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《マン・レイ》 作者別紹介

今日は作者別紹介で、天才的な発想力を持ったシュルレアリストのマン・レイを取り上げます。マン・レイは写真作品が多く残されていますが、それだけでなく立体作品や絵画作品、映画など幅広く活躍しました。数多くの技法を発見し、それを活用した作品を造り後進のアーティストに大きな影響を与えています。アイディアが豊富過ぎて、斬新な事は大体マン・レイがやってしまったような…w 今日も過去の展示で撮った写真とともにご紹介していこうと思います。


マン・レイの元の名前はエマニュエル・ラドニツキーといい、ユダヤ系ロシア移民の子として1890年にアメリカのフィラデルフィアに生まれました。1897年にニューヨークのブルックリンに移ったのですが、この頃から既に絵を描くことに夢中になっていたそうです。また、高校を卒業する頃には美術館や画廊に興味を持ち通いつめて、ヨーロッパアヴァンギャルドなどを通しこの頃から写真を芸術作品と見なしていました。 1912年には、ラドニツキー一家は苗字をレイに変え、名前も短くマンにしました。(姓名共に元の名を短縮したものです。 日本語に直訳すると人間光線?)マン・レイは芸術家のコミュニティに入って、そこにいたベルギー人の女性アドン・ラクロワとすぐ(1915年)に結婚しました。この頃、マン・レイは地図や図案を描いて生計を立てていて、アドン・ラクロワの影響でアポリネールなどの詩に親しみ、パリで暮らすことを夢見ていたようです。また、自分の絵を写真に残そうと考え、写真を勉強したのだとか。 マン・レイの中では完全に、絵>写真 という制作意欲だったようです。

マン・レイ 「マルセル・デュシャン」
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こちらは1919年の作品で、マン・レイが撮ったマルセル・デュシャンのポートレート。恐らく作品と思われる謎の器具に挟まれて作品と一体化しているような…w 中央の立方体だけ妙に奥行きがあるように見えるのが不思議です。

マン・レイは1921年に憧れだったパリに移り住み、すぐにダダイスト(シュルレアリスムの前に起こった芸術運動「ダダ」の芸術家)に受け入れられました。

マン・レイ 「贈物」
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こちらは1921年(1970年再作成)の作品。アイロンに棘がついたような奇妙なオブジェで、タイトルと共にシュールな雰囲気です。マン・レイはこれ以前に捨ててあったランプシェードを加工した作品を展覧会に出した際、展覧会の初日に清掃人にゴミと思われて捨てられてしまったことがありますw すると、マン・レイは金属にペンキを塗って同じ形にして作り直したそうで、作品に大事なのはアイディアであるという考えだったようです。マルセル・デュシャンのレディ・メイドに似た考えを持ってたのかも知れませんね。

この頃、生活費を稼ぐために職業写真家としても活動し、「ハーパース・バザー」や「ヴォーグ」の常連写真家として活躍しました。そのお陰で、写真の顧客も上流階級まで広まり、知名度が上がっていきました。また、プライベートではこの時期(1920年代末まで)、エコール・ド・パリのミューズとも言えるキキ・ド・モンパルナスと6年間同棲していました。(1919年にアドン・ラクロワとは破局し、その原因は彼女の浮気でした)

マン・レイ 「カザティ候爵夫人」
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こちらは1922年の作品で、私の写真が失敗したのではなく こういう作品ですw 相手の目が4つあると脳が混乱して目がチカチカしますw 眼力も強いし、インパクト強めです。

マン・レイは超有名デザイナーのポール・ポワレに紹介されてファッション写真を撮るようになったそうで、ドレスを見せるだけでなく人間性を出す肖像画的な写真を撮っていたようです。

マン・レイ 「不滅のオブジェ」
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こちらは1923年(1965年再作成)の作品で、シュルレアリスムの要素強め。目とメトロノームの組み合わせが何とも奇妙。これが100年近く前の作品とは思えない斬新さがありますね。

この年に「理性への回帰」という映画作品を作っていて、「レイヨグラフ」を使った斬新な映像となっています。「レイヨグラフ」は写真の技法ですがカメラを使いません。暗室で印画紙の上に物を置いて光を当てるとイメージが浮かぶというもので、偶然発見されました。レイヨグラフで作られた写真はまるで抽象画のようで、幻想的なものばかりです。レンズ、コルク抜き、ぜんまい、櫛などをレイヨグラフに使って制作していました。

マン・レイ 「ゆがんだ家」
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こちらは1924年(後年のプリント)の作品。レンズで歪んだ景色を撮るという面白い発想となっています。マン・レイはシュールなだけでなく発想力や新しい技法の開発に長けていて、分かりやすい驚きがあります。

