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二条城展 【江戸東京博物館】

先週の日曜日に両国の江戸東京博物館で「江戸東京博物館開館20周年記念特別展 二条城展」を観てきました。

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【展覧名】
 江戸東京博物館開館20周年記念特別展 二条城展

【公式サイト】
 http://nijo-castle2012.jp/
 http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/index.html

【会場】江戸東京博物館
【最寄】JR両国駅/大江戸線両国駅


【会期】2012/07/28(土) ~ 09/23(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況(日曜日14時頃です)】
 混雑_1_②_3_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_4_⑤_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
結構混んでいて、場所によっては人だかりができる感じでした。

さて、今回の展示は京都にある二条城についての展示です。二条城は慶長8年(1603年)に徳川家康に築造され、幕府と朝廷の交渉の場として数多くの歴史の舞台となってきた場所で、1994年に「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産にも登録されたそうです。今回の展示はその成り立ちから現在に至るまでを紹介していて、5つの章で構成されていました。詳しくは各章ごとに気に入った作品と共にご紹介しようと思います。
 参考記事:【番外編】 京都旅行 二条城


<第1章 二条城創建-京に響く徳川の天下->
まずは二条城が創建された頃のコーナーです。1600年の関が原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年から京の城館の築造に取り掛かかり、1603年に竣工しました。そして完成したばかりの二条城では家康の征夷大将軍の拝命を祝う宴が催されたそうです。創建した頃の二条城は後の時代とは異なり方形で一重の堀に囲まれた構造だったらしく、まさに徳川将軍家の京での邸宅のようだったそうです。
その後、二条城は豊臣家との争いの舞台にも巻き込まれ、慶長16年(1611年)には豊臣秀頼と対面の場となりました。一説によると、この二条城での会談で豊臣家を滅ぼす決意をしたとも言われるそうです。また、豊臣家が滅びた大坂の陣では二条城は家康の本陣となりました。
まずこの章ではそうした創建間もない頃に関する品が並んでいました。

3 「唐門欄間彫刻 松竹梅に鶴と亀」
入り口付近にあった立体的な彫刻で、これは二の丸御殿の唐門の欄間だそうです。中央に蓬莱山を載せた亀、左右には松竹梅と鶴など長寿に関するモチーフが彫られていて、ダイナミックな彫りで荘厳さを感じさせました。
解説によると、家康の時代には本丸はまだなく、二の丸御殿が二条城の御殿だったそうです。また、堀と石垣に囲まれていたようですが内堀はなかったのだとか。

この近くには神格化された家康を描いた5「東照宮御影 四月十七日拝礼」や、今村正長への大坂夏の陣での褒美の6「萌葱地葵紋付小紋染羽織」、当時の京を描いた13「洛中洛外図屏風」(★こちらで観られます)などもありました。

9 狩野永納 「中井正清像」
京都大工頭を務め二条城を建てた中井家初代の中井正清を描いた肖像です。黒い狩衣で冠をかぶり笏を持って座っていて、立派な身なりのため身分も高そうに見えます。解説によると、この人物は24歳の時に召し抱えられ中井姓を名乗り、将軍から絶大な信頼を集めたそうで、二条城を始め江戸城天守、駿府城天守、日光東照宮など幕府の主要な造営や朝廷の建築にも関わったそうです。その経歴と姿だけでも実力と幕府からの信頼が伺えるようでした。


<第2章 二条城大改築-東福門院和子の入内と寛永の行幸->
続いて2章は二条城の大改築についてのコーナーです。家康、秀忠、家光は将軍宣下を伏見城で受けていたらしく、二条城はその拝賀の礼を行うために参内する際の拠点となったそうです。 また、家康は政権を確固たるものにするために朝廷との関係に心を砕いていたそうで、1620年に2代将軍秀忠の娘の和子が後水尾天皇に入内しました。その際の豪華な婚礼調度を携えた入内の行列は天皇家と外戚となった徳川の威光を示したそうです。
さらに、大御所となった秀忠と将軍の家光は後水尾天皇を二条城に招くため1624年に大改築に着手したそうで、西に拡張し新たに本丸を造営し、家康創建の御殿は二の丸御殿とすると共に天皇一家の為の御殿も作ったそうです。そして1626年9月に新しい二条城は行幸を迎え、5日間に渡って舞楽、雅楽、馬術、蹴鞠の鑑賞、和歌の会、猿楽の鑑賞と続き、徳川が天下を支配したことを示す一大事業となったようです。その時の様子は様々な絵画に記録されたらしく、ここにはそうした作品なども並んでいました。

