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《カミーユ・ピサロ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、印象派のまとめ役で数多くの巨匠たちを導いたカミーユ・ピサロを取り上げます。ピサロは他の印象派のメンバーよりも年長者であり温厚な性格であったので曲者揃いの印象派の中にあって調停役を務めることができた画家で、全8回の印象派展の全てに参加した唯一のメンバーとなります。若い画家の面倒もよく見ていて、セザンヌやゴーギャンといった次世代の画家たちに技法を教えたり称賛を送り励まして 印象派以降の展開にも貢献しました。画家としても当初の印象派の手法だけでなく、若手のスーラの点描を学ぶなど柔軟な姿勢で積極的に新しい表現を追求しました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


カミーユ・ピサロは1830年にカリブ海セント・トーマス島のユダヤ系ポルトガル人の金物屋に生まれ、12歳の時にパリの寄宿学校に入りました。一旦は故郷に戻り家業の手伝いをしていましたが、やがて画家を志すようになり25歳で再びパリに出ました。折しも1855年のパリ万国博覧会が開催されアングルとドラクロワが特別室で展示されていた頃ですが、ピサロはクールベの個展やバルビゾン派に注目したようです。そしてアカデミックな指導よりも自由に描くことができるアカデミー・シュイスに通い、そこでクロード・モネと出会いました。1859年にはサロンに入選するものの1863年には落選し、騒動が起きたマネの「草上の昼食」と同じ落選展にも出品しています。この頃からモネを通じてグレールの画塾のシスレーやルノワールといったメンバーとも知り合ったようです。その後もサロンで入選と落選を繰り返しながら苦しい生活を送っていました。1869年から普仏戦争が始まるとロンドンに疎開し、同じく疎開したモネと共にターナーなどを研究しています。1871年に帰国し、1872年からはポントワーズに引っ越してそこで田園風景などを描いていました。この地にはセザンヌも来ていて、ピサロはセザンヌに戸外制作と印象派の手法を教えています。ピサロの強い勧めでセザンヌは第1回印象派展にも参加できたので、後にピサロへの崇拝に近い気持ちを語っているほどです。

カミーユ・ピサロ 「冬景色」
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こちらは1873年の作品で、ポントワーズの冬景色が描かれています。曇天でちょっと荒涼とした冬の寂しさを感じるかな。平凡な風景だけどカーブした道や左下がりの丘などのおかげで面白い構図になっているように思えます。この作品の解説によると、ピサロの作品は他の印象派の画家たちよりも構築的な造形と堅牢なマティエールが見られるとのことで、確かに印象派としてはきっちりした感じもしますね。

ピサロやモネたちは1872~73年のサロンに応募せず、1873年4月頃からピサロとモネを中心にグループ展の構想を進めていました。そしてピサロが草稿を作り、1874年に(印象派と言うのは後に名付けられた呼称)無審査の自由なグループ展を発足しました。そして1874年4月15日~5月15日までパリで第1回印象派展となる絵画史上で非常に重要な展覧会が開催されました。

カミーユ・ピサロ 「Julie Possarro au jardin」
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これは1874年の作品で、妻のジュリーを描いた肖像画です。この時2人には既に5人の子供をもうけていました(夭折した子もいる)。また、この絵の少し前にはロンドンで知り合った画商のデュラン=リュエルが絵を買ってくれていたので生活は以前より安定していましたが、リュエルの資金難でまた絵が売れなくなっていました。そのせいか奥さんもちょっと渋い顔をしていて苦楽を共にしている感があるかなw 先程の作品に比べるとだいぶ筆致が大胆で、印象派らしい画風に思えます。ちなみにピサロの両親はユダヤ教徒で、奥さんはカトリックだったので両親の反対にあって第一子が生まれてから正式な結婚まで7~8年かかりました。本当に苦難の多い夫婦ですね。

有名な話ですが「印象派」というのは第1回印象派展に出品されたモネの「印象 日の出」を揶揄した呼び方で、批評家にはボロカスに批判されました。ピサロも同じく酷評を受けています。興行的にも失敗で当時は散々な結果でした。

カミーユ・ピサロ 「丸太作りの植木鉢と花」
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こちらは1876年の作品。ピサロの花を描いた作品は十数点しかないので貴重な1枚です。花好きだった奥さんが庭で育てた花を描いたと考えられているようで、印象派らしい瑞々しい雰囲気で描かれているように思えます。色合いも明るいし、もっと花の絵も描けば良かったのにw

この1876年に第2回印象派展が開かれていますが、これまた酷評されてしまいました。生活も苦しく家を差し押さえられそうになったほどだったようですが、印象派仲間で上流階級のカイユボットが支援してくれて何とか免れました。そして翌年の第3回から自ら印象派展を名乗るようになっています。徐々に理解を示す批評家も増えたものの相変わらず印象派の絵は売れず、第3回印象派展の後あたりからサロンへ出品しようとする画家が現れ、グループの不協和音が表面化していきました。(ドガはサロン応募は許さん派、ルノワールやセザンヌはサロンに応募する派って感じ) その結果、第4回・第5回は不参加のメンバーも出ました。肝心のモネも第5回は離脱しています。

カミーユ・ピサロ 「立ち話」
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こちらは1881年頃の作品。こちらもポントワーズの光景で、この作品は1882年の第7回印象派展に出品されています。農村の女性たちの何気ない日常と言った感じで心休まるものを感じます。解説によると左の女性の足元は描き直しの跡があるとのことで、確かに消した足がぼんやり見えるかな。これは左足を垣根に寄りかかる姿勢に変更したためのようです。それもあってか寛いでのんびりした雰囲気ですね。

