《ポール・ゴーギャン》 作者別紹介
今日は作者別紹介で、つとに有名なポスト印象派の画家ポール・ゴーギャン(ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャン/ゴーガン)を取り上げます。ゴーギャンは印象派として画業をスタートし、ポン=タヴェンで後のナビ派となる画家たちに大きな影響を与え、アルルではゴッホとの共同生活を行ったことが知られています。また、未開の地への憧れからタヒチに2度渡り、プリミティブな描写と強い色彩の作品を残しました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。
ゴーギャンは1848年にパリで生まれ、幼くしてペルーに移住し4年ほどリマで過ごしています。7歳の時にフランスに戻り地元の学校やカトリック系の寄宿学校で学んでいました。学校を出てからは商船で働き世界を旅したり 海軍で兵役を務め、23歳の時から株式仲買人として11年間働いています。この仕事は成功してこの頃は裕福だったようで、25歳(1873年頃)の頃から余暇に絵を描き始めて印象派の集まる画廊を訪れて作品購入などもしていました。そしてカミーユ・ピサロと知り合い絵の手ほどきも受けています。1876年にはサロンで入選も果たし、一方で第4回印象派展から最後の第8回まで参加するなど絵画にのめり込んで行きました。1882年にパリの株式市場が大暴落するとゴーギャンは絵に専念することを考え始め、ピサロやセザンヌと一時期活動を共にしています。しかし生活は上手くいかず 奥さんが実家のコペンハーゲンに帰ってしまうと、それを追ってゴーギャンもコペンハーゲンに行っています。コペンハーゲンでは職に就いて働いたものの言葉が分からず失敗し、奥さんに食わせて貰う状態となりました。そして家族を残し(息子を1人だけ連れて)再びパリへと戻り、コペンハーゲンの奥さんからの支援を受けながら画家として本格的に取り組むことになりました。
残念ながら1885年以前の作品の写真は見つかりませんでした。パリに戻る37歳頃から晩年までご紹介していきます。
ポール・ゴーギャン 「水浴の女たち」

こちらはパリに戻る1885年の作品。薄い緑の海で手を取り合う4人の女性の絵で、のんびりした雰囲気です。まだ印象派っぽい作風ですが自然と純朴な水浴が主題となっていて、既に脱文明的なニュアンスを感じるかな。
パリに戻っても生活が苦しいのは相変わらずで、病気がちな息子もいる中で様々な仕事も行っていたようです。客観的に考えれば画業に専念どころじゃない状況かも。それもあって、翌年の1886年には生活費が安いブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在して活動しました。
ポール・ゴーギャン 「白いテーブルクロス」

こちらは1886年の作品で、ポン=タヴェンで滞在した下宿屋の夫人に贈られたものです。明るく爽やかな色彩で、壁の筆致なども含めて印象派っぽさが強めの画風です。ちょっと変わった形の水差しはブルターニュ地方の伝統的なものなのだとか。
この年にエドガー・ドガや、総合主義の共同提唱者となるエミール・ベルナール、シャルル=ラヴァルなどと出会っています。ドガから裸婦の主題の影響を受けたり、ポン=タヴェン派へと発展する画家仲間との出会いのあった非常に重要な年と言えそうです。
ポール・ゴーギャン 「馬の頭部のある静物」

こちらも1886年の作品。ちょっと点描のようなゴーギャンのイメージとは異なる画風に思えるかな(ゴーギャンは点描の新印象主義は嫌いで、それが元でこの絵の少し前にピサロと仲違いしています) 描かれているものは中国風の人形や団扇など東洋趣味の品々で、当時の印象派や後のナビ派と同様に関心が深かったことが伺えます。
1886年の5月には最後となる第8回印象派展も開催されています。ゴーギャンも19点の絵画と1点の木のレリーフを出展していますが、殆どはコペンハーゲンより前の頃の作品だったようです。ちなみに印象派展に初参加した第4回には絵画ではなく彫刻で参加していました。
ポール・ゴーギャン 「マルティニック島の情景」

