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《ユベール・ロベール》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀半ばから19世紀初頭に活躍し「廃墟のロベール」や「庭園のロベール」と呼ばれたフランスの画家ユベール・ロベールを取り上げます。ユベール・ロベールは若い頃にイタリアで修行し、遺跡などを実際に目にして描いていました。折しもイタリアではポンペイやヘルクラネウムの遺跡発掘に沸いていたこともあり、古代遺跡への世間の関心も高かったようです。帰国してからもイタリアで観た遺跡を自在に組み合わせて描き 高い評価を得ていました。また、ルイ16世の命を受け庭園の制作に携わり、その方面でも功績を上げています。フランス革命の際には死刑判決を受けましたが、運良く釈放されその後はルーヴル美術館の設立に関わり委員会に参加しました。こうした功績のためかフランスではあちこちの美術館で観ることができることができる画家です。日本ではそれほど知名度は高くないとは思いますが、2012年の国立西洋美術館での大規模展示や廃墟をテーマにした展示で観る機会が増えてきたように感じます。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


ユベール・ロベールは1733年に公爵の侍従の息子としてパリで生まれました。最初は彫刻を学んだようですが画家に転向し、1754年に公爵の息子がイタリアに大使として赴任した際に随行して、ローマで11年間を過ごします。

ユベール・ロベール 「La Blanchisserie」
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こちらは1758~1759年頃のイタリア時代の作品。ちょっと何を題材にしているか分かりませんが、この後ご紹介する作品と比べるとだいぶ作風が異なって観えます。何かの物語だと思うけど身振りが大きくドラマチックな雰囲気で、明暗も強めに感じます。

ロベールはフランスの国費留学生たちとともに、フランス・アカデミーでの寄宿と勉強が許され、絵画を学びました。クロード・ロランやジョヴァンニ・パオロ・パニーニ、ピラネージなどから影響を受けているようです。

ユベール・ロベール 「Troupeau dans la grotte de pausilippe」
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こちらもイタリア時代の1760年の作品で、日本語にすると「ポジリッポの洞窟の中の群れ」でしょうか。ポジリッポはナポリの景勝地で、1760年代のナポリ周辺では重要な考古学的発見が続いていました。薄暗く神秘的で ちょっと象徴主義のような雰囲気すらあります。こうした神秘性はこの後のロベールのテーマになっていったように思えます。

イタリア時代のロベールは、古代遺跡や教会建築ばかりではなく、郊外で半ば打ち捨てられた16~17世紀のヴィラ(上流階級の邸宅)の庭園なども重要なモティーフだったようです。仲間たちとともにローマから足を伸ばしてイタリア各地でスケッチをしたそうで、ロココの巨匠のジャン=オノレ・フラゴナールと連れ立ってローマ近郊の景勝地でスケッチしたこともあったようです。2人は主題や様式も近くしばしば混同されることもあったのだとかw

ユベール・ロベール 「Ruines romaines,le Forum avec le Colisee et l'Obelisque」
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こちらは1765年の作品。ローマ遺跡のコロッセオとオベリスクを描いています。美しく理想化されたような世界で、人々がのんびりしている様子も観られます。ユベール・ロベールの特徴が詰まったような感じかな。ではこれは何処か?となると恐らく建物を組み合わせて描いているのだと思います。一見緻密で写実的に思えますが、実景には拘っていなかったようで、奇想画(カプリッチョ)などと呼ばれることもあります。

11年間のイタリア滞在の後、ロベールは1765年にフランスに帰国し、翌年には王立絵画彫刻アカデミーへの入会を許されました。イタリアでの修行の成果を発表してサロンでも成功を収めるなど順風満帆な画家生活だったようで、ルーブル宮の中で絵画コレクションの管理などをしながら人気画家の地位を確かにしていきました。

