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《円山応挙》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀半ばから後半にかけて京都で活躍した円山応挙について取り上げます。円山応挙は1733年に農家の次男として生まれ、幼くして奉公に出ました。10歳で京都に出て、呉服屋で働いていたこともあるそうで、絵の勉強は狩野探幽の流れを引く画家の石田幽汀に学んでいます。20代の頃は玩具商の尾張屋で「眼鏡絵」を描いていて、これが画業の出発点となりました。この「眼鏡絵」というのは西洋の遠近法を強調した風景画で、レンズを備えた覗き眼鏡を通してみると立体的に見える絵のことです。そして30代から応挙を名乗り、写生を重んじて自然や花鳥・動物を生き生きと写し取った斬新な画風はたちまち京都で評判となりました。応挙は「実物に即して描かないと絵とは呼べない。強さや生命力は形をしっかり描けば備わる」と考えていたようで、西洋絵画に影響を受けた眼鏡絵を描いていたこともあって、西洋的なアプローチをしていたのではないかと思います。そうした姿勢は円山派と呼ばれる門下に受け継がれ、京都画壇で確固たる地位を築いていきました。今日も過去の展示で撮った作品とともにご紹介していこうと思います。


円山応挙 「雪中老松図」
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こちらは1765年の作品。円山応挙の代表作に国宝の「雪松図屏風」がありますが、モチーフ的によく似ています。雪松図屏風では白い地を塗り残して雪を表現する手法が使われているわけですが、この作品も恐らく絹地の白さを活かし 周りの色で白雪を浮かび上がらせていると思われます。墨の濃淡だけで松の質感や風格まで出ていて流石です。

この作品の翌年の1766年から応挙を名乗り始めたそうで、応挙とは宋元時代の文人画家の銭舜(字は舜挙)に応ずるという意味となっています。過去の偉人に並ぶ存在になるという野心的な名前ってことですね。(応挙は名前や号を何度か変えています)

円山応挙 「秋冬山水図屏風」
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こちらは年代不明の作品。金地と墨で秋冬の山水を表しています。これも白が柔らかく感じられ、空気感まで表現されているようにも思えます。

応挙は「三遠」を意識していたことを自ら記しています。三遠は北宋の画家 郭煕が考案した構図で、
 高遠:下方から山の頂上を見上げる構図
 平遠;前山から後方の山を眺望する構図
 深遠:山の前方から背後をのぞきこむ構図
となります。応挙の絵を見たらこの視点で観ると発見があるかもしれませんね。

円山応挙 「青松白鶴図」
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こちらは1782年の作品。対になって並んだ掛け軸ですが、鶴のポーズが松の枝と幹の形に似ているように見えます。ちょうど松の枝に沿って対角線上に流れているような構図が観ていて心地良い。

円山応挙は鳳凰や龍といった架空の動物よりも生きた鳥や動物をよく観察して描こうとしたそうです。それは円山派と呼ばれる弟子たちにも引き継がれていきました。そのため、動物を描いた作品は多く存在します。

円山応挙 「朝顔狗子図杉戸」
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こちらは1784年の作品で、杉戸に描かれています。東博の応挙館の廊下を仕切る杉戸らしく、応挙館は元々は愛知県の明眼院の書院でした。

杉戸の右側のアップ。
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朝顔とコロコロした感じの子犬が何とも可愛らしい。写生といってもゆるキャラのような親しみがありますね。

こちらは左側のアップ
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仕草などに犬っぽさを感じます。こうした犬は円山応挙の作品によく出てきて、弟子の長沢芦雪の作品でも見かけます。芦雪のほうがさらにゆるかったりしますがw

円山応瑞 「狗子図」
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こちらは年代不明の作品。よほど子犬が好きだったんでしょうか。元気で無邪気な感じがよく出ています。

円山応挙 「臥牛図」
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こちらも年代不明の作品。菅原道真公をテーマにしていて、菅原道真は死後に運ばれた際 牛が臥して動かなくなった場所をお墓にしたとされ、牛は天神様(菅原道真が神様として祀られた)の使いとなりました。墨の濃淡でどっしりした牛の肉付きまで分かるのが凄い。尻尾のカスレなど単純なようで特徴がよく表れています。

円山応挙 「虎嘯生風図」
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続いても動物モチーフで、こちらは1786年の見事な虎の絵。背景にオーラのようなものが見えますが、これは虎は風を操るとされ、空に吠えた虎が風を巻き起こしている様子のようです。この時代は虎を日本で観ることが出来なかった為、応挙は輸入された虎の敷皮や猫を参考に虎を描いていました。模様はリアルだけど顔が猫っぽいのはそのせいかな

実際に見たことがないものでも写実的に描いた円山応挙ですが、当時は筆使いの個性がないとの批判もあったそうです。曾我蕭白は「絵を望むのなら私に乞うべきだが、絵図なら円山主水(もんど。応挙のこと)が良かろう」と言っていたようで、それまでの絵画と一線を画するものと考えられていたのかもしれません。

円山応挙 「芦雁図襖」
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これは1786年の作品で、先程のワンちゃんの杉戸と同じ応挙館にある襖絵の一部です。まるで目の前に雁が舞い降りてきたような躍動感と臨場感があります。写実的でもごちゃごちゃせず、余白を使って広がりや余韻を出すのは狩野探幽に通じるものを感じます。

円山応挙 「梅図襖」
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こちらも1786年に描かれた応挙館の襖絵。枝が4面に渡って伸びる構図が圧巻です。立派すぎて本当にこんな木があるの?って思ってしまいますがw 濃淡で立体感もしっかり表現されているのは眼鏡絵で培った技術でしょうね。

円山応挙 「波濤図屏風」
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こちらは1788年に描かれたもので、元は京都府亀岡市の金剛寺の襖絵だった品を改装した屏風です。そのため、右側に丸い把手らしき跡が見えます。 線で表された波が荒々しく動きを感じさせます。元の絵はこれが3面に渡って続くようなので、揃ったら一層に臨場感ある光景となるんじゃないかな。

円山応挙 「郭子儀携小童図」
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こちらは1792年の作品で、武勲で出世した唐の名将を描いています。長寿で息子たちはみんな出世したので、子孫繁栄の理想像としての意味もあるようです。体は輪郭線を使って表現していますが、ヒゲはフワッとした感じの表現になっているのが面白い(非常口の光の反射で台無しですみませんw) 武人だけど好々爺って感じの温厚な雰囲気です。

ちなみに応挙自身も温厚な人物だったそうです。その為か弟子の育成にも優れていて、弟子には息子の円山応瑞、源琦(げんき)、山口素絢(やまぐちそけん)、渡辺南岳、長沢芦雪などがいます。さらに与謝蕪村の高弟だった呉春も晩年の応挙に弟子入りを請いましたが応挙は親友として迎えいれました。(呉春は四条派の祖として後に円山派と並ぶ存在となります。) また、円山派の分派には原派・岸派・森派・鈴木派などもあり後世に絶大な影響力があったことが伺えます。

円山応挙 「龍唫起雲図」
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最後に1794年に描かれた眼光鋭い龍。翌年に亡くなっているので最晩年の作品です。濃淡で立体感や雲の湿気まで感じさせるのが凄い。架空の生物ですが、表情は人間っぽいしリアルな存在に思えます。

ちなみに円山応挙は幽霊を描いたこともあり、足のない幽霊の元祖とされています。あまりにリアルで幽霊が夜に絵を抜け出す…なんて逸話もあるくらいですw


ということで今回は全て東博の所蔵品でご紹介しましたw 円山応挙は江戸時代だけでなく近代の日本画にも大きな影響を与えているだけに詳しく知っておきたい画家の1人だと思います。展覧会もちょくちょく開催されるので、機会があったら是非チェックしてみてください。
 参考記事:円山応挙-空間の創造 (三井記念美術館)



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《ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル》  作者別紹介

今日は作者別紹介で、19世紀初頭のフランスで活躍した新古典主義の画家ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルについて取り上げます。アングルは新古典派の巨匠のジャック=ルイ・ダヴィッドに学び、若手画家の登竜門であるローマ賞を受賞しました。そしてイタリアに留学すると、制作しながらルネサンス期の巨匠の研究などを行っていましたが本国からは批判ばかりされていて、留学期間終了後もフランスには帰らず20年近く滞在しいます。しかし、1824年に帰国しサロンに出品した「ルイ13世の誓願」で評価が一気に高まり、アカデミー会員となりダヴィッドの継承者と見做され地位と名誉を手にしました。1834年には再びイタリアのローマに向かい、フランスアカデミーの院長にもなっています。晩年は巨匠として名を馳せ、弟子のシャセリオーを始め数多くの画家に影響を与えていて、特にルノワールは「アングル様式」と呼ぶスタイルを確立するほどアングルに傾倒しています。アングルの作品は重要すぎることもあって日本にはあまり来ませんが、今日も過去の展示や旅行で撮った作品とともにご紹介していこうと思います。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「ヴァルパンソンの浴女」
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こちらは1808年の初期作品です。アカデミー・フランセーズ在籍中にローマで描かれたもので、留学の成果を評価してもらうためにフランスの美術アカデミーに送った3つの作品のうちの1つだそうです。この後も裸婦の作品が多く出てきますが、この作品は特に滑らかで写真のような精密さと艶が感じられます。特に肩から腰にかけての色使いには驚きますね。