マン・レイは「ソラリゼーション」という技法もよく使います。これは白黒写真の現像の時に露光を強くすると白と黒が反転する現象を利用したもので、これも偶然発見されました。ソラリゼーションはその後のマン・レイにとって重要な表現となり、この技法を発見してからは過去のネガを様々に焼きなおして新たな作品を作ったそうです。

マン・レイ 「セルフ・ポートレイト」の看板
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こちらは1924年の自分を撮った写真です。左の方が破けているように見えますが、これはガラスのヒビをそのまま使ったため、そう見えるようです。ちょっと神経質そうな顔をしていますが、この作品だけでもユニークな発想の持ち主であるのがわかります。

1925年には第1回シュルレアリスム展に参加しました。1929年にはキキと別れ、1930年代になると絵画作品や他の画家との共同制作をするのに時間を割き、写真からは手を引いていました。

マン・レイ 「標的」
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こちらは1933年の作品。意味は分かりませんが、神話的な女性やマネキンを思わせる3体の像はどことなくデ・キリコに通じるものを感じます。背景に数字が並んだ板のようなものがあるのがタイトルの由来でしょうかね??

1940年になると、フランスはナチスに侵攻されていた為、マン・レイは50歳でフランスを離れてアメリカに戻りました。車でニューヨークからロサンゼルスに移り、そこで画家のモデルをしていたジュリエット・ブラウナーと出会い、2人でマン・レイスタジオを構えました。1946年に2人は結婚していて、彼女はマン・レイの死後にマン・レイ財団を設立しています。

マン・レイ 「ヒトデ」の看板
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こちらは1940年代の作品。普通にヒトデを撮っただけですが、ヒトデ自体がどこかシュールな生き物に思えるw マン・レイはヒトデに魅せられていたようで、1928年には「L'Étoile de Mer(日本語でヒトデ)」という映画も撮っています。

この時代はマン・レイにとってかなり不遇の時代だったようです。アメリカの評論家はフランスでのマン・レイの活躍を知らず、フランスの焼き増しというような評価をしていたそうで、マン・レイは「カリフォルニアは美しい牢獄」と言っていたのだとか。 

マン・レイ 「花を持つジュリエット」の看板
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こちらは1950年代の作品。この女性は晩年を共にした奥さんで、ジュリエットはヤギみたいな顔と言われてましたw この頃、マン・レイはカラー写真に興味を持っていたようで、プリントした際に色彩が鈍くなるのを防ぐ工夫を重ねていました。こうして鮮やかな色合いで表現されたのには苦労があったんですね。

1948年にマン・レイの個展が開かれ、ストラヴィンスキーやジャン・ルノワール(画家のルノワールの次男で映画監督)、ハリウッドスター等も訪れ、この時代の頂点と言える展覧会でした。そして1951年にパリに戻り、カラー写真などの新たな創作を始めると共に、過去のモティーフへの回帰も行ったようです。

マン・レイ 「ジュリエット・グレコ」の看板
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こちらは1956年の作品で、モデルはシャンソン歌手です。カラー写真で発色もよくマン・レイが考案した色彩定着技法が使われているようです。こちらを見る眼力が強くて聡明そうな印象を受けます。

1961年にはヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞、1966年にはニューヨークで大回顧展など芸術家としての評価も高まり成功を収めました。

マン・レイ 「孤独」の看板
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こちらは1972年の作品。タイトルの意味するところは分かりませんが、天に向かって手を伸ばしているように見えますね。ひょろ長くて何処か悲壮感があるように思えます。フランスでは手(Main)とマン(Man)はほぼ同じ音らしく、言葉遊びで光の玉を持つ手の作品(英語で光はRay。つまりマン・レイ自身表す)なんかも作ったりしています。これもそういう意味があるのかも?

この頃、マン・レイは言葉遊び(語呂合わせ)などを用いた作品を作り、彩色されたパン(フランス語で彩色はパンの同音異義語。つまりパンパン)などを作ったりしています。

マン・レイ 「無題(マン)」の看板
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こちらは制作年不詳のミクストメディア作品。青いハートに自分の名前を書いています。色は爽やかでポップな印象を受けるけど、断裂しているので心が引き裂かれたような意味でもあるのかな? 

最期は1976年にジュリエットに看取られて亡くなりました。マン・レイの墓碑銘には「無頓着、しかし無関心でなく(Unconcerned, but not indifferent)」と「共に再び(Together Again)」と刻まれているそうです。


ということで、作品の意味するところを理解するのは難しいものの、写真のみならずかなり幅広く活動したアーティストとなります。今回は写真が無かったので残念ですが「画家」としての成功に主眼を置いていたので、画家的な視点も感じられると思います。こんな時代にもうこんなアイディアがあったの!?という発想力豊かな人物です。
 参考記事:マン・レイ展 知られざる創作の秘密 (国立新美術館)

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