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世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて (感想前編)【目黒区美術館】

今日は写真多めです。GW中に目黒の目黒区美術館で「京都国立近代美術館所蔵 世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて」を観てきました。盛りだくさんで撮影可能となっていましたので、前編・後編に分けてご紹介していこうと思います。

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【展覧名】
 京都国立近代美術館所蔵
 世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 

【公式サイト】
 http://mmat.jp/exhibition/archive/2019/20190413-63.html

【会場】目黒区美術館
【最寄】目黒駅

【会期】2019年4月13日(土)~2019年6月9日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
結構お客さんは多かったですが、概ね快適に鑑賞することができました。

さて、この展示はタイトルの通り世紀末ウィーンのグラフィックを紹介する内容で、2015年に京都国立近代美術館にまとまって収蔵された平明暘 氏が蒐集したコレクションが並んでいます。同時期に上野の東京都美術館ではクリムト展、六本木の国立新美術館ではウィーン美術展を開催しているので、それと合わせて観ると、一気にウィーン分離派について詳しくなれるかもしれません。展示はテーマごとに4章構成となっていましあので、いくつか写真を挙げながらご紹介していこうと思います。

 参考記事:同時期に開催の展示
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想前編(東京都美術館)
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想後編(東京都美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想前編(国立新美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想後編(国立新美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想前編(目黒区美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想後編(目黒区美術館)

 参考記事:過去の展示
  ウィーン・ミュージアム所蔵 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (日本橋タカシマヤ)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想前編(宇都宮美術館)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想後編(宇都宮美術館)


<1 ウィーン分離派とクリムト>
まずはウィーン分離派とクリムトについてのコーナーです。グスタフ・クリムトらは1897年に「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」というモットーを掲げてウィーン分離派(オーストリア造形芸術家協会)を結成しました。そして旧態然とした芸術・デザインや環境を刷新し、世界に通用するオーストリア芸術を目指した彼らが重視したのは国内外の先進的な芸術・デザインの動向を紹介する展覧会の開催と、機関誌『ヴェル・サクルム』(聖なる春)の刊行でした。展覧会では毎回異なる展示デザインやポスター、カタログが制作されて人々の関心を集め、『ヴェル・サクルム』では造形美術だけでなく文芸作品も紹介されてイラストや縁飾りなどもデザインされたようです。ここでは分離派が目指した総合芸術を体現したとも言える『ヴェル・サクルム』や、分離派と関わりを持った芸術家などが紹介されていました。

[1.ウィーン分離派-展覧会と機関誌『ヴェル・サクルム』]
まず1階に分離派の展覧会と機関誌に関する品が並んでいました。

オーストリア造形芸術家協会(編)『ヴェル・サクルム:オーストリア造形芸術家協会機関誌』
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こちらが『ヴェル・サクルム』 ずらりと並んでいて多種多様なグラフィックとなっています。猫の表紙とかもあるしw 装飾的で華やかな印象を受けるグラフィックが多いように思えました。

こちらも『ヴェル・サクルム』の1901年の3月?の表紙
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天狗がお辞儀しているような表紙ですw 分離派はジャポニスムの展覧会も開いたし、日本美術との関わりを感じさせます。

ヘルマン・バール(著)/ヨーゼフ・マリア・オルプリヒ(表紙デザイン・挿画) 『分離派』
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こちらは分離派会館が表紙になった著書。下にあるセセッションというのは分離派のことです。この建物自体もヨーゼフ・マリア・オルプリヒの設計によるもの。いつか訪れてみたいですね…。

グスタフ・クリムト 「ウィーン分離派の蔵書票」
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こちらはクリムトによる蔵書票。描いてあるのは分離派の象徴とも言えるパラス・アテナだと思います。胸の顔はメドゥーサかな。ちょっと可愛いw

「菊川英山(挿画) ポスター[分離派オーストリア造形芸術家協会 第6回美術展]」
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こちらは前回ご紹介した国立新美術館の展示にもあった分離派展のポスター。ウィーンでもジャポニスムが受容され、クリムトも浮世絵を集めて自分の作品にフィードバックしていました。

コロマン・モーザー 「バラのある少女の頭部」
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こちらも分離派のメンバーによるもの。ちょっと憂いを帯びた表情をしているのが妙にリアルに思えました。

マルクス・ベーマー 「ファウストとヴァーグナー 『ヴェル・サクルム』(第6年次、1903年、36頁のための挿画)」
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ヴァーグナーはワグナーのことかな。(ワグナーはファウスト序曲を作曲しています) 『ファウスト』はゲーテの戯曲で、悪魔メフィストと契約した人物ですが、ここでは悪魔っぽいのがファウストではないかと思います。ちょっと漫画チックで面白い絵柄でした。

カール・モル 「雪に埋もれたデプリンクの別荘(ホーエ・ヴァルテ) 『ヴェル・サクルム』(第6年次、1903年、275頁のためのオリジナル版画)」
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こちらは版画で、少ない色数で雪の町並みを情感豊かに表しているように思います。直線の多い構図もリズムが合って好み。

フェルディナント・アンドリ 「グスタフ・クリムト像」
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古代風の服を着たクリムトの肖像。これだけ観るとギリシャかローマの賢人みたいですw 

エゴン・シーレ 「アルトゥール・レスラーの肖像」
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こちらはシーレによる肖像画。決して線の数は多くないのに、シーレ独特のポーズや くすんだ感じなどの個性が出ていました。

リヒャルト・ルクシュ 「女性ヌード」
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これは2章の内容ですが、階段を上がった所にこの像があります。頭が蛇のようで、クリムトのゴルゴンを思い浮かべました。

[2.クリムト、シーレそしてココシュカ]
続いてはクリムト、シーレ、ココシュカの3人の素描や画集が並ぶコーナーです。

オスカー・ココシュカ 「かがみ込んだ裸婦」
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こちらは素描。ココシュカは色々な作風があるように思いますが、根底に高いデッサン力があったのが伺えました。

「エゴン・シーレの素描」
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今回特に気に入ったのがこの素描集(印刷された本の一部です) 理想化も美化もしていないのが却って生身の人間を感じさせました。

これは写真ですが、グスタフ・クリムトの「ウィーン大学大広間天井画<哲学>」(左)、「ウィーン大学大広間天井画<医学>」(右)
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この作品は大学の天井画に相応しくないと物議を醸しましたw 医学の方にはドクロとかいるしネガティブな印象を受けたのかも。現代人から見れば幻想的で面白い絵です。

こちらもクリムトの「ウィーン大学大広間天井画<法学>」
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ファム・ファタール的な女たちがいて、何故これが法学なのか?ってのは気になる所ですw

グスタフ・クリムト 「右向きの浮遊する男性裸像 [ウィーン大学大広間天井画<哲学>のための習作]」
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こちらは先程の作品の為の素描習作。大作だけに綿密な準備をしていたのが伺えます。この他にも天井画の為の素描はいくつかありました。

ヘルマン・バール、ペーター・アルテンベルク(序) 『グスタフ・クリムト作品集』
この作品集にはクリムトの代表作(の印刷)が沢山ありましたので一挙にご紹介。

「接吻」
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誰もが知っているであろう名作です。流石に金箔の質感は印刷では表現できていませんが、構図などは楽しめます。

「ダナエ」
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こちらも有名作。ゼウスにみそめられペルセウスを生んだ王女です。官能的で神秘的な雰囲気が見事。

「エミーリエ・フレーゲの肖像」
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こちらは前回ご紹介した国立新美術館の展示で実物を観たばかりでした。本物と比べるとだいぶ色彩が薄く感じられます。やはり本物は格別なんだな…というのが実感できましたw

「水蛇1」
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こちらも装飾がリズミカルで面白い作品。豪華で優美な黄金様式の魅力が詰まっています。

「人生は戦いなり(黄金の騎士)」
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こちらは日本の愛知県美術館が誇るコレクションです。デューラーの銅版画「騎士と死と悪魔」を下敷きに、黄金様式で描かれた傑作です。

「パラス・アテナ」
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こちらも前回ご紹介した国立新美術館の展示で実物を観たばかりでした。印刷だと背景のヘラクレスが若干見やすくなってるかも。


ということで、今日はここまでにしておこうと思います。思った以上に点数が多く300点くらい展示されているようで、分離派が如何にグラフィックに力を入れていたのかが伝わってきます。後半にも個性的な作品が多く並んでいましたので、次回はそれについてご紹介の予定です。

 → 後編はこちら



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ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 (感想後編)【国立新美術館】

今日は前回に引き続き六本木の国立新美術館の「日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」についてです。前半はウィーンの近代化の流れを観てきましたが、後編は見どころとなっている世紀末美術についてご紹介して参ります。まずは概要のおさらいです。

 → 前編はこちら

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【展覧名】
 日本・オーストリア外交樹立150周年記念
 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

【公式サイト】
 https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/

【会場】国立新美術館
【最寄】乃木坂駅・六本木駅

【会期】2019年4月24日(水)~8月5日(月)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
後半は展示室が広めだったこともあって前半よりは混雑感が少なかったように思います。後半も各コーナーごとに簡単にご紹介していこうと思います。

 参考記事:同時期に開催の展示
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想前編(東京都美術館)
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想後編(東京都美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想前編(国立新美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想後編(国立新美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想前編(目黒区美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想後編(目黒区美術館)

 参考記事:過去の展示
  ウィーン・ミュージアム所蔵 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (日本橋タカシマヤ)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想前編(宇都宮美術館)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想後編(宇都宮美術館)


<3 リンク通りとウィーン-新たな芸術パトロンの登場>
3章はウィーンの環状道路「リンクシュトラーセ」についてのコーナーです。1857年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がウィーン旧市街を囲む市壁の取り壊しを命じ、その上に「リンクシュトラーセ」という道路が作られました。沿道には古典主義様式の国会議事堂、ゴシック様式の市庁舎、ルネサンス様式のウィーン大学など過去の様式の建物が立ち並び、帝国の要となり発展していきました。さらに1879年には皇帝夫妻の銀婚式のパレードも行われ19世紀のウィーンのシンボルと言える通りとなっていったようです。ここにはそれにまつわる品々が並んでいました。

[3-1 リンク通りとウィーン]
ここにはエルヴィーン・ペンドルによる「リンク通りのあるウィーン中心部の眺望 左:宮廷博物館群、右:美術アカデミー」という1904年頃のウィーンの街の様子が描いた作品や、1869年頃の写真などがありました。かなり広い通りで、様々な様式の建物が並ぶ様子は壮観です。
他にはフランツ・ルス(父)による皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトの肖像もありました。(★こちらで観られます) 結構若い姿で気品ある姿で描かれていますが、皇后はテロリストに暗殺され、皇帝は晩年に第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件が起きて、実質的に最後の皇帝となってしまうことを考えると複雑ですね…。

他に目を引いたのはグスタフ・クリムトの「旧ブルク劇場の観客席」で、この絵で皇帝賞を受けているようです。4~5階建ての楕円状の桟敷席のある劇場内を描いたもので、100人以上の紳士や貴婦人が精密に描かれています。ちょっと誇張したような遠近感のようにも思えましたが、劇場の華やかな雰囲気がよく表れていました。
近くには盟友のマッチュの作品なんかもありました。この辺に関係性については上野の東京都美術館で行われているクリムト展を観るとよく理解できると思います(次節のハンス・マカルトもそちらの展示で紹介しています)

