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《吉田博》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、日本よりも海外での評価が高い画家 吉田博を取り上げます。吉田博は明治時代から昭和に活躍した画家で、油彩よりも版画が知られています。日本では白馬会と対立していたこともあってかそれほど有名ではありませんが、欧米では名高く 戦後にマッカーサーが日本に来た際、真っ先に「吉田博はどこにいる?」と尋ねたという伝説まであります。風景画が多く、木版では原画から彫り、摺りまですべて自らが監修を行うという徹底ぶりで高い品質の作品を生み出しました。今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


吉田博は元々は上田博として久留米に生まれ、子供の頃から絵が好きだったこともあり九州の洋画家の草分けとされる吉田嘉三郎に見込まれて24歳で養子に入りました。吉田嘉三郎は博に跡を継がせるために京都の田村宗立の弟子入りを命じ、博はそこで修行していました。しかし京都で写生旅行に来ていた三宅克己と出会うとその水彩画に魅せられ、更なる研鑽を積むために東京に出て不同舎の小山正太郎に学ぶようになりました。

吉田博 「養沢 西の橋」
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こちらは不同舎の時代の1896年に描かれた水彩作品。淡く瑞々しい色彩で川辺の光景を描いていて、橋の上で牛を追う姿が郷愁を誘います。叙情性があり、古き良き日本の原風景を軽やかに表現していますね。不同舎では結構色々な所に遠征していたようで、これは奥多摩の養沢ですが、日光などで描かれた作品も多く残されています。

不同舎で力をつけた吉田博は弟弟子の小杉未醒らの心を捉える「吉田流」とも言える境地まで達していたようですが、その頃の中央画壇は黒田清輝ら白馬会が要職を占め、その一派が国費で留学している状態で、吉田博はそれに憤慨していたようです。折しも義父が亡くなり義理の家族も含めて6人を養う身となっていたこともあって 絵を売って生活をしていたのですが、横浜でアメリカ人に特によく売れたことから不同舎の後輩の中川八郎と共にアメリカ経由の渡欧を決意したようです。(その背景には三宅が絵を売りながら渡米したことも影響したようです) そして言葉もわからないまま1899年に現地に行った所、作品を持ち込んだデトロイト美術館の館長の激賞を受けて急遽2人展を開くことになり、1000ドルを超える大金を得ることができました。その後、この大金を元にボストンに移り、さらにイギリス、フランス、ドイツ、スイス、イタリアを巡って2年ほどで帰国しました。帰国後の1902年に、吉田博は白馬会に押されて停滞気味だった明治美術会を「太平洋画会」と名を改め、若手を中心とした組織にして やがて白馬会に対抗していくことになります。そして更に2年後(1903年)には今度は義理の妹と共に再度アメリカに渡り兄妹展を開催すると、これまた大好評で大金を得ることができました。そしてまたイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、イタリア、スペイン、モロッコ、再びスペイン、イタリア、エジプトなど3年近くかけて外遊したようです。

吉田博 「パリ風景」
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こちらは1905年の油彩作品で、妹と外遊に出た頃のものと思われます。パリの公園で休む人々が穏やかな雰囲気です。タッチが粗めで印象派のような画風にも思えるかな。影響を受けているかは分かりませんが、こうしたのんびりとした感じは吉田博の風景画の特徴でもあると思います。

この外遊の際にプラド美術館で描いたヴェラスケスの模写と、ヴェニスで描いた風景画は夏目漱石の『三四郎』の話の中でも紹介されていて、ヴェラスケスの模写はあまり出来が良くないというセリフもあるようですw(実際、それほど似てる模写ではないです)

吉田ふじを 「旗日の府中」
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こちらは共に外遊した義理の妹の1902~03年頃の作品です。兄の絵にも負けない高いデッサン力で旗が並ぶ日の様子を描いています。大きな木が立ち並んでいるから神社のあたりかな? 写実的で叙情性のある画風は兄に通じるものを感じます。

