《岸田劉生》 作者別紹介
今日は作者別紹介で、大正時代を代表する洋画家の岸田劉生を取り上げます。岸田劉生は白馬会に黒田清輝に学びましたが作風はむしろ海外の画家の影響が色濃く、初期の作品はゴッホ、セザンヌ、フォーヴィスム等に傾倒していました。やがて写実を求めて北方ルネサンスのデューラーに影響を受け、「岸田の首狩り」と言われるほど多くの肖像画を残しています。さらに中国の宋元画や肉筆浮世絵の研究の結果、グロテスクさ・醜く卑しい姿の中に生命力、力強さ、神秘などの奥深さを見出し「デロリの美」「ぬるり」「卑近美」などと称される独特の画風を築きました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。
岸田劉生は新聞記者や実業家であった岸田吟香を父とし、銀座界隈で育ちました。父の勧めで教会に通ってキリスト教の洗礼を受け、父親の死後には牧師を志しましたものの、独学で水彩画を制作する中で画家への道を歩みだしました。17歳で白馬会の葵橋洋画研究所で本格的に洋画を学びはじめ黒田清輝のもとで外光派の画風を学び、1910年には白馬会第13回展に出品し、第4回文展でも初入選するなど順調にスタートしています。しかし研究所のアカデミックな勉強に疑問を抱くようになり、1911年に雑誌『白樺』に紹介されたゴッホ、ゴーギャンら後期印象派の画家に衝撃を受け、それによって画風も変わり 自身で「第二の誕生」と呼ぶほどに影響を受けています。
岸田劉生 「街道(銀座風景)」

こちらは1911年の作品で、岸田劉生の実家近くの銀座通りを描いたものと考えられています。粗めの筆致と明るめの色彩で、確かにゴッホやフォーヴの要素も感じられるかな。道が画面の下半分を締めているのが広々した印象となっています。ちなみに岸田劉生の実家は銀座2丁目で水目薬などを製造販売していたのだとか。
1911年12月に同じ研究所の木村荘八と懇意になり、お互いの家に行き来したり銀座や虎ノ門などで2人で絵を描いていたります。初期はこれだけ色彩を感じる絵を描いていますが、2人共 素描の大切さを説いていて、後に岸田劉生は雑誌『みずゑ』に寄せた素描に関する文書で「素描は骨子で色は素描に比べればむしろ客の感がある」と語っています。
岸田劉生 「イブを待つアダム」

こちらは1912年の作品で、アダムが体育座りをしてじーーーっとイブを待っている様子を描いています。目は遠くを観るようで待ち疲れて飽きてそうに見えるw 人物像ではあるけど単純化されていて、後の細密で写実的な描写とは異なって見えます。岸田劉生は一時期は牧師を志していたので、こうしたキリスト教関連の題材も初期には多く残しています。
この1912年に銀座一丁目の日就社(今の読売新聞)の建物の3階で岸田劉生らが主催するヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)の旗揚げが行われました。フュウザンはフランス語で木炭のことで、メンバーには高村光太郎・萬鉄五郎・斎藤与里・清宮彬・木村荘八らがいて、ポスト印象派の影響が強い集まりでした。
岸田劉生 「自画像」

こちらは1913年の自画像。だいぶ写実的になっていますがざらついたマチエールで面白い表現となっています。岸田劉生は「自分は寂しい微笑みを浮かべる」と述べていたそうで、この絵からもそうした雰囲気が出ているかな。同時に実直そうな感じも出ているように思えます。
岸田劉生は数多くの自画像を描いていて、以前 展覧会で比べて観られる機会がありましたが試行錯誤の跡がよく分かりました。ゴッホ風のものやセザンヌ風のもの、輪郭がぼやけた感じのものもあれば、写実的なものもあり画風の模索の様子が伺えます。作品に日付も書いてあるので、それを考慮しながら観るとまた興味深さも増しました。
岸田劉生 「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」

こちらは1913年の作品で、バーナード・リーチは白樺派や民藝運動に関わりフュウザン会にも参加していた陶芸家です。恐らく椅子に座ってリラックスしている様子で、強い光によって明暗が生まれています。全体的にセザンヌっぽい雰囲気があるかな。優しげな目をしていて、2人の親しい間柄も感じられます。
この年にフュウザン会に観に来た小林蓁(しげる)と1913年7月に結婚し、代々木に移り住んでいます。
岸田劉生 「[天地創造]より 1.欲望」