[3-2 「画家のプリンス」ハンス・マカルト]
続いてはこの時代に最も評価された画家ハンス・マカルトのコーナーです。ミュンヘンのアカデミーで学び、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の招きでウィーンに来ると瞬く間に歴史主義時代の寵児となり、上流階級の女性や女優などの華やかな肖像画を残したそうです。また、1879年の皇帝皇后の銀婚式の祝賀パレードの総演出を担うなど名誉ある仕事を成し遂げ、名声を確固たるものにしました。その影響力は若き日のクリムトにも及び、初期の作品はマカルトに倣った画風となっています。

ここには1879年の祝賀パレードのためのデザイン画が2点ありました。織物製造組合と菓子製造組合の為のもので、全35点のデザイン画があるようです。ルネサンスやバロックの衣装を着て、山車を引っ張って歩く様子が描かれているのですが、織物製造組合は布とか紡績に使うような機械、機織りなどを山車に取り入れています。結構タッチは粗めですが、組合の特色を表現しつつ気品と歴史を感じさせる作品でした。

もう1つ目を引いたのが「メッサリナの役に扮する女優シャーロット・ヴォルター」という肖像で、古代ローマを思わせる衣装を着た女性(メッサリナはローマ皇帝クラウディウスの皇妃)がソファに寄りかかって夜の町並みを観ている様子が描かれています。周りは結構粗めのタッチですが顔は丹念に描かれていて、優美な雰囲気です。画面自体も大きいこともあって見栄えがしました。この画家は特に人物画が魅力と言えそうです。

[3-3 ウィーン万国博覧会(1873年)]
続いては1873年に行われたウィーン万国博覧会のコーナーです。この万博は日本にも深い関係があり、日本が国家として初めて参加した万博でした。それ以前に開催された万博の規模を上回ることが目指され、全長約950mの巨大な産業宮や200におよぶパヴィリオンが軒を連ねたそうです。

ここでは日本館の写真などが目を引きました。鳥居とか幟が立っていて神社みたいなw また、万博会場の鳥瞰図もあり、とんでもなく広い会場であったのが伺えました。パリ万博の5倍もあったのだとか。

[3-4 「ワルツの王」ヨハン・シュトラウス]
ここは「美しく青きドナウ」などで有名な作曲家ヨハン・シュトラウスを紹介するコーナーです。500曲ものワルツやポルカを生み出し、皇帝や市が開催する舞踏会でヨハン・シュトラウスの曲も使われていたようです。
展示品は2点のみで、ヨハン・シュトラウスの肖像と当時の舞踏会の様子を描いた絵がありました。肖像は見覚えがあるのでイメージ通りかな。舞踏会は華やかな印象を受けました。


<4 1900年-世紀末のウィーン-近代都市ウィーンの誕生>
続いては19世紀末のウィーン美術に関するコーナーです。この時代、路面電車や鉄道網が発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがそれまでの時代の建築物とは異なる「近代建築」を生み出しました。また、「時代にはその芸術を、芸術には自由を」の理念のもとに、グスタフ・クリムトを中心にウィーン分離派が結成され、新しい美術を生み出していきます。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。

[4-1 1900 年-世紀末のウィーン]
こちらは4点のみで1897~1910年に都市機能を充実させたウィーン市長のカール・ルエーガーにまつわる品などがありました。特にオットー・ヴァーグナーによる「カール・ルエーガー市長の椅子」(★こちらで観られます)は螺鈿細工のように装飾を施していて、モザイク状に模様が付けられています。背中の部分にカール・ルエーガーの名前が書いてあるのはちょっとダサい気もしますが…w 何処と無く日本趣味やアールヌーヴォー的なものもあるように思えました。

[4-2 オットー・ヴァーグナー-近代建築の先駆者]
続いては分離派にも参加したことがあるオットー・ヴァーグナーのコーナーです。ベルリンの王立建築アカデミーやウィーンの美術アカデミーで建築を学んだ為か、初期は歴史主義的な作品だったようですが、やがてモダニズム建築の先駆者となり、先進的なデザインの建物を設計し ヨーゼフ・ホフマンなどの後進も育てました。

ここには美術アカデミー記念ホールの外観や立面図と共に 大きな模型が展示されていました。(★こちらで観られます) 全体的に金ピカに輝く建物で、側面には4つのアーチ状の凱旋門、上部にはドームがあって王冠のような装飾も施されています。それまでの様式を取り入れながらも近代的な雰囲気もあるデザインで、装飾は神話世界のような絢爛な印象を受けました。しかしこちらは実現しなかったのだとか。

さらに近くには鉄道関係のデザインがありました。現在でも大部分が残されていて地下鉄などで稼働しているようです。皇帝専用の駅のデザインもあったのですが、実際には2回しか使われなかったというのはちょっと残念なエピソードです。それでもモダンで美しい駅に思えました。

他にも「聖レオポルト教会(シュタインホーフ)」という建物の模型もあり、これも丸いドームがついていました。タージ・マハルとかモスクを彷彿とするデザインに思えるかな。オットー・ヴァーグナーはドーム好きなのかも?と思いながら観ていました。

[4-3-1 グスタフ・クリムトの初期作品-寓意画]
続いてはクリムトの初期の作品のコーナーです。ここには「アレゴリーとエンブレム」という寓意画制作のための図案集の作品がいくつか並んでいました。特に目を引いたのは「寓話(『アレゴリーとエンブレム』のための原画 No. 75a)」で、これには裸婦と共に寝ているライオン、狐、2羽の鳥(鷺?)などが描かれています。緻密で写実的な画風となっていて、特に裸婦の白い肌が透き通るような表現が見事でした。

また「愛(『アレゴリー:新連作』のための原画No. 46)」(★こちらで観られます)は見覚えがあって、若い男女が見つめ合う様子が描かれ背景には幼女・女性・老婆の顔が浮かんで見えています。全体的に淡くぼんやりしているので幻想的な雰囲気ですが、クリムト展で観た「女の三世代」のように生命の円環を表しているのかな。また、絵の両側は金地にバラの花が描かれているのですが、それが日本の屏風のように見えて 中央の絵も掛け軸のように見えてくるのが面白い構成です。日本美術からの影響を伺わせる作品でした。
この作品も含め、この辺りから2009年の高島屋で開催された展示で観た作品が結構ありました。

[4-3-2 ウィーン分離派の創設]
続いてはウィーン分離派の誕生についてです。クリムトたちは元々はウィーン造形芸術家組合に属していましたが、保守的な体制への不満から他の進歩的な芸術家と協会を脱退し、1897年にウィーン分離派を立ち上げました。その際、名誉会長にはルドルフ・フォン・アルト(前編でご紹介した風景画家)、初代会長にはクリムトが選出されています。

ここには分離派の展覧会の出品作やポスターが展示されていました。まずクリムトによる「第1回ウィーン分離派展ポスター」は検閲前と検閲後の2パターンが並んでいます。詳しくは上記の宇都宮美術館の時の展示の前編に書いていますが、検閲前後を見比べると、ミノタウロスを倒すテセウスの局部がけしからんということで修正されています。修正後は手前に黒い木立が追加されて、上手い具合に隠れるという感じです。旧態然とした美術をミノタウロス、それを倒す英雄テセウスを分離派に見立てた訳ですが、早速検閲されているので、当時は割と厳しかったのかもしれませんね。

そしてここでの見どころはクリムトの「パラス・アテナ」(★こちらで観られます)です。こちらは金色の兜をかぶって槍を持つアテナ(パラス)が描かれていて、手には「裸の真実(ヌーダ・ヴェリタス)」の化身を持ち、胸にはメドゥーサを象った首飾りを付けています。アテナは分離派の守護神として描かれていて、メドゥーサはアカンベェをしているような顔で分離派を批判する人たちをあざ笑うかのようです。また、背景にはヘラクレスがトリトンと戦っている様子があり、古い芸術への挑戦を表しているようでした。

その他には分離派会館の素描や写真(★こちらで観られます)、当時のメンバーの写真なんかもありました。

[4-3-3 素描家グスタフ・クリムト]
続いてはクリムトの素描のコーナーです。ウィーン・ミュージアムは400点ものクリムトの素描を所蔵しているようで、そのうち40点近くも展示されています。中には上野のクリムト展にある「ベートーヴェン・フリーズ」のゴルゴンの素描もあって、ニヤッと笑う不気味な姿は素描でも健在です。他にも女性器をさらけ出すような赤裸々な素描なんかもあって、クリムトの創造の源が垣間見えた気がしました。

[4-3-4 ウィーン分離派の画家たち]
続いては分離派に属した画家たちのコーナーです。同じ分離派と言っても画風は全く異なるので個性派揃いとなっています。
ここで目を引いたのはヴィルヘルム・ベルナツィクの「炎」という作品で、全体的に青みがかった岩の谷間で焚き火をする女性達が描かれています。炎の周りで踊るように囲む姿は何かの儀式のように見え、炎も装飾的に描かれていて不思議な光景です。立ち上る煙も神秘的で象徴主義的なものを感じました。

[4-3-5 ウィーン分離派のグラフィック]
続いては分離派が出した機関誌『ヴェル・サクルム』(聖なる春)やポスターなどのコーナーです。ここに関しては同時期に目黒区美術館で開催の展示と似た内容に思えました。(後日詳しくご紹介予定なので、今日はごく簡単にw)
ここにはシンプルで装飾的なデザインが並び、タイポグラフィも洗練されています。各分離派展のポスターの中には日本の浮世絵を題材にした作品などもありました。

[4-4 エミーリエ・フレーゲとグスタフ・クリムト]
続いてはクリムトが最も信頼した女性エミーリエ・フレーゲとの関係についてのコーナーです。詳しくは先日の上野のクリムト展の前編で紹介しましたのでここでは省略しますが、クリムトの弟のエルンストの奥さんの妹ということでクリムトとは親戚でもあります。姉妹でファッション・サロンを開いていたそうで、ここではサロンで使われたランプ、椅子、テーブルなどが並んでいました。全てヨーゼフ・ホフマン(先述のオットー・ヴァーグナーの弟子)によるデザインで、シンプルな幾何学紋の組み合わせで優美な雰囲気です。他にもドレスや櫛も並んでいて、中には日本の簪のような品もありました。

ここにあるクリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」は撮影可能となっていました。
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クリムトの最も人気のある様式で描かれていて、ドレスの装飾性が見事です。これはかなりの傑作なので、写真まで撮れて感激でした。(しかしエミーリエはこの絵が気に入らなかったのだとかw)

