《松本竣介》 作者別紹介
今日は作者別紹介で、昭和に活躍した洋画家 松本竣介を取り上げます。松本竣介は36歳の若さで亡くなってしまいましたが、晩年まで画風が進化し続けた画家で、人物・建物・風景などをよく描きました。代表作の多くは寒色系の静かな色彩で、抑制された静謐な雰囲気となっています。今日もそんな松本竣介の作品を過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。
まず簡単な略歴ですが、松本竣介(本名:佐藤俊介 結婚後に奥さんの松本姓に改めた。1944年には父の勧めで俊介から竣介に名前も改めました)は1912年に東京に生まれ、父の都合で2歳の頃に岩手の盛岡に移り少年時代を過ごしました。小学校の頃は成績優秀で首席で卒業したそうですが、旧制中学の入学式当日に突然病(脳脊髄膜炎)に倒れ、生死の淵をさまよった後に一命は取り留めたものの聴力を失ってしまいました。しかしその1年後には復学したそうで、その頃 東京にいた兄から油彩道具を送ってもらったことがきっかけで、絵に夢中になったようです。17歳になると兄のいる生地 東京に上京し、すぐに太平洋画会研究所選科に通い始め、制作や勉学に励み画との出会いを重ねていきました。
松本竣介 「山景(岩手山)」

こちらは1928年(昭和3年)の17~18歳頃の作品。後の画風とは異なりますが、寂しげな雰囲気はこの頃から漂っています。松本竣介は中学時代から絵を学ぼうとする素朴で真摯な態度だったようで、竣介自身は「個性が出ていない。風景の模写に過ぎぬ」と自己評価するなど当時から早熟の才能を見せていたようです。若い頃の画風はセザンヌやマティス、印象派などを彷彿とすることもありますが、まだちょっと硬いところもありますね。
17歳で上京し、上京から6年経つ頃には既に太平洋画会研究所選科を離れ独自の道を歩み始めていたらしく、1935年に「建物」という作品が二科展で初入選しています。その際、「何よりも建物のたっているということが僕にとって最も大きな魅惑なのだ」と語っていたそうです。また、兄が創刊した雑誌『生命の藝術』の編集の手伝いをしながら文章や挿画を数多く手がけています。
松本竣介 「有楽町駅附近」

こちらは1936年(昭和11年)の作品。これは松本竣介と言われないと分からないかも。強めの輪郭と規則正しい幾何学性が面白い構図です。この時期の作品の骨太の線にはルオーやモディリアーニの影響が観られます。また、風景画の構図には同様のアングルの写真も残っていることがあり、写真を絵画に応用していたと考えられています。二科展の入賞作品も建物だったし、松本竣介は盛岡時代から建物に興味が深かったようです。建物についてはこの先もずっとモチーフとして描かれていくことになります。
二科展入選の後、画家として本格的な活動をスタートさせた竣介は、1936年(入選の翌年)に松本禎子と結婚し、これを機に佐藤姓を松本姓に改め、下落合に新居を構えました。いわゆる池袋モンパルナスの一員です。そしてそのアトリエを「綜合工房」と名付け、夫婦協働によって月刊誌『雑記帳』を創刊しました。また、1937年の二科展には「郊外」という作品を出品し、青や緑の色面を基調とした新たな画風を打ち出しています。これは新居周辺の環境から啓発されたもので、当時 近隣にはモダンな洋風住宅が立ち並ぶ目白文化村というエリアがありました。
やがて妻と制作していた雑記帳が財政的な理由で第14号で終刊になると、竣介は絵画制作に専念するようになり、1938年の第25回二科展には「街」という作品を出品しました。これは風景画と人物画を融合させた「モンタージュ」と形容された作風で、前期を代表する画風となりました。
松本竣介 「郊外風景」

こちらは1940年(昭和15年)の作品。先述の「郊外」に似た画風ですが、人もいないし一層に単純化が進んでいるように思えます。青緑がかった画面が松本竣介らしい色彩感覚に思えます。
竣介は1940年に東京の日動画廊で個展を開いたそうで、出品作は30点でわずか3日だったそうですが、この個展の頃から画風は変わっていったようです。
松本竣介 「黒い花」

こちらは1940年(昭和15年)の作品。タイトルは黒い花ですが、全体的に青みがかっていて、人物や町が繊細な線描で表されています。戦時中ということもあってか寂しげな光景に見えますね。
竣介は戦争色の濃くなった1941年~1943年の二科展に、3回連続で自身が中央に立つ100号大の大作を発表したそうです。戦時統制で画材の調達も困難になるなど、美術を取り巻く状況も逼迫していたようですが、それらの作品からはその中でどう生き抜くべきか、覚悟のほどを受け取ることができるそうです。
松本竣介 「盛岡風景」