23 「東福門院入内図屏風」 ★こちらで観られます
こちらは4曲1双の屏風で、右隻右下の二条城から左隻左上の禁裏まで、入内の行列が4段に渡って描かれています。かなり細かく描かれ、様々な格好の人々の上には文字で、人名や役割などが書かれているようでした。行列の長さや豪華さがよく伝わる作品でした。

この辺には徳川秀忠と家光の肖像、後水尾天皇の肖像、二条城の庭園を作庭した小堀遠州の肖像、二の丸御殿・本丸御殿の地図の「御城内御本丸二之御丸御殿向絵図」(障壁画の画題とか書かれている)などもありました。

16 「東福門院像」
秀忠とお江の娘の和子(まさこ)の像で、人形のような感じです。笏を持って正座した姿で、頭に冠を被り飾りをつけ、着物には徳川の葵の御紋があります。その顔は切れ目で穏やかな表情で、理知的で優しそうな雰囲気がありました。
解説によると、和子は8歳で後水尾天皇に嫁ぐことが決まり、13歳で結婚して2男5女をもうけたそうです。(しかし2人の皇子は若くして亡くなりました)そして、後水尾天皇が娘の明正天皇に位を譲った際に和子に東福門院の称号が与えられたそうで、72歳まで生きたとのことです。8歳で将軍家と天皇家の橋渡しになることが決まっていたなんてちょっと気の毒な気もしますが、こうして平和な時代を迎えることができたのですね…。

この近くには東福門院が所持していた仏舎利宝塔もありました。菊の御紋と葵の御紋が入っている所にその運命を感じさせます。

40-2 「大広間 花熨斗形釘隠」
桐の木をついばむ鳳凰が彫られ 中央にのし紙、その両脇に牡丹の花が象られた彫刻作品で、これは大広間の釘隠しに使われたそうです。しかしかなりの大きさで、釘隠しってレベルじゃない!w 金色で精巧な彫刻と共に三葉葵の紋も入っていて、豪華さと権威を感じました。のし紙や牡丹の花束を包むような意匠も面白かったです。

釘隠しはこの他にも3つありました、また、この近くには二条城の地図、瓦の破片などもあり、その次の部屋には後水尾天皇の行幸の際の絵巻や、二の丸と本丸を繋いだ二階建の廊下に使われた巨大な梁なども展示されていました。

53 「葵紋銚子」
提子(ひさげ)と長柄の銚子のセットで、金色に輝き側面には大きく三葉葵の紋が入っています。これらはいずれも酒を注ぐ儀礼に欠かせない道具で、鶴や亀、松竹梅?なども精密に彫られています。こうした道具まで手が込んだ品が使われ、行幸の備えに相当力を入れていたのが伺えるようでした。

この近くには行幸の様子を描いた6曲1双の屏風や、行幸の際の献立などもありました。献立は身分によってメニューが違うようで、膨大な量がありました。また、盛り付けを絵に描いた作品もあります。


<第3章 寛永障壁画の輝き-日本絵画史最大の画派、狩野派の粋->
寛政の大改修に際して二の丸御殿の障壁画を新調したのは、狩野探幽 率いる狩野派でした。二の丸御殿は6つの棟から成り、障壁画もそれぞれの棟や部屋に応じて描き分けられているそうで、当時恐らく1万を超える面数を足掛け3年で描ききったというのだから驚きです。
狩野探幽は狩野永徳の孫にあたり、幼少から才能を発揮し20代前半で二条城障壁画制作という一大プロジェクトを率いました。それを支えたのは狩野派に蓄積された障壁画制作の伝統と、永徳やその後継者の光信に学んだ一派の長老たちだったようです。ここには二条城の障壁画が並び、探幽を導いた先駆者の作品も展示されていました。

66 狩野甚之丞 「二の丸御殿 遠侍二の間 竹林群虎図」
金地の2面の襖絵で、左上に竹の葉が描かれ、右下には大きな虎が川の水を水を飲んでいる姿が描かれています。虎の傍らには2頭の子供?も描かれているのですが、こちらはむしろ豹のように見えます(当時、豹は虎の雌と考えられていたそうです) 身を低くして水を飲む様子は力強い印象を受けました。解説によると、この襖絵は来訪者が最初に通された遠侍の間に置かれたそうです。ちょっとした威嚇みたいなものかな?w

この後には朝廷の使者が通される部屋の襖絵がありました。大名たちの部屋と違い優美な雰囲気らしく朝廷を尊ぶ姿勢が表されているようです。
次の部屋に入るとどど~んと沢山の障壁画・襖絵が並んでいて壮観な光景でした。