[4-5-1 ウィーン工房の応用芸術]
続いては英国のアーツ・アンド・クラフツ運動を参考にしたウィーン工房についてのコーナーです。1903年にヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーによって設立され、毎日の生活を美しく彩る日用品が作られました。
ここにはドレス、銀の花瓶やパンかご、ティーセット、キャビネット、椅子、ブローチ、ネックレス、ハンドバッグなど様々な品が並んでいました。直線と曲線を上手く組み合わせたデザインが秀逸で、ヨーゼフ・ホフマンの「ゲーム盤とこま」という作品では○△□をゲームの駒にしたようなシンプルな形が面白かったです。

[4-5-2 ウィーン工房のグラフィック]
続いてもウィーン工房についてで、ここは版画やポスター、本などのグラフィックが並んでいました。パターン化された型紙のデザインなんかもあり、本家のアーツ・アンド・クラフツに通じるものを感じるかな。素朴さと斬新さを感じるポスターや、各画家の個性を感じるポストカードなどもあり特にシーレのポストカードは実際に欲しくなりましたw

[4-6-1 エゴン・シーレ-ユーゲントシュティールの先へ]
続いては見どころの1つであるエゴン・シーレのコーナーです。シーレはクリムトより約30歳年下で、彼らの時代とは全く異なる新しい時代の画家でした。しかしお互いに素描を交換したりしてクリムトはシーレの才能を認め、シーレもクリムトを偉大な師として仰いでいたようです。(クリムトが亡くなった時にはその亡骸をスケッチしています) シーレの芸術は生きる苦悩を感じさせるように思いますが、未成年誘拐罪やあからさまな性的描写への批判などと相まって当時の風当たりも強かったようです。それでも内面を吐露するような作品に多くの美術批評家が支援を申し出たのだとか。

ここでの注目は「自画像」(★こちらで観られます)で、胸に手を当てた姿で描かれています。指が長くくすんだ感じの肌がちょっと異様な感じ。頭の辺りには一体化するように黒い人の横顔のようなポットがあり、2つの顔を持つヤヌスのように内なる精神状態の2面性を表しているようです。シーレの作品のイメージそのものなので、これは久々に観られて嬉しい。

また、「ひまわり」(★こちらで観られます)も見どころで、本来は生命の象徴のイメージがあるヒマワリが、ここではどす黒くてひょろ長く描かれていて死を感じさせます。人の形のようにも見えて恐ろしくも心引かれる1枚です。

油彩は5点、水彩と素描は10点以上あるのでこのコーナーだけでも観に行った甲斐がありました。主に人物画で、体が青白かったり、赤みがかったり、痛々しい印象を受けたり、ポーズが独特で面白いです。余談ですがシーレを観てジョジョみたい…と言ってた人がいました。ジョジョの奇妙な冒険の荒木飛呂彦 氏はシーレからの影響を言及しているので、的を射ているなあと、ちょっと感心しましたw

[4-6-2 表現主義-新世代のスタイル]
続いては内なるビジョンを表現した表現主義のコーナーです。ドイツの表現主義が有名ですが、オーストリアの表現主義は、抽象とは無縁のまま、描かれる人物の苦悩や葛藤、不安など心の奥底を描いたそうで、フロイトなどが着想源になったようです。

ここでまず目を引いたのはオスカー・ココシュカの「「クンストシャウ、サマーシアター」の演目、『殺人者、女たちの希望 』のポスター」で、23歳の頃の自作の戯曲のポスターです。ここには骸骨のような顔の女性が真っ赤な体の男を抱いている様子が描かれています。男は体が捻じ曲がって死んでいて女にナイフで刺されて殺されたのですが、それでも男を愛していたようです。観ているだけで不安を覚えるポスターで、当時もセンセーションを巻き起こしたのだとか。

また、近くには同じくココシュカの『夢見る少年たち』というリトグラフの作品群がありました。こちらは思春期の苦悩や性愛の衝動を描いたもので、見た目は中世の木版のようなほのぼのとした絵柄に思えました。(これも割とよく観るかな)

[4-6-3 芸術批評と革新]
最後は美術以外の分野の芸術家のコーナーです。音楽家や建築家などが紹介されていてアドルフ・ロースなどは建築だけでなく、講義や著作を通してウィーン分離派やウィーン工房の芸術を批評したそうです。

ここにはまずリヒャルト・ゲルストルによる「作曲家アルノルト・シェーンベルクの肖像」(★こちらで観られます)があり、タバコを持って椅子に腰掛けこちらを観ている姿となっています。シェーンベルクは無調音楽を作り現代音楽の扉を開けた人物で、自身で絵も描いていたようです。この肖像を描いたリヒャルト・ゲルストルが絵を教えたそうで、隣にはシェーンベルクが自分の弟子を描いた作品も並んでいます。(そちらは粗めのタッチだけど個性的で中々上手い肖像です。)2人は家族ぐるみの付き合いをしていたようですが、ゲルストルがシェーンベルクの奥さんに恋に落ちたことで、ゲルストルは自殺する事態となったのだとか。そのエピソードを聞くとちょっといたたまれない気持ちになる肖像でした。

最後はアドルフ・ロースに関する資料が並び、「ゴールドマン&ザラチュのオフィスビル(ミヒャエラープラッツ3 番地、1909‐11年建設)の1/50の模型がありました。装飾性を排した直線の多い建物で、1階は紳士服店、上階は集合住宅となっています。1階には円柱が縦並び、すっきりとした中に優美さを感じるのですが、当時は装飾が無さ過ぎると批判され建設中止命令が出るほどだったそうです。そこで花を窓辺に飾ることで解決したとのことで、当時の革新性が伝わるエピソードでした。


ということで、後半も多岐に渡る内容でした。クリムトやシーレは2009年の展示の拡張版といった感じにも思えたかな。全体的にかなり幅広いので美術初心者の方やオーストリアの近代史に興味が無い方は消化不良になりそうな気もします。しかし、じっくりと見て回ればウィーンの歴史や美術の豊かさを網羅的に知ることが出来ると思いますので、なるべく鑑賞時間を長めに取ることをオススメします。同時期に上野で開催しているクリムト展とセットで観たい展示です。


おまけ:
休憩室にあったエミーリエ・フレーゲの肖像の衣装の再現。
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いづれも紋様が美しく、現代でも通じるようなモダンさを感じます。


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ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 (感想前編)【国立新美術館】

3日ほど前に六本木の国立新美術館で「日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」を観てきました。見どころと情報量の多い展示でしたので、前編・後編に分けてご紹介していこうと思います。

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【展覧名】
 日本・オーストリア外交樹立150周年記念
 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道

【公式サイト】
 https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
 http://www.nact.jp/exhibition_special/2019/wienmodern2019/

【会場】国立新美術館
【最寄】乃木坂駅・六本木駅

【会期】2019年4月24日(水)~8月5日(月)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
狭いところもあるので結構混雑感があって、場所によっては人だかりもありました。

さて、この展示はウィーンの世紀末をタイトルに掲げていますが、それ以前の時代の作品と共にウィーンの歴史を見ていくような内容となっています。実際に世紀末美術が出てくるのは後半の3章以降で、1~2章はそこに至るまでの流れを追う感じです。ウィーンミュージアムが改修中の機会に実現したとあって多岐に渡る貴重な品々が細かく章・節に分かれて展示されていました。解説も多かったので各コーナーごとの様子を簡単にご紹介していこうと思います。なお、同時期に東京都美術館ではクリムト展、目黒区美術館では世紀末ウィーンのグラフィック展を開催しています。また、今回の展示は2009年に高島屋で行われた展示に出品されていた作品が多かったように思いますので、下記の記事も参考までに。

 参考記事:同時期に開催の展示
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想前編(東京都美術館)
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想後編(東京都美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想前編(国立新美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想後編(国立新美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想前編(目黒区美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想後編(目黒区美術館)

 参考記事:過去の展示
  ウィーン・ミュージアム所蔵 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (日本橋タカシマヤ)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想前編(宇都宮美術館)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想後編(宇都宮美術館)


<1 啓蒙主義時代のウィーン-近代社会への序章>
まずはウィーンの近代都市への歩みのコーナーです。この章では18世紀の女帝マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世が行った啓蒙主義に基づいた社会改革を取り上げていてました。特にヨーゼフ2世が行った行政・法律・経済などの様々な改革が自由な精神を持つ知識人たちを魅了し、文化の中心地へと変貌する様子を紹介しています。また、市壁と呼ばれる壁(お堀みたいな)に囲まれて要塞のような街だったのを埋めて大都市へと発展していく様子なども取り上げていました。

[1-1 啓蒙主義時代のウィーン]
こちらは城塞のような街だった頃のウィーンを描いた絵画や、マリア・テレジアの肖像(★こちらで観られます)、ヨーゼフ2世の肖像などが展示されていました。ヨーゼフ2世は宗教の自由や死刑の廃止、病院や孤児院の設立などを行ったそうで、啓蒙主義に傾倒していたようです。自由な雰囲気が文化人を集めて、やがて花開く素地となっていった様子が伺えました。

[1-2 フリーメイソンの影響]
こちらは世界で最も有名な秘密結社であるフリーメイソンの活躍についてのコーナーです。この組織は英国の石工の集まりを起源とした結社ですが、この時代のウィーンではヨーゼフ2世の助言者であったヨーゼフ・フォン・ゾンネンフェルスやイグナーツ・フォン・ボルンがそのメンバーで大きな影響を与えたようです。特にボルンは組織代表として革新的な知識人や芸術家の交流の場を提供し、その中にはモーツァルトも含まれていました。
ここにはヨーゼフ・フォン・ゾンネンフェルスやイグナーツ・フォン・ボルン、モーツァルト達の肖像、「顔にこそ人間の本質が表れる」という啓蒙思想に影響を受けたフランツ・クサーヴァ―・メッサーシュミット(この人はメンバーではない)の作品などがありました。(★こちらで観られます) オカルト好きとしてはフリーメイソンは陰謀論でよく出てくるイメージですが、実際には自由や博愛を理念にして文化の発展に寄与した様子などを観ることができました。影響力の大きさはガチですね。 残念ながら「プロビデンスの目」のマークはありませんでしたが、本拠地であるロッジの内部と入会の儀式をしている絵があって驚きでした。

[1-3 皇帝ヨーゼフ2世の改革]
続いてはヨーゼフ2世の改革についてです。まずカトリック以外への宗教の寛容令を出し、死刑や農奴制を廃止するなど 現代的で人権的な政策を打ち出しています。また、総合病院の整備や、夏の離宮と狩猟地を一般開放して市民の憩いの場にするなど、開明的な皇帝だったようです。ここには当時の立派な病院の外観を描いた絵や、皇室直属の磁器工房で作られた磁器人形などが並び、その功績を知ることができました。


<2 ビーダーマイアー時代のウィーン-ウィーン世紀末芸術のモデル>
続いてはナポレオン戦争後の時代のコーナーです。2度のナポレオンの占領を乗り越え1814年にはウィーン会議が開催され、苦難の末にヨーロッパの領土が再編されました。以降、1848年の革命勃発までの期間を「ビーダーマイアー」と呼ぶそうで、これは風刺小説の登場人物の「ゴットリープ・ビーダーマイアー」に由来し「小市民」を意味するそうです。当初は家具の様式を指す言葉だったのが、この時代の生活様式全般と精神構造を表すようになったらしく、人々の関心は私的な領域に向かっていったようです。

