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古代アンデス文明展 (後編)【国立科学博物館】

今回も写真多めです。前回は「古代アンデス文明展」の先土器時代からチャビン、モチェ、ナスカといった文化についてご紹介しましたが、今回はそれ以降からインカ帝国滅亡までの章についてです。前編からの流れとなっていますので、前編をお読み頂いていない方は、そちらから読んで頂けると嬉しいです。 後半も撮影することが出来ましたので写真を使ってご紹介しようと思います。(※掲載していけないものがある場合はコメントやメール等でお知らせください)
 古代アンデス文明展 前編(国立科学博物館)

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【展覧名】
 特別展「古代アンデス文明展」

【公式サイト】
 http://andes2017-2019.main.jp/andes_web/
 https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2017/andes/
 
【会場】国立科学博物館
【最寄】上野駅

【会期】2017年10月21日(土)~2018年2月18日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_3_④_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
後半は前半に比べるとやや空いてるように感じたかな。後半は主にティワナク、ワリ、シカン、チムー、インカなどの章となっていました。


<4 地域を超えた政治システムの始まり>
アンデスでは6世紀後半に干ばつや洪水などの深刻な気候変動によって社会が大きく変化したようで、人口の集中が顕著に現れました。北部海岸や中部海岸のモチェやリマには特に多くの人が集まり都市とみなすことができる街となったようです。一方、南部海岸のナスカでは多くの人が海岸部を離れて高地へと移り住みました。こうした中、中部高地南部のアヤクチョ地域の1つの集落が急速に都市化し、ワリという国家の首都になり、ワリはティワナクとナスカの要素を合わせた新しい宗教も生んだようです。同じ頃、ティワナクの人々も太平洋岸に近い谷に植民地を築き、10世紀にはペルー北部海岸に強力な国家シカンも成立するなど同時期にいくつかの国家が地域ごとに発生していたようです。この章にはそうした時代の品々が並んでいました。

[4-1 ティワナク文化 紀元後500年~後1100年頃]
ティワナクは標高3800mにある巨大なティティカカ湖の湖畔にある盆地で繁栄した文化で、巨大な石造建造物が並び石の文化・石の文明と呼ばれるようです。15000~30000人ほどの人口があったようで、7世紀頃から周囲に宗教的・経済的に影響力をもったようですが、11世紀頃に衰退していったようです。

ティワナク文化 「かみ合う犬歯が生えた髑髏をかたどった銀の葬送用冠」
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これは葬送用の冠で、穴の部分が目になた髑髏をかたどっているようです。何故牙が生えているのか分かりませんが、よく見ると横向きの髑髏が表されているなど高度な加工技術が見て取れました。

ティワナク文化 「2人の男性の顔が彫られたティワナク様式の石のブロック」
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石の文化と呼ばれるだけあって、こうした石造がいくつか並んでいます。これはコカの葉を噛んでいる像と考えられるそうで、わずかに右の頬が膨れています。かなり微妙ですがw 建築の装飾みたいだけど、何でこうしたモチーフにしたんだろ?

ティワナク文化 「ネコ科動物をかたどった多彩色土製香炉」
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前編でも沢山出てきたネコ科動物のモチーフはティワナクでも健在です。これは恐らくジャガーと思われるようですが、恐ろしげな顔で牙むき出しです。側面に様々な文様が付けられていました。

ティワナク文化 「カラササヤで出土した金の儀式用装身具」
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ネコ科の動物やラクダ科の動物などを模した装身具。権力者が金で装飾するのは洋の東西問わず共通の文化なのかも。祭祀や葬送用に使われたそうです。

この辺にティワナクについての面白い話がありました。ティワナクは標高3800mという富士山の頂上くらいの所にあるのですが、こんな所でどうやって都市が繁栄できたのか疑問に思われていたようです。しかしジャガイモの農法を工夫したり、寒さに強いリャマを飼って標高の低い土地までキャラバンを組んで遠征するなどして生活を維持していたと考えられているのだとか。

ティワナク文化 「パリティ島で出土した肖像土器」
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耳飾りと口にピアスのようなもの(テンベタ)をしたアマゾン低地の住民と思われる肖像土器。野球のマー君の顔にそっくりじゃないですかね?w かなり写実的に作られていて当時の人々の顔が想像できそうでした。

この辺は他にもパリティ島というティティカカ湖の小島で出土した品々が並んでいました。精巧に作った土器をわざわざ粉々にして生贄のリャマの骨と共に収められたようです。前述の作品のように遠くはなれたアマゾン低地の住民の肖像が何故出てくるのか不明のようですが、交流があったことが分かる貴重な品のようでした。

ティワナク文化 「パリティ島で出土した台部が人頭の儀礼用鉢」
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こちらもアマゾンの人を模した土器。上にちょこんとネコ科動物が乗っているのがちょっと可愛いw それにしてもアマゾンとティワナクの間に交易でもあったんでしょうか??

