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《アメデオ・モディリアーニ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、エコール・ド・パリの1人として名高いイタリア人のアメデオ・モディリアーニ(モジリアニ)を取り上げます。モディリアーニはアフリカ彫刻に影響を受け、縦に引き伸ばされた画風で有名で、彫刻に専念していた時期もあったので彫刻家の視点を持った画家と言われることもあります。少年期に結核となり酒や薬物に溺れたのが災いして夭折していて、画業に専念してから亡くなるまでの僅か4~5年の間に代表作が集中しています。作品の大半は肖像・裸婦像で、一度観たら忘れられない個性的な画家です。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


アメデオ・モディリアーニは1884年にトスカーナ地方のリヴォルノで事業家のユダヤ系の家に生まれました。元々は裕福な一族だったようですが、モディリアーニが生まれた直後に不況で家は破産しています。幼い頃から絵の才能をみせ14歳からは美術学校で学んでいましたが、16歳の時に結核と診断され転地療養の為に母とイタリア各地を旅行しています。その際にイタリア美術を直接観る機会がありティノ・ディ・カマイーノの彫刻などに影響を受けていて、さらにイタリアの印象派とも呼ばれるマッキアイオーリ(マッキア派)などにも強い影響を受けました。
 参考記事:イタリアの印象派 マッキアイオーリ展 (東京都庭園美術館)
転地療養で1902年にフィレンツェの裸体画教室、1903年にヴェネツィアの美術学校で学び、この頃からボヘミアン的な暮らしをしていたようです。そして資金が無くなり1906年にパリに移り、アカデミー・コラロッシに入学しました。この際、モンマルトルに住み 近くにはピカソ達の洗濯船もあったことからモンマルトルの画家たちと交友関係を広げていきました。(この頃にはすっかりアルコール中毒・薬物中毒になっていたようです)

アメデオ・モディリアーニ 「若い男の顔」
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こちらは1908年の作品で、初期の水彩作品となります。首が長い肖像画となっていて、早くも画風の特徴が観られます。一方で表情は割と写実的で、まだ瞳も描かれているようです。

この前年にはセザンヌの回顧展を観て強い影響を受けたようです。アカデミスムに染まった自分に嫌悪したのか、これ以前のほとんどの初期作品は自分自身で破壊しているのだとか。

アメディオ モディリアーニ 「ポール・アレクサンドル博士の肖像」
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こちらは1909年の作品で、モデルは皮膚科の医師でありモディリアーニの作品を買って励ましていたパトロンとも言える人物です。こちらはまだ顔が細長くもないしアーモンド型の目でもない画風となって、精悍な印象を受けます。この医師は第一次世界大戦で出征してしまうまでモディリアーニを支え続けてくれたようで、同じ年に3点も肖像を描いています(この絵はヤマザキマザック美術館のですが、富士美術館によく似た作品があります。もう1点は個人蔵) 背景に飾ってあるのは前年に描いた「ユダヤ女」で、博士が購入してくれたものです。モディリアーニの1つ年上で当時26歳とは思えない堂々たる威厳を感じるのは精神的支えでもあった医師へのリスペクトの気持ちの表れかもしれませんね。

この1909年にモンパルナスのラ・リュッシュ(蜂の巣)へと移り住んでいます。また、アレクサンドル博士を通じてルーマニア出身の彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシと知り合いました。3人は当時大きなブームとなっていたプリミティブ美術や黒人芸術に共に大きな興味を持って語り合っていたようです。そして当初から彫刻家になりたいという気持ちのあったモディリアーニはブランクーシに彫刻を学び、1914年頃まで彫刻に没頭し20数点の彫刻作品を制作しています。モディリアーニの彫刻はアフリカ芸術に影響を受けた単純化されプリミティブなもので、それ以降の絵画の特徴に引き継がれていきます。(残念ながら彫刻作品の写真は撮ったことがありませんが、箱根彫刻の森美術館などにあります)

アメデオ・モディリアーニ 「新しき水先案内人ポール・ギヨームの肖像」
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こちらは1915年の作品で、モデルは画商のポール・ギヨームです。モディリアーニが4点描いたギヨームの肖像の1枚で、この絵のギヨームは23歳頃らしく、タバコを持って帽子にスーツ姿のダンディな姿で描かれています。まだ写実的な感じがありつつも簡略化された描写で、背景は赤っぽく ギヨームはやや見おろすような感じでこちらを観ているかな。非常に個性的かつ印象深い作品で、モディリアーニの作品の中でも特に好みです。左上にはギヨームの名前が書かれ、左下に書いてある文字は「新しき水先案内人」という意味で、右下には卍のようなマーク、右上には聖母マリアを暗示する海の星かダビデの星があるようです(この星は観てもよく分からず) ギヨームはアトリエを借りてモディリアーニを支援していたので、敬意を込めてそうした記号もくわえたんでしょうね。

