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「ソフィ カル ─ 限局性激痛」原美術館コレクションより 【原美術館】

この間の土曜日に御殿山の原美術館で「ソフィ カル ─ 限局性激痛」原美術館コレクションより を観てきました。

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【展覧名】
 「ソフィ カル ─ 限局性激痛」原美術館コレクションより

【公式サイト】
 https://www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/382/

【会場】原美術館
【最寄】品川駅

【会期】2019年1月5日(土)~3月28日(木)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
予想以上に混んでいて、場所によっては人でぎっしりというくらいの盛況ぶりとなっていました。先日、2020年末に閉館のアナウンスが出たことも影響しているんじゃないかな…。

さて、この展示はソフィ・カルというフランスの女性アーティストの「限局性激痛」という一連の作品を2部構成で紹介する内容となっています。ソフィ・カルはパリ生まれで、知らない人を自宅に泊めてその様子を撮ってインタビューを集めた作品や、落とし物のアドレス帳に載っている人達に落とした人についてのインタビューをした作品、ホテルのメイドとして働いて客の様子を撮影した作品など、それはヤバいだろ…と思うような刺激的かつ体験をまとめたような作風の現代アーティストです。テートやポンピドゥー・センターなど名だたる美術館で個展を開くなど世界的に注目されているようで、日本でもこの原美術館で1999年に日本初の個展が行われたようです。私はその展示は観ていないですが、今回は1999年の展示の再現展ということで、展示後に原美術館のコレクションとなった品々が展示されていました。(すべてコレクションにしたようです) 簡単にその様子を振り返ってみようと思います。


<1階>
まずは1階の展示です。ソフィ・カルは1984年に日本に3ヶ月滞在する奨学金を得て、1984年10月25日に出発し、旧ソ連のシベリア鉄道に乗って中国経由で日本へとやってきます。ここにはその時の写真や恋人との手紙が並んでいて、すべての写真に「○DAYS TO UNHAPPINESS」(○の部分には92~1までの数字のカウントダウンが入る)という赤い判が入っています。直訳すると「不幸まで○日」で、これは日本を去った後に起きる不幸までのカウントダウンのようです。写真には中国の街の様子や、日本の京都や東京の街が写されていて日本は神社仏閣が多いかな。千本鳥居やおみくじが結ばれている様子、札や地蔵など宗教的な神秘性のあるものに興味があるように思えます。電卓とソロバンが一体化したもの(ソロカル?)や街角の占い師なんかも撮っているので日本的な部分が奇異に思えたのかもしれません。
と、ここまではただの短期留学中に観た日本の写真みたいな感じで、恋人としょっちゅう手紙のやりとししてるなー くらいに思っていたのですが、これからが本番です。実はソフィ・カルは日本に行く前に恋人に「そんなに待てない」と言われていたそうで、それが原因で日本行きを疎ましく部分があります。そして日本から出たらインドのニューデリーで会おうと約束し、ソフィ・カルはそれを心待ちにしていました…。「○DAYS TO UNHAPPINESS」でピンと来るかもしれませんが、詳しくは2階へと続きます。


<2階>
2階の最初の部屋には、2人で落ち合うはずだったインドのインペリアルホテル261号室の再現があります。ベッドの上に赤い電話が置かれていて、この部屋の様子をよく覚えておくと次の部屋の作品に臨場感が出てきます。そして次の部屋にはずらりと布地に日本語で刺繍された作品が並んでいます。

先述の通り、恋人には待てないと言われていたけど、インドでの再会を楽しみにしていたソフィ・カルですが、恋人はインドにやってきませんでした。怪我を理由に来なかったので、事故か?と思ったら 肉に爪が刺さったとかそういうレベルの怪我で、要するに新しい恋人が2ヶ月前に出来たので面と向かって話すのを避けたようです。それを告げられたソフィ・カルは非常にショックを受けて、この不幸のストレスをどう処理するか考え 語り尽くしたと感じるまで 見ず知らずの他人にまで話しまくることにし、合わせて話を聞いてくれた人の人生で最も不幸な話を訊くことで不幸を相対化しようと思いついたようです。

2部屋に渡ってその不幸の話が交互に並んでいて、ソフィ・カルは同じ話を何度も何度も話します。○日前に男に捨てられた~ という感じで日数が変わるだけで内容はほぼ一緒です。一方で聞いてくれた人の不幸話は内容が多彩で、フランス各地で年齢も様々な人達の話となっています。それがいくつも並んでいるのですが、徐々にソフィ・カルの方にも変化が出てきます。最初は振られた経緯やインペリアルホテル261号室で電話を待っていたことを克明に語っているのですが、日数が経つにつれて細部が省略されてきます。びっしりと書かれていた文字が明らかに減ってきて、2ヶ月くらい経つと半分くらい余白になっています。さらに90日くらい経つと文字の色が背景と同色系になって読みづらくなっていて、記憶が薄らいでいく様子を表現しているように思えました。最後の方は語りがかなりテキトーになってて、3ヶ月後には見事に苦痛を感じなくなっていたようですw 


ということで、振られる前と振られた後の経験をそのまま作品にするというユニークな内容となっていました。相手の話もちょっと怖いくらいだったし、生々しいリアリティを感じる作品です。最初はよく分からなかったけど、全部観るとなるほどと思えるのも面白かったです。現代アートがお好きな方向けの展示でした。


おまけ:
先述の通り、この原美術館は2020年末に閉館を予定しています。建物の老朽化が要因で、建て替えも難しいそうで非常に残念です。建物や庭も魅力なので、今のうちに存分に思い出に残しておきたい美術館です。
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中庭に面したカフェも大好きなんですが、めっちゃ混んでいて閉館時間までに入れそうもなかったので諦めました。美術館がなくなるまでに再訪したいなあ
 参考記事:原美術館とカフェ ダール


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【あしかがフラワーパーク】イルミネーションの写真

今日は写真多めです。前回ご紹介した栃木市の景観と建物を楽しんだ後、両毛線に乗って あしかがフラワーパーク駅まで移動して、あしかがフラワーパークのイルミネーションを観てきました。このイルミネーションのイベントは既に終了していますが、今後の参考にご紹介しておこうと思います。

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【公式サイト】
 http://www.ashikaga.co.jp/index.html

【会場】
 あしかがフラワーパーク

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

さて、この あしかがフラワーパークは春には美しい藤を咲かすことで有名な所ですが、冬にはもう1つの名物であるイルミネーションが開催されます。(2018~2019年のイルミネーションは、2019年2月5日で終了してしまいました。) ここは夜景鑑賞士検定によって関東三大イルミネーションに認定されているようで、場合によっては日本三大イルミネーションと呼ばれることもある関東屈指のイルミネーションスポットとなっています。ここ数年、あしかがフラワーパークは年に1度くらいのペースで足を運んでいるのですがイルミネーションは初めてだったので、たっぷりと時間を取って夕暮れ前から写真を撮ってきました。詳しくは写真でご紹介していこうと思います。
 参考記事:
  あしかがフラワーパーク (昼)の写真
  あしかがフラワーパーク (夜)の写真

こちらは入口付近の藤棚。
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春には藤が咲くのですが、冬には藤の形をしたイルミネーションが灯ります。

こちらは銀河鉄道をモチーフにしたイルミネーション
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たまに汽笛が聞こえたりしました。初めて観たので毎年これなのかは分かりません。

こちらは花壇にあったイルミネーション
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花の形をしていて、幻想的な光景が広がります。

こちらも花壇。
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実物の花は全く咲いていないですが、一面に花が咲いたような演出はフラワーパークならではです。

こちらも木の形に光が灯っていました。
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真っ白で神聖な印象を受けます。

こちらは白藤のトンネル
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この白藤もイルミネーションです。ロケーション通りの趣向が面白い

白藤のアップ
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ちゃんと藤の形になっています。細部まで凝ってて感心しました。

こちらは子供向けのコーナー。
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地球号という船になっている所は人気の撮影スポットとなっていました。

ちなみに、実物の花も少しだけあります。藁の囲いの中に寒牡丹が咲いていました。
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幾重にも花びらが重ねってゴージャス。流石は冨貴の象徴ですね。

続いてこちらもトンネル。
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園内のトンネル状の部分はこういった光のトンネルになっている所ばかりです。電球の数も半端じゃなさそうw

そしてこちらが大藤のイルミネーション
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ここは春に訪れると花の見事さに圧倒されますが、イルミネーションも負けじと美しい光景となっています

たまに明滅している感じでした。
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闇が深くなると宇宙的な美しさとなっています。

花びらのアップ
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背景がぼやけると一層に幻想的w

大藤の近くには鳥居やおみくじがあって、神社をイメージした「大藤神社」となっていました
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私もおみくじを引いたら中吉でした。その結果を受けて、スマフォゲーのガチャを引いたら強キャラが出たのでご利益あったかもw

パーク内の奥のほうは動物園をテーマにしていました。
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この写真の中にもフクロウとかたぬきがいます。ちょっとチープな感じもするかなw

2月初旬に行ったのに、クリスマスソングが聞こえてきましたw
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これだけ観ると完全にクリスマスですね。。。 アニメーションのようにイルミネーションが動きます。凄い仕掛けだけど、子供向けかな。

恐らくオーロラをイメージしたもの
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結構早く動くので暗闇での撮影が難しかったです。

こちらは謎の城の入り口
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シンデレラ城みたいなのが奥に見えていますw

こちらが城。花火をイメージしたイルミネーションと共に乙女チックな雰囲気となっています。
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これも私の美意識との相違を感じますが、やはり子供向けなのかな。

続いてこちらは光のピラミッド郡
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水面に反射して非常に綺麗です。

ちょっと角度を変えると他にもいくつかあります。
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実際には光っていない時間のほうが長いので、撮影は根気が必要でしたw

比較的綺麗に撮れたのをもう1枚
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ここは春に来ても花が綺麗な所です。

こちらは花占いというコーナー。ルーレットのようなもので占って、結果に従ってドーム内が点滅します。
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私は元気あふれる未来というのが当たりました。たまに全種類が当たることもあるようで、これはその時の写真。他愛の無い占いでも綺麗なイルミネーションが出るのは嬉しいですねw

こちらは季節をテーマにしたコーナー。
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これは十五夜をイメージしたアニメーションとなっていました。これも家族向けです。

最後に、西ゲートに近い大長藤のイルミネーション
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ディスコか!ってツッコミたくなるような電飾ぶりが面白いw 大きいだけに見栄えが良かったです。


ということで、ちょっと子供っぽい趣味のイルミネーションも多かったですが、規模も大きく見応えのある内容となっていました。特に藤をはじめとした花を模したイルミネーションは良かったです。 来年以降も開催されると思いますので、冬にイルミネーションを観たくなったら参考にしてみてください。

おまけ:
ここはゴールデンウィーク頃が花の見頃となります。今年は平成最後の10連休もあるので、GWに訪れてみるのもよろしいかと思います。




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栃木市周辺の写真

今日は写真多めです。前回ご紹介した「とちぎ蔵の街美術館」を観た後、美術館周辺の栃木市の街を散策してきました。ついでに歴史的な建物を撮ってきましたので、写真を使ってご紹介していこうと思います。

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この栃木市は「小江戸」と呼ばれる歴史的な町並みとなっていて、千葉の佐原や埼玉の川越によく似ている景観に思えます。