[2-1 ビーダーマイアー時代のウィーン]
ここには当時の市街を描いた作品やウィーン会議の様子を描いた作品などが並んでいました。「会議は踊る、されど進まず」という有名な言葉はウィーン会議で生まれたもので、各国の思惑が交錯して難航した様子を端的に表しているようです。とは言え、休憩室を描いているせいか各国大使が割と親しげに見えましたw
また、「絵画時計-王宮書斎での皇帝フランツ1世」という作品は、絵の中の掛け時計の場所に腕時計くらいの実物が嵌め込まれているのが面白かったです。この発想は現代でも使えそうw
他にも革命の頃の市民を描いた作品もありました。ビーダーマイアー時代はその名と裏腹に、急激な都市化と政治的抑圧が強い暗い時代だったようで、あらゆる著作物に検閲を行うほどだったそうです。(ヨーゼフ2世の治世とは何だったのか…) その結果、フランスの二月革命が伝播して自由を求める革命が起き、かつてウィーン会議の中心人物でもあったメッテルニヒ宰相が亡命したり皇帝が外国に避難する事態となることになります…。 しかし革命の経過などはあまり取り上げていなかったのは少し残念。メッテルニヒのアタッシュケースなんかもあったのは歴史的に貴重に思えました。

[2-2 シューベルトの時代の都市生活]
こちらはシューベルトのライフスタイルに関するコーナーです。前述の通り厳しい検閲の時代だったので、人々は家庭生活に目を向けて個人の趣味が重視されたそうで、使い勝手の良い工芸品が好まれるようになったようです。作曲家シューベルトと仲間たちが行った、音楽を奏でて 時に野山に出かける集まり(シューベルティアーデ)は、この時代のライフスタイルの象徴と言えるのだとか。

ここにはドレスや銀器、当時の部屋の中を描いた室内画(★こちらで観られます)などがありました。ビーダーマイアーには実直な人という意味もあるようで、割と簡素なデザインに思えます。明快なデザインの椅子やテーブルの再現もあって、分かりやすい展示となっています。
そしてその後にシューベルトの肖像(★こちらで観られます)がありました。この顔は学生時代に音楽室で見た記憶があるw 隣にはメガネもあって肖像に描かれたメガネそのものです。また、夜会の様子を描いた絵ではピアノに向かうシューベルトと華やかな装いの婦人やブルジョワらしき人々が描かれ、私的なサロンの様相となっていました。

[2-3 ビーダーマイアー時代の絵画]
この時代は絵画でも私的なジャンルが好まれ、風俗画・風景画・肖像画などの需要が高まったそうです。ここで目を引いたのは4点で、ペーター・フェンディの「ドミニカーナ稜バスタイ堡で凍えるプレッツェル売り」は寒そうな所で物を売る貧しい少年が描かれています。また、同じくペーター・フェンディの「悲報」では戦争で夫が亡くなったことを告げられる2人の子を持つ母が描かれいて、この時代の貧しい民衆の悲哀と苦境を赤裸々に描いていました。この時代、こうした同情を誘う絵が流行ったそうです。

もう1点はフリードリヒ・フォン・アメリングの「3つの最も嬉しいもの」(★こちらで観られます)で、これは酒・女・音楽の3つを示しています。女性の背後から愛をささやく男が描かれ、女性はやや微笑みながらこちらをじっと観ています。顔の半分は暗い影になっていることもあって憂いも含んでいるように見えるかな。この時代の空気感も表現するような面白い作品でした。

そして少し離れた所にあったロザリア・アモンの「窓辺の少女」という作品は、まるで額縁が窓になっているような面白い構図でした。窓枠に植木鉢を置いて左の方に気を取られている少女の姿が描かれ、リアルな描写と相まってまるでそこに窓があるようで騙し絵的な感覚になりました。

[2-4 フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー-自然を描く]
こちらはこの時代で最も重要な画家のフェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラーについてです。ヴァルトミュラーは当時のアカデミーに反して眼の前に描く対象を置いて描くことを重視したそうで、写真のように精密な肖像画が貴族や富裕層に人気を博したようです。また、風俗画に関心を持ち特に田舎の題材を好んだようです。こうした姿勢が印象派の先駆けと言われることもあるのだとか。

ここには5~6点の作品があり、目を引いたのは「祖父の誕生日祝い」という室内の風俗画でした。部屋のなかに沢山の小さい子供(孫?)たちに囲まれて、犬や猫も集まっています。貧しいけれど幸せそうで、しみじみと喜んでいるように見えました。

[2-5 ルドルフ・フォン・アルト-ウィーンの都市景観画家]
2章の最後は風景画家のルドルフ・フォン・アルトについてです。その多くはウィーンを題材としていて、ウィーンの街の変貌も見て取れるようです。後にウィーン分離派の画家たちはアルトを高く評価し、名誉会長に選出しています。

ここで気に入ったのは「ウィーン、シュテファン大聖堂」というかなり精密に描かれた大聖堂の絵です。周りの広場に沢山の人が集まり、賑わいを感じさせます。背景の空や雲もリアルな描写となっていて、眼前に景色が広がっているような躍動感があります。明暗も強くて明るい印象を受けました。
その先には水彩が4点ありました。むしろ水彩で名を馳せているようで、こちらも情感豊かに当時の様子を伝えてくれました。

この先の3章との境あたりにはウィーンのリンクシュトラーセ(環状道路)についての映像がありました。詳しくは3章で取り上げますが、前述の市壁と堀を潰した跡地に通した道で、この通り沿いに重要な建物が立ち並び発展していくことになります。


ということで、前半は世紀末に関する内容はなく、前の時代の展示となっていました。前半だけだとこの内容でこのタイトルはどうなんだ?とちょっと疑問が残りますw 後半は見どころとなる世紀末美術が多めとなっていましたので、次回は残りの章についてご紹介の予定です。


 → 後編はこちら




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クリムト展 ウィーンと日本 1900 (感想後編)【東京都美術館】

今日は前回に引き続き上野の東京都美術館の「クリムト展 ウィーンと日本 1900」についてです。前半は影響を受けた様々な様式を観てきましたが、後編は特に見どころとなっている5章から最後までご紹介して参ります。


 → 前編はこちら


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【展覧名】
 クリムト展 ウィーンと日本 1900

【公式サイト】
 https://klimt2019.jp/
 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_klimt.html

【会場】東京都美術館
【最寄】上野駅

【会期】2019年4月23日(火)~7月10日(水)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_4_⑤_満足

【感想】
後半も前半同様に混んでいました。後編も各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。

 参考記事:同時期に開催の展示
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想前編(東京都美術館)
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想後編(東京都美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想前編(国立新美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想後編(国立新美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想前編(目黒区美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想後編(目黒区美術館)

 参考記事:過去の展示
  ウィーン・ミュージアム所蔵 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (日本橋タカシマヤ)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想前編(宇都宮美術館)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想後編(宇都宮美術館)


<Chapter 5. ウィーン分離派>
5章は最も見どころとなっている章です。クリムトたちはウィーン造形芸術家協会に属していましたが、保守的な体制への不満から他の進歩的な芸術家と協会を脱退し、1897年にウィーン分離派を立ち上げました。分離派は新設された分離派会館で展覧会を開いて各国の芸術を広く紹介し、ウィーン美術界の国際化を図り、クリムト自身も慣習や世論に囚われない新たな表現を模索していきます。そして1902年の第14回ウィーン分離派展ではベートーヴェンをテーマに平面・立体・建築・装飾などの芸術家の作品で構成され、クリムトは「ベートーヴェン・フリーズ」という壁画を制作しました。これは金箔など様々な素材を用いた壮大なもので、総合芸術を目指した分離派の理念の体現と言える作品だったようです。ここにはそうした分離派としての活動を示す品などが並んでいました。

63 グスタフ・クリムト 「ユディト I」 ★こちらで観られます
こちらは今回のポスターとなっている油彩で初めて金箔を用いた作品です。額縁はクリムトがデザインし弟のゲオルグ・クリムトが制作していて、ユディト ホロフェルネスと書いてあります。これは旧約聖書(外典)に出てくるユディトを題材にしたもので、ユディトはユダヤを裏切ったふりをして敵将ホロフェルネスの元に参じて酒を飲ませ、泥酔したところを寝首をかいて首を持ち帰り、混乱したアッシリア軍を打ち破るという話です。ここでは恍惚の表情を浮かべた黒髪の女性で、手には敵将ホロフェルネスの首を持っています。裸体に金箔の首飾りをつけて異国風で絢爛かつ妖しいファム・ファタール的な雰囲気です。 赤い唇と白い肌が目を引き、体は淡く繊細な色使いとなっていますが、それ以外の部分は結構大胆な紋様(特に頭の周り)となっているのも面白く思えました。これはかなりの傑作なので、長い間記憶に残りそうな作品です。

62 グスタフ・クリムト 「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」 ★こちらで観られます
こちらは水の中?で鏡を持って真正面を向いて立つ裸婦が描かれています。頭には花がいくつか飾りのように付いているのかな? 足元には蛇が巻き付いていて、蛇はだまし絵のように下の枠のような部分まではみ出しています。淡くぼんやりした体と 背景のシダのように渦巻く紋様が神秘的に思えます。解説によると、鏡と裸婦は真実のシンボルとのことで、足元に絡みつく蛇は罪を暗示しているのだとか。また、上部の文字は詩人シラーの言葉で、真の芸術を目指し大衆に迎合しない芸術家の態度を象徴的に示しているとのことでした。かろうじてシラー(SCHILLER)だけは読めたw

そしてその後は「ベートーヴェン・フリーズ」(★こちらで観られます)の再現がありました。コの字の3面から成る全長34mにも及ぶ壁画で、ベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにしています。再現と言っても実寸大な上に素材も本物と思うようなものを使っているので、真に迫った出来です。各場面はそれぞれ、
 左面:幸福への憧れを抱いて苦悩する人々・黄金の騎士
 中央:敵対する力。ティフォンとその娘たち。ゴルゴン三姉妹。
 右側:幸福への憧れ。琴を持つ詩の女神、歓喜の歌、接吻する男女
といった感じです。金や真珠を使っていて、ヒヒのようなティフォンの目や太った女の装飾品などが特に輝いて見えます。最後は金の紋様が流れるようで、まさに圧巻の光景となっていました。解説機を使うと第9を聞きながら観られるので、雰囲気が出て非常に感動しました。敵対勢力の妖しさなんかもクリムトの魅力ですね。

この近くには分離派会館の模型や、マックス・クリンガーの「ベートーヴェン」の彫像もありました。これはオリジナルから寸法を変えて縮小したヴァリエーションですが、第14回分離派展ではこの像を中心にベートーヴェンを礼賛したようです。

少し先には「第1回ウィーン分離派展ポスター(検閲後)」等もありました。ウィーン分離派を意味する「SECESION」が目を引くポスターがいくつかあります。ちなみに六本木の国立新美術館のウィーン展では第1回のポスターの検閲前と検閲後を比較して観ることもできました。(後日改めてご紹介予定)