こちらは1887年の作品。扇形に鉛筆や水彩などで描かれていて、ジャポニスムの影響を受けた扇形となっています。水彩やパステルを使っているのに以前よりも色が対比的で強く感じられます。うねる木々や足を組む女性など全体的に生き生きとした雰囲気が増しているようにも思えるかな。
この年、シャルル=ラヴァルと共にパナマやカリブ海のマルティニック島に滞在しています。パナマ滞在中に破産して本国に戻ることになったようですが、マルティニック島で半年ほど過ごし 現地の様子を描きました。
こちらはセットの作品。

タヒチ以前にもこうした原初的な風景に憧れていたのがよく分かります。と言うか初めて観た時はタヒチの絵かと思ってしまったw 頭に物を乗っけている子はインドっぽい仕草に思えますが、この島にはインド系移民の村もあったようです。この島を訪れた後、インド的なモチーフも登場していくのだとか。
こうしたマルティニック島での作品はパリに持ち帰られ、画商のテオを通してゴッホも観ています。感銘を受けたゴッホはゴーギャンと親しくなり、画家たちの共同生活の夢を描くようになりました。
ポール・ゴーギャン 「ブルターニュ風景」

こちらは1888年の作品で、2回目のポン=タヴェン滞在時期の頃だと思われます。この時期のゴーギャンらしさを感じるけどまだ印象派風な感じです。抑えめだけど対比的な色使いとなっていますね。
この1888年にポール・セリュジエがポール・ゴーギャンに教えを受けて描いた「タリスマン(護符)」を仲間に見せたのをきっかけに「ナビ派」が結成されています。アカデミーの正確な描写と全く異なるゴーギャンの理論に衝撃を受け、セリュジエは教えを受けたその翌日にはパリへと戻り仲間に伝えたというのだから その興奮ぶりが伺えるエピソードです。それにしてもタリスマンのほうがこの絵より抽象化が進んでいるのは何故なんだろうかw
ポール・ゴーギャン 「ポン=タヴェン付近の風景」

こちらも1888年の作品でポン=タヴェン付近を描いています。誰もいない寂しい光景で、荒涼とした印象を受けます。空はどんよりして色も沈みがちですね。
この1888年にはエミール・ベルナールと共に総合主義を成立させたり、年末の9週間はゴッホとの共同生活を行っています。ゴッホがバルビゾン村のような共同生活を画家たちに呼びかけ、それに応じた唯一の画家がゴーギャンだった訳ですが、理想に共感したというよりはゴッホの弟のテオの支援金が目当てでした。自然を描きたいゴッホと 象徴的な世界を描きたいゴーギャンではお互いの目指す芸術には隔たりがあり、強烈な個性も相まって長くは持ちませんでしたがお互いに影響を受けた作品を残しています。(ゴーギャンの神秘主義への傾倒を取り込み、ゴーギャン風に厚塗りしない表現で描いたゴッホの作品が残っています) しかし有名なゴッホの耳切り事件によって2人は決裂し、ゴッホは精神病院へ送られゴーギャンはアルルを去りました。その後2人は再会することはなかったものの、手紙のやり取りは続いていたようです。なお、貴重なアルル時代のゴーギャンの作品にはSOMPO美術館の「アリスカンの並木路、アルル」などがあります。
ポール・ゴーギャン 「乾草」

こちらは1889年の作品。森の中で作業する人と、猫の姿がポツンとして目を引きます。静かで哀愁漂う光景かな。
この1889年にはパリ万国博覧会で最初の象徴主義展が開催されています。翌年の1890年にはルドンやマラルメなどの象徴主義の画家たちと交友を重ねていたようです。
ポール・ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」

