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《オーギュスト・ロダン》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、近代彫刻の父と呼ばれ後世に絶大な影響を与えたオーギュスト・ロダンを取り上げます。ロダンは若い頃は美術学校の受験に3度も失敗し 装飾の仕事をするなど苦しい時期を過ごしましたが、30代後半から本格的に活動を開始するとその圧倒的なリアリティと大胆さで一気に名声を確立しました。1880年からはライフワークとも言える「地獄の門」の制作を行い、その派生作品として「考える人」や「接吻」など数多くの傑作を生んでいます。交流関係も広く、同時代や後世の芸術家に大きな影響を与えました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


ロダンは1840年にパリに生まれ、10歳頃から絵に感心を持ち帝国素描学校に入っています。しかし国立高等美術学校受験には3回受験したものの不合格で、結局 は専門教育を受けずに独学で彫刻を学んでいくことになります。そして、精神を病んで修道院に入った姉が病気で亡くなると、ロダンも修道士の見習いとなろうとしましたが、司教に修道士は不向きなので美術を続けるように諭され、動物彫刻家のカリエ=べルーズに弟子入りしました。20代半ばになると家庭を持ったものの普仏戦争の影響で生活が苦しくなり、ベルギーに仕事を求めて単身赴任し装飾職人として働きました。(この時代も独学していたようです) やがてお金蓄えてイタリアに旅行に行き、そこで観たミケランジェロやドナテッロに感激し、多大な影響を受けて彫刻家としての活動を開始しました。

※ロダンの作品はブロンズの複製が多いので、原型が作られた年代に沿ってご紹介していこうと思います。

オーギュスト・ロダン 「青銅時代」
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こちらは1877年(原型)の37歳頃の作品。イタリア旅行から帰ってすぐに作られたもので、腰をひねる様子は古代からの伝統的なポーズです。私には苦悩の表情とポーズのように見えるのでが、1877年のブリュッセルの「芸術サークル」展では「敗北者」と題されたそうです。さらにその後、神々の世界である黄金と白銀の時代を経て人類がこの世に初めて生まれ出た「青銅時代」と名付け普遍的な意味を持たせたのだとか。悩んでいるのではなく歩き出した感じってことですね。

この作品は実物大でリアルだったので実際の人間から型を取ったのではないかと疑われたそうです。そこでロダンは疑いを払拭するために2年後に大きめのサイズの作品を作ってその表現力が実力によるものと示し、驚きと共に名声が広まりました。デビューは遅かったですが、デビューしてすぐに名が売れるとは流石です。

オーギュスト・ロダン 「説教する洗礼者ヨハネ」
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こちらは1880年(原型)の作品で、洗礼者ヨハネを表しています。筋肉ムキムキで手足が非常に長く見え、威厳に満ちていて話しけてくるような雰囲気です。これはイタリアの農夫がモデルで、腕の位置などは解剖学的には正確ではなく 歩く姿であるものの両足が地に付いているのですが、ロダンは「真実を語るのは芸術家であり、偽るのは写真である。何故なら現実に時間が止まることは決してないからだ」と語っていたようです。ロダンの作品に迫力があるのは、こうした考えがあったからかもしれませんね。

この年に国立美術館のためのモニュメントの依頼を受け、それが代表作の「地獄の門」となって行きます。しかし構想に非常に時間がかかっているので、後ほど関連作と共にまとめてご紹介しようと思います。

オーギュスト・ロダン 「アンリ・ロシュフォールの胸像」
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こちらは1884年の作品で、モデルは政治家でジャーナリストでもあった人物で、ロダンとも交流もありました。髪型やおでこが大きく胸の辺りが荒々しい感じで、厳格そうな雰囲気があります。この作品は一度発表された後に手直しされていて、こちらは手直し後のバージョンです。手直し前より前頭部が強調されて知的な表情となっているのだとか。

ロダンはこの頃に弟子の女性彫刻家カミーユ・クローデルと恋仲になり 奥さんとの修羅場も迎えています。奥さんは病気に倒れますが、結局はロダンは奥さんの元に戻りました。一方、カミーユ・クローデルはショックで精神を壊し、精神病院で生涯を過ごしています。人としてどうなんだ?って気はしますが、このカミーユ・クローデルとの恋によって女性や愛をテーマにした作品も多く作られました。