72 狩野尚信 「二の丸御殿 黒書院四の間 菊図」
襖絵で、秋をテーマに竹垣に咲く白い菊がたくさん描かれています。菊は胡粉が塗り重ねられているようで立体的に見え、竹垣は斜めに描かれ幾何学的なリズムを感じました。豪華かつ可憐な雰囲気の襖絵です。
こちらは黒書院の為の襖絵で、黒書院は将軍の応接室とも言える部屋らしく身分の高い公家や僧侶、御三家などとの対話に使われたとのことでした。

この奥にはバーチャル映像があり、二条城の各部屋の役割や絵の趣向などを説明していました。これは分かりやすくて参考になりました。

この近くには62 狩野晴川院養信「江戸城障壁画 下絵 本丸大広間二の間」や60 狩野探幽「探幽縮図 鷹図巻」などもあります。また、63 狩野探幽他「諸家寄合書 帝鑑図押絵貼屏風」は探幽も参加した押絵貼りの屏風で、他に長谷川派や海北派なども参加しているようでした。(内容は中国の善政・悪政をテーマにしたものです)

70 狩野山楽または狩野探幽 「二の丸御殿 大広間四の間 松鷹図」 ★こちらで観られます
今回のポスターにもなっている作品で、二の丸御殿でも一番重要な大広間の襖絵です。画面を埋め尽くすような大きな松と、そこに止まる鷹が描かれ、非常に太い幹やモクモクとした感じの葉っぱがダイナミックな印象です。鷹は下を向いて鋭い眼光をしていて、徳川将軍の武勇を示しているとのことでした。また、解説によると、大広間の中でもこれだけが桃山盛期の様式が踏襲されているらしく、そのため永徳の高弟である山楽が筆者との説もあるようです。 どちらが描いたかは見分けがつきませんが、この日観た作品の中でも一際豪放な作品でした。

73 狩野長信または狩野興以 「二の丸御殿 白書院二の間 西湖図」
これは水墨画で、切り立つ山の上の楼閣、滝、川にかかる橋などが描かれています。西湖は水墨画にもよく描かれる中国の景勝地ですが、これはあまり西湖には見えないかな。しかし、カクカクした感じの画風は伝統的な水墨に思えました。
ここまで観てきた襖絵とだいぶ趣が違っていますが、白書院は将軍の居間や寝室に使われたそうで、こうした落ち着いた水墨が置かれたようです。

この近くには白書院の天井画などもありました。こちらは結構ごてごてしているように見えますが…w


<第4章 激動の幕末-大政奉還の舞台として->
続いては一気に幕末のコーナーです。というのも、3代家光以降、10代の将軍は二条城に滞在することはなく「二条在番」という武士たちが派遣され、警備・管理を行なっていたそうです。行幸御殿や中宮御殿は移築され、二の丸御殿も主要な建物を残して解体され、1750年には落雷で天守が消失、さらに天明の大火で本丸御殿も消失したそうです。こうして様変わりした二条城は幕末まで歴史の表舞台に出ることは無かったのですが、討幕運動の波が押し寄せてきていた1863年3月に14代将軍 家茂が孝明天皇の賀茂行幸にお供するため上洛し、将軍としては230年ぶちに二条城に入りました。家茂は幕府の権威回復の為に京、大坂、江戸を奔走していたのですが20歳の若さで急逝してしまいます。そして次の15代将軍 慶喜は1867年に二条城二の丸御殿で大政奉還の意志を発表し、幕藩体制に終止符が打たれました。ここにはそうした幕末や大政奉還にまつわる品々が並んでいます。

84 川村清雄 「徳川慶喜像」
正面を向き笏を持つ正装の慶喜の肖像です。油彩で写実的に描かれ、西洋からの影響を感じさせます。解説によると、慶喜は写真が趣味で、自分も撮ってもらっていたようで、この作品に似た構図の写真があるようです。それを参考に描かれたのではないかと推測されますが、いずれにせよ精悍な雰囲気の人物のようでした。

この近くには慶喜の陣羽織や「二条城古写真(徳川慶喜旧蔵)」、二の丸御殿の地図、家茂の肖像、羽織、上洛を描いた錦絵もありました。錦絵に将軍や大名を描くのは禁止されていたのですが、そこまで規制が行き届くなっていたのが伺えるようです。
また、この辺には慶喜の警備も行っていた江戸火消しの新門辰五郎のコーナーもあります。新門辰五郎の肖像、日記、胸当て、火消しの半纏などが並んでいました。将軍と懇意の火消しなんて暴れん坊将軍だけの話かと思っていましたが本当にいたんですねw

