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辰野金吾と美術のはなし 【東京ステーションギャラリー】

1週間前の日曜日に東京ステーションギャラリーで「辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展」を観てきました。この展示は既に終了していますが、今後の参考になりそうなので記事にしておこうと思います。

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【展覧名】
 辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展

【公式サイト】
 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201911_tatsuno.html

【会場】東京ステーションギャラリー
【最寄】東京駅

【会期】2019年11月2日(土)~11月24日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 1時間30分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_③_4_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_3_④_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
最終日だったこともあり予想以上に多くのお客さんで賑わっていましたが、概ね自分のペースで観ることができました。

さて、この展示は日本の近代建築の黎明期に活躍し東京駅などの設計で有名な辰野金吾に関する資料展となっています。辰野金吾は生前に「建築家として生まれたからには日本銀行と東京駅と国会議事堂の3つを建てたい」と語っていたそうで、2つを実現し3つ目の国会議事堂のコンペに参加したところで1919年にスペイン風邪で亡くなっってしまいました。1896年の日銀は英国のジョージア朝のスタイルで古典主義的(ギリシャ・ローマ的)な様式で設計し、1906年の東京駅はヴィクトリア朝スタイルとなっています。辰野金吾は明治10年の時にイギリス留学し、その際にクイーン・アン様式を観ていつか建てたいと考えていたようで、当時はまだ早すぎると判断していましたが、機が熟したと考えたのか東京駅ではそれを採用しました。この展示では辰野金吾本人や盟友との交流、東京駅などについて章分けされていましたので、各章ごとに簡単に振り返ってみようと思います。(今回は作品リストや音声解説はありませんでした)


<冒頭>
まずは辰野金吾に関する年表がありました。細かい話はまた後ほど出てきますが、意外なことに先生のジョサイア・コンドルよりも早く亡くなっているようです。

その先には後藤慶二による「辰野博士作物集団」という辰野金吾が30年で手掛けた200件の建物の中から選りすぐりの45件をピックアップして1つの町のように描いた縮図がありました。白い日銀や赤レンガの東大などが目を引き、遠くには東京駅やドーム状の両国国技館などもありました。今でも残っている建物もいくつかあり、名だたる施設がずらりと並んでいます。まさに日本近代建築の巨人ですね。


<1章 辰野金吾、建築家になる>
1章は辰野金吾自身についてのコーナーです。辰野金吾は1854年に下級藩士の次男として生まれ、父の弟(叔父)の養子となりました。そして唐津藩の洋学校で高橋是清に学び、その廃校に伴って高橋是清の後を追って東京に出て、1873年に工部省が開設した大学「工学寮」に入学します。1872年にはジョサイア・コンドルが着任し、2年半ほどその元で学んでいます。やがて大学を首席で卒業し、英国へと官費で留学すると、ウィリアム・バージェスから美術建築の概念を学び大きな影響を受けました。ここにはそうした学生時代からの関連資料が並んでいました。

まずは学生時代の卒業証書や卒業設計の「自然史博物館」の設計図などが並んでいました。ジョサイア・コンドルからは やや重たくずんぐりしているが よく描けているとのコメントを貰ったようで、実際に観てみると緻密で素人目にはずんぐりしている感じは受けないかな。学生時代に既に高い設計技術を持っていたことが伺えます。

その先には旅券やロンドン大学の修了証書、宝箱みたいな大きなトランクなどがありました。また、渡欧の際にはスケッチしていたようで、複写を手にとって観ることができました。流石は建築家だけあってかなり細かい部分まで細密にスケッチしているようでした。


<2章 辰野金吾と美術>
続いては松岡壽との関係や「美術建築」の考えについてのコーナーです。辰野金吾は1882年5月に恩師バージェスが度々訪れたフランス・イタリア各地の建築を巡る旅に出ました。そこで工部美術学校出身でローマに渡っていた洋画家の松岡壽と出会ってすぐに意気投合したようで、翻訳を手配して貰ったりして一緒に建築見学に赴いたようです。そして1883年5月に帰国すると、母校の工部大学の教授となりました。一方の松岡壽は1889年に帰国し、その直後に明治美術会を仲間たちと設立しました。辰野金吾は同会の運営に積極的に関わり、明治美術学校の校長に就任するなど厚く支援したようです。さらに辰野金吾が1886年に帝国大学工科大学の教授になると、装飾画・自在画の教師として松岡壽を招いています(今なら癒着と叩かれそうな勢いw) 大阪市公会堂の設計では2人で共同して「美術建築」を実現したそうで、かなり深い仲であったのが伺えます。このコーナーにはそうした2人に関する品が並んでいました。