オーギュスト・ロダン 「ヴィクトル・ユゴー」
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こちらは1885年の作品で、「レ・ミゼラブル(ああ無情)」などで有名な小説家の胸像です。ユゴーはロダンより前にも胸像のモデルとなったことがあり、長時間のポーズを嫌い制作に際しては特別にポーズを取らないことを条件にOKしたそうです。そのためバルコニーの外から観察していたそうで、ちょっと気難しそうな顔に見えるのも納得かなw そんな苦労して作ったのにユゴーの家族にはあまり評価されなかったのだとか。

この作品を含め、ロダンは著名人の肖像彫刻を数多く制作しています。特に名声の確立した晩年の1900年代は依頼が多かったそうで、後ほどいくつかご紹介します。この作品は比較的早めの著名人像と言えそうです。

オーギュスト・ロダン 「カレーの市民」
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こちらは1884~88年頃の作品で、ロダンの初の記念碑彫刻です。フランス北部のドーバー海峡に面するカレーの街で百年戦争の頃にイギリスの攻撃から街を守った6人の英雄を主題としています。依頼したカレー市は英雄の1人を際立たせたかったようですが、6人全員が等しい高さで しかも悩んでいるような感じで英雄とは程遠い出来栄えとなっています。当時の市当局はこれを理解できずに拒否し、台座などでも発注者と意見が合わずに設置に12年もかかったそうです。しかし私はロダンの作品の中でもこれは特に好きで、それぞれの個性や人間としての苦悩が表れているように思います。

この頃、モネと2人でロダン展を開催しています。ロダンはこの時、新作だった「カレーの市民」をモネの主要作品の前に置いたそうで、そのことについてモネと怒鳴り合いの喧嘩になったそうです。それでもその後も2人の親交は続いていきました。

ここからちょっと時代を巻き戻して「地獄の門」の関連作を観ていきます。

オーギュスト・ロダン「地獄の門のマケット(第三構想)」
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こちらは1881~82年頃の構想段階のマケット。割と完成形の雰囲気に似ていますがまだ考える人もいないし細部はだいぶ違うかな。既に蠢くような感じは出てます。

1880年に政府から装飾美術館の為の入口の門扉を依頼された際、ロダンはすぐに愛読していた『神曲』をテーマにすることを決意したようです。それ以前の1876年にも『神曲』に取材した「ウゴリーノと息子たち」を作っていたので、相当に傾倒していたことが伺えます。

オーギュスト・ロダン「復讐の女神エリニュスの一人」
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こちらはロダンが1年間に渡ってダンテの「神曲 地獄篇」を元に想像した地獄のデッサンを集めた「アルバム・フナイユ」の中の1枚。殺戮や嫉妬といったヤバいものを司る復讐の女神たちの1人で、地獄行きになっています。ぎょろっとした目と表情が異様な迫力で怖いw かなりインパクトがあって、素描の腕前も見事です。

このアルバム・フナイユは142点のデッサンを版画化したもので、支援者の美術愛好家モーリス・フナイユの名を取ってこの名前となっていて、ロダン自身が制作に深く関わった為、高い評価を得ています。とは言え、このデッサンは現実から離れ過ぎた為に一旦放棄して、自然に基づいてデッサンをやり直したそうで、「地獄の門」の完成作には出てこないモチーフもあります。

オーギュスト・ロダン「空中の悪魔」
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こちらもアルバム・フナイユからの1枚。悪魔とのことですが、クロールしてる人に見えるw 地獄の門には使われてなさそうに見えるけど、この自由で躍動感があるのは面白い。

当初、「地獄の門」はフィレンツェ洗礼堂のギベルティの「天国の門」にならった構成にしようと考えていたそうで、左右の扉がそれぞれ縦に4つのパネルに区切られ、全体で8面の浮彫によって「地獄篇」の情景を表現して、中央に巨像を置く構成だったようです。しかし主題も構成も渾沌としたものへと変貌していき、先程のマケットのようになっていきました。