 公式サイト:栃木市観光協会

まずはこの川沿いの遊覧船乗り場。「蔵の街」を名乗っているだけあって蔵が立ち並んでいます。
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今回は乗らなかったのですが、以前乗った時は15分くらいだったかな。説明しながらのんびりと数十メートルくらいを行き来してくれます。この川は巴波川(うずまがわ)といって江戸まで続いていたので明治頃までは舟運も盛んだったようです。この川の道は延々と4kmくらいあるのだとか。

こちらは川沿いにある塚田歴史伝説館という資料館。
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蔵を改造した博物館で、ロボットの人形が歴史語ってくれると書いてありました。ちょっと気になりましたが時間もなかったのでスルー。

こちらは先程の川にほど近い旧栃木県庁舎。立派な洋風建築で今も綺麗に残っています。中には入れません。
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明治4年の廃藩置県の際に下野国は栃木県と宇都宮県に分かれたそうで、明治6年に再度合併して栃木県の県庁は今の栃木市のこの場所に置かれていたようです。しかし明治17年に宇都宮県に県庁が移転して現在に至ります。栃木県の名前だけは残ったけど、県庁は栃木市じゃないのはそういう経緯なんですね。

こちらも川の近くにある旧足利銀行栃木支店。昭和9年頃の銀行建築です。
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トスカナ式オーダー風の角柱が立っていて洋風にしか見えませんが、こう見えて木造の平屋なのだとか。今はレストランとなっていました。ここでお茶をしたかったのですが、お昼の後は休憩となっていて入れませんでした。カフェではなさそう。

この辺は旧例幣使街道(日光例幣使街道)という京都と日光を結ぶ脇街道だったようで、街道沿いには今も多くの歴史的建造物が立ち並んでいます。
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たまに明治以降の建築もあってモダンな雰囲気。現役で使われている建物ばかりというのも魅力的で、カフェになっているところもあります。

こちらは蔵をリノベーションして観光案内所にした建物
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この街道沿いには観光案内所がいくつかあるので、最初に訪れると良いかもしれません。少ないですが目の前に駅と行き来するバス停なんかもあります。

歴史ある街だけに資料館のようなところも結構あります。こちらは山本有三ふるさと記念館
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『路傍の石』などで知られる文豪・山本有三とのことで、この建物も江戸末期の蔵に整備したものです。私は読んだことがないので入ったことは無いですが、館内は蔵の見学もできるようでした。
 参考リンク:山本有三ふるさと記念館

続いてこちらは とちぎ歌麿館。無料で観られるミニ展示室です。
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こちらでは美術好きなら誰もがご存知の浮世絵師の喜多川歌麿を紹介しています。江戸時代に舟運や街道の宿場町として栄えていたことで、栃木は狂歌の文化も盛んだったらしく狂歌師でもあった歌麿は狂歌を通じて栃木の豪商である善野家と親交を結んでいたのだとか。
 参考リンク:とちぎ歌麿館

中では栃木の歴史なんかも紹介されていて撮影可能となっています。
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以前はここで善野家の依頼で制作された肉筆の大作「深川の雪」「品川の月」「吉原の花」の精巧な複製も展示していたのですが、日焼けなどで劣化する上 スペースがないので展示を止めたようです。今は街道で行われる遊女のお祭りの展示なんかをやっていました。

ちなみにこの とちぎ歌麿館の向かい辺りのデパートの上に市役所があって、そこで「深川の雪」の複製を展示していた時期もあったのですが、この日は公開を取りやめている期間でした。複製といえど日本画はメンテナンスが大変そうですね。ちなみに「深川の雪」の本物は箱根の岡田美術館に収蔵されています。

狂歌入の肉筆の複製も展示されていました。
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鷹と百舌鳥を描いていて美人画で有名な歌麿にしては意外な題材です。

こちらも肉筆の複製。
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肉筆は割と漢画っぽいイメージかも。他にも数点の肉筆の複製がありました。

続いてこちらは とちぎ山車会館。この裏に とちぎ蔵の街美術館があります。
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こちらも今回は入りませんでしたが、2年に1度開催される「とちぎ秋祭り」で使われる山車が3台展示されていて、デジタル映像などで祭りの雰囲気を味わえるようになっています。以前観た時にその大きさに驚いたのを記憶しています。

最後にこちらは神明宮。天照大御神を奉っている神社です。
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栃木のお伊勢様として立派な神社となっていて、境内にもいくつもの境内社がありました。昔は県社の社格だったらしいので格式高いようです。


ということで、栃木市の町並みを堪能してきました。この街は佐野ラーメンやイチゴなどのグルメ、歴史的な建物のカフェなどもあるので、街歩きだけでも楽しめるんじゃないかな。あまり東京では知られていない気がしますが、建物好きには特に面白い街だと思います。
この後、電車で移動して あしかがフラワーパークのイルミネーションを観てきました。次回はそれについてご紹介の予定です。




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田中一村と刑部人 ―希望と苦悩のあいだ― 【とちぎ蔵の街美術館】

10日ほど前の日曜日に、栃木市のとちぎ蔵の街美術館で「企画展 田中一村と刑部人 ―希望と苦悩のあいだ―」を観てきました。

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【展覧名】
 企画展 田中一村と刑部人 ―希望と苦悩のあいだ―

【公式サイト】
 https://www.city.tochigi.lg.jp/site/museum/8664.html

【会場】とちぎ蔵の街美術館
【最寄】栃木駅・新栃木駅

【会期】2019年1月16日(水曜日)~3月21日(木曜日・祝日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 0時間40分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_4_⑤_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
空いていて快適に鑑賞することができました。

さて、この展示は近年人気が急上昇している田中一村(たなかいっそん)と、栃木ゆかりの油彩画家である刑部人(おさかべじん)の2人展となっています。(田中一村というと奄美大島を描いた作品が有名ですが、生まれは栃木市らしく この美術館での開催となったようです) 栃木出身という共通点以外の2人の接点は定かではありませんが、 田中一村は初期の東京時代・千葉時代の作品が30点程度、刑部人は15点という小展示で、1階が田中一村、2階が刑部人というように分かれていました。それぞれの画家について気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。


<1階 田中一村>
まずは田中一村のコーナーです。田中一村は木彫家の息子として栃木で生まれ、子供のうちに東京に移り住みました。父の手ほどきと独力で南画の技法を習得し、東京美術学校の日本画科に入学したものの、2ヶ月で自主退学しています。その後、千葉に移り住んで川端龍子の青龍展などで入選したこともあったようですが、自信作が入選しなかった際には辞退するようなこともあったようです。有名な奄美大島への移住は50歳以降ですが、生涯あまり評価されないまま69歳で亡くなっています。今回の展示では千葉時代くらいまでで、まだ田中一村を名乗る前の田中米邨の画号の時代の作品から並んでいました。(詳しい経歴や奄美大島時代については以前の記事をご参照ください)
 参考記事:
  田中一村 新たなる全貌 感想前編(千葉市美術館)
  田中一村 新たなる全貌 感想前編(千葉市美術館)

7 田中米邨 「山水図」
こちらは佐野にいた頃の初期作品です。南画風の粗目のタッチで山水を描いていて、谷間に赤い柿のような実がなっているのがアクセントとなっています。晩年の作風とはだいぶ違っていて、やや素朴さで郷愁を誘うような雰囲気です。佐野ではまだこうした作品がたまに見つかるそうで、ちょっとそれも驚きでした。

この近くには父親の田中稲邨による紫檀に彫刻したお盆や、霊芝、仏手柑、びわなどをリアルに表現した彫刻が並んでいました。父親の作品も見事なので、一村はその才能を受け継いでいたのかもしえません。

4 田中米邨 「蘇鉄図」
こちらは以前の展示で観たような気がします。モコモコした蘇鉄の幹と風になびく葉っぱが表され、題材は南国風なので晩年に通じるものがありますが、タッチは南画風です。解説によると、墨の濃淡で筋目描きの技法を使って描いていて、その上から濃い墨で重ねてモコモコ感を出しているそうです。また、青年時代には中国の趙之謙(ちょうしけん)や呉昌碩(ごしょうせき)に影響を受けていたそうで、これは趙之謙に倣って描いているとのことでした。これも晩年とはだいぶ異なりますが、力強い印象を受けました。

3 田中米邨 「僊桃(延寿萬歳図)」
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写真は看板を撮ったものです。やや荒く強い輪郭と、赤々とした桃が目を引きます。これも趙之謙に倣った画風で、篆書のような文字も含めて中国風に思えました。

11 田中米邨 「宣富当貴」
こちらは牡丹を描いた作品で、赤の花と緑の葉の取り合わせが非常に強い色彩に感じられます。一方、白い花もあってそちらは太い墨の輪郭で素早く描いているようで、勢いを感じさせます。荒々しくダイナミックな印象と可憐さが両立していて面白い作品でした。

↑この作品を描いた頃(1931年頃。柳条湖事件や満州事変の年)には日本と中国の関係が悪化し、米邨の中国に倣った作品の需要が減ってしまったそうです。そして1945年に終戦を迎えると40歳で画号を柳一村に改め 青龍展で入選するなどの活躍を見せますが、次の青龍展で自信作の「秋晴」が落選したため、「波」の入選を辞退したのだとか…。そして画号をさらに田中一村へと変えたとのことで、どうも不運と人柄によって中央画壇とはあまり縁が無かったようですね。

18 田中一村 「軍鶏図」
こちらは田中一村に画号を改めた以降の作品で、赤い鶏冠の軍鶏が描かれています。輪郭が強く鋭い顔つきの軍鶏で、スリムな姿からは緊張感が漂います。解説によると、昭和28年(1953年)に軍鶏師と知り合い、その家に通いつめて描いたとのことで、この後も軍鶏が出てくる作品があります。間近で写生している為か、真に迫るものがありました。

19 田中一村 「白梅にジョウビタキ」
こちらは掛け軸で、白い花を咲かせる白梅が右下から左上へと勢いよく伸びている様子が描かれています。枝の先にはジョウビタキの小さな姿があって可愛いw 墨の濃淡でかすれていたりして、勢いを感じさる画風となっていました。

17 田中一村 「農村風景」
こちらは向き合う2羽の軍鶏と、その周りで見物している農民たちを描いた作品です。手前には3本の木が大きく描かれているので木の隙間から覗いているような感覚を覚えるかな。のどかな風景だけど構図が大胆で面白い作品です。解説によると、これは千葉にいた頃に描いたもので、与謝蕪村などの文人画の世界に親しんだのが表れているようです。画風はちょっと変わりましたが、やっぱり南画が好きなんですね…w

この辺は情感ある作品が多かったように思います。

28 田中一村 「一村が奄美大島で撮影した写真」
こちらの作品だけが奄美大島の時代のものですが、自身で撮影した写真作品となります。8枚ほどあって、スケッチする自画像や、蘇鉄・アダン・藁葺き屋根の家など、奄美大島ならではの光景を撮っています。この写真を観ると奄美大島の時代の絵画と題材が被っているので、奄美の風土に非常に強い関心を持っていたことが伺えました。

12 田中一村 「秋草」
こちらだけは2階に展示されていて、赤や紫に染まる秋草と枝の先にとまる小鳥が描かれています。たらしこみのような滲みを使って表現した葉っぱや枝は琳派に通じるものを感じるかな。小鳥は可愛いというよりは凛々しい雰囲気となっていました。