この年に第6回印象派展が開催されました。第6~7回あたりはドガの一派とカイユボットたちが対立してピサロも調停役として奮闘しています。ドガが出るとカイユボットが出ない、カイユボットが出るとドガは出ないみたいなw ドガが印象派ではない写実主義の画家ジャン=フランソワ・ラファエリを高く評価し印象派展に連れてきたのが原因とされています。

カミーユ・ピサロ 「収穫」
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これもポントワーズの光景を描いた1882年の作品で、第7回印象派展に出品されています。農村で働く人を描いていて、かつて大きな影響を受けたバルビゾン派に通じるものを感じます。また、この作品の特徴は これまで脇役だった人物が大きく描かれている点です。人物には心理描写も導入されているようで、人それぞれのポーズでそれが伺えるかな。そして この絵には多くの習作が残っていてアトリエで入念に制作されたと考えられ、その点でも戸外で短時間で描かれた印象派の制作手法とは一線を画するものがあるようです。何だかんだでピサロも印象派に限界を感じていたのかも知れませんね。

ピサロは1884年にエラニーへと移り住み、晩年までそこに住みました。1885年には新印象主義のシニャックとスーラと出会い、彼らの点描に大きな影響を受け自らもその技法を取り入れて描くようになりました。

カミーユ・ピサロ 「エラニーの花咲く梨の木、朝」
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こちらは1886年の作品で、エラニー=シュル=エプトの風景が描かれています。一目でわかるようにこれまでと異なる点描技法を取り入れていて、これは前年に出会ったスーラからの影響です。結構緻密な点描で、補色関係を使っているので色が一層鮮やかに感じられるように思います。穏やかな陽光が降り注ぐような爽やかな雰囲気です。 しかし、点描法はアトリエで長時間制作しなければならないので、ピサロの制作法に合わずに一時的なものだったようです。1891年にはスーラも亡くなり、ピサロは印象派風の作風に回帰しています。

この1886年に最後となる第8回印象派展が開かれました。この回ではピサロが推す新印象主義の参加が争点となり、結局は別室で展示という形となっています。この展示で有名なスーラの「グランド・ジャット島」も発表され注目を浴びました。

カミーユ・ピサロ 「羊飼いの女」
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こちらは1887年のグワッシュの少し淡い色彩の作品。ここでは点描は使っていませんが、新印象主義の明るく純粋な色彩を追求していた時期なので全体的に光りに溢れた明るい画面となっています。のんびりとした風景で、一種の理想郷みたいな。バルビゾン派のような主題で、人物が主役になっているなど、ここまで見てきたピサロの特徴も出ているように思います。

1887年にはゴッホの弟のテオにも絵を売るようになっていました。1892年にはリュエルの画廊で個展を開くと作品の売れ行きも好調だったようで、その後も継続的にパリやニューヨークで個展を開いています。しかし目の病が悪化していき、1893年からはあまり外での制作は行わないようになっていきました。

カミーユ・ピサロ 「Le village de Knocke」
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こちらは1894年で、ベルギーのクノック村の光景が描かれています。ピサロはベルギーの20人展に招かれるようになっていて(1887年、89年、91年)、この年にはベルギーに旅行もしています。この頃には新印象主義の画風から離れていたようですが、割と点描っぽい画風に見えるかな。赤い屋根と緑が対比的で色が強く感じられる一方、人物は描かれずちょっと寂しい雰囲気に思えます。

この年には世話になったカイユボットが亡くなっています。その遺産として印象派のコレクションをフランス政府に寄贈することになりましたが、アカデミーの反対で2年もの間 論議となり1896年にようやく受け取られました。まだ印象派の地位も固まっていなかったのが伺えるエピソードです。

カミーユ・ピサロ 「ルーアンの波止場・夕陽」
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こちらは1896年で、フランス中部のルーアンの川岸の波止場が描かれています。煙を上げて夕日がぼんやり観えているなど、印象派らしい題材に思えるかな。点描っぽい所もあり新印象主義的な作風も残っているように思います。穏やかな光景で、郷愁を誘われますね。

この後もルーアンやブルゴーニュ地方、ノルマンディー地方などを旅して各地の風景画などを残しています。最晩年にはパリの部屋から描いたシリーズを制作しました。1893年から亡くなるまでの10年間で300点以上も制作しているというのだから驚きです。

カミーユ・ピサロ 「カルーゼル橋の午後」
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こちらは亡くなった1903年の作品。先述のように目の病で野外制作は困難だったので、室内からの眺望となっていて、パリのカルーゼル橋と向かいのルーブル宮が観えています。(今のオルセー美術館とルーブル美術館に挟まれた辺りです) この頃、この界隈のヴォルテール河岸シリーズを描いていて、その1枚となります。葉っぱのない木々がちょっと寂しげだけど、パリの詩情溢れる雰囲気がよく出ていますね。

1903年10月末にこれらのヴォルテール河岸のシリーズを仕上げ、11月13日に亡くなりました。本当に亡くなる直前の作品です。


ということで、ピサロは印象派の成り立ちと発展に不可欠な画家だったと言えます。印象派展にはほぼ毎回出てくるものの何故か個展が開かれることが少なく、関東では2008年に大丸美術館で観たのが最後かも?? 強烈な個性はそれほどありませんが、絵画史上でも重要な画家なので覚えておきたい画家の1人だと思います。
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