1915年には彫刻から絵画へと戻ってきています。体調の悪化で体力が無くなったことや資金不足で材料にも困る状態だったのが原因で、1914年にギヨームと出会って絵画に回帰することを勧められています。ここから晩年の1919年(1920年1月に亡くなっている)にかけての僅か4年がモディリアーニの画業の重要な時期で、300点以上も絵画を制作しました。

アメデオ・モディリアーニ 「Antonia」
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こちらも1915年の作品です。首が長く青い目をしたアフリカ彫刻のような肖像画となっていて、ざらついた画面でモディリアーニの個性が遺憾なく発揮されているように思います。先述の通りモディリアーニはピカソらと交流があった訳ですが、キュビスムには参加しなかったものの影響を受けていて、この絵では特に鼻の形が正面からと横から見た形が合わさっているのが分かります。背景も幾何学的な構成になっていて、それを感じさせるかな。

モディリアーニはカフェで初めてギヨームに会った際、「君は絵を描くのか?」と聞かれ、同席した友人に「はい と言え」と囁かれて「少し描きます」と答えたそうです。するとギヨームは「カンバスを持って僕のところに来なさい」と言ったのだとか。実際はこの時期のモディリアーニは彫刻しか制作していなかったので、それを機に(再び)絵画を描くようになりました。ちなみにギヨームはアフリカ美術を扱って地位を得た人物なので、モディリアーニの芸術には欠かせない存在と言えます。

アメデオ・モディリアーニ 「Fille rousse」
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こちらも1915年の作品で、日本語にすると「赤毛の少女」です。この絵でもキュビスム的な特徴が出ていて、幾何学的な背景や様々な茶色っぽい色合いがその影響と考えられます。ちょっと首が斜めに伸びた感じだけど、背景も斜めになっているので相殺されて見えるのが面白い。一方、単純化されているものの目はくっきりして頬は赤みがかっているなど、モデルの雰囲気がよく伝わってきて青いアーモンド型の目の作風とは異なっているのも確認できます。同じ年でも色々模索して実験していたようですね。

この頃、第一次世界大戦が起こっていますがモディリアーニは病気のため兵役には就きませんでした。しかし友人のポール・アレクサンドルは召集され、2人は再び会うことはなかったようです。

アメデオ・モディリアーニ 「Femme au ruban de velours」
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こちらは日本語にすると「ベルベットのリボンを持つ女性」となります。1909年から1914年の彫刻の頭部と、同時期に行われたカリアティード(女性の立像)を写したもので1915年に描かれています。背景には2本の木があり、所々に白い部分(キャンバスの白さ)が露わになるような技法があり、ちょっとセザンヌを想起させるかな。こうしたタッチは1914年から1915年までの実験の一部なのだとか。

モディリアーニは1916年にポーランド人画商のレオポルド・ズボロフスキーと専属契約を結びました。絵をすべて引き取る代わりに画材などを提供されたようです。

アメデオ・モディリアーニ 「婦人像(C.D.夫人)」
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こちらは1916年頃の作品で、モデルは詳細不明です。この絵は黒い眼をしていて、細長の顔は気品に溢れた佇まいで、どことなく憂いを含んでいるような美人ですね。やや斜めになった構図も先程の作品と同様でモディリアーニの特徴となっています。モディリアーニの肖像画の中でも特に魅力的な1枚です。

今回ご紹介しているモディリアーニ作品はすべて肖像画ですが、晩年にも風景画を4点描いています。かなり貴重なので滅多に観る機会はないものの、セザンヌやキュビスムを感じる画風となっています。

アメデオ・モディリアーニ 「若い女の胸像(マーサ嬢)」
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こちらは1916~1917年頃の作品。この絵もモデルは不明ですが仮面を思わせる長い顔で青い目をしていて 顔はやや斜めにかかれています。背景が3つの色彩に分割されているのが面白く、女性の顔と服を合わせて5~6のブロックに分かれたような構成となっています。落ち着いた雰囲気も出ていて好みの作品です。

モディリアーニは生前は貧しい暮らしでしたが、多くの芸術家仲間がいました。キスリングとは親友で、スーティン、ユトリロ、藤田嗣治などとも交流がありました。藤田はモディリアーニと同じ画商と契約したそうで、それもあってモディリアーニとは仲が良かったようです。藤田は1918年頃から縦に引き伸ばしたような優美な女性像を描くようになり、南仏のカーニュで一緒に過ごしたモディリアーニの影響と言われています。