左:ユベール・ロベール 「古代遺物の発見者たち」
右:ユベール・ロベール 「アルカディアの牧人たち」
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左は1765年、右は1789年の作品です。左は暗いトンネル状の遺跡の中を描いていて、火を持った人が蛮族の王の像を照らし遺跡愛好家がそれを眺めています。奥にあるトンネルの入口あたりは明るく、遺跡を眺めている人もいます。外にはピラミッドのような建物も観えるかな。遺跡の中は暗く明暗が強めで神秘的な雰囲気があり、まだ下に続く階段があるようです。これはローマのコロッセオの回廊に着想を得て想像で描いたものなのだとか。
右は古代の理想郷アルカディアを想像して描いたもので、故郷とイタリアの風景を折衷していて奥には渓谷と神殿を描いています。手前には川辺で墓を指さしている子供や女性、羊などが描かれているのですが、この墓はロベールが手がけた哲学者のジャン=ジャック・ルソーの墓を思い起こさせるようです。全体的に明るく神話的な雰囲気の理想郷といった感じですが、墓は理想郷にも死はあるという意味が込められているのだとか。

ロベールはこうしたイタリア時代の思い出の古代遺跡を自在に組み合わせた想像の風景を作り上げ、「廃墟のロベール」と呼ばれました。そこに庶民の生活を描き込むことで風景とのコントラストを生み出すのも特徴となっています。

左:ユベール・ロベール 「Passage d'un troupeau devant le Colisée et l'Arc de Constantin à Roma」
右:ユベール・ロベール 「L'Abereuvoir dans une galerie antique en ruines」
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両方とも1770年の作品。いずれもここまで挙げてきたユベール・ロベールの特徴が見事に詰まった感じかなw 左の絵で門の上に立っている像はタイトルから察するにコンスタンティヌス1世でしょうか。かつてのローマの繁栄と牛を連れた一行ののんびりとした光景が同居する面白い風景です。右の絵も神像の下の泉で休んで牛も水を飲もうとしている様子となっていて、一種の理想郷のような光景です。

大体は幸福な人生だったロベールですが、4人の子供が次々と死ぬという悲劇も味わったそうです。フランス革命もあったし苦労もしてそうですね。

ユベール・ロベール 「サン=ドニ教会の内部」
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こちらは1770~1774年頃の作品で、ゴシック様式の大きな教会の内部を描いています。大きな円柱を中心に、右は奥に続く階段がやや暗めに描かれ、左はガラスの窓から明るい光が差し込んでいる様子となっています。その手前の礼拝堂なども暗めに描かれているなど、陰影が劇的な雰囲気ですね。

ユベール・ロベール 「Le Temple antique」
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こちらは1783~1785年頃の作品で、古代の神殿の内部を描いています。こちらも陰影が強く、円柱の存在が目を引きます。こうした光の使い方もユベール・ロベールの特徴の1つと言えそうです。

ロベールは社交的でラテン語も理解するインテリだったそうです。宮廷で活躍した50代半ばのこの頃が画家として最も輝いていた時期となります。

左:ユベール・ロベール 「モンテ・カヴァッロの巨像と聖堂の見える空想のローマ景観」
右:ユベール・ロベール 「マルクス・アウレリウス騎馬像、トラヤヌス記念柱、神殿の見える空想のローマ景観」
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こちらはいずれも1786年の作品で、国立西洋美術館の所蔵品です。よく新館に向かう通路に対になって展示されているので観たことがある方も多いかも。いずれも実際には別々の場所にある古代の有名なモニュメントが組み合わされていて、実景のようなリアリティを持ちつつ奇想の風景となっています。ユベール・ロベールの名声はロシアにも届いていたようで、1782年と1791年にロシアの女帝エカテリーナから招きを受けています。実際にはロシアには赴くことはなかったようですが、数多くの作品を送っていて この2枚もそうしたロシア貴族の旧蔵品の一部かもしれないと考えられています。

ユベール・ロベールはルイ16世の命で庭園制作も行っています。当時のフランスではそれまでの幾何学式庭園に代わって、「自然らしさ」を求める風景式庭園がイギリスから広まりつつありました。ユベール・ロベールはこの流れの庭園デザインの世界でも名を残していて、まさに絵のような眺めを作り上げ「国王の庭園デザイナー」という称号を得ました。そして1789年頃には画家としても庭園デザイナーとしても絶頂期を迎えます。

