年記念 ムー展」を観てきました。この展示は撮影可能となっていましたので、写真を使ってご紹介していこうと思います。

【展覧名】
創刊40周年記念 ムー展
【公式サイト】
https://art.parco.jp/parcomuseum/detail/?id=46
【会場】パルコミュージアム
【最寄】池袋駅
【会期】2018/10/12(金)~2018/10/29(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_②_3_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんはいましたが、快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は学研プラスのミステリー雑誌「ムー」の40周年を記念するもので、今までのムーを一挙に振り返るという内容となっています。実際のところ私はムー誌を購入したことは無いのですが、オカルトに関しては毎日欠かさずチェックしていて、Feedlyに入っているのはムーplusとかトカナとか不思議ネットとか哲学ニュースとかオカルト・クロニクルとか…w ブログを書きながら「古代の宇宙人」を観ていることもしばしばです。 しかし、オカルトを信じているかと言われるとまた別の話で、矢追純一UFOスペシャル、MMR、宜保愛子シリーズ、あなたの知らない世界…と枚挙にいとまがない魅力的なコンテンツに囲まれた少年時代はビリーバー寄りでしたが、ノストラダムスやらマヤの予言やらの失態ですっかり信心は皆無となっていますw むしろ種明かし的な解明のほうが好きで肯定派・懐疑派・否定派の意見をソムリエのように楽しむのが今のスタイルという屈折した状況だったりします。 まあ割とそういう人は多いようで、会場でも「これは信じてたけど今思えば…」とか「これは作りが甘い」とか、そんな会話も飛び交う紳士淑女の知的集会でしたw 詳しくは写真を使ってご紹介していこうと思います。
入口にはリトルグレイがお出迎えしてくれます。一番メジャーな宇宙人です。

何故かめっちゃ笑顔w 子供の頃は矢追純一の番組のBGMと共に恐れていました
会場に入ると歴代の表紙が創刊号からズラリと並んでいました。

最初は隔月で子供向けだった為 部数が伸び悩んだそうですが、7号から大人も読める内容に変更したことで倍々成長の軌道に乗り、1982年から月刊誌となったのだとか。
40年もやっているだけあってものすごい数です。

この表紙のタイトルを読んでるだけで何時間もかかりそう。 タイトルで中身をすべて理解できるのを奥さんに呆れられましたw
会場の真ん中にムーのオブジェがありました。

中々よく出来ています。「ムー」は名前も形もオカルトに相応しいw
こちらは創刊号の表紙を等身大くらいの大きさに引き伸ばして展示していました。

真っ先に漫画のコブラを思い起こしました。オカルトというよりはSF劇画みたいな雰囲気。
こちらは原画。生頼範義(おおらいのりよし)氏という東京藝術大学で油彩を学んだ方のイラストのようです。

今年の1月に上野の森美術館で展覧会があったそうで、気づかなかった…。
その後は各オカルト分野ごとの記事の紹介などのコーナーとなっていました。
こちらは超能力編。私はほとんど信じていない分野ですw

ESPカードとかUFOを呼ぶ方法などが紹介されていました。特にスプーン曲げはオカルトブームの金字塔とも言える存在かも。
こちらは2014年6月号の付録。潜在能力を呼び覚ますオーラトレーニンググラスとのことですが…

どう見ても3Dメガネです。本当にありがとうございましたw
こちらは予言編。ビリーバーを大量に生む一方で一番検証しやすくて信心を失いやすいジャンルです。

1999年のノストラダムスの大予言に関しては、あれは人類滅亡の詩じゃないよ説もありますが、ここでも「ノストラダムスの予言は破滅の年ではなかった!!」と1999年7月を前に違う解釈を唱えている記事がありました。 まあ終末予言の類はカルト宗教なんかにも利用されがちなので笑い事でない部分もありますが、私は免疫が付きまくって一切信じていませんw 最近は未来人がブームですが、ジョン・タイターはまだしも トカナあたりの記事の作り込みの甘さは苦笑しか出ないレベルです。
こちらは古代文明編。雑誌の名前にもなったムー大陸やアトランティス大陸、オーパーツなんかも取り上げています。

オーパーツに関しては全く信じていませんが、アトランティスはサハラの目という説やムー大陸はジーランディアという説なんかは真偽はともかく割と好きです。日ユ同祖論とかも血の繋がりは否定されていても文化の繋がりを信じてたりしますw
こちらはUMA編。オカルトで最も関心の薄いジャンルですw

昔はツチノコに懸賞金がかかるほどのブームだったようですが、私はツチノコの正体は寝ていた山猫説を支持していますw 雪男とかネッシーは完全にフェイクでしょうね…。 このスカイフィッシュは比較的最近ですが写真の残像という身も蓋もない説が好きですw
続いてはUFO編。一番大好きなジャンルです。ロズウェル事件や甲府事件が紹介されていました。

甲府事件は信じていないし、ロズウェルを信じるのも諦めましたw ケックスバーグだのオーロラ事件だのUFOは飛行機よりもポンポン落ちるのでお察しです。エリア51もU2やステルス戦闘機が正体と判明して、それが逆に面白かったり。 レンデルシャムの森事件のような事件もあったりするのでまだまだビリーバーが残っていますが…w
こちらはUFO調査で使われたガイガーカウンター。

UFOは自然界と異なる放射能を出すと言われています。しかし東日本大震災の時に各地で放射線を測ったら、あちこちで戦前に夜光塗料に使われていたラジウムが見つかったりしたので、自然じゃない放射能をそのまま宇宙人の仕業と信じるというのは如何なものでしょうね。
他にも心霊編もありました。
こちらは開運・神秘編。ラピュタの記事はちょっと読んでみたいw

パワースポットの話も載ってたりして、割とライトなジャンルです。
ここまでは一部の記事の抜粋をパネル展示しているだけですが、この先にムー図書館というコーナーがありました。
こちらがムー図書館! 実際にバックナンバーのいくつかを読むことができます。

ムーだけでなく関連書籍もあったりします。座るところもあるので、しばらくパラパラと読んできました。時間があれば何時間でも読みたい…w
こちらもムー図書館の様子。

こちらは当時のオマケなんかも展示していました。
せっかくなのでいくつか書籍をご紹介。こちらはムーの超日常英会話という本。

陰謀論を例文にしてますw 陰謀論は結構好きです。今アメリカではQアノンというガチなビリーバー達が社会問題化してたりしていて、それをウォッチするのも面白い(と、笑い事じゃないレベルになってきてますけど)
それにしても、傘下って英語でアンブレラなんですね。勉強になります。
こちらはノストラダムスの大予言が一番盛り上がった1999年7の月辺りの号(8月号)

ばっちりノストラダムスの大予言を特集しています。様々な説が並んでいてこれだけ盛り上がったのが懐かしいw MMRもこの頃までは熱かったなあ。
こちらは超能力の証拠物品のユリ・ゲラーのスプーン!