ちなみに新古典主義とは古代ギリシア・ローマへの古典様式を理想として写実性や理性を重視した流派です。それまでのロココのような華美な流れに対抗したもので、古代遺跡が発掘されたのをきっかけに再びルネサンスをやってるような感じかな。(ルネサンスよりももっと古代ローマそのものって感じ) 絵画だけでなく建築や彫刻でも同様の動きがあり、神殿のような建物はだいたいこの流れです。絵画学校のアカデミーは新古典主義が中心的存在になっていくわけですが、その反動で近代美術というアンチテーゼを生んでいくことになります。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「ユピテルとテティス」
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こちらは1811年の作品(グラネ美術館のキャプションだと1835年だった気がしますが、1811年とされています) これも留学先から本国に送った3枚のうちの1枚で、アングルは自身の最高傑作と考えていたようです。写真だと分かりづらいですが かなり大型で、見上げるような堂々たるゼウスの姿と艷やかなテティスの肌は理想的な美しさとなっていて、これぞ新古典主義と言った感じです。これは『イリアス』のワンシーンで、テティスがゼウスにトロイア軍に加勢するよう頼んでいます。左後ろにいるのは嫉妬深い妻のヘラで、じーっと観てますねw これだけ見事な出来なのに、アカデミーでは賛否両論だったようで、引き伸ばされたテティスの体などが批判されました。この引き伸ばしは勿論意図的にやっていて、女性の美しさを強調するためのもののようです。後で出てくる作品はもっと顕著なのでアングルの特徴の1つと言えそうです。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「グラン・オダリスク」
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こちらは1814年の作品で、アングルの作品の中でも特に有名です。オダリスクはハレムの女奴隷のことで、官能的な美しさを見せています。そして、この作品が最も女性の体の引き伸ばしを感じるのではないでしょうか。写実を良しとする新古典主義なのに、胴の長さ・細さや手足の長さがおかしいだろ!と当時かなり批判されました。これはマニエリスムなどからの影響で強調する為にやっていたようですが、当時はあまり理解されることはなく、しばらく批判され続けたようです。しかし、解剖学的な正しさより自分が美しいと思うように表現するというのは非常に大きな改革で、後にルノワールやピカソはこうした点にも大きなインスピレーションを受けています。絵画の良し悪しって、時代とともに評価が変わるものですね。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「アンジェリカ」
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こちらは1819年の作品。何だかめちゃくちゃ窮屈そうな格好をした女性像ですw この絵は次に紹介する作品のヴァリアントの1つで、アンジェリカだけ抜き出していて ここには描かれていませんが鎖で繋がれているのでこういう格好になっています。これも解剖学的にはどうなんだろ?って所もありますね。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「アンジェリカを救うルッジェーロ」
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こちらは1817年~1819年頃の作品。ルドヴィーコ・アリオストの「狂えるオルランド」の1シーンを絵画化したもので、ヒッポグリフに乗ったルッジェーロが鎖に繋がれたアンジェリカを助けにきています。足元には怪物がいて、生贄になっているようです。ストーリーも場面もアンドロメダの話そっくりなので、私は以前これはアンドロメダを描いたものかと思ってましたw ちょっと画面がテカっていて申し訳ないですが、先程のヴァリアントに比べて明暗も一層ドラマチックになっているように思います。なお、この作品も当時は批判されたようです。巨匠への道は遠い…w

と、ここまで批判されまくっていたアングルですが、1824年のサロンに出品した「ルイ13世の誓願」で評価が一気に高まります。これは故郷のモントーバンのノートルダム大聖堂のための祭壇画で、同じサロン出品作のウジェーヌ・ドラクロワの「キオス島の虐殺」に対抗する作品として絶賛されました。これには本人も意外だったようで、周りの他の画家の作品に気圧されてたほどだったのだとか。その背景として当時、ロマン派が台頭しはじめ、新古典主義の巨匠ダヴィッドはナポレオン失脚に伴って亡命していたので、新古典主義の新しい旗手を求めていたというのもあるようですが、これによってアングルは押しも押されもせぬ新古典主義の巨匠となりました。翌年にはレジオン・ドヌール勲章、1829年には国立美術学校の教授といった地位も得て、これを境に評価が一変しています。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「Madame Marcotte de Sainte-Marie(マダムマルコットドサントマリーの肖像)」
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こちらは1826年の作品。名声を得ると肖像画の仕事もあるんですねw 穏やかでじっとこちらを見つめていて、ちょっと緊張しているようにも思えるかな。質感豊かで写実的な印象です。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「若い女の頭部」
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こちらは年代不明の作品。恐らく習作と思われます。仰ぎ見るようなポーズで、肌や顔に瑞々しい印象を受けます。描きかけでこれだけ実力を感じさせるのは流石ですね。

ジャン=オーギュスト=ドミニック・アングル & アレクサンドル・デゴッフ 「パフォスのヴィーナス」のポスター
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こちらのポスターの右側がタイトルの作品で、イタリアから再び帰ってきた後の1852年頃に描かれました。この絵でも左肩から首の辺りなんかは不自然だったり、背中から足の辺りはどうなってるんだ?って感じではありますが、そんなのお構いなしで滑らかな裸体がアングルらしくて美しい。これは高弟が背景を担当した共作となっていて、このポスターでは分かりませんが背景にキプロス島のパフォスの神殿が描かれています。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「ルイ14世の食卓のモリエール」
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こちらは1860年の作品。足を組んで当時流行っていたトルコ風の格好をしているのがルイ14世です。テーブルの隣に座っているのが喜劇作家のモリエールらしく、当時の逸話を絵画化したようです。それにしてもルイ14世の座り方はどうなってるんだw と、ここまで観てくるとこれがアングルの味だと分かりますね。

ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル 「トルコ風呂」
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最後にこちらは1862年 当時82歳のアングルの代表作! 手前で楽器を弾く後ろ姿の女性に見覚えはありませんでしょうか? 実はこれは最初にご紹介した「ヴァルパンソンの浴女」を元にしています。他にも過去のスケッチなどを元にいているらしく、この作品の為にモデルを使うことはなかったようです。まさにアングルの裸婦の集大成といったところでしょうか。老いても衰えない情熱を感じます。ちなみにこの作品は発注者に受け取りを拒否され、ルーヴル美術館でへの寄贈も2回拒否されているそうです。巨匠なのに何だか昔に戻ったみたいな扱いですねw


ということで、アングルは新古典主義の巨匠なのに我が道を行った画家で、近代絵画の画家たちに多大な影響を与えました。アングルへの評価を見ていると、美術の評価というのは当時には真価はわからず 長い歴史の中で決まっていくような気がしますね。たまに大型展で少数だけ来ることもあるので、機会があったら是非目にしてみてください。


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《狩野探幽》  作者別紹介

今日は作者別紹介で、江戸時代初期に活躍した狩野探幽を取り上げます。狩野探幽は狩野永徳の孫(狩野孝信の子)で 弟の狩野尚信と狩野安信と共に江戸幕府における狩野派の地位を不動のものにしました。何と16歳の若さで幕府の御用絵師となっていて、日光など徳川家の霊廟の装飾、大坂城、二条城、名古屋城、京都御所など多くの重要施設の大事業を手掛けています。狩野派というと戦国時代の狩野永徳の豪華で力強い作風をイメージする方も多いかと思いますが、狩野探幽は余白をたっぷり取った情趣溢れる画面を得意とし、瀟洒な雰囲気の画風となっています。その影響力は絶大で江戸時代は狩野派が日本絵画の基準となったのは間違いありません。今日はそんな狩野探幽について過去の展示の写真などを使ってご紹介していこうと思います。


伝 桃田柳栄 「狩野探幽像」
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こちらは狩野探幽門下の四天王の1人とされる桃田柳栄 作と思われる肖像。狩野探幽は狩野宗家を弟の安信に継がせて鍛冶橋狩野家を興していて、江戸で活躍したので江戸狩野派と呼ばれることも多いかな。(一方、京狩野は狩野永徳の流れを強く受け継ぎ、濃厚な画風が特徴です。) 初期は永徳のような画風でしたが、30代半ばで出家して探幽斎を名乗るようになり永徳らとは違う路線に進んでいくことになります。

狩野探幽 「新三十六歌仙図帖」
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こちらは製作年が分かりませんが、歌と歌人がセットになった図帖の一部です。三十六歌仙のうち殷富門院大輔が描かれていて、繊細で上品な雰囲気となっています。戦国時代に求められた勇ましさから江戸時代にはこうした感性に移っていったんでしょうね。

狩野派といえば漢画が出発点ではありましたが、狩野探幽も大和絵を身につけて行きハイブリッドな感じの新しい大和絵も残しています。

狩野探幽 「新三十六歌仙図帖」
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こちらも先程と同じ図帖から皇太后宮大夫俊成女(藤原俊成女)です。色鮮やかで優美な雰囲気ですね。文字も軽やかで王朝文化のような雅さが伝わってきます。