[4-2 ワリ文化 紀元後650年~後1000年頃]
続いてはワリの文化。図像や建築技術が似ていることなどから以前はティワナクの一部と考えられていたようですが、今では武力で広い範囲を領土として他民族を統治した帝国と考えられているようです。ナスカとティワナクの要素を融合した新しい宗教を持ち、ペルー海岸部に飛び地の植民地を持つなど海と高地の覇権を握った国だったようです。

ワリ文化 「人間の顔が描かれた多彩色鉢」
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様々な種族の人が描かれた鉢。それぞれ舌を出して可愛く見えますが、これは権力者が人々に語りかける様子 もしくは 敵を絞殺した様子を表しているようです。後者だと怖いですが、いずれにせよ多くの種族と関係のあった文化なのは伝わってきました。

ワリ文化 「多彩色の水筒型壺」
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これは海岸部のワリの地方高官の墓から発掘された壺。壺の口が顔で側面に胴体が描かれているのが面白い作品です。幾何学的な文様もモダンな感じに見えました。

ワリ文化 「ワリのキープ」
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こちらはキープと呼ばれる糸。文字を持たないアンデスではこのキープの結び目が文字の替わりとなっています。この後のインカ帝国でも行政に使われましたが、インカが我々と同じ10進法であるのに大してワリは5進法なのだとか。これを解読するのは文字よりよっぽど難しそうに見えるw

ワリ文化 「チュニックの一部(?)」
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男性用のチュニジアと思われる品。色とりどりに幾何学を組み合わせていて非常に明るい印象を受けます。現代絵画でこういうのありそうw これも繊細な染色技術が伺えるように思えました。

[4-3 シカン文化 紀元後800年~後1375年頃]
続いてシカン文化のコーナー。シカンは以前この博物館で観たのをよく覚えていました。記事にも残しているので詳細は下記を読んで頂ければと思います。シカンはモチェとワリの文化の特徴を併せ持つ新たな様式と宗教を持っていて、ワリ帝国もシカンの地域には覇権を確立できないくらいの勢力だったようです。
 参考記事:
  特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン 1日ブログ記者 感想前編(国立科学博物館)
  特別展 インカ帝国のルーツ 黄金の都シカン 1日ブログ記者 感想後編(国立科学博物館)
 
中期シカン文化 「打ち出し技法で装飾をほどこした金のコップ(アキリャ)5点セット」
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シカンは金を使った品が結構多いように思いますが、こちらは飲料の容器。蛇の頭や神・王などが表されているようです。割とどれも同じに見えるので、どうやって作ったのか気になりました。型でも無いとこんなに似せるの難しいんじゃないかな。

中期シカン文化 「金めっきした儀式用ナイフ(トゥミ)」
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変わった形のトゥミという儀式用ナイフ。生贄の首を切るのに使われたナイフです。禿げて下地が見えるので金箔が如何に薄いかが分かるようでした。

中期シカン文化 「リャマの頭部をかたどった黒色壺」
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こちらはリャマの頭の実物大くらいの壺。歯もむき出していてちょっとトボけた感じ。リャマはシカンでは食料にもなってた動物だったりもします。

中期シカン文化 「ロロ神殿[西の墓]の中心被葬者の仮面」
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面白い顔の形の仮面。金を銅・銀に混ぜて表面だけ金の含有量を多くしていたらしく、当時は表面を磨いて金色に見えていたと考えられるようです。ちょっと赤っぽいのは辰砂(赤色硫化水銀)が塗られていたためで、血を想起させる生命力の象徴だったとかんがえられるようです。割と可愛い顔してますが、かなりの権力者だったのかも。 この隣には真っ赤に辰砂が塗られた頭蓋骨も展示されていました。死者の再生を願って真っ赤に塗ったようです。

[チャンカイ文化]
チャンカイはペルー海岸部にあり、強大なチムー帝国と宗教的中心地パチャカマクの間に位置していたそうです。白黒の土器と優れた織物が有名だそうで、ここにも織物が並んでいます。(ここは点数少なめ)

チャンカイ文化 「図案サンプル」
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こちらは多様な技法で織り込んだ4枚の布をつなぎ合わせたもの。パターンの見本と考えられているようで、模様も様々です。鳥っぽいのが多いかな。幾何学的に動物を表した模様のように思える部分もありました。


<5 最後の帝国 チムー王国とインカ帝国>
続いては強大な帝国を築いたチムーとインカについてです。紀元1000年頃にワリとティワナクの生態が崩壊すると再び多数の地域政体が成立し、対立や衝突が生じたようですが、北部海岸でチムー王国が急速に拡大し14世紀末にはシカンを征服して有力勢力となりました。一方、ペルー南部高地のクスコでは小勢力だったインカが急速に力を付けていき、1470年にインカはチムーを破り最大規模の帝国となっていきました。その領域は4000kmにも及ぶものでしたが、急速に発展しただけに不安定で帝国内部には反乱もあったようで、1532年にスペイン人が来る時には内戦状態でした。その後はたった168人のスペイン人の侵略でインカ帝国は崩壊へと向かっていきます。 この辺も以前の展示で詳しく紹介されていたのでよく覚えていました。詳細は下記の記事などをご参照ください。
 参考記事:
  マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展 感想前編(国立科学博物館)
  マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展 感想後編(国立科学博物館)