こちらは1889年の作品で、製作年から察するに3回目のポン=タヴェン滞在の頃に描かれたものだと思います。先程の絵から一気に画風が代わっていて、平坦で様式化された表現は日本の浮世絵からの影響も指摘されます。着ているのはこの地方独特の民族衣装で、ゴーギャンがブルターニュを好んだのは こうした古代ケルトの文化を残す文化に惹かれていた為です。色は一層明るく強くなっていて、プリミティブな雰囲気が漂います。
この頃からゴーギャンは平坦な色面に強い輪郭線を持った「クロワゾニスム」という手法をよく使うようになっています。これは中世の七宝焼き(クロワゾネ)の装飾技法から名付けられたもので、観るものに強い印象を与えます。形態と色彩の両面が等しい役割を持つ「綜合主義」の1つの表れです。
ポール・ゴーギャン 「異国のエヴァ」

これは1890または1894年の水彩で、一見するとタヒチの様子のように見えますが、タヒチに行く前にパリ万博で観た異国の品を観たのを元に描いていると考えられているようです。森の中に立つ裸婦とリンゴの木に絡む蛇の存在がアダムの妻のエヴァ(イヴ)を思わせます。やや素朴な画風に見え、原始を求めたゴーギャンの指向性が感じられますね。このエヴァの要望は母の写真を基に描いたのだとか。
この頃からゴーギャンは未開の地を求めてタヒチへの旅行を思い描くようになっていました。その下地には幼少期のペルーでの生活などもあったようで、文明社会から離れたいという思いがありました。
ポール・ゴーギャン 「画家スレヴィンスキーの肖像」

こちらは1891年の作品で、タヒチに行く直前と思われます。人物やテーブルにはクロワゾニスムの黒い輪郭線と色面のような表現が使われていているけど、花には使われていません。そのせいか花束が明るく見えて手前に浮いてくるような印象を受けます。花束の後ろの白いものは何だろう…w 絵でも飾っているんでしょうか?? 立体感がないので並列に見えるw
この年にはエミール・ベルナールと喧嘩分かれし、旅の資金が出来たのでタヒチへと旅立ちました。
ポール・ゴーギャン 「タヒチの女たち」のポスター

こちらは1891年の作品で、最初のタヒチ時代の代表作です。砂浜で座る2人の女性が描かれ、左は片手をついて足を伸ばす赤と白のパレオ(スカートみたいな民族衣装)の女性で、目をつぶって波の音でも聞いていそうな感じです。右はピンク色のワンピースの女性で、手で何かを編みながらチラっと右の方をみています。左の女性の曲線と、右の女性の丸みが響き合っていて、背景の水平線が効果的な構図となっています。色の鮮やかさと素朴な雰囲気が生命感を感じさせる傑作です。
ゴッホはこのタヒチへの渡航で多くの傑作を残しています。タヒチ=文明化していない楽園と思ってきたものの、この時代でも文明化の波は着ていたようです。しかし、現地の風習や伝承に興味を持ち 失われつつある独特の文化に触れて作品に取り入れ、明らかに作品に力強さとダイナミックさが増した時期だと思います。
ちなみにタヒチでは13歳の少女を現地妻(ゴーギャンは42歳!)としていたりします。そんな感じでタヒチを離れる意志は無かったと思われますが、滞在費用が尽きて心臓病の病状が出たので2年後の1893年にフランスに帰国しました。
ポール・ゴーギャン 「パレットを持つ自画像」の映像

こちらは1893年の作品。帰国した後か分かりませんが、この頃の自分の姿を描いていて中世の画家か聖人か?という雰囲気を湛えています。(実際には気難しい人物ですが…w) この絵を観る限り穏やかな眼差しと厳格さが同居しているように感じます。
この頃は貧乏でカツカツの生活だったようです。パリに戻ってから発表したタヒチ作品の評価は低かったようで、ゴーギャンは版画で魅力を伝えようと考え版画製作に取り組みました。それがこのノアノアの一連の作品です。
ポール・ゴーギャン 「ノア・ノア(かぐわしい)」