今では誰でもできるマジックとなってしまいましたが、初めてTV放送された時はみんな大盛り上がりだったようです。
こちらは謎の撮影コーナー。

トリックアートみたいになっている中に立つことで、表紙の一部になった気分になれます。
こちらはムーが映画で紹介された事例のコーナー。

「君の名は。」でテッシーが平行世界とかについて語ってたシーンかな。私は平行世界は信じてますw
こちらはムーの三上編集長の机の再現。

赤ペンでト書きしているのが観られますw 対談の映像なんかも流れていました。
最後にムーのグッズも売っていました。

ムー民であることを果敢に喧伝するにはもってこいのアイテムばかりです。
ということで、ほとんどがパネル展示でしたが濃ゆい世界にどっぷり浸かることが出来て楽しめました。ムーの読者か元々オカルトに詳しい人でないと何のこっちゃ?という胡散臭い内容なので、ムーをムーとして楽しめる度量がある方向けです。 展覧会にビリーバーが居たらあまり近寄らず夢を壊さないようそっとしておいてください…w
おまけ:
会場でチケットと一緒にコーラ味のラムネを貰いました(1人1つです。)

有料来場者のみの特典で、無くなり次第終了なのだとか。

【展覧名】
創刊40周年記念 ムー展
【公式サイト】
https://art.parco.jp/parcomuseum/detail/?id=46
【会場】パルコミュージアム
【最寄】池袋駅
【会期】2018/10/12(金)~2018/10/29(月)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間00分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_④_5_快適
【作品充実度】
不足_1_②_3_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_3_④_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_3_④_5_満足
【感想】
結構お客さんはいましたが、快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は学研プラスのミステリー雑誌「ムー」の40周年を記念するもので、今までのムーを一挙に振り返るという内容となっています。実際のところ私はムー誌を購入したことは無いのですが、オカルトに関しては毎日欠かさずチェックしていて、Feedlyに入っているのはムーplusとかトカナとか不思議ネットとか哲学ニュースとかオカルト・クロニクルとか…w ブログを書きながら「古代の宇宙人」を観ていることもしばしばです。 しかし、オカルトを信じているかと言われるとまた別の話で、矢追純一UFOスペシャル、MMR、宜保愛子シリーズ、あなたの知らない世界…と枚挙にいとまがない魅力的なコンテンツに囲まれた少年時代はビリーバー寄りでしたが、ノストラダムスやらマヤの予言やらの失態ですっかり信心は皆無となっていますw むしろ種明かし的な解明のほうが好きで肯定派・懐疑派・否定派の意見をソムリエのように楽しむのが今のスタイルという屈折した状況だったりします。 まあ割とそういう人は多いようで、会場でも「これは信じてたけど今思えば…」とか「これは作りが甘い」とか、そんな会話も飛び交う紳士淑女の知的集会でしたw 詳しくは写真を使ってご紹介していこうと思います。
入口にはリトルグレイがお出迎えしてくれます。一番メジャーな宇宙人です。

何故かめっちゃ笑顔w 子供の頃は矢追純一の番組のBGMと共に恐れていました
会場に入ると歴代の表紙が創刊号からズラリと並んでいました。

最初は隔月で子供向けだった為 部数が伸び悩んだそうですが、7号から大人も読める内容に変更したことで倍々成長の軌道に乗り、1982年から月刊誌となったのだとか。
40年もやっているだけあってものすごい数です。

この表紙のタイトルを読んでるだけで何時間もかかりそう。 タイトルで中身をすべて理解できるのを奥さんに呆れられましたw
会場の真ん中にムーのオブジェがありました。

中々よく出来ています。「ムー」は名前も形もオカルトに相応しいw
こちらは創刊号の表紙を等身大くらいの大きさに引き伸ばして展示していました。

真っ先に漫画のコブラを思い起こしました。オカルトというよりはSF劇画みたいな雰囲気。
こちらは原画。生頼範義(おおらいのりよし)氏という東京藝術大学で油彩を学んだ方のイラストのようです。

今年の1月に上野の森美術館で展覧会があったそうで、気づかなかった…。
その後は各オカルト分野ごとの記事の紹介などのコーナーとなっていました。
こちらは超能力編。私はほとんど信じていない分野ですw

ESPカードとかUFOを呼ぶ方法などが紹介されていました。特にスプーン曲げはオカルトブームの金字塔とも言える存在かも。
こちらは2014年6月号の付録。潜在能力を呼び覚ますオーラトレーニンググラスとのことですが…

どう見ても3Dメガネです。本当にありがとうございましたw
こちらは予言編。ビリーバーを大量に生む一方で一番検証しやすくて信心を失いやすいジャンルです。

1999年のノストラダムスの大予言に関しては、あれは人類滅亡の詩じゃないよ説もありますが、ここでも「ノストラダムスの予言は破滅の年ではなかった!!」と1999年7月を前に違う解釈を唱えている記事がありました。 まあ終末予言の類はカルト宗教なんかにも利用されがちなので笑い事でない部分もありますが、私は免疫が付きまくって一切信じていませんw 最近は未来人がブームですが、ジョン・タイターはまだしも トカナあたりの記事の作り込みの甘さは苦笑しか出ないレベルです。
こちらは古代文明編。雑誌の名前にもなったムー大陸やアトランティス大陸、オーパーツなんかも取り上げています。

オーパーツに関しては全く信じていませんが、アトランティスはサハラの目という説やムー大陸はジーランディアという説なんかは真偽はともかく割と好きです。日ユ同祖論とかも血の繋がりは否定されていても文化の繋がりを信じてたりしますw
こちらはUMA編。オカルトで最も関心の薄いジャンルですw

昔はツチノコに懸賞金がかかるほどのブームだったようですが、私はツチノコの正体は寝ていた山猫説を支持していますw 雪男とかネッシーは完全にフェイクでしょうね…。 このスカイフィッシュは比較的最近ですが写真の残像という身も蓋もない説が好きですw
続いてはUFO編。一番大好きなジャンルです。ロズウェル事件や甲府事件が紹介されていました。

甲府事件は信じていないし、ロズウェルを信じるのも諦めましたw ケックスバーグだのオーロラ事件だのUFOは飛行機よりもポンポン落ちるのでお察しです。エリア51もU2やステルス戦闘機が正体と判明して、それが逆に面白かったり。 レンデルシャムの森事件のような事件もあったりするのでまだまだビリーバーが残っていますが…w
こちらはUFO調査で使われたガイガーカウンター。

UFOは自然界と異なる放射能を出すと言われています。しかし東日本大震災の時に各地で放射線を測ったら、あちこちで戦前に夜光塗料に使われていたラジウムが見つかったりしたので、自然じゃない放射能をそのまま宇宙人の仕業と信じるというのは如何なものでしょうね。
他にも心霊編もありました。
こちらは開運・神秘編。ラピュタの記事はちょっと読んでみたいw

パワースポットの話も載ってたりして、割とライトなジャンルです。
ここまでは一部の記事の抜粋をパネル展示しているだけですが、この先にムー図書館というコーナーがありました。
こちらがムー図書館! 実際にバックナンバーのいくつかを読むことができます。

ムーだけでなく関連書籍もあったりします。座るところもあるので、しばらくパラパラと読んできました。時間があれば何時間でも読みたい…w
こちらもムー図書館の様子。

こちらは当時のオマケなんかも展示していました。
せっかくなのでいくつか書籍をご紹介。こちらはムーの超日常英会話という本。


陰謀論を例文にしてますw 陰謀論は結構好きです。今アメリカではQアノンというガチなビリーバー達が社会問題化してたりしていて、それをウォッチするのも面白い(と、笑い事じゃないレベルになってきてますけど)
それにしても、傘下って英語でアンブレラなんですね。勉強になります。
こちらはノストラダムスの大予言が一番盛り上がった1999年7の月辺りの号(8月号)


ばっちりノストラダムスの大予言を特集しています。様々な説が並んでいてこれだけ盛り上がったのが懐かしいw MMRもこの頃までは熱かったなあ。
こちらは超能力の証拠物品のユリ・ゲラーのスプーン!