オーギュスト・ロダン 「永遠の青春」
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こちらは1881~84年頃の作品で、当初は「地獄の門」に組み込まれる予定でした。男女の劇的な愛のシーンを表現していて、のけぞり手を伸ばす姿勢は躍動感があり、動きを感じさせます。恐らく絶望とかけ離れているので組み込まれなかったんじゃないかな。『神曲』のパオロとフランチェスカなどの「愛」のテーマのヴァリエーションの1つです。

この作品は1882年に制作したトルソを下敷きに作っていて、ロダンは既成の彫刻を組み合わせて構成することがあります。(地獄の門の関連作がその最たるものですね)

オーギュスト・ロダン 「接吻」
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こちらは1882~87年頃の作品で、ダンテの『神曲』に登場するパオロとフランチェスカの悲恋をモチーフにしています。男女共に肉感的で男性の手が結構大きく見えるかな。

横から見ると熱いキスをする様子がよく分かります。
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フランチェスカと夫の弟パオロとの悲恋のシーンで、これも当初は地獄の門の一部として構想されました。しかし真実の愛の悦びの作品なので地獄の門にはそぐわないと考えて独立した像となったようです。大理石とは思えないほどに生き生きとした肉体で、理想的な美しさの男女となっています。ロダンの作品の中でも特に名作ではないかと思います。

オーギュスト・ロダン 「考える人」 
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こちらは1881~82年頃の作品で、ロダンの作品で最も有名だと思われます。(右は拡大版) 元々は地獄の門の上に配置されているものの派生作品で、『神曲』「地獄篇」の作者であるダンテを表すものでしたが、後に「詩人」となり、さらに普遍的な「考える人」へとタイトルが変わっていきました。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画の「預言者エレミア」やカルポーの「ウゴリーノ」から影響を受けていて、カルポーの作品とポーズはかなり類似しているようです。元ネタがあるとしても、このポーズは地獄を観て苦悩する様子を見事に表しているように思えます。悩みの象徴のような像ですね。

「考える人」について、ロダンは「扉の前でダンテが岩の上に腰を下ろし、詩想に耽っている。彼の背後には、ウゴリーノ、フランチェスカ、パオロなど『神曲』のすべての人物たち。この計画は実現されなかった。全体から切り離された痩身の苦悶するダンテの姿は、意味がなかった。私は最初のインスピレーションに従って別の思索する人物を考えた。裸の男で岩の上に坐り、両足を引き寄せ拳を歯にあてて、彼は夢想している。実り豊かな思索が彼の頭脳の中でゆっくりと確かなものになってゆく。彼はもはや夢想家ではない。彼は創造者である」と語っていたそうです。

オーギュスト・ロダン 「私は美しい」
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こちらは1885年頃の作品で、「地獄の門」に登場する「墜ちる男」と「うずくまる女」を組み合わせています。「うずくまる女」の単体もよく観ますが、こうして組み合わさると完全に違う作品に見えるのが不思議。元々は関係ない像を再構成して別の作品にするという手法もロダンの特徴と言えます。ちなみにこの作品は最初「誘拐」と呼ばれ、「肉慾の愛」とも呼ばれたのだとか。確かにそう見えるけどw 今のタイトルは台座に刻み込まれたボードレールの『悪の華』の「私は美しい……」で始まる詩句に由来するようです。

オーギュスト・ロダン 「ネレイスたち」
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こちらは1887年以前の作品で、「地獄の門」の左扉中央にも登場する海の精たちです。歌声で船人を誘惑して難破させる伝説で知られ、美しくも恐ろしい者たちとなっています。ここでは悲痛に叫ぶような顔つきに見えるかな。

1888年には美術館の建設計画が白紙に戻っていて、「地獄の門」の制作の中止を命じられています。しかしロダンはこれを断ってお金を払って自分のものとして制作を続けました。

オーギュスト・ロダン 「オルフェウスとマイナスたち」
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こちらは1889年以前の作品で、これも「地獄の門」に登場しているようです。ギリシャ神話の竪琴の名人のオルフェウスと、それを八つ裂きにしたバッカスの巫女たちを表していて、下の方に埋まっているのがオルフェウスの顔かな。下の女性は何とも官能的な雰囲気な一方、浮遊している女性たちはアクロバティックな群像で、ロダン以外にこんな大胆な作品は無いのではw 