こちらは1893~94年頃の作品で、ノアノアっていうのはタヒチで「かぐわしい」という意味です。手前に人や獣(犬?)の姿、奥にも人の姿がありタヒチでの暮らしぶりを伝えているようです。線描もかなり簡略化されていて、素朴で力強い表現に思えます。ちなみにゴーギャンの作品には犬がよく出てきますが、犬はゴーギャン本人を表しているようです。
この版画シリーズには3つの種類があって以下のようになります。
【自刷り】 自分で刷った1点もの。あえてぼやけた感じに仕上がっている。
【ルイ・ロワ版】 黄色や赤が鮮やかな刷り
【ポーラ版】 モノクロで彫り目がくっきり現れる刷り。細部まで分かりやすい
ポール・ゴーギャン 「ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)」

こちらもノア・ノアのシリーズの1枚。こちらは黄色や赤が鮮やかなのでルイ・ロワ版かな? 南国らしい花や木を描いていると共に、旧約聖書の失楽園をテーマにしていて、女性の顔のすぐ左には赤い羽の生えたトカゲ?がいます。これは蛇で、女性はエヴァを表しているようです。ゴーギャンのタヒチ観が伺えますね。色鮮やかで版画でも見栄えのする作品です。
1894年にポール・デュラン=リュエルの画廊で開催した個展では40点中11点が売れ、高値がついたようです。一方でアンブロワーズ・ヴォラールの画廊でも展示されていて、2度目のタヒチ渡航後もゴーギャンの作品を取り扱っています。この時期にはアンドレ・マルティが企画し、著名な画家や版画家から新人に至るまで幅広い人々を起用した「レスタンプ・オリジナル」という版画集にも作品を提供するなど、意外と名が売れていたようなエピソードもあります。しかし妻とは金銭を巡って争っていたり、エミール・ベルナールに批判記事を書かれたりしていて、再び逃げるように1895年にタヒチを目指しました。
ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへいくのか」の映像

こちらは2度目のタヒチ渡航時の1897年の作品で、ゴーギャンの集大成とも言える代表作です。今まで使ってきたモチーフやポーズを駆使し、右側から左側に向かって誕生から死、再生までを描いています。
この絵を観て真っ先に目に付くのが林檎をもぎ取っている人と青い女神像です。もぎ取ってる人は生命感があるので、これが命の象徴なのかな? 逆にボーっと浮き上がるような青色の女神は死を連想しますが、実は再生の神のようです。1枚の中にゴーギャンのすべてを注ぎ込み、生死という根源的なテーマを扱ったこの作品は、文句無く最高傑作だと思います。139cm×374cmという作品の大きさからも圧倒的なオーラが漂っています。
この2度目のタヒチ渡航を最後にフランスに戻ることはありませんでした。タヒチ滞在時に娘の死の知らせが舞い込み、絶望したゴーギャンは自殺すらも考えたようです。そしてその遺言としてこの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を描きました。
ポール・ゴーギャン 「テ・アトゥア(神々)」

1899年の作品。現地での神の様子が描かれ、神秘的かつ原初的な雰囲気となっています。
タヒチでは徐々に絵の売上も上がり、生活は安定していったようです。大きなアトリエを持ち現地での政治的な地位も高まっていきました。そして資金にも余裕が出来た為、より未開を目指してパペーテからマルキーズ諸島へと移っていきました。
ポール・ゴーギャン 「Paysage」