今では誰でもできるマジックとなってしまいましたが、初めてTV放送された時はみんな大盛り上がりだったようです。
こちらは謎の撮影コーナー。

トリックアートみたいになっている中に立つことで、表紙の一部になった気分になれます。
こちらはムーが映画で紹介された事例のコーナー。

「君の名は。」でテッシーが平行世界とかについて語ってたシーンかな。私は平行世界は信じてますw
こちらはムーの三上編集長の机の再現。

赤ペンでト書きしているのが観られますw 対談の映像なんかも流れていました。
最後にムーのグッズも売っていました。

ムー民であることを果敢に喧伝するにはもってこいのアイテムばかりです。
ということで、ほとんどがパネル展示でしたが濃ゆい世界にどっぷり浸かることが出来て楽しめました。ムーの読者か元々オカルトに詳しい人でないと何のこっちゃ?という胡散臭い内容なので、ムーをムーとして楽しめる度量がある方向けです。 展覧会にビリーバーが居たらあまり近寄らず夢を壊さないようそっとしておいてください…w
おまけ:
会場でチケットと一緒にコーラ味のラムネを貰いました(1人1つです。)

有料来場者のみの特典で、無くなり次第終了なのだとか。
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2週間ほど前の日曜日に埼玉県立近代美術館で「阿部展也―あくなき越境者」を観てきました。