参考までにヴェルサイユ宮殿の庭の写真。
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ユベール・ロベールはヴェルサイユ宮殿の再整備計画で庭園の指揮を取っていて、人工の洞窟にアポロンなどの彫像などを置きました。
そんな絶頂期のユベール・ロベールでしたが、1789年にフランス革命が起きて投獄の憂き目にあっています。

ユベール・ロベール 「メレビル庭園の眺め」
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こちらは制作年不詳の作品。ここではメレヴィル庭園という庭園を描いていて、まるで神話の世界のようにも見えます。この庭はフランスで最初期の英国式庭園でロベールが造園を指揮しました。谷間のような岩場に2つの岩が置かれ、その奥には滝があります。そして両岸に渡る木の橋や小屋もあり、その脇には遊んでいる子供の姿も描かれています。奥には神殿風の乳製品加工所もあるそうで、自然と古代を賛美したような造園となっているようです。

なお、この庭園は10年かけて作られたそうです。先に想像で見本の絵を描いて、それを元に造園されると、またその光景を絵に描いていたそうです。しかし、この庭は革命後に廃墟にされて破壊が進んだのだとか


ユベール・ロベール 「Grande galerie en ruinens」
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こちらは1794年の作品。1793年11月に逮捕され10か月間収監されていたので、その直後あたりでしょうか?? 描かれているのは遺跡で、全くブレないw フランス革命の後でも己の芸術を貫いている様子が伺えますね。

ユベール・ロベールは獄中でも50点以上の絵画を描いたようです。中には皿に描いた作品もあり、格子のある通路をたくさんの囚人たち歩く様子を描いた皿を観たことがあります。(これは看守を通じて売り払われイギリスに売れたようです) また、ロベールは処刑寸前の危機的状況だったようですが、その際に別人のロベールが呼ばれて助かったというエピソードもあります。


ユベール・ロベール 「Vue imaginaire de la Grande Galerie du Louvre en ruines」
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こちらは1796年の作品でルーヴル美術館の所蔵品です。この絵もユベール・ロベールらしさが詰まった1枚じゃないかと思います。ユベール・ロベールはアーチの中から景色を覗く構図もよく見受けられますが、これはピラネージからの影響のようです。

釈放後もユベール・ロベールは活動を続け、ルーブル美術館の設立委員会の委員に任命され美術館の装飾の仕事をしています。

ユベール・ロベール 「Le Printemps」
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こちらは晩年の1803年の作品。これも神話の中の風景のように観えますね。若干、画風が変わったようにも思えますが最後までブレない画家でした。1808年75歳で亡くなっています。


ということで、遺跡を組み合わせた廃墟の絵が特徴となっています。廃墟好きの心をくすぐるような作風なので今後も人気が高まって行くんじゃないかな? 意外と観る機会もあるので覚えておきたい個性派だと思います。


 参考記事:
  ユベール・ロベール-時間の庭 感想前編(国立西洋美術館)
  ユベール・ロベール-時間の庭 感想後編(国立西洋美術館)


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《鈴木春信》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、1760年代に活躍し木版多色摺りの浮世絵(錦絵)の誕生に大きく寄与した鈴木春信について取り上げます。鈴木春信の人生はよく分かっていない部分が多く、浮世絵師としての活動はわずか10年しかないという謎の人物ですが、平賀源内と親交があり共に多色刷り版画の開発をしたと考えられています。初期は役者絵を制作していたものの鈴木春信といえば美人画が有名で、特に市井の暮らしを描いた作品が当時から人気を博していました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

鈴木春信は京都で西川祐信または西村重長に学んだと考えられ、その後江戸に出てきたようです。錦絵誕生には裕福な旗本や商人たちが行った1765年の絵暦(和暦の月の大小を表す一種のカレンダー)の交換会がきっかけとなり、鈴木春信の色鮮やかで故事・古典を題材とする作品はそうした趣味人に評価されたようです。そしてパトロンが付いて彫師・摺師と協力して制作していきました。