<2階 刑部人>
続いて2階は刑部人のコーナーです。刑部人は父から絵を教わって、川端龍子が主催するスケッチ倶楽部の添削を受けるなどして絵を学んだようです。父の転勤で上京すると、東京美術学校の西洋画科に進み3年で和田英作の教室に入って特待生となるなど、非常に優秀な学生時代だったようです。しかしその後に新しい美術の潮流の中でスランプを味わったりしたようで、先輩の金山平三とのスケッチ旅行を経て画風を変えていったようです。ここではざっくりとその画風の変遷も観ることができました。

31 刑部人 「友人の肖像」
こちらは外のベンチで腰掛ける丸メガネの男性を描いた作品で、背後は緑の野が広がり 脇には金魚の入った円筒の水槽が置かれています。男性は白いシャツ姿で日焼けした肌となっていて、全体的に陰影は深めに見えるのに軽やかな色彩に思えるのが面白い画風です。真面目そうな内面まで感じられる肖像となっていました。

34 刑部人 「黒衣の少女」
こちらは椅子に座る黒い服の女性を描いた作品で、中に赤いシャツも着ていて色が対比的に感じられます。モダンな雰囲気があり、どこか見つめる目が気になるかな。写実的で割とアカデミックな雰囲気で和田英作に通じるものもあるように思えました。
なお、1920年代にはパリから帰った画家たちが増えてきて、和田英作に「君は帝展で不利になる。もっと個性的な絵を描かねば」と言われたそうです。その潮流の中でスランプとなったようで、スランプ時代の作品は自身で破棄してしまい あまり残っていないのだとか。

36 刑部人 「少年通信兵」
こちらは戦時中に戦争画を描いていた頃の作品で、森の中で銃を背負って馬の世話をしたり 荷車の通信機器を扱う3人の少年兵が描かれています。写実的な作風で、戦争画にしては爽やかな雰囲気にも見えるかな。まだ晩年の作風とは違う雰囲気となっていました。

40 刑部人 「天平古寺(海竜王寺)」
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写真は看板を撮ったものです。こちらは戦後の作品で、古く味わいのある寺を描いています。人がいなくて草が生い茂ってるので廃寺か?と思ったりもしましたがw 壁や瓦などの質感が出ていている一方で素早いタッチとなっているように思いました。

42 刑部人 「塩原渓流紅葉」
こちらはペインティングナイフを使って描いた作品で、塩原の渓流が荒々しく表現されています。赤~オレンジの楓も流れるように描かれていて、細部は省略されているものの情感豊かな光景となっています。ここまで観てきた精緻な作風から一気に大胆になっていて驚きました。

この近くには同様に素早い筆致で描いた渓流の作品がいくつかありました。


ということで、2人の画家の作品を楽しむことができました。田中一村は代表的な作風の品が無かったのがちょっと残念ですが、生地ならではの作品もあって大規模展示とは異なる味わいがありました。刑部人も簡単に画風の変遷が観られて良かったです。この美術館は建物自体が歴史的な蔵となっているのも見どころなので、栃木に行く機会があったら寄ってみるのもよろしいかと思います。



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奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド (感想後編)【東京都美術館】

前回に引き続き東京都美術館の「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」です。前編は1~3章の若冲・蕭白・芦雪についてでしたが、今日は残りの5人の章についてご紹介していこうと思います。まずは概要のおさらいです。なお、私が観たのは2019/02/09の内容となります。(会期中に入れ替えあり)

 前編はこちら

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【展覧名】
 奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド

【公式サイト】
 https://kisou2019.jp/
 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_kisounokeifu.html

【会場】東京都美術館
【最寄】上野駅

【会期】2019年2月9日(土)~4月7日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
1階半ばの岩佐又兵衛の絵巻が一番混んでいたように思います。作品が小さくて眼の前でしか観られないためかな。

後編も引き続き各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。


<執念のドラマ 岩佐又兵衛(1578-1650)>
岩佐又兵衛は現在の伊丹に戦国武将 荒木村重の子として生まれ、主君である信長に反旗を翻したことから一族は滅亡の危機を迎えますが奇跡的に生き残りました。その後、母の姓を名乗り、豊臣の滅亡後に現在の福井に移住して20年ほど過ごした後に江戸に移っています。その画風は1つの流派に属さず、大和絵と漢画を融合した画風で人物画に本領を発揮しました。題材は幅広く、古典から風俗まで描いて浮世絵の祖とされることもあり、ここにはそれが頷けるような作品が並んでいました。

48 岩佐又兵衛 「山中常盤物語絵巻 第四巻」 ★こちらで観られます
こちらは源義経の伝説のうち、母である常盤御前の仇討ちを題材にした絵巻です。常盤御前が賊に襲われる前半のクライマックスのシーンらしく、屋敷の中で野盗のような連中が狼藉を働いて逃げていく様子が描かれています。大和絵的な画風で、緻密な描写となっていて金なども使われているので雅な雰囲気も感じるのですが、戯画的なものも感じるかな。女性を身ぐるみ剥いで刺し殺すシーンなんかもあって、生々しい描写となっていました。

この隣には「堀江物語絵巻」もあり、こちらは更に緻密で極彩色となっています。首を跳ね飛ばされた女性や 斬られて血が吹き出すスプラッターシーンなんかも観られますw

65 岩佐又兵衛 「豊国祭礼図屏風」
こちらは六曲一双の屏風で、金雲たなびく中 京都の豊国神社の祭の様子が描かれています。左隻には物凄い数の人たちが槍のようなものを持っていたり踊る仕草で描かれていて、人々のエネルギーが渦巻くような感じです。人々の表情も豊かで、大画面なのに細部までしっかり描き込まれています。右隻の方も馬に乗っている人たちや、中央の能舞台のようなところの儀式などをつぶさに描いていて、圧倒的な質・量となっていました。

その後は掛け軸が数点並んでいました。会期によって入れ替えもあるようです。


<狩野派きっての知性派 狩野山雪(1590-1651)>
続いては京都の狩野派である狩野山雪のコーナーです。狩野山雪は元々は肥前の生まれで、16歳の頃に京狩野初代の狩野山楽に弟子入りし、婿養子となりました。学者肌で漢学に通じ 文人的な資質を持っていたそうで、日本最初の画家伝である「本朝画史」の草稿を描き、それを元に息子の狩野永納が完成させています。その画風は伝統的な画題を独自の視点で再解釈し、水平・垂直・二等辺三角形を強調した幾何学的構成が特徴となっています。ここにはそうした作品が並んでいました。

69 狩野山雪 「蘭亭曲水図屏風」
こちらは八曲一双の横長の屏風で、中国の蘭亭での宴の様子が描かれています。横一線に流れている川には葉っぱに乗った器が流され、河畔で人々が歌を読んでいて これは王羲之の「蘭亭序」が生まれた宴の様子です。 岩の表現は狩野派っぽい漢画に見えますが、建物などは直線が多用されていて整然とした個性とリズムを感じます。川の構図もちょっと変わっているんじゃないかな。人々が悩んでいる表情も豊かで、楽しげな雰囲気となっていました。
 参考記事:書聖 王羲之 感想後編 (東京国立博物館 平成館)

67 狩野山雪 「梅花遊禽図襖」 ★こちらで観られます
こちらは金地の4面の襖にうねった梅が描かれた作品で、梅は花を咲かせているのに絡みつく蔦は赤く紅葉しています。つまり季節が交じっている様子で、奇想の光景と言えそうです。うねりながらも勢いよく伸びる枝からは威厳が感じられる一方、岩の上の雉や木の上の小鳥などの姿は梅の花と共に可憐さを感じさせました。

68 狩野山雪 「龍虎図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは六曲一双の屏風で、左隻に虎、右隻に龍の姿が描かれています。龍は雲から出てきてトボけたような顔をしている顔がちょっと可笑しいw 虎も龍をみつめているのですが、前足をちょこんと揃えていて可愛らしく見えるかな。尻尾はヒョウ柄だし…w しかし、毛並みや鱗などは見事な質感だし、背景の岩や松は典型的な狩野派風に思えます。解説によると、師匠の狩野山楽の画風を継承しつつも個性を発揮し始めた頃の初期作品とのことでした。


<奇想の起爆剤 白隠慧鶴(1685-1768)>
続いては禅画の白隠慧鶴で、本業は臨済宗の中興の祖と言えるほどの僧で、500年に1人の英傑とまで呼ばれたそうです。現在の沼津に生まれ、15歳の時に出家し全国で修行を重ね、33歳で故郷の寺の住職となりました。42歳で悟りを開いたと考えられるようで、その後は民衆の教化に務め、その為の禅画や墨跡を1万点以上残しています。一見するとユーモラスで軽妙かつ大胆な作風ですが、宗教者としてあえて技巧を排除した独自の表現となっています。最近の研究では白隠慧鶴の禅画が京都の画家たち(応挙とか若冲とか)の個性表現の起爆剤になったと考えられているそうで、ここにはそうした個性的な作品が並んでいました。(ちなみに白隠は美術史家・辻惟雄 氏による『奇想の系譜』には含まれていないようです。)
 参考記事:
  白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ 感想前編(Bunkamuraザ・ミュージアム)
  白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ 感想後編(Bunkamuraザ・ミュージアム)

75 白隠慧鶴 「半身達磨図」 ★こちらで観られます
こちらは2mくらいある大型の掛け軸で、最晩年の作品です。ぎょろっとした目と赤い衣が特徴の達磨の肖像で、背景が真っ暗で輪郭が太いこともあって非常に迫力ある姿となっています。解説によると、下書きの線をそのまま残したり何度も線を引き重ねるなど、従来の筆法を覆すような技法も観られるようです。技巧を捨てたことで一層に絵画的な面白さが出てくるというのが興味深いですw 会場の遠くからでも目に入る非常に存在感のある作品でした。

81 白隠慧鶴 「すたすた坊主図」 ★こちらで観られます
こちらは しめ縄をつけただけの半裸の坊主を描いた作品で、寺社に代参りすると言って裕福な商家に金をせびりに行く底辺の坊主を描いています。手に桶と花を持っていて、顔は満面の笑みを浮かべていて布袋に見立てて描いているようです。(白隠の自画像でもあるという説も聞いたことがあります) デフォルメぶりがゆるキャラのようで可愛いですが、仏教的にはあまりよろしくない存在だったんでしょうね…。禅画だけに何か意味がありそうにも思えました。

禅宗だけあってこの辺は達磨の肖像が多めでした。それぞれの画風も異なるのも見どころです。

83 白隠慧鶴 「隻手」 ★こちらで観られます
こちらは手だけを大きく描いていて、手を開いて突き出すような構図となっています。これは「隻手音声」という白隠の禅問答を絵にしたもので、両手を叩けば音がするが片手はどうか?という内容となっています。画家のアプローチからではこんな大胆な作品は出てこないと思うので、禅僧ならではの発想じゃないかな。よく観ると下書きのようなものも残っていて、教えの為の絵であることが伺えました。