【展覧名】
阿部展也―あくなき越境者
【公式サイト】
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=384
【会場】埼玉県立近代美術館
【最寄】北浦和駅
【会期】2018年9月15日 (土) ~ 11月4日 (日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間30分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示はキュビスム、シュルレアリスム、アンフォルメルなど様々な画風を変遷した近現代の日本人アーティスト阿部展也(あべのぶや 元の名前は芳文)の個展となります。阿部展也は日本のみならずアメリカ、インド、東欧、そしてイタリアのローマなどでも活躍し、日本に最新の美術動向を紹介し日本の美術界にも大きな影響を与えたようです。今回の展示は初期から晩年までの主要作品や資料など全230点も集めた充実の内容で、時系列で5章構成となっていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
<第1章 出発─〈妖精の距離〉と前衛写真 1932-1941>
まずは活動を開始した頃のコーナーです。阿部芳文(展也)は独学で絵画を学び 19歳にして第二回独立展に入選し、その翌年の1933年には末永胤生・砂川美知子と共に「一九四〇年協会」を結成して1935年まで4回の展覧会を開催し作品を発表しました。当初はピカソから影響を受けたキュビスム風だったようですが、次第に有機的なシュルレアリスム風へと変化したようです。こうした造形の探求は瀧口修造との詩画集『妖精の距離』に結実し、瀧口修造の詩と共に名声を高めていきました。そして1939年には福沢一郎の美術文化協会にも参加する一方で、写真でも才能を発揮して1938年には瀧口修造の前衛写真協会にも参加しています。また、1939年からは大陸に渡り異文化へと関心を寄せていったようで、ここには戦前戦中頃の作品が並んでいました。なお、この時期に作品の多くは戦災で焼失してしまったのだとか。
1-2 画:阿部芳文(展也)/詩:瀧口修造 「詩画集『妖精の距離』12点組 」 ★こちらで観られます
こちらが名声を高めた詩画集で、瀧口修造の詩と共に有機的で半分具象のような抽象のような絵が12点並んでいました。植物のようでもありアメーバのようでもあって、何となく生物っぽいフォルムに見えるかな。ちょっとイヴ・タンギーにも似た不思議さです。 瀧口修造の詩も謎めいていて、シュールな雰囲気となっていました。
1-1 阿部芳文(展也) 「風景」
こちらは現存で最も早い時期の作品で、海の岩を描いています。ざらついてゴツゴツしたマチエールの具象で、後の作品とはだいぶ趣きが異なりました。最初は具象だったんですね。
この辺には阿部展也の絵が表紙を飾った雑誌『みづゑ』や『妖精の距離』の広告などもありました。
1-S4 阿部芳文(展也) 『フォトタイムス』
こちらは雑誌『フォトタイムス』の記事に載った阿部展也の写真作品で、戸外の椅子の肘掛けに手袋を置いている写真や、街角の眼の看板などを撮った写真が並んでいます。いずれも現実の光景ではあるのですが、超現実的な雰囲気があり、特に眼の看板は切り出し方の巧みさが光る作品でした。写真家としても相当に才能があったと思わせる作品でした。
この辺には中国の雲崗石窟を撮った写真など、アジアでの活動を示す品もありました。
<第2章 フィリピン従軍と戦後の再出発 1941-1947>
続いては終戦前後のコーナーです。阿部展也は1941年に写真家として宣伝班に徴用されてフィリピンに赴任したそうで、1943年にはフィリピン人の女優と結婚し翌年には娘をもうけています。そんな順調だったフィリピンでの生活ですが、日本軍が劣勢となり1945年3月にマニラが陥落すると家族と離散を余儀なくされ、阿部展也は収容所に抑留となりました。抑留は1年くらいあったようですが、何とそこでも制作して作品を残しています。そして1946年12月に復員すると、阿部芳文から阿部展也と名前を改めて日本画壇に復帰しました。そしてフィリピン時代の英語を駆使しGHQ将校たちとも親交を深め、再び世界を見据えて活動を開始したようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
7~30 阿部芳文(展也) 「フィリピン時代のスケッチ(24点)」
こちらはフィリピンでのスケッチが24点並んでいました。街の様子などを描いているのですが、たまに壊れた建物や鉄条網など戦争を感じさせる写真もあります。これらは写実的に描かれていて、風景画とも報道画とも言えるような感じでした。
この近くにはフィリピン時代の写真もありました。修道院や軍の活動の様子など現地の様子がよく伝わる写真で、どれも写っている人は笑顔です。また、フィリピンのカトリック信者向けの雑誌『みちしるべ』の表紙を飾った絵( ★こちらで観られます)もあり、道の上に指差す手が描かれたシュールなようで意味ありげな作品となっていました。
2~4 阿部芳文(展也) 「Jail Song」
こちらは収容所時代に鉛筆で描いた作品です。柔らかい有機的な感じのシュールな抽象画が復活しているように見えて、具象も混ざっているものの謎めいた作風となっていました。ちょっと意味までは分からず。
<第3章 人間像の変容─下落合のアトリエにて 1948-1957>
続いては戦後のコーナーです。1948年に第一回モダンアート展への出品にあたり阿部展也を名乗った その年に、新宿区下落合に転居しモダンなアトリエを構えたそうで、若い画家や文化人が集まったようです。そして1951年には戦後初の個展を開催し、油彩5点と『妖精の距離』などを出品しました。また、阿部展也は写真に対して関心を持ち続けていたようで、1950年には大辻清司と協働し雑誌『camera』のためのヌードモデルを組み合わせた作品などを制作しています。そして1953年には日本美術家連盟の代表としてインドに7ヶ月滞在し、そこでも多くの写真を撮影してきたようです。ここにはそうした時代の多彩な作品が並んでいました。
24 阿部展也 「作品」
こちらは頭にリンゴを乗せた人物というかETみたいな顔の半抽象画です。赤い肌をしていて宇宙人にしか見えませんが、有機的な文様のようなものもあります。この時期は人体を有機的なフォルムで表すような作風が多いらしく、これもそのうちの1点のようでした。
22 阿部展也 「飢え」 ★こちらで観られます
こちらは砂漠のようなところで飢えてガリガリになった3人の人物が描かれた具象です。1人は砂に埋まるようにうつ伏せで、1人は膝を立てて仰向け、もう1人は座ってうつむいています。背景には無数のドクロが積み重なっているなど、強く死を感じさせ悲惨な光景となっていました。恐らく身をもって戦争を経験したのがここに表れているんじゃないかな。超現実的な表現にも思えますが、非情な現実を描いているように思えました。
この他にも痛ましい感じの作品がいくつかありました。
28 阿部展也 「花子」
こちらは冒頭のポスターにもなっている作品で、オレンジの球体に目鼻がついて顔のようになっている半具象・半抽象の作品です。色面を組み合わせていて、軽快さを感じると共に顔にマスコット的な愛嬌があるように思えます。タイトルも花子と可愛らしいしw
この隣には「太郎」という作品(★こちらで観られます)もありました。タイトルのおかげで岡本太郎みたいな画風にも思えるw
36 阿部展也 「二人(男と女)」
こちらはかなりキュビスム風の抽象画で、確かに人らしき形が2つ並んでいます。ステンドグラスのように四角や三角を使って表現していて、色彩感覚が独特な淡さとなっていました。この辺からまた画風が変わっているように思えます。
この近くにはインドでの写真のスライドが流れていました。カラーで現地の暮らしや風景を撮っています。また、スケッチもありました。
79 撮影:大辻清司/演出:阿部展也 「オブジェ、阿部展也のアトリエにて」
こちらはオールヌードの女性の頭にテーブルクロスのようなものを被せた写真で、その上には針金のようなもので幾何学的な模様が八方に広がっています。こちらも現実の光景でありながらコラージュ的なシュールさがあり、エロティックな雰囲気もありました。
40 阿部展也 「人物」
こちらは真っ赤な画面に黒い輪郭と白い目玉で人の顔のようなものを描いた作品です。目が無ければ人とは思えないくらい抽象的で、これまでの有機的な作風とも異なる四角を多用したような画風となっていました。またこの頃から画風が変化していったのかも。結構よく変わりますw
<第4章 技法の探求か 「かたち」回帰へ─エンコースティックを中心に1957-1967>
続いては抽象画を突き詰めてから「かたち」へと回帰する時期のコーナーです。阿部展也は1957年にアドリア海のドゥブロヴニクでの国際造形芸術連盟総会への出席をきっかけに初めて欧州を訪れ、その後1年続いた欧州旅行では自在に越境していたようです。さらに1958~61年の半分以上を海外で過ごすなど活発に海外に出向き、ミラノ、ローマ、バルセロナ、パリ、ニューヨーク、ユーゴスラビアなどを巡ったようです。そうした越境の日々で作風も変化したようで、1959年以降は具象的なモチーフは姿を消し、材質自体が語りかける抽象画へと移行していきました。しかし1964年からは主役が「かたち」へと回帰して行き、円が溢れんばかりの大きさで画面を埋め尽くすようになったようです。ここにはそうした画風の変化が分かる作品が並んでいました。
17 阿部展也 「Flowing Stone」
これは絵というよりは岩肌みたいな作品ですw ゴツゴツしていて凹凸が感じられるのですが、シミのような模様なのか?って部分もあります。解説によると、これは蜜蝋や油絵の具を調合してバーナーや金属ゴテで定着させているようで、もはや具象性は全くありませんでした。アンフォルメルとかタシスムが流行っていた時期なので、それに影響を受けたのかな?
この辺にはユーゴスラビアの写真やスケッチもありました。スケッチは色付きでかなり写実的に街の様子などを描いています。
29 阿部展也 「マスプロダクション」
こちらは0と書かれた円形のコルクが整然と並べられた作品です。たまにズレていますが升目状にぎしり並んでいて、コルクの0の上にはひっかき傷のような線もあります。まったく意味が分かりませんが、如何にも何かの意味を込めていそうな…w 中々難解ですが、現代アートっぽさが一気に増して来た感がありましたw
他にも格子状の板にガラス玉をはめ込んだ作品や絵に色々貼り付けるような作品などもありました。この辺が難易度マックスですw
46 阿部展也 「R-12」 ★こちらで観られます
こちらはいきなり画風がシンプルになった作品で、円がありその周りにメッシュ状の有機的な形が囲い、更にその周りに別の色の円が囲うという抽象画です。何とも形容しがたいですが、強いて言えば受精卵をイメージするかな。色の対比で円の中心が目を引きました。
この部屋にはこのR-12に似た画風の作品が無数にありました。急に画風が変わり過ぎて驚きですw
<幕間 ─Interlude─>
続いてのコーナーは阿部展也の友人たちの作品のコーナーです。みんな抽象的!w 特にルーチョ・フォンタナの「空間概念」やギュンター・ユッカーの「LIGHT RELIEF」なんかを観ていると、阿部展也が材質的な画面を作った時期の画風とよく似ていました。
<第5章 未完の「越境」1968-1971>
最後は晩年のコーナーです。4章までで幾何学的な抽象画に移行した阿部展也ですが、この章ではアクリル絵の具で彩色する技法の作品が並んでいます。アクリルは1960年代にアメリカで普及した画材で、1966年のグッゲンハイム美術館で行われた「システミック・ペインティング」展で平面的な形態と色彩をシャープな輪郭で処理した作品が発表されると、阿部展也も敏感に反応しました。それにより、それまでの制作の手間がかかる技法から切り替えたので、色と形の研究に多くの時間が割けるようになったようです。そんな新たな境地となった1971年にはイタリアに関する執筆や国内の招待出品などイタリアの業績が日本で評価されはじめてきたようですが、ローマで脳出血で倒れ58歳で亡くなってしまいました。ここにはそうした最後の時代の作品が並んでいました。
11 阿部展也 「R-29」
こちらは文章では表現し難い有機的な楕円状の形を描いたもので、中央はオレンジ、その周りは水色、その周りは再びオレンジ…というカラフルな色彩で、明暗が付けられて立体感まで感じられます。これまでの内省的な雰囲気から一気にポップで力強い作風へと変わっていて驚きです。フランク・ステラの作風に似ているようにも見えるかな。
この辺には同様の色彩を強く感じる抽象画が並んでいて、意味は分かりませんが明るく爽やかな作風となっています。
9 阿部展也 「R-2」
こちらは中央に右下が斜めに欠けた水色の四角、その周りを左上が斜めに欠けた赤が囲っていて、さらに水色の線が外枠に細く描かれています。これも幾何学的なモチーフですが、色の対比が強烈で深い意味は分からなくても面白さが伝わってくるようでした。
17 阿部展也 「R-50」
こちらも中から順に水色・ピンク・緑・ピンク・オレンジとなっている縞模様を描いたアクリル作品で、縞模様に陰影で折り目らしきものがついた玉ねぎの断面図のような抽象です。色が強すぎて目がチカチカするのはオプアートの要素も入れたか?と勘ぐりたくなるくらいですw 晩年とは思えないくらい力強い色彩でした。
ということで、画風がどんどん変わっていくアーティストとなっていました。これだけ変わるとどれが代表的な作風か分からないし、難解なところもありましたが、1人のアーティストの変遷を観られるのは面白かったです。ちょっとコアな美術ファン向けの内容だと思いますが、近現代の日本の美術界に興味がある方は是非どうぞ。ぐるっとパスなら提示するだけで観られます。

