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《モーリス・ユトリロ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、エコール・ド・パリの画家として知られるモーリス・ユトリロについて取り上げます。エコール・ド・パリは1920年代頃に外国からパリに集まった画家たちの総称で、これと言った画風の共通点があるわけでもなく、ユトリロに至ってはパリ生まれのパリ育ちで外国人でもありません。便宜的な括りなので何故ここにユトリロが入るのか分かりませんが、個性的で作品の大半が同時代のパリの風景画なのもその要因かも知れません。 ユトリロの画風は大きく分けて初期の「モンマニーの時代」(1903~1907年頃)、最も評価の高い「白の時代」(1907~1914年頃)、色鮮やかな「色彩の時代」(1914年以降)という変遷があります。家庭の事情やアルコール中毒などが原因で抑圧的で不幸な人生を歩みましたが、多くの画家に影響を与え 今も人気の画家となっています。今日も過去の展示で撮った作品とともにご紹介していこうと思います。

まず簡単な生い立ちについてですが、モーリス・ユトリロは1883年に女性画家のシュザンヌ・ヴァラドン(当時18歳)の息子として生まれました。父親については分からず、私生児となります。母親のシュザンヌ・ヴァラドンは洗濯屋の娘で、たまたま洗濯物を届けに行った際に画家のモデルとなり、それがきっかけで印象派の画家達のモデルをつとめるようになり、さらに自身でも絵を描くようになりました。奔放な性格だったようで、ロートレックの愛人になったりと何かと名前が出てくる人物です。(先日のルノワールの記事に描きましたが、ルノワールが父親という説もあります) シュザンヌ・ヴァラドンは良い母親ではなく、モーリスを放置し祖母に任せていたようです。7歳の頃にスペイン画家のミゲロ・ユトリロがモーリスを認知し、この時からモーリス・ユトリロとなりました。しかし、この認知した戸籍上の父親とは1度も会うことが無かったのだとか。また、育ての親の祖母が飲酒好きだったせいもあってか、ユトリロは中学の頃から飲酒癖があったようです。成績不振で中学を退学し、義理の父(ポール・ムジス?)の紹介で銀行や商社に勤めますが、勤務中に飲酒したり暴行したり、挙動が不審だったためにいずれも長続きしませんでした。この頃には既にアルコール依存症だったようです。そしてついに、1904年に義理の父(ポール・ムジス)の勧めでアルコール依存症の治療のためにサン=タンヌ精神病院に入院します。退院する際に医師から対症療法として絵を描くことを勧められ、ここからユトリロの画業が始まっていきます。

モーリス・ユトリロ 「マルカデ通り」
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こちらは1911年の作品。製作年は白の時代だけど、色彩のせいか ぱっと観た感じは後の時代のように思えるかな。パリの町並みが美しい作品です。

この作品より前のモンマニーの時代は色彩豊富で厚塗りされているのが特徴です。輪郭線を使用しないでタッチだけで描き、印象派のシスレーやピサロの影響を受けていました。基礎の基礎(絵の具の使い方とか)は母に手ほどきを受けたようですが、ほぼ独学と言って良いようです。また、初期から自然は主役にはならず街や教会建築に興味を持っていました。

モーリス・ユトリロ 「ベルリオーズの家」
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こちらは1911~1914年頃の作品で「白の時代」となります。この頃は評価の高い作品が多いので、早くも画業の絶頂期と言えるかな。その名の通り作曲家エクトル・ベルリオーズの家を描いていて、画面の大半を建物の白壁が占め 質感豊かに表現されています。白の時代はこの漆喰を描いた時代とも言え、石灰・ハトの糞・卵の殻・砂などを混ぜています。質感を出すために素材そのものを変えるというのは画期的な発想ですね。

子供時代のユトリロは漆喰の断片で遊んでたりしていたようで、後年に「パリの思い出として持っていくものは?」と訊かれた時に「漆喰」と答えるほど気に入っていたようです。

モーリス・ユトリロ 「モン・スニ通り」
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こちらは1914年の作品。この絵でも先程の「ベルリオーズの家」が描かれていて、ユトリロの家の近くの光景です。寒々として誰一人歩いていないのが何とも寂しい。くすんだ壁の質感は流石かな。赤みがかった建物など若干の色彩も観られるように思います。

この頃の私生活はというと、ユトリロはアルコール依存症で鉄格子の嵌め込まれた部屋に閉じ込められていたようです。与えられた絵葉書を見ながら描くこともあったようで、そのせいかこの時期の作品は陰鬱な空気が漂った作品が多いように思います。

モーリス・ユトリロ 「サン=ピエール教会」
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こちらは1914年の作品。これも近所のモンマルトルの教会を描いていて、曇天の光景が静かな雰囲気です。背景には1912年頃に出来たサクレ・クール寺院が見えていて、様々な白が使われています。門の辺りに観える黒っぽいのは人影かな?? この後の色彩の時代になると人を描くことも多くなっていきます。

この頃、ユトリロは2度の自殺未遂をしています。アルコール依存が酷く、1杯のワインのために絵を売り、「リットル」にかけて「リトリロ」と呼ばれていたのだとか。

モーリス・ユトリロ 「クリニャンクールの教会」
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こちらは1913~1915年頃の作品。直線がすっきりして遠近感が強まって 色もちょっと軽くなった印象を受けます。まだ全体的に白っぽいけど、画風が変わってきているように思えます。ユトリロはこの教会の隣で生まれたのだとか。