狩野探幽は春深房道朝という高野山西方院の僧侶から大師流の書法も学んでいます。画だけでなく書も学ぶとは研究熱心な人だったのでしょうね。

こちらはタイトル名が分かりませんが(恐らく「帝鑑図」の一部)、名古屋城上洛殿上段之間を再現したもの
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三代将軍家光の上洛に合わせて増築された最も格式のある部屋に描かれています。ここは格天井にもぎっしりと絵が描かれ、この部屋以外にも狩野探幽による作品がありました。金が多く使われているけど淡く気品のある雰囲気です。

先述の通り、江戸初期の重要な建物には狩野探幽が多く関わっています。二条城では狩野探幽をリーダーに3000枚にも及ぶ障壁画・襖絵を描いたらしいので、単に絵が上手いだけでなくプロジェクトリーダーとしての実力もあったのは想像に難くありません。このクオリティを3000枚って…w 

こちらは三渓園にある臨春閣の襖絵(複製画)
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これもタイトルを忘れましたが琴棋書画の間なので「琴棋書画図」かな? 岩や木のゴツゴツした表現は漢画っぽい感じも残っています。

狩野探幽は狩野永徳だけでなく南宋の画家や雪舟などにも影響を受けています。それが詩情豊かで幽玄な雰囲気に繋がっているのかもしれません。

狩野探幽 「琴棋書画図屏風」
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こちらは年代不明ですが、穏やかな濃淡で描かれた作品。琴棋書画は文人が嗜むべき4つの教養を表したもので、中国・日本の絵画では頻出の画題です。この1枚だけでも豪放な桃山文化とは大きく異る印象を受けると思います。

ちなみに狩野派は弟子育成の際に模写を重視していましたが、探幽自身も写生や古画の模写を重視していて「探幽縮図」と呼ばれるものまで作っています。出来が良いので古画研究にも貴重な資料となっているのだとか。

狩野探幽 「孫思邈図」
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こちらは1666年の作品。孫思ぱく は唐時代の中国の名医だそうで、輪郭の太い孫思ぱくと 輪郭のない没骨法で描かれた虎を描き分けています。背景は孫思ぱくの視線に合わせて斜めに線が入っていて、光が差しているようにも観えます。ヒゲがなびいて見えるせいか軽やかな印象を受けるかな。1枚で様々な技法が観られる傑作です。

狩野探幽 「果実図」
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こちらは年代不明ですが探幽の斎書き時代なので壮年期から60歳までの作品らしく、描かれているのは枇杷、李、楊梅で 写生を元に描かれたと考えられています。 余白が大きく取られていて、ポツンとしてちょっとシュールな感じにすら見えるw 銭選(舜挙)などの中国画の影響が観られるとのことですが、余白を大きく取るのは狩野探幽の特徴でもあるように思います。余白の取り方で絵の印象はかなり変わりますね。

狩野探幽 「波濤群燕図」
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こちらは1670年の作品。燕が連なっていて、それが動きの軌跡のようにも見えるのが面白い。飛んでいるフォルムも美しく、軽やかに舞う様子が華麗に表現されています。非常に好きな1枚です。

狩野探幽 「尾長鳥図」
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こちらは海棠の木にとまる尾長鳥を描いた1670年の作品。樹の下には川も流れていて、木・尾・川の曲線の組み合わせが優美に感じられます。天地の境目の無い余白も独特の奥行きがあって静かな雰囲気。淡く気品がある画風と言い、狩野探幽らしい傑作です。

狩野探幽 「漢武帝・西王母・林和靖図」
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こちらは1671年の作品。中央が漢帝国の黄金期を築いた武帝で、右幅は不老長寿の桃を持つ仙女である西王母です。西王母は武帝に仙桃を7つ捧げて酒宴した伝説があります。左幅は鶴を愛した林和靖(北宋の詩人)とされていますが、他の2幅とちょっと時代が違っていますね。箱書きには「長伯房」とあるらしく、必ずしも林和靖とは言い切れないのかもしれません。晩年の完成されたスタイルと言った感じでしょうか。清廉な雰囲気となっています。

狩野探幽 「鸕鷀草葺不合尊降誕図」
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こちらは年代不明で豊玉姫と彦火火出見尊の神話を題材にした作品。物語のワンシーンを劇的に描いていて、絵巻を縦にしたような画面構成になっているようです。視線を追うと豊玉姫が置いていった赤ん坊の姿があり、中央にある小屋は産屋のようです。産屋の中には豊玉姫の本来の姿の八尋和邇がいて、夫がその鮫のような姿を観てしまったので子供を残して海に帰ってしまったようです。一見すると余白の多いシンプルな画面にそれだけの物語が詰まっているとは凄い構成です。


ということで、東京国立博物館の所蔵品を中心に狩野探幽を振り返ってみました。狩野探幽の作品はちょくちょく観ますが、その業績について深く掘り下げる展示はここ数年観ていないので また期待したいところです。日本の絵画史上でも特に重要な人物です。

 参考記事:墨と金 狩野派の絵画 (根津美術館)


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《ペーテル・パウル・ルーベンス》  作者別紹介

今日は作者別紹介で、現在のベルギーのアントウェルペン(アントワープ)を中心に活躍した17世紀の巨匠ペーテル・パウル・ルーベンスについて取り上げます。ルーベンスは大工房を構え、当時から各所に大きな影響を与えました。画家のみならず外交官や人文学者としても活躍し、工房や自宅の設計を手がける建築家であり、美術コレクターであり、ラテン語や古典文学に深い造詣を持ち 母語のフラマン語だけではなく、イタリア語、フランス語、スペイン語、英語も自在に操るマルチリンガルで、さらに人当たりも良いという超人的な人物でした。ルーベンスの筆使いは「細部を省略して 逆に誇張を用いて画面に統一感のある激烈なビジョンを生み出す」と評され、優美かつドラマティックな画風が特徴となっています。寓意画、神話画、宗教画などを多く手掛け、工房や他の巨匠と共同で制作した作品も多く存在しています。今日はそんなルーベンスについて過去の展示の写真などを使ってご紹介していこうと思います。


ペーテル・パウル・ルーベンス 「眠る二人の子供」
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この子供は兄の子であるクララ(右)とフィリップ(左)と考えられ、兄が亡くなった1612~13年頃に描かれました。赤みがかった頬の色など、生気あふれる感じがルーベンス独特だと思います。写実的だけどよく見ると割と素早い筆致になっているのが驚きです。ちなみにこの絵を元に工房が作った「聖母子と聖エリサベツ、幼い洗礼者ヨハネ」という作品があります。ルーベンスの工房はその規模と効率的な製作方法において際立っていたそうで、助手たちに求めたのはルーベンスの手本を参照しつつ、それを模して描くことだったようです。しかし、ほとんどの助手にとってその水準は不可能だったので、ルーベンス自身が加筆することで一定の質を保とうとしていたのだとか。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「L'Enlevement de Proserpine」(プロセルピナの略奪)
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こちらは1614~15年頃の作品。連れ去られるプロセルピナが両手を挙げる劇的な構図となっています。ルーベンスは1600年にイタリアに留学し、8年の間に古代彫刻やルネサンスの巨匠、イタリア画家たちの作品を研究しています。特にマンテーニャ、ヴェロネーゼ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、アンニーバレ・カラッチ、ラファエロなどからの影響が強いようです。ルネサンス期に見つかった古代ギリシアのラオコーン像を模写したりもしているので、劇的なポーズもそうした所からの着想かもしれませんね。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「ユノに欺かれるイクシオン」
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こちらは1615年頃の作品。ユノはギリシャ神話のヘラのことで、ゼウスの妻で嫉妬深い神です。イクシオンはゼウスの浮気に嫉妬しているヘラを誘惑する訳ですが、ゼウスに企みがバレて雲で作った偽物のヘラを抱いています。右で手を上げているのが本物で、左の抱かれているほうが偽物ですね。よーく観ると偽者は左足の先が曖昧になってきていて雲から出来た感じw 眼もうつろで魂が抜けてるようにも観えます。それにしてもみんな肉感的で、瑞々しい肌の表現はルーベンスの真骨頂だと思います。数あるルーベンスの作品の中でも特に印象深い作品です。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」のポスター
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こちらは1615~16年頃の作品で、ルーベンスの5歳の娘の顔が描かれています。凛々しい雰囲気で聡明そうな顔をしていて、ルーベンスからの愛情が感じられます。この子はこの絵の5年後にわずか12歳で亡くなってしまいましたが、ルーベンスは家族思いで家族の絵をよく描いています。2度の結婚によって8人の子供を設け、仕事としてではなく自分の為に家族の肖像画を描いていたのだとか。多才で温厚で家族思い…本当に完璧超人ですw