84 グスタフ・クリムト 「鬼火」
こちらは右側に5人くらいの女性たちの横顔と裸体が描かれ、左側は茶色い背景のような空間がある大胆な構図となっています。ところどころに白い点があって、これがタイトルの鬼火(ウィル・オー・ウィスプ)を表しているようです。女性たちは鬼火の擬人化らしく、妖しく誘惑するような表情をしています。ぼんやりとして非常に象徴的な作品でした。


<Chapter 6. 風景画>
続いては風景画のコーナーです。クリムトは30代半ばから風景画を描くようになり、エミーリエ・フレーゲ(弟エルンストの妻の妹で、クリムトが最も信頼した女性)らとザルツカンマーグートの湖水地方に避暑に訪れたのがそのきっかけだったようです。初期は印象派的な画風のようですが、装飾的に仕上げる様式はクリムト独自のスタイルと言えるようです。一方で都市の風景を描くことは無かったそうで、ここには郊外の風景画などが並んでいました。

92 グスタフ・クリムト 「アッター湖畔のカンマー城III」 ★こちらで観られます
こちらは水辺越しに見える黄色い壁の建物と、その手前の木々を描いた作品です。水面は印象派っぽい表現にも思えますが、木はモザイク紋様のような描き方になっているのが装飾的に見えるかな。正方形の画面となっているのも特徴的で、クローズアップしたような構図になっているようです。これは望遠鏡を用いて描いている為のようで、確かに建物全景の様子ではなくトリミングしたような感じでした。

93 グスタフ・クリムト 「丘の見える庭の風景」 ★こちらで観られます
こちらも正方形の風景画で、画面一面に様式化されたような花がびっしりと並んでいます。1つ1つ輪郭で縁取っているので結構な存在感で、荒々しい描法と共に迫りくる感じすら受けますw この輪郭を描いてから彩色するのはゴッホからの影響と考えられるそうで、50代頃に描いたようです。ちょっと狂気じみたものと抽象画のような構成に驚きました。


<Chapter 7. 肖像画>
続いては肖像画のコーナーです。クリムトは「自分には関心が無い。それよりも他人、特に女性に関心がある」という言葉を残していたようです(…納得感が凄いw) その為、男性の肖像は少なく、自画像は描かれたことがないようです。この章は点数少なめで、油彩2点、デッサン3点と同時代の画家3点といった感じでした。

103 グスタフ・クリムト 「オイゲニア・プリマフェージの肖像」 ★こちらで観られます
こちらはパトロンだった銀行家の妻の肖像で、真正面を向いて座り 服はパッチワークのように緑や赤、オレンジなどの紋様で表されています。背景の明るい黄色と共に色使いが強く感じられ、筆致も大胆です。一方で顔は写実的で、意志の強い聡明な女性に見えました。右上の方に東洋の鳳凰らしきものが描かれた壺?があるのも面白いかな。金は使っていませんが、華やかで輝くような印象を受ける作品です。


<Chapter 8. 生命の円環>
最後はクリムトの芸術を貫くテーマの1つである「生命の円環」に関する章です。クリムトが人間の生死に向き合うようになったのは父と弟の死と、1902年に3人目の息子オットーを亡くしたことだったようで、ここでは受胎・誕生・成熟・死などをテーマにした作品が並んでいました。

105 グスタフ・クリムト 「《医学》のための習作」
こちらは大スキャンダルとなった作品の1つで、マッチュと共にウィーン大学講堂の天井画の依頼を受けて「哲学」「医学」「法学」を制作したうちの「医学」の習作です。ドクロのような顔や病める人が浮かんでいたりして、手を広げて叫ぶような裸婦などが目を引きます。全体的に不気味で、医学というよりは真っ先に死や亡霊を連想するかな。隣には同作品の写真があって習作よりも一層禍々しい雰囲気ですw 解説によると、学問について悲観的な側面を捉えた表現や、男女の性愛を描いたことで激しい批判を受けたそうで、依頼を辞退して作品を引き取ったそうです。このエピソードはクリムト展で何度か目にしていますが、現代でもこれは中々理解されづらいのでは…と思えました。

近くには「哲学」の写真なんかもありました。これは妖精か幽霊の群れみたいな神秘的な感じです。 法学は昔の写真のみ残っていて、いずれも第二次世界大戦で焼失したようです。

119 グスタフ・クリムト 「女の三世代」 ★こちらで観られます
こちらは子供を抱いて頬を寄せる裸婦と、その後ろでうなだれて立つ痩せ細った裸婦(老婆)が描かれた作品です。それぞれ人生の幼年・青年・老年を表しているようで、まさに生命の円環を思わせます。背景は抽象的で銀の水玉の紋様など並んで静かな印象です。解説によると、この銀が点状に散らされているのは日本の工芸品からの影響ではないかと考えられているようです。ポーズや装飾的な紋様などクリムト独自の作風が表れていて、これも見どころと言えそうです。

その後は素描が並んでいました。抱き合って寝ている恋人同士や妊婦を描いた作品なんかもあります。

120 グスタフ・クリムト 「家族」
こちらは毛布のようなものに包まって寝ている三人の母子を描いた作品です。青白い顔をしていて顔だけが浮かんでいるように見えます。ちょっと生気が無いので生きているのか死んでいるのかも分かりません。色の重さがそう感じさせるのかな…。
この近くには生後81日で亡くなった自分の子供の肖像などもあって、生だけでなく死にも真摯に向き合っている様子が伺えました。


ということで、期待以上の内容で大満足したので図録も買ってきました。特に5章の内容が素晴らしく、ベートーヴェン・フリーズの再現には驚きました。この展示と同時期に国立新美術館、目黒区美術館でウィーン分離派関連の展示をやっていますが、この展示がぶっちぎりで見応えあります。構成も分かりやすく長く語り継がれる展示になりそうなので、美術初心者の方にもオススメできます。今季最も注目の展示です。



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クリムト展 ウィーンと日本 1900 (感想前編)【東京都美術館】

GWの祝日に、上野の東京都美術館で「クリムト展 ウィーンと日本 1900」を観てきました。非常に見どころが多くメモも多めに取ってきましたので、前編・後編に分けてご紹介していこうと思います。

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【展覧名】
 クリムト展 ウィーンと日本 1900

【公式サイト】
 https://klimt2019.jp/
 https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_klimt.html

【会場】東京都美術館
【最寄】上野駅

【会期】2019年4月23日(火)~7月10日(水)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_4_⑤_満足

【感想】
館内はかなり混んでiいてあちこち人だかりができていましたが、入場制限などはまだありませんでした。会期末になると混んでくると思いますので、公式ツイッター等でお出かけの前にチェックすることをおすすめします。
 参考リンク:クリムト展@東京都美術館【公式】

さて、この展示は日本でも非常に人気の高い19世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)の全貌を紹介する内容で、初期作品を含め日本では過去最多となる25点以上の油彩が並ぶ貴重な機会となっています。今年はクリムトの没後100年、日本とオーストリアの友好150年という節目でもあり、ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の監修によるこれまで無かったような豪華さです。その中には特に名高い黄金様式の時代の作品もあるので、今季最も注目の展示と言えそうです。展覧会は8章構成でテーマごとに並んでいましたので、詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介していこうと思います。

 参考記事:同時期に開催の展示
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想前編(東京都美術館)
  クリムト展 ウィーンと日本 1900 感想後編(東京都美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想前編(国立新美術館)
  ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想後編(国立新美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想前編(目黒区美術館)
  世紀末ウィーンのグラフィック-デザインそして生活の刷新にむけて 感想後編(目黒区美術館)

 参考記事:過去の展示
  ウィーン・ミュージアム所蔵 クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 (日本橋タカシマヤ)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想前編(宇都宮美術館)
  クリムト 黄金の騎士をめぐる物語 感想後編(宇都宮美術館)


<Chapter 1. クリムトとその家族>
まずは家族関係のコーナーです。グスタフ・クリムト(以降、クリムトと記載するのはグスタフのことです)は1862年にウィーン郊外の金工師の7人兄弟の長男として生まれました。14歳になるとウィーン工芸美術学校で素描や絵画を学び、そこでフランツ・マッチュと出会います。また、弟のエルンストとゲオルグも同じ学校で学び、それぞれ画家と彫金師の道を進みました。クリムトの初期はマッチュや2人の弟と制作していたようです。しかし30歳を迎え生活も安定した1892年には7月に父親、12月にエルンストを相次いで亡くし、姉と母は鬱病になるなど苦難の時期となったようです。ここにはそうした家族との関係性を示す作品が並んでいました。

1 モーリッツ・ネーア 「猫を抱くグスタフ・クリムト、ヨーゼフシュテッター通り21番地のアトリエ前にて」
こちらは猫を抱いているクリムトを撮った写真です。髪の毛が薄くてハゲ気味で、ちょっと頑固そうにも見えますが、猫を大事そうに抱えているので怖い感じではないかな。近くには若い頃の写真もあって、クリムトは母がオペラ歌手を目指していたこともあって音楽的な感性に育まれたことなども紹介されていました。また、クリムト自身は話すのも書くのも得意では無かったようで、自分を知るなら絵を注意深く観て欲しいという言葉も残しているようでした。

この近くには弟やマッチュの写真、マッチュによるクリムトの姉と妹の肖像なんかもありました。姉妹は2人とも生涯未婚でクリムトと暮らしたそうです。

7 グスタフ・クリムト  「ヘレーネ・クリムトの肖像」 ★こちらで観られます
こちらは白いドレスを着たおかっぱ頭の少女の横向きの肖像です。背景は淡い黄色で、白いドレスが溶け込むような感じになるため、その分 頭部が非常に目を引きます。この少女は亡くなった弟エルンストの娘らしく、クリムトはこの子の後見人となっています。解説によると、この絵を描いた前の歳にはウィーン分離派を結成していた頃で、ベルギーの象徴主義の画家フェルナン・クノップフからの影響があるとのことです。少女は6歳とのことですが、やや疲れていて大人びた雰囲気がありました。

この近くには彫金師となった弟ゲオルク・クリムトとグスタフ・クリムトによる「踊り子」という共作もありました。ゲオルグは兄のグスタフから影響を受けたらしく、華麗な女性像です。装飾的でこれもかなり良い作品でした。


<Chapter 2. 修業時代と劇場装飾>
続いては初期の修行時代のコーナーです。クリムトはウィーン工芸美術学校で人体デッサンや古典美術の研究など、基礎的な教育を受けました。当時のウィーンは壮麗でアカデミックな画風のハンス・マカルトが活躍し、画壇でも彼が指導的立場だったこともあってクリムトの初期作品は彼の様式に影響を受けているようです。また、クリムトは在学中から弟エルンストとマッチュと協力して注文制作をこなすようになり、1883年からは「芸術家カンパニー」を協同経営してオーストリア=ハンガリー帝国の地方都市で劇場装飾を次々を制作していきました。そしてハンス・マカルトが亡くなると、彼の手がけていたブルク劇場の天上画やウィーン美術史美術館の壁画制作など大事な仕事がカンパニーに委ねられ、名声を高めました。しかし1892年にエルンストが亡くなったことで終わりを告げ、マッチュは宮廷の人気画家、クリムトは新しい芸術を模索することになります。ここにはそうした時代の作品が並んでいました。