そしてこれらを集めたのが「地獄の門」です。

オーギュスト・ロダン 「地獄の門」
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こちらは1880~90年頃/1917年の作品で、結局は未完成となりました。まさにロダンの作品の集大成! 考える人も中央上部に座っています。ちょっと写真では分からないくらい色々な像があるので、国立西洋美術館に行った時に各作品と比べてみると面白いと思います。

ここからは再び年代順に戻ります。

オーギュスト・ロダン 「クロード・ロラン」
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こちらは1889年の作品。著名な画家の像ですが、クロード・ロランは17世紀の画家なのでとっくに死んでいるはずです。それでも身を捻って躍動感ある感じで表現しているのは流石ですね。

オーギュスト・ロダン 「バルザック(最終習作)」
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こちらは1897年の作品で、現在のパリのラスパイユ大通りに立つ小説家バルザックの像の習作となっています。何だか塊のままのような印象を受けますが、初めて公開されたとき、「ジャガイモの袋をかぶせた」ようだと嘲笑されたそうで注文主からも受け取りを拒否されてしまったようです。カレーの市民もそうでしたが、注文主は理想像を求めてくるけどロダンはそういうものは作らないで己の芸術を貫きます。ロダンは失望し「どうしてあの部屋着がいけないのか?これは深夜、心のうちの幻影を追いかけながら自分の部屋を狂おしく行きつ戻りつする文豪の着ていたものではないというのか?」と言って、よそ行きの服装ではなく制作の時の姿を追い求めていたようです。確かに製作時は綺麗な服は着ませんねw

オーギュスト・ロダン 「瞑想」
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こちらは1900年以後の作品。身を捻って俯く姿で、瞑想というよりは苦悩しているように見えるかな。こうした大胆なポーズは一見してロダンと分かる特徴ですね。

ロダンは1902年頃にグスタフ・クリムトと出会っています。ウィーン分離派はロダンを会員に迎え、重要作家として紹介していたようです。クリムトの絵画においても人物画の様々なポーズや主題に影響を与えていて、ロダンはクリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」を称賛しています。

オーギュスト・ロダン 「花子の頭部」
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こちらは1907年頃の作品で、いかにも日本人っぽい顔をしている日本人女性の頭部像です。このモデルは太田ひさという女優で、巡業していたマルセイユの劇場でロダンの目にとまったそうです。若干怖い顔をしているのは演じた役に応じたためのようです。ロダンは花子の表情に魅せられ何度もモデルにしていて、様々な素材と手法による花子の肖像が50点余り残されています。特に芝居の「死」の場面で花子が見せた表情に大変興味をそそられ、「死の首」と呼んでその制作に没頭したのだとか。

日本では1910年に雑誌『白樺』でロダン特集が組まれて本格的に紹介されました。その際、本人とやり取りして浮世絵とロダン作品3点を交換したそうで、日本に初めて来たロダン作品とされています。

オーギュスト・ロダン 「オルフェウス」
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こちらは1908年の作品で、先程も出てきたオルフェウスを題材にしています。この作品では仰け反るようなポーズで全身で絶望を表していて、妻が死んだ悲しみにくれているようです。オルフェウスは妻を蘇らせる為に冥界へと向かい、復活を許されるものの 冥界を出るまで振り返ってはならないという禁忌を犯して失敗するという話です。この作品の石膏での原型制作は1892年頃で、その時は肩の上にミューズを載せていたようですが、ブロンズ作品ではそれが省かれているのだとか。ロダンの特徴がよく出た作品だと思います。

その後も制作を続け1917年に亡くなりました。晩年は大規模な仕事はあまり行わなかったものの 多作ぶりは変わらなかったようです。


ということで、誰もが知るロダンですが彫刻はブロンズなどで複製できるため、日本でも国立西洋美術館などでその代表作を観ることができます。その圧倒的な存在感で特に人気の彫刻家で、目にする機会も多いと思いますので、詳しく知ると一層に楽しめるのではないでしょうか。

 参考記事:
  手の痕跡 国立西洋美術館所蔵作品を中心としたロダンとブールデルの彫刻と素描 (国立西洋美術館)
  《地獄の門》への道―ロダン素描集『アルバム・フナイユ』 (国立西洋美術館 版画素描展示室)

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