<江戸琳派の鬼才 鈴木其一(1796-1858)>
続いては江戸琳派の後継者の鈴木其一のコーナーです。鈴木其一は江戸に生まれ、酒井抱一に弟子入りして俵屋宗達や尾形光琳の流れを組む画風を学びました。抱一の作風を忠実に受け継ぎながらも師の死後は個性的な作風に傾倒したそうで、冷徹で理知的に構成し自然の景物を人工的に再構成する画風となっていったようです。ここには琳派風の作品や其一独自の作風の品などが並んでいました。(其一も『奇想の系譜』には含まれていないようです。)

91 鈴木其一 「藤花図」
こちらは藤が垂れ下がる様子を描いた作品です。藤の花は丁寧に滲みを使った表現となっていたり、全体的に洒脱な雰囲気となっている点など酒井抱一の画風に近いように思えます。色彩も気品があり、好みの作風でした。

近くには極彩色の「夏秋渓流図屏風」もありました。これは其一独自の画風だと思います。
 参考記事:国宝燕子花図屏風 琳派コレクション一挙公開 (根津美術館)

86 鈴木其一 「百鳥百獣図」 ★こちらで観られます
こちらは2幅対の掛け軸で、左幅には象・馬・駱駝などの他に想像上の白虎や唐獅子などの獣が描かれています。そして右幅には鶴・孔雀・鷲・鶏・鳳凰?などの鳥たちが描かれて、いずれも緻密な描写です。しかし琳派とはちょっと違うように見えて、南画を混ぜたような画風に思えるかな。解説によると、あらゆる生物を描きだそうとするのは伊藤若冲から感化されたのではないかと考えられるとのことでした。

近くには「四季花鳥図屏風」もありました。こちらは酒井抱一が好んだモチーフが多くて琳派風も強めですが、やや生々しい色彩感覚が抱一とは違うように思えました。私は琳派大好きですが、其一は南画風だったり色がどぎつくて、ちょっと苦手な存在ですw


<幕末浮世絵七変化 歌川国芳(1797-1861)>
最後は歌川国芳のコーナーです。歌川国芳は江戸に生まれ12歳で歌川豊国に入門し、水滸伝をテーマにしたシリーズが好評となり人気浮世絵師の仲間入りをしました。ユーモアや批判を込めた作品や 寄せ絵のような奇想の作品まで幅広く、国芳の作風を端的に説明するのはちょっと難しいかもw(詳しくは参考記事をご参照ください) しかし、ここには代表的な作品が並んでいて、その豊富な魅力の一端を伝えていました。
 参考記事:
  歌川国芳-奇と笑いの木版画 (府中市美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 前期:豪傑なる武者と妖怪 (太田記念美術館))
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想前編(太田記念美術館)
  破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:遊び心と西洋の風 感想後編(太田記念美術館)
  奇想の絵師歌川国芳の門下展 (礫川浮世絵美術館)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 前期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想前編(森アーツセンターギャラリー)
  没後150年 歌川国芳展 -幕末の奇才浮世絵師- 後期 感想後編(森アーツセンターギャラリー)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 前期 感想後編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想前編(太田記念美術館)
  浮世絵猫百景-国芳一門ネコづくし- 後期 感想後編(太田記念美術館)

94 歌川国芳 「一ツ家」 ★こちらで観られます
こちらは浅草寺に伝わる大型の絵馬で、旅人を泊めては殺して金品を奪っていた老婆の話をモチーフにしています。片胸を顕にしながらナタを持ち、逆の手では殺しを止めようとする娘の首を掴んでいて、鬼気迫る雰囲気です。背後には気持ちよさそうに頬杖を付いて寝ている女性がいて、これは観音菩薩が童子に化けた姿のようでした。歌川国芳はこの話を浮世絵にもしていますが、大画面で肉筆の迫力のある作品となっていました。

他にも巨大な骸骨の「相馬の古内裏」(★こちらで観られます)や、「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」といった妖怪の類の作品や「みかけハこハゐが とんだいい人だ」「猫の当字 ふぐ」といった寄せ絵、西洋の陰影技法を取り入れた「近江の国の勇婦於兼」など多彩な代表作がありました。中には6枚続きという贅沢かつ大胆な発想の浮世絵もあります。


ということで、後半も個性派揃いの内容となっていました。江戸時代からこんなに自由な絵を描いていたのかと驚かされる作品ばかりです。既に混雑していましたが今後はさらに混むと予想されますので、気になる方はお早めにどうぞ。入れ替えも結構あるようなので、お目当てがあるかたは事前に公式サイトの作品リストをチェックしておくことをオススメします。



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奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド (感想前編)【東京都美術館】

この間の日曜日に上野の東京都美術館で「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」を観てきました。非常に見どころが多くメモを多めにとってきましたので、前編・後編に分けてご紹介していこうと思います。この展示は会期中に入れ替えがあり、私が観たのは2019/02/09の内容となります。

DSC01888.jpg DSC01879.jpg

【展覧名】
 奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド

【公式サイト】
 https://kisou2019.jp/
 https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_kisounokeifu.html

【会場】東京都美術館
【最寄】上野駅

【会期】2019年2月9日(土)~4月7日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
混んでいて、チケット購入で5分待ち程度で中に入っても列が途切れることがないほどでした。特に岩佐又兵衛の巻物の辺りが混んでいたかな。並ぶのに時間がかかったので、これから観に行かれる方は十分に時間を取ってスケジュールすることをおすすめします。

さて、この展示は1970年に刊行された美術史家・辻惟雄 氏による『奇想の系譜』で紹介された岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳の6人と、白隠慧鶴、鈴木其一の2人を加えた8人の江戸時代の個性派を取り上げた内容となっています。構成は画家ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとにご紹介していこうと思います。


<幻想の博物誌 伊藤若冲(1716-1800)>
まずは今となっては不動の人気の伊藤若冲です。2016年の展示では物凄い盛り上がりだったように、展覧会を重ねるごとに人気が高まっているように思いますが、これだけ人気なのは割と最近のことで 少し前までは個展でも結構空いていた記憶があります。2000年の京都の展示から火が付いたと思われるので、それより30年も前にそれに気づいていた辻惟雄 氏の慧眼は素晴らしいものがあると言えそうです。
そんな伊藤若冲ですが、青物問屋に生まれて40歳までは家業の務めを果たし、弟に家督を譲ってから画業に専念するようになりました。長崎にも来たことのある中国の沈南蘋の当時最新の写生画法を学び、「動植綵絵」を始めとした禽獣虫魚の画題を得意として水墨・彩色ともに多くの作品を残しています。その根底には生きとし生けるものが全て仏になるという「草木国土悉皆」の仏教の教えにあるようで、この章にはそうした若冲の作品が並んでいました。
 参考記事:
  伊藤若冲 アナザーワールド (千葉市美術館)
  伊藤若冲 アナザーワールド 2回目(千葉市美術館)
  皇室の名宝―日本美の華 <1期> 感想前編 (東京国立博物館 平成館)
   ※2016年の若冲展の際はブログ休止中でした

16 伊藤若冲 「象と鯨図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは六曲一双の水墨の屏風で、右隻に伏せた白い象が鼻を掲げ、左隻では黒々したクジラが潮を吹き上げています。お互いが向かい合うようになっていて、白と黒、丘と海といった対比となっているようです。いずれも大きく見えるような構図となっていて、滲みを使ったクジラの体の表面や、デフォルメされた波などの表現も面白く、意匠・表現ともにウィットに富んだ作品です。

17 伊藤若冲 「鶏図押絵貼屏風」 ★こちらで観られます
こちらは1曲ごとに異なる鶏が描かれている屏風で、押絵貼りしたもののようです。恐らく筋目描きと呼ばれる墨と墨の境界線を活かす技法を使って羽根を描いているのだと思いますが、鶏というお得意のモチーフということもあって描き慣れている感じのある練達ぶりを感じます。それぞれの鶏のポーズもダイナミックで動きがあり、特に黒々とした尾が躍動感を強めているように思いました。 たまにいるヒヨコはゆるキャラみたいで可愛いし、若冲の闊達な雰囲気がよく出ていました。

1 伊藤若冲 「旭日鳳凰図」 ★こちらで観られます
こちらは代表作の「動植綵絵」の2年前に描いた作品で、一回り大きいサイズとなっています。羽を広げた鳳凰と 岩にとまった鳳凰(鳳と凰?)が極彩色で精密に描かれ、その右上に赤々とした旭日が昇る様子となっています。特に鳳凰の羽根や足はミリ単位の細かさとなっていて、細部まで緊張感がありました。動植綵絵に似た表現も観られる作品なので、先駆けた品だったのかも?

この近くには白黒が反転した「乗興舟」なんかもありました。
 参考記事:
  煌めきの近代~美術から見たその時代 (大倉集古館)
  日本美術にみる「橋」ものがたり -天橋立から日本橋まで- (三井記念美術館)

3 伊藤若冲 「海棠目白図」
こちらは白い花を咲かす海棠の枝に、緑色の体に白い腹のメジロがとまっている様子が描かれた作品です。枝には7~8匹くらいが一列に並んでいる箇所もあって可愛らしいw みんな丸々としていてちょっと楽しげな雰囲気すらあります。また、白い花は輪郭を白で塗っていて、半透明に見えるような表現が可憐です。木の表現なんかは沈南蘋に通じるものがあるようにも思えました。

8 伊藤若冲 「梔子雄鶏図」 ★こちらで観られます
こちらは今回の展示で新たに再発見された新出作品です。地面をじっと観る鶏とその背後にクチナシが描かれていて、写実的で題材的にも若冲らしさがあるものの、まだ躊躇いが観られる画風で淡白な色彩となっているようです。落款から30代の作と考えられ、珍しい初期の作品なのだとか。白い羽の部分は地が透けて見えていて、鶏の体躯もやや細めに見えるかな。クチナシの色も地味めだったし、若冲の進化過程と言えそうな作品でした

9 伊藤若冲 「虎図」
こちらは手を舐めている虎を描いた作品です。手が大きく、目も大きめに感じるかな。下半身はやや肉付きがほっそりしているし、顔も仕草も猫っぽいような…w しかしよく観ると毛並みが繊細に表現されていて、かなり細かくスコープで観ないと分からないくらいでした。デフォルメと細密描写が共存しているような面白さがある作品です。


<醒めたグロテスク 曾我蕭白(1730-1781)>
続いては曾我蕭白のコーナーです。蕭白は京都に生まれ、伊勢や播州で精力的に活動した後 40歳を過ぎた頃に生まれ故郷の京に戻って定住し活動しました。室町時代の有力な漢画の一派である曾我氏の直系にあたると名乗り、中国の仙人や聖人などが出てくる伝統的な故事を描いたのですが、サイケデリックな作風で強烈な個性を持っています。ここには妖気すら感じる蕭白の作品が並んでいました。
 参考記事:
  蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 感想前編(千葉市美術館)
  蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 感想後編(千葉市美術館)
  蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 2回目感想前編(千葉市美術館)
  蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち 2回目感想後編(千葉市美術館)
  ボストン美術館 日本美術の至宝 感想後編(東京国立博物館 平成館)

20 曾我蕭白 「雪山童子図」 ★こちらで観られます
こちらは今回のポスターにもなっている作品で、釈迦の前世である若いバラモン僧の雪山童子と、青い悪鬼に姿を変えた帝釈天(雪山童子の修行の熱意を試している)が描かれています。木の上から手を広げて見下ろす童子は白い肌とやけに赤い口が目立ち、つり目でちょっと妖怪のようにも見えるかなw 一方の鬼は、草の上に座って見上げていて虎のパンツを履いて金の腕輪や足輪が輝いて見えます。いずれも艶めかしい色彩で、蕭白ならではの個性が感じられました。