こちらは1901年の作品で、日本語にすると「風景」です。詳細が無いのでパペーテかマルキーズ諸島か分かりませんが、青や緑の多い爽やかな色彩で現地の空気感が伝わってきます。一方で2人の人物の後ろ姿が何とも象徴的で寂しげに思えるかな。
この頃はマルキーズ諸島も西欧化が進んでいたようで、教会やミッションスクールなどの在り方について教会とぶつかっています。最晩年には原地民を擁護して現地の教会や官憲と対立し 裁判で禁固三ヶ月の判決を受けていますが、持病が悪化し1903年に亡くなりました。
ということで波乱万丈の人生となっています。経歴や言動を観ると人格は褒められたものではないですが、その芸術は後世まで大きな影響を与え今でも人気の画家となっています。各地の美術館や大型展で観る機会も多いので、詳しく知っておくと鑑賞の際に深い見方が出来ると思います。
参考記事:
ゴーギャン展2009 (東京国立近代美術館)
映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」(ややネタバレあり)
ゴーギャンは1848年にパリで生まれ、幼くしてペルーに移住し4年ほどリマで過ごしています。7歳の時にフランスに戻り地元の学校やカトリック系の寄宿学校で学んでいました。学校を出てからは商船で働き世界を旅したり 海軍で兵役を務め、23歳の時から株式仲買人として11年間働いています。この仕事は成功してこの頃は裕福だったようで、25歳(1873年頃)の頃から余暇に絵を描き始めて印象派の集まる画廊を訪れて作品購入などもしていました。そしてカミーユ・ピサロと知り合い絵の手ほどきも受けています。1876年にはサロンで入選も果たし、一方で第4回印象派展から最後の第8回まで参加するなど絵画にのめり込んで行きました。1882年にパリの株式市場が大暴落するとゴーギャンは絵に専念することを考え始め、ピサロやセザンヌと一時期活動を共にしています。しかし生活は上手くいかず 奥さんが実家のコペンハーゲンに帰ってしまうと、それを追ってゴーギャンもコペンハーゲンに行っています。コペンハーゲンでは職に就いて働いたものの言葉が分からず失敗し、奥さんに食わせて貰う状態となりました。そして家族を残し(息子を1人だけ連れて)再びパリへと戻り、コペンハーゲンの奥さんからの支援を受けながら画家として本格的に取り組むことになりました。
残念ながら1885年以前の作品の写真は見つかりませんでした。パリに戻る37歳頃から晩年までご紹介していきます。
ポール・ゴーギャン 「水浴の女たち」

こちらはパリに戻る1885年の作品。薄い緑の海で手を取り合う4人の女性の絵で、のんびりした雰囲気です。まだ印象派っぽい作風ですが自然と純朴な水浴が主題となっていて、既に脱文明的なニュアンスを感じるかな。
パリに戻っても生活が苦しいのは相変わらずで、病気がちな息子もいる中で様々な仕事も行っていたようです。客観的に考えれば画業に専念どころじゃない状況かも。それもあって、翌年の1886年には生活費が安いブルターニュ地方のポン=タヴェンに滞在して活動しました。
ポール・ゴーギャン 「白いテーブルクロス」

こちらは1886年の作品で、ポン=タヴェンで滞在した下宿屋の夫人に贈られたものです。明るく爽やかな色彩で、壁の筆致なども含めて印象派っぽさが強めの画風です。ちょっと変わった形の水差しはブルターニュ地方の伝統的なものなのだとか。
この年にエドガー・ドガや、総合主義の共同提唱者となるエミール・ベルナール、シャルル=ラヴァルなどと出会っています。ドガから裸婦の主題の影響を受けたり、ポン=タヴェン派へと発展する画家仲間との出会いのあった非常に重要な年と言えそうです。
ポール・ゴーギャン 「馬の頭部のある静物」

こちらも1886年の作品。ちょっと点描のようなゴーギャンのイメージとは異なる画風に思えるかな(ゴーギャンは点描の新印象主義は嫌いで、それが元でこの絵の少し前にピサロと仲違いしています) 描かれているものは中国風の人形や団扇など東洋趣味の品々で、当時の印象派や後のナビ派と同様に関心が深かったことが伺えます。
1886年の5月には最後となる第8回印象派展も開催されています。ゴーギャンも19点の絵画と1点の木のレリーフを出展していますが、殆どはコペンハーゲンより前の頃の作品だったようです。ちなみに印象派展に初参加した第4回には絵画ではなく彫刻で参加していました。
ポール・ゴーギャン 「マルティニック島の情景」