ペーテル・パウル・ルーベンス 「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」の看板
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こちらは1615~16年頃の作品で、アッティカの初代王ケクロプスの娘たちが、大地の女神ガイアの子のエリクトニオスを発見するシーンが描かれています。ミネルヴァが決して開けてはいけないと言って渡してきた籠を開けたらこの赤ちゃんがいたわけですが、蛇の尾が生えていて明らかに人間ではありません。 赤ちゃんの周りには3人の裸婦(娘たち)とプットー(キューピッド)と1人の老人の姿があり、裸婦達はいずれも血色の良い滑らかな肌で 強い光が当たっています。また、3人のポーズ・向き・表情はそれぞれ異なっていて、それぞれ魅力的です。さらに背後にはパンの像やガイアを示す像があり、プットーは別の話のメリクリウスの恋をほのめかしているらしく、様々な寓意がてんこ盛りになっています。ルーベンスの教養の深さと練りに練った構成が伺えますね。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「マルスとレア・シルウィア」の一部のポスター
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こちらは1616~1617年頃のタペストリーの下絵(の一部のコピー)で、本物は横長の作品です。この男性はマルスで、女性は火の巫女のシルウィアとなっていて、この女性に恋して手を差し出している様子となっています。シルウィアの驚くような表情が生き生きしていて、映画のワンシーンのような光景です。 また、翻るマントや 光が反射する甲冑、光沢のある女性の服などが一層に劇的な雰囲気を強めています。女性の背後に火が燃えていたり、足元にキューピットがいるのが前後の物語も表しているようです。ちなみにこの2人は後に結ばれて、その双子の子がローマを建国したとされています

ペーテル・パウル・ルーベンス 「神々の会議」
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こちらは1622~25年頃の作品です。こちらの群像もダイナミックでちょっとどれが誰かはわかりませんが、特に真ん中の赤いマントの人物に自然に目が行くと思います。流れるような配置や色彩感覚は流石ですね。なお、後にこれを模写したのがルノワールで、模写は上野の国立西洋美術館のコレクションになっています。

ルーベンスは1623年からは絵筆を持った外交官として各国の宮廷で手腕をふるいながら和平交渉に望んだそうで、宗主国スペインとイギリスの和議の成立に貢献しています。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「豊穣」
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こちらは1630年頃の作品で、タピスリーのための下絵と考えられています。手にもているのは「豊穣の角(コルヌコピア)」で、角からこぼれ落ちる果実は人間に対する自然の恵みを象徴しているのだとか。仕上がりはやや簡素な感じですが、これが下絵とは思えないほどの優美さですね。なお、ルーベンスは晩年になると古代の理想美から離れて現実的かつ豊穣さを象徴するようなふくよかさを強調した女性を描くようになっていったようです。この絵ではかつての劇的という感じよりは優しく慈愛に満ちた印象を受けます。

ペーテル・パウル・ルーベンス 「聖アンデレの殉教」のポスター
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こちらは1638~39年頃の作品で、殉教した十二使徒の1人を描いています。本物は4mくらいある大画面で、ちょうど見上げるような等身大となっています。足元には処刑を命じたものの民衆の怒りによって中止させようとするローマ総督が馬に乗った姿で描かれていて、周りにいる2人の女性のうちの1人はキリスト教に改宗した総督の夫人だそうです。このポスターでも何となくわかりますが、実物を近くで見ると結構大胆なタッチとなっていて、特に十字架に光がスポットライトのように差し込むのが目を引きます。ルーベンスの生きた時代は宗教改革の時代で、対抗宗教改革の一環で分かりやすくリアルで信者の感情に訴える宗教画が求められていました。この絵は見事にそれを体現したような感じではないでしょうか。

ちなみに昔あったアニメの『フランダースの犬』で最後にネロが観たのはルーベンスの宗教画だった訳ですが、最近の若者はフランダースの犬を知らないでしょうねw


ということで、ルーベンスはどれを取っても傑作揃いとなっています。海外の美術館展をやると1~2点くらい入っていたり、数年に1回くらいの割合で個展も開かれるので巨匠の中では割と目にする機会も多いかな。人物像が特に魅力で、何度観ても発見のある奥深い画家です。

 参考記事:
  ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア 感想前編(Bunkamuraザ・ミュージアム)
  ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア 感想後編(Bunkamuraザ・ミュージアム)
  ルーベンス展―バロックの誕生 感想後編(国立西洋美術館)
  ルーベンス展―バロックの誕生 感想後編(国立西洋美術館)



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《奈良美智》  作者別紹介

今日は作者別紹介で人気の現代アーティスト奈良美智 氏を取り上げます。ドイツ留学中の1994年ころからアトリエを持ち、帰国した2000年頃から大規模な個展が開かれるようになって日本のみならず世界各国で活躍されているアーティストです。その特徴は何と言っても少女を主題とした肖像で、不機嫌だったり泣いていたりと無垢な雰囲気とポップさが同居する画風だと思います。絵画だけでなく 彫像や陶器なども手掛け、さらにはパンク・ロックに影響を受けていることもありミュージシャンのアルバムジャケットの制作や音楽フェスへの参加など その活動は幅広く多彩です。そんな奈良美智 氏について今日も過去の展示の写真などを使ってご紹介していこうと思います。

奈良美智 「Harmless Kitty」
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こちらはドイツ時代の1994年の作品。オマルに乗って猫の格好をした子供だけど目つきは鋭い。無邪気な子猫という意味のタイトルで、ちょっと野性的にも思えます。この可愛いのにやや反抗的な雰囲気が奈良美智 氏が持つ独特の面白さで、パンクに通じるものがあるように思います。

奈良美智 氏は愛知県芸術大学修士課程を修了後、1988年からドイツのデュッセルドルフ美術アカデミーに在籍していました。大学終了後から留学までの間に河合塾で講師のアルバイトをしてお金を稼いでいたというエピソードもあって、ちょっと意外な経歴です。最初に入った武蔵野美術大学はお金が無くて中退したようだし、若い頃は苦労されていたみたいです。

奈良美智 「春少女」
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こちらは2012年の作品。この年に横浜美術館で大規模な展示が行われて非常に人気でした。目の色が虹のようにカラフルで、何かを訴えかけているように思えます。全体的に黄色っぽい色が多めで、たしかに春を感じさせますね。こうした少女も奈良美智 氏の作品にはよく出てきます。

奈良美智 「体重計少女」のペイント
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こちらも2012年の展覧会にあった作品を車の側面にペイントしたもの(横転してます) 体重計に乗っていて、指し示す数字は60kg! 幼そうですが体重は大人のようですw 目がかなり大きく描かれ、様々な色が使われキラキラした感じに観えるかな。鼻は×で表現するなど簡略化の仕方も可愛くて親しみが持てます。たまにシュールだったり脱力系な作品があるのも魅力w

こちらは題名不明ですが、2012年の展覧会にあった作品です。
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目つきが鋭くて可愛いけど神像のような迫力を感じます。大きくて白い彫像なので、後でご紹介するあおもり犬と通じるものもあるように思えます。

彫刻作品も子供を主題にしている作品が多く、顔が大きな像になっている作品などもあります。彫像のためのエスキース(下絵)を観たこともあるので、先に下絵を準備してから作ってると思われます。当時の展覧会ではそういう解説はあまりなく、世界観自体を楽しむような感じになっていました。

左:奈良美智 「ジャイアンにリボンをとられたドラミちゃん」
右:奈良美智 「依然としてジャイアンにリボンをとられたままのドラミちゃん@真夜中」

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こちらは2017年のドラえもん展への出品作で、左は2002年の作品で、右は2017年の作品です。比較すると15年の間でちょっと作風が変わっているように思えます。題材はドラミちゃんですが、奈良美智 氏の特徴が詰まっている感じかな。可愛らしいけどちょっと涙を流して可哀想… 15年もリボン取られっぱなしなのか??w

こちらもドラミちゃんで、彫刻にしたもの。
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目が野生的で獲物を観ているような…w 等身もシュッとしていてオリジナルにはない緊張感がありますね。

奈良美智 「あおもり犬」
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最後にこちらは青森県立美術館にある2006年の作品。高さ8.5m横幅6.5mもある巨大な像です。奈良美智 氏は青森県弘前市出身で、青森県立美術館には奈良美智展示室まであります。 この像はでっかいスヌーピーみたいですが巨大で俯く姿が神聖さすら漂わせていて、どこか縄文時代の土偶などにも通じる造形に思えます。体の半分が埋まってるのはすぐ近くにある三内丸山遺跡からの発想で、美術館より前にこの地に埋まっていて掘り起こされたというストーリーがあるのだとか。雪が積もるとまた違う風情らしいので、いずれまた冬にも観てみたいです。

おまけで奈良美智 氏が手掛けた音楽CDジャケットをご紹介。これはアマゾンの広告を拾ってきました。

「電撃バップ」ラモーンズのトリビュートアルバムです。

奈良美智 氏は作品名に「Hey Ho Let's Go!」などラモーンズの曲から取ったと思われるフレーズを使ったりしています。制作時にはパンクをかけたりするらしいので、ぴったりな人選ですね。女の子も一層鋭く反抗的な感じw


ということで、ポップで可愛い一方でパンク的な反骨精神もあって個性的な作風となっています。様々なグッズが売られているのも人気の高さの証でしょうね。今後ますますの活躍が期待されますので、また大きな展覧会も開催してほしいものです。

ちなみに原美術館の「My Drawing Room」は閉館後には群馬のハラ ミュージアム アークへ移設されるようです。貴重な部屋なので取り壊されなくて良かった。
 参考リンク:https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21235

 参考記事:
  奈良美智 君や 僕に ちょっと似ている (横浜美術館)
  THE ドラえもん展 TOKYO 2017 (森アーツセンターギャラリー)
  番外編 青森県立美術館の常設(2012年8月)と「没後10年特集展示:成田亨」 (青森県立美術館)