28 曾我蕭白 「富士・三保松原図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは六曲一双の屏風です。右隻には三保の松原と、湾をまたぐような虹が描かれていて、淡い色彩で軽やかな雰囲気となっています。一方の左隻には富士山らしき山があるのですが、遠近感がやけに手前に感じられたり、山頂が4つに分かれていてまるで富士山がダブっているような感じに描かれているのが奇妙です。背景には謎の丸っこい岩山か雲か判別のつかないものがあったりして、実景のようで奇想の風景となっていました。何でこんな絵になったのか不思議ですw

21 曾我蕭白 「唐獅子図」
こちらは2幅対の掛け軸で、それぞれ縦横2mを超える大型の水墨画となっています。左幅に振り返るようなポーズで口を開ける阿行の唐獅子、右幅に口を結んだ吽行の唐獅子が 素早く大胆な筆致で描かれていて即興的な雰囲気です。線は太いし勢いがあって荒々しく見える一方、右隻の唐獅子はちょっと怯えたような顔をしているのが可愛いw 解説によると、落款もふざけて書いているような感じとのことで、型破りな作品でした。(伊勢を放浪した頃の作品だそうです)

地下1階はこの辺までで、続いて1階です。


<京のエンターテイナー 長沢芦雪(1754-1799)>
続いては長沢芦雪のコーナーです。芦雪は丹波の国の下級武士の生まれで、京都に出て円山応挙に師事しました。師匠譲りな所もありつつ、大胆な構図と奔放な筆致で独自の画業を切り開いた画家で、ここにはその両面が感じられる作品が並んでいました。

33 長沢芦雪 「白象黒牛図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは通称「黒白図」と呼ばれる六曲一双の屏風です。右隻に白い象と背中に乗る黒いカラス、左隻には黒い牛と そのお腹の辺りでスコ座りみたいなポーズをしている白い犬が描かれています。この牛と象、犬とカラスがそれぞれ白黒の対比となっていて、片隻の中でも白黒になっている面白さがあります。牛と象は画面からはみ出さんほどのボリューム感があって、構図にもユーモアを感じるかな。それにしても犬のとぼけた顔と姿勢が可愛らしい作品です。ちなみに先日これとそっくりの作品を観たばかりで、同様の3点のうちの1点なのかも。
 参考記事:国宝 雪松図と動物アート (三井記念美術館)

36 長沢芦雪 「猛虎図」
こちらは岩山に手を乗せてじっと上を観ている虎を描いた作品です。やけに頭が小さくて、筋肉質に見えるかな。鋭い目や毛が真っ直ぐに伸びる様子などから緊張感が溢れていました。特に目が印象的な作品です。

45 長沢芦雪 「方寸五百羅漢図」
こちらは3cm四方くらいの絵の中に ぎっしりと羅漢が描かれている作品です。木々などは観て分かるのですが、羅漢は小さすぎて円の粒粒にしか見えないような…w かなり細かくて観ている方も眼精疲労でも起こしそうなくらいです。ミクロへの挑戦でもしたのかな? ちょっと変わっていて楽しい作品でした。

37 長沢芦雪 「猿猴弄柿図」 ★こちらで観られます
こちらは今回の展示の調査で見つかった新出の掛け軸です。岩の上でたくさんの柿を抱えている猿と、その下で木をよじ登っている子猿が描かれていて、柿の猿はトボけた酔っぱらいみたいな顔をしています。しかしその毛並みは1本1描いていて繊細です。滑稽さと写実性があって、どちらも芦雪の魅力と言えそうな作品でした。

40 長沢芦雪 「なめくじ図」
こちらは1匹のナメクジと、そのナメクジがのたくった跡を一筆書きのように描いた作品です。さらさらっと描いた線は自由奔放で、ナメクジがいなかったら抽象画にしか見えなそうw こんな即興的で洒落っ気のある作品も描けるとは驚きでした。

この近くには芦雪の技術的な力量も感じさせる作品もありました。

32 長沢芦雪 「群猿図襖」 ★こちらで観られます
こちらは海辺の岩場に集まる猿の群れを描いた作品です。猿の生態をつぶさに写生的に描きつつ、人間の風刺のように描いています。お互いに話し合っているような猿や、笑っているような猿など生き生きした雰囲気があります。また、強い輪郭で顔を描いたと思えば淡い墨で体をふんわり描いているのも見事でした。解説によると、毛の描き方には師匠の円山応挙譲りの技法のようですが、豊かな表情は芦雪ならではとのことです。

31 長沢芦雪 「龍図襖」 ★こちらで観られます
こちらは4面×2の襖絵で、芦雪の壮年期の作品です。墨でうねる龍を描いていて、大胆なタッチとなっています。左はユーモラスな表情にも見えますが、右の龍は雲間から覗き込んで睨むような眼光の鋭さがありました。大画面で見栄えのする作品です。


ということで、長くなってきましたので今日はここまでにしようと思います。各画家の代表作や個性が表れた作品が並んでいて、欲張りセット的な豪華な内容となっています。初っ端から若冲と蕭白が来るので美術に詳しくない方でも、江戸絵画の独創性に驚かれるのではないかと思います。後半にも素晴らしい作品が目白押しでしたので、次回は残りの章をご紹介の予定です。

  → 後編はこちら



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映画「ファースト・マン」(ややネタバレあり)

この前の土曜日にIMAXの劇場で映画「ファースト・マン」を観てきました。この記事には少しだけネタバレが含まれていますので、ネタバレなしで観たい方はご注意ください。

DSC01873.jpg

【作品名】
 ファースト・マン

【公式サイト】
 https://firstman.jp/

【時間】
 2時間20分程度

【ストーリー】
 退屈_1_2_③_4_5_面白

【映像・役者】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【総合満足度】
 駄作_1_2_3_④_5_名作

【感想】
結構席が埋まっていて注目されているようでした。

さて、この映画は人類初の月面に到達したニール・アームストロングの物語で、「ラ・ラ・ランド」でアカデミー監督賞を受賞したデイミアン・チャゼルが監督を務め、主演も再びライアン・ゴズリングが配役されるなど、期待値の高い布陣となっています。
ここから軽いネタバレですが、物語はアームストロングがジェミニ計画(アポロ計画の前に行われた新技術確立の為の計画)に志願する少し前から始まります。この辺りの計画について顛末を知っていると先が読めると思いますが、米ソ間の宇宙開発競争の時代を背景にしつつも 宇宙ものにありがちな困難に向かって突き進むというようなノリではなく、アームストロングと家族や仲間との話が中心となっています。訓練よりも家族との食卓など家の中のシーンの方が多いかもしれません。 それに対してライアン・ゴズリングの寡黙な雰囲気がぴったりで、微妙なニュアンスの表情を見せたりするのが流石かな。 一方で、割と暗い雰囲気で淡々と進む印象も受けたので、この辺は好みが分かれそうに思えます。ハリウッドにあちがちな展開ではなく、複雑な思いが交錯する様子に焦点が当てられているように感じました。

映像については、当時の様子を非常にリアルに描いていて、宇宙船のシーンなどは自分自身がクルーになったような視点となっているので緊張感があります。また、家でのシーンは手ブレする8ミリで撮ったようなカメラワークとなっていて、一家のホームビデオを観ているような感じがしたかな。(これが若干酔いそうになったりしますw)これも当時の雰囲気をよく伝えていて、一家に溶け込むような感じに思えました。 また、人物の顔をじっくりアップにしたり 印象的な絵面となっているシーンが多く、これも心情表現を重視している表れかもしれません。


ということで、てっきり「アポロ13」や「オデッセイ」などの宇宙ものの定番の流れかと思ったら、予想外に内省的な雰囲気で ハリウッド映画というよりはミニシアター系の映画のような感じでした。おかげで私の頭の中ではデヴィッド・ボウイの「space oddity」がぐるぐる回っていました…w 宇宙ものが好きな方は脚本にちょっと肩透かしされるかもしれませんが、リアリティのある宇宙のシーンは見どころなので、十分に満足できると思います。観るなら迫力あるIMAXなどの高画質・高音質の劇場がおすすめです。


おまけ:
世の中にはアポロ11号は宇宙に行っていない!という陰謀論がありますが、調べれば調べるほどに面白くて困るw それだけ危険な旅だったということでしょうけど



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顔真卿 王羲之を超えた名筆 (感想後編)【東京国立博物館 平成館】

前回に引き続き東京国立博物館 平成館の特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」です。前編は1~2章の唐時代までについてでしたが、今日は残りの3~6章の顔真卿とそれ以降についてご紹介していこうと思います。

 前編はこちら

DSC01578_20190210032201b55.jpg

【展覧名】
 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」

【公式サイト】
 https://ganshinkei.jp/
 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅

【会期】2019年1月16日(水) ~ 2019年2月24日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 3時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_①_2_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
後半の方が空いていたように思いますが、顔真卿の「祭姪文稿」は30分待ち程度(実質20分待ちくらい)でした。作品の周りにはキャプションや日本語訳なんかもあるので、意外とあっさり観られた気がしますが、ここが一番混むのである程度の覚悟が必要です。

後半も前半同様に各章ごとに気に入った作品を挙げてご紹介していこうと思います。


<第3章 唐時代の書 顔真卿の活躍 ―王羲之書法の形骸化と情感の発露―>
唐時代の太宗皇帝は隷書を好んだのは前章でご紹介した通りですが、それはやがて伝統に束縛されず自分の情感を発露する機運になっていったそうで、張旭や懐素の書に受け継がれていきました。そして、唐王朝の危機を救った顔真卿は書においても当時の意識を変化させ、褚遂良の書風に立脚した「顔法」と称される力強い筆法と重厚な書風を特徴とする楷書を創出していきました。特に今回の展示の目玉である「祭姪文稿」は王羲之の「蘭亭序」に比肩すると言われているそうで、この章にはそうした書家の作品が並んでいました。

94 顔真卿 「王琳墓誌 ―天宝本―」 唐時代・天宝元年(742)
こちらは顔真卿の現存作品で最も若い33歳頃の墓碑の拓本です。褚遂良のからの影響を受けつつオリジナリティもあるようで、まだすっきりした字体に見えるかな。この後観ることになる気持ちを乗せた書とは違った印象を受ける作品でした。

この辺で顔真卿の人柄についての紹介がありました。顔真卿は剛直で真摯な人物だったそうで、安史の乱で唐王朝の危機を救う活躍を見せたそうです。その戦いで従兄弟やその息子を亡くしたことが「祭姪文稿」の誕生に繋がっていきます。