鈴木春信の作品は製作年が分かりませんので、順不同でご紹介してまいります。

鈴木春信 「見立半托迦(龍を出す美人)」
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こちらは瓶から龍を出す神通力を持つ半托迦(はんたか)という羅漢を美人に変えたもの。結構シュールな感じですが、こうした見立てが人気を博したようです。涼しげな美人だけどちょっと教養を見せる感じが粋なのかな。

鈴木春信の作品の多くは中判と呼ばれる版型に柔らかな色調で表現されています。大体は縦長の作品のようです。

鈴木春信 「見立久米仙人」
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こちらは柱絵判と呼ばれるかなり縦長の作品。久米仙人というのは日本の仙人で、飛行している際に洗濯している若い女性のふくらはぎを見て興奮し、神通力を失い墜落したという何だか憎めないやつですw ここでは鍾馗?が墜落する鬼みたいなのを紐で吊るし、下では美しい脚を見せて洗濯している美女がいます。コミカルな感じとすらっとした女性の組み合わせが面白い。

鈴木春信の美女は色白で華奢な柔らかい雰囲気の女性が多いように思います。この時代の版画はまだ色は薄いですが肌に色気を感じますね。

鈴木春信 「鼠、猫と遊ぶ娘と子供」
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こちらは市井の女性を描いた作品。白鼠は幸運を招くとしてペットにもなっていたようですが、左下にいる猫がじ~~っと鼠を観ていますw 今も昔も鼠の天敵は猫ですね。

鈴木春信の作品の中には実在する茶屋の娘などを描いた作品もあります。市井の女性を描いたことで大衆にも受けて、描かれた美女のお店はお客さんが殺到したという逸話もあります。

鈴木春信 「舫い舟美人(もやいぶねびじん)」
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こちらは初夏の様子を描いた作品。この二人は芸者らしく、これから出かけるようでおはしょりの紐を締め直しています。こうした日常の何気ない瞬間を捉える主題も浮世絵ならではの魅力かな。何とも涼しげな雰囲気です。

鈴木春信 「火鉢を囲む二美人」
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こちらは冬の様子で、火鉢に向かった美女が描かれています。1人は人形遊びをしているのかな。緑と赤が対比的なので全体的に明るい色彩に思えます。

鈴木春信の女性の顔は割とみんな似てますw 美人の容姿は明時代の中国版画の仇英に影響を受けているのだとか。

鈴木春信 「臥龍梅」
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枝が地を這うような梅と3人の人物を描いた作品。真ん中の人物は刀を差しているのかな?? 2人でキセルを吸ってちょっと休憩といった感じでしょうか。立ち姿がすらりと凛々しく見える作品です。

鈴木春信はあまり肉筆は残っていないようですが、版画は900~1000点程度が現存しているようです。10年の活動で1000枚ってかなりのペースですね。

鈴木春信 「犬を戯らす母子」
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こちらは美人と子供が犬と遊んでいる様子。鈴木春信の作品には母子もよく登場し、こうした日常の幸せを感じさせる作品もあります。観ていてほっこりします。

鈴木春信の女性たちは妖艶さより可憐さを感じさせるように思います。主題的にも健康的で温和な印象を受けますね。

鈴木春信 「蚊帳から出る美人」
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こちらは夏の情景。この作品で面白いのが蚊帳の透ける感じで、蚊帳の中は薄っすらと緑がかっています。浮世絵の黎明期でこれだけの表現ができたとは驚きです。

鈴木春信は後世にも絶大な影響を与えていて、鳥居清長など江戸時代の浮世絵師のみならず河鍋暁斎や鏑木清方、小村雪岱といった明治以降に活躍した画家たちも学んでいます。さらに鈴木春信の作品の多くは海外に渡り、ルイ・カルティエ等が着想源にしたほどです。

鈴木春信 「寄山吹」
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こちらは2人の美女が寄り添って庭先を見つめる様子を描いた作品。視線の先は描かれていないので画面外への広がりを感じさせます。山吹を観てるのかな?? 上部の雲のように区切られた部分に歌も描かれていて、何かの物語かもしれませんね。

