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白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル 【渋谷区立松濤美術館】

先日ご紹介したbunkamuraに行く前に渋谷区立松濤美術館で「白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル」を観てきました。

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【展覧名】
 白井晟一 入門 第1部/白井晟一クロニクル

【公式サイト】
 https://shoto-museum.jp/exhibitions/194sirai/

【会場】渋谷区立松濤美術館
【最寄】神泉駅/渋谷駅

【会期】2021年10月23日(土)~12月12日(日)
 ※営業時間・休館日・地図・巡回などは公式サイトでご確認下さい。

【鑑賞所要時間(私のペースです)】
 2時間00分程度

【混み具合・混雑状況】
 混雑_1_2_3_④_5_快適

【作品充実度】
 不足_1_2_③_4_5_充実

【理解しやすさ】
 難解_1_2_③_4_5_明解

【総合満足度】
 不満_1_2_3_④_5_満足

【感想】
この展示は事前予約制となっていて、そのせいもあって、それほど混むこともなく自分のペースで観ることができました。

さて、この展示はこの渋谷区立松濤美術館を設計した白井晟一(しらいせいいち)を紹介するもので、2部構成となっています。1部は今期で生い立ちから晩年までをざっくり紹介するもので、2部は次期の2022年に渋谷区立松濤美術館の建物にスポットを当てて紹介するという内容になるようです。白井晟一は他の建築家と違い、建築ではなく哲学や美術史を学び一級建築士の資格を取りませんでした。しかし、設計のできるスタッフらと共に高い評価を受ける建物をいくつも手掛けました。そうした変わった経歴なども含め、展示は年代ごとに章分けされていましたので、詳しくは各章ごとにご紹介していこうと思います。
 参考記事:建築家 白井晟一 精神と空間 (パナソニック電工 汐留ミュージアム)


<序章 建築家となるまで>
まずは2階からで、最初は建築家になる前の時代についてです。白井晟一は1905年2月に京都に生まれ、戸籍上の本名は成一となります。銅を商う豪商の家でしたが、既に斜陽となり 複雑な家族環境の中で父が早く没してしまいます。その為、12歳の少年期から青年期にかけては20才年上の義兄(姉の夫)で著名な日本画家である近藤浩一路の元に身を寄せました。近藤浩一路の家には多くの画家や文学者が出入りしていたようで、それに刺激を受けていたようですが、転居を繰り返しました。やがて白井晟一は中学を卒業すると受験に失敗し、1924年に19歳で京都高等工芸学校図案科に入学します。白井がいつの頃から建築に興味を持ったのかは不明のようで、むしろ哲学に傾倒していたようです。しかし図案科の教授は建築家の本野精吾で、当時のカリキュラムには建築装飾があったので、建築家の素地となった可能性はあります。1928年に卒業するとドイツのハイデルベルク大学に留学し、そこでの第一志望は哲学科美術史でした。4年間でゴシック建築を観たり、義兄の展覧会でパリを訪れたり、多くの文化人などと出会っています。やがてベルリン大学に移ると、左派の新聞『伯林週報(べるりんしゅうほう)』の編集に携わり、社会主義運動への関心を深めていきます。その流れでモスクワを訪れたこともあるようですが、1933年にシベリア経由で帰国しています。この滞欧期の経験とネットワークが建築家の道に進む際の核心になっていきました。

ここにはまず学生時代のノートが展示されていました。部屋の内部を描いたもので、綺麗にまとまっていて几帳面な感じを受けるかな。図案教育の椅子のデザイン画もあり、当時の学生はミュシャのトレースなどをしていたらしくアール・ヌーヴォー的な装飾に見えました。その先には留学時代の写真があり、義兄の近藤浩一路の展覧会の際に一緒に撮られた写真がパリの新聞に載っていました。精悍な雰囲気がするかな。ベルリン時代の日記なんかもあったのですが、この時代に共産主義思想って、日本人にはかなり危うい活動だったのでは…。


<第1章 戦前期 渡欧をへて独学で建築家へ>
続いては建築家になった頃のコーナーです。近藤夫妻は子どもたちを自由学園に通わせていたので、近隣の南沢学園町に自宅兼アトリエを新築することにしました。設計は建築家の平尾敏也に依頼したのですが、近藤の代わりに白井が建築に関する決定を取り仕切った為、後に平尾は近藤邸について「私ではなく白井が建てた」と語っています。そのため、1936年に完成したこの近藤邸が実質的なデビュー作となります。白井は木造の参考書や建築家の堀口捨己の著書などを読んで独学していたようです。完成した年の『婦人之友』の6月号で早くも取り上げられ、モダニズム風の自邸が高い評価を得て白井の元に設計の依頼が舞い込むようになりました。(近藤の文化人の人脈からの依頼が多い)