100 顔真卿 「祭姪文稿」 唐時代・乾元元年(758) ★こちらで観られます
こちらが最も見どころとなっている作品で、安史の乱で生命を落とした従兄弟とその息子への鎮痛な思いを書いた草稿となります。亡くなって3年後くらいに書いたそうで、行書で感情を押し殺した出だしで始まるものの、様々な思いが去来して徐々に感情が高ぶっていく様子が文字に表れてきます。簡単に要約すると、甥っ子は高潔な人物で期待されていたのに、戦いの中で裏切られ援軍が来ないまま孤立して親共々亡くなってしまい(巣から卵が転げ落ちたという表現)、何故こんな苦しみを受けるのかという憤る様子が綴られています。悲しみと怒りで文字も荒ぶっているように見える箇所があるかな。文字を塗りつぶして直している場所もあります。太く力強い文字で、裏切られたと書いている辺りから激しくなっているように見えました。今までの綺麗に書いていた書と違って、魂の叫びをぶつけるような書となっているのが最大の特徴と言えるのではないかと思います。顔真卿による書の前後には各時代の皇帝たちによるコメントが書いてあって、清時代の乾隆帝は「こんなに立派に戦ったのを知らずに楊貴妃と宴をしていた」と玄宗皇帝を皇帝の立場から皮肉っているようです。他には絶賛のコメントも並び、まさに感情を爆発させて書の歴史を変えた作品となっているようでした。
ちなみに、音声ガイドやキャプションで日本語訳を見聞きすることができるので、待ち時間はそれとコピーを観ながらどこが注目ポイントかを確認して待つのが良いかと思います。本物は動きながら観てくださいと言われ、ほんの10秒程度しか観られませんので…w

「祭姪文稿」の後、第二会場へと進みます。今回は「祭姪文稿」にスペースを割いている為か、2章は会場をまたぐ感じになっています。
そして第二会場では安史の乱以降の顔真卿のコーナーです。顔真卿は戦乱鎮圧の功績によって法務大臣に相当する役職を得たのですが、宰相に逆らったことで49歳から目まぐるしい左遷を繰り返し、54歳でようやく中央に復帰したそうです。この辺にはその頃の作品が並んでいました。

103 顔真卿 「争坐位稿」 唐時代・広徳2年(764)
こちらは「祭姪文稿」の6年後の作品で、「祭姪文稿」「祭伯文稿」(これも今回展示されています)と合わせて三稿と呼ばれる名筆です。中身はと言うと 大臣への批判文で、権力を振りかざして媚びを売ることを非難しています。ここでも淡々とした序盤から感情が高まっていくような感じで、顔真卿の人物像も伝わってくるような書となっていましたw 真っ直ぐ過ぎて許せないんでしょうね…。怒りがこみ上げてくるのをストレートに表現する辺りはまさに芸術と言えそうです。

宰相を非難した為 59~69歳頃も左遷の日々となったそうですが、この時期は道教や仏教に心を傾け、自然を愛でながら多くの作品を残したようです。この先にはそうした時期の作品が並んでいます。

109 顔真卿 「麻姑仙壇記 ―何紹基蔵本―」 唐時代・大暦6年(771)
こちらは「孫の手」の名前の由来ともなっている「麻姑」という 鳥の爪のような爪を持つ若い姿の仙女について伝説を書いたものです。63歳頃の作品で、力強い書体となっていて、楷書に時代の意識を反映しているそうです。これは「顔法」と呼ばれる書体とのことで、この近くには顔法の作品がいくつか並んでいました。

117 顔真卿 「顔氏家廟碑」 唐時代・建中元年(780)
こちらも顔法で書かれた作品で、顔真卿の一族(顔氏)の業績を詳しく書いた大型の作品です。文字は太めでぎっしり書かれていて、整然としている一方で迫り来るような迫力があるかな。
この近くに王羲之との比較パネルがあったのですが、王羲之に比べると右上がりの角度を抑え、横画を太くして立体感を出しているそうです。また、起筆の蚕の頭のような丸み(蚕頭)と燕の尾のような払い(燕尾といって、払いを一度止めてから再度払って二股になっています)に特徴があり、躍動感を出しているようです。これは隷書の筆法の応用で、左右対称の文字の組みには篆書が応用されているとのことでした。我々がよく目にする明朝体は顔真卿の書がベースになっているようで、読みやすく字間を詰めても美しいのも顔法からの影響のようです。顔法はどこかで観たような…と思ったら、そんな身近な所で息づいているんですね。

この近くには自分で自分に出した辞令なんかもありました。文字の縦線はやや細く横幅が太めなのが読みやすく力強く感じるポイントなのがよく分かります。

125 張旭 「肚痛帖」 唐時代・8世紀
こちらは顔真卿の師匠の作品です。太かったり細かったりする草書で、ぐにゃぐにゃと繋がっていて、字体が違うこともあって顔真卿の作品とはあまり似ていません。軽やかで闊達な印象を受けるかな。内容は薬を飲んだら原因不明の腹痛が治ったという話なのがちょっと可笑しいw 解説によると、張旭は酒を飲むと絶叫しながら狂走し、草書を書くというエキセントリックな人だったそうですw 奇行の人物ですが、情感を発露する書の先駆けと言える存在だったのだとか。

続いては張旭と同様に自由奔放な懐素のコーナーです。懐素は李白も絶賛していた書家で、酒を飲んで筆を持つ「狂草」を得意としていたようです。…と、このプロフィールだけ聞くと 李白の酔っぱらい仲間なのではないか?という疑念が湧きましたが…w

126 懐素 「自叙帖」 唐時代・大暦12年(777) ★こちらで観られます
こちらは草書で勢いよく書かれた作品で、線の細い文字となっていて 部分的にはひらがなに見えるくらい略して書いています。さらさらっと流れるような文字が舞うようで優美です。この書はかなり長いのですが、中身は自分の人生について書いているそうで、中には顔真卿について述べている部分もあるようです。 中身は全く読めませんでしたが、最後の方は特に音楽的なリズムすら感じられました。即興的でダイナミックで好みの作品です。


<第4章 日本における唐時代の書の受容 ―三筆と三跡―>
続いての4章はガラッと中身が変わって、ここまで観てきたような中国の書が日本に与えた影響に関するコーナーです。日本には奈良時代に中国の唐時代の書が流入してきたそうで、入ってきた当初は欧陽詢や褚遂良のような書風が観られるようですが、王羲之が最も好まれたようです。そして平安時代には空海が王羲之や唐の四大家の書を学んで帰国したり、嵯峨天皇は欧陽詢の書風が観られるようです。遣唐使廃止後の「三蹟」のうち小野道風と藤原行成は王羲之風を模範として日本独自の書風を形成し、もう1人の三蹟である藤原佐理は懐素の書に通じる自由奔放で大胆な書を残したようです。ここにはそうした日本の作品が並んでいました。

140 空海 「金剛般若経開題残巻」 平安時代・9世紀 ★こちらで観られます
こちらは空海によって草書で書かれたお経の解説書で、行書を交えつつ王羲之や顔真卿に影響を受けて書いているそうです。あちこちに訂正の跡があるので草稿のようですが、草書らしいスピード感と緩急のついた優美な雰囲気が出ています。流石は三筆で名高い弘法大師だけあって非常に見事な作品でした。

この近くには国宝の「金剛場陀羅尼経巻第一」(飛鳥時代)などもありました。これは日本の現存最古の写経で、欧陽詢に倣った字体となっているようです。また、同じく国宝の最澄による「久隔帖」や、三筆の嵯峨天皇や三蹟の藤原行成の書などもあり、この章は日本の国宝がずらりと並んでいます。伝 藤原行成の「臨王羲之尺牘」なんかも素晴らしい作品で、王羲之から日本独特の文字へと進化していく様子なども伺えました。

145 小野道風 「智証大師諡号勅書」 平安時代・延長5年(927)
こちらは王羲之に倣った書体ですが、文字が太めで緊張感漂う作品です。力強く堂々としていて見栄えがしました。

この隣には藤原佐理の「恩命帖」がありました。日本の狂草とも言える作品です。


<第5章 宋時代における顔真卿の評価 ―人間性の尊重と理念の探求―>
続いては再び中国に戻り、宋時代の顔真卿の評価についてのコーナーです。宋時代にも情感を発露する書風は継承され発展していったそうで、欧陽修(北宋の政治家・詩人・文学者)は、「書は人格や人間性によって価値づけられる」として顔真卿の書を理想としたそうです。また、他にも蔡襄(さいじょう)や蘇軾(そしょく)といった書家も顔真卿に影響を受け、顔真卿は後世に受け継がれていったようです。

ここには蔡襄の「楷書謝賜御書詩表巻」や蘇軾「行書李白仙詩巻」(★こちらで観られます)などがあり、個性が出ていて顔真卿のフォロワーぶりが伺えるかな。他にも懐素に学んだ黄庭堅の書や、王羲之に学んだ米芾などの作品などもあります。米芾は顔真卿には批判的な部分もあったことなども紹介されていました。

158 李公麟 「五馬図巻」 北宋時代・11世紀 ★こちらで観られます
こちらは5頭の名馬と その世話人を描いた絵画作品です。墨の細い線で輪郭を書き、写実的かつ生き生きと馬を表しています。この絵には北宋の書家の黄庭堅の書が添えられていて、名画と名筆のコラボとなっていました。黄庭堅も顔真卿を尊敬していたのだとか。


<第6章 後世への影響 ―王羲之神話の崩壊―>
最後は後世の影響と王羲之神話の崩壊についてのコーナーです。王羲之の書は神話のごとく伝わっていきましたが、清代後期の趙之謙は顔真卿の書を学び、古碑を学ぶ碑学に傾倒して、王羲之の書に根ざす伝統的な書とは全く異なる美意識を会得し野趣あふれる書風を確立したそうです。(古碑に学んだのは、古い本はコピーのコピーで当時とはかけ離れてるのではないかと考えていたようです)
ここにはそうしたそれまでとは異なる書を確立した書家の作品などが並んでいました。

163 趙孟頫 「楷書仇鍔墓碑銘巻」 元時代・延祐6年(1319)
こちらは太い文字で跳ねや払いが目を引く作品です。読みやすい楷書のようですが、行書のような趣があり、勢いを感じる字体となっています。唐の時代とはまた異なる字体となっているように思えました。

164 董其昌 「行草書羅漢賛等書巻」 明時代・万暦31年(1603)
こちらは行書から始まり狂草となっていく書で、文字もかなり大胆になっていきます。即興的な素早さがまるで抽象絵画のような面白さとなっていました。

この近くには清時代の「祭姪文稿」の臨書や、顔真卿に影響を受けた書などがありました。払いの辺りに燕尾の顔法が見受けられます。また、最後辺りに趙之謙の作品もありました。「行書五言聯」(★こちらで観られます)なんかは素人目には素朴な感じに見えるのですが、少なくともこれまでとは趣が異なるのは理解できました。


ということで、書は分からないと思っていた私でも十分に楽しめる内容となっていました。顔真卿は王羲之を超えたというのも大袈裟ではなく、新しい潮流を生み出していたことが書の歴史と共に理解できたように思います。会期が短いので この記事を書いている時点の残りわずかとなっていますが、書が好きな方は必見の展示だと思います。



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顔真卿 王羲之を超えた名筆 (感想前編)【東京国立博物館 平成館】

前回ご紹介したトーハクの常設を観る前に、特別展の「顔真卿 王羲之を超えた名筆」も観てきました。非常に見どころが多く見応えがありましたので、前編・後編に分けてご紹介していこうと思います。

DSC01581.jpg

【展覧名】
 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」

【公式サイト】
 https://ganshinkei.jp/
 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925