こちらは1914年の作品。他に[2.怒れるアダム]、[3.石を噛む人]という作品もあり3点連作となっています。バーナード・リーチの勧めで彼の仕事場で制作され、油彩とはかなり趣の異なる画風となっています。ウィリアム・ブレイクから影響を受けているようで、幻想的でありつつちょっと怖いw
1913年3月の第2回フュウザン会展の頃には岸田劉生の「近代的傾向…離れ」の準備が始まっていたようで、生きた人間を慕う心から「人間の顔」を描き始めました。第2回まででフュウザン会が解散した後は、デューラーやルネサンス絵画に強い関心を持って独自の写実表現へ向かいました。
岸田劉生 「南瓜を持てる女」

こちらは1914年の作品で、娘の麗子を出産して3ヶ月頃の奥さんをモデルにしたと考えられています。ここでは胸を顕わにして南瓜を持ち、まるで豊穣の女神のような雰囲気で描かれているように思えます。上部にはアーチ状の枠があり、左手を半開きにして上に向けたポーズや顔からは、西洋画の聖人・聖女の絵も彷彿とさせます。全体的にルネサンス期の作品から影響を伺えますが、この年の個展に出品した際に石井柏亭から「全く同感できない」と酷評されたのだとか。割とこの頃までの岸田劉生のバックボーンが表れていると思うんですけどね。
岸田劉生はこの頃に奥さんをよくモデルに様々な絵を描いています。奥さんの蓁は学習院大学で教鞭をとる漢学者の父を持ち、鏑木清方に入門して日本画を学ぶなどの才女だったようで、だいたいは理知的な印象で描かれています。
岸田劉生 「椿君之肖像」

こちらは1915年の作品で、自身も画家であり岸田劉生を慕い師事した椿貞雄がモデルの肖像です。濃密かつ細密な描写となっていて、デューラーからの影響を感じさせます。どっしりとしたリアリティがあって、顔のテカリまで表現されてるのが面白いw この椿貞雄もこうした画風の絵を描いているので、師弟の絆は強かったんでしょうね。
この岸田劉生はデューラーやファン・エイクなどの北方ルネサンスに惹かれてたようです。デューラーが自作に入れたモノグラムに似たエンブレムみたいなものを画中に入れることもあるので、相当に入れ込んでいたのが伺えます。
岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」

こちらは1915年の作品で、数ある岸田劉生の作品の中でも傑作として名高い逸品です。11月に10日ほどかけて代々木付近の坂を描いていて、澄み切った青空が広がり強い日差しが感じられ、急な勾配の土には質感が溢れています。岸田劉生は「ぢかに自然の質量そのものにぶつかつてみたい要求が目覚め」と語っていて、丹念な写生の成果となっています。彼自身もこの作品を気に入っていたようで、「何故ならこの時はもうクラシツクの強い感化を一度通り、猶またそれに浴しつゝあるからだ。捕はれから段々と離れたが、得るべきものは得てゐた。切通しの写生はこの事を明かに語ると思ふ。その土や草は、どこ迄もしつかりと、ぢかに土そのものの美にふれてゐる。しかしどことなく、古典の感じを内容にも形式にも持つ。自分はこの画は、今日でも可なり好きである。一方その表現法がクラシツクの形式にまだ縛られてゐる処があるのを認めるけれど、あの道のはしの方の土の硬く強い感じと、そこからわり出して生へてゐる秋のくすんだ草の淋しい力とは或る処迄よく表現されてあると思ふ」と述べています。
この作品は翌年の1916年の「第二回 草土社展」に出品しています。草土社のメンバーは木村荘八・清宮彬・中川一政・椿貞雄・高須光治・河野通勢などで、草土社は1922年の第9回まで開催され岸田劉生は全ての回に出品しました。
岸田劉生 「『帝国文学』表紙絵」(左)、「The Earth 大地」(中)、「<人類の意志>のための下絵」(右)

こちらは1916年の作品。太陽や土といった原初的なものを描いた3点で、何か哲学的なメッセージが込められていそうな感じがします。詳細は分かりませんが装丁の仕事もしていたんですね。
1916年に肺病と診断されると戸外での写生も禁止となり、室内で出来る静物画に挑戦することになったようです。また、愛娘の麗子を描くようになったのもこの頃です。
岸田劉生 「壺の上に林檎が載って在る」

こちらは1916年の作品で、バーナード・リーチの作った丸みを帯びた縦長の壺と、その口の部分に緑の林檎が乗っている様子が描かれた静物画です。全体的に細密で写実的に描かれていますが、近くでよく観ると光の反射の部分は白が厚塗りされているなど意外と大胆な筆致です。蓋のように置かれた林檎がちょっとシュールで茶目っ気を感じさせて面白い構図です。
この頃の岸田劉生は肖像画を多く描いていたので、「岸田の首狩り」や「千人切り」などと言われましたw 身近な人が多く描かれています。
岸田劉生 「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」