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《アイ・ウェイウェイ》  作者別紹介

今日は作者別紹介でアイ・ウェイウェイとして知られる中国のアーティスト艾 未未(がい みみ)について取り上げます。アイ・ウェイウェイは「鳥の巣」とあだ名される北京オリンピック競技場を設計したことで知られますが、中国政府に対して批判的であった為ブログを削除されたり、脱税の罪や出国制限を受けたりしています。2015年にドイツに拠点を移してからは西側諸国の難民問題を作品にしたり、ドイツの不寛容さを訴えかけたりしていて、国際情勢や現代の問題を提起するアーティストです。(2020年現在はイギリスで活動中) その作風はアメリカで学んだレディメイドを使ったインスタレーションやパフォーマンスで、様々なものを集合させる特徴があると思います。今日も過去の展示の写真を使ってご紹介していこうと思います。

アイ・ウェイウェイ 「1立方メートルのテーブル」
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こちらは2009年の作品。1mの立方体のテーブルをいくつも並べていて、後ろには12の五角形と20の六角形で出来た作品もあります。幾何学的なリズムがあって面白いですが、それだけでなくこれらは中国の伝統技法で作られているようで、数学的な基本単位と、中国の「伝統」や「習慣」などが組み合わされているようです。このシンプルに見えて奥深いメッセージ性と、集合体的な要素はアイ・ウェイウェイの特徴じゃないかな。

この作品とかスマートな感じですが、2000年に行われた上海ヴィエンナーレでは人間の遺体を使った作品で物議を醸して名が広まったようです。見た目は穏やかそうな顔をしているけど過激な部分もあったりします。

アイ・ウェイウェイ 「1杯の真珠」
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こちらは 2006年の人工真珠を使った作品。これだけ真珠があると有り難みが無いと言うか… 本人の言葉を要約すると、「クラフトマンシップを極めると手仕事の単なる技術にとどまらず 素材の本質そのものを追い求めることであって、我々の物の見方はそれによって変化する」といった趣旨を述べています。確かにモノの価値というのも絶対ではないですね。

アイ・ウェイウェイ 「茶の家」
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こちらは2009年の作品。プーアル茶を凝縮して作った家で、近づくと匂いもしますw ちょっとシュールですが、中国ではプーアル茶を圧縮して売ってたりするそうなので、中国人としてのアイデンティティを感じさせます。

ちなみにアイ・ウェイウェイは父も母も詩人で、アイ・ウェイウェイが幼かった文化大革命の時期に父親が中国共産党から除名され新疆ウイグルなどに強制送還されています。そこで16年過ごしていて、1976年に解放されて北京に戻っています。北京では北京映像大学に入ってアニメーションを学んでいたというのがちょっと意外。そこで前衛芸術の「星星画会」の創設メンバーとなりましたが 中国当局の圧力を受けて活動停止に追い込まれ、アメリカへと移りました。 …と、権力に従わないアーティストに育った原動力が伺えるプロフィールです。

アイ・ウェイウェイ 「中国の丸太」
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こちらは中国の伝統的な組木の技法を用いた作品です。釘を1つも使わずに8本の柱が組み合っていて、真ん中の空洞は中国の地図になっています。隙間なくくっついていてまるで1本の丸太みたいです。少年時代にはアイ・ウェイウェイは薪木を積み上げて、その美しさが評判だったという話もあるようなので、そこからの発想でしょうか。こちらも素材の本質を生かした匠の技など、中国人として中国文化を愛しているのではないかと思えます。

アイ・ウェイウェイ 「フォーエバー」
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これは2003年の作品で、中国の永久社という会社の自転車42台を解体してくっつけたものです。自転車のレディメイドと言えばマルセル・デュシャンを思い起こすので、オマージュ的な要素もあるのかな? 輪になっているのは自転車の思い出は「永久」に巡るという意味もあるそうです。かつては自転車社会だった中国も今では日本以上に自動車大国になりましたね。中国の人々の自転車の思い出は永久に残るんでしょうか…。

アイ・ウェイウェイのアメリカ時代はデュシャンやアンディ・ウォーホルなどのレディメイドを学んでいたようで、パフォーマンスアートやコンセプチュアル・アートを制作しいくつかの大学にも在籍して12年ほど滞在しています。1993年に父の病気で中国へと帰国し、先述の2000年の上海ヴィエンナーレで「不合作方式 ファック・オフ」という展示で名を広めました。

アイ・ウェイウェイ 「蛇の天井」
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こちらは2009年の作品で、約1000個もの布製の中国版ランドセルを使って蛇を表しています。これは2008年の四川地震で犠牲になった子供への鎮魂の意味を込めたもので、アイ・ウェイウェイは中国当局が震災の被害状況を公表しなかったので自分のブログを通して被害の実態調査まで行っています。その結果、ブログは削除され現地調査中に警官に殴打されて脳内出血を起こしました。それでも当局の責任を問おうとしたりしていましたが、2010年に自宅に軟禁され、2011年にはスタジオに捜索が入り経済犯として逮捕され脱税容疑がかけられました。
これを展示した時は正にそうした時期の始まりだったのかと思うと、一層に重要な作品になったのではないでしょうか。

アイ・ウェイウェイ 「河の蟹(協調)」
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こちらは2011年の作品。このカニは中国語で調和・強調という意味と、ネット上の検閲の隠語との同音異義語とのことです。2011年にアイ・ウェイウェイに脱税容疑がかけられた時には微博で「艾未未」を検索しても「関連法規および政策に基づき、検索結果は表示しません」と出たそうなので、ちょうどその頃ではないかと思います。見た目はちょっと可愛らしいのに凄い反骨精神というか、ここまで命がけのアーティストが現代にもいるのか?と驚きますね。

アイ・ウェイウェイ 「Reframe」
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こちらはドイツ滞在時代の2016年の作品で横浜トリエンナーレのメイン会場を窓のように飾っていました。これはアイ・ウェイウェイがドイツに住むようになってから大きな問題になった難民問題に関するもので、実際に難民たちに使われた品で作られているそうです。この時の横浜トリエンナーレのコンセプトが「[接続]と[孤立]をテーマに、世界のいまを考える」だったので、非常にマッチしていました。

なお、アイ・ウェイウェイはドイツについて「開かれた社会でない」と批判して2019年にイギリスへと去っています。「ドイツは開かれた社会でいようとしているが、自己弁護の傾向がある。ドイツ的文化が強過ぎ、真の意味で他の考えや議論を受け入れない」と指摘し、タクシーの乗車拒否などの抗議を「文化的違い」と否定されたことなどを挙げているようです。
 参考リンク:https://www.jiji.com/jc/article?k=2019080901198&g=int

アイ・ウェイウェイ 「安全な通行」
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こちらも2016年の作品で、およそ800のライフジャケットで出来ています。中東や北アフリカから地中海を渡ろうとして漂着した難民たちが実際に着用していたもので、生々しい現実を叩きつけてきます。こうして観るとアイ・ウェイウェイは単なる反中国なのではなく、世の中の欺瞞や抑圧に怒っているんでしょうね。


ということで、現代にこれほどハードなアーティストがいるのかという感じの人物です。昨今の香港のニュースを観ていてアイ・ウェイウェイを思い出したのですが、2019年にはデモの様子を記録するため研究者チームを香港に派遣し、それを作品に使う予定とのことです。ちょっと日本の感覚では測れない命がけのアートですね。

 参考記事:
  アイ・ウェイウェイ展 何に因って? (森美術館)
  ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス (横浜美術館)
  ヤン フードン-将軍的微笑 (原美術館)
  MOMコレクション005 リサイクル&ビルド(森美術館)


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《岡本太郎》  作者別紹介

今日は作者別紹介で日本で最も有名な芸術家の1人である岡本太郎について取り上げます。岡本太郎は漫画家の父 一平と歌人・小説家の母 かの子の間に生まれ、東京美術学校に入学しましたが半年で中退してしまい その後10年間をパリで過ごします。そこでピカソの作品に出会い衝撃を受けてそれを模倣するのではなく、乗り越えなければならないと考えました。抽象画のグループやシュルレアリスム展に参加したものの飽き足らず、さらにパリ大学で弁証法や民族学を学んでいました。この芸術に関係なさそうな学問を学んだことが戦後の「対極主義」や縄文土器、密教などへの傾倒への下地となっていきます。抽象絵画とシュルレアリスム、有機的な形態と無機的な形態、大胆な補色関係の色使い、静と動 など、対極的なものをあえてぶつかり合わせ、その不協和音のエネルギーを表現に用いていき「今日の芸術はうまくあってはいけない、綺麗であってはならない、心地良くあってあいけない」と語っていました。今日はそんな岡本太郎のパワフルな作品を過去の展示などの写真を使ってご紹介していこうと思います。

こちらは本人像。昔はテレビなどでもよく観たので馴染みがある方も多いのでは。
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1940年にフランスから帰国し、兵役と抑留を経て1946年から芸術活動を再開しました。多くの作品は戦後のものですね。

こちらは敬愛するピカソとの写真。
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ピカソも岡本太郎に好意を持っていてアトリエにも招かれています。しかしピカソのキュビスムをそのまま真似るようなことはせずに自分の道を切り開いたのが凄い所です。

