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《チョコレート》 テーマ別紹介

今日はテーマ別紹介で、チョコレートを取り上げます。チョコレートはカカオを原料とするお菓子ですが、その歴史は古く、B.C.2000年頃からカカオはマヤ地域で飲み物として飲用されはじめ、15世紀アステカでは流通通貨になるほど珍重されました。その後スペインによる南米征服によりヨーロッパへと伝わり、様々な発明を経て工業化されていきました。しかしカカオは非常にデリケートな植物でその栽培には多くの労力がかかる上、熱帯雨林の減少と密接に関係しています。貧困問題も引き起こしているなど、美味しいだけでは済まされない現実もあります。今日はそうしたチョコレートについて2013年の国立科学博物館のチョコレート展を振り返る形でご紹介しようと思います。
 参考記事:
  チョコレート展 感想前編(国立科学博物館)
  チョコレート展 感想後編(国立科学博物館)

チョコレートの原材料はカカオであるのは有名ですが、カカオはこの写真のように「幹生果」という幹に直接 実がなる変わった木です。学名は「デオブロマ(神様の食べ物)」です。
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1年間に何千もの花をつけますが、実を結ぶのはわずかなのだとか。また、寒さと乾燥に弱く、最低気温が16度を下回ったり 年間雨量が1000mm未満の土地ではよく育たないそうです。さらに直射日光にも弱いし、アーバスキュラー菌根菌という菌も必要だそうです。…そんな気難しくて貴重な植物の実をよく世界中の人が食べているものだと驚きました。 1990年代前半には天敵の菌によって引き起こされる天狗巣病がブラジルで猛威をふるい、世界2位だった生産量が1/4にまで落ち込み長く尾を引きました。めちゃくちゃデリケートな植物なんですね。

こちらはカカオの実(乾燥させて樹脂を塗ったもの)。
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年間6000もの花を咲かせるうち、実ができるのは1~2%、しかも花の命はわずか2日! 受粉には「ヌカカ」や「タマバエ」といった虫が体に花粉をくっつけて雌しべに運んでくれる必要があるので、こうした虫の存在も不可欠のようです。ちなみにヌカカは虫眼鏡でみてもよく分からないくらい小さい虫です。

こちらは様々な種類のカカオ。DNAを調べるとと10のグループに分けられ、そのルーツは南アメリカの北部とする説が有力となってきているようです。
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チョコレートのなめらかな口当たりは種子に含まれる脂肪のおかげらしいで、この脂肪が昔は中々厄介な面もあったようです(詳しくは後述) また、カカオにはテオブロミンという苦味の元の成分があり、この苦味のために動物は種子を食べないのでカカオが次の世代を残せました。

こちらはカカオを作る道具類。
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カカオは年に2回取れ、収穫が多く良質なカカオが取れる時期をメインクロップ、収穫が落ち小ぶりな時期をミッドクロップと呼びます。

収穫されたカカオは実を割り、果肉ごと取り出して1週間ほど発酵されます。この発酵の善し悪しがチョコレートの風味を決定するらしく、バナナの葉で包むような方法と木の箱に入れてバナナの葉で覆う方法があるようです。発酵してくるとアルコールに分解され、お酒のような良い香りになり さらにそのアルコールを栄養源とする酢酸菌が働きだすと、50度以上も熱を発することもあるのだとか。

発酵が終わると今度は輸出中にカビが生えないよう、1週間ほど乾燥させるのですが、天候が変りやすい熱帯地域では中々大変なようで、シートをかけたり機械で乾燥させることもあるそうです。しかし天日で乾燥させるのが一番です。

こうして生産されたカカオは買い付け業者によって等級をつけられ出荷されます。多くのカカオ農家の収入はカカオに依存しているため、病気や天候不順で打撃を受けやすく、品種改良を行ったり、ナッツやコショウなどを混植させて収入の安定化を図る取り組みも進められています。ちなみに世界で最もカカオを輸出している国はコートジボワールの1,079,273トン(※)で、ついでガーナ、インドネシアと続きます。一方、最も輸入しているのはオランダで、805,516トン(※)も輸入したようです。日本は47,818トンなので、オランダは桁違いに輸入していることが分かります。(というか意外と日本は少ない) また、日本は輸出世界一のコートジボワールからの輸入は少なくて、ほとんどガーナに依存しています。
 ※いずれも2010年/10月~2011年/9月の1年間

これはチョコレート工場を再現したような展示。ここからチョコレートの制作工程をご紹介。
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まずカカオが工場に着くと豆と異物をより分ける工程を行い、その次に「風選(ふうせん ウィノーイング)という風で実と皮を分ける工程となります。

そしてその次が「焙炒(ばいしょう ロースティング)」という工程で、これはその再現展示。
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これはカカオニブの5~6%の水分を120~160度の熱風で炒る作業で、1~2%に減らします。これによって殺菌も行っているようです。

この後、磨砕(まさい グライディング)という工程があり、ロールで脂肪分をすり潰します。これによってココアバターの中にカカオ粒子が分散しているようなドロドロの状態になります。

その次からココアとチョコレートの工程が2つに分かれるのですが、まずはココアの工程について。ココアはチョコレートと同じくカカオ豆から出来ているのですが、カカオマスは脂肪分が多すぎて飲みやすくないため、「バタープレス」という機械で「圧搾(プレッシング)」を行います。これによって円盤状のかたまりのココアケーキと脂肪のココアバターに分けられます。

これがココアケーキ。これをさらに粉砕し、冷却するとココアの粉末(ココアパウダー)になります。
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オランダのバンホーテンはカカオマスに炭酸カリウムなどのアルカリ塩を加えるとまろやかで飲みやすくなるのを発見し、ぞれは今でもココアを作る際に行われているようです。
このココアケーキはココアになりますが、先ほどご紹介した圧搾で出来たもう一方のココアバターはこの後のチョコレート製造の原料として使われます。

続いてはチョコレートの製造工程です。摩砕(グライディング)の工程の後、カカオマス、砂糖、ココア・バター、乳製品、バニラと共に混ぜ合わせる「混合(ミキシング)」という工程に入ります。チョコレートの種類や用途によって混ぜるものや豆のブレンドが変わるそうで、味に大きく影響する工程です。

混合された生地はまだざらつきがあるらしく、続いて「微粒化(リファイニング)」という滑らかにするための工程に進みます。ロールにかけると0.01~0.3ミリの大きさに調整できるようですが、この粒の大きさは国によって好みが異なるようで、日本では欧米よりも細かいものが好まれるそうです。

続いては「精錬(コンチング)」という香りと風味を出す工程です。微粒化されたチョコレートはまだバサバサしているのですが、この工程で粘り気が出てきます。練っているうちに熱も出てペースト状になり、そこにココアバターを加えて更に混ぜ合わせると滑らかなチョコレートになるそうです。このコンチングの温度と時間はメーカーによって異なるらしく、溶けた時に滑らかな口当たりになるために味において重要な工程です。