吉田博の再帰国後、白馬会と太平洋画会の対立は再び深まり、博覧会の審査員の大半が白馬会で占められたことに抗議して賞の返還をするなどの事件もあったようです(この辺の事情が吉田博があまり紹介されない一因だったのかも) その後の文展では公平に審査員が分配されると吉田博は3等を受賞するなど活躍し、さらに若くして文展の審査員を務めるなど洋画界の頂へと登りつめて行きました。

吉田博 「池畔の桜」
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こちらは1920年の油彩作品。水辺に咲く桜を大胆な筆致で描いている一方、色は控えめで静かな印象を受けるかな。油彩は水彩と雰囲気が違った作風に思えます。

1920年に吉田博の転機となる仕事が舞い込み、それから木版画の世界へと進んでいくことになります。それは明治神宮完成の木版画の依頼で、版元は渡邊庄三郎(伊東深水や川瀬巴水の版元として有名)でした。しかしこの仕事では7点の原画を提供するだけだったようです。その後、関東大震災が起きた際に被災した太平洋画会の仲間を救おうと再びボストンに絵を売りに行ったところ、売上は芳しくなく既に日本人画家という物珍しさは失われていましたが、アメリカでは日本の木版画に人気が出ていることが分かりました。当時は低俗な浮世絵でももてはやされていたようですが、吉田博はそういったものどころか伊東深水や川瀬巴水にも飽き足らずに自分が新しい木版画の世界を開拓する気持ちで挑み始めました(この時既に自身の木版も高い評価を得ていたようです。) 

吉田博 「米国シリーズ グランドキャニオン」
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こちらは1925年のシリーズ作品の1枚で、グランドキャニオンを描いた版画です。油彩を版画化したもので、吉田博はこの景観について「赤黄色の山の層は遠くなるに従つて次第に色が霞んで褪せて見える(中略)夕日を浴びてゐる側は黄色く明るいが、影になつてゐる部分は沈んだコバルト色で、その色彩の対照は筆舌に尽くせない妙趣を帯びている」と語っていたようです。やや平面的な感じですが明るい色彩となっていて、その感動が込められているように思います。

吉田博はこの頃の西洋画の動向には全然興味がなかったようで、写実的で緻密な独自の画風を貫いていたようです。たまにちょっと印象派のような大胆さやナビ派のような装飾的で平面的な感じの作品があったりもしますが、意図して描いたのかは分かりません。

吉田博 「欧州シリーズ ルガノ町」
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こちらは1925年の作品で欧州シリーズ11点の中の1点。スイスの湖に面した街の風景で、吉田博はこの街を訪れた際の印象として、空が真っ青で山近く湖水が静かであることに感動したこと、その辺りに見られる赤い屋根の家が湖面に映る情景に見入ったことなどを書き残しています。ここでは空は描かれていませんが、家々の赤~オレンジ色の連なりがリズミカルに感じられます。こういう風景を観ると、西洋画の動向に興味ないと言っても、割とセザンヌやキュビスムに影響されたんじゃないの?って思ってしまいますが…w 

この少し前に作られた国民美術協会の会頭が黒田清輝になると吉田博は脱退し、恐らくそれが原因で文展の審査員からも外されました。また、外遊を計画したものの第一次世界大戦が始まりそれどころではなかった時期に、逆にそれが転機となり国内の山々を描くことに熱中しはじめ、実際に山に登っては山を描くというスタイルになっていきました。

吉田博 「日本アルプス十二題の内 剣山の朝」
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こちらは1926年の作品で、吉田博を代表する連作の中の1枚です。微妙な濃淡で朝日が山を照らす様子が描かれ、清々しい雰囲気です。手前にはテントも描かれていて実際にこの場所で描いたことを伺わせます。 吉田博は毎年夏になると2ヶ月ほど日本アルプスを訪れていたようで、「登山と画とは、今まで私の生活から切離すことのできなものとなつてゐる。画は私の本業であるが、その画題として、山のさまざまな風景ほど、私の心を惹きつけるものはない。味はへば味はふほど、山の風景には深い美が潜められてゐる。(中略)山は、登ればそれでよいといふものではない。登つて、そこに無限の美を甘受するのが、登山の最後の喜びではないだらうか」と語っています。それほど山を深く愛していたこともあってか「山の画家」とも呼ばれることもあります。