【展覧名】
阿部展也―あくなき越境者
【公式サイト】
http://www.pref.spec.ed.jp/momas/?page_id=384
【会場】埼玉県立近代美術館
【最寄】北浦和駅
【会期】2018年9月15日 (土) ~ 11月4日 (日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
1時間30分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_3_④_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。
さて、この展示はキュビスム、シュルレアリスム、アンフォルメルなど様々な画風を変遷した近現代の日本人アーティスト阿部展也(あべのぶや 元の名前は芳文)の個展となります。阿部展也は日本のみならずアメリカ、インド、東欧、そしてイタリアのローマなどでも活躍し、日本に最新の美術動向を紹介し日本の美術界にも大きな影響を与えたようです。今回の展示は初期から晩年までの主要作品や資料など全230点も集めた充実の内容で、時系列で5章構成となっていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。
<第1章 出発─〈妖精の距離〉と前衛写真 1932-1941>
まずは活動を開始した頃のコーナーです。阿部芳文(展也)は独学で絵画を学び 19歳にして第二回独立展に入選し、その翌年の1933年には末永胤生・砂川美知子と共に「一九四〇年協会」を結成して1935年まで4回の展覧会を開催し作品を発表しました。当初はピカソから影響を受けたキュビスム風だったようですが、次第に有機的なシュルレアリスム風へと変化したようです。こうした造形の探求は瀧口修造との詩画集『妖精の距離』に結実し、瀧口修造の詩と共に名声を高めていきました。そして1939年には福沢一郎の美術文化協会にも参加する一方で、写真でも才能を発揮して1938年には瀧口修造の前衛写真協会にも参加しています。また、1939年からは大陸に渡り異文化へと関心を寄せていったようで、ここには戦前戦中頃の作品が並んでいました。なお、この時期に作品の多くは戦災で焼失してしまったのだとか。
1-2 画:阿部芳文(展也)/詩:瀧口修造 「詩画集『妖精の距離』12点組 」 ★こちらで観られます
こちらが名声を高めた詩画集で、瀧口修造の詩と共に有機的で半分具象のような抽象のような絵が12点並んでいました。植物のようでもありアメーバのようでもあって、何となく生物っぽいフォルムに見えるかな。ちょっとイヴ・タンギーにも似た不思議さです。 瀧口修造の詩も謎めいていて、シュールな雰囲気となっていました。
1-1 阿部芳文(展也) 「風景」
こちらは現存で最も早い時期の作品で、海の岩を描いています。ざらついてゴツゴツしたマチエールの具象で、後の作品とはだいぶ趣きが異なりました。最初は具象だったんですね。
この辺には阿部展也の絵が表紙を飾った雑誌『みづゑ』や『妖精の距離』の広告などもありました。
1-S4 阿部芳文(展也) 『フォトタイムス』
こちらは雑誌『フォトタイムス』の記事に載った阿部展也の写真作品で、戸外の椅子の肘掛けに手袋を置いている写真や、街角の眼の看板などを撮った写真が並んでいます。いずれも現実の光景ではあるのですが、超現実的な雰囲気があり、特に眼の看板は切り出し方の巧みさが光る作品でした。写真家としても相当に才能があったと思わせる作品でした。
この辺には中国の雲崗石窟を撮った写真など、アジアでの活動を示す品もありました。
<第2章 フィリピン従軍と戦後の再出発 1941-1947>
続いては終戦前後のコーナーです。阿部展也は1941年に写真家として宣伝班に徴用されてフィリピンに赴任したそうで、1943年にはフィリピン人の女優と結婚し翌年には娘をもうけています。そんな順調だったフィリピンでの生活ですが、日本軍が劣勢となり1945年3月にマニラが陥落すると家族と離散を余儀なくされ、阿部展也は収容所に抑留となりました。抑留は1年くらいあったようですが、何とそこでも制作して作品を残しています。そして1946年12月に復員すると、阿部芳文から阿部展也と名前を改めて日本画壇に復帰しました。そしてフィリピン時代の英語を駆使しGHQ将校たちとも親交を深め、再び世界を見据えて活動を開始したようです。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。
7~30 阿部芳文(展也) 「フィリピン時代のスケッチ(24点)」
こちらはフィリピンでのスケッチが24点並んでいました。街の様子などを描いているのですが、たまに壊れた建物や鉄条網など戦争を感じさせる写真もあります。これらは写実的に描かれていて、風景画とも報道画とも言えるような感じでした。
この近くにはフィリピン時代の写真もありました。修道院や軍の活動の様子など現地の様子がよく伝わる写真で、どれも写っている人は笑顔です。また、フィリピンのカトリック信者向けの雑誌『みちしるべ』の表紙を飾った絵( ★こちらで観られます)もあり、道の上に指差す手が描かれたシュールなようで意味ありげな作品となっていました。
2~4 阿部芳文(展也) 「Jail Song」
こちらは収容所時代に鉛筆で描いた作品です。柔らかい有機的な感じのシュールな抽象画が復活しているように見えて、具象も混ざっているものの謎めいた作風となっていました。ちょっと意味までは分からず。
<第3章 人間像の変容─下落合のアトリエにて 1948-1957>
続いては戦後のコーナーです。1948年に第一回モダンアート展への出品にあたり阿部展也を名乗った その年に、新宿区下落合に転居しモダンなアトリエを構えたそうで、若い画家や文化人が集まったようです。そして1951年には戦後初の個展を開催し、油彩5点と『妖精の距離』などを出品しました。また、阿部展也は写真に対して関心を持ち続けていたようで、1950年には大辻清司と協働し雑誌『camera』のためのヌードモデルを組み合わせた作品などを制作しています。そして1953年には日本美術家連盟の代表としてインドに7ヶ月滞在し、そこでも多くの写真を撮影してきたようです。ここにはそうした時代の多彩な作品が並んでいました。
24 阿部展也 「作品」
こちらは頭にリンゴを乗せた人物というかETみたいな顔の半抽象画です。赤い肌をしていて宇宙人にしか見えませんが、有機的な文様のようなものもあります。この時期は人体を有機的なフォルムで表すような作風が多いらしく、これもそのうちの1点のようでした。
22 阿部展也 「飢え」 ★こちらで観られます
こちらは砂漠のようなところで飢えてガリガリになった3人の人物が描かれた具象です。1人は砂に埋まるようにうつ伏せで、1人は膝を立てて仰向け、もう1人は座ってうつむいています。背景には無数のドクロが積み重なっているなど、強く死を感じさせ悲惨な光景となっていました。恐らく身をもって戦争を経験したのがここに表れているんじゃないかな。超現実的な表現にも思えますが、非情な現実を描いているように思えました。