これはコンチングの機械。かなりトロトロになっています。当時、この機械の近くにいくとチョコレートの匂いがしましたw
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これはコンチングの工程が発明された当時のコンチェ(コンチングの機械)に近い動きをするとのことでした。

続いては「調温(テンパリング)」という工程です。温度を調整してココアバターを安定した結晶にするための工程で、これによってパリっとした食感や口どけ、指で触っても溶けなくなる 等の効果が出てきます。しかしココアバターは気まぐれな性質で、融点が異なる6種類もの結晶があるそうで、その中でも「Ⅴ型」という融点が33度の安定した結晶にする必要があります。

これはそのテンパリングを体験する機械。50度→25度→30度という3つのゾーンに分かれていて、中はちょっとずつ温度が違っていました。
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温度が3つに分かれているのは、Ⅴ型の結晶を作るためで、まず50度前後に加熱してすべての結晶を溶かし、続いて25~26度に冷却して融点が27度のⅣ型の結晶にします。そして最後に30~31度にあげてⅣ型より融点の高い(Ⅵ型よりは融点が低い)結晶を作ります。温度を上げて下げて上げるという複雑な温度調整で手間がかかりますw

チョコレートが出来ると、最後は型に入れる「充填」を行い「冷却」し、「型抜き」をして「検査・包装」されます。
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そしてようやく完成! ここまで一体どれだけの工程があったのか…。チョコレートってめちゃくちゃデリケートで手が掛かる食べ物なんですね。

ちなみにチョコレートが古くなると白く変色します。これは「ブルーム」という現象で、食べても害はないものの口当たりや風味は失われてしまいます。これにはいくつか原因があるのですが、一度溶けたのを冷やしすことで起きる「ファットブルーム」や、水滴がついてそこに砂糖が溶け 水分が蒸発して砂糖が残る「シュガーブルーム」などが挙げられます。
また、チョコレートの口どけの良さはココアバターの融点にあるようで、人肌くらいの35度になると完全に液体となるようです。これだけ人間の体温に近い温度で溶ける天然の脂質は他にないそうですが、パーム油やシアバターを代用脂として使うことも許可されているようです。この代用脂で融点を変え、日本では高温多湿の夏は高めの融点、低温乾燥の冬は低い融点に調整しているようです。と言われても全く気づきませんがw

こちらはチョコレートの種類について。上から順にビターチョコレート、ミルクチョコレート、ホワイトチョコレートです。
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ビターはカカオマスが40%以上で、乳製品がほとんど入っていないので苦味があるのが特徴です。恐らく一番よく食べられているのはミルクチョコレートで、これには乳製品が使われています。最後のホワイトチョコレートはカカオマスを使っていないのですが、砂糖や乳製品とともにココアバターが使われているのでれっきとしたチョコレートの仲間です。

最近ではカカオは健康に良いとされていて、フラボノイドという抗酸化能力が高いポリフェノールや、テオブロミンという高血圧予防剤・血管拡張剤・利尿剤にも使われる成分などが含まれています。活性酸素を消去したり悪玉コレステロールの酸化を抑制するので動脈硬化の予防や血圧降下が期待できるようです。また、ココアも脳の老化や脳卒中、認知症のような疾患に良い影響がある可能性があり、まさに神様の食べ物です。


続いてはチョコレートの歴史についてです。
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カカオはB.C.2000年頃からマヤ地域で飲み物として飲用されはじめ、200~600年頃に交易によって中南米に広まり、1400年頃にアステカ帝国でカカオの飲用が広がったようです。マヤではカカオを飲む際に唐辛子なども入れていたようです。…あまり美味しくはなさそうですw また、15世紀アステカではカカオは流通通貨としても使われたそうで、1粒でトマト1つ、20粒で雄の鶏1匹と引き換えにできたようです。大きさや硬さが便利だったから使われていたようですが、偽カカオが出回るほどだったのだとか。


そして1521年にスペインがアステカを征服すると、カカオはスペインに伝えられました。健康に良く、ヨーロッパの誰も知らなかった味が人々を夢中にさせ、スペインでは100年近く門外不出となったようです。しかしスペイン王フェリペ3世の王女アナがルイ13世に嫁ぐとフランスに伝わりヨーロッパ各国に伝わっていきます、するとカカオは不足するので、各国は支配下に置いた土地からもカカオが出荷させるようになり、ヨーロッパに広く供給されるようになりました。チョコレートのために何百万人もの労働力が必要で、カカオ作りはもっぱら先住民が奴隷として従事していたようです。
また、スペイン人がヨーロッパにカカオを伝えてまもなく、それに砂糖を加えることを思いついた人がいたそうです。地域によって様々な作り方があったようで、焙炒してバラやシナモン、アーモンドを加えるなど試行錯誤されたようです。

1600年代~1700年代のヨーロッパではコーヒーハウスやチョコレートハウスが軒を連ねました。
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これはロンドンのコーヒーハウスの様子で、政治問題を議論したり賭け事をする場となっていたようです。

当時のヨーロッパでチョコレートを飲む際に重視されたのは「泡」だったそうで、その泡を立てるためにこうした道具が用いられました。この棒はモリーニョという道具です。
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上のほうにあるのはチョコレートポットで、紅茶やコーヒーのポットと決定的に異なるのは、
 ・取っ手が必ず注ぎ口と直角になっている。
 ・蓋には開閉式の穴が開けられている(モリーニョを通してあわ立てるための穴)
となります。

こちらは各時代のチョコレートポットやチョコレートカップのコレクション。
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古いものからつい数年前のものまで、様々な時代や国の品々です。

こちらは18世紀後半のオーストリアのカップ。
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カップは「トレンブラーズタイプ(カップの底にくぼみがあるタイプ)」と「マンセリーナタイプ(カップを受ける部分に立ち襟がついているタイプ)」というのがあるようで、これは後者かな。

近代になるとチョコレートも工業化していきます。その過程で何人かのチョコレートに関する発明家が登場しました。

まずクンラート・バンホーテンというオランダの人物がココアとココアバターの発明をしました。それまでお湯に溶かしたカカオは脂肪のため油っぽく、美味しいものではなかったようですが、カカオ豆からできるカカオマスの脂分を減らし、粉末状にしたココアパウダーを発明することに成功しました。これによって後に固形チョコレートが可能となり、さらにアルカリ溶液を混ぜることでマイルドな香りとブラウンの色合いとなったそうです。

これがバンホーテンのココア缶。
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ここから味がよくなっていったんですね。

さらにその後スイスのフランソワ・ルイ・カイエによっていた板チョコレートが発売され、同じくスイスのダニエル・ピーターが粉末ミルク混ぜたミルクチョコレートを発明します。ダニエル・ピーターの発明にはアンリ・ネスレ(ネスレ社の始祖)の助けがあり、やがてダニエル・ピーターとフランソワ・ルイ・カイエの会社は合併され、ネスレミルクチョコレートを製造するようになりました。現在でもネスレからカイエブランドの板チョコは発売されているのだとか。