こちらは1941年(昭和16年)の作品で、中学の同級生でもある親友の舟越保武と二人展を開いた時に10年ぶりに故郷の盛岡を訪れ、そのスケッチを元に描かれたようです。初夏の光景でも寒色系が多いのはいつも通りですが、どことなく郷愁を帯びた長閑さや温かみを感じます。背景のビルは測候所で、中学時代はこの建物の近くに住んでいたのだとか。
1941年には美術雑誌「みづゑ」で「芸術は時局のいかんにかかわらず、自律的普遍的な意味がある」と訴えました。これが反体制的と捉えられたのか、一時は当局にマークされていたようです。(とは言え松本竣介は特に反戦という訳でもなかったようです。)
松本竣介 「議事堂のある風景」

こちらは1942年(昭和17年)の作品。右下あたりに大きくカーブしている道があり、その背景にはそびえるような国会議事堂が描かれています。左には煙突や建物、手前にはリアカーを引く人影も描かれていて、深く暗い青色で覆われているためか、寂寞とした印象を受けます。それにしても国会の周りがこんな状態だったんですね。
東京大空襲の後、竣介は家族を疎開させたようですが、自分自身は東京に残りました。20歳の頃に耳の障害を理由に兵役は免除されていたものの、多くの知人・友人が戦地へと送られていく中で、東京に留まることを自身の姿勢として選択していたそうです。その後、自宅の周辺だけは奇跡的に助かったものの、落合も焼け野原になり生活は困窮していったようですが、それでも絵を描いていたようで 空襲の焼け跡を描いた作品なども残されています。
松本竣介 「立てる像」のポスター

こちらは1942年(昭和17年)の作品で、立っているのは画家自身です。背景の地平線がやけに低くく建物が小さいので、画家が巨人のように見えて、世田谷美術館にあるアンリ・ルソーの「フリュマンス・ビッシュの肖像」を思い起こすものがあります。腕をだらりとさせて遠くを見るような顔は、これからどうするのか考えているようにも観えます。背景は高田馬場の辺りらしく、当時の暗い世相と自身の内面を表しているのかもしれません。
今回ご紹介した作品はほとんど風景ですが、松本竣介は人物像もよく描いていました。女性像の方がよく観るように思いますが、竣介の描く女性像は奥さんを想起させるようです。(実際には奥さんがモデルとしてポーズをとったのは「画家の像」という作品の素描の時だけだったそうです。) 竣介の女性像は謎めいて無表情で、口を閉じて虚空を見つめている という特徴の作品が多いのだとか。
松本竣介 「Y市の橋」

こちらは1944年(昭和19年)の作品で、「Y市の橋」とは横浜駅近くの新田間川にかかる月見橋のことです。竣介は横浜まで足を運んでスケッチしていて、とりわけこの橋を気に入っていたらしく様々な角度・時期に描かれた「Y市の橋」があります。この絵はその内の1枚で、くすんだ色彩とタッチが印象的です。複雑で幾何学的な構図が面白いけど、ちょっと廃墟のような雰囲気もあるかな。竣介は生活のために1944年ころから理研化学映画に入社して、東京大空襲の後には勤務地が大船に移り、落合から数時間かけて通っていました。しかしその間にも横浜も大空襲を受け、「Y市の橋」の辺りも被害が出たそうです。変わり果てた橋の様子をを描いた戦後の作品も残されています。
松本竣介は1943年に池袋モンパルナスの仲間と共に「新人画会」を結成しています。しかし翌年には美術報国会の展覧会以外は禁止されてしまい、展覧会を開けなくなって解散しています。
松本竣介 「鉄橋近く」

最後にこちらは1944年(昭和19年)の作品。こちらは五反田周辺の光景で、寂しげで不穏というか超現実的な雰囲気すら感じられるかな。この絵も似た作品やスケッチが残されていてこの場所が気に入っていたと思われます。実際の光景だけど心象風景のように思える作品です。
戦後の1947年には近しい新人画会の画友と共に自由美術協会の再建に参入し、それを機に新たな主題と画法の作品を発表して周囲を驚かせました。それらは戦中に庭の土中に埋められていた赤褐色の絵の具を地色としたもので、大胆な黒の線描をもって人体を抽象的に描いていました。荒々しい筆致で性急に抽象化を推し進めた後、西欧の古典芸術への憧憬も模索し始めていたようです。しかし、その頃の竣介は持病の気管支喘息に加え結核にも蝕まれていて、さらに過労が重なり病臥してしまいます。そして新しい画風の端緒を見せ始めた36歳で病死してしまいました。
ということで、画風は変遷してもどこか哀愁漂う作品が多い画家です。今でも根強い人気があって数年おきくらいで展覧会が開かれているように思いますが、まだ観ぬ名作も多いので また大きな展覧会が行われてほしいものです。
参考記事:
生誕100年松本竣介展 感想前編(世田谷美術館)
生誕100年松本竣介展 感想後編(世田谷美術館)
まず簡単な略歴ですが、松本竣介(本名:佐藤俊介 結婚後に奥さんの松本姓に改めた。1944年には父の勧めで俊介から竣介に名前も改めました)は1912年に東京に生まれ、父の都合で2歳の頃に岩手の盛岡に移り少年時代を過ごしました。小学校の頃は成績優秀で首席で卒業したそうですが、旧制中学の入学式当日に突然病(脳脊髄膜炎)に倒れ、生死の淵をさまよった後に一命は取り留めたものの聴力を失ってしまいました。しかしその1年後には復学したそうで、その頃 東京にいた兄から油彩道具を送ってもらったことがきっかけで、絵に夢中になったようです。17歳になると兄のいる生地 東京に上京し、すぐに太平洋画会研究所選科に通い始め、制作や勉学に励み画との出会いを重ねていきました。
松本竣介 「山景(岩手山)」