こちらは1916年の作品で、草を摘んで持つ隣に住んでいた医師の肖像です。顔のテカりや皺などまで表現していて、髭の剃り残しまで分かる感じw 細身で誠実そうな人物で、生き生きとした印象を受けます。リアルな描写はデューラーの影響で、野草を持っているポーズも、デューラーの作品に倣っているとされています。
1917年に結核の療養のために友人の武者小路実篤が住んでいた鵠沼(神奈川県の藤沢)に移り住みました。
岸田劉生 「麗子肖像(麗子五歳之像)」

こちらは1918年の作品で、娘の麗子が5歳の頃の肖像です。この後多くの麗子像が描かれますが、これは初めてモデルになった油彩だそうで、手には花を摘み やや左方向に視線を向けています。つぶらな瞳やもしゃもしゃっとした髪など子供らしい純朴な雰囲気となっていて、可愛らしい肖像です。他の麗子像と比べても特に写実的で無垢な印象になっているように思います。
この麗子は大人になってから画家になっています。子供の頃の写真を観たことがありますが、端正な顔立ちの可愛い娘です。しかしこの後には妖怪のような姿の像もあり、岸田劉生いわく、娘の肖像は自分の絵と同じ道を歩んでいるのだとか。 その言葉通り、麗子像だけでも岸田劉生の変遷を辿れると思います。
岸田劉生 「川幡正光氏之肖像」

こちらは1918年の作品。首刈りと呼ばれただけあって首から上だけの肖像で、かなり写実的です。眼の光や顔のテカリまで表現されていてリアルさがあり、この重厚な感じが独特で好みです。
この頃には岸田劉生は写実で名高かったようで、身内だけでなく多くの画家に影響を与えています。意外なところでは日本画家の速水御舟も岸田劉生から影響を受けていて、1920年代に写実的な作品を残しています。
岸田劉生 「麗子坐像」

こちらは1919年の作品。先程の麗子像に比べると厳しい表情になっていて、子供とは思えないほど重厚な顔つきですw 細部まで緻密な描き方で、やはりデューラーあたりを思わせる表現となっています。黒地なのも重々しく感じるのかな。芸術の為とは言え子供ならもうちょっと可愛く描いてあげれば良いのにと毎回思いますw
麗子像は70点以上もあるのだとか。先程の「麗子肖像(麗子五歳之像)」によって写実を極めることで「内なる美」を「外界の形象に即した美」に昇華させることができたと確信したそうで、写実の道だけでなく短時間のさらりとした描写の「内なる美」の表現の為に、水彩と素描に取り組んでいくことになります。
岸田劉生 「麗子坐像」

こちらは1920年の作品。水彩で描かれていて、これまでの艶のある写実とは違った味合いとなっているかな。背景は大きな筆跡となっているのもこれまでの作品とだいぶ違って見える要因だと思います。ちょっと右手が小さすぎる気もしますが、素早い筆致で対象の特徴を表現するような方向になっています。
1919~1921年にかけては特に麗子と近所の村娘のお松をモデルに肖像を多く手掛けています。その後2人が成長すると水彩画は減って日本画の制作が始まることになります。また、この頃の京都旅行での感動や日本画家の榊原紫峰が所有していた宋元の花鳥画への関心が作品にも反映されていった時期でもあります
岸田劉生 「村嬢於松(むらむすめおまつ)立像」

これは1921年の水彩作品。麗子の友達のお松がモデルで、北方ルネサンスの影響から抜けて東洋美に向かう頃の作風となっています。やはり手足がやけに小さく描かれてデフォルメされている感じもするかな。素朴でちょこんとした雰囲気が可愛らしい。このお松がモデルの作品は油彩よりも水彩素描を好んで描いたいたようです。
この鵠沼の時代が岸田劉生の最盛期と言われます。椿貞雄や中川一政なども岸田劉生を慕って鵠沼に引っ越してきて、切磋琢磨していました。
岸田劉生 「麗子微笑」