他にも口溶けをよくする精錬(コンチング)の設備を発明したスイスのルドルフ・リンツ(リンツ社の始祖)や、粘度を下げて流動性を良くすることに成功したヘルマン・ボールマンなどもいて、スイスはこれらの技術によって製造技術と売上で世界トップになっていきました。

一方、イギリスのチョコレート産業はフライ、キャドバリーといった実業家がスイスに学んで発展させ、アメリカではミルトンハーシーという人が世界最大のチョコレート工場を作りました。こうしてチョコレートは美味しさが増し工業化が進みました。

こちらは欧米のチョコレートのヴィンテージコレクション。20世紀前半に欧米で発売されたケースです。
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ちょっとレトロなデザインがなんとも良い感じ。他にもポスターなど時代を感じさせるものが並んでいます。

一方、日本のチョコレートはというと、1797年に長崎の遊女が「しょくらあと」を貰い受けたという記録があるそうで、これが日本で最初のチョコレートのようです。その後、明治時代に入ると1873年に岩倉具視たちがパリ郊外のチョコレート工場を視察し、1878年にはチョコレートの新聞記事や広告も続々と出てきたようです。大正時代には森永製菓や明治製菓がチョコレート工場を設備し大量生産を始めるのですが、1937年にカカオ豆に輸入制限令が発令され、1940年には薬用を除き輸入が停止したようです。戦後になると米軍放出のチョコレートや代用のグルチョコというものが出回り、1951年以降にはカカオ豆が輸入され始め、チョコレートの生産が発展していきました。バレンタインにチョコレートを贈る風習は日本のメーカーが仕掛けた戦略だったりしますw

これは1915年の芥川製菓という会社のチョコレートの型。
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欧米では鉄を使いますが、日本では入手困難だったので、木の彫刻に漆を塗っているそうです。

ここまで観てきた通り、チョコレートの原料はカカオですが、いまカカオの産地である熱帯雨林は失われつつあり、カカオの生産を拡大すれば森林の減少にも繋がりかねない事態です。また、カカオ農家の貧困の問題もあり、これに対して「世界カカオ財団」などは栽培や加工の指導を行ったり熱帯雨林の生態系保護に努めています。(最近はフェアトレードを謳うチョコも増えましたね)
チョコレートは昨今取り沙汰されるSDGsと密接な関係がありそうです。


ということで、美味しい反面で環境や貧富の格差といった難しい問題も垣間見えるのがチョコレートとなっています。甘いけど甘くない…。今後いつまでも食べられるか分かりませんね。



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《マンモス》 テーマ別紹介

今日はテーマ別紹介で、マンモスを取り上げます。マンモスは約400万年前からユーラシア大陸のみならず南北アメリカ大陸やアフリカ大陸に生息した象に似た生き物です。巨大な牙を持ち「マンモス団地」や「マンモス校」などのように巨大生物の代名詞的な使われ方をしますが、実際にはアフリカゾウより小さな生き物でした。その絶滅の原因は人間による乱獲や気候変動など諸説があり、約4000年前に絶滅したと考えられていますが、現在でも氷漬け状態でマンモスが見つかることがあり、ほぼ当時の姿を目にすることも可能となっています。今日はマンモスについて2019年の日本科学未来館の展示を振り返る形でご紹介しようと思います。
 参考記事:「マンモス展」-その『生命』は蘇るのか- (日本科学未来館)

まずこちらはケナガマンモスの全身骨格。かなり立派な牙を持っています。30~40歳の雄の骨格で、2~3頭の骨を組み合わせています。
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しかし実際に近くで見ると思ったより大きくはありません。 マンモス=デカイというイメージがありますが、アフリカゾウよりは小さい(体高は285cm)生き物です。

マンモスは4000年前に絶滅したと考えられていて、象とは違う系統の生き物です。500万年前頃に象と分岐して進化し、寒さに適応して体毛に覆われた姿だったようです。

こちらはコロンビアマンモス。
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一口にマンモスと行っても色々種類があり、ステップに住んでいたムカシマンモスという種などもいます。

かつて日本にも北海道あたりにもマンモスが住んでいたそうです。

こちらは再びケナガマンモスの頭骨と下顎骨。
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マンモスの歯は生涯5回生え変わり、歯を観ると年が分かります。また、200kg以上の草を毎日食べたそうで寿命は60~70年なのだとか。

マンモスの名前の由来はサモエード語で「マー(地中の)」「モス(動物)」とのことで、かつては骨から想像し、巨大なネズミか巨大なモグラではないかと考えられていました。

こちらはケナガマンモスの牙(左切歯)4.5m
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マンモスはこの牙で雄同士の喧嘩や敵への威嚇で使ったとも考えられているようです。100kgもある非常に重い牙です。

こちらはケナガマンモスの歯(上顎左第3大臼歯) この歯で堅い草をすりつぶして食べていたようです。
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1日16時間以上かけて食事していたそうで、イネ科のスゲなどを食べていたようです。

こちらはユカギルマンモスの頭部の冷凍標本1/1サイズのレプリカ。
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2005年の愛・地球博でも展示されたもののレプリカです。現在でも氷漬けの状態でマンモスが見つかることがあります。

近年の地球温暖化でロシア極東のサハ共和国の永久凍土から次々と見つかっています。

こちらは1977年に発見された「ディーマ」と呼ばれる4万年前のケナガマンモスで、非常に貴重な仔マンモスの完全体の冷凍標本です。
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ちょっとミイラ化しているようにも見えますが、毛もついているしこれだけ完全な形で残っているのに驚きます。生後6~11ヶ月くらいらしく、泥の池ハマって死んだと考えられるようです。4万年も腐らずに残っているなんて本当に奇跡ですね。

こちらは同じくサハ共和国で見つかった動物の骨を使った道具類
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人類はグループでマンモスを狩っていたそうで、火を使って崖に追い込んで仕留めたりしていたようです。大人のマンモスはステップで最強の生き物でしたが、人間によって狩られまくって絶滅の原因の1つとも考えられています。狩られたマンモスは食用だけでなく、牙で武器や道具、骨や皮でテントも作っていたのだとか。

ちなみにマンモスの肉は筋肉質で固くて美味しくなかったと考えられるそうで、ウマやバイソンの方が好まれたのだとか。はじめ人間ギャートルズのマンモス肉はめっちゃ美味そうだったのに…w

こちらは32700年前のケナガマンモスの鼻 
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鼻先が綺麗なハート型をしています。ひだの構造になっているので寒い時は内側に鼻を丸めてしまって体温を下げないようにしていたと考えられるそうです。それにしてもこれだけ綺麗に残っているのは衝撃的です。

マンモスの絶滅の原因は乱獲だけでなく気候変動で温暖湿潤になったことや、寒冷に適応しすぎた「特殊化」して気候変動に適応できなかったことも考えられるようです。本当の理由はまだ確定していないようですが恐らく複合的なもののようで、多分 気候が一番の原因でしょうね…。

こちらは実物のマンモスの毛。
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この展示の時、実際に毛を触ることができました。2種類あって長い方は外敵から身を護るもので、結構硬いです。短めのほうは体を温める為のものでモシャモシャしていました。

こうした実物のマンモスの多くはサハ共和国から発掘されます。

特にバタガイカ・クレーターという所で発掘され、永久凍土が崩落してできた場所となっています。
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半端なく広くて100mくらいの断崖絶壁になっています。永久凍土を調べることで当時の植生や気温なども分かるそうですが、中にはメタンガスも大量に含まれているので溶けると更なる温暖化が懸念されるようです。

こちらが冷凍マンモスのいる洞窟
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マンモスがどんどん出てくるマンモスの墓場だそうです。しかし何故こんなにも腐らず、他の動物に食べられずに残っているんでしょうね… みんなドロ池にハマったとも思えないし、水害かなんかでしょうか。

マンモス以外にも氷河期の動物が見つかることがあります。

こちらは2018年に見つかったばかりの4万1000年ほど前の仔馬の冷凍標本。 生後2週間~1ヶ月程度の仔馬だそうです。
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寝ているようで可愛い…w 注目は目の周りの毛で、寒冷化に対応していたのが伺えるようです。この仔馬からは液体状態の血液と尿まで採取できたとのことなので、今後の研究も期待できそうです。

ちなみに仔馬の上にあるのはケナガマンモスも皮膚です。

こちらは9300年前のユカギルバイソン。こちらもかつての姿をそのまま残しています。
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注目は顔で、有毒な草を食べたのが死因と考えられるので苦しそうな表情をしているようです。死ぬ時は何が原因でも苦しいでしょうけどね。

他にも子犬や雷鳥の丸ごと氷漬けになった姿などもサハ共和国で見つかっています。冷凍標本は永久凍土から掘り出すとすぐに溶けるので、真冬に運ばれるそうです。冷凍状態なので細胞やDNAを解析することも可能で、冷凍マンモスからマンモスを復活させるプロジェクトまであります。2019年3月11日に近畿大学が2万8000年前のマンモスの細胞核が再び生命活動の兆候を見せたというニュースを発信し、多くの研究者や人々を驚かせました。

こちらは近畿大学が発表したマンモスの細胞核
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細胞レベルでは生命活動の再現に成功したようで、これだけでも十分にすごいことです。近縁種のアジアゾウなどを使ってクローン羊「ドリー」の技術での復活を考えたようですが、アジアゾウも絶滅危惧種なのでそうも行かないし、成功した後の影響も考えながら慎重に研究しているようです。

本当にマンモスを復活させることが出来そうな雰囲気ですが、そこまでの道のりはかなり険しい道となります。倫理的にはどうなんでしょうね…


ということで、太古のロマンを感じさせるだけでなく復活できるかも??という現代科学の挑戦も感じさせる動物となっています。今後も研究は続いて行くと思いますので、それ次第でまた認識が変わって行くかもしれませんね。



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《地衣類》 テーマ別紹介

今日はテーマ別紹介で、地衣類を取り上げます。地衣類は藻類と共生する菌類で、菌類10万種のうちの2割ほどを占めています。「地衣体」と呼ばれる構造により極限状態のような場所でも生存することができるため世界中に多様な種がある上、地衣類に特有な化学物質も生成しています。中にはリトマス試験紙に使われるなど意外と身近なところで役に立つものもあります。今日はそんな知られざる地衣類について2018年の国立科学博物館 日本館の展示を振り返る形でご紹介しようと思います。
 参考記事:地衣類―藻類と共生した菌類たち― (国立科学博物館 日本館地下)

地衣類は○○コケという名前が多いのですが、実は苔ではありません。日本語ではコケを「小毛」または「木毛」とも書くので、それが由来になって紛らわしい感じです。 では地衣類は何かというと、藻類と菌類が共生して「地衣体」と呼ばれる構造になっているもので、要するに菌類の一種です。菌類は10万種ある中で地衣類は2万種程度を占め、日本では1800種程度の地衣類が存在するようです。藻類が光合成して作った糖を菌類が利用し、菌類は乾燥や紫外線から藻を守る共生となります。地衣化すると自給自足のように独立した栄養系を確立し、単独の菌類では作らないような化学物質を作ったりします。その為、単独では生きていけないような所でも生存できるようになり、極限状態のような場所にまで地衣類は存在しています。むしろ適合する藻が見つからないと枯死するみたいなので、単独では生きられない生態系のようです。

[針葉樹林帯の地衣類]
まずはモミの木やカラマツといった針葉樹林で観られる地衣類のコーナー。

こちらはナメラカブトゴケという地衣類。
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見た目は木の葉みたいであまり菌類といった印象を受けません。

こちらはナガサルオガセ
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先程とまったく異なる形態で、およそ同じ種類の生物とは思えません。何かモコモコしてるしw

こんな感じで、全く色も形も違う生態となっているようです。
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木の皮かと思うようなものもあるので、意外と目にしても気づいていないだけなのかも。

[高山の地衣類]
続いて高山の地衣類。高山では日本も世界と共通した地衣類が多く観られるそうで、地球が氷期だった頃に各地で分布を広げた種が暖かくなった後に高山に残ったと考えられるそうです。もしくは遠く離れた高山や極域圏の間で現在も地衣類が移動している可能性も示唆されているのだとか。

こちらはアオウロコゴケ
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確かに青い鱗のように見えます。きのこを作る担子菌の地衣類らしいので、苔よりきのこと似た生態なのかも。

こちらはアカウラヤイトゴケ
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これもよく見るとちょっと菌類っぽさが分かるような気がします。こういうのって葉っぱが腐ったのかと思ってましたが地衣類なんですね。

[熱帯~亜熱帯の地衣類]
続いては熱帯の地衣類。熱帯は湿度が高いので多様な地衣類が生育しているそうで、いまだに毎年多くの新種が見つかるなど研究も発展途上のようです。

こちらは葉っぱの上に多様な地衣類が混在しているもの。
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「生葉上地衣類」と呼ばれるようで、熱帯地域ではこうした混在は珍しくないのだとか。こういう葉っぱの染みみたいなのは地衣類だったんですね。

[街なかの地衣類]
続いては我々の生活にも溶け込んでいる地衣類。街路樹や石垣などにも地衣類は存在するそうです。
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こんな白っぽいのが多いんじゃ、普通に生活してて気づかないのは当然と言えそうw

これは瓦屋根に張り付いたヤマキクバゴケ
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瓦は安定しているので格好の生育場所なのだとか。地衣類は光合成さえできれば土なんか無くても生きていけるんですね。

こちらは逆にエナガという鳥が地衣類を巣に使っている様子。
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カモフラージュのためにこうした地衣類を巣に使うようです。自然の共存関係って奥深いですね。

[特殊環境の地衣類]
続いては極域や砂漠、重金属汚染地域など他の生物には生育が困難な場所で育つ地衣類。

こちらはテマリチイという地衣類
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オーストラリアやタスマニア、ニュージランドの乾燥地帯に分布するそうで、風に吹かれて転がっていくようです。観た感じかなり乾燥しているけど、水が少なくても生育できるのか気になります。

こちらはクジラの化石についた地衣類
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そういえばクジラには苔みたいなのがついてたりしますが、地衣類もくっついてるんですね。 地衣類は陸地だけではなかった… しかも南極w

こちらはイオウゴケ
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なんと硫黄の多い温泉地などでも生育する地衣類があるようです。たくましいにも程があるw
他にもきのこの上とか地衣類の上に生える地衣類とかもあり、恐るべし生命力を感じます。

[地衣類に含まれる化学物質]
続いては地衣類の中に含まれている化学物質についてのコーナー。
わかっているだけでも700種類以上におよぶ化学物質を作っているようで、そのうち650種類は地衣類に特有なもののようです。中には人間の役に立つものまであります。

こちらはリトマス試験紙に使われるリトマスゴケ
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日本にはリトマスゴケは無いようですが、代わりにウメノキゴケで同様のものが簡単に作れるようです。ウメノキゴケをアンモニアを薄めた水と僅かなオキシドールを入れて1ヶ月ほど浸しているとリトマス原液になるのだとか。意外過ぎる用途で驚き。

こちらはウメノキゴケとマツゲゴケで染めたウール
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地衣類は最も有用で最も知られていない染料と言われているそうで、多くの地衣類は良質な染料となるそうです。この見本でも分かるように、元の色からは想像もつかないような鮮やかな色を作れるようで、これも驚きでした。

こちらは紫外線によって光る地衣類と光らない地衣類を組み合わせて作った一種のアート。小さな覗き窓から中を覗いて光を照らします。
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光を照らす前は全部同じに見えますw

こちらが光を照らした後。
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青白く光るのがタイワンサンゴゴケ、白っぽいのがトキワムシゴケ、黄色いのがゴンゲンゴケという地衣類だそうです。見事にニコニコマークとひまわりが浮かんできました。これもまた不思議な生態ですね。


[地衣類と人の暮らし]
最後は地衣類と人の暮らしについてです。

こちらはカラタチゴケの一種を食用としたもの。
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え、食べられるの!?と思いましたが、きのこと同じ菌類だしモノによるのかなw 中国で炒め物に使う他、結婚式の時も食べたりするそうです。

こちらはマンナチイという地衣類
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出エジプト記のモーセの物語で、天からマンナが降ってきてそれを食べて飢えを凌いだとされるそうです。神話にまで出てくる地衣類! 何だか地衣類を知らなかったのが申し訳ないくらいですw

こちらは地衣類を使った香水
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染料や食用を観た後なので、これくらいではもう驚きませんが本当に様々な所で使われているようです。


ということで、太古の昔や極地から身近なところまで様々な地衣類があり驚くべき生態となっています。知れば知るほど面白い世界です。


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《放散虫》 テーマ別紹介

今日はテーマ別紹介で、放散虫を取り上げます。放散虫は海のプランクトンの一種で、単細胞の原生生物です。5億年前の地層からも化石が見つかっていて、5回の大量絶滅でも生き残り 1万種以上にもなる驚異的な生き物です。現在でも世界中の海に暮らしていて、アメーバ状の体にガラス質(シリカ、二酸化ケイ素からできている)の骨格を持ち、奇妙なほどに複雑な形となっています。今も謎が多い生き物ですが、地層の年代測定に使われるという意外な側面もあり、地質学で大きな役割を担っています。今日は2019年の写真展を振り返る形で、当時使わなかった写真を追加しながらご紹介してまいります。
 参考記事:「放散虫(ほうさんちゅう)」~ 小さな ふしぎな 生き物の 形 ~ (FUJIFILM SQUARE フジフイルム スクエア)

まずこちらは様々な形をした放散虫の写真。
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幾何学的な文様みたいな不思議な形をしているだけでなく、骨格は石英やガラス製品と同じ物質の二酸化ケイ素(SiO2)で出来ています。単細胞なのに複雑な形をしていて一層に謎が深まるw 最大でも数ミリ程度しかないようですが、肉眼で見えない世界にこんなのがいるんですね。5億年前のカンブリア紀からこうした骨格を持つようになったようで、どうやってこうした形を作り出すのかはまだ謎のままだそうです。

こちらは放散虫の一種の体の仕組みを図解したもの
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こうして観ると生物っぽいかな。 北極海から赤道まであらゆる海に漂っているそうで、海面から深海5000m(8000mでも確認あり)まで生息している意外とポピュラーな生物です。

一体何を食べているのか気になりますが、このようになっています。
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さらに小さな生き物を捕食しているようです。消化器官はなく体に取り入れて消化する細胞内消化を多なっています。群体になったり藻類と共生する種もいるようで予想以上に複雑な生態のようですね…。

1993年に「しんかい6500」がマリアナ海溝の水深6300m付近で採取した石の中からも放散虫が見つかっています。およそ1億4000年前の中生代白亜紀最初期の頃の化石で本当に驚くべき存在です

「アーケオセノスフェラのなかま」
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綺麗な球体で、中にもう1層骨格があると考えられているようです。骨格がこんなに規則正しく作られるのが不思議で仕方ないですね。

「ループス・プリミティヴス」
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9個の筒を重ねた塔みたいな形となっています。筍とかにも見える… 一番下にはヒダが無く、どういう理由でこうした形になるのか気になります。

ちなみにこれらの放散虫の大きさはアメーバ状の体を入れても3mmに満たず、骨格の大きさは0.1~1mmと非常に小さい生き物です。

「ヘキサスチルス?のなかま」
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ウルトラマンのブルトンかエヴァのラミエルか…w こんなエイリアンじみた生物がいるとは…  しかもこれがガラス質なのもヤバいw

「シューム・フェリフォルミス」
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網状の中に外側の骨格を支える柱のようなものがあるそうです。猫の後ろ姿のように見えると思ったら、フェリフォルミスは猫のことなのだとか。

「オービキュリフォルマのなかま」
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かつてはドーナツ状の真ん中に骨格があったはずと考えられるようです。これが生物の化石とは信じがたい形ですw

生態だけでも驚きの連続の放散虫ですが、放散虫を調べると時代ごとに特徴的な種類がいるので年代測定に使えるそうです。地殻変動が多く地層が変形する日本において、1970年代に発見された放散虫による年代測定方法は「放散虫革命」と呼ばれるほど大きな役割を果たしているのだとか。

「アリエヴィウム・ヘレネ」
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3つの大きな棘と小さな棘が無数にある形が花のようにも見えます。真ん中の球体は層になっていて結構複雑な構造です。

「アカントサークス・エキノサークス」
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こちらは泡状の孔が空いていないツルッとした表面に見えるかな。メリケンサックみたいなw

「デヴィアトゥス・ヒッポシデリクス」
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こちらは半円形の珍しい形。無機的な幾何学模様のが多い中で有機的な雰囲気があるかも。

「アーケオディクチオミトラのなかま」
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なにかの蕾のような形の放散虫。中にはドーナツ型のしきり板があるそうで、これも見た目以上に複雑な構造なのかも

「パンタネリウムのなかま」
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まるで金剛杵みたいな形でどうしてこんな形に進化するのか想像もつきません。

放散虫は種類が多すぎて名前がついていない種類もいるそうです。まだまだ新種発見があるかもしれませんね。

「シュードポウルプス(?)のなかま」
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穴の入り口が結び目のように見える謎の構造。ここから餌を食べるのだろうか?? 何本もの柱で骨格を支えています

「ウィリリーデルムのなかま」
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まるで蜂の巣みたいですが、六角形は安定性が高く自然界によくある形なのでこれはある意味納得。しかし六角形以外にも五角形や七角形などもあるようです。

「アーケオトリトラブス・グラシリス」
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もはや何かの建造物のように見える3方向に伸びた骨格の種類。編み込まれたような無数の穴もきれいに並んでいます。

「ナポラのなかま」
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古代中国の鼎に似ていることから明治時代にはこのような3本足の放散虫は「かなえ」と呼ばれたそうです。足が4本ならエッフェル塔とか東京タワーみたいにも見えたかもなあw

放散虫は英名はラジオラリアというそうで、ラジオはラテン語で光線、放射、車輪を支える棒などを示すそうです。確かに放出して散った形の虫ですね。

「クロコカプサのなかま」
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一見すると棘のあるホネガイみたいに見えますが、巻き貝と違って螺旋に巻いていないのが特徴となっています。

「ミリフスス・ディアネ」
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こちらは綺麗に均整の取れたフォルムの放散虫。貝殻とかを思い起こしました。

エルンスト・ヘッケル 「自然の芸術的形態」(複写)
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こちらは約100年前に亡くなったドイツの生物学者いよる放散虫のスケッチ。放散虫の形に魅了されたらしく、こうしたスケッチを沢山残しているそうです。



ということで、恐竜より前からいるのに現在でもたくさんいて非常に不可思議で驚異的な生き物となっています。その形も面白いので観ていて飽きません。
ちなみに現在開催中の神保町ヴンダーカンマー(2021年9月4日~9月26日)の展示の1つとして9月12日、23日にはワークショップで放散虫を実際の顕微鏡で見るイベントもやっているようです。まだコロナで外出は難しい状況ですが気になる方はチェックしてみてください。
 参考リンク:神保町ヴンダーカンマー
 





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《恐竜》 テーマ別紹介

今日はテーマ別紹介で、恐竜を取り上げます。恐竜というと「数億年前に哺乳類より先に地球の覇権を得たものの隕石の落下で滅びた巨大生物」といったイメージがあると思いますが、実際にはペルム紀末の大絶滅(PT境界)の後は恐竜の先祖よりも哺乳類の先祖が栄えていました。また、ワニの先祖も恐竜を捕食するなど、決して恐竜が先に王者となったわけではありません。最初は二足歩行の小型の動物に過ぎなかった恐竜が三畳紀の後期からジュラ紀にかけて大型化して、ジュラ紀、白亜紀を通し一般に絶滅と言われるK-T境界まで栄えました。しかしそれも正確ではなく、獣脚類の一部の子孫は鳥となり、現在でも哺乳類の倍の1万種程度が繁栄しています。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

 参考記事:
  世界最大 恐竜王国2012~恐竜オールスター、幕張に大集結。~ (幕張メッセ)
  恐竜博2011 (国立科学博物館)
  地球最古の恐竜展 (森アーツセンターギャラリー)


まずは何とか紀の時系列についてです。時期と特徴はこんな感じになります。

 古生代
  カンブリア紀 (約5億4500万年前~約5億0500万年前) 三葉虫などの時代
  オルドビス紀 (約5億0900万年前~約4億4600万年前) オウムガイや三葉虫の時代
  大量絶滅 6000光年以内の超新星爆発のガンマ線バーストによって全生物の85%程度が絶滅
  シルル紀 (約4億3500万年前~約4億1000万年前) 陸上植物の生まれた時代
  デボン紀 (約4億1600万年前~約3億6700万年前) 両生類、昆虫、シダ植物などが生まれた時代
  大量絶滅 気候変動によって海洋生物の大量絶滅。全生物の85%程度が絶滅
  石炭紀 (約3億6700万年前~約2億8900万年前) 爬虫類、哺乳類型爬虫類(単弓類)などが生まれた時代
  ペルム紀 (約2億9000万年前~約2億5100万年前) 豊かな生態系の時代
  P-T境界 火山活動(スーパープルーム?)による気候の大変動で90~95%程度の生物が絶滅

 中生代
  三畳紀 (約2億5100万年前~約1億9500万年前)恐竜の先祖、ワニの先祖、哺乳類の先祖が覇権を争っていた時代
  大量絶滅 火山活動?によって全生物の76%程度が絶滅
  ジュラ紀 (約1億9500万年前~約1億3500万年前) 大型恐竜の時代。被子植物や始祖鳥なども生まれた。
  白亜紀 (約1億4550万年前~約6550万年前) ティラノサウルスやトリケラトプス、プテラノドンなどの時代
  K-T境界 隕石?によって恐竜やアンモナイトが絶滅 全生物の70%程度が絶滅

 新生代
  第三紀 (約6500万年前~約250万年前) 哺乳類・鳥類が栄えてきた時代
  第四紀 (約258万8000年前~現在) 人類の時代


上記のように、地球は5回ほど大量絶滅に見舞われてきましたが、その次に来る時代は逆にチャンスの時代で、がら空きとなったニッチ(生態的地位)を埋めるように新しい種が台頭してきます。今回のテーマである恐竜は史上最大規模の絶滅(P-T境界)を生き残ったものから生まれたわけですが、この頃は地球上のすべての大陸が1つの「パンゲア大陸」で火山活動が活発で、スーパーブルーム(巨大噴火)がペルム紀末のP-T境界を引き起こしたとされています。恐竜は三畳紀から広大なパンゲア大陸で進化していくわけですが、三畳紀の初期は恐竜の先祖、ワニの先祖、哺乳類の先祖が新たな王者となるべく覇権を争っていたようで、意外にも最初は哺乳類の先祖が栄えていました。また、ワニの先祖も恐竜を捕食するなど、決して恐竜の時代ではなかったようです。 


<三畳紀> 約2億5100万年前~約1億9500万年前)
この時代は哺乳類とワニの先祖も重要なライバルなので合わせてご紹介。

まずこちらは「イスチグアラスティア」という「ディキノドン類」の生物。
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恐竜ではなく爬虫類と哺乳類の特徴を併せ持っていた生物で「キノドン類」はP-T境界を生き延びてこの時代に栄え、哺乳類の先祖になっていきます。

こちらは「フレングエリサウルス」という恐竜類の生物。
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恐竜の先祖で、現在見つかっている中で最古の恐竜です。恐竜は三畳紀に生まれました。

こちらは「シロスクス」という「クルロタルシ類」の生物で、ワニの先祖のグループです。
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恐竜そっくりで、骨格から速く走れたと考えられるそうです。

こちらは「サウロスクス」というクルロタルシ類の生物(ワニの先祖)。
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三畳紀後期に捕食者として頂点に君臨していたそうです。これも速く走れたと考えられているそうです。

先ほどの「フレングエリサウルス」もそうでしたが、最初は恐竜といってもそんなに大きくなかったのですが、三畳紀の後期にかけて次第に巨大化していきます。巨大化の理由は諸説あるようですが、その1つに「大きいほうが食べられないから」という理由が挙げられます。(以前に観たディスカバリーチャンネルの恐竜番組でも体が大きいほど安全だったと言ってたのを思い出しました) 

これは「エクサエレトドン」という哺乳類になりきれていないキノドン類です。
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子供に乳や餌をやるなど哺乳類と共通する特徴があったようです。

哺乳類はこの三畳紀の末に現れたそうです。ちなみに哺乳類は、乳をやること、毛があって自分で発熱できること、よく聴こえる耳の3つの特徴があります。

と、ここまで哺乳類・ワニ・恐竜の先祖たちの三つ巴の戦いでしたが三畳紀後期に大きくなった恐竜が繁栄していきます。

左からエオラプトル、プラテオサウルス、エオドロマエウス。
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エオドロマエウスは2011年命名されたばかりの新種のようです。化石が確認されている最古の恐竜なのだとか。


<ジュラ紀> 約1億9960万年前~約1億4550万年前~
三畳紀に続くジュラ紀は、恐竜の多様化と大型化が進んだ時期です。ジュラ紀になるとパンゲアは北のローラシアと南のゴンドワナに分裂し、大陸間に海が入り込み砂漠だった内陸が温暖湿潤になるなど気候も変わっていきました。やがてローラシアはさらに東西に分裂し、その間にはサンゴ礁の発達によって多島海が広がり、羽毛で空を飛ぶ獣脚類(鳥類)の進化の舞台となりました。また、西ローラシアでは広大な低地が広がり大型化した恐竜たちの生息地となっていきました。

ジュラ紀には有名な始祖鳥(アーケオプテリクス)もいました。
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注目は足の親指で、現代の鳥とは違い後ろ向きの親指が無いそうです。現在の研究では始祖鳥より前に最古の鳥が出現していたことが確実となっています。

これは2009年に始祖鳥より古い空飛ぶ恐竜として発表されたアンキオルニス
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手足に羽が付いていて、恐竜から鳥類に進化したという仮説の問題点の1つを解消してくれる発見だったようです。

こちらはアロサウルス。
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最近の研究ではアロサウルスに羽毛があった可能性が高いと考えられています。2010年に発見された近縁の獣脚類コンカヴェナトルに羽毛が確認されたためにアロサウルスもそうではないかと考えられるようです。

一昔前は恐竜の再現といえば鱗のような肌をしていましたが、最近では羽毛が生えている再現を見るようになりました。中国で発掘された恐竜によって恐竜には羽毛があったのではないかという説が有力になってきているようです。羽毛は恐竜が1億年以上に渡って繁栄した大きな要因としても考えられているようで、恐竜と同じ先祖を持つ翼竜からも羽毛が見つかっていることから、恐竜と翼竜が枝分かれする前の原始爬虫類から備わっていた可能性もあるようです。恐竜の羽毛には体温調節、求愛行動、繁殖機能という3つの利点が考えられています。

こちらはヘスペロサウルス。
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てっきりステゴサウルスかと思ってしまいますが背中の板状の骨の形が違うそうで、ここで体温調節を行っていたと考えられているようです。

先述の体が大きくなったのは食べられない為という説の他に、気候がとても乾燥し植物の質が悪くなったため、草食恐竜が巨大化したという説もあります。つまり、干ばつになると植物が育ちませんが、体が大きくなると体内に長い時間エネルギーを蓄えられるようになるため、どんどん大きくなったという考えです。(現代の象の体が大きいのと同じような理屈のようです) そして、草食恐竜が大きくなると、それを狩る肉食恐竜も大きくならざるをえなかったらしく、こちらも巨大化していったと考えられます。


<ジュラ紀から白亜紀>
この時代はかつて恐竜研究の空白期となっていたそうですが、最近 中国などで見つかった新種の化石によって空白が埋まりつつあるようです。前期白亜紀になると大陸の分裂はかなり進行したそうで、恐竜は各地で進化していきました。

左から順にラプトレックスとプシッタコサウルス
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ラプトレックスはティラノサウルスに似た小型恐竜で、もしかしたら大型種の子供かもしれないそうです。ラプトレックスは毛が生えたいた可能性があります。
プシッタコサウルスは角竜類だそうで、後のトリケラトプスの先祖なのかな。

<白亜紀末期> 約7060万年前~約6550万年前
後期白亜紀になると北半球は現在の大陸の配置にかなり近づきました。そして白亜紀最末期には恐竜のなかでも最も有名なティラノサウルスやトリケラトプスが現れました。

こちらはトリケラトプス。
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最近の研究で、前足の甲を前向きではなく外向きであることがわかったそうです。

こちらはティラノサウルス。
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なんだかやけにお腹が大きな感じがしますが、これも近年の研究成果に基づく展示で立ち上がる時に前足を着いて前傾姿勢となる姿のようです。


<絶滅> 約6550万年前
恐竜は約6550万年前に絶滅したのですが、2010年の研究でその原因は隕石落下によるものだった可能性が高いと確かめられたそうです。私がよく観ているディスカバリー・チャンネルの番組では隕石はとどめの一撃であってその他の原因が複合的だと言ってましたが、結局のところ隕石が原因なのかな??

しかし恐竜は完全に滅びたわけではなく、ジュラ紀に飛行能力を獲得した獣脚類の子孫は鳥類へと進化し、現在でも鳥は哺乳類の倍の1万種程度が繁栄しています。



ということで、恐竜の研究が進むごとに姿や生態のイメージが変わって行っています。今回取り上げた元記事も2010年代なので更にアップデートされているかもしれません。恐竜展は定期的に行くとその変化ぶりも味わえるので今後もチェックしていきたいところです。


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《塩田千春》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、ベルリンを拠点に活躍をされている塩田千春 氏を取り上げます。塩田千春 氏は記憶、不安、夢、沈黙など 形の無いものを表現したパフォーマンスやインスタレーションで知られ、時に恐怖すら感じるような生々しい作品もあります。現在は大規模な個展が各国の美術館を巡回していて、世界的な注目を集めています。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。

塩田千春 氏は1972年に大阪で生まれ、1992~1996年に京都精華大学美術学部で洋画を専攻、彫刻科で村岡三郎 氏の助手も務めたそうで、在学中にオーストラリアに留学もしています。19歳の時滋賀県立近代美術館でポーランドのマグダレーナ・アバカノヴィッチの個展を観たのを契機に、彼女のもとで学ぶためにドイツ留学を決意し、1996年に渡欧しハンブルグ美術大学に入学。1997~1998年はブラウンシュヴァイク美術大学でマリーナ・アブラモヴィッチに師事し、その後ベルリン芸術大学でレベッカ・ホルンにも師事しました。その後はベルリンを拠点に数多くの展覧会で作品を発表していて、すべて合わせると300以上もの展覧会に出品しています。2019年には森美術館で大規模な個展が開催され、2021年には台湾、中国へと巡回し、その後にはオーストラリアやインドネシアも予定されています。今日はその2019年の展示を振り返る形でご紹介してまいります。
 参考記事:塩田千春展:魂がふるえる (森美術館)
 

塩田千春 「蝶のとまっているひまわり」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは5歳の頃の絵。ミロ的な簡略化を想起してしまうのは考えすぎかなw 何故か鏡文字になっているサインや色彩感覚など、非凡なものを感じさせます。

この作品は牧歌的ですが、若い頃からちょっと生々しい表現が多いので、この後ご注意。

塩田千春 「絵になること」
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こちらは大学在学中にオーストラリアに交換留学に行っていた頃の作品。自分が絵になる夢を観たそうで、自身が絵画の一部となった感覚を表そうとしているようです。血まみれの事件じゃないのねw

塩田千春 氏には全身を使った作品がいくつかあり、こうした作風も特徴のように思えます。

塩田千春 「物質としての存在のあり方」
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こちらは京都の法然院を会場にしたインスタレーションの記録写真。生と死、輪廻転生などを表現しているそうで、「生まれた時に物質として見えるのはへその緒、死ぬ時に残るのは灰」という言葉からへその緒をイメージしました。

この個展もそうでしたが、会場と一体化するような作品も特徴の1つかもしれません。

塩田千春 「私の死はまだ見たことがない」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは180個もの牛の頬骨を使った作品。タイトルはマルセル・デュシャンの墓碑の「されど、死ぬのはいつも他人ばかり」に呼応しているとのことで、確かに他者の死を連想させるモチーフになっています。水を求めて集まってきたような配置になっていて、その中心には本人が首だけ出して埋まってるという…w 死んでいるのに生き物のように見えるのが面白い作品です。

沢山のものを集めて表現するという手法もいくつかの作品で共通しているように思えます。それが迫ってくるような存在感を出していてちょっと怖いものもw

塩田千春 「親戚の顔」
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こちらは塩田千春 氏の親戚の写真を並べた作品。ドイツの地で自分の帰り道がないように感じて昔のことを思い起こしたそうです。記念写真が多くて一家の歴史を観るような感じかな。一種のノスタルジーなのかもしれません。

先述の通り、記憶は塩田千春 氏の作品にとって重要なテーマとなっています。同様に夢など形のない観念的なものに関心があるようです。

塩田千春 「アフター・ザット」「皮膚からの記憶」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
「皮膚からの記憶」は2001年の第1回ヨコハマトリエンナーレでも出品された作品。泥だらけのドレスをシャワーで流し落とすインスタレーションですが、「ドレスは身体の不在を表し、どれだけ洗っても皮膚の記憶は洗い流すことができない」とのことですが、ちょっと不穏なものを感じるw

塩田千春 「皮膚からの記憶」
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これだけ並ぶと無茶苦茶怖いですw このインパクトは一度観たらトラウマレベル

インスタレーションだけでなく映像作品も作られています。

塩田千春 「眠っている間に」
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こちらは映像作品。糸が張り巡らされている中で何人か寝ている様子が映されていました。糸が繭のようで人々は荘子の「胡蝶の夢」を観て夢と現実の狭間にいるとのことで、シュールさも感じられます。やはりここでも糸を使っていて幻想的な雰囲気を出していました。

映像でも塩田千春 氏自ら作品の中に登場することもあります。

塩田千春 「ウォール」
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こちらも映像作品。またもや自ら体を張っていますw 血が連想させる家族・民族・国家・宗教などの境界線を壁に喩えているそうで、「その壁を超えることの出来ない人間の存在を表現」しているとのことです。チューブの中の血が巡る様子は中々美しく、これもへその緒などを思わせるものがありました。

インスタレーションでは黒や血のような赤い色が多く使われているように思います。心身を表しているからかも。

塩田千春 「外在化された身体」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは心と身体がバラバラになっていくの表現しているようです。下の方に手が転がっていて、ボロボロのネットは心なのかな?

塩田千春 「静けさのなかで」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは9歳の頃に隣の家が火事になり、次の日に外にぽつりとピアノが置かれていたという体験に基づく作品。言い知れぬ不安と死を感じる一方で、廃墟的な美しさも感じられます。

黒い糸を張り巡らせた焼けた椅子の作品などもあり、黒はそうしたイメージを増幅させます。

塩田千春 「時空の反射」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは鏡を使ってドレスが2つあるように見えています。黒い糸はどうしても死を連想させるかな。純白のドレスなのにちょっと不穏というかw

この展示の際、これまでの特徴が合わさったような大型作品がありました。

塩田千春 「集積-目的地を求めて」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらは沢山のスーツケースを階段状に赤い糸で吊るした作品。かなり圧倒的な光景です。

塩田千春 「集積-目的地を求めて」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
裏から観ることもできます。作者の言葉によると「スーツケースの山を見るとその数だけ人の生をみてしまう。故郷を離れどこかに目的地を求め、どうして旅に出たのか。その出発の日の朝の人々の気持ちを思い起こしてしまう」ということで、このスーツケースは持ち主の人生そのものを表しているのかもしれません。連なり混じり合うような配置も作者の境地を反映しているようです。

最後に塩田千春 氏の作品を象徴するようなインタビュー作品。

塩田千春 「魂について」
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cc1.pngこの写真/動画は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
こちらはドイツの小学生に魂(ゼーレ)って何?と聞いたインタビュー映像。割と深い回答が多くてちょっとビックリ。塩田千春 氏病気で生きることに精一杯だったそうで、魂について今一度考えさせられるような映像でした。


ということで、ちょっと生々しいほどに生命や死、記憶や夢といったものを感じさせる作品となっています。海外で高い評価を受けていて 日本よりも海外での展示に忙しそうではありますが、ちょうど2021年9月4日から始まった奥能登国際芸術祭2020+にも参加されているようです。今後もそうした機会があると思いますので、また是非じっくり観たいアーティストの1人です。


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■2012/1/27
NHK BSプレミアム 熱中スタジアム「博物館ナイト」の収録に参加してきました
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■2011/11/21
海の見える杜美術館の公式紹介サイトに掲載されました
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■2011/9/29
「週刊文春 10月6日号」に掲載されました
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■2009/10/28
Yahoo!カテゴリーに登録されました
  → 絵画
  → 関東 > 絵画

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美術鑑賞のお供
細かい美術品を見るのに非常に重宝しています。
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このブログの写真を撮ってます。上は気合入れてる時のカメラ、下は普段使いのカメラです。
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