まずここには松岡壽による辰野金吾の肖像画がありました。死後に辰野金吾を顕彰するために描いたもので、近くにある還暦の際の写真を元にしているようです。かなり写真に忠実で、重厚かつ威厳を感じさせる雰囲気です。その先には松岡壽のスケッチブックがありました。松岡壽はフォンタネージの辞任の時に退学してローマに渡って7年間滞在したそうで、退学届けなども展示されています。学生時代の大学内を描いた風景画はフォンタネージから強い影響を受けた重厚でやや暗い色調となっていて、後の明治美術会の特徴に通じるものを感じるかな。明治美術会の主意書もあり日本の近代美術への貢献が伺えました。また、留学時代のイタリアの田舎娘を描いた木炭のスケッチがあり、これは白黒写真のように精密でした。

この部屋の中央には3体の石膏の人物像がありました。これは工部美術学校の石膏群で、廃校後に売却されそうになったのを辰野金吾が保存に向けて動いて 建築学科への移管となったようです。というのも、辰野金吾はバージェスから「美術建築」のために絵を勉強せよと勧められて人物画に取り組んでいたようで、建築には美術を応用することが必要不可欠で、その基礎となる人物画を習得すべきと説くようになっていたようです。ここの人物像も建築の教材として取り入れたようで、円盤投げの裸体の人物像2体と女性像となっています。近くには松岡壽による石膏モデルを写生する工部美術学校の授業風景のスケッチがあり、恐らくこの3体を学生たちがスケッチしている場面となっていました。建築には美術を習得すべきという考えを実践していたのがよく分かる作品ですね。

その先には松岡壽の大阪市公会堂の貴賓室の壁画の下絵がありました。画風は西洋風ですが日本神話を描いていて、天地開闢、仁徳天皇、天つ神などをモチーフにしていました。西洋に習いつつ日本独自の絵画を模索していたのかも。竣工当時の写真もあり当時の様子も見て取れました。


<3章 辰野金吾と東京駅>
最後は辰野金吾の代表作であり、この東京ステーションギャラリーのある東京駅に関するコーナーです。1903年12月に鉄道作業局から辰野・葛西建築事務所に設計依嘱され、1914年12月に東京駅として開業しています。当初はドイツ人土木技師のフランツ・バルツァーの案だったようですが、改良の注文を受けたことを辰野金吾が後に書いているようです。そして辰野金吾は留学中に注目していたクイーン・アンスタイルの建築様式を選び、美術建築の実現を目指して設計しました。また、国会議事堂の建設に関しては設計競議の主張をして調査会の委員になるなど尽力したようですが、計画半ばで病に倒れてしまったようです。ここには東京駅に関する様々な設計図が並んでいました。

まずは現在の東京駅に近い展覧図がありました。辰野・葛西建築事務所が手掛けた横長で大きな絵で、最終案に近い1911年頃の作品のようです。素人目には現在の東京駅のイメージそのもので、駅前には洋風の装いの人々が行き交う様子も描かれていて、西洋的な印象を受けます。堂々たる雰囲気で、日本の近代化を象徴するような風格となっていました。

その先には東京駅の第1~2案がありました。3つの塔のようにブロックごとに分かれて、フランツ・バルツァーの案はむしろ和風で汽車が見えるくらい簡素な作りです。これはこれで日本の建築の良さが出ているように思えますが、辰野金吾の設計のほうが見栄えがするのは確かかなw 外国への近代化アピールも考えるとちょっと弱かったのかも。

その先には東京駅の大きな青図(詳細な設計図)がずらっと並んでいました。正面、上からの図解、側面、天井部分のアップ、階段、手すりの装飾、窓の詳細…などなど本当に綿密に設計させていることがよくわかります。特に装飾には美術建築の考え方が色濃く現れているように思えました。

最後は幻の東京駅の壁画の写真が展示されていました。大小6枚の画面から成る縦2.4m 幅15mの壁画で、黒田清輝が下絵を描き和田英作らが制作したようです。海の幸・山の幸をテーマに労働者の群像が描かれ、機械を使って働く様子は近代的な印象を受けました。日本洋画界のレジェンドたちの作品だけに失われてしまったのは残念です…。


ということで、辰野金吾の設計に関する信念や東京駅について詳しく知ることが出来ました。この展示は既に終わってしまいましたが、辰野金吾の建物を観る際の参考になりそうです。資料中心でも十分に楽しめました。

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