岡本太郎 「夜明け」
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こちらは帰国後に活動再開して間もない1948年頃の作品。一見、訳が分からない絵ですが、しばらくじっと観ていると、左の方に髪の長い人らしき姿や、中央に上に向かって吼えている犬のような獣などが見えてきます。まさに不協和音でドギツイような色彩感覚が不穏さを感じさせます。

岡本太郎 「犬」
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こちらは1954年の作品。絵に比べると何だか素朴w 背中が植木鉢になっていて、自然と一体化するような作品となっています。岡本太郎は帰国後、「わび・さび・しぶみ」といった日本美を「消極的でくすんでいる」と批判したそうで、「伝統とはその時代その時代の前衛であり、その過去を乗り越えることで新しい伝統を生み出す」と述べていたそうです。一方、縄文土器などにもう1つの伝統の可能性を見出していたようで、こうした立体作品には縄文土器に通じるものを感じます。

岡本太郎 「燃える人」
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こちらは1955年の作品で、1954年の第五福竜丸の被爆事件に着想を得ています。左下辺りに船があって、顔が付いているような船もあります。激しい色のぶつかり合いは以前よりも明るく、叫ぶような勢いです。タイトルも恐ろしくてまるで地獄の様相に思えます。
なお、渋谷駅にある代表作「明日の神話」も第五福竜丸の被爆をテーマにしています。核兵器の恐ろしさを伝え、悲劇を戒める大作はピカソの「ゲルニカ」が念頭にあったのかもしれませんね。

岡本太郎 「宇宙人東京に現る」(デザイン)
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こちらは1956年の映画の宇宙人のデザインです。目のついたヒトデか?と思ってしまいますが、原子核をイメージしたものです。

岡本太郎の作品はあまり美術館で見かけないのですが、彼は自分の作品はほとんど売り渡さなかったそうです。これは、個人に渡るとその人だけのものとなると考えたためのようで、同じ考えから1950年頃からパブリックアートへの関心を持ったようです。生活の中の家具や食器、時計などへの芸術の導入も積極的に行い、映画や舞台、著述、テレビ、CMなど多方面に進出しました。

年代はバラバラですがこんな感じで「手の椅子」「坐ることを拒否する椅子」など椅子も多く作っています。
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「坐ることを拒否する椅子」は実際に座るとゴツゴツしていてお尻が痛くなりますw その痛みが生の証と言うことで、岡本太郎ならではの発想が面白い。

岡本太郎 「午後の日」
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こちらは1967年の作品。何かを夢想している感じが非常に可愛くて人気です。岡本太郎の墓碑にもなっているようで、どこか子供のような純真さがある岡本太郎の分身みたいに思えます。

岡本太郎 「豊饒の神話」 ※手前は「坐ることを拒否する椅子」
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こちらは1968年頃の作品。岡本太郎はメキシコシティに建設するホテルから依頼され、「明日の神話」(現在の渋谷駅にある壁画)を制作し、さらにホテルの大食堂のための壁画を依頼されました。しかし、ホテル建設は計画通りには行かずに壁画は作成されず この原画だけが残りました。かなり横長でこの写真に収まりきれていないですが、これが完成していたら代表作の1つになっていたのは間違いないでしょうね。

岡本太郎 「太陽の塔」 (模型)
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こちらは1970年の大阪万博のために作られた塔の模型です。岡本太郎で一番有名なのはやはりこの作品でしょうか。大阪万博のテーマは「進歩と調和」だったのですが、プロデューサーとなった岡本太郎は「人間的には進歩なんてしていない。機械の奴隷になっている。ぶつかり合うのが調和である」と反対し「べらぼうなもの」を作ると言って70mもの巨大な塔を建てました。丹下健三の設計した大屋根をぶち抜いてそびえ立つ様子はまさに べらぼうだったでしょうねw 不協和音を良しとしていた人だけにこの結果は当然だったのかも。ちなみに2つの顔の上は未来を象徴する「黄金の顔」、下は現在を象徴する「太陽の顔」で、背面には過去を象徴する「黒い太陽」が描かれています。内部に入れるようになっていて、中は次にご紹介する「生命の樹」となっています。

岡本太郎 「生命の樹」
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こちらが「太陽の塔」の内部のイメージ。万博閉幕以降 長年入れなかったものの、2018年から太陽の塔の中も見学することが出来るようになりました。生命の進化を表していて、サンゴや恐竜のようなものなども見受けられて系統樹を彷彿とさせます。実際にはかなり大きくて胎内のような雰囲気もあるらしいのでいつか見に行きたい作品です。

岡本太郎 「花びらの椅子」
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こちらは1970年の作品。岡本太郎はこういうポップで生命力を感じさせる作品も多いように思えます。形も良いですが、このプラスティックのツヤツヤした質感も可愛らしい。

1981年にはピアノを弾いて「芸術は爆発だ」と言うマクセルのCMも流されて、このイメージも強いかな。

岡本太郎 「リョウラン」
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こちらは1989年の作品。岡本太郎の母で歌人の岡本かの子の代表作に、「金魚繚乱」という作品があり、これはそのオマージュでしょうか。らんちゅうなどの金魚を思い起こします。一方で土偶のようにも思えるのが岡本太郎らしい作風に思えます。


ということで、非常に個性的で常人には思いつかない発想の作風となっています。それでいて親しみが湧くところもあって、今でも愛され続けるアーティストです。表参道の岡本太郎記念館と向ヶ丘遊園の川崎市岡本太郎美術館で常設されているので、詳しく知りたい方はこの2館を訪れてみると良いかと思います。

参考記事:
  生誕100年 岡本太郎展 (東京国立近代美術館)
  岡本太郎の50年 (岡本太郎記念館)
  生命の樹 (岡本太郎記念館)
  顔は宇宙だ。 (PARCO FACTORY パルコファクトリー)


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《ル・コルビュジエ》  作者別紹介

今日は作者別紹介で スイス生まれの近代フランスの画家であり建築家であるル・コルビュジエについて取り上げます。上野の国立西洋美術館が2016年に世界遺産に登録され、日本でもすっかり有名になった感じがしますがル・コルビュジエはペンネームで本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレといいます。キュビスムを無秩序な芸術と批判し、科学的精神によって普遍的な物の表現を目指す新しい芸術「ピュリスム」をオザンファンと創始して、1920年には方法と様式を確立し、その秋には雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』の中でペンネームを使いはじめ建築論を発表していきました。幾何学性、規整線、黄金比、輪郭の重なり、連続性など絵画で培った理論は建築にも応用され、後に「近代建築の五原則」を提唱していくことになります。今日は主に建築物の模型や実物の写真を使ってご紹介していこうと思います。

こちらは作品名を忘れましたが、ピュリスムの絵画作品。ル・コルビュジエの絵画作品は全面的に撮影禁止なので看板の写真ですw
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静物がかなり複雑に絡み合っていて、どこからどこまでというのが明確でないものもあります。ピュリスム初期の画風と比べると透明感があり、軽やかなリズムとハーモニーを奏でるような雰囲気です。ピュリスム後期の特徴は、モティーフを平面で捉えることで、重なり合う部分は透明か輪郭線が重なって前後が曖昧となり、連続した繋がりになっています。これはル・コルビュジエとしての建築設計にも生かされていて、重なり合う空間として閉じられていな空間が連続することで空間の変化を生んでいるようです。こうした画風や考えが変わって行ったことで盟友のオザンファンとの意見の相違が大きくなって行きました。

雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』の建築の連載を通じてジャンヌレは建築家ル・コルビュジエとしての顔を世に示して行き、休刊を挟み1923年に再開されると、その2年後に開催が予定されたパリ国際装飾芸術博覧会に焦点を定め、装飾芸術論と都市計画論の連載を発表していきました。そして、それは1925年にパビリオンとしてエスプリ・ヌーヴォー館によって具体的に示され、規格化し大量生産の原則に基づく近代的な生活環境を提示しました。その成功で建築家ル・コルビュジエの知名度は格段に広まり重要な注文を引き受けることになりますが、一方でオザンファンとの関係は修復不能となりピュリスム運動は1925年に終焉しました。

ル・コルビュジエ 「イムーブル=ヴィラ」 1/100模型 ※模型:東京理科大学アルカディア自由ゼミナール(当時)
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こちらは1925年の「ヴォワザン計画」という自動車社会に対応した都市計画の中の1つで、大型の集合住宅となっています。特徴としては空中庭園と呼ばれる各部屋のテラス、中央に公園やテニスコートがあるといった点で、住宅やオフィスを高層化することで都市の中に緑地や公園をもっと増やせると考えていたようです。幾何学的で後でご紹介するユニテ・ダビタシオンに似ているように思います。

なお、前述の通りル・コルビュジエは「近代建築の五原則」を提唱していて、その5つは
 1.ピロティ(1階に柱だけの空間を設けている場所)
 2.屋上庭園
 3.自由な平面
 4.水平連続窓
 5.自由な立面
となります。これは1927年のヴァイセンホフ・ジードルンクの近代住宅建築展で「新しい建築の5つの要点」として発表されたもので、ル・コルビュジエを知る上で重要な特徴となります。

ル・コルビュジエ 「画家オザンファンのアトリエ・住宅」 1/30模型  ※模型:横浜国立大学工学部建築学科 山田研究室(当時)
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こちらは1924年の作品で、オザンファンとの決別直前くらいかな。パリで初めて実現した建物です。芸術にも普遍的な規則が必要と考え、幾何学的な美しさを追求し装飾性のないデザインとなっています。水平連続窓の特徴もよく出てますね。