[5-1 チムー王国 紀元後1100年頃~後1470年頃]
チムーはシカンを征服しシカンの金属精錬の技術も受け継いだそうです。海岸部などとの交易のネットワークなどもあり強い国だったようですが、1470年頃にインカと激突し敗北してしまいました。

チムー文化 「木製柱状人物像」
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チムーの首都チャンチャンの遺跡で見つかった柱。王宮の入口にあったようで、何かを持っているのですが保存が悪くて詳細は分からないようです。兵士っぽいし武器なんじゃないかな??

チムー文化 「木製ミニチュア建築物模型」
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こちらは建築物の模型。何のために作ったのかキャプションにはありませんでしたが、儀式をする人の像もあったと考えられているらしいので何か宗教的なものかもしれません。この近くにはこの人形と似た葬送行列のミニチュア模型などもありました。


[5-2 インカ帝国 15世紀前半~1572年]
インカ帝国は彼らのケチュア語で「タワンティンスーユ(4つの部分が一緒になった)」と呼んでいたようで、アンデスを統一した意味が込められているようです。アンデス史上最大にして最も強い政体で、ワリやティワナクなどの習慣や制度を用いて大規模な開発(インカ道など)も作って強大な帝国を作りました。(しかし皮肉にもインカ道はスペイン人の征服にも使われたりしました。)

インカ文化 「金合金製の小型人物像(男性と女性)」
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左の像を観て稲中卓球部を思い起したのは私だけではないはずw 面白い顔をしていますが、生贄の儀式で子供と共に神に捧げられた人形らしく、それを知るとちょっと怖いです。ちなみにこれは金の合金で出来た品ですが、インカの遺物で現存する金製品は少ないようです。何しろスペイン人が徹底的に集めて溶かして本国に送っていたので…。色々な意味でインカの歴史が感じられる品でした。

インカ文化 「インカ帝国のチャチャボヤス地方で使われたケープ」
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再度出てきたキープ。さっき観たキープよりも紐の本数が多くて半端ない大きさです。しかも途中で枝分かれしてたりするし、インカは文字が無くても高度に発展した文化であったことがよく分かります。

この後はインカの滅亡の歴史を年表で説明していました。1532年にインカ王が殺された後、傀儡政権となってからもスペインとの戦いは意外と長く、征服されてからも反乱があったようです。ようやくスペインから独立したのは1821年なので、実に300年くらいは征服されていたようです。

ディエゴ デ ラ プエンテ 「アンデスの[最後の晩餐]」
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こちらはアンデスでのキリスト教の布教に使われた絵画。卓上の食べ物が新大陸のものとなっているなど、現地に合わせた仕様になっているようです。


<6 身体から見たアンデス文明>
最後の章は撮影禁止でした。チリバヤ文化(紀元900年頃~1440年頃)の人体に関する品が並び、外科手術を施した頭蓋骨や男児のミイラの実物などが展示されています。乾燥した地域なので死ぬと自然にミイラになるようで、ミイラと共に暮すなど独特のミイラ文化があったようです。定期的にミイラの衣服を取り替えていたのだとか。
また、頭蓋骨は黒曜石で穴を開けて治療した跡が残っていて、その後もしばらく生きて頭蓋骨が治ってきていた様子も伺えるなど独特の外科技術があったことも伺えました。


<それ以外>
展覧会は6章までですが、それ以外にもいくつかの展示物がありました。

こちらは日系ペルー人の120年の歴史を紹介するコーナー。
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1899年から日米開戦の1941年までに33000人の日本人が移民としてペルーに渡り、ペルーの発展に大きく貢献したようですが、その歴史は苦難だらけだったことがよく分かります。

こちらは過去のアンデス関連の展示のポスター。
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これまで5回の展示で400万人も動員した人気のシリーズです。

最後はシカンの発掘現場での島田泉教授の発掘の様子を紹介するコーナー。
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ここには割とアナログな道具が並びますが、調査には年代測定や地中レーダー探査、DNA分析など科学的な検証が行われているようです。


ということで、かなりのボリューム感がある展示でした。これまでのアンデス文明の展示と違って1つ1つは点数少なめですが、その流れを詳しく知ることができたので面白かったです。撮影することもできますので、これから行かれる方は混雑情報をキャッチして空いている時にでもカメラを持って行くと一層楽しめるのではないかと思います。考古学系の展示が好きな方にお勧めの展示です。


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