10 グスタフ・クリムト 「レース襟をつけた少女の肖像」
こちらはやや俯いている黒髪の少女を描いた作品で、顔に光が辺り首元にはレースがつけられています。目を閉じて静かな雰囲気となっていて、明暗が強く顔はかなり写実的に思えます。また、この隣にはマッチュによるそっくりな作品がありました。角度違いで、学校の課題を2人で並んで描いたのだと思われます。マッチュはクリムトよりもシャープな印象だけど、この時期の2人はかなり似た画風に思えました。2人ともマカルトの影響を受けているようです。

この他にも学校の課題らしき作品がいくつかありました。弟エルンストの「甲冑のある静物」という作品もあり、それを観る限り弟の才能も兄に劣らず高い技量が伺えます。緻密で質感豊かな静物です。

17 ハンス・マカルト 「ヘルメスヴィラの皇后エリーザベトの寝室装飾のためのデザイン(中央の絵:『夏の夜の夢』)」
こちらはこの時代に名を馳せたハンス・マカルトの大型の作品で、有名な皇后のエリザベトの寝室を飾る装飾デザインのようです。デザインと言っても室内画のような感じで、中央にはシェイクスピアの喜劇に出てくる恋人たちの姿などが描かれています。完成前にハンス・マカルトが亡くなってしまったので、この仕事は彼の弟子に委ねられたそうで、クリムトとマッチュもそれに協力したようです。豪華で流れるような紋様が数々あり、細部は描き込まれていないのに華麗な雰囲気がありました。

19 グスタフ・クリムト 「カールスバート市立劇場の緞帳のためのデザイン」
こちらは劇場の緞帳のデザインで、神話の風景っぽいですが細部までは描かれていません。詳しくは分からないけど、明るめで動きのある華やいだ印象を受けるかな。こうしたカンパニーの仕事は皇室などにも高く評価され、クリムトたちは時代の寵児となっていったようです。

29 フランツ・マッチュ 「女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ」
こちらは盟友マッチュによる半円形の作品で、微笑んだ女神と 髭に手を当てて考え込む老人(レオナルド・ダ・ヴィンチ)がチェスをしている様子が描かれています。かなり細密かつ写実的なアカデミックな画風で、気品と知性が感じられます。背景のパターン化された紋様も面白く、優美で落ち着いた雰囲気がありました。

他にもエルンスト・クリムトの「フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ」というアカデミックな雰囲気の作品も好みでした。 また、この辺は下絵と素描が多めで、方眼紙のようにマス目を区切って寸法を図っているような感じの作品もありました。

31 グスタフ・クリムト 「イザベラ・デステ(ティツィアーノの模写)」
こちらはヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの模写で、ルーマニア王家のペレシュ城の装飾の際に模写を依頼されて制作したようです。頭に飾りを付け肩からフサフサの毛皮をかけている様子で、明暗が強く肌の血色も鮮やかに思えます。しかし解説によると、こちらは模写ながらティツィアーノらしい赤褐色の使用を避けて、暗闇から浮かび上がるような表現となっているそうです。模写の中に個性を出すとは意外ですが、私にはティツィアーノっぽい出来に思えました。


<Chapter 3. 私生活>
続いては私生活、主に女性関係についてです。クリムトは生涯 結婚することは無かったのですが、少なくとも14人の子供がいたようです。その相手の多くはアトリエに出入りしていたモデルでした。(モデルに手を出すとんでもない画家ですねw) しかしクリムトが最も信頼していたのは弟エルンストの妻の妹のエミーリエ・フレーゲで、彼女はブティックを経営するなど聡明な女性だったようです。2人はプラトニックな関係と考えられてきましたが、最近見つかった手紙によって深い間があったのでは?と考えられるようになってきているようです。ここにはそうした女性関係に関する品が並んでいました。

44 グスタフ・クリムト 「グスタフ・クリムトからエミーリエ・フレーゲに宛てた書簡(7通)」
こちらはエミーリエ・フレーゲとの間の書簡です。7通あるうちの1通にはハートに矢が刺さって血が出ているような絵があったりして、2人の関係性を考えさせられるかなw 解説によると、偽名を使って愛の詩を添えたりもしてたようで 忍びつつも深い繋がりがあったことを察するようなエピソードでした。

この辺には2人の写真なんかもありました。ちなみに、国立新美術館で同時期に開催しているウィーン展でもこの2人を取り上げた章がありました(後日改めてご紹介予定です)

38 グスタフ・クリムト 「葉叢の前の少女」
こちらは帽子を被った白いブラウスの女性で、背景は緑の葉っぱが生い茂っています。印象派のように絵の具を混ぜ合わせずに大胆な筆致となっていて、これまでとは違った画風に思えます。また、こちらをじっと見つめる視線は親しげな表情に見えました。解説によると、この女性とも子供をもうけていたのだとか。文章下手・口下手と自称していたのは何だったのか…w


<Chapter 4. ウィーンと日本 1900>
続いては日本からの影響についてのコーナーです。1873年にはウィーンでも日本美術が紹介され日本趣味(ジャポニスム)が流行し、1900年には実業家のアドルフ・フィッシャーが集めた日本美術コレクションが分離派会館の展覧会で紹介され、ウィーン分離派(クリムトが中心となった新しい美術を目指す団体)の創意を刺激しました。 クリムトもこうした機会に日本美術を目にして、自らも鎧・着物・浮世絵・日本美術に関する書籍などを収集し、自らの作風に取りれて独自の様式を確立していくことになります。ここにはそれが伺える作品が並んでいました。

55 グスタフ・クリムト 「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」
こちらは先述のエミーリエ・フレーゲが横向きになっている肖像画で、写実的かつ清廉な印象を受けます。また、この作品は絵だけでなく自筆の額縁が見どころで、金色に梅のような花や日本風の草花が描かれていて金屏風を連想させます。日本美術を取り入れた初期の作例だそうで、これと似た趣向の作品が他にあるのを思い出しました。

61 グスタフ・クリムト 「赤子(ゆりかご)」 ★こちらで観られます
こちらは正方形の大型作品で、クリムトが亡くなる1年前の晩年に描かれました。様々な布が折り重なって三角形となり、その頂点には赤ん坊が見下ろすようにこちらを観ています。この布はクリムトが集めた着物なども含まれているようですが、結構粗目のタッチなので判別は難しいです。カラフルで目に鮮やかなのは晩年の画風らしく思えるかな。解説によると、歌川豊国の錦絵などからも影響を受けているとのことでした。

この近くには同時代のジャポニスムに影響を受けた品々がありました。クリムトが所有した日本美術の本などもあり、尾形光琳の燕子花図屏風なんかも載っています。 クリムトは性愛をテーマにしたスケッチを多く残していますが、これも春画にも影響されたのだとか。(女性関係とかの話を観ると天性のものだと思えますけどねw)


ということで、前半はクリムトが黄金様式に向かうまでに様々な影響を受けている様子などが伺えました。女関係のクズっぷりなんかも紹介されていて、それが彼の芸術の本質に繋がっているように思えます。後半は今回の目玉となる作品と驚くべきコーナーがありましたので、次回はそれについてご紹介の予定です。

 → 後編はこちら



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シャルル=フランソワ・ドービニー展 【東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館】

GWの祝日に新宿の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で「シャルル=フランソワ・ドービニー展」を観てきました。

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【展覧名】
 シャルル=フランソワ・ドービニー展
 バルビゾン派から印象派への架け橋

【公式サイト】
 https://www.sjnk-museum.org/program/current/5750.html

【会場】東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
【最寄】新宿駅

【会期】2019年4月20日(土)~6月30日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
結構お客さんは多かったですが、快適に鑑賞することができました。

さて、この展示はバルビゾン派と交流し印象派に大きな啓示を与えた画家シャルル=フランソワ・ドービニーの個展で、これだけ本格的に紹介されるのは日本初の機会となっています。ランス美術館を中心に国内外の作品が並び、時系列的に章分けされていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品とともにご紹介していこうと思います。


<序章:同時代の仲間たち>
1830~40年代のフランスは産業革命により資本主義経済が発達し、ブルジョワが台頭する一方で貧富も広がり 労働者階級を中心に社会主義運動も盛んに行われたようです。こうした社会主義運動の高まりとともに美術の世界でも古典的な理想美に代わり現実を描くレアリスムが登場しました。また、新興のブルジョワは難解な古典よりも失われつつある田園を描いた風景画などの親しみやすい主題を好んだようです。そしてこの頃、バルビゾン派と呼ばれる画家たちはフォンテーヌブローに集まり、農村や自然を描きました。ここにはまずバルビゾン派の画家たちや同時代の画家の作品が並んでいました。
 参考記事:
  【番外編 フランス旅行】 バルビゾン村とフォンテーヌブロー宮殿
  山寺 後藤美術館コレクション展 バルビゾンへの道 (Bunkamuraザ・ミュージアム)
  バルビゾンからの贈りもの~至高なる風景の輝き (府中市美術館)

4 カミーユ・コロー 「オンフルール」
こちらは水辺にヨットが浮かぶ様子を背景に、手前の木々の下で休む2人の農婦を描いた作品です。地べたに座って向き合っていて、のんびりした雰囲気かな。全体的にぼんやりしていて、特に木の葉っぱの表現にコローらしさを感じました。穏やかにゆっくり時間が過ぎるような光景です。
なお、コローとドービニーは親しい友人で、共に制作旅行に行ったり、ドービニーのアトリエ舟の名誉提督としてコローの名前を挙げていたようです。

9 テオドール・ルソー 「沼」
こちらは広大な平地を背景に、小さな林の前にある沼の縁に女性が座っている様子を描いた作品です。白い布をかぶって、スカートの赤が目を引くかな。水面にもそれが写っていて、静かな雰囲気です。近くで観ると結構大胆な筆致だったりしますが、離れて観ると緻密に見えるのも面白い作品でした。

近くにはディアズや写実主義のクールベやオノレ・ドーミエなどの作品もありました。

13 フランソワ=オーギュスト・ラヴィエール 「オプトゥヴォスの池」
こちらは荒れ地のような所にある池らしきものを描いた作品です。しかしハッキリとは分からず、何となく緑がかって見える程度かな。何故か画面全体に縦方向に引っ掻いたような無数の線があって、気になりましたがこの意図もよく分からず…。この時代の作品にしては斬新に思えました。 
なお、この作者はモレステテル派の代表的な画家だそうで、明るい色彩を貴重とした風景画を描き、モレステテルやリヨン、ローヌ川周辺などをよく描いたそうです。バルビゾン派ではコローやドービニーと親交があったのだとか。


