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《竹内栖鳳》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、明治から昭和にかけて京都画壇で大きな功績を残した竹内栖鳳(本名 恒吉)を取り上げます。竹内栖鳳は東の大観、西の栖鳳と並び称された画家で、円山派・四条派・狩野派といった様々な流派の筆遣いを1つの作品の中で表したため当初は「鵺派」と揶揄されました。しかし、半年のヨーロッパ遊学を経て西洋画を意識した画風となっていき、高い評価を得て画壇での地位を高めました。また、自身の画業の素晴らしさだけでなく後進を育て多大な影響を与えていて、画塾「竹杖会(ちくじょうかい)」の開催や 京都市美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で教鞭を取り、その弟子・教え子には上村松園、小野竹喬、西村五雲、土田麦僊、福田平八郎、村上華岳など錚々たる面々が並びます。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


竹内栖鳳は京都の料亭の息子として生まれ、跡継ぎになることを期待されましたが次第に画家を目指すようになりました。そのきっかけは画家の客が即興で描いた杜若を観たことで、筆一本で自然を生き生きと表現できることに驚いたそうです。画家になることは家族に反対されましたが13歳で近所の土田英林(四条派の画家)に学んだ後、17歳の頃に幸野楳嶺に入門し、幸野楳嶺の厳格な指導のもと四条派の表現を学びました。幸野楳嶺は四条派の正当な後継者であり、四条派は円山派の写生に軽やかさを加えた画風で、まずはその師の手本を繰り返し模写することから始まったようです。当初は「棲鳳」という名前を幸野楳嶺から名付けられ、これは鳳凰にちなんだ名前のようで、後に字は変わりましたが発音は同じです。同門には川合玉堂などもいて切磋琢磨していたようです。また、竹内は師に付いて北越地方を回ったり古画を模写するなども行ったそうで、初期はそうした学習の成果を示すように伝統的な画題や伝統的な筆遣いで描かれています。

竹内栖鳳 「土筆に犬」
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こちらは明治時代(19世紀)の作品。所々にツクシが生えている春の光景かな。題材や画風から円山四条派の祖である応挙からの影響が強く感じられ、犬たちが生き生きと戯れています。古画に学んでいた様子が伺えますね。

栖鳳が最初に画を学んだのは円山四条派の画家(土田英林)で、円山四条派は円山応挙を祖とする円山派と、呉春を祖とする四条派から成っています。円山派は写生を重んじ写実的な画風である一方、四条派は写意(精神性)を重視していて それぞれ方向性が違っているのですが、双方を兼ね揃えた画家もいるので広い意味で区別なく円山四条派と総称されます。栖鳳の師(2番目の師)となった幸野楳嶺も双方を学んでいて、栖鳳にもそれが伝わっていったようです。幸野楳嶺に入門した翌年には早くも展覧会へ出品し受賞を重ね、次第にその名を轟かせていきます。1900年にはパリ万博見学および西洋美術視察の目的で渡欧を果たし、ヨーロッパ各地をめぐるチャンスを得て、帰国後には「棲鳳」から「栖鳳」に名を改め渡欧体験の成果を形にして行きました。

竹内栖鳳 「金獅」のポスター
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こちらは1901年の作品。従来の日本画の獅子というと唐獅子となっていましたが、この絵ではリアルなライオンが描かれています。フワフワした毛並みと緊張感ある面持ちが堂々たる威厳を感じさせ、単なる写生を越えたものになっているように思えます。

明治25年(1892年)に竹内栖鳳は京都美術工芸品展に「猫児負喧」という作品(現存せず)を出品し、円山派・四条派・狩野派といった様々な流派の筆遣いを1つの作品の中で遣いました。しかし、それは「鵺派」(色々な動物の部位を持つ妖怪)と非難されたそうで、当時の画壇には受け入れられなかったようです。また、この時期から西洋画を意識した作品が多くなったようで、海外の美術文献の講読会を開いたり、万国博覧会出品や製造販売の為に海外進出を推し進めていた美術染色業界に関わっていたようです。そして明治33年(1900年)にはパリ万国博覧会の視察で渡欧し、各地で多くの西洋美術に触れ、帰国すると早速ヨーロッパの風景を西洋絵画的な写実性を帯びた表現で描き注目を集めました。 しかし栖鳳が渡欧体験を通じて最も重視するようになったのは西洋の長所の実物に基づく写生に日本の伝統絵画が得意とする写意(対象の本質を描くこと)を融合させることにあったようです。

竹内栖鳳 「象図」右隻のポスター
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こちらは1904年の六曲一双の屏風の右隻。右隻は正面を向いた象で、画面からはみ出さんばかりに大きく描かれています。