ル・コルビュジエ 「スタイン=ド・モンヅィ邸」 1/30模型 ※模型:芝浦工業大学工学部建築工学科 三宅研究室(当時)
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こちらは1926~1927年頃の作品。これもパリにある建物で、ル・コルビュジエの特徴というとこの建物などを思い浮かべるかな。あまり知らなかった頃はル・コルビュジエの設計は割と身近にありそうな感じじゃないか?と思ったものですが、それはル・コルビュジエの影響力の強さの表れでしょうねw

ちなみに1920年代後半にル・コルビュジエの絵画は大きく変革していて、静物のモチーフは不規則な形に変形され、画面に動きが感じられるようになっていきました。さらに、1930年代に入ると骨、石、貝殻、木の枝などの小さな自然物を着想源として、異質なもの同士を非現実的な空間の中で組み合わせたコンポジションが描かれ、親しい関係にあったフェルナン・レジェの影響も指摘されます。有機的な構造に関心が向いたようですね。また、1930年代末から40年代前半にかけての第二次大戦の時代は、ル・コルビュジエにとっても厳しい現実だったようで、1940年にパリの事務所を閉めてピレネー山麓のオゾンという村に疎開しています。そして第二次世界大戦の末期には「諸芸術の総合」を提唱し、荒廃した社会の再建のために調和の必要性を訴えていきました。

ル・コルビュジエ 「休暇小屋」
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こちらは戦後の1952年の作品。写真の写真ですが、重要な建物なので。 この休暇小屋は南仏のカプ・マルタンにあり、後半生はここで多くの時間を過ごしました。すぐ裏にはアイリーン・グレイが建てた「E.1027」があって、彼女の才能に嫉妬しつつ上がりこんで勝手に絵を描いたりしましたw 妻の誕生日プレゼントとしてこの小屋をわずか45分で設計したそうですが、「E.1027」に行きたくて作ったのでは…w なお、ル・コルビュジエはこの家の近くで海水浴中に心臓発作を亡くなっています。

ル・コルビュジエ 「ラ・シテ・ラディユーズ(ユニテ・ダビタシオン)」
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こちらは1952年の作品。マルセイユにあり、ここも世界遺産になっていて現役のアパルトマンとして今も住民が住んでいます。ラ・シテ・ラディユーズとは「輝く都市」という意味でフランスではこのように呼ばれていますが、ユニテ・ダビタシオン(集合住宅)という呼び名の方で世界遺産には登録されているようです。

中に入るとこんな感じ。337戸(1600人)もの世帯が入れます。ル・コルビュジエの最高傑作と言う人もいるほどの建物です。
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建物の中には本屋、パン屋、郵便局、幼稚園、ホテルなどもあり、まさに1つの町となっています。

ル・コルビュジエの建築で欠かせないのがこの「モデュロール」 ユニテはル・コルビュジエの建物の中でも最も厳格に「モデュロール」を守っているようです。
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「モデュロール」は人の身体と黄金比を元に寸法していく手法で、基準である身長183cmの人が手を伸ばすと296cmになるというように人体工学を取り入れた設計となっています。

こちらは屋上庭園。近代建築の五原則もバッチリ守っています。
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プールがあり、通気孔も屋上の壁に設置されています。どこかピュリスムの絵を思わせる光景ですね。

最後に一番馴染みのある国立西洋美術館を。

ル・コルビュジエ 「国立西洋美術館」
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こちらは1959年の作品です。敷地を現在の4倍くらい使う構想を立てていて、美術館だけでなく劇場とかも構想に入れて複合的な文化施設を目指していました。「無限成長美術館」というコンセプトで四角い螺旋状になっていたりピロティやスロープなどが特徴です。国立西洋美術館に行く機会があったら、常設を見ながら建物も是非じっくり観てみると発見があると思います。

ということで、ル・コルビュジエは非常に奥深いので語りきれるものではないですが絵画と建築の両面を知ると一層面白いと思います。国立西洋美術館も代表作なので足を運べばル・コルビュジエの建築思想に触れられるかな。世界各地の建築巡りもいつかは行ってみたい所ばかりです。


 参考記事:
  ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代 感想前編(国立西洋美術館)
  ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代 感想後編(国立西洋美術館)
  ル・コルビュジエと20世紀美術 感想前編(国立西洋美術館)
  ル・コルビュジエと20世紀美術 感想後編(国立西洋美術館)
  ル・コルビュジエと国立西洋美術館 (国立西洋美術館)
  ル・コルビュジエ 「ラ・シテ・ラディユーズ(ユニテ・ダビタシオン)」 【南仏編 マルセイユ】
  映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」(ネタバレあり)


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《安井曾太郎》  作者別紹介

今日は作者別紹介で日本の近代洋画の巨匠の安井曾太郎について取り上げます。安井曾太郎は京都で生まれ、早くから画家を志し15歳から聖護院洋画研究所(関西美術院)で浅井忠らに師事して絵を学び始めました。さらに1907年には渡仏し名門のアカデミー・ジュリアンに学んでいますが、渡欧する際にそれ以前の初期の作品は自らほとんど焼いてしまったようです。また、フランスでは特にセザンヌに傾倒し影響を強く受けていますが、これが後に呪縛となってスランプに陥ります。1914年になると第一次世界大戦が勃発した上 健康も悪化したので日本に帰国しました。翌年の二科展には滞欧作44点を特別陳列して会員に推挙されるなど割と順風満帆な出だしでした。しかし、そこから約15年ほど健康不安と模索の時期が続き、低迷期とされています。そして1930年代頃から画風を確立し、特に肖像画などで高い評価を得ていきました。今日はそんな安井曾太郎の過去の展示の写真を使ってご紹介していこうと思います。

安井曾太郎 「春の家」
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こちらは1911年の作品なので留学中の頃のかな。後の時代の画風とだいぶ違って印象派的な画風に思えます。手を繋いだ親子らしき姿など、全体的に幸福感があって光も暖かく感じられますね。何しろ古い作品は焼いてしまったので、貴重な初期作品です。

安井曾太郎 「水浴裸婦」
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こちらは1914年の作品。ちょうど留学から帰って来る頃で、とってもセザンヌっぽい雰囲気が漂います。裸婦の描き方はルノワールっぽいし、割と直接的な影響が見受けられます。裸婦の配置が三角になってるのもセザンヌからの影響と思います。

と、こんな感じでセザンヌのあまりの偉大さにどっぷり浸かって、フランスと日本の風土の違いなどもあって長いスランプに陥ってしまいました。このままではただのモノマネ画家ですが、1930年代に入ると色彩豊かで形態を単純化した独自の画風を切り開き、傑作を生み出すようになりました。

安井曾太郎 「奥入瀬の渓流」
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こちらは1933年の作品。画風がめちゃくちゃ変わりましたw 単純化や強調が行われているのは一目瞭然ですが、写実的かつ生き生きとした雰囲気となっています。色が明るく筆使いも滑らかなので、渓谷の清涼感が伝わってきます。

安井曾太郎 「金蓉」
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こちらは1934年の作品で、安井曾太郎の最も重要な代表作です。流れるような構図が見事で、これはセザンヌを学んだ成果と思われますが かつてのようにモノマネではなく独自性を感じます。モデルの女性は上海総領事の令嬢の小田切峰子で、当時は時代を象徴する女性として有名だったそうです。これも単純化しているのに写実的で、気品が漂っていますね。まさに傑作中の傑作です。

この後、1935年には帝国美術院会員になり、1936年には有島生馬や石井柏亭と共に一水会を創立しています。この頃から一気に巨匠へと駆け上って行った感じですね。

安井曾太郎 「深井英五氏像」
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こちらは1937年の作品で、モデルは第13代日本銀行総裁の深井英五です。写実的でありながら明るい色彩で、斜めに配置された構図も面白い。ちょっと身を捻って右をチラっと観ていて、あえて崩れた感じにしているのかも。

安井曾太郎 「松原氏像」
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こちらは1937~44年頃の作品。こちらもやや斜めになっていて、背景の窓枠も斜めになってます。これが真正面だったら面白くないので、絶妙なバランスですね。ネクタイもジグザグになってるし、形態の追求ぶりは流石です。

安井曾太郎 「F夫人像」
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こちらは1939年の作品。これはポスターの写真しかありませんでした… この絵も簡略化と誇張(特にスカーフのあたりとか)があり、流れを感じます。ちょっと斜に構えるのが安井曾太郎の肖像の特徴かもw ちなみにこの絵の依頼主はわざと描きにくいストライプの服を着させて、安井曾太郎に描かせたそうです。服のヒダに比べるとストライプは控えめな色に仕上がってます。

安井曽太郎 「安倍能成像」
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こちらは大戦末期の1944年の作品。口が歪んでいてちょっと独特の表情をしているのが面白い。誰かと話しているのでしょうか?? 人となりまで感じられます。また、注目は背景で 平面的かつやけに斜めになっています。キュビスムみたいな感じにも思えますが、それがこの絵のバランスを生んでいて、凄い構図です。
なお、この安倍能成氏を描いた作品は何枚かあって、一気に観ると親密ぶりが伝わってきます。