<第1章:バルビゾンの画家たちの間で(1830~1850)>
続いては初期のコーナーです。ドービニーは1817年にパリで生まれ、生後間もなくヴァルモンドワの里親に預けられて自然豊かな中で9年過ごしました。その後パリに戻ると風景画家だった父から絵の手ほどきを受け、1835年から画家サンティエの元で本格的に学びました。1836年から翌年までは自費でイタリア旅行をして古典に刺激を受けたようで、帰国後に再度イタリアを目指してローマ賞に挑戦したのですが、落選してしまいます。そのため、1840年にローマ賞受賞者を多く排出したポール・ドラローシュのアトリエで学んで再挑戦しましたが、これも落選しています。以後、1840年代は出版物の挿絵を提供するなどで生計を立て、パリを拠点にフランス各地を巡って描いてはサロンに出品して行きます。そして、これらの旅を通して自然を描き、専ら風景画を描くようになったようで、1843年にはフォンテーヌブローに滞在し、以降はバルビゾン派の1人として方向性を確立しました。なお、ドービニーはバルビゾン七星の1人に挙げらますが、作品の数は後にオーヴェールやノルマンディー地方のヴィレールヴィルで描いたものの方が多いのだとか。ここには1850年頃までの作品が並んでいました。

16 シャルル=フランソワ・ドービニー 「聖ヒエロニムス」
こちらは大型の作品で、荒野の谷間の石に本を開き、半裸姿で木の十字架を見上げている聖ヒエロニムスを描いた宗教画です。しかし谷の向こうに暮れゆく夕日や三日月が描かれ、ヒエロニムは暗い中にいるので むしろ夕日が目を引くかな。そうした風景画的な要素もあるので「歴史的風景画」とも呼べる作品となっています。当時は風景画が絵画の題材としては格下で、神話や宗教画が崇高なものとされていましたが、こうした神話・宗教の中の風景は比較的高貴なものと考えられていたようです。最初期の作品でサロン出品作だったのだとか。

24 シャルル=フランソワ・ドービニー 「パリ、マリー橋」
こちらはパリの橋と川、川岸の光景を描いたグワッシュの小品です。油彩よりもかなり精密に描かれていて、建物の窓や人物まで細かく描写されています。グワッシュ独特の軽やかな色彩で柔らかい印象も受けますが、明暗はしっかりしていて光の強さを感じさせました。

22 シャルル=フランソワ・ドービニー 「リヨン郊外ウランの川岸の眺め」
こちらは「く」の字にカーブしている川岸で沢山の女性たちが洗濯している様子を描いた作品です。近くでは火を焚いていたり荷車が置いてあったりして、ちょっと小高いところでは洗濯物を干して休んでいる婦人たちの姿もあります。青空と木々の緑が爽やかで、当時の様子をそのまま描いたんじゃないかな。のんびりと牧歌的な光景となっていました。


<第2章:名声の確立・水辺の画家(1850~1860)>
続いては1850年代頃のコーナーです。この時期はサロンを中心に精力的に発表し、1852年以降はサロンでの受賞や国家買上げを重ねていき1859年までには写実主義の風景画家として広く認知されていきました。サロン出品作は本物の自然が目の前に現れるような高い表現力の作品だったそうです。一方、有名になるに連れて保守的な批評家からは「印象を荒描きしたに過ぎない。未完成に過ぎない」と非難されたようです(印象派への非難と同じような感じですね) しかしブルジョワの嗜好に合致し、ますます需要は高まっていきました。
また、この頃から水辺を描いた作品が増えていったようで、1857年にはアトリエ船ボタン号(ボッタン号)を入手し、以降は旅をしながら数多くの河川の風景を描いています。ここでは水辺の画家として名声を確立した頃の作品が並んでいました。

27 シャルル=フランソワ・ドービニー 「ブゾンの小島」
こちらは縦長の画面で、川の真ん中から両岸が見える構図となっています。手前は影になっていて奥は背の高いきが光に当たっています。水面にはその光景や青空も反射していて、清々しく明暗の強さを感じました。まさにその場にいるような作品です。

31 シャルル=フランソワ・ドービニー 「兎のいる荒れ地」
こちらは荒れ地を描いた作品です。全体的にオレンジ色に染まっていて夕暮れ時かな? 手前には2羽の兎がちょこんと描かれていて、奥にも1羽の兎っぽい影があります。荒涼とした雰囲気の中にほっこりさせる兎がいて、どこか郷愁を誘われました。


<第3章:印象派の先駆者(1860~1878)>
続いては特に見どころとなっている章です。ドービニーはアトリエ船のボタン号で各地を周って多くの習作を描きました。特に2代目ボタン号はより大きな船で、英仏海峡まで出かけるほどだったようです。この時期は夏はヴィレールヴィルで静養し、冬はオーヴェールやパリでサロンに備えて作品を描くスタイルの生活をしていたようです。ボタン号によって屋外で活動し、各地でモネやピサロなどに出会って影響を与えたようで、彼らは自然に近いところで出来るだけみずみずしく描くという姿勢を学びました。特にモネは船をアトリエとして使うという啓示を受けています(モネも船上で描いた作品を多く残しています) 一方、ドービニーもモネ達から筆触分割の手法を知り、それを自作に取り入れていきました。ここにはそうした時期の作品が並んでいました。

37 シャルル=フランソワ・ドービニー 「ボッタン号」 ★こちらで観られます
こちらは2代目のボタン号を描いた作品で、マストがあって三角になった帆をかけています。その下では絵を描いている画家自身と思われる姿もあって、自画像かな? 手前にはボートを漕いでいる人もいますが、全体的に静かな光景です。一方、表現方法は結構大胆な筆致で、空や水面の描き方は印象派に近いものを感じます。川辺の風情がありこの展示でも特に気に入った作品でした。

この辺にはボタン号の模型もありました。スケールは分かりませんが、扉の大きさ等から察するにそれほど大きい船ではなさそうです。それでも絵を描くには十分な広さに思えました。また、版画集「船の旅」というボタン号で各地に行って描いた版画集もありました。(★こちらで観られます

66 シャルル=フランソワ・ドービニー 「オワーズ河畔、夜明け」
こちらはピンクがかった夜明けの川辺の風景で、川岸には4頭の牛が川に入って行き、その後ろに牛飼いらしき姿もあります。朝の清々しい光景で、水面に風景が反射しているのも美しい作品でした。
この辺はオワーズ河畔を描いた作品がいくつか並んでいました。この絵とよく似た構図でそっくりな題材のもあって、気に入っていたのかも。

64 シャルル=フランソワ・ドービニー 「オワーズ川、日没」
手前に川、奥に木々が並ぶ川岸の光景で、空が赤く染まり日が沈む様子となっています。河畔には人らしき影もいくつかあるかな。結構粗い筆致となっていて、特に空の表現は印象派のような感じでした。叙情性が豊かな作品です。

69 シャルル=フランソワ・ドービニー 「森の中の小川」
こちらは森の中の小川を描いた作品で、びっしりと画面中に木と葉っぱが描かれています。大きな筆跡で点描のような表現となっていてこれまで以上に大胆な作風になっています。ある意味、抽象画に近づいているような感じにも思えますが 離れて観ると水面と実景の境目まで分かるのが面白いです。ドービニーのイメージとはちょっと違った作風で驚きました。

この辺はオーヴェールあたりで描いた作品が多く並んでいました。オーヴェールには家を建てて、印象派の女性画家ベルト・モリゾと共に食事をしたり、セザンヌと交流したり、多くの弟子や友人と過ごしたようです。ゴッホもドービニーにあこがれてこの地に住みましたが、ドービニーの亡くなった後だったようです(他にこの地はヴラマンクとかも住んでたし、芸術家にゆかりが深い土地です)

1 シャルル・シャプラン 「ドービニーの肖像」
こちらはドービニーの肖像で、パレットを持って右手をポッケに突っ込んでこちらを観ている姿となっています。口髭・顎髭を生やして、髪の毛はちょっと寂しいかなw 穏やかな顔でイメージ通りと言った風貌でした。

この辺にはメゾン=アトリエ・ドービニーという宿泊可能なアトリエ兼住居の写真もありました。部屋の中にはコローやドーミエが装飾したものもあるようです。
続いてはノルマンディー地方のコーナーです。ヴィレールヴィルを描いた作品が多く、漁夫や漁師がいるような風景を好んで描いたようです。

83 シャルル=フランソワ・ドービニー 「ポルトジョアのセーヌ川」
こちらはなだらかな坂になっている川岸の風景を描いた作品で、左には家々が並んでいます。これまでの作品の中でもかなり厚塗りとなっていて、筆跡がそのまま残っているなどドービニーとは思えないような筆致です。たまにこういう別の手法の作品もあって今回の展示はイメージが変わりそうな驚きがありました。

92 シャルル=フランソワ・ドービニー 「ブドウの収穫」 ★こちらで観られます
こちらはぶどう畑に沢山の男女が集まって収穫している様子を描いた作品です。腰をかがめている人や立っている人、後ろの方には樽に向かって作業している人の姿もあります。空を広く取って、遠くの山も霞むなど広々とした感じかな。細部は描かれていませんが、写実性が高くも風情を感じさせる1枚でした。

1875年になると友人のミレーやコローを亡くし、自身は痛風に苦しんだようです。晩年は体調不良と治療を繰り返しながら旅と制作を続け、1877年にセーヌのルーアンまでボタン号で旅しましたが、それが最後の航海となり1878年に亡くなりました…。


<第4章:版画の仕事>
最後は版画と家族に関するコーナーです。ドービニーは初期から晩年まで版画(特にエッチング)を手がけていて、これは1840年代に生計を立てるために挿絵を制作して技術を高めたことが背景にあるようです。サロン出品作の複製を制作してプロモーションの役割を担ったこともあるそうですが、成功してからは版画の制作ペースはゆるくなったようです。しかし晩年まで制作を続け、ゴッホは版画を通じてドービニーを受容したのだとか。ここは少数ですが版画作品などが並んでいました。

106b シャルル=フランソワ・ドービニー 「にわか雨」
こちらは沢山の羊たちが川岸の坂を下って川に向かう様子の版画で、後ろには羊飼いと犬の姿もあります。画面右の方には黒い雲から降ってくる雨が描かれていて、にわか雨で急いでいるようにも思えます。結構細かい描写となっていますが、情感も感じられる主題でした。

一番最後に子供の作品がありました。ドービニーには4人の子がいて、次男は画商、長女は静物画家、長男は父に近く海景や風景を描く画家だったようです。ボタン号の見習い水夫として父と共に旅したようで、長男の作品も並んでいました。

102 カール・ドービニー 「オワーズ河畔の釣り人」
川で釣りをする人を描いた作品で、広々と川と空が描かれ開放感があります。かなり父親と似た画風で構図も似ているように思えました。息子もこんな良い絵を描いていたのは初めて知りました。


ということで、これまで本格的に紹介されなかったのが不思議なくらいですが、この展示でドービニーを詳しく知ることができました。貴重な機会なので図録も購入したし満足です。 印象派のルーツの1つでもあり前後の時代が繋がるので、西洋絵画が好きな方はこの展示を観ると流れが分かって一層楽しいと思います。

おまけ:
記念撮影スポット
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鶴屋吉信 東京国立博物館 休憩所 【上野界隈のお店】