こちらは1921年の作品で、麗子が8歳の頃の姿です。まだデューラーの影響があるようですが、どこか寒山拾得みたいな妖しい雰囲気が出てきたようにも思えます。徐々に写実から写意へと変化していった過渡期の作品です。
岸田劉生は1922年6月に宋元画を購入したのを皮切りに、初期肉筆浮世絵なども含めて収入の大部分を買い物に使うという状況になったようです。そして西洋の美術に対する東洋の美術の優位性の論文を執筆し、「現実的で動的で露骨で作為的な西洋とは対照的に、神秘的で静的で無為の自然物的な東洋にこそ、美の深い境地がある」と説き、「初期肉筆浮世絵には、倫理的な美の露骨性を避けるために、正反対の矮小で醜くグロテスクな[卑近美]が現われ、宋元画には、民族的な個性として[偉大なる間ぬけさ]すなわち稚拙感や[写実の欠除]が現われる」と著しました。そしてこの時期は宋元画に学んだ静物を描いたり日本画の個展も開催しています。
岸田劉生 「壺の模様図案」

こちらは1924年の作品。壺の模様の図案とのことですが、今までの写実とはだいぶ異なる印象で緩い画風となっています。子供の像は宋元画に出てきそうな感じで、この頃の東洋美術への関心がストレートに出ているように思えます。
1923年に関東大震災が起きると、鵠沼の自宅が倒壊してしまいました。そのため、京都に移住し草土社も自然解散となっています。
岸田劉生 「人蔘図」

こちらは1926年の作品。絹本に描かれた日本画で、色は淡くデフォルメされて南画のような趣となっています。あれだけ濃密で写実的だった画風が真逆の淡くて緩い雰囲気になっているのが驚きですねw
この頃、岸田劉生は洋画壇での活躍よりも むしろ日本画を制作していたようですが、友人の武者小路実篤は油彩画の制作に復帰させるべく、大調和美術展を開催したそうです。しかし茶屋遊びの放蕩で生活と制作に支障をきたしたので京都から鎌倉へと移住しました。
岸田劉生 「田村直臣(なおみ)七十歳記念之像」

こちらは1927年の作品。モデルは明治・大正期を代表する日本人牧師で、かつて岸田劉生が洗礼を受けたのはこの人の教会でした。岸田劉生に絵を学ぶように勧めた人物の1人でもあるので恩人と言えます。油彩で描かれていますが、以前と比べると写実性よりも写意へと移っているように思えます。肩周りは妙に狭く、手の位置も変なので子供みたいにちょこんとした印象ですw
残念ながら良い写真がありませんでしたが、この頃の岸田劉生は「デロリの美」と呼んだ妖しい雰囲気の作品を残しています。デロリは粘着性、濃厚さ、泥臭さ、不気味さなどを表現した言葉で、岸田劉生が初期肉筆浮世絵を評して生みだした造語です。中国の絵によく出てくる寒山拾得のように描かれた麗子像や、妖艶さや不気味さのある「岡崎義郎氏之肖像」などにデロリの感性が伺えます。
岸田劉生 「五福祥集」「寒山拾得」

こちらは1928年の作品。墨の濃淡でさらっと描きあげた感じで、もはや洋画家というよりは日本画家のようになってますw 写実を極めた画家がこういう緩い絵に向かっていったというのが面白いですね。
この翌年の1929年には依頼が多く自由な制作がままならなかったようですが、「今年は本当にいい年にしたい」と日記に書き、華やかな静物画や最後の麗子像を油彩で描きあげたそうです。そして南満州鉄道株式会社の招聘により満洲に渡り、そこでも旺盛な制作意欲を見せています。
岸田劉生 「満鉄総裁邸の庭」

こちらは1929年の作品で、満鉄総裁の家の草木の生い茂る庭を描いています。遠くには青い水平線が見えていて、小高いところにあるのかな? 黄色い枯れ草と緑の木々などを軽やかな筆致で描いていて、筆跡も残っています。やや初期のポスト印象派風に戻った感じもありますが、また新しい表現になってきているように思え、色鮮やかで清々しい作品です。
こうして満州では「新しい余の道」を見つけたようですが、帰国直後に38歳で急逝しました。これまでも画風が変わり続けた岸田劉生が、また新たな進化を見せそうな所で人生が終わってしまったのが残念です
岸田劉生 「四季の花果図」