1911年頃から友人で後に義父となる3歳年下の画家アンドレ・ユッテルと一緒に暮らしていたそうです。母のシュザンヌ・ヴァラドンはユッテルをモデルに描いていたのですがやがて恋人になり、21歳年下のこの画家と1914年に結婚しています。マザコンのユトリロは大いに嫉妬したようで、一層に葛藤を深めていくことになります。

モーリス・ユトリロ 「市庁舎の旗」
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こちらは1924年の作品で、既に「色彩の時代」と呼ばれる時代に入っています。先程までの作品と比べると色が明るくなっているのがよく分かると思います。人々もやや大きめに描かれていて賑やかな雰囲気です。

「色彩の時代」はその名の通り色彩は明るく開放的になり、一点透視法で描かれ空間に広がりを持たせるようになります。絵葉書に遠近法の線を入れてそれを元に風景を描いていたようで、白の時代の静寂や苦悩の重さが薄らぎ 軽快さが現れ厚塗りも消えていきました。

モーリス・ユトリロ 「メゾン・ベルノ」
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こちらは1924年の作品。町並みを描くのは変わっていませんが、だいぶ色が鮮やかになっています。ここで注目したいのが女性の姿で、この時期の特徴の1つに異常に腰の張った女性像が描かれている点が挙げられます。これは女性への嫌悪から来たのではないか?と考える研究者もいるのだとか。

色彩の時代の頃にはユトリロの絵は売れるようになっていました。義父のユッテルはユトリロの絵の価値を認めていなかったようですが、彼ら夫婦の作品よりも高値で売れるため、ユトリロに絵を描かせては売り払って夫婦で贅沢をするという生活が続いたのだとか。

モーリス・ユトリロ 「モンマルトルのジュノ通り」
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こちらは1926年頃の作品。画面は白っぽいけど、「白の時代」よりはだいぶ後の作品です。誰もおらずハッキリしない天気と相まってやや寂しげに感じるのもかつての画風を思わせます。一番最初にご紹介した「マルカデ通り」と構図もそっくりです。

1935年ユトリロが51歳の時にリュシー・ポーウェルという63歳の女性と結婚しました。(妻と言うよりは母親くらいかも。3歳下の義父に12歳上の妻、いやはや…。) この嫁がまたかなりの悪妻で、シュザンヌ・ヴァラドンが死んだ後のユトリロのマネージメントを行っていきます。画商との折衝を取り仕切るならまだしも、自分が描いた稚拙な絵まで売り出したほどの厚かましさだったようです。ユトリロは外出を禁止され、監禁状態で絵を描かされていたそうで、紙に石を包んで通行人に投げ、紙には「助けてくれ」と書いてあったそうです。 しかし、通行人は既に有名人だったユトリロの紙を喜んで保管していたのだとか

モーリス・ユトリロ 「モンマルトルのキュスティーヌ通り」
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こちらは1938年頃の作品。これも遠近感が強く、パリらしい町並みを描いています。こんなに家があるのに道行く人がやけに少ないのが寂しい。色も若干弱くなっているように思えます。

この年に聖母のように慕っていた母シュザンヌ・ヴァラドンが亡くなっています。シュザンヌは無神論者でしたが、ユトリロは最初の継父の一家が敬虔なカトリックだった影響か カトリック紙の社説を熱心に読むなど信仰心があったようです。49歳の時に洗礼を受け、母が死んだときは自宅の礼拝堂に篭って母とジャンヌ・ダルクに祈りを捧げていたのだとか。その信仰のためか、教会を描いた作品が多くなっています。

モーリス・ユトリロ 「モンマルトルの迷路」
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こちらは1942年の作品。制作当時の実景に基づいたものではなく写真などを元にしていると考えられるそうです。かなり色鮮やかで滑らかな絵筆となっていて初期とはだいぶ違う印象ですね。ちなみにタイトルの通りモンマルトル辺りはかなり分かりづらい道となっていて、スマフォで確認してても迷いそうになりますw ユトリロの作品を沢山観てから現地に行くと今でも面影があったりして面白いので、モンマルトルに行くならユトリロの絵で予習するのがおすすめですw

モーリス・ユトリロ 「Le Lapin agile, cabaret de Montmartre(モンマルトルのキャバレー オ・ラパン・アジル)」
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こちらは1947年の作品。ラパン・アジルはユトリロがよく描いたキャバレーで、かつてはルノワールやゴッホ、ピカソやアポリネールなど様々な芸術家が集まりました。(現存しています)  この頃になると画風がだいぶ大胆になってる感じがするかな。晩年の作品はあまり観る機会がないので貴重です。

ユトリロは1955年に亡くなりました。不健康だったけど72歳まで生きたのはちょっと意外。不幸の多い人生でしたが、それ故か作品は今でも輝き続けています。日本でも観る機会の多い画家の1人なので、画風の変遷や人生背景なども覚えておくと ちょっと見方も変わるのではないかと思います。

 参考記事:
  モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家- (損保ジャパン東郷青児美術館)
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