ここ数日、東京国立博物館の展示をご紹介しましたが、展示をハシゴする途中で平成館の中にある「平成館ラウンジ 鶴屋吉信 売店」で甘味を食べて休憩してきました。

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【店名】
 平成館ラウンジ 鶴屋吉信 売店
 ※平成館で特別展開催時のみ営業

【ジャンル】
 休憩所/甘味 

【公式サイト】
 https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=124#H_rounge
 食べログ:https://tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13148394/
 ※営業時間・休日・地図などは公式サイトでご確認下さい。

【最寄駅】
 上野駅・鶯谷駅

【近くの美術館】
 東京国立博物館(平成館の館内にあるお店です)

【この日にかかった1人の費用】
 1100円程度

【味】
 不味_1_2_③_4_5_美味

【接客・雰囲気】
 不快_1_②_3_4_5_快適

【混み具合・混雑状況(金曜日15時頃です)】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【総合満足度】
 地雷_1_2_③_4_5_名店

【感想】
金曜日だったこともあって空いていました。

さて、このお店は京都に本店がある大手和菓子屋の鶴屋吉信の売店で、カフェというよりは休憩所の隣に売店があるフードコートみたいな感じです。東京国立博物館の平成館を入って左手辺りにあり、特別展を開催している時だけ営業しているらしいので、いつもやっているわけではなさそうです。

こんな感じでパケージされたお菓子が並んでいます。これを選んでレジで会計して、好きな席に持っていく形式です。
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この日は売り切れでしたが、あんみつ等もあるようです。

冷たいお菓子もいくつかありました。
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飲み物は紙コップに入れるものとペットボトルの飲み物がありました。

お店の奥には自販機のコーナーもあるので、このお店を使わなくても休憩コーナーでゆっくりすることができます。
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ちなみにこの写真の左側に写っているのはトレイを返す所です。

休憩コーナーはこんな感じ。
DSC04708.jpg
非常に簡素なので、飲食しないのであれば考古学コーナーあたりのソファの方が楽かもしれません。

この日は柚餅、プリン、コーヒーの3つを頼みました。
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見事に既成品ばかりですw

中を開けるとこんな感じ。
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まずは柚餅。12個入りで結構ボリューム感があります。
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柚子の香りのする牛皮で、軽い甘さで柚の香りが爽やかです。しかし、これだけ食べ続けると若干飽きますw

続いてプリン。下の方にカラメルもあります。
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結構柔らかくて滑らかです。カラメルは香ばしくて甘さは控えめでした。

コーヒーは紙コップなので期待していなかったのですが、意外とコクと苦味があって美味しかったです。酸味はそれほどなく香りも良かったので楽しめました。


ということで、気軽に休憩することができました。平成館の中にあるので、特別展の図録を買った後にここで読みながらお茶したこともあります。めちゃくちゃ美味しいという訳でもないですが、場所が良くて便利なので たまに利用しています。


おまけ:
この日は庭園解放をしていたのでついでに観てきました。秋はよく行くけど春は久々かも。
 参考リンク:庭園・茶室
 参考記事:東京国立博物館の案内 【秋の庭園解放 2012】

あちこちで花盛りの頃でした。
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こちらは応挙館。
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応挙館の中には複製の障壁画もあります。
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たまに貸し切りで観られないのでこの日はラッキーでした。

庭園内は木々に囲まれて清々しい所です
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こちらは本館裏手の池を挟んだ向かいから撮ったもの
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こちらは転合庵
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元は小堀遠州が建てた茶室です。

庭が解放されている時はグルっと散歩してみるのも楽しいと思います



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東京国立博物館の案内 【2019年04月】

令和になって初の記事は写真多めです。前回ご紹介した東京国立博物館で特別展を観てきた際、常設も観てきました。いつもどおり写真を撮ってきましたので、それを使ってご紹介していこうと思います。

 ※ここの常設はルールさえ守れば写真が撮れます。(撮影禁止の作品もあります)
 ※当サイトからの転載は画像・文章ともに一切禁止させていただいております。


今回も観て周った順にご紹介していこうと思います。なお、今回は本館8室と11室は「平成31年 新指定 国宝・重要文化財」という展示で撮影不可となっていました。こちらはメモを取らなかったので記事にしませんが、新たに指定される国宝3件、重要文化財41件、追加・統合指定される重要文化財1件の合計45点という中々貴重な内容でした。
 参考リンク:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1963
 会期:2019年4月16日(火)~5月6日(月)


後藤貞行 「馬」
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こちらは明治天皇の馬であった金華山号をモデルにした馬の像。たてがみが翻るなど躍動感溢れる表現で堂々たる雰囲気です。写実を徹底する為に馬の解剖もしたことがあるのだとか。

速水御舟 「京の舞妓」
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こちらは大正9年の作で、速水御舟が写実に傾倒していた頃の作品。特に顔が不気味なほどリアルw それでも着物なんかは装飾的で優美さがありました。

藤岡保子 「万葉集」
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こちらは大正の終わり頃に全20巻の万葉集を書写した一部で、書いたのは徳川斉昭の孫に当たる女性です。ここで注目は右上にある赤い印の所の「和」の字で、これは令和の「和」に当たる部分です。惜しくも令の字とページが分かれてる!w 

こちらはコピーで、前のページと共に展示されています。ちゃんと令と和が書かれていました。印もついて分かりやすいw
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新元号発表の直後に用意してくるとは流石ですね。元号ばかり目が行きますが、藤原佐理や藤原定家などに学んだという流れるような字も見事でした。

松林桂月 「渓山春色」
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今回は元号が変わる直前で「皇室と文化」に関連して帝室技芸員の作品が多々ありました。竹林の間の渓流を描いていて、所々の竹が勢いよく感じました。それまでの日本画とはことなる写実的なものを感じます。

鈴木春信 「寄山吹」
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美人画で特に有名な鈴木春信の作品。この顔が特徴的なのでひと目で分かりますw 後の浮世絵に比べると色合いは抑えているように思えますが、鈴木春信らの活躍によって多色摺り版画は進化して行くことになります。可憐な雰囲気がよく出ていました。

勝川春章 「遊女と燕図」
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こちらも美人画の名手 勝川春章の肉筆画。燕が舞う姿を観て風流な場面となっています。当時から勝川春章は絶大な人気で、肉筆画も値千金と言われていたのだとか。流石は葛飾北斎の師匠です。

歌川広重 「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」
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蔵がずら~~~っと並ぶ壮観な光景を描いた作品。遠近感とリズム感があって面白い構図です。左に突き出た舳先みたいなのも大胆で驚かされます。

「埴輪 踊る人々」 埼玉県熊谷市 野原古墳出土
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埴輪のイメージそのものと言った感じの埴輪w 左右で目の位置が違ったり、手の先が尖ってたり割と造形が緩くて可愛いw 

今回は特別展の東寺展に合わせて国宝室は最澄による羯磨金剛目録でした(撮影不可。最澄が持ち帰った宝物を書いた目録) また、仏像や曼荼羅の揃えがいつもより充実していたように思います。

「仏眼曼荼羅図」
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こちらは災難を除き福を生じさせる仏眼法の本尊で用いるものだそうで、仏眼は仏の目の働きを人格化した密教独特の理論上の仏なのだとか。ちょっと仏達の配置が独特に思えるかな。色も強くて見応えがありました。

「弘法大師像」
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こちらは東寺展で観た弘法大師像とよく似た顔で描かれていました。日本史上でもトップクラスに賢い人だけに理知的な表情に思えました。

「一字宝塔法華経巻第一(心西願経)」
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金字1字ごとに銀泥の宝塔で囲っているお経。こんなお経があるとは初めて知りました。往生極楽を願って書いたそうですが、これは途方もなく手間がかかりそうですね。

伝・土佐光則 「源氏物語図屏風(若菜上)」
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猫が飛び出して御簾がまくれ、柏木が女三宮の顔を観て恋に落ちるシーンを描いた屏風。右上辺りで猫がダッシュしてますw ちらっと女三宮も顔をのぞかせていて、雅な中に決定的瞬間があって面白いw

狩野永岳 「舞楽図屏風」
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舞楽の様子を描いた作品。私には蘭陵王しか分かりませんが、人々の配置やポーズが流れるようで心地よく感じました。

この隣の部屋が新指定の展示となっていました。そこは撮影できなかったので割愛。

「楼閣人物螺鈿八角壺」
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こちらは17世紀の第二尚氏時代の琉球の螺鈿の漆器。八角形は珍しいそうで、周りには小鳥などが表されていました。中国 明時代後期の螺鈿技法からの影響が観られるのだとか。

堀田正敦(編) 「禽譜 山禽1」
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こちらは図譜で、フクロウの類いが描かれていました。むしろ木菟かな。写実的なようでマスコット的な感じがツボでしたw

今回、1階の奥では密教の仏像特集をやっていました。

「如意輪観音菩薩坐像」
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片膝を立てて物思いに耽る姿が優美な菩薩像。ちょっとこちらを観ているような目にも見えました。

「愛染明王坐像」
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こちらは愛欲の煩悩を昇華して悟りに至らせる仏。真っ赤でちょっと怖い顔をしていますが、様々な願いに応えてくれるのだとか。非常に存在感のある仏像です。

「大日如来坐像」
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密教で最も重要な仏は大日如来です。智拳印を組んで静かな佇まいです。割と細身に見えるのは平安時代後期の特徴なのだとか。

この他にチベット仏教の仏像なんかもありました(普段は東洋館にいる仏像です)


ということで、今回は東寺展に寄せた内容となっていて、延長線のような感じでした。令和に関する品や 新指定の国宝なども一気に観られたし、非常に充実していたと思います。特別展並の見ごたえがあるので、この博物館に行く際は常設も合わせて観ることをおすすめします。


 参考記事:
   東京国立博物館の案内 【建物編】
   東京国立博物館の案内 【常設・仏教編】
   東京国立博物館の案内 【常設・美術編】
   東京国立博物館の案内 【2009年08月】
   東京国立博物館の案内 【2009年10月】
   東京国立博物館の案内 【2009年11月】
   東京国立博物館の案内 【秋の庭園解放】
   東京国立博物館の案内 【2009年12月】
   東京国立博物館の案内 【2009年12月】 その2
   東京国立博物館の案内 【2010年02月】
   東京国立博物館の案内 【2010年06月】
   東京国立博物館の案内 【2010年11月】
   博物館に初もうで (東京国立博物館 本館)
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   東京国立博物館の案内 【2011年02月】
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   東京国立博物館の案内 【2011年11月】
   博物館に初もうで 2012年 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館140周年 新年特別公開 (東京国立博物館 本館)
   東京国立博物館の案内 【2012年03月】
   東京国立博物館の案内 【秋の庭園解放 2012】
   東京国立博物館の案内 【2012年11月】
   博物館に初もうで 2013年 (東京国立博物館 本館)
   東洋館リニューアルオープン (東京国立博物館 東洋館)
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   東京国立博物館の案内 【2013年12月】
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   東京国立博物館の案内 【2017年09月】
   マジカル・アジア(前編)【東京国立博物館 東洋館】
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   東京国立博物館の案内 【2018年02月】
   東京国立博物館の案内 【2018年07月】
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■2011/9/29
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