竹内栖鳳 「象図」左隻のポスター
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こちらは左隻。左隻では横向きの象が背中に籠を載せ、そこに猿も乗っています。その象に驚いたのか猿の目線の先には2羽の鳥が逃げていく様子も描かれているのが面白い。象は右前足を上げて踏み出すような力強さがあり、表面が細かく描かれて写実的な感じです。実物の象を日本で見るのは難しい時代だったようですが、パリに行った際にスケッチしてきたらしく、それを元に写実的に描いているようです。また、猿の大きさと象の大きさを対比することで、その大きさを強調しているようで、これは応挙の弟子の芦雪が得意とした手法です。猿のふわふわした毛と象の体表のざらつきも対照的に見えるかな。

1907年に開設された文展では初回から審査員を務めつつ話題作を次々と発表し、帝展でも審査員となり京都画壇を代表する画家となっていきました。

竹内栖鳳 「雨霽(あまばれ)」
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こちらは1907年制作の六曲一双の水墨の屏風で、第1回文展に審査員として出品した作品です。左隻には6~7羽の鷺の群れが柳の下で休んでいて、口を開けたり振り返ったりそれぞれのんびりと過ごしているようです。一方、右隻には羽根を伸ばして飛び立つ鷺と柳の木が描かれています。文展の締め切り5~6日前あたりではこのまま出してもつまらない作品だと考え一旦は筆を置いたそうですが、右隻にうっすらとした柳の木を書き加えたことで奥行きと広がりが出て満足できる作品になったそうです。また、渡欧後はその影響の強い作品を作っていましたが、この作品では円山四条派に立ち返っています。 雨上がりの空気感や鷺の躍動感が伝わり、叙情性のある作品となっていますね。

竹内栖鳳はビロード友禅の原画なども残しています。この頃の京都は、陶芸・染色などの分野でいち早く新時代に相応しい技術を開発しようと積極的に外国人を招聘したり、伝習生をヨーロッパに派遣した他、万博などに参加して海外への販路を求め高い評価を得るなど旺盛な活動をしていたようです。その図案には多くの日本画家・洋画家が携わり、栖鳳もその1人として活躍していました。そしてこうした仕事を通じて栖鳳は西洋諸国に肩を並べる日本画を目指すという広い視野を獲得できたと考えられるようです。ちなみに20代の頃に意匠を描くために高島屋の画室に勤務したこともあるのだとか。

竹内栖鳳 「飼われたる猿と兎」
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こちらは1908年の作品。ふわふわした毛並みが見事で写実性と理想的な美しさの両面を感じます。単に可愛い絵に見えますが、従順ですべてを受け入れて食が満足な兎と、利口で飼われることに満足できずに飢える猿、どちらが幸せか?という意味が込められているようです。

竹内栖鳳は「蛙と蜻蛉」制作の際には栖鳳は10日間も蛙を見つめつづけ、オスとメスの区別がつくほどだったという逸話があります。そのため腰を痛めてしまったそうで、それほどまでに真剣に写生に取り組んでいたことがわかるエピソードです。

竹内栖鳳 「絵になる最初」のポスター
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こちらは1913年の作品。紫の着物を脱ぎかけている女性が、口の前に左手を出して顔を隠し恥ずかしがっている様子が描かれています。滑らかな肌で初々しい雰囲気の女性で、その仕草も可愛らしく見えます。また、着物は紫地に青や金銀泥で模様をつけ、華やかな雰囲気がありますね。この着物は当時人気が出たそうで、高島屋が「栖鳳絣(せいほうがすり)」として売りだしたそうです。実際に今でもこれとそっくりの栖鳳絣が残されています。

竹内栖鳳は美術学校の教諭として、多数の弟子を抱える画塾「竹杖会」の主として、また1907年から始まった文部省美術展覧会(文展)の審査員として、画壇での地位を確立していきました。土田麦僊を始めとする弟子たちが頭角を現すようになると、1918年には彼らによって作られた国画創作協会の顧問にもなったようです。 栖鳳はそうした後進の活躍を見守る立場になっても新たな表現を意欲的に研究し続けたそうで、動物画では個々の性質を捉え一瞬の動きを表そうとし、風景画では伝統的な山水でも西洋的な遠近の表現でもない作品を生み出していきました。