【会場】東京国立博物館 平成館
【最寄】上野駅

【会期】2019年1月16日(水) ~ 2019年2月24日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 3時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_①_2_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
非常に混んでいて、ほとんどの場所で人だかりができていました。特に今回の目玉である顔真卿の「祭姪文稿」は30分待ち程度(実際には20分くらいだったと思います)という盛況ぶりで、かなりの混雑感です。ちょうど春節で中華圏の旅行者が集まっているようで、会場では日本語より中国語が多く飛び交っていたような…w 中身も濃厚なので鑑賞時間は久々に3時間を越えました。もしこれから行こうと考えている方は、長めにスケジュールを組んでおくことをお勧めします。

さて、この展示は顔真卿(がんしんけい)という中国の書家をタイトルにしていますが、実際には中国の書の始まりから王羲之(おうぎし)の神格化、王羲之以降の書家、そして顔真卿といった感じで中国の著名な書家の流れを知ることが出来る内容となっています。後半ではさらに顔真卿の後世への影響を取り上げていて日本の書までカバーしています。正直、書は何度観てもよく分からないと思っていましたが、この展示では詳しく解説しているので、どのように書が変わっていったのか等も分かって予想以上に面白い展示となっていました。 詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。


<第1章 書体の変遷 ―書体進化の秘密―>
まずは書体の変遷についてのコーナーです。中国で最古の文字は殷時代の甲骨文字ですが、秦の始皇帝が全国統一した際に文字の統一も行ったようです。その際、公式の書体として「篆書(てんしょ)」が確立されました。しかし、篆書は書写するには時間がかかる為、篆書を簡略化して波勢を特徴とした隷書(れいしょ)が生まれ、後漢時代には隷書が公式書体へと変わっていきます。一方、実用性を追求した早書きが隷書から派生し、草書や行書といった一層簡略化された書体も生まれていきました。さらに隷書に次ぐ公式書体の最終形は楷書(かいしょ)で、南北朝統一の隋の時代を経て唐の時代には整斉で美しい楷書が誕生したようです。簡単にまとめるとこんな感じ。

 篆書:最も古い書体。記号で示したものが多く、形と意味が密接
 隷書:篆書を簡潔にした書体。波打つ筆使いや太く強調した払いが特徴。
 草書:隷書を簡略化し、早書きにした書体。連続した点画が多く、右回りの回転が特徴
 行書:隷書を簡略化したもので、草書よりは点画の連続性は少なめ(文字が区切れてる)
 楷書:隷書を簡略化したもので、一点一画は連続せずに明確。

隷書は結構読めるけど、草書は崩しすぎて読みづらいかな。この中では楷書が抜群に読みやすいですw
この章ではそうした字体の歴史がこの章では紹介されていました。

5 李斯 「泰山刻石 ―百六十五字本―」 秦時代・前219年
こちらは始皇帝が東方視察で訪れた山東省の泰山に建たさせた刻石の拓本です。かすれていますが厳格な形の大きな文字が書かれていて、小篆という字体のようです。これだけ観ても分かりませんが、この後の他の書体を観てから見直すと、書体が徐々に書きやすいものへと変わっていくのが伺えました。

続いて隷書のコーナーです。ここも石碑の拓本が中心です。今回の展示は拓本が多く、中国人は過去の石碑の拓本で書を学んでいたようです。

8 「乙瑛碑」 後漢時代・永興元年(153)
こちらは役人が孔子廟の器物を管理する役人を採用した経緯を述べる石碑の拓本です。そんなものまで石碑にしてるのか…と、変な所に感心してみたりw 最初の辺りが八分という書体で、波打つリズムで横画を主体とし 最も強調する横画の最後を払う様式となっているようです。これは結構読みやすくて現代の日本でも使っている漢字がちらほら確認できます。1文字1文字の間隔も開いていて規則正しい印象を受けました。

続いては草書のコーナーです。

16 王羲之 「十七帖 ―上野本―」 東晋時代・4世紀
こちらは王羲之の書の拓本で、唐の官立の学問所である「弘文館」で手本にしていたものだそうです。一見すると ひらがなのような字もあって、文字から文字へと連続するようなリズムがあります。(ひらがなは草書をさらに崩したものなので似るのも当然かもしれませんが…w) 流麗かつ華麗で、まさに芸術と言える書となっていました。

続いては行書のコーナーです。

14 王羲之 「定武蘭亭序 ―犬養本―」 東晋時代・永和9年(353)
こちらは王羲之の最高傑作である蘭亭序の模本で、戦前に犬養毅が所有したことから犬養本と呼ばれてます。蘭亭序については以前の記事を参考にしていただければと思いますが、同じ拓本でも良し悪しがあるようです。コピーのコピーみたいな感じかな。これは欧陽詢(おうようじゅん 後で出てきます)が書写して石に刻んだ定武本と呼ばれる出来の良い拓本のようでした。
 参考記事:
  書聖 王羲之 感想前編(東京国立博物館 平成館)
  書聖 王羲之 感想後編(東京国立博物館 平成館)
  東京国立博物館の案内 【2019年02月】

続いては楷書のコーナーです。

13 王羲之 「楽毅論 ―越州石氏本―」 東晋時代・永和4年(348)
こちらは戦国時代の燕の将軍である楽毅を論じた文章の拓本です。楽毅は漫画『キングダム』にも出てきたので知ってる方も多いかも。この楽毅論では蘭亭序とは違い、かなりすっきりした文字となっていて、線が細くて一層に読みやすくなっています。楷書がいかに分かりやすい文字なのか、これを観てよく理解できました。

この後に隋の前の南北朝の時代の書がありました。無骨で力強い北朝と ふっくらした南朝の書が並んでいて、私は北朝のほうが好きかな。整然としているというかスッキリしているんですよね…。

この辺で「李氏の四宝」という4つの拓本について紹介されていました。これは李宗瀚(りそうかん)という人物が生涯をかけて豊かな経済力を活かして集めた拓本のことです。石碑が破壊されるなどして、1つしか残っていない拓本のことを「孤本」と呼ぶそうで、李氏の四宝はこうした貴重な「孤本」を集めたもののようです。今回の展示では四宝が勢揃いしているということで、それも大きな見どころとなっていました。

19 丁道護 「啓法寺碑 ―唐拓孤本―」 隋時代・仁寿2年(602)
こちらが李氏の四宝の孤本の1つです。南北朝から唐時代への架け橋となった書で、南朝の典雅な書風と北朝の険しい書風を融合したとのことですが、割とかっちりしていて北朝寄りに見えるかな。一気に書体が変わる訳ではなく、徐々に融合していく様子なども伺えて面白い品でした。


<第2章 唐時代の書 安史の乱まで ―王羲之書法の継承と楷書の完成―>
続いては黄金期とも言える唐時代の書についてのコーナーです。唐の太宗皇帝は王羲之の書をこよなく愛し、最高傑作の蘭亭序は模本を作らせました。(愛し過ぎて蘭亭序を自分のお墓に埋めてしまった為、オリジナルは失われました) その蘭亭序を臨書した虞世南(ぐせいなん)と欧陽詢(おうようじゅん)は伝統を継承しつつ楷書の表現を完成させたそうで、初唐の三大家と称されています。ではもう1人はというと、やはり蘭亭序をコピーした褚遂良(ちょすいりょう)で、唐の華やかな気品を盛り込んだ「雁塔聖教序」等の書は一世を風靡したそうです。ここにはそうした唐時代の著名な書家の作品が並んでいました。


まずは虞世南のコーナーです。虞世南は王羲之七世の子孫の智永に学んで王羲之やその息子の王献之の書法に基づく南朝の穏やかな書風を継承したそうです。

22 虞世南 「孔子廟堂碑 ―唐拓孤本―」 唐時代・貞観2~4年(628~630) ★こちらで観られます
こちらは先述の李氏の四宝の1つで、第一印象は めっちゃ綺麗な字で読みやすい!w バランスが取れていて、まさに教科書の手本のような楷書です。緻密で上品で、筆でこんなに綺麗に書けるのかというくらいでした。この隣にも同じ孔子廟堂碑の拓本がありました。むしろ見慣れた感があるくらいお手本になっていそうな字です。

続いては欧陽詢のコーナーです。と、その前に欧陽詢の代表作にまつわる「九成宮」という太宗皇帝の別荘についての作品がありました。

35 仇英款 「九成宮図巻」 明時代・16~17世紀
こちらは絵巻で、自然の中にある太宗皇帝の別荘が描かれています。ここに湧き水が湧いたのを瑞兆とみなして「九成宮醴泉銘」を建てさせたそうで、それが欧陽詢の最高傑作の楷書となりました。別荘と言っても宮殿のような感じで、当時の皇帝の権勢を伝えていました。

この近くには現地の写真もありました。今でも宮殿が残っていて石碑も健在のようですが、拓本を取りすぎて摩耗しているとのことでした。そのため、同じ拓本でも微妙に文字の太さが違っている(磨り減るとその分細くなる)ようで、損傷したような痕がある拓本なども見受けられます。石が磨り減るほどのコピーって何回刷ったんでしょうかね…。

28 欧陽詢 「九成宮醴泉銘 ―海内第一本―」 唐時代・貞観6年(632) ★こちらで観られます
そしてこちらが欧陽詢の最高傑作の拓本です。縦長で引き締まった楷書となっていて、帝避暑とか書いてるのが読めるかな。実直な感じと優雅さの両面があって、スラリとした印象を受けました。あまり厳つい感じはしない字です。

この近くに虞世南・欧陽詢・褚遂良・顔真卿の4人の「風」と「無為」という字を比較した映像がありました。これが非常に分かりやすく、4人の個性が一目瞭然でした。

続いては褚遂良のコーナーです。褚遂良は太宗皇帝の信任が厚く王羲之の書の鑑定役をしていたそうで、虞世南や欧陽詢を学び、王羲之の真髄を得て晩年に しなやかで躍動感溢れる書風を残したようです。

43 褚遂良 「雁塔聖教序」 唐時代・永徽4年(653)
こちらは西遊記で有名な玄奘三蔵法師が経典を漢訳した功績を讃えた石碑を写したものです。太宗皇帝と皇太子から下賜された序文を褚遂良が書いているのですが、1つ1つの文字が読みやすい点は楷書らしさを残しつつ払いの部分などに軽やかさを感じます。虞世南や欧陽詢とも違った優美さがありました。

40 褚遂良 「孟法師碑 ―唐拓孤本―」 唐時代・貞観16年(642) ★こちらで観られます
こちらも李氏四宝の拓本です。こちらやや自由な雰囲気のある伸びやかな文字で、特に払いや曲線部分に特徴があるように思えました。そういえば、この書には「宇宙」という文字が入っているのですが、今回の展示で何回か宇宙と書いてある部分がありました。元々は世界全体を指す言葉として使われていたので、よく出てくるのかも

続いては王羲之の書への太宗皇帝の熱い愛を感じるコーナーですw

44 褚遂良(模)・王羲之(原)「黄絹本蘭亭序」 唐時代・7世紀 ★こちらで観られます
こちらは蘭亭序の臨書(隣に置いて観てコピーする方法)で、褚遂良が書いた豪華コンビの作品です。4行目にある「領」の時に山冠が付くのが特徴とのことで、完コピではないのかな? 軽やかなのに緊張感もあって、途中で文字の大きさや太さも変わってきます。蘭亭序の中でも質の良さそうな模本でした。