こちらは1928年(昭和3年)の17~18歳頃の作品。後の画風とは異なりますが、寂しげな雰囲気はこの頃から漂っています。松本竣介は中学時代から絵を学ぼうとする素朴で真摯な態度だったようで、竣介自身は「個性が出ていない。風景の模写に過ぎぬ」と自己評価するなど当時から早熟の才能を見せていたようです。若い頃の画風はセザンヌやマティス、印象派などを彷彿とすることもありますが、まだちょっと硬いところもありますね。
17歳で上京し、上京から6年経つ頃には既に太平洋画会研究所選科を離れ独自の道を歩み始めていたらしく、1935年に「建物」という作品が二科展で初入選しています。その際、「何よりも建物のたっているということが僕にとって最も大きな魅惑なのだ」と語っていたそうです。また、兄が創刊した雑誌『生命の藝術』の編集の手伝いをしながら文章や挿画を数多く手がけています。
松本竣介 「有楽町駅附近」

こちらは1936年(昭和11年)の作品。これは松本竣介と言われないと分からないかも。強めの輪郭と規則正しい幾何学性が面白い構図です。この時期の作品の骨太の線にはルオーやモディリアーニの影響が観られます。また、風景画の構図には同様のアングルの写真も残っていることがあり、写真を絵画に応用していたと考えられています。二科展の入賞作品も建物だったし、松本竣介は盛岡時代から建物に興味が深かったようです。建物についてはこの先もずっとモチーフとして描かれていくことになります。
二科展入選の後、画家として本格的な活動をスタートさせた竣介は、1936年(入選の翌年)に松本禎子と結婚し、これを機に佐藤姓を松本姓に改め、下落合に新居を構えました。いわゆる池袋モンパルナスの一員です。そしてそのアトリエを「綜合工房」と名付け、夫婦協働によって月刊誌『雑記帳』を創刊しました。また、1937年の二科展には「郊外」という作品を出品し、青や緑の色面を基調とした新たな画風を打ち出しています。これは新居周辺の環境から啓発されたもので、当時 近隣にはモダンな洋風住宅が立ち並ぶ目白文化村というエリアがありました。
やがて妻と制作していた雑記帳が財政的な理由で第14号で終刊になると、竣介は絵画制作に専念するようになり、1938年の第25回二科展には「街」という作品を出品しました。これは風景画と人物画を融合させた「モンタージュ」と形容された作風で、前期を代表する画風となりました。
松本竣介 「郊外風景」

こちらは1940年(昭和15年)の作品。先述の「郊外」に似た画風ですが、人もいないし一層に単純化が進んでいるように思えます。青緑がかった画面が松本竣介らしい色彩感覚に思えます。
竣介は1940年に東京の日動画廊で個展を開いたそうで、出品作は30点でわずか3日だったそうですが、この個展の頃から画風は変わっていったようです。
松本竣介 「黒い花」

こちらは1940年(昭和15年)の作品。タイトルは黒い花ですが、全体的に青みがかっていて、人物や町が繊細な線描で表されています。戦時中ということもあってか寂しげな光景に見えますね。
竣介は戦争色の濃くなった1941年~1943年の二科展に、3回連続で自身が中央に立つ100号大の大作を発表したそうです。戦時統制で画材の調達も困難になるなど、美術を取り巻く状況も逼迫していたようですが、それらの作品からはその中でどう生き抜くべきか、覚悟のほどを受け取ることができるそうです。
松本竣介 「盛岡風景」