鈴木春信 「弾琴美人」
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こちらはカラフルな印象を受ける作品。幾何学的な背景も絵として面白い

鈴木春信 「追羽子」
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最後に鈴木春信らしさがよく出ている作品。日常や季節を感じさせる主題、流麗で柔らかい輪郭、涼し気な目元などに特徴が観られると思います。それにしても2人の視線が交差する場所には羽がないのが気になるw 中央上部に木の枝か羽か判別しづらいのがあるけど、これかな?w 


ということで、あまり詳しいことは分からない人物ですが浮世絵の発展に決定的な功績を残したことは明らかとなっています。親しみが持てる主題が多いので現代でもファンは多く、美人画の展示などでよく見かけると思います。たまに個展も開かれるので、そうした機会があったら足を運びたい画家です。



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《クロード=ジョセフ・ヴェルネ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、18世紀フランスを代表する風景画家のクロード=ジョセフ・ヴェルネ(ジョゼフ・ヴェルネ)について取り上げます。日本ではあまり有名ではないかもしれませんが、フランスを始め西洋絵画を集めている大きな美術館にはよくコレクションされていて、日本では海外の○○美術館展といった機会でよく目にします。イタリアで学び新古典主義を少し先取りした雰囲気もありつつ、海景画を得意とし 実際に戸外でスケッチをして描いたリアリティのある描写や、光や大気の時間による変化を捉えるといった後のバルビゾン派や印象派のような姿勢で、絵画の歴史においても革新的な存在です。当時のアカデミーでも高く評価されていて、国王から依頼された連作「フランスの港」で名声を確固たるものとしました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

ジョセフ・ヴェルネは1714年に装飾画家の息子として南フランスのアヴィニョンで生まれ、14~15歳まで父のアトリエで学び 父の勧めで地元の有力画家フィリップ・ソーバンにも学んでいます。そして近くのエクス=アン=プロヴァンスの装飾画家ジャック・ヴィアリのもとで仕事をするようになり、1731年に貴族の邸宅の扉口上部を飾る一連の風景画を描き、これが最初期の作品となっています。そして1734年には庇護者のコーモン侯爵の力添えを得てイタリアのローマへと旅立ち、20年ほど滞在することになります。ローマではアドリアン・マングラールに師事したそうで、さらに17世紀のローマで活躍したクロード・ロラン、サルヴァトール・ローザ、ガスパール・デュゲなどの作品も研究するようになり、ジョバンニ・パオロ・パンニーニやアンドレア・ロカテッリにも影響を受けたそうです。
ローマでは古代美術品を素描する仕事に従事していましたが、やがてローマ在住の各国の外交庁や教皇庁の人々の間でジョセフ・ヴェルネの描く風景画が評判を得るようになっていきます。特にイギリス人に人気だったらしく、この時代のイギリス人は「グランドツアー」と呼ばれる 裕福な貴族の子弟が学業の終了時に行った大規模な旅行が背景にあります。(お土産で当地の風景画とかをよく買ってた) カンパーニャ平野やナポリ湾の眺めを描いた作品、そして難破船の主題が評価が高く イタリア滞在中の1746年にはフランスの王立絵画・彫刻アカデミーの準会員にもなっています。1753年3月にフランスに帰国すると、アカデミーの正会員となりルイ15世からの注文で連作「フランスの港」という大規模かつ名誉な仕事に着手しています。しかし、これによって10年以上フランス各地を転々とする生活となり、旅行による身体的負担に悩むことになったようです。そのため、本当は20点を予定していましたが15点でこの連作は終了しています。それでもこの連作は版画化され名声を高めました。

残念ながらイタリア時代や「フランスの港」の連作の写真はありませんでした…。50代から晩年にかけての作品をご紹介してまいります。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Le Matin à la mer, le départ pour la pêche」
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こちらは1765~1766年頃の作品で、タイトルを日本語にすると「朝の海、釣りへの出発」といった感じです。朝の清々しい空気感があり、柔らかい朝日の光の表現が見事です。水平線が低いので開放感もありますね。