「河村邸(旧近藤浩一路邸)」 1935~36年 現存せず  ★こちらで観られます
ここにはその『婦人之友』の記事があり、ハーフティンバー様式に本瓦のモダンな家の外観と内部が載っていました。山小屋っぽさがあって洒落た雰囲気なので、人気になったのも頷けます。その隣には近藤の絵画もあり、当時の人気ぶりが紹介されていました。

「歓帰荘」 1935~37年
第2次世界大戦前の白井の現存唯一の建物の写真で、こちらもハーフティンバー様式となっています。内装だけみると北方ヨーロッパの家(特にドイツっぽいかな)のように見えます。

「嶋中山荘(夕顔の家)」 1941年 現存せず
こちらは中央公論社(ドイツの頃から懇意な出版社)の社長の軽井沢の別荘で、茅葺き屋根で中は和室となっています。しかし横から見ると白壁で洋館っぽい趣きもあってスッキリした印象を受けました。この仕事が気に入られたようで、この社長の別荘の設計を次々と手掛けています。


<第2章 1950~60年代 人々のただなかで空間をつくる>
続いては敗戦直後の頃のコーナーです。ここでは戦後の3つの特徴について取り上げていました。
 1:地域主義的な側面があり、役場や会議所などの仕事が多い
 2:知識人との密接な交流。芸術家や文筆家の家
 3:白井の傍らで仕事を支えた人たち(右腕として精密な図面やスケッチを残した大村健策、初期の白井を助けた広瀬鎌二や笹原貞彦、大工の棟梁の岡野福松など)

「浮雲」 1949~52年
こちらは秋田県の稲住温泉の別棟で、当主は近藤と交流があって戦時中に荷物を疎開させる際に預かってくれていたようです。2階建てで2階のベランダがぐるっと囲っているのが目につきます。斜め格子の窓など北ヨーロッパの山荘を思わせる作りとなっていて、白井はこの建物について「温泉は都会の人は郷土的特性、地域の人は都会的な要素を求める。この2つの要素を兼ね備える意図があった」と語っていたのだとか。確かに山ならではの雰囲気がありつつ洒落ています。

ここには浮雲の離れも含めて細かい図面や、旅館の写真なども並んでいました、内部は和風でスッキリした印象です。

「秋ノ宮村役場」 1950~51年  ★こちらで観られます
こちらは1/50の模型があり、広くて角度の緩やかな切妻屋根が広がっているのが特徴となっています。「翼を広げ、今にも飛び立とうとする鳥」と評されたそうで、それも納得の美しさです。しかし、当時の住民たちは心配したようで、雪の重みに耐えられるか、暖房効率は悪くないか等、実用面について折衝を行っていたそうです。
この建物は設計図もあり、その大胆なデザインと共に精密な作図に驚きます。これは先述の広瀬鎌二が描いたもので、一級建築士の資格を取得しなかった白井を専門的・技術的にサポートしていたようです。広瀬鎌二からも白井に重要な示唆をしていたのではないかと考えられています。また、秋田の仕事の頃から白井の建築を手掛けるようになった大工の岡野福松のエピソードが紹介されていて、白井は金にはならないけど面白いと弟子に語っていたのだとかw 

「四同舎(湯沢酒造会館)」 1957~59年
こちらは美酒爛漫で有名な秋田の酒造会社の工場近くにある市民ホール的な建物です。白タイルの壁に黒塗りの銅板を張った柱があり、モダニズム風の2階建てとなっています。どっしりした四角い建物といった趣きで、堂々たる風格となっていました。

2階奥の展示室には装丁の仕事が並んでいました。懇意だった中央公論社の仕事が多いかな。デザイン画などもあります(★こちらで観られます)。華やかと言うよりは実直で厳格な印象の装丁(本の中身もw)でした。

「煥乎堂」 1953~54年 現存せず
こちらは明治初期創業の書店で、社長は著名な詩人でもあります。白井の最初のRC工法の建物で、吹き抜けのある2階建てとなっています。螺旋階段があったり、ラテン語で「汝の求むものはここにあり」という意味の言葉を玄関の上に飾るなど、洗練された雰囲気がありました。

「松井田町役場」 1955~56年
こちらは妙義山にパルテノンと言われた町役場で、写真を観ると円柱が並ぶベランダとなっていて言い得て妙だなと思わせます。実際、これだけ神殿ぽいと町役場って感じではない気がしますがw

他にも秋田県立美術館の計画などもあり、平べったく四角いシンプルな形となっていました。

「試作小住宅(渡部博士邸)」 1953年 ★こちらで観られます
こちらは1/30の模型があり、幅広の切妻屋根となっています。先程の秋ノ宮村役場に雰囲気が似てるかな。内部の写真は和風となっていて、幾何学的な美しい空間です。この切妻屋根は白井がよく使う屋根かも。