こちらは1941年(昭和16年)の作品で、中学の同級生でもある親友の舟越保武と二人展を開いた時に10年ぶりに故郷の盛岡を訪れ、そのスケッチを元に描かれたようです。初夏の光景でも寒色系が多いのはいつも通りですが、どことなく郷愁を帯びた長閑さや温かみを感じます。背景のビルは測候所で、中学時代はこの建物の近くに住んでいたのだとか。
1941年には美術雑誌「みづゑ」で「芸術は時局のいかんにかかわらず、自律的普遍的な意味がある」と訴えました。これが反体制的と捉えられたのか、一時は当局にマークされていたようです。(とは言え松本竣介は特に反戦という訳でもなかったようです。)
松本竣介 「議事堂のある風景」

こちらは1942年(昭和17年)の作品。右下あたりに大きくカーブしている道があり、その背景にはそびえるような国会議事堂が描かれています。左には煙突や建物、手前にはリアカーを引く人影も描かれていて、深く暗い青色で覆われているためか、寂寞とした印象を受けます。それにしても国会の周りがこんな状態だったんですね。
東京大空襲の後、竣介は家族を疎開させたようですが、自分自身は東京に残りました。20歳の頃に耳の障害を理由に兵役は免除されていたものの、多くの知人・友人が戦地へと送られていく中で、東京に留まることを自身の姿勢として選択していたそうです。その後、自宅の周辺だけは奇跡的に助かったものの、落合も焼け野原になり生活は困窮していったようですが、それでも絵を描いていたようで 空襲の焼け跡を描いた作品なども残されています。
松本竣介 「立てる像」のポスター

こちらは1942年(昭和17年)の作品で、立っているのは画家自身です。背景の地平線がやけに低くく建物が小さいので、画家が巨人のように見えて、世田谷美術館にあるアンリ・ルソーの「フリュマンス・ビッシュの肖像」を思い起こすものがあります。腕をだらりとさせて遠くを見るような顔は、これからどうするのか考えているようにも観えます。背景は高田馬場の辺りらしく、当時の暗い世相と自身の内面を表しているのかもしれません。
今回ご紹介した作品はほとんど風景ですが、松本竣介は人物像もよく描いていました。女性像の方がよく観るように思いますが、竣介の描く女性像は奥さんを想起させるようです。(実際には奥さんがモデルとしてポーズをとったのは「画家の像」という作品の素描の時だけだったそうです。) 竣介の女性像は謎めいて無表情で、口を閉じて虚空を見つめている という特徴の作品が多いのだとか。
松本竣介 「Y市の橋」

こちらは1944年(昭和19年)の作品で、「Y市の橋」とは横浜駅近くの新田間川にかかる月見橋のことです。竣介は横浜まで足を運んでスケッチしていて、とりわけこの橋を気に入っていたらしく様々な角度・時期に描かれた「Y市の橋」があります。この絵はその内の1枚で、くすんだ色彩とタッチが印象的です。複雑で幾何学的な構図が面白いけど、ちょっと廃墟のような雰囲気もあるかな。竣介は生活のために1944年ころから理研化学映画に入社して、東京大空襲の後には勤務地が大船に移り、落合から数時間かけて通っていました。しかしその間にも横浜も大空襲を受け、「Y市の橋」の辺りも被害が出たそうです。変わり果てた橋の様子をを描いた戦後の作品も残されています。
松本竣介は1943年に池袋モンパルナスの仲間と共に「新人画会」を結成しています。しかし翌年には美術報国会の展覧会以外は禁止されてしまい、展覧会を開けなくなって解散しています。
松本竣介 「鉄橋近く」

最後にこちらは1944年(昭和19年)の作品。こちらは五反田周辺の光景で、寂しげで不穏というか超現実的な雰囲気すら感じられるかな。この絵も似た作品やスケッチが残されていてこの場所が気に入っていたと思われます。実際の光景だけど心象風景のように思える作品です。
戦後の1947年には近しい新人画会の画友と共に自由美術協会の再建に参入し、それを機に新たな主題と画法の作品を発表して周囲を驚かせました。それらは戦中に庭の土中に埋められていた赤褐色の絵の具を地色としたもので、大胆な黒の線描をもって人体を抽象的に描いていました。荒々しい筆致で性急に抽象化を推し進めた後、西欧の古典芸術への憧憬も模索し始めていたようです。しかし、その頃の竣介は持病の気管支喘息に加え結核にも蝕まれていて、さらに過労が重なり病臥してしまいます。そして新しい画風の端緒を見せ始めた36歳で病死してしまいました。
ということで、画風は変遷してもどこか哀愁漂う作品が多い画家です。今でも根強い人気があって数年おきくらいで展覧会が開かれているように思いますが、まだ観ぬ名作も多いので また大きな展覧会が行われてほしいものです。
参考記事:
生誕100年松本竣介展 感想前編(世田谷美術館)
生誕100年松本竣介展 感想後編(世田谷美術館)
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