この絵を描いた1944年には東京美術学校教授になり帝室技芸員にもなりました。低迷期が15年、そこから15年で栄光の頂点に。

安井曾太郎 「秋の城山」
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こちらは亡くなった1955年の作品で絶筆です。セザンヌがよく描いたサント・ヴィクトワール山をナビ派のように描いた感じに観えるかな。最後までセザンヌを敬愛していたんでしょうね。晩年とは思えないほど明るく大胆な色彩です。


と言うことで東京国立近代美術館の所蔵品を中心に安井曾太郎を振り返ってみました。苦労の末に自分の表現を見つけて巨匠となっていったのが作品からも読み取れると思います。最近は大きな個展が開かれていませんが、他にも魅力的な作品は多いので また一気に観られる機会を心待ちにしている画家です。

 参考記事:安井曾太郎の肖像画 (ブリヂストン美術館)




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《アンリ・ルソー》  作者別紹介

今日は作者別紹介で19世紀末から20世紀にかけて活動したフランスの画家アンリ・ルソーを取り上げます。絵画の世界のみならず芸術の世界では「上手い」ことが大きな評価要素となっていますが、このアンリ・ルソーによって上手さよりも個性や革新性が重要視される時代へと変わったと言っても過言ではないと思います。と言っても当時は価値を理解する人は少なく、ピカソやアポリネールなどの洗濯船のメンバーらが広めなかったら埋もれていた可能性は高そうです。ヘタウマで妙に心惹かれる… そんな偉大な日曜画家の作品を過去の展示の写真を使ってご紹介していこうと思います。

アンリ・ルソー 「サン=ニコラ河岸から見たシテ島(夕暮れ)」
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いきなり看板の写真しかありませんでしたが、こちらは1887~88年頃の作品。ルソーは税関の職員をやりながら絵を描く日曜画家で、最初期の作品は35歳頃で1884年の40歳頃から本格的に絵に取り組んだと言われています。この絵は40代半ばくらいの作品なのでまだ税関で働いていた時期かな。一応、遠近感があるようで物の大きさがチグハグだったり人が人形のように見えたりして「子供の絵みたい」と批評されたのも致し方ないように思えます。原題ではシテ島ではなくサン・ルイ島なのですが、実際にはサン=ニコラ河岸からはサン・ルイ島は見えないようで、ルソーには多くの勘違いや「天然ボケ」みたいな所があります。全く売れないのに本気で自分を当代きっての大画家と思ってたようだし 傍から見たら奇人変人ですが、それが良いw 独学で身につけた画風なので、同時代の画家とは全く異なる個性を見せています。あながち下手というわけでもなく、滑らかで平面的なタッチが独特の寂寞とした叙情性を持っているように思えます。

なお、ルソーはスーラやシニャックが開いたサロン・デ・アンデパンダン展に出品していたものの、当時は失笑されたり リサイクル可能なキャンバスとして絵が売られていたような扱いでした。それでも全くめげない鋼のメンタルも凄いw

アンリ・ルソー 「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」
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こちらは1896~1898年の作品。エッフェル塔は1889年に作られ、トロカデロ宮殿は1878年のパリ万博の主会場として作られましたが1937年に取り壊されました。この頃にはルソーは絵に専念するために税関は辞めていて、大作や代表作が多く作られています。歪んだエッフェル塔やそれを観る人など、やはり「素朴」な表現ではありますが 夕暮れ時のしみじみした心持ちがよく表れているように思えます。観ていてホッとするようなユルさもルソーの魅力かな。

アンリ・ルソー 「婚礼」
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こちらは1905年の作品。結婚式の集合写真みたいな感じで、後列の右から2人目がルソー本人と言われています。この絵も妙な所があって、花嫁が宙を浮いていたり左のおじいさんの座り方が浅いのか立っているのかよく分かりません。こうした奇妙さはシュルレアリスムの先駆けとも言えるものですが、恐らく計算して描いたものじゃないでしょうねw ルソーを始めとした素朴派と呼ばれる画家の特徴として、それぞれのモチーフが正面向きで、1つ1つは丁寧に描かれています。一方で全体のバランスや辻褄が合わないのでコラージュのように観えたり平面的に観えたりします。どういう描き方をしてたか分かりませんが、伝統的な遠近法を学んでいたらこんな個性は生まれかったと思います。

ルソーは他にも赤ん坊のお祝いなど人の為に描いた作品がいくつかありますが、広く世間の理解を得ていたわけではありませんでした。しかし、1906年頃に画家ドローネや批評家ウーデと知り合い、ピカソや画商ヴォラールなどとも知己を得ていくなど少しだけ状況が変わっていきます。1908年にピカソが古物商から買ったルソーの絵はたった5フランだった… という話があり、恐らく絵ではなく再利用可能なキャンバスとしての値段でしょうね。やがてピカソやアポリネールの「洗濯船」のメンバーらの絶賛を受けて、「アンリ・ルソーの夕べ」という夜会が開催されました。(からかい半分みたいな) 一方、ルソーはピカソに「我々2人はこの時代の最も偉大な画家なのだよ。君はエジプト的ジャンルにおいて。私は現代的ジャンルにおいて」と言ったそうで、ピカソのことを認めていたようです。エジプト的ってのはキュビスムのことでしょうかね?w

アンリ・ルソー 「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」」
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こちらは1905~06年の作品。アンデパンダン展は無審査で誰でも出せる展覧会のことです。天使、ライオン、画家たちなどが描かれていて、この絵の中にもルソー本人が描かれています(ライオンの手前の2人の右側) もちろん実際の光景ではなく天使もライオンも寓意ではありますが、空が広く伸びやかで開放的な雰囲気がアンデパンダン展の気風を表しているように思えます。

なお、ルソーはアンデパンダン展には毎年参加し、官展(サロン)にも応募していたようです。しかし現存作品は世界でも二百数十点しかないらしく、日本には二十数点程度しかないのだとか。

アンリ・ルソー 「蛇使いの女」
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こちらは1907年の代表作です。良い写真が無くてすみません。ここまで奇妙だとか素朴だとか言ってきましたが、この絵はそれがガッチリ噛み合って幻想的な雰囲気を出しています。特に真っ黒な女性の姿が神秘的で、楽園や原始をイメージさせます。生い茂る草も何か分からないけど南国の植物のような生命力を感じるかな。ルソーは実際に南国に行ったことは無く、植物園や万博、絵入りの図鑑などを参考に南国の絵を描いているのですが、それが上手く想像力と結びついたのがこの作品だと思います。

南国への憧れというとゴーギャンを思い出しますが、ゴーギャンもルソーを評価していた数少ない画家の1人です。この2人はパリで2年ほど交流があったようで、特に友情に発展することはなかったのですが、お互いの絵を鑑賞していました。ゴーギャンはルソーに対し「彼の黒色は真似できない」と評価し、ルソーはゴーギャンを「パレットの騎士」と呼んでいたらしくお互いに敬意を表したようです。しかし、ゴーギャンはルソーに「大統領が夕食会に招いているぞ」と嘘を言ってからかったりもしていたようですw

アンリ・ルソー 「エデンの園のエヴァ」
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こちらは1906~1910年頃の作品。こちらはストレートに原始をテーマにしていて、やはり南国的な雰囲気となっています。ちょっと異様なほどに生い茂っていますが、全体的には静けさと無垢な印象を受けるのが不思議です。この持ち味はアカデミックな画家には出せなかったでしょうね。

ルソーの絵は日本にも大きな影響を与えていて、岡鹿之助によって日本に紹介されています。岡鹿之助の絵を観ると如何に傾倒していたのかよくわかります。また、藤田嗣治はピカソのアトリエでルソーの「女の肖像」を観て衝撃を受けたそうで、「絵画は自由であるべき。自分のは先生の模倣である」と気が付いたそうです。ルソーは優等生の時代から個性派の時代への決定打みたいなものですね。

アンリ・ルソー 「ジュニエ爺さんの馬車」
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こちらは1908年の作品。1910年に亡くなるので晩年の代表作となります。馬は割としっかり描かれていますが、その前にいるのは何と犬です。まるでネズミみたいな…w 馬車の人もみんなこちら向きだったり 小人みたいな女の子がいたりと ツッコミどころ満載ですw しかしどこか懐かしいような感覚があり、妙に心ひかれます。タイトルのジュニエ爺さんはルソーの近所の雑貨商で 毎朝の荷馬車での買い出しに出かけているところのようです。一緒に乗っているのは夫妻と子供で、黄色い帽子の人物はルソー自身なのだとか。ルソーの不思議な魅力が詰まった一枚です。

ちなみにルソーは作曲したり喜劇を著したりもしています。喜劇を劇場に持ち込んで上演してもらおうとしたものの断られたり、割と絵画と同じようなパターンw この謎の自信で己の道を突き進んだのが良い結果になったんでしょうね。


ということで、ルソーは自分で言っていたように偉大な画家として歴史に残りました。運が良かったというのもあると思いますが、それまでの常識を打ち破るような自由さをピカソたちは感じたのだと思います。現代では大人気で、素朴ゆえに誰からも好かれるのかもしれません。まさに天然の天才画家ですね。

 参考記事:
  アンリ・ルソー パリの空の下で ルソーとその仲間たち (ポーラ美術館)


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