この作品もそうですが、光に包まれた船の絵を観るとクロード・ロランの作品を思い起こします。(と言うか私はよく見間違いますw) 実際に、クロード・ロランを研究しているのでその影響は明らかですが、当時の批評家のドゥニ・ディドロはロランはただの風景画家だが、ヴェルネは歴史画家であると評したようです。ドゥニ・ディドロからは「絵画の魔術」とまで評されたらしいので、当時のジョセフ・ヴェルネがいかに評価されていたかが分かります。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Le Soir à la mer. L'entrée dons le port」
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こちらは1766年頃の作品で、タイトルを日本語にすると「夕方の海、港の入り口」かな。さっきと割と似た構図ですが、今度は夕日でさっきよりだいぶ赤味が増しています。人々も働いていたり ちょっとのんびりしていたりと生き生きしていて、夕方の雰囲気がよく出ているように思います。

ジョセフ・ヴェルネはよく港や海を描いていますが、時間を変えて同じ場所(ジョセフ・ヴェルネの場合は同じような場所ですが)を描くという手法は後のモネの連作を思わせるものがあります。光の微妙な変化を捉えるという点でも印象派の先駆けのようなことを試みていますね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「La nuit ; un port de mer au clair de luna」
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こちらは1771年の作品で、日本語にすると「夜、月明かりに照らされた港」です。月光が明るく神秘的で、手前の炎も面白い陰影を生んでいます。理想的な風景でありつつリアリティを感じさせるのがジョセフ・ヴェルネの魅力と言えるのではないでしょうか。

ジョセフ・ヴェルネは実際に画架を背に担いで戸外で制作していたようです。これも印象派と似た行動ですが、現地で描いた実景と空想を織り交ぜて描いた作品も多いようです。それがこうした理想性とリアリティを融合したような光景につながったんでしょうね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「夏の夕べ、イタリア風景」
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こちらは1773年の作品で、上野の国立西洋美術館の所蔵品です。これも恐らくいくつかの光景を組み合わせているようでイタリアの何処かは特定できないようですが、穏やかで神話のような光景に観えます。この頃になると新古典主義的な要素も出てきているようで、やや硬さを感じさせる仕上げとなっています。

この作品には対になる朝の光景の作品も確認されているそうです。一日の各時間を複数のタブローによって描き分けるのはイタリア時代からヴェルネが好んだ技法で、17世紀からの伝統に従っているのだとか。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Etude pour Le matin.Les baigneuses」「Etude pour Le midi」
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こちらは1771年の作品で、「朝、水浴」の習作と「昼」の習作となります。習作のせいか若干粗めの仕上がりですが、却って生々しい感じが出ていて好きです。廃墟のようなものもあり、自然の雄大さも感じられます。

この頃、イタリアのポンペイ遺跡などが発掘されたことをきっかけにヨーロッパでは廃墟ブームが起きています。同時代の画家にはユベール・ロベールやピラネージといった廃墟を得意とした画家もいて、こうした風景も好まれたのかもしれませんね。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Entrée d'un port de mer par temps calme,au coucher de soleil」
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こちらは1777年の作品で、日本語にすると「穏やかな天気の中、夕暮れ時の海の港への入り口」と言った感じです。この絵、さっきも無かったか?と二度見してしまいそうになりますw 割と似た構図で似た色使いの作品が多いのも特徴かな。それ故に一度覚えるとすぐに認知できる画家だったりします。

実際、ジョセフ・ヴェルネ自身も多くの港を描いていて、独創性を失わずに制作し続けることに苦しんでいたそうです。海や港なんてどこも似てるのに独創性を出すとなると大変ですね…。そのためか各地方の独特の風俗を描いたりしていたようで、それも評価を高めた一因のようです。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「Une tempête avec naufrage d'un vaisseau」
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こちらは1777年の作品で、日本語にすると「難破船と嵐」かな。波が高く真っ黒な雲や雷鳴が何ともドラマチックな光景となっています。船は明らかに座礁していて自然の驚異を感じます。一方で穏やかな空も観えているのが静と動の対比になっていて一層に神秘的に思えます。