他にも蒐集したドイツの雑誌や、構想のための模型なども並んでいました。

「土筆居(近藤浩一路邸)」 1952~53年 現存せず
こちらは豊島区に建てられた2代目の近藤邸が戦災で消失したので、新たに作られた3代目です。大きく3つの棟に分けられ、母屋はレンガ造りの広い屋根が驚きのデザインとなっています。日本画家というよりは洋画家の家のような…w


<第3章 1960~70年代 人の在る空間の深化>
3章からは地下の展示となります。白井は1962年に親和銀行東京支店、大波止支店を手掛け、さらに本店も3期に渡って実現させました。そして1969年に親和銀行本店で建築年間賞、日本建築学会賞、毎日芸術賞などを受賞しています。白井は、人間生活の秩序のためには個我の妄執を打ち破る人間以上の力を持つ存在を畏敬する感情を欠くことは出来ないと語っていたようで、この時期から内省を促すような建築、どこか宗教的な雰囲気の建築となっているようです。ここにはそうした作品の写真や図面が並んでいました。 …2階に時間を掛けすぎてbunkamuraの予約時間まで残り40分を切ったので足早に観ることにw メモも少なめです。

「虚白庵」 1967~70年 現存せず
こちらは見覚えがありました。白井の自邸ですが現存していません。あまり窓がないというエピソードがあったと思うので、まさに内省する家かなw この家に使われた障子や外灯なども展示されていました。

「サンタ・キアラ館」 1973~74年
こちらはキリスト教の学園の礼拝堂で、石の壁が曲線になっているあたりが松濤美術館とよく似た雰囲気かな。重厚で、威厳が感じられます。

「親和銀行東京支店」 1962~63年 現存せず ★こちらで観られます
これは現像しませんが模型が展示されていて、黒い壁にスリットがあって銀行にしては威圧感があるんじゃないかなw やや冷たい感じもしますが厳かさすら漂う建物です。後で出てくるノアビルに似てるところもあります。

「親和銀行本店」 1966~67年、1968~70年、1973~75年
こちらは凄いインパクトがある建物なので記憶に残ってましたw 3期に渡って作られ、佐世保に現存しています。写真や図面が展示されていて、石造りの壁が銀行のビルというよりは中世の塔みたいな感じに見えます。 円形の中庭に枯山水の庭園があったり、和室などもあるようで、外見とのギャップにも驚きw 堅牢な雰囲気はやはり松濤美術館と似ているようにも思えました。

「ノアビル」 1972~74年
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こちらは1階に模型があり、撮影可能でした。真っ黒でツヤツヤした感じが今見るとプレイステーションみたいな近未来感があるような…w 下の方は石が使われてるのが白井っぽいかも

こちらは実際の建物の写真。
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15階建てで、上層部は在フィジー日本国大使館なども入っているそうです。施主の頭文字のNに由来して白井が名付けたようですが、堅牢さや神秘性がノアの方舟を連想させますね。

「原爆堂計画」 1954~55年 実現せず
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こちらは実現しなかった計画。1階に撮影可能な模型があり、地下ではCGで実現したらこうだったという映像を流していました。
円筒を中心に平たい四角の部屋が浮かんでいるような形の建物で、原爆をイメージしているようです。 

中央の建物のアップ
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核を保持した文明の悲劇そのものと対峙する意想で、敷地も施主も前提としていなかった計画です。

逆から見るとこんな感じ
DSC08774.jpg
モニュメンタルで象徴的な意味がありそうに見えますね


<終章 1970~80年代 永続する空間をもとめて>
最後は晩年についてです。1980年代に松濤美術館と静岡市立芹沢銈介美術館を手掛け、計画を含めると複数の美術館を立案していたようです(実現は先述の2つ) しかし1983年に建設現場で倒れ、その3日後に亡くなってしまいました。ここでは2つの美術館と晩年の建物などが数点紹介されていました。

「静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)」 1979~81年
こちらは石組みで出来た建物で、アーチ状の扉があったりしてヨーロッパの古い城などを彷彿とします。全然形は違うものの、石組みや中のアールなどを観ると割と松濤美術館と似ているような気がしました。ここは現存するのでいつか訪れてみたいです。

松濤美術館についてはごく小規模でした。第2部は松濤美術館が主役なので今回は少なめって感じかなw 最後のドローイングがあり、建物を描いたものだけでなく絵画的なものもありました。


ということで、盛りだくさんな内容となっていました。白井晟一は哲学を学んでいたので、どこか観念的というか内省的というか、静かな知性が感じられるように思います。まさにクロニクルとしてその仕事ぶりを網羅しているので、これを機に白井の建築を知ることができる展示です。

おまけ:松濤美術館の外観。次回の展示は建物公開なので主役となります。
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