吉田博の木版の特徴は原画から彫り、摺りまですべて自らが監修を行っていたことで、自身が猛勉強するだけでなく職人たちの指導も行っていたようです。また、同じ版木の色を変えることで朝昼晩というように表現する「別摺」という技法を生み出し、それも高く評価されました。かなりの大型作品も手掛け、紙と版木の反り返る率の違いに苦労したというエピソードもあるので、本当に熱心に版画に取り組んでいたのが分かります。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 朝・午後・夕」
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こちらは1926年の版画作品で、まずは3点セットでご紹介。これが「別摺」で、同じ場面を色を変えてそれぞれの情感を出しています。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 朝」
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朝は太陽が強く輝き全体的に明るい一方、逆光となって船は暗くなっています。まるで水彩画のような繊細さで、かつて水彩の感性がフル活用されていますね。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 午後」
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こちらは午後の光景。凪なのか波は無く非常に静かな雰囲気です。水面に帆が反射しているのも叙情的に思えます。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 夕」
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こちらは夕暮れの光景。朝に似ていますが朝よりもグラデーションが穏やかで、空と海が一体化したような光景となっています。左上の帆船が他の2枚よりだいぶ濃いのも違いかな。

版画の仕事が安定してくると、夏は旅して写生を行い秋から春に木版を造るようになっていたようです。また、1924年から秋の帝展の審査にも復帰し、毎年山をテーマにした大作を出品するのが恒例となりました。その後、1930年になると息子を連れてインドと経由地のアジア各国に旅行に行ったそうで、この旅はヒマラヤへの憧れと世界不況によってアメリカでの売上が見込めないことが背景にあったようですが、今までとは異なる雰囲気の画題を残しています。さらに60歳を超えてからは山登りを止めたものの、1936年には朝鮮半島・中国を訪れています。(1937年から日中戦争が勃発しているので、当時の政情とも関係があったのかもしれません。)

吉田博 「インドと東南アジア フワテプールシクリ」
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こちらは1931年の作品で、長男の遠志と共に訪れたインドで観た光景を版画にしたものです。装飾的な窓から透ける光景が見事で、異国情緒が豊かに表現されています。遠志は後に「インド旅行は父の外国旅行のなかで、一番題材の多い旅であったから、最も数多くの版画ができたのである」と語っていて、インドで多数の作品を制作していたようです。幻想的な画風がインドの雰囲気とよくマッチしていて特に好きな作品です。

戦時中は従軍画家として戦地で取材をしていたようで、急降下する戦闘機から観る光景などを描いています。しかし取材旅行や木版画の仕事はできなくなったようで、官展への出品もこの頃は行っていません。また、戦争末期の頃は製鉄所や造船所といった軍需産業の工場を描き、特に溶けた金属が赤く光っている絵が気に入ったらしく数点 制作しています。終戦の際は疎開先にいたのですが、終戦後はアメリカでの知名度から進駐軍からの引き合いも多かったようで、戦災を免れた自宅はさながらサロンのようになっていたそうです。そこにはマッカーサー夫人なども来ていたようで、マッカーサーが日本に来た時に真っ先に「吉田博はどこにいる?」と言ったという伝説まであります(本当かは分かりませんがw)しかし終戦後わずか5年程度で亡くなってしまい、念願だった木版の世界百景を叶えることはできず不同舎時代のような日本らしい風景の木版が最後で、油彩では山からの眺めを描いた作品で絶筆となりました。


ということで、情感溢れる風景画を多く残した画家です。最近では人気が上がってきていて、2017年の損保ジャパン日本興亜美術館の展示や、2020年に各地での巡回展、そして2021年1月~3月には東京都美術館で個展が開催されます。美術初心者にも分かりやすい普遍的な美しさがあるので、さらなるブレイクもあるかも?? 今のうちに知っておくと展覧会を一層に楽しめるのではないかと思います。

 参考記事:生誕140年 吉田博展 山と水の風景 (東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)
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