その後にも王羲之のコピーが並んでいました。息子の王献之の模本などもあります。

57 唐玄宗 「紀泰山銘」 唐時代・開元14年(726)
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この作品だけ撮影可能となっていました。これは13mもある石碑の拓本で、玄宗皇帝自らが即位の時の様子を書いた隷書の大作です。太宗皇帝の頃に楷書が出来たわけですが、自身は雄大で伸びやかな隷書を好んでいたらしく、皇帝がこんなに上手いのかというくらいの書となっていました。
ちなみにこの銘は現存していて、今は文字の部分が金色に塗られているようです。

この辺には皇太子や則天武后が書いた書などもありました。みんな王羲之を学んでいるようですが、則天武后の字は丸みがあって優美でちょっと可愛らしい文字でした。

80 欧陽通 「道因法師碑」 唐時代・龍朔3年(663)
こちらは玄奘三蔵法師と共に経典を翻訳した道因法師を讃える石碑の拓本で、欧陽詢の第四子による書です。父よりも厳しく険しい字体とのことで、かっちりした文字に見えるかな。払いの辺りが力強く、バランスも右肩あがりに観えました。

88 魏栖梧 「善才寺碑 ―宋拓孤本―」 唐時代・開元13年(725)
こちらは李氏の四宝の最後の1つで、これも孤本です。やや縦長で伸びやかな感じのある文字となっていて、名前を褚遂良にすり替えてあやかっているとのことでした。そんなことしなくても十分に素晴らしい字だと思うんですけどねw


ということで、長くなってきたので今日はこの辺にしておこうと思います。まだ会場の半分も来ていませんが、1~2章は特に濃くて、一気に中国の書の鑑賞方法がわかったように思えました。そして3章にはいよいよ今回の目玉である顔真卿の「祭姪文稿」なども展示されていましたので、次回はそれらについてご紹介の予定です。

 → 後編はこちら



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東京国立博物館の案内 【2019年02月】

今日も写真多めです。先週の土曜日に上野の東京国立博物館で特別展を観てきた際、常設も観てきました。いつもは特別展を先にご紹介していますが、今回は特別展を観る上で参考となるコーナーが常設にありましたので、こちらを先にご紹介しておこうと思います。

 ※ここの常設はルールさえ守れば写真が撮れます。(撮影禁止の作品もあります)
 ※当サイトからの転載は画像・文章ともに一切禁止させていただいております。


まずはいつも通り本館から観ていきました。観た順に写真を使ってまいります。

前田青邨 「湯治場」
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3幅対の掛け軸です。いずれも湯けむりが漂い旅情たっぷりの雰囲気です。観ている方も休まるようなのんびりとした光景でした。

菱田春草 「梨に双鳩」
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花咲く梨の上で仲睦まじく寄り添う鳩。葉っぱも伸びやかで枝には滲みを活かした表現なども観られます。すっきりとした画風となっていて穏やかな雰囲気となっていました。

今回は下村観山の「弱法師」なども展示されていました。続いて2階の浮世絵のコーナー。

鳥文斎栄之 「蜀山人(大田南畝)像」
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美人画の名手による肉筆浮世絵。賛は読めませんが、大田南畝は御家人でありながら狂歌師でもあった文化人です。ちょっと小粋な雰囲気が現れているよに思えました。

蹄斎北馬 「見立桃園三傑図」
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こちらも肉筆。蹄斎北馬は名前から連想できる通り葛飾北斎の弟子です。この作品では三国志演義の劉備・関羽・張飛の桃園の誓いを見立てに3人の遊女が描かれています。真ん中の遊女が馬と波のデザインの帯なので劉備、右の遊女の簪が青龍刀の形になっていて関羽、左は決め手はないけど残りの張飛と推測されるそうです。画風や主題の洒落っ気なんかも師匠を彷彿とさせる作品でした。

歌川国長 「雪中傘さし美人図」
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こちらも肉筆で、歌川豊国の門人によるもの。上から下まで流れるような曲線が多用され、非常にリズムがあって優美な印象を受けます。これは歌川国長の代表作だそうで、それも納得の傑作でした。

今回は肉筆も含めて浮世絵美人画の良い作品が多かったように思えました。
続いては「上杉家伝来の能面・能装束」という特集展示のコーナー。

【展覧名】
 上杉家伝来の能面・能装束

【公式サイト】
 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1951

【会期】
 2019年1月29日(火) ~ 2019年3月31日(日)

「唐織 金地松帆模様」
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帆船は海の向こうから宝をもたらす吉祥紋で、それが松と組み合わさって一層におめでたい文様となっています。パターン化されているようだけど、一見すると連続してみえるのも面白いです。派手だけど気品もあって名品と言えそうな能装束でした。

「能面 山姥」
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めちゃくちゃ怖い能面を発見w 能面で白目の部分が金色になっているのは人を越えた存在であることを示しています。見開いた目が特に印象的で鬼気迫るものを感じました。

他にも美しい能装束がいくつもあって、門外漢でも楽しめる内容となっていました。
続いて国宝室は「延喜式」が展示してありました。

「延喜式」
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こちらは11世紀に書かれた905年(延喜5年)に醍醐天皇が命じて編集した「式」の写本です。式は律令の律(刑法)、令(それ以外の基本法)、格(律令を補う法)を執行するために必要な細かい規則のことだそうです。ここには祭祀の運営や規則が書いてあるのだとか。全然読めませんが、貴重な品のようでした。

伝 藤原行成 「白氏文集切」
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平安中期に「三蹟」と呼ばれた藤原行成によるものと伝わる墨跡。今回行われていた顔真卿の特別展でも三蹟に触れていたのでタイムリーな展示です。白居易の『白氏文集』を書写したものらしく、流麗で気品ある文字となっています。すらすらっと書いているけど文字が分かれて読みやすいので行書かな?

本館は1月に行った時と結構同じものが多かったので、東洋館へと移動しました。まずは中国画のコーナーで、ここが結構面白い内容でした。

律天如 「梅花水仙図軸」
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こちらは明時代の作品。梅、水仙、木犀、タンポポが描かれ春っぽい光景です。葉っぱなどは写実的で鋭さを感じる一方で、梅はやや単純化されて可憐な雰囲気に見えました。

諸昇 「雪竹図軸」
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こちらは清時代の作品。賛には「雪をかぶった竹はしなだれるけれども、泥にまみれることはない。朝日が昇れば再び気高い姿で変わらぬ姿をみせる」という意味が書かれているそうで、清廉な印象の場面となっていました。日本画と似ているようでちょっと違うのが面白い

呂健 「崑崙松鶴図軸」
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こちらは明時代の作品。仙境の崑崙山の様子で、鶴も仙禽として描かれています。写実的で羽根が透き通るような表現が見事。日本画がいかに中国から学んでいたかも伺えました。

李玥 「霊鵲報喜図軸」
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こちらは清時代の作品で、この白黒の鳥はカササギです。長崎にも来た沈南蘋の高弟とのことで、日本の南蘋派にも似てるかも。生き生きとしていて質感豊かな画風です。

趙之琛 「水仙霊芝図扇面」
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こちらは清時代の洒脱な雰囲気の作品。滲みを活かしているし、江戸琳派の作品に近いように思えました。葉っぱの形も非常に風流です。

蘇廷煜 「四君子図冊」
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こちらは清時代の8枚セットのうちの1枚。四君子は竹・梅・蘭・菊で、この絵は指頭画(指で描く絵)なのだとか。細い所とか滲んでいるところはどうやって描いたのか不思議でした。

これ以外にも中国の絵画コーナーは見ごたえがありました。そして、中国画の隣では今回の特別展の顔真卿の展示に合わせて「王羲之書法の残影―唐時代への道程―」という王羲之関連の中国の書の展示をやっていました。

【展覧名】
 王羲之書法の残影―唐時代への道程―

【公式サイト】
 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1944

【会期】
 2019年1月2日(水) ~ 2019年3月3日(日)

「魏霊蔵造像記」
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北魏時代・5世紀の石碑の拓本。右上がり気味で厳格な雰囲気に感じるかな。この石碑の拓本を取った商人が自らの拓本の価値を高めるためオリジナルを壊したそうで、本当に勿体無い話です。

この辺はこうした拓本が並びます。ちなみに次回ご紹介予定の顔真卿の展示も拓本が多く、中国では石碑から書を学ぶことが盛んだったようです。

「敬使君碑」
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こちらは東魏時代(540年)の拓本。先程の字に比べると温和な雰囲気に見えます。南朝の字は北朝に比べて柔らかめな字体となっているのが伺えました。

王献之 「草書十二月帖」
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王献之は王羲之の第七子で、時代によっては王羲之よりも好まれたほどの書家です。草書の軽やかで舞うような文字が優雅で、素人目にも一際美しい作品となっていました。

王羲之 「定武蘭亭序(呉炳本)」
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こちらは伝説となった王羲之の蘭亭序の拓本。オリジナルは王羲之が大好き過ぎた太宗皇帝のお墓に埋められて失われました。世紀の傑作と言われる作品なので、拓本でも一度は観ておきたい作品です。
 参考記事:
  書聖 王羲之 感想前編(東京国立博物館 平成館)
  書聖 王羲之 感想後編(東京国立博物館 平成館)


ということで、今回は中国の書についても観ることができました。特に王羲之の蘭亭序の拓本が展示されていて、顔真卿の特別展示と合わせて観られる貴重な機会となっていました。顔真卿の展示を観に行ったら、是非 東洋館の王羲之も観ることをお勧めします。


 参考記事:
   東京国立博物館の案内 【建物編】
   東京国立博物館の案内 【常設・仏教編】
   東京国立博物館の案内 【常設・美術編】
   東京国立博物館の案内 【2009年08月】
   東京国立博物館の案内 【2009年10月】
   東京国立博物館の案内 【2009年11月】
   東京国立博物館の案内 【秋の庭園解放】
   東京国立博物館の案内 【2009年12月】
   東京国立博物館の案内 【2009年12月】 その2
   東京国立博物館の案内 【2010年02月】
   東京国立博物館の案内 【2010年06月】
   東京国立博物館の案内 【2010年11月】
   博物館に初もうで (東京国立博物館 本館)
   本館リニューアル記念 特別公開 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【2011年02月】
   東京国立博物館の案内 【2011年07月】
   東京国立博物館の案内 【2011年11月】
   博物館に初もうで 2012年 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館140周年 新年特別公開 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【2012年03月】
   東京国立博物館の案内 【秋の庭園解放 2012】
   東京国立博物館の案内 【2012年11月】
   博物館に初もうで 2013年 (東京国立博物館 本館)
   東洋館リニューアルオープン (東京国立博物館 東洋館)
   東京国立博物館の案内 【2013年04月】
   東京国立博物館 平成25年度 秋の特別公開 (東京国立博物館)
   東京国立博物館の案内 【2013年12月】
   博物館に初もうで 2014年 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【2017年08月】
   東京国立博物館の案内 【2017年09月】
   マジカル・アジア(前編)【東京国立博物館 東洋館】
   マジカル・アジア(後編)【東京国立博物館 東洋館】
   博物館に初もうで 2018年 犬と迎える新年 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【法隆寺宝物館 2018年01月】
   東京国立博物館の案内 【2018年02月】
   東京国立博物館の案内 【2018年07月】
   東京国立博物館の案内 【2018年10月】
   博物館に初もうで 2019年 (東京国立博物館 本館)
   博物館に初もうで イノシシ 勢いのある年に (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【2019年02月】


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