最期にこちらは年代不明の作品。日本画なので1920年代後半のものではないかと思います。南画を思わせる画風となっていて、右から四季の野菜と果物が並んでいます。素朴で可愛らしい印象を受けますね。
ということで、写実時代が有名ではありますが晩年は東洋的な美術を目指した画風となっています。現代でも人気があり頻繁に個展も開かれるので目にする機会も多いと思います。その画風の変遷を知っておくと、一層に楽しめると思いますので覚えておきたい画家です。
参考記事:
没後90年記念 岸田劉生展 感想前編(東京ステーションギャラリー)
没後90年記念 岸田劉生展 感想後編(東京ステーションギャラリー)
素描礼讃 ―岸田劉生と木村荘八― (うらわ美術館)
没後80年 岸田劉生 -肖像画をこえて (損保ジャパン東郷青児美術館)
岸田劉生は新聞記者や実業家であった岸田吟香を父とし、銀座界隈で育ちました。父の勧めで教会に通ってキリスト教の洗礼を受け、父親の死後には牧師を志しましたものの、独学で水彩画を制作する中で画家への道を歩みだしました。17歳で白馬会の葵橋洋画研究所で本格的に洋画を学びはじめ黒田清輝のもとで外光派の画風を学び、1910年には白馬会第13回展に出品し、第4回文展でも初入選するなど順調にスタートしています。しかし研究所のアカデミックな勉強に疑問を抱くようになり、1911年に雑誌『白樺』に紹介されたゴッホ、ゴーギャンら後期印象派の画家に衝撃を受け、それによって画風も変わり 自身で「第二の誕生」と呼ぶほどに影響を受けています。
岸田劉生 「街道(銀座風景)」

こちらは1911年の作品で、岸田劉生の実家近くの銀座通りを描いたものと考えられています。粗めの筆致と明るめの色彩で、確かにゴッホやフォーヴの要素も感じられるかな。道が画面の下半分を締めているのが広々した印象となっています。ちなみに岸田劉生の実家は銀座2丁目で水目薬などを製造販売していたのだとか。
1911年12月に同じ研究所の木村荘八と懇意になり、お互いの家に行き来したり銀座や虎ノ門などで2人で絵を描いていたります。初期はこれだけ色彩を感じる絵を描いていますが、2人共 素描の大切さを説いていて、後に岸田劉生は雑誌『みずゑ』に寄せた素描に関する文書で「素描は骨子で色は素描に比べればむしろ客の感がある」と語っています。
岸田劉生 「イブを待つアダム」

こちらは1912年の作品で、アダムが体育座りをしてじーーーっとイブを待っている様子を描いています。目は遠くを観るようで待ち疲れて飽きてそうに見えるw 人物像ではあるけど単純化されていて、後の細密で写実的な描写とは異なって見えます。岸田劉生は一時期は牧師を志していたので、こうしたキリスト教関連の題材も初期には多く残しています。
この1912年に銀座一丁目の日就社(今の読売新聞)の建物の3階で岸田劉生らが主催するヒュウザン会(のちにフュウザン会と改称)の旗揚げが行われました。フュウザンはフランス語で木炭のことで、メンバーには高村光太郎・萬鉄五郎・斎藤与里・清宮彬・木村荘八らがいて、ポスト印象派の影響が強い集まりでした。
岸田劉生 「自画像」

こちらは1913年の自画像。だいぶ写実的になっていますがざらついたマチエールで面白い表現となっています。岸田劉生は「自分は寂しい微笑みを浮かべる」と述べていたそうで、この絵からもそうした雰囲気が出ているかな。同時に実直そうな感じも出ているように思えます。
岸田劉生は数多くの自画像を描いていて、以前 展覧会で比べて観られる機会がありましたが試行錯誤の跡がよく分かりました。ゴッホ風のものやセザンヌ風のもの、輪郭がぼやけた感じのものもあれば、写実的なものもあり画風の模索の様子が伺えます。作品に日付も書いてあるので、それを考慮しながら観るとまた興味深さも増しました。
岸田劉生 「B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)」

こちらは1913年の作品で、バーナード・リーチは白樺派や民藝運動に関わりフュウザン会にも参加していた陶芸家です。恐らく椅子に座ってリラックスしている様子で、強い光によって明暗が生まれています。全体的にセザンヌっぽい雰囲気があるかな。優しげな目をしていて、2人の親しい間柄も感じられます。
この年にフュウザン会に観に来た小林蓁(しげる)と1913年7月に結婚し、代々木に移り住んでいます。
岸田劉生 「[天地創造]より 1.欲望」

こちらは1914年の作品。他に[2.怒れるアダム]、[3.石を噛む人]という作品もあり3点連作となっています。バーナード・リーチの勧めで彼の仕事場で制作され、油彩とはかなり趣の異なる画風となっています。ウィリアム・ブレイクから影響を受けているようで、幻想的でありつつちょっと怖いw
1913年3月の第2回フュウザン会展の頃には岸田劉生の「近代的傾向…離れ」の準備が始まっていたようで、生きた人間を慕う心から「人間の顔」を描き始めました。第2回まででフュウザン会が解散した後は、デューラーやルネサンス絵画に強い関心を持って独自の写実表現へ向かいました。
岸田劉生 「南瓜を持てる女」