この他にも痛ましい感じの作品がいくつかありました。
28 阿部展也 「花子」
こちらは冒頭のポスターにもなっている作品で、オレンジの球体に目鼻がついて顔のようになっている半具象・半抽象の作品です。色面を組み合わせていて、軽快さを感じると共に顔にマスコット的な愛嬌があるように思えます。タイトルも花子と可愛らしいしw
この隣には「太郎」という作品(★こちらで観られます)もありました。タイトルのおかげで岡本太郎みたいな画風にも思えるw
36 阿部展也 「二人(男と女)」
こちらはかなりキュビスム風の抽象画で、確かに人らしき形が2つ並んでいます。ステンドグラスのように四角や三角を使って表現していて、色彩感覚が独特な淡さとなっていました。この辺からまた画風が変わっているように思えます。
この近くにはインドでの写真のスライドが流れていました。カラーで現地の暮らしや風景を撮っています。また、スケッチもありました。
79 撮影:大辻清司/演出:阿部展也 「オブジェ、阿部展也のアトリエにて」
こちらはオールヌードの女性の頭にテーブルクロスのようなものを被せた写真で、その上には針金のようなもので幾何学的な模様が八方に広がっています。こちらも現実の光景でありながらコラージュ的なシュールさがあり、エロティックな雰囲気もありました。
40 阿部展也 「人物」
こちらは真っ赤な画面に黒い輪郭と白い目玉で人の顔のようなものを描いた作品です。目が無ければ人とは思えないくらい抽象的で、これまでの有機的な作風とも異なる四角を多用したような画風となっていました。またこの頃から画風が変化していったのかも。結構よく変わりますw
<第4章 技法の探求か 「かたち」回帰へ─エンコースティックを中心に1957-1967>
続いては抽象画を突き詰めてから「かたち」へと回帰する時期のコーナーです。阿部展也は1957年にアドリア海のドゥブロヴニクでの国際造形芸術連盟総会への出席をきっかけに初めて欧州を訪れ、その後1年続いた欧州旅行では自在に越境していたようです。さらに1958~61年の半分以上を海外で過ごすなど活発に海外に出向き、ミラノ、ローマ、バルセロナ、パリ、ニューヨーク、ユーゴスラビアなどを巡ったようです。そうした越境の日々で作風も変化したようで、1959年以降は具象的なモチーフは姿を消し、材質自体が語りかける抽象画へと移行していきました。しかし1964年からは主役が「かたち」へと回帰して行き、円が溢れんばかりの大きさで画面を埋め尽くすようになったようです。ここにはそうした画風の変化が分かる作品が並んでいました。
17 阿部展也 「Flowing Stone」
これは絵というよりは岩肌みたいな作品ですw ゴツゴツしていて凹凸が感じられるのですが、シミのような模様なのか?って部分もあります。解説によると、これは蜜蝋や油絵の具を調合してバーナーや金属ゴテで定着させているようで、もはや具象性は全くありませんでした。アンフォルメルとかタシスムが流行っていた時期なので、それに影響を受けたのかな?
この辺にはユーゴスラビアの写真やスケッチもありました。スケッチは色付きでかなり写実的に街の様子などを描いています。
29 阿部展也 「マスプロダクション」
こちらは0と書かれた円形のコルクが整然と並べられた作品です。たまにズレていますが升目状にぎしり並んでいて、コルクの0の上にはひっかき傷のような線もあります。まったく意味が分かりませんが、如何にも何かの意味を込めていそうな…w 中々難解ですが、現代アートっぽさが一気に増して来た感がありましたw
他にも格子状の板にガラス玉をはめ込んだ作品や絵に色々貼り付けるような作品などもありました。この辺が難易度マックスですw
46 阿部展也 「R-12」 ★こちらで観られます
こちらはいきなり画風がシンプルになった作品で、円がありその周りにメッシュ状の有機的な形が囲い、更にその周りに別の色の円が囲うという抽象画です。何とも形容しがたいですが、強いて言えば受精卵をイメージするかな。色の対比で円の中心が目を引きました。
この部屋にはこのR-12に似た画風の作品が無数にありました。急に画風が変わり過ぎて驚きですw
<幕間 ─Interlude─>
続いてのコーナーは阿部展也の友人たちの作品のコーナーです。みんな抽象的!w 特にルーチョ・フォンタナの「空間概念」やギュンター・ユッカーの「LIGHT RELIEF」なんかを観ていると、阿部展也が材質的な画面を作った時期の画風とよく似ていました。
<第5章 未完の「越境」1968-1971>
最後は晩年のコーナーです。4章までで幾何学的な抽象画に移行した阿部展也ですが、この章ではアクリル絵の具で彩色する技法の作品が並んでいます。アクリルは1960年代にアメリカで普及した画材で、1966年のグッゲンハイム美術館で行われた「システミック・ペインティング」展で平面的な形態と色彩をシャープな輪郭で処理した作品が発表されると、阿部展也も敏感に反応しました。それにより、それまでの制作の手間がかかる技法から切り替えたので、色と形の研究に多くの時間が割けるようになったようです。そんな新たな境地となった1971年にはイタリアに関する執筆や国内の招待出品などイタリアの業績が日本で評価されはじめてきたようですが、ローマで脳出血で倒れ58歳で亡くなってしまいました。ここにはそうした最後の時代の作品が並んでいました。
11 阿部展也 「R-29」
こちらは文章では表現し難い有機的な楕円状の形を描いたもので、中央はオレンジ、その周りは水色、その周りは再びオレンジ…というカラフルな色彩で、明暗が付けられて立体感まで感じられます。これまでの内省的な雰囲気から一気にポップで力強い作風へと変わっていて驚きです。フランク・ステラの作風に似ているようにも見えるかな。
この辺には同様の色彩を強く感じる抽象画が並んでいて、意味は分かりませんが明るく爽やかな作風となっています。
9 阿部展也 「R-2」
こちらは中央に右下が斜めに欠けた水色の四角、その周りを左上が斜めに欠けた赤が囲っていて、さらに水色の線が外枠に細く描かれています。これも幾何学的なモチーフですが、色の対比が強烈で深い意味は分からなくても面白さが伝わってくるようでした。
17 阿部展也 「R-50」
こちらも中から順に水色・ピンク・緑・ピンク・オレンジとなっている縞模様を描いたアクリル作品で、縞模様に陰影で折り目らしきものがついた玉ねぎの断面図のような抽象です。色が強すぎて目がチカチカするのはオプアートの要素も入れたか?と勘ぐりたくなるくらいですw 晩年とは思えないくらい力強い色彩でした。
ということで、画風がどんどん変わっていくアーティストとなっていました。これだけ変わるとどれが代表的な作風か分からないし、難解なところもありましたが、1人のアーティストの変遷を観られるのは面白かったです。ちょっとコアな美術ファン向けの内容だと思いますが、近現代の日本の美術界に興味がある方は是非どうぞ。ぐるっとパスなら提示するだけで観られます。
記事が参考になったらブログランキングをポチポチっとお願いします(><) これがモチベーションの源です。