竹内栖鳳 「班猫」のポスター
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こちらは1924年制作の座って振り返る姿の猫を描いた作品で、全体的にふわっとした毛並みをしています。じっとこちらを伺う目はエメラルドグリーンで、どことなく気品があり優美な雰囲気です。この猫は栖鳳が旅で立ち寄った沼津の八百屋の愛猫だったのですが、栖鳳は一目見た瞬間に徽宗皇帝(自らも絵を描いた北宋の皇帝)の猫図を想起し表現欲が湧いたそうです。そして栖鳳は自筆の画と引換に猫を譲り受け、京都に連れて帰って写生や撮影を繰り返し、この絵を完成させました。この猫の写真を観たことがありますが、確かに絵の猫と似ていました。実際は目は若干黄色っぽく毛並みは写真より絵の方がふわふわしていて、表情も一層賢そうに描かれています。世の中に猫の絵は数あれど、これは1つの頂点ではないかと思います。

1920年からは2度に渡って中国に滞在していて、この旅行は主題・色彩感覚ともに風景画の深化をもたらす結果になりました。栖鳳は狩野派も模写していてそのルーツは中国にあると考えていたようです。晩年には中国の揚州に似ていると言って潮来を描いた作品も多く残しています。さらに、この時期に短期間ながらも人物画を研究し、一瞬の仕草の中に心情を描き出しました。先程の「絵になる最初」などもそれが伺えますね。

竹内栖鳳 「蹴合」のポスター
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こちらは1926年の作品。2羽の軍鶏が向き合って戦っている様子が描かれたもので、足を出して相手を掴むように襲いかかっています。戦いの瞬間を捉えたような緊張感がありつつ、滲みを使った色とりどりの毛が華やかな雰囲気に思えます。

竹内栖鳳 「蹴合」のポスター
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こちらは1929年の作品。先程の絵によく似ていますが、ポーズが違っていてこちらのほうが緻密かな(実物はもっと細かいです) 足を前に出し爪で攻撃しようとしていて、羽をばたつかせるなど躍動的に表現されています。一瞬の動きをよく捉えていて、「動物を描かせてはその匂いまで描く」と言われた栖鳳のこだわりが感じられます。この作品にはよく似た下絵もあり、入念な準備の様子も伺えます。

昭和期に入ると、栖鳳はしばしば体調を崩していたようで、1931年(昭和6年)に療養のために湯河原へと赴きました。やがて回復した後は東本願寺の障壁画に挑むなど以前にも増して精力的に活動したようですが、湯河原が気に入ったらしく、京都と湯河原を行き来しながら制作を続けました。

竹内栖鳳 「禁城翠色」
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こちらは1931年の皇居のお堀を描いた作品。淡い色彩を背景に松だけが水墨のようでダイナミックに描かれています。滲みもあるし、繊細さと豪快さが同居した感じに見えます。竹内栖鳳は渡欧の際にコローの作品を観て感銘を受けたらしく、この絵にもコロー的な湿潤な空気感が感じられます。

この頃の栖鳳は洗練を増した筆致で対象を素早く的確に表現するようになっていたそうで、昔のように細密に写生するよりは、対象の動きと量感をスピード感のある線で大掴みに捉えたものが多いようです。

竹内栖鳳 「草相撲」
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こちらは1937年の作品。一見して「鳥獣戯画」の模写と思われます。ちょっと詳細は分かりませんが、躍動感と滑稽味があって楽しげな雰囲気ですね。

晩年も実験的な作品を生み出し続け、若いころと同じ主題に再度取り組むこともあったようですが、その表現は若いころとは違っていたようです。

竹内栖鳳 「海幸」
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こちらは最晩年の1942年の作品。ここでは写実的に丁寧に鯛を描いていて、美味しそうw 目の周りに青が入っているのが独特の色彩表現ではないでしょうか。この年に亡くなっているのに細部まで気迫を感じさせます。

栖鳳は明治後期から大正にかけては京都市美術工芸学校と京都市立絵画専門学校で教鞭をとり村上華岳をはじめ多くの学生を指導しました。竹内栖鳳の弟子は冒頭に書いたように大物画家が多くいます。

ということで、非常に気品あふれる作風で現在でも人気の画家となっています。京都で活躍した為か東京ではあまり常設で見かける機会はありませんが、山種美術館には「斑猫」があるので ちょくちょく特集が組まれます。日本画壇でも重要な人物なので是非詳しく知っておきたい画家です。

 参考記事:
  竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 感想前編(東京国立近代美術館)
  竹内栖鳳展 近代日本画の巨人 感想後編(東京国立近代美術館)
  没後70年 竹内栖鳳 後期(山種美術館)
  没後70年 竹内栖鳳 後期(山種美術館)
  大観と栖鳳-東西の日本画(山種美術館)

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