こちらは1914年の作品で、娘の麗子を出産して3ヶ月頃の奥さんをモデルにしたと考えられています。ここでは胸を顕わにして南瓜を持ち、まるで豊穣の女神のような雰囲気で描かれているように思えます。上部にはアーチ状の枠があり、左手を半開きにして上に向けたポーズや顔からは、西洋画の聖人・聖女の絵も彷彿とさせます。全体的にルネサンス期の作品から影響を伺えますが、この年の個展に出品した際に石井柏亭から「全く同感できない」と酷評されたのだとか。割とこの頃までの岸田劉生のバックボーンが表れていると思うんですけどね。
岸田劉生はこの頃に奥さんをよくモデルに様々な絵を描いています。奥さんの蓁は学習院大学で教鞭をとる漢学者の父を持ち、鏑木清方に入門して日本画を学ぶなどの才女だったようで、だいたいは理知的な印象で描かれています。
岸田劉生 「椿君之肖像」

こちらは1915年の作品で、自身も画家であり岸田劉生を慕い師事した椿貞雄がモデルの肖像です。濃密かつ細密な描写となっていて、デューラーからの影響を感じさせます。どっしりとしたリアリティがあって、顔のテカリまで表現されてるのが面白いw この椿貞雄もこうした画風の絵を描いているので、師弟の絆は強かったんでしょうね。
この岸田劉生はデューラーやファン・エイクなどの北方ルネサンスに惹かれてたようです。デューラーが自作に入れたモノグラムに似たエンブレムみたいなものを画中に入れることもあるので、相当に入れ込んでいたのが伺えます。
岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」

こちらは1915年の作品で、数ある岸田劉生の作品の中でも傑作として名高い逸品です。11月に10日ほどかけて代々木付近の坂を描いていて、澄み切った青空が広がり強い日差しが感じられ、急な勾配の土には質感が溢れています。岸田劉生は「ぢかに自然の質量そのものにぶつかつてみたい要求が目覚め」と語っていて、丹念な写生の成果となっています。彼自身もこの作品を気に入っていたようで、「何故ならこの時はもうクラシツクの強い感化を一度通り、猶またそれに浴しつゝあるからだ。捕はれから段々と離れたが、得るべきものは得てゐた。切通しの写生はこの事を明かに語ると思ふ。その土や草は、どこ迄もしつかりと、ぢかに土そのものの美にふれてゐる。しかしどことなく、古典の感じを内容にも形式にも持つ。自分はこの画は、今日でも可なり好きである。一方その表現法がクラシツクの形式にまだ縛られてゐる処があるのを認めるけれど、あの道のはしの方の土の硬く強い感じと、そこからわり出して生へてゐる秋のくすんだ草の淋しい力とは或る処迄よく表現されてあると思ふ」と述べています。
この作品は翌年の1916年の「第二回 草土社展」に出品しています。草土社のメンバーは木村荘八・清宮彬・中川一政・椿貞雄・高須光治・河野通勢などで、草土社は1922年の第9回まで開催され岸田劉生は全ての回に出品しました。
岸田劉生 「『帝国文学』表紙絵」(左)、「The Earth 大地」(中)、「<人類の意志>のための下絵」(右)

こちらは1916年の作品。太陽や土といった原初的なものを描いた3点で、何か哲学的なメッセージが込められていそうな感じがします。詳細は分かりませんが装丁の仕事もしていたんですね。
1916年に肺病と診断されると戸外での写生も禁止となり、室内で出来る静物画に挑戦することになったようです。また、愛娘の麗子を描くようになったのもこの頃です。
岸田劉生 「壺の上に林檎が載って在る」

こちらは1916年の作品で、バーナード・リーチの作った丸みを帯びた縦長の壺と、その口の部分に緑の林檎が乗っている様子が描かれた静物画です。全体的に細密で写実的に描かれていますが、近くでよく観ると光の反射の部分は白が厚塗りされているなど意外と大胆な筆致です。蓋のように置かれた林檎がちょっとシュールで茶目っ気を感じさせて面白い構図です。
この頃の岸田劉生は肖像画を多く描いていたので、「岸田の首狩り」や「千人切り」などと言われましたw 身近な人が多く描かれています。
岸田劉生 「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」