更新情報や美術関連の小ネタをtwitterで呟いています。
更新通知用twitter
前回ご紹介したワタリウム美術館の展示を観た後、美術館の地下にあるオン・サンデーズというお店で一息ついてきました。このお店は以前もご紹介したことがありますが、だいぶ前なので改めて記事にしておこうと思います。

【店名】
オン・サンデーズ
【ジャンル】
カフェ
【公式サイト】
http://www.watarium.co.jp/onsundays/event/event&cafe.html
食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13054624/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
外苑前駅
【近くの美術館】
ワタリウム美術館(美術館内のカフェです)
【この日にかかった1人の費用】
600円程度
【味】
不味_1_2_③_4_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_3_④_5_快適
【混み具合・混雑状況(平日20時頃です)】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
平日の夜だったこともあって、空いていて快適に過ごすことができました。
さて、このお店はワタリウム美術館のミュージアムショップの一角にあるカフェで、冒頭の写真のように現代アートと書庫が融合したような空間を観ながらお茶できるアート好きや本好きの方には非常に魅力的な雰囲気となっています。
参考記事:on sundays' 【外苑前界隈のお店】
しかし、このカフェに行っても店員さんはいないので、入口にあるこのベルを鳴らすと注文を聞きに来てくれます。

ベルで呼ぶ→注文→注文品が来ると同時にテーブル会計という流れです。
改めて店内の様子

壁際にもアート作品が並んでいます。簡素ながらロフトみたいでワクワクしますw
こちらは逆側(入口側)

ここにもアートグッズなんかを紹介していました。
店内には現代アートに関する品だけでなく、伝統的な美術の本もあります。

カフェに入る前に本を買って持ち込んだら一層楽しるかも。アートグッズは他の美術館のショップよりも多彩です。写真は撮りませんでしたが、1Fにもアートグッズが並んでいて、季節ごとに特集を組んだりしているようです。
この日は夜だったのでお茶ではなく自家製ジンジャーエール(600円)を頼みました。

シロップが予め入っていて炭酸水で割る形式です。よくかき混ぜないとムラが出るのでじっくりかき混ぜてのみましたw ミントとレモンの香りの方が強めでしたが、ジンジャーも後味に来る感じでした。結構甘くて、辛口好きとしてはもうちょっと辛くても良かったw
ということで、魅力的な空間でのんびり休むことができました。このお店はカフェメニューだけでなくアートグッズを見て回るのも楽しいので、ワタリウム美術館の展示と共に楽しめるのではないかと思います。特に現代アート好きの方にオススメのお店です。

【店名】
オン・サンデーズ
【ジャンル】
カフェ
【公式サイト】
http://www.watarium.co.jp/onsundays/event/event&cafe.html
食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13054624/
※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。
【最寄駅】
外苑前駅
【近くの美術館】
ワタリウム美術館(美術館内のカフェです)
【この日にかかった1人の費用】
600円程度
【味】
不味_1_2_③_4_5_美味
【接客・雰囲気】
不快_1_2_3_④_5_快適
【混み具合・混雑状況(平日20時頃です)】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【総合満足度】
地雷_1_2_3_④_5_名店
【感想】
平日の夜だったこともあって、空いていて快適に過ごすことができました。
さて、このお店はワタリウム美術館のミュージアムショップの一角にあるカフェで、冒頭の写真のように現代アートと書庫が融合したような空間を観ながらお茶できるアート好きや本好きの方には非常に魅力的な雰囲気となっています。
参考記事:on sundays' 【外苑前界隈のお店】
しかし、このカフェに行っても店員さんはいないので、入口にあるこのベルを鳴らすと注文を聞きに来てくれます。

ベルで呼ぶ→注文→注文品が来ると同時にテーブル会計という流れです。
改めて店内の様子

壁際にもアート作品が並んでいます。簡素ながらロフトみたいでワクワクしますw
こちらは逆側(入口側)

ここにもアートグッズなんかを紹介していました。
店内には現代アートに関する品だけでなく、伝統的な美術の本もあります。

カフェに入る前に本を買って持ち込んだら一層楽しるかも。アートグッズは他の美術館のショップよりも多彩です。写真は撮りませんでしたが、1Fにもアートグッズが並んでいて、季節ごとに特集を組んだりしているようです。
この日は夜だったのでお茶ではなく自家製ジンジャーエール(600円)を頼みました。

シロップが予め入っていて炭酸水で割る形式です。よくかき混ぜないとムラが出るのでじっくりかき混ぜてのみましたw ミントとレモンの香りの方が強めでしたが、ジンジャーも後味に来る感じでした。結構甘くて、辛口好きとしてはもうちょっと辛くても良かったw
ということで、魅力的な空間でのんびり休むことができました。このお店はカフェメニューだけでなくアートグッズを見て回るのも楽しいので、ワタリウム美術館の展示と共に楽しめるのではないかと思います。特に現代アート好きの方にオススメのお店です。
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先週の水曜日の会社帰りに、外苑前のワタリウム美術館で超えてゆく風景 梅沢和木×TAKU OBATA(HYPER LANDSCAPE)を観てきました。この展示では一部で撮影可能となっていましたので、写真を使ってご紹介していこうと思います。

【展覧名】
超えてゆく風景 梅沢和木×TAKU OBATA(HYPER LANDSCAPE)
【公式サイト】
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1809hyperlamd/index.html
【会場】ワタリウム美術館
【最寄】外苑前駅
【会期】2018年9月1日(土)~12月2日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間30分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
結構お客さんがいましたが快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は梅沢和木 氏とTAKU OBATA(小畑多丘)氏の2人展となっていて、2人共1980年代生まれで2000年代に活動しはじめた若い世代のアーティストです。梅沢和木 氏は2013年の森美術館で行われた「LOVE展 アートにみる愛の形―シャガールから草間彌生、初音ミクまで」を始め、日本のみならず海外でも個展を開催されるなどの活躍ぶりのようです。一方のTAKU OBATA(小畑多丘)氏も東京藝術大学大学院を出た2008年に「トーキョーワンダーウォール公募 2008」大賞を受賞したのを皮切りに、「ART FAIR 東京2014」や東京藝術大学大学美術館陳列館での個展など、やはり新進気鋭のアーティストと言えそうです。会場は階ごとに内容が異なりましたので、簡単に各階ごとに振り返ってみようと思います、
<2階 TAKU OBATA(小畑多丘)>
まず2階はTAKU OBATA氏のコーナーで、遠景だけ撮影可能となっていました。文章で書くより分かりやすいので早速写真でご紹介。
会場に入って壁紙の派手さに驚きました。