こちらは1887年の作品。扇形に鉛筆や水彩などで描かれていて、ジャポニスムの影響を受けた扇形となっています。水彩やパステルを使っているのに以前よりも色が対比的で強く感じられます。うねる木々や足を組む女性など全体的に生き生きとした雰囲気が増しているようにも思えるかな。
この年、シャルル=ラヴァルと共にパナマやカリブ海のマルティニック島に滞在しています。パナマ滞在中に破産して本国に戻ることになったようですが、マルティニック島で半年ほど過ごし 現地の様子を描きました。
こちらはセットの作品。

タヒチ以前にもこうした原初的な風景に憧れていたのがよく分かります。と言うか初めて観た時はタヒチの絵かと思ってしまったw 頭に物を乗っけている子はインドっぽい仕草に思えますが、この島にはインド系移民の村もあったようです。この島を訪れた後、インド的なモチーフも登場していくのだとか。
こうしたマルティニック島での作品はパリに持ち帰られ、画商のテオを通してゴッホも観ています。感銘を受けたゴッホはゴーギャンと親しくなり、画家たちの共同生活の夢を描くようになりました。
ポール・ゴーギャン 「ブルターニュ風景」

こちらは1888年の作品で、2回目のポン=タヴェン滞在時期の頃だと思われます。この時期のゴーギャンらしさを感じるけどまだ印象派風な感じです。抑えめだけど対比的な色使いとなっていますね。
この1888年にポール・セリュジエがポール・ゴーギャンに教えを受けて描いた「タリスマン(護符)」を仲間に見せたのをきっかけに「ナビ派」が結成されています。アカデミーの正確な描写と全く異なるゴーギャンの理論に衝撃を受け、セリュジエは教えを受けたその翌日にはパリへと戻り仲間に伝えたというのだから その興奮ぶりが伺えるエピソードです。それにしてもタリスマンのほうがこの絵より抽象化が進んでいるのは何故なんだろうかw
ポール・ゴーギャン 「ポン=タヴェン付近の風景」

こちらも1888年の作品でポン=タヴェン付近を描いています。誰もいない寂しい光景で、荒涼とした印象を受けます。空はどんよりして色も沈みがちですね。
この1888年にはエミール・ベルナールと共に総合主義を成立させたり、年末の9週間はゴッホとの共同生活を行っています。ゴッホがバルビゾン村のような共同生活を画家たちに呼びかけ、それに応じた唯一の画家がゴーギャンだった訳ですが、理想に共感したというよりはゴッホの弟のテオの支援金が目当てでした。自然を描きたいゴッホと 象徴的な世界を描きたいゴーギャンではお互いの目指す芸術には隔たりがあり、強烈な個性も相まって長くは持ちませんでしたがお互いに影響を受けた作品を残しています。(ゴーギャンの神秘主義への傾倒を取り込み、ゴーギャン風に厚塗りしない表現で描いたゴッホの作品が残っています) しかし有名なゴッホの耳切り事件によって2人は決裂し、ゴッホは精神病院へ送られゴーギャンはアルルを去りました。その後2人は再会することはなかったものの、手紙のやり取りは続いていたようです。なお、貴重なアルル時代のゴーギャンの作品にはSOMPO美術館の「アリスカンの並木路、アルル」などがあります。
ポール・ゴーギャン 「乾草」

こちらは1889年の作品。森の中で作業する人と、猫の姿がポツンとして目を引きます。静かで哀愁漂う光景かな。
この1889年にはパリ万国博覧会で最初の象徴主義展が開催されています。翌年の1890年にはルドンやマラルメなどの象徴主義の画家たちと交友を重ねていたようです。
ポール・ゴーギャン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」

こちらは1889年の作品で、製作年から察するに3回目のポン=タヴェン滞在の頃に描かれたものだと思います。先程の絵から一気に画風が代わっていて、平坦で様式化された表現は日本の浮世絵からの影響も指摘されます。着ているのはこの地方独特の民族衣装で、ゴーギャンがブルターニュを好んだのは こうした古代ケルトの文化を残す文化に惹かれていた為です。色は一層明るく強くなっていて、プリミティブな雰囲気が漂います。
この頃からゴーギャンは平坦な色面に強い輪郭線を持った「クロワゾニスム」という手法をよく使うようになっています。これは中世の七宝焼き(クロワゾネ)の装飾技法から名付けられたもので、観るものに強い印象を与えます。形態と色彩の両面が等しい役割を持つ「綜合主義」の1つの表れです。
ポール・ゴーギャン 「異国のエヴァ」