こちらは1916年の作品で、草を摘んで持つ隣に住んでいた医師の肖像です。顔のテカりや皺などまで表現していて、髭の剃り残しまで分かる感じw 細身で誠実そうな人物で、生き生きとした印象を受けます。リアルな描写はデューラーの影響で、野草を持っているポーズも、デューラーの作品に倣っているとされています。
1917年に結核の療養のために友人の武者小路実篤が住んでいた鵠沼(神奈川県の藤沢)に移り住みました。
岸田劉生 「麗子肖像(麗子五歳之像)」

こちらは1918年の作品で、娘の麗子が5歳の頃の肖像です。この後多くの麗子像が描かれますが、これは初めてモデルになった油彩だそうで、手には花を摘み やや左方向に視線を向けています。つぶらな瞳やもしゃもしゃっとした髪など子供らしい純朴な雰囲気となっていて、可愛らしい肖像です。他の麗子像と比べても特に写実的で無垢な印象になっているように思います。
この麗子は大人になってから画家になっています。子供の頃の写真を観たことがありますが、端正な顔立ちの可愛い娘です。しかしこの後には妖怪のような姿の像もあり、岸田劉生いわく、娘の肖像は自分の絵と同じ道を歩んでいるのだとか。 その言葉通り、麗子像だけでも岸田劉生の変遷を辿れると思います。
岸田劉生 「川幡正光氏之肖像」

こちらは1918年の作品。首刈りと呼ばれただけあって首から上だけの肖像で、かなり写実的です。眼の光や顔のテカリまで表現されていてリアルさがあり、この重厚な感じが独特で好みです。
この頃には岸田劉生は写実で名高かったようで、身内だけでなく多くの画家に影響を与えています。意外なところでは日本画家の速水御舟も岸田劉生から影響を受けていて、1920年代に写実的な作品を残しています。
岸田劉生 「麗子坐像」

こちらは1919年の作品。先程の麗子像に比べると厳しい表情になっていて、子供とは思えないほど重厚な顔つきですw 細部まで緻密な描き方で、やはりデューラーあたりを思わせる表現となっています。黒地なのも重々しく感じるのかな。芸術の為とは言え子供ならもうちょっと可愛く描いてあげれば良いのにと毎回思いますw
麗子像は70点以上もあるのだとか。先程の「麗子肖像(麗子五歳之像)」によって写実を極めることで「内なる美」を「外界の形象に即した美」に昇華させることができたと確信したそうで、写実の道だけでなく短時間のさらりとした描写の「内なる美」の表現の為に、水彩と素描に取り組んでいくことになります。
岸田劉生 「麗子坐像」

こちらは1920年の作品。水彩で描かれていて、これまでの艶のある写実とは違った味合いとなっているかな。背景は大きな筆跡となっているのもこれまでの作品とだいぶ違って見える要因だと思います。ちょっと右手が小さすぎる気もしますが、素早い筆致で対象の特徴を表現するような方向になっています。
1919~1921年にかけては特に麗子と近所の村娘のお松をモデルに肖像を多く手掛けています。その後2人が成長すると水彩画は減って日本画の制作が始まることになります。また、この頃の京都旅行での感動や日本画家の榊原紫峰が所有していた宋元の花鳥画への関心が作品にも反映されていった時期でもあります
岸田劉生 「村嬢於松(むらむすめおまつ)立像」

これは1921年の水彩作品。麗子の友達のお松がモデルで、北方ルネサンスの影響から抜けて東洋美に向かう頃の作風となっています。やはり手足がやけに小さく描かれてデフォルメされている感じもするかな。素朴でちょこんとした雰囲気が可愛らしい。このお松がモデルの作品は油彩よりも水彩素描を好んで描いたいたようです。
この鵠沼の時代が岸田劉生の最盛期と言われます。椿貞雄や中川一政なども岸田劉生を慕って鵠沼に引っ越してきて、切磋琢磨していました。
岸田劉生 「麗子微笑」

こちらは1921年の作品で、麗子が8歳の頃の姿です。まだデューラーの影響があるようですが、どこか寒山拾得みたいな妖しい雰囲気が出てきたようにも思えます。徐々に写実から写意へと変化していった過渡期の作品です。
岸田劉生は1922年6月に宋元画を購入したのを皮切りに、初期肉筆浮世絵なども含めて収入の大部分を買い物に使うという状況になったようです。そして西洋の美術に対する東洋の美術の優位性の論文を執筆し、「現実的で動的で露骨で作為的な西洋とは対照的に、神秘的で静的で無為の自然物的な東洋にこそ、美の深い境地がある」と説き、「初期肉筆浮世絵には、倫理的な美の露骨性を避けるために、正反対の矮小で醜くグロテスクな[卑近美]が現われ、宋元画には、民族的な個性として[偉大なる間ぬけさ]すなわち稚拙感や[写実の欠除]が現われる」と著しました。そしてこの時期は宋元画に学んだ静物を描いたり日本画の個展も開催しています。
岸田劉生 「壺の模様図案」