難破船の主題はヴェルネの作品の中でも高い評価を受けたテーマで、特徴の1つとなっています。いつ頃から難破船を描いていたか分からないようですが、ローマにいた頃に影響を受けたパウル・ブリル、クロードロラン、ピーテル・ファン・ラールらはヴェルネより前にこの主題を描いていたそうです。

クロード=ジョセフ・ヴェルネ 「le naufrage dans la tempête」
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こちらは晩年の1788年の作品で、日本語にすると「大波の中の難破船」となります。この絵でも雷鳴が轟き大波が岩に砕け散る様子が見事に描写されています。救助する人たちの姿も真に迫っていて緊張感がありますね。

ジョセフ・ヴェルネは嵐を描くために体を船のマストに縛りつけてスケッチしたという逸話があるそうです。何という画家根性!w それだけ体を張っていたから体力を消耗したんでしょうね。晩年には弟子のヴァランシエンヌの影響で歴史的風景画にも取り組んでいたそうですが、この絵を描いた翌年の1789年に亡くなっています。

ここからはオマケとなりますが、ジョセフ・ヴェルネは本人だけでなく息子のカルル・ヴェルネと孫のオラース・ヴェルネも画家となって活躍しています

オラース・ヴェルネ 「Joseph Vernet attaché à un mât étudie les effets de la tempête.」
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こちらはジョセフ・ヴェルネの孫の作品で、1822年のもの。ジョセフ・ヴェルネの嵐を模した作品のようで、祖父の作風によく似ているように思います。

オラース・ヴェルネ 「Mazeppa」
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こちらはオラース・ヴェルネの1826年の作品。オラース・ヴェルネはフランス復古王政時代に戦闘場面を描いて評価された画家で、この絵でも緊迫した雰囲気が感じられます。何故2枚似たような絵があるのかは解説がフランス語で読めず…w


ということで、当時から評価が高く革新的な取り組みをしていた画家です。日本で個展が開かれたことは無いようですが、現在開催中のロンドン・ナショナル・ギャラリー展など有名美術館のコレクション展などでお目にかかる機会があります。覚えやすい画風なので、これを機会に意識してみると見方も変わってくるのではないかと思います。



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《野々村仁清》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、江戸初期に京焼を大成した野々村仁清(ののむらにんせい)について取り上げます。野々村仁清は丹波国野々村(現在の京都府北桑田郡美山町)の出身で、本名は清右衛門(せいえもん)ですが 瀬戸で修行し陶器の技術を身に着けた後、京都の仁和寺の近くに御室窯を開き 仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を合わせて「仁清」と称しました。当初はあまり有名ではなかったようですが、茶人の金森宗和の指導の元で作陶するようになると 金森宗和の茶会で仁清の作品が使われるようになり、名が広まっていきました。野々村仁清は尾形乾山の師でもあり、京焼のみならず日本の陶芸界に大きな影響を与えています。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。(仁清の作品は年代不明の為、順不同となります)

野々村仁清 「色絵月梅酢茶壺」
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まずは仁清の代表作から。梅を狩野派風に描いていて、赤が鮮やかで華やかです。金の使い方も見事で気品漂う一品です。当時は陶器に赤を使うのは難しかったようで、仁清が初めて赤を使ったという話を聞いたことがあります。また、仁清の特徴として轆轤(ろくろ)の高い技術がよく取り上げられます。こうした大型でふっくらとした形を作れたことも仁清ならではの高い技術の賜物です。

仁清が活躍した時代は、1620年に2代将軍 徳川秀忠の娘の東福門院(徳川和子)が入内するなど幕府と朝廷の融和政策が進み幕府からの経済援助もあって、京都も文化的環境が発展していきました。多くの文化人がサロンを形成し、公家・武家・町衆・僧侶の身分を越えた交流を行っていたようで、この交流によって新しい時代の美意識が作られていきました。

野々村仁清 「色絵牡丹図水指」
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こちらも色絵の水差し。中国的な窓絵の構図となっていますが、描かれているのは牡丹で和風の趣があります。この作品でも金泥や赤を効果的に使っていて かつての王朝文化を思わせますね。