これは1890または1894年の水彩で、一見するとタヒチの様子のように見えますが、タヒチに行く前にパリ万博で観た異国の品を観たのを元に描いていると考えられているようです。森の中に立つ裸婦とリンゴの木に絡む蛇の存在がアダムの妻のエヴァ(イヴ)を思わせます。やや素朴な画風に見え、原始を求めたゴーギャンの指向性が感じられますね。このエヴァの要望は母の写真を基に描いたのだとか。
この頃からゴーギャンは未開の地を求めてタヒチへの旅行を思い描くようになっていました。その下地には幼少期のペルーでの生活などもあったようで、文明社会から離れたいという思いがありました。
ポール・ゴーギャン 「画家スレヴィンスキーの肖像」

こちらは1891年の作品で、タヒチに行く直前と思われます。人物やテーブルにはクロワゾニスムの黒い輪郭線と色面のような表現が使われていているけど、花には使われていません。そのせいか花束が明るく見えて手前に浮いてくるような印象を受けます。花束の後ろの白いものは何だろう…w 絵でも飾っているんでしょうか?? 立体感がないので並列に見えるw
この年にはエミール・ベルナールと喧嘩分かれし、旅の資金が出来たのでタヒチへと旅立ちました。
ポール・ゴーギャン 「タヒチの女たち」のポスター

こちらは1891年の作品で、最初のタヒチ時代の代表作です。砂浜で座る2人の女性が描かれ、左は片手をついて足を伸ばす赤と白のパレオ(スカートみたいな民族衣装)の女性で、目をつぶって波の音でも聞いていそうな感じです。右はピンク色のワンピースの女性で、手で何かを編みながらチラっと右の方をみています。左の女性の曲線と、右の女性の丸みが響き合っていて、背景の水平線が効果的な構図となっています。色の鮮やかさと素朴な雰囲気が生命感を感じさせる傑作です。
ゴッホはこのタヒチへの渡航で多くの傑作を残しています。タヒチ=文明化していない楽園と思ってきたものの、この時代でも文明化の波は着ていたようです。しかし、現地の風習や伝承に興味を持ち 失われつつある独特の文化に触れて作品に取り入れ、明らかに作品に力強さとダイナミックさが増した時期だと思います。
ちなみにタヒチでは13歳の少女を現地妻(ゴーギャンは42歳!)としていたりします。そんな感じでタヒチを離れる意志は無かったと思われますが、滞在費用が尽きて心臓病の病状が出たので2年後の1893年にフランスに帰国しました。
ポール・ゴーギャン 「パレットを持つ自画像」の映像

こちらは1893年の作品。帰国した後か分かりませんが、この頃の自分の姿を描いていて中世の画家か聖人か?という雰囲気を湛えています。(実際には気難しい人物ですが…w) この絵を観る限り穏やかな眼差しと厳格さが同居しているように感じます。
この頃は貧乏でカツカツの生活だったようです。パリに戻ってから発表したタヒチ作品の評価は低かったようで、ゴーギャンは版画で魅力を伝えようと考え版画製作に取り組みました。それがこのノアノアの一連の作品です。
ポール・ゴーギャン 「ノア・ノア(かぐわしい)」

こちらは1893~94年頃の作品で、ノアノアっていうのはタヒチで「かぐわしい」という意味です。手前に人や獣(犬?)の姿、奥にも人の姿がありタヒチでの暮らしぶりを伝えているようです。線描もかなり簡略化されていて、素朴で力強い表現に思えます。ちなみにゴーギャンの作品には犬がよく出てきますが、犬はゴーギャン本人を表しているようです。
この版画シリーズには3つの種類があって以下のようになります。
【自刷り】 自分で刷った1点もの。あえてぼやけた感じに仕上がっている。
【ルイ・ロワ版】 黄色や赤が鮮やかな刷り
【ポーラ版】 モノクロで彫り目がくっきり現れる刷り。細部まで分かりやすい
ポール・ゴーギャン 「ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)」