こちらは1924年の作品。壺の模様の図案とのことですが、今までの写実とはだいぶ異なる印象で緩い画風となっています。子供の像は宋元画に出てきそうな感じで、この頃の東洋美術への関心がストレートに出ているように思えます。
1923年に関東大震災が起きると、鵠沼の自宅が倒壊してしまいました。そのため、京都に移住し草土社も自然解散となっています。
岸田劉生 「人蔘図」

こちらは1926年の作品。絹本に描かれた日本画で、色は淡くデフォルメされて南画のような趣となっています。あれだけ濃密で写実的だった画風が真逆の淡くて緩い雰囲気になっているのが驚きですねw
この頃、岸田劉生は洋画壇での活躍よりも むしろ日本画を制作していたようですが、友人の武者小路実篤は油彩画の制作に復帰させるべく、大調和美術展を開催したそうです。しかし茶屋遊びの放蕩で生活と制作に支障をきたしたので京都から鎌倉へと移住しました。
岸田劉生 「田村直臣(なおみ)七十歳記念之像」

こちらは1927年の作品。モデルは明治・大正期を代表する日本人牧師で、かつて岸田劉生が洗礼を受けたのはこの人の教会でした。岸田劉生に絵を学ぶように勧めた人物の1人でもあるので恩人と言えます。油彩で描かれていますが、以前と比べると写実性よりも写意へと移っているように思えます。肩周りは妙に狭く、手の位置も変なので子供みたいにちょこんとした印象ですw
残念ながら良い写真がありませんでしたが、この頃の岸田劉生は「デロリの美」と呼んだ妖しい雰囲気の作品を残しています。デロリは粘着性、濃厚さ、泥臭さ、不気味さなどを表現した言葉で、岸田劉生が初期肉筆浮世絵を評して生みだした造語です。中国の絵によく出てくる寒山拾得のように描かれた麗子像や、妖艶さや不気味さのある「岡崎義郎氏之肖像」などにデロリの感性が伺えます。
岸田劉生 「五福祥集」「寒山拾得」

こちらは1928年の作品。墨の濃淡でさらっと描きあげた感じで、もはや洋画家というよりは日本画家のようになってますw 写実を極めた画家がこういう緩い絵に向かっていったというのが面白いですね。
この翌年の1929年には依頼が多く自由な制作がままならなかったようですが、「今年は本当にいい年にしたい」と日記に書き、華やかな静物画や最後の麗子像を油彩で描きあげたそうです。そして南満州鉄道株式会社の招聘により満洲に渡り、そこでも旺盛な制作意欲を見せています。
岸田劉生 「満鉄総裁邸の庭」

こちらは1929年の作品で、満鉄総裁の家の草木の生い茂る庭を描いています。遠くには青い水平線が見えていて、小高いところにあるのかな? 黄色い枯れ草と緑の木々などを軽やかな筆致で描いていて、筆跡も残っています。やや初期のポスト印象派風に戻った感じもありますが、また新しい表現になってきているように思え、色鮮やかで清々しい作品です。
こうして満州では「新しい余の道」を見つけたようですが、帰国直後に38歳で急逝しました。これまでも画風が変わり続けた岸田劉生が、また新たな進化を見せそうな所で人生が終わってしまったのが残念です
岸田劉生 「四季の花果図」

最期にこちらは年代不明の作品。日本画なので1920年代後半のものではないかと思います。南画を思わせる画風となっていて、右から四季の野菜と果物が並んでいます。素朴で可愛らしい印象を受けますね。
ということで、写実時代が有名ではありますが晩年は東洋的な美術を目指した画風となっています。現代でも人気があり頻繁に個展も開かれるので目にする機会も多いと思います。その画風の変遷を知っておくと、一層に楽しめると思いますので覚えておきたい画家です。
参考記事:
没後90年記念 岸田劉生展 感想前編(東京ステーションギャラリー)
没後90年記念 岸田劉生展 感想後編(東京ステーションギャラリー)
素描礼讃 ―岸田劉生と木村荘八― (うらわ美術館)
没後80年 岸田劉生 -肖像画をこえて (損保ジャパン東郷青児美術館)
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