江戸時代初期の1615年に禁中並公家諸法度が制定されると、和歌は宮廷を象徴する芸能と位置づけられ、後水尾天皇は率先して古典文学を研究しました。それによって古典復興の機運が高まり、詩歌では素直でなだらかな言葉の流れや、分かりやすい平明な趣向が重視されたようです。この美意識は詩歌のみならず他の文化にも向けられたそうで、野々村仁清を含めた寛永文化の特色となっています。後水尾天皇自身で古典や茶の湯などの文化交流のサロンを開くなど文化的な後押しをしていたようです。

野々村仁清 「色絵鶴香合」
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こちらも色絵ですが可愛らしい鶴の形をした香合です。柔らかい丸みが何とも優美で首のカーブが特に美しく感じます。仁清はこうした鳥の形の香合を割と早い時期から作っていたようです。他にも扇や菊の形の釘隠しなど遊び心を感じる作品も作っていて、デザインの面白さも仁清の魅力だと思います。

仁清は様々な陶器を研究していたようで、信楽焼風のもの、唐津焼を写したもの、高麗茶碗を写したもの、さらには東南アジアの「安南」という陶器に影響を受けた作品などもあります。幾何学的でモダンな模様もあれば素朴な作風のものもある… と、作風は幅広いのですが根底には共通して洒脱な感性があるように思います。

野々村仁清 「瀬戸釉平水指」
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こちらは仁清にしては渋い印象を受けますが、形はふっくらして最初の茶壺に似たものを感じます。仁清が修行した瀬戸焼の作を思わせ、瀬戸釉ともいわれる鉄釉に灰釉を流し掛けています。華やかな作品もあると思えばどっしりと力強い作品もあるというのは凄いことですね。

仁清は1647年頃に仁和寺の門前に窯を開いたのですが、先述の通り最初は売れていませんでした。しかし茶人の金森宗和が仁清をプロデュースしたことで名が売れていきます。金森宗和は飛騨高山城主の金森家に生まれて京都で茶人として活躍した人物で、武家・公家・町人らと交流を持ち、茶席で自分がプロデュースした御室焼を披露し斡旋していったようです。仁清は金森宗和の趣味(落ち着いた色調と独創的かつ洗練された造形)に沿った作陶をしていたようですが、金森宗和が亡くなると色絵に力を入れていき、それまでとは異なる華麗な作風へと変化していったようです。順序的には色絵は後の時代のものなんでしょうね。

野々村仁清 「銹絵山水図水指」
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こちらは銹絵と呼ばれる鉄釉によるモノクロの作品。まるで水墨の山水図のように繊細な表現となっていて叙情的な光景となっています。あちこちにヒビが入っているのは関東大震災で破損した為で、漆工芸家の六角紫水(ろっかくしすい)の手で修復されたのだとか。

尾形光琳の弟で陶芸家の尾形乾山は仁和寺の近くに住んでいたこともあり野々村仁清の元で陶芸を学んでいます。尾形乾山もよく銹絵の陶器を作っていて、兄の尾形光琳が絵付けをした合作も残っています。

野々村仁清 「銹絵染付舵櫂文茶碗」
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こちらは白地の茶碗の側面に青い染付と黒い鉄釉で模様を付けた作品。舵と2本の櫂らしく 舟の本体はありませんが 櫂が波のように観えるような。シンプルで現代に通じるようなデザインセンスが素晴らしいですね。

野々村仁清は京都で活躍しましたが、東京国立博物館や根津美術館、MOA美術館など東日本の美術館にも多くコレクションされています。今回ご紹介した作品のうち5点は東京国立博物館の所蔵ですw 

ということで、仁清は作風が色々ありますが どこかユーモアがあって気品漂う都会的なセンスを感じさせます。特に色絵は見栄えも良いのでファンが多い陶芸家です。展覧会も小規模ながらちょくちょく開催されるので、今後も注視していきたいと思っています。


 参考記事:
  寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽 (サントリー美術館)
  仁清と乾山 ―京のやきものと絵画―  (岡田美術館)箱根編


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