こちらもノア・ノアのシリーズの1枚。こちらは黄色や赤が鮮やかなのでルイ・ロワ版かな? 南国らしい花や木を描いていると共に、旧約聖書の失楽園をテーマにしていて、女性の顔のすぐ左には赤い羽の生えたトカゲ?がいます。これは蛇で、女性はエヴァを表しているようです。ゴーギャンのタヒチ観が伺えますね。色鮮やかで版画でも見栄えのする作品です。
1894年にポール・デュラン=リュエルの画廊で開催した個展では40点中11点が売れ、高値がついたようです。一方でアンブロワーズ・ヴォラールの画廊でも展示されていて、2度目のタヒチ渡航後もゴーギャンの作品を取り扱っています。この時期にはアンドレ・マルティが企画し、著名な画家や版画家から新人に至るまで幅広い人々を起用した「レスタンプ・オリジナル」という版画集にも作品を提供するなど、意外と名が売れていたようなエピソードもあります。しかし妻とは金銭を巡って争っていたり、エミール・ベルナールに批判記事を書かれたりしていて、再び逃げるように1895年にタヒチを目指しました。
ポール・ゴーギャン 「我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへいくのか」の映像

こちらは2度目のタヒチ渡航時の1897年の作品で、ゴーギャンの集大成とも言える代表作です。今まで使ってきたモチーフやポーズを駆使し、右側から左側に向かって誕生から死、再生までを描いています。
この絵を観て真っ先に目に付くのが林檎をもぎ取っている人と青い女神像です。もぎ取ってる人は生命感があるので、これが命の象徴なのかな? 逆にボーっと浮き上がるような青色の女神は死を連想しますが、実は再生の神のようです。1枚の中にゴーギャンのすべてを注ぎ込み、生死という根源的なテーマを扱ったこの作品は、文句無く最高傑作だと思います。139cm×374cmという作品の大きさからも圧倒的なオーラが漂っています。
この2度目のタヒチ渡航を最後にフランスに戻ることはありませんでした。タヒチ滞在時に娘の死の知らせが舞い込み、絶望したゴーギャンは自殺すらも考えたようです。そしてその遺言としてこの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を描きました。
ポール・ゴーギャン 「テ・アトゥア(神々)」

1899年の作品。現地での神の様子が描かれ、神秘的かつ原初的な雰囲気となっています。
タヒチでは徐々に絵の売上も上がり、生活は安定していったようです。大きなアトリエを持ち現地での政治的な地位も高まっていきました。そして資金にも余裕が出来た為、より未開を目指してパペーテからマルキーズ諸島へと移っていきました。
ポール・ゴーギャン 「Paysage」

こちらは1901年の作品で、日本語にすると「風景」です。詳細が無いのでパペーテかマルキーズ諸島か分かりませんが、青や緑の多い爽やかな色彩で現地の空気感が伝わってきます。一方で2人の人物の後ろ姿が何とも象徴的で寂しげに思えるかな。
この頃はマルキーズ諸島も西欧化が進んでいたようで、教会やミッションスクールなどの在り方について教会とぶつかっています。最晩年には原地民を擁護して現地の教会や官憲と対立し 裁判で禁固三ヶ月の判決を受けていますが、持病が悪化し1903年に亡くなりました。
ということで波乱万丈の人生となっています。経歴や言動を観ると人格は褒められたものではないですが、その芸術は後世まで大きな影響を与え今でも人気の画家となっています。各地の美術館や大型展で観る機会も多いので、詳しく知っておくと鑑賞の際に深い見方が出来ると思います。
参考記事:
ゴーギャン展2009 (東京国立近代美術館)
映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」(ややネタバレあり)
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