壁紙と絵画と彫刻が一体化するような感じの展示となっています。
こちらの像は手前が「B-GIRL Down jacket NAGAME」、奥が「B-BOY AllDown Quinacridone」という木彫りの像。

見た目は現代的ですが木彫りというアナログな手法が意外で面白い。昔のポリゴンのキャラみたいに観えましたw
壁一面にアニメのキャラをコラージュしたようなものが広がります。

多分、ゆっくりとかのネットミームのコラージュじゃないかな。ちょっとアニメに詳しくないので元ネタは分かりませんが…。
絵画作品もありました。

幻想的な光景となっています。どこまでが絵か分からないくらい一体化してますw
他にもモニタに映し出された作品などもあって、多才な表現方法となっています。
<3階 梅沢和木>
続いての3階は梅沢和木 氏のコーナーで、ここは撮影出来ませんでした。こちらも入った瞬間に壁全体にアニメやネットミームやアダルト画像などのコラージュが広がっていました。よく観ると同じコラージュが連続しているのでパターンの繰り返しのようですが、圧倒的なヲタ的雰囲気ですw ハルヒとからき☆すたは何となく見覚えがあったり、ニコニコ動画の画面だったりするので10年位前のネットを表しているように思います。こちらには絵画作品やPCが並び、絵画はコラージュにアクリルで加筆しているそうで、具象のような抽象のような作品でした。また、PCでは壁紙の制作風景なんかを流していました。EeePCとか私も持っていたPCなのでちょっと懐かしい。もうネットブックって聞かないですね…。
<4階 TAKU OBATA(小畑多丘)>
再びTAKU OBATA氏のコーナー。こちらも撮影可能となっていましたが2点のみとなっています。
こちらは「物体と空」という写真作品

何かのCGの素材のように観えますが…。解説も無くちょっとよく分かりませんでした。
こちらは「Takuspe buttai Abstract」

こちらは映像で、先程の物体のようなものが浮遊したCG映像のようでした。しばらく観ていましたがスクリーンセーバーみたいな…w こちらも意図は分かりませんでした。
ということで、ネットやアニメのミームを作品に取り込むという新しさを感じる作風となっていました。何を意味しているのかは分からない難解さもあるので万人向けという訳ではないですが、ネット文化などが好きな方にはちょっと懐かしさもあって面白い展示ではないかと思います。

【展覧名】
超えてゆく風景 梅沢和木×TAKU OBATA(HYPER LANDSCAPE)
【公式サイト】
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1809hyperlamd/index.html
【会場】ワタリウム美術館
【最寄】外苑前駅
【会期】2018年9月1日(土)~12月2日(日)
※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。
【鑑賞所要時間(私のペースです)】
0時間30分程度
【混み具合・混雑状況】
混雑_1_2_3_4_⑤_快適
【作品充実度】
不足_1_2_③_4_5_充実
【理解しやすさ】
難解_1_2_③_4_5_明解
【総合満足度】
不満_1_2_③_4_5_満足
【感想】
結構お客さんがいましたが快適に鑑賞することができました。
さて、この展示は梅沢和木 氏とTAKU OBATA(小畑多丘)氏の2人展となっていて、2人共1980年代生まれで2000年代に活動しはじめた若い世代のアーティストです。梅沢和木 氏は2013年の森美術館で行われた「LOVE展 アートにみる愛の形―シャガールから草間彌生、初音ミクまで」を始め、日本のみならず海外でも個展を開催されるなどの活躍ぶりのようです。一方のTAKU OBATA(小畑多丘)氏も東京藝術大学大学院を出た2008年に「トーキョーワンダーウォール公募 2008」大賞を受賞したのを皮切りに、「ART FAIR 東京2014」や東京藝術大学大学美術館陳列館での個展など、やはり新進気鋭のアーティストと言えそうです。会場は階ごとに内容が異なりましたので、簡単に各階ごとに振り返ってみようと思います、
<2階 TAKU OBATA(小畑多丘)>
まず2階はTAKU OBATA氏のコーナーで、遠景だけ撮影可能となっていました。文章で書くより分かりやすいので早速写真でご紹介。
会場に入って壁紙の派手さに驚きました。

壁紙と絵画と彫刻が一体化するような感じの展示となっています。
こちらの像は手前が「B-GIRL Down jacket NAGAME」、奥が「B-BOY AllDown Quinacridone」という木彫りの像。

見た目は現代的ですが木彫りというアナログな手法が意外で面白い。昔のポリゴンのキャラみたいに観えましたw
壁一面にアニメのキャラをコラージュしたようなものが広がります。

多分、ゆっくりとかのネットミームのコラージュじゃないかな。ちょっとアニメに詳しくないので元ネタは分かりませんが…。
絵画作品もありました。

幻想的な光景となっています。どこまでが絵か分からないくらい一体化してますw
他にもモニタに映し出された作品などもあって、多才な表現方法となっています。
<3階 梅沢和木>
続いての3階は梅沢和木 氏のコーナーで、ここは撮影出来ませんでした。こちらも入った瞬間に壁全体にアニメやネットミームやアダルト画像などのコラージュが広がっていました。よく観ると同じコラージュが連続しているのでパターンの繰り返しのようですが、圧倒的なヲタ的雰囲気ですw ハルヒとからき☆すたは何となく見覚えがあったり、ニコニコ動画の画面だったりするので10年位前のネットを表しているように思います。こちらには絵画作品やPCが並び、絵画はコラージュにアクリルで加筆しているそうで、具象のような抽象のような作品でした。また、PCでは壁紙の制作風景なんかを流していました。EeePCとか私も持っていたPCなのでちょっと懐かしい。もうネットブックって聞かないですね…。
<4階 TAKU OBATA(小畑多丘)>
再びTAKU OBATA氏のコーナー。こちらも撮影可能となっていましたが2点のみとなっています。
こちらは「物体と空」という写真作品

何かのCGの素材のように観えますが…。解説も無くちょっとよく分かりませんでした。
こちらは「Takuspe buttai Abstract」

こちらは映像で、先程の物体のようなものが浮遊したCG映像のようでした。しばらく観ていましたがスクリーンセーバーみたいな…w こちらも意図は分かりませんでした。
ということで、ネットやアニメのミームを作品に取り込むという新しさを感じる作風となっていました。何を意味しているのかは分からない難解さもあるので万人向けという訳ではないですが、ネット文化などが好きな方にはちょっと懐かしさもあって面白い展示ではないかと思います。
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多分、年に70~100回くらい美術館に行ってると思うのでブログにしました。写真も趣味なのでアップしていきます。
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画像を大きめにしているので、解像度は1280×1024以上が推奨です。
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