アメデオ・モディリアーニ 「ルニア・チェホフスカの肖像」
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こちらは1917年の作品で、モデルはポーランドの名家出身の女性で夫が第一次世界大戦に出征した後にモディリアーニのお気に入りのモデルとなったようです。一際首が長くて白いブラウスと肌の色が強く感じられるかな。それでも気品ある雰囲気となっていて、親密だったことが伺えます。

写真がありませんでしたが、モディリアーニは1916~1919年の間に多くのヌードを描いています。中でも1917年の「裸婦」はモディリアーニの個展の際にショーウィンドウに飾られた代表作ですが、当時はフランスでも一般女性の裸婦像への抵抗があったようで、公序良俗に反するとして警察に撤去を求められています。そのため、わずか数時間で個展が中止となってしまいました。

アメデオ・モディリアーニ 「若い奉公人」
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こちらは1918年の作品。モディリアーニはセザンヌに強い影響を受けていますが、この絵ではセザンヌが描いた酒飲みや喫煙者のポーズを再現しているようです。肘をついて物思いに耽るポーズは伝統的なメランコリーのポーズでもあるので、どこか物憂げで知的な雰囲気を受けるかな。輪郭線が使われて平面的なのはゴーギャンからの影響も考えられるのだとか。

1917年に藤田のモデルだったジャンヌ・エビュテルヌと出会いました。1918年には2人で転地療養でニースに移り、子供も生まれています。しかし生活は貧困状態で酒と薬物に溺れ、既に病状もかなり悪かったようです。

アメデオ・モディリアーニ 「若い農夫」
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こちらは1918年の作品。恐らく南仏で出会った農夫がモデルと思われ、モディリアーニ独特のスタイルだけど何処かリラックスしたような雰囲気に見えるかな。白黒の対比的な服装もよく見るので特徴の1つと言えるかも?

モディリアーニは体調を改善するために、1918年~19年にかけて南フランスのミディ地方に数ヶ月間滞在しました。この旅の費用は画商のレオポルド・ズボロフスキーが負担していて、この間に赤毛の若者、農民、見習い、労働者などの肖像画を制作しています。しかし、それぞれのモデルが同じ人物であるかは不明のようです。。


アメデオ・モディリアーニ 「Gaston Modot」
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こちらは1918年の作品で、日本語では「ガストン・モドの肖像」となります。この人は俳優だったようで実際の写真を観るとイケメンですが、この絵では生気が抜けたオッサンみたいに見えるw やや濃い目の肌の色をしていて首の太さと長さが特に目を引きます。斜めになった幾何学的な背景なども含めてモディリアーニらしさがよく出ていますね。

1918年には長女が誕生し、さらにジャンヌ・エビュテルヌは次の子を妊娠していますがジャンヌの親に反対されて結婚はしていませんでした。結核で貧困で薬物中毒… 反対されるのも無理はないですね。しかし1919年には結婚を誓約していたのだとか。

アメデオ・モディリアーニ 「Femme aux yeux bleus」
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こちらも1918年の作品で日本語にすると「青い目の女性」です。モディリアーニの肖像は大概が青い目じゃないかと思いますけどねw 胸に手を当てる仕草が古い時代の肖像画を思わせるかな。黒い服と肌の色の対比で非常に引き締まった印象を受けます。

晩年のモディリアーニはかなり無茶苦茶で、酒場に居合わせた人の肖像を描いて強引に売りつけて酒代をせびっていたようです。家に帰ってこないので身重のジャンヌが探し回ることもあったのだとか。

アメデオ・モディリアーニ 「La blouse rose」
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こちらは1919年の作品で日本語にすると「ピンクのブラウス」です。最晩年で目がまた黒に戻ったのがちょっと意外。背景もハッキリしていて、また以前の画風に戻っているようにも思えます。モデルは誰か分かりませんが、ちょっと困ったような顔をしてるのが印象的です。

この翌年の1920年の1月に35歳で結核で亡くなりました。その2日後には身重のジャンヌも悲観して投身自殺してしまい、長女だけが残されました。この長女は後に美術の世界に入りモディリアーニの研究も行っています。


ということで、独自の画風でどの流派にも属さず 便宜的にエコール・ド・パリの画家とされています。生前は全く売れなかったものの現在では ひと目見たら忘れない画風が人気で、各地の大型美術館のコレクションとして観ることができます。個展は久しくやっていませんが いずれまた機会があるんじゃないかな。美術ファンでない人にも有名だし今後話題になる展覧会も行われるのではないかと思います。
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