93 邨田丹陵 「大政奉還 下図」 ★こちらで観られます
明治神宮の絵画館に奉納された作品の下絵で、大政奉還の時の様子が描かれています。桜や松が描かれた襖絵に囲まれた黒書院で大政奉還を伝えようとしているのですが、実際の大政奉還は松と孔雀が描かれた大広間で行われたそうです。その画中画のためかちょっと華やかに見えました。
この作品の下には大政奉還の意志を伝え意見を尋ねた書もありました。読むと慶喜は自分の家のことよりも日本のことを考えていたように思えます。
 参考記事:重要文化財指定へ わが国初期の美術館建設の軌跡 (聖徳記念絵画館)


<第5章 離宮時代-可憐なる宮廷文化の移植->
続いては明治維新の後のコーナーです。二条城は維新後には太政官代、京都府庁と所属を変えた後、1884年に宮内省の所管となり、二条離宮と称されるようになりました。1885年に障壁画は貼り直され、1894年には御所近くの宮家の邸宅 旧桂宮御殿が改築され新たな本丸御殿となります。御殿の内装も葵紋を打ち直すなど離宮に相応しい宮廷風意匠になったそうです。そして1915年の大正天皇の即位大典に際しては南門が築かれ、大饗宴場が
建設され、白書院は天皇の休憩所となり、遠侍や大広間は各国要人や両院議員らの待機所となりました。
ここにはそうした二条離宮の時代の品々が並んでいました。

98 「唐門 菊紋飾金具」
菊紋の大きな金具で、二条離宮になった時に唐門に付けられたそうです。この裏面にはかつての葵紋の痕跡があるらしく、確かに線が残っていました。二条城の歴史を感じさせる品でした。

96 狩野永岳 「本丸御殿 御常御殿一の間 松鶴図」
4面の襖絵で、松の下で3羽の鶴と小さな2羽の雛がくつろいでいます。緑や水辺の青が鮮やかで、全体的に優美な雰囲気がありました。解説によると、これは御常御殿の最も格式が高い部屋の襖絵のようで、狩野派の伝統を踏まえた上で新しい写生的な描き方を取り込んでいるようでした。特に鶴の羽根などにその特徴が感じられます。


<第6章 世界遺産二条城-文化財を守る・伝える->
最後の6章は現代までのコーナーです。二条城は1939年に京都市に下賜され、史跡元離宮二条城として管理されることになりました。戦時中は戦災を逃れるために障壁画や彫刻、飾り金具は一時的に公害に移動されたそうです。そして戦後になると1952年に国宝に指定され、1972年から二の丸御殿内の障壁画を模写とはめ替える「模写事業」が始まります。(これは現在も進められているようです) さらに1994年には世界遺産に登録され、現在も本格修理事業が進行中とのことでした。

ここには二条城の各建物の紹介や地図、模写制作用の画材や道具、模写された天井画などがありました。人類の文化遺産として次の世代へと守り伝える様子が伺えます。


ということで、二条城について一気に知ることができる展示でした。その数奇な運命も面白いですが、やはり美術好きとしては特に障壁画のコーナーが見応えありました。もうすぐ終わってしまいますので、気になる方はお早めにどうぞ。


 参照記事:★この記事を参照している記事

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Comment
No title
京都の光雲寺の東福門院和子像も来ていたのですか。
このお寺は普段は滅多に入れないんですよ。

久しぶりの江戸への里帰りで、和子さんも喜んでいたかもしれませんねe-454
Re: No title
>Ms.れでぃさん
コメント頂きましてありがとうございます^^

東福門院和子は良いお顔をしてました。
私も二条城には行ったことがあるのですが、この展示は中々見られなそうなものがありましたよ。
京都にまた行きたくなりましたw
ぜひ。
紅葉の季節の京都は良いですよ。
ぜひ、お越しください。

私は21世紀のxxx者さんのブログを見て、二条城に遊びに行きたくなりました。
10/20から11/25までお城祭りもあるそうなので。
Re: ぜひ。
>Ms.れでぃ さん
こちらでもコメント頂きましてありがとうございます^^

今年はちょっと行けなそうですが、紅葉は凄いみたいですね。
父方の一家が京都市内に住んでいるので、よく話に聞くのですが
晩秋は休日がとれなくて…w

お城のお祭りは色々な